tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

官民分配率の適正化と消費税増税

2014年09月30日 10時22分28秒 | 経済
官民分配率の適正化と消費税増税
 1990年代以降、真面目に頑張りながら、世界で唯一デフレに苦しむという辛酸をなめた日本経済ですが、その最大の原因は、アメリカ主導のマネー資本主義への対応を誤ったことだったように思います。

 マネー資本主義は、為替レートの変動によって、一国経済の動向をいかようにも動かすことが出来るという特徴を持っています。そしてその中の「マネーゲーム」という舞台で為替レートを操りながら、(黒子として)キャピタルゲインの極大化を狙っているのが国際投機資本です。

 日本政府や通貨当局は、それが理解できず、円の為替レートを「適切に管理する」ということに 全く無頓着で、円レートは与えられるものといった感覚を持っていたようです。
 黒田日銀になって、日本は 初めて円レートを政策的に管理することを始めました。

 為替レートがまともになれば、真面目に頑張る日本は、着実に経済成長を達成していくでしょう。今までのように、財政支出で経済を支える必要は小さくなるでしょう。
 しかし問題は、これまで、国民は貯蓄、政府は(国民から金を貸して)財政支出という形で回ってきた日本経済ですから、例えば今年でも一般会計の歳入総額の43パーセントが公債金収入(民間からの借金)という後遺症が残っていることです。

 対GDP比の政府の債務残高も232.パーセントで世界でもダントツで、国際機関からも要注意と見られています。
 日本にしてみれば、この借金は、貯蓄心旺盛な国民からで、外国からは少し(5%程度)しか借りていませんから「ご心配なく」ということかもしれませんが、国民にしてみれば、「ちゃんと返してくれるのかな」と不安にもなります。

 今は金利が安いですが、経済が正常化し、金利も正常化したら、政府は利払いのために又借金するといった、まさに「サラ金財政」になりかねません。

 ということで、第1に「政府は財政の無駄をなくすべきだ」という問題、第2に「その程度では焼け石に水、矢張り民間と政府の配分比率を適正化すべきだ」ということになります。政府は、 国民の理解を得つつGDPの中から政府への配分を増やす必要があるようです。

 この第2の問題への取り組み、政府の収入の割合を増税で増やそう(民から官への分配の増加)というのが「消費税増税」です。
 そして消費税は、所得税や法人税などの直接税に比べて、政府にとっては安定収入(租税弾性値が安定)でしかも国民にとっても「解り易い」ものです。

 折しも、円安政策や内外の諸事情(前回詳述)で日本の経常収支は大幅黒字が消えてトントンに近くなり、下手をすると、アメリカのように、財政収支・経常収支の「双子の赤字」になりかねないなどと言われるようになり、円高の心配は小さくなりました。
 
 官民の分配関係を変え、政府の赤字を減らし、財政の健全化、日本経済の健全化に踏み出すチャンスでしょう。
 超高齢化社会を支えるためにも、政府、国民共に、確り考えるべき時ではないでしょうか。
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 注:「官民分配率」はtnlaboの造語で、企業収益と人件費の関係を労働分配率というのになぞらえたもので、国民負担率と同様の概念です。

消費増税と経常収支、財政収支

2014年09月28日 11時33分25秒 | 経済
消費増税と経常収支、財政収支
 前回指摘した、消費増税と経常収支の関係は、以下のようなものではないでしょうか。

 日本経済が万年黒字国といわれ、毎年大幅経常黒字を計上していたということは、家計で言えば、年間の収入を使い切らずに、大幅黒字を出し、その分が貯金になっているといった状態です。
 収入を全部使えば、もっといい生活が出来るのに(将来に備えて)貯金をしているのです。家計なら貯金も結構でしょうが、国の場合は、貯金(経常黒字)は外国に貯金することになります。例えばアメリカの国債や証券・債券ですが、これらは円高やリーマンショックで大損になっています。

 そのうえ、大幅黒字国ということで、国際投機資本は、常に「円は安全通貨」と考え、何かあると円買いで、そのたびに円高になり、これは日本経済のデフレを促進します。
 大幅黒字 → 貯金は、日本経済にとって、損したり、デフレを呼び込んだりで、いいことは殆どありませんでした。

 この貯蓄は国民が「貯蓄はいいことだ」と思ってするわけですが、その結果は、消費不振、内需不振ですから、政府はもっと景気を良くしようとして、国債を発行して国民から借金し、財政支出で景気を支えようとします。

 そしてその結果、日本の累積財政赤字は世界でダントツといったレッテルを張られることになりました。
 しかし日本の国債は国民が買い支えているのだから、政府は赤字でも国は大幅黒字、心配はないという状態です。

 しかし、ここに来てこの状態に変化が起きています。アベノミクスの第一の矢で円安が実現、原発の全面ストップで化石燃料輸入急増、さらに価格上昇が追い打ち、アジア諸国の競争力向上、日本は高齢化で、貯蓄率低下の心配、などなどで貿易収支は赤字転換、経常収支もトントンくらい。

 つまり、今の日本経済は、収入(GDP)をほとんど使いきって、もう貯金はしていない、という状態になりつつあるようです。
 これは日本経済が守りから攻めに転じ、正常な経済成長を目指して活動を始めたということの結果でもあります。企業収益、投資行動、求人倍率などがそれを示しています。

 こういう状態の中での「消費税増税」の影響は、デフレ下での消費税増税とは随分と違うはずです。私は、現状の計画程度の消費税増税ならば、経済成長エネルギーの中で吸収することは十分可能と思っています。

 もちろん消費増税の使途とその効果を国民に解り易く示すといった努力は政府に要請されるところですが、現状で、日本経済の中で歪みとして残っているのは、マクロ経済で言えば、官民バランスの悪さ、具体的には「財政の大幅赤字」です。
 ここに来て、逆に、消費税増税で財政赤字を減らすことは日本経済の至上命題になりつつあると考えています。この問題は次回、よく見てみましょう。

消費増税と経済環境の考え方

2014年09月27日 11時09分32秒 | 経済
消費増税と経済環境の考え方
 消費税の8パーセントから10パーセントへの増税の時期を来年の10月に控えて、安倍総理は「7-9月のGDPの改定値の様子を見て年内に決めたい」という考えだと報道されています。

 総理にしてみれば、消費税増税の政権に対する「恐ろしいマイナスの影響」(橋本内閣や民主党政権)を意識しているのでしょうか、更なる増税には、国民の反応を見ながら、特別に慎重な姿勢を見せているのでしょう。

 しかし、客観的に見れば、安倍内閣「以前」の消費増税と今回の消費増税では、「経済環境」が全く違いますから、当然結果も違うわけで、その違いを十分頭に入れて考えるべきだと思いますが、安倍さんの本心はどうなのでしょうか。

 経済環境の大きな変化は、基本的には2つあるように思います。
 1つは、過去の消費増税の場合は「日本経済が円高デフレの真只中にあった」ということです。
 もう1つは、「日本経済が大幅経常黒字を計上し続けていた」ということです。

 ということで、この2つの環境変化が、消費税増税にどう関連して来るかについて考えてみましょう。

 先ず、デフレについてです。失われた20年のデフレは基本的には円高によるものです。日本の物価が下がり続けて国際価格並みになるのは2000~2002年です。それまではデフレは不可避で、当然の結果として経済は不振を極め、GDPも縮小傾向となります。
 それに加えて橋本消費増税の1997年にはアジア通貨危機が起こります。マネー資本主義がアジア経済を震撼させた事件です。

 例え、消費増税がなかったとしても、日本経済はマイナス成長で不振を極めたでしょう。3パーセントから5パーセントへの消費増税は、他の減税措置で、サラリーマンに対してはほぼ中立だったと記憶しますが、消費増税でマイナス成長になったと錯覚した人はエコノミストも含め多かったようです。

 2010年菅直人は消費税10パーセントを打ち出し、選挙に惨敗しました。この時期日本経済はリーマンショックによる更なる円高に苦しみ、最悪状態でした。
 こうした経験から消費税増税は政権にとってのトラウマとなったようです。

 しかしどうでしょうか、安倍内閣の3パーセントの消費税増税は、駆け込み需要とその反動はありましたが、何とか日本経済の中で「大過なく」吸収されそうな気配です。

 この違いを生んだのは、2014年には日本は「デフレでなくなっていた」という現実でしょう。2013年春の日銀の政策変更による20円幅の円安で日本経済はデフレからほぼ抜け出したのです。
 デフレ経済か否かで消費増税の影響は全く異なると見た方がいいようです。

 もう1つの日本経済の経常黒問題ですが、長くなるので次にします。

最近の国際情勢と折口信夫

2014年09月24日 10時23分01秒 | 社会
最近の国際情勢と折口信夫
 中沢新一氏の著作の中などで「別化性能」と「類化性能」という言葉が出てきます。折口信夫の造語だそうですが、一言で言えば、別化性能とは「違いに着目する思考方法」、類化性能とは共通点に着目する思考方向ということになるのでしょう。

 折口信夫自身は、「自分は類化性能がとても発達している」と言っているそうですが、同時に、類化性能は縄文時代から日本人の特徴的な思考方法ということでもあるようです。

 こんなことを思い出させたには今回のスコットランド独立運動です。
 以前イタリアに行った時ロンバルディアか北部同盟か忘れましたが、共通のシールをつけて、独立運動だと言っていたので、「なんですか」と聞きましたら、「いや、お祭りですよ」という答えが返ってきて、イタリアらしいなと思ったことがありました。

 ところが、今回のスコットランド独立のための住民投票は、お祭りではなく、全く本気だということで、私などは吃驚するより呆れました。
 300年も連れ添った、世界中から連合王国の一部と理解されているスコットランドが連合王国の一部であるという立場を捨てて、(多分に短期的な)北海油田の利権如きに目が眩んで(?)、独立しようという気持ちになるのは何故なのか、見当が付きません。

 しかし、これに刺激されて(という解説もありましたが)スペインではカタルーニャ独立の動きがあるというのでまたビックリ。スペインの債務と国の信用に絡んで、私などには良く解らない主張があるようですが、独立が必要になるような問題なのでしょうか。

 大体こうした問題は、国の中で被害者だという意識によることが多いのですが、スコットランドやカタルーニャが独立したくなるほどの被害者なのか、住んだことがないので解りませんが、不思議、不可解な感じです。

 ということで、ヨーロッパ人は「別化性能」が高く、何かあると違いを強調してしまうのではないかなどと感じた次第です。
 
 そういえば、日本では、神道も仏教も平和に共存し、習合、本地垂迹説なども生まれていますが、キリスト教では旧教と新教はあくまで別で、イスラム教では宗派の対立は日本人には理解できないレベルです。

 もちろんこうした問題は「類化性能」「別化性能」で割り切るといったものではないという意見もありましょう。
 しかし、狭い地球で人類が共存しなければならない今日、世界中に「類化性能」志向を流行らせることが、本気で必要ではないかなどと考えてしまいます。
 「信じる神が違う」と考えるより「同じ人間じゃないか」と考えた方がずっといいような気がするのは日本人だからでしょうか?

 日本人は縄文時代から多様なDNAが共存し、自然と人間も共存、動植物も人間も、自然の一部としてお互いに自然の中で生かされているという共通の感覚を持ってきました。
 今の世の中、何か「類化性能」志向が必要な世の中になって来ているように思うのですが、どうなのでしょうか。

マグロ、ウナギ、クジラ(真面目な話と笑い話)

2014年09月23日 10時05分33秒 | 社会
マグロ、ウナギ、クジラ(真面目な話と笑い話)
 日本人は昔から、いろいろな海産物を食べるのが大好きで、日本の食文化を育ててきましたが、日本の食文化がこのところだんだん世界に知られたり広まったりして、いろいろ問題が起きています。

 昭和20年代の終わりから30年代の初めにかけて大学生でしたが、その頃のアメリカ人の先生が「生の魚を食べるのは日本人とエスキモーぐらい」などと言っていました。

 そのころはraw fishという表現でしたが、今はそんな言葉は使わず、SUSHIやSASHIMIという言葉でアメリカ人の大好物にもなっています。

 代表格はマグロのトロかもしれませんが、そのマグロ(クロマグロ)資源が減ってしまうということで、マグロの幼魚の漁獲の制限が決まったようです。

 ウナギの蒲焼も次第に外国でも好まれるようになって、それだけではなく、幼生の「シラス」を取って日本に輸出するビジネスも繁盛、シラスの漁獲制限も決まりました。

 いずれも美味しいものをいつまでも食べられるようにしようという、知恵の結果(成果)でしょう。
 日本ではさらに進んで、採卵・孵化から完全養殖しようという取り組みも進んでいます。やはり日本人の海産物に対する思い入れは、世界で最も強いのかもしれません。

 クジラの場合は少し違うようです。オーストラリアなどが「クジラ(イルカも)を食べる(殺す)こと自体が怪しからん」という考え方を持っていて、世界では結構同調者が多く、調査捕鯨でクジラの生態・生態系を調査するという日本に種々圧力がかかります。

 もともと「食べるべきでない」ものの資源調査をしても意味はないというのでしょうか。しかも調査で捕獲したクジラを食べているのは益々怪しからん、クジラを食べる日本人は異常だということのようです。

 先日自民党本部の食堂で、クジラ肉のカレーやステーキを始めたという報道記事があり、日本の食文化を内外に示すためという解説もありました。
 これではまさに、食文化の対決の様相です。
 「今の日本の南極海の調査捕鯨は認められない」という判決を出した国際司法裁判所が、今後問題がエスカレートしてきた場合、食文化の対立まで裁くのかどうか、法律に弱い私にも興味があります。

 経済問題のサイドから見てみますと、オーストラリアは日本に牛肉の輸出をしたがっています。経済的には、日本がクジラを食べなくなれば、牛肉輸入が増えるという理屈も成り立つわけですが、そんなことを言ったらオーストラリアは怒るでしょうね。

所得格差と資産格差、日本の経験 6

2014年09月22日 09時31分25秒 | 経済
所得格差と資産格差、日本の経験 6
 格差の発生についての日本の経験を整理してきました。
 一億総中流などと言われた時期、一部には「中流というのは、川の流れのようなものだから、頑張って泳いでいないとだんだん下流の方に行ってしまうのですよ」などという解説もありましたが、中流というのは儚いものでした。

 今、安倍政権は「分厚い中間層」などと言っていますが、中流の脆さに懲りたのでしょうか、中間層が分厚いと言えば、それより上も薄くて、下も薄いということでしょうから、確かに格差は少ないということになりましょう。

 日本の経験から言える資産格差、所得格差の縮小のために大事なことは、
① 資産価格の上昇などで得られた富は、出来るだけ国内の研究・開発・生産活動に活用し、GDPの拡大を図ること。それで雇用が増え、所得は広く均霑します。
② その為には、国内のコストの上昇を抑制すること。これは日本の労使は実行して来ています。但し円高によるコストの上昇は労使には解決出来ません。国際投機資本の跋扈する今日、円の安定(特に円高阻止)は至上命題です。
③ マネー資本主義を実体経済中心の資本主義に戻すことが必要です。マネー資本主義が現在の資産格差発生の元凶でしょう。

 ピケティの言う資産格差の拡大は、資産の生む利子の蓄積よりも、資産価格の上昇による場合が大きいようです。今これは、金融工学の流行という形で、資産が資産を生み、タックスヘイブンを生み、経済においては富の生産ではなく、富の移転が主役化し、巨億の富の所有者(所有国)と、最低賃金を割り込む労働者(国内紛争や難民の絶えない貧困国)といった形で資産格差と所得格差の両方を生んでいます。

 「21世紀の資本論」がアメリカで読まれる所以でしょう。アメリカに本拠を置くファンド(プライベート・エクイティ)といったマネーゲームの主役はまさに「新しい資本家」です。資本は常に強欲です。

 それにつけても、日本はキャピタルゲイン中心のマネー資本主義ではなく、インカムゲイン中心、実体経済中心の資本主義の実践を貫き、あるべき経済社会の姿を示して、世界経済・社会の安定のために貢献すべきでしょう。  (この項終り)

所得格差と資産格差、日本の経験 5

2014年09月21日 07時38分17秒 | お知らせ
所得格差と資産格差、日本の経験 5
 失われた20年を通じ、日本は円高で跳ね上がった賃金コストを下げ、それによって、物価を国際水準まで下げて国際競争力を回復させなければなりませんでした。
 そのプロセスがデフレであり、デフレ故のゼロ・マイナス成長だったということです。

 証券市場は不振を極め、地価は下落を続け、確かに資産格差は拡大しなかったかもしれませんが、この期間を通じて、所得格差の拡大が進み、日本も格差社会になったという認識が国民に共有され、その後遺症はいまだに余り改善されず残っています。

 加害者を巧く特定できないとき、被害者同士が,解らないままの責任論争などというのは良くあります。プラザ合意による円高の時は、「円高」の経済的帰結がよくわからず、「円高は日本の価値が上がったのだから良いことだ」などというエコノミストもいて。景気の悪いのは円高を巧く活用できない政策の貧困などという意見もあったと記憶します。

 いわば、加害者(?)はプラザ合意のG5の日本以外の国々という訳ですが、それを加害者というか、国際投機資本こそが加害者というか、円高OKといった日本代表がそうなのか、加害者の特定がなされた形跡はありません。

 現実は前回述べましたように2年間で賃金も物価も2倍という超インフレをやったのと同じことですから、デフレになるのは当然で、デフレの中では「デフレ3悪」(http://blog.goo.ne.jp/tnlabo/e/a3727a167073b4dc264999e01c287b22)が発生、企業はサバイバルのために、必死のコスト削減を図らなければなりません。コストカッターはカルロス・ゴーンさんだけではないのです。

 こうして生じた現実は、企業の海外移転、国内ではサバイバルのための人員削減、5.4パーセントという日本としては未曽有の高失業率、就職難、新卒には就職氷河期、といったもろもろの現象を齎し、格差問題の核心、非正規雇用の増加に至ることになります。

 バブル期の資産格差の拡大は収まりましたが、今度は一転して所得格差の拡大です。しかもこれは経済全体(GDP)の縮小と並行的に起きている問題ですから、国内で努力しても解決は容易ではありません。 

 結局これは20年に亘る日本国民の努力と、最後に日銀の政策変更による20円幅の円安実現、漸く現状に辿り着いたというのが問題解決の実態です。

 日本人の成し遂げてきた経済・社会活動の実績から見れば、今の状態が安定維持できれば、既に新卒市場は様変わり、漸次、非正規雇用の正規化は進み、所得格差は次第に縮小し、かつての「1億総中流」の方向へ向かうことも可能かと思える状態です。

 折しも、さらなる円安が進み、他方では、地価の下落が止まり一部では反転上昇、株価も急騰といった新たな動きも見られます。これからの舵取りには注目です。
 こうした日本の経験を、内外の経済安定に生かすことを、政府、アカデミアに期待したいものですが、どうなるでしょうか。 

所得格差と資産格差、日本の経験 4

2014年09月19日 10時37分19秒 | 国際経済
所得格差と資産格差、日本の経験 4
 1980年代前半までの、「安定成長の維持、低インフレ、低失業率、小さな所得格差」の時代が続けば、日本は「ジャパンアズナンバーワン」と言われた良き時代を中・長期的に維持できたのではないかと私は考えています。

 理由は日本の経済主体、消費者、企業、政府の行動が、比較的バランスが取れ、労使の付加価値配分のバランス(労働分配率)も適切で、問題のあった官民バランス(国民負担率)についても、土光臨調(1981~)のようなバランス回復努力が真剣にやられていたからです。

 しかし国際環境はそうした安定を許しませんでした。欧米諸国は自分たちが、賃金インフレによる「コスト高」に苦しむ中で、唯一、労使の賢明な判断で、コスト高の進行を避けている日本に対し、コスト高にすることを要請してきました。

 これが「プラザ合意」です。お人好しの日本は、余裕もあったので寛容に「円の切り上げ」を認めました。当時$1=¥240からせいせい¥190ぐらいと読んでいたと言われますが、結果は2年後に¥120になりました。
 つまり日本は2年間で、賃金も物価も2倍になるという超インフレをやったことになり、世界で最も賃金も物価も高い国になりました。

 日本の持っていたドル債などの価値はドルでは変わらなくても円では半分になり、コスト高で製造業中心に企業は海外に出て行き、日本産業の空洞化が言われることになりました。

 つまり、経済パフォーマンスの良い国に対しては、通貨高を強いることにより、その国の富(蓄積資産)を海外に移転させることが可能ということを実証したのがプラザ合意でしょう。その結果、日本はリーマンショックの円高も加えて、「 失われた20年を経験することになりました。 これは中国に対する人民元高要請も理屈は同じです。中国は容易に応じていません。

 これが、通貨価値の変動で富=資産の国際的移転という経済政策を生み、さらには金融工学に発展して、資産(資本蓄積)を生産活動に活用するのではなく、マネーゲームで「金が金を生む」マネー資本主義に行き着くことになりました。
 サブプライムローンの証券化による海外からの資金獲得、その破綻による世界中の金融機関の大穴は保障されることはありません。

 日本の名目GDPは1997年に523兆円をピークに減少、今年度で漸く500兆円回復の予定という状況で、実質GDPでも、2007年のピークから縮小に転じ、昨2013年やっとその水準を回復しました。
 その結果、OECDの中でも平均より貧しい方の国に転落しました(実質1人ありGDP:1990年初頭6位、2012年18位)。

 こうして、国際的に富(資産価値)が移転し、生産活動も不振になり、国民経済が劣化するとき、国内では所得格差の拡大が起きるようです。(以下次回)

所得格差と資産格差、日本の経験 3

2014年09月17日 12時37分21秒 | 経済
所得格差と資産格差、日本の経験 3
 地価上昇を経済発展のエネルギーに置き換えてきた日本経済にも、転機が訪れます。
 第一次オイルショック(1973年)の影響で、エネルギー資源に乏しい日本経済は強烈な「ショック」受け、政府も企業も国民も、まさに周章狼狽、経済成長率はマイナスを記録しました。

 その後も経済成長は緩やかで、高度経済成長の時期は終わったと言われました。企業経営にも変化が現れ、借金中心の拡大路線への反省も生まれ、名古屋式経営などと、自己資本重視の経営が注目されたりしました。
 その結果もあって、地価(特に商用地)は、それ以前に比べると緩やかになりました。その後の第二次オイルショックでは、日本は、第一次オイルショックの経験を活かして、経済の安定成長を維持し、スタグフレーション化でインフレと失業、低成長に悩む欧米諸国しり目に、「ジャパンアズナンバーワン」と言われるパフォーマンスを実現しています。
 この時期、日本は、世界でも屈指の所得配分の平等な国と言われました。

 しかし、1985年のプラザ合意による円高が日本を襲います。アメリカのアドバイスを受け、内需拡大のためと銘打った金融緩和策で、土地神話がよみがえり、土地バブルと証券バブルの時代が、巨大な資産格差の時代を作りました。

 土地バブルは都市近郊から始まり、日本中に広がって、土地を持つ人と持たない人の資産格差は巨大なものになりました。住宅を買ったサラリーマンの所得は、ローン返済で土地保有者に移転し、企業は融資で土地を買い値上がりを待って転売するといった行動に走りました。

 バブルの必然ということでしょうか、土地取得、地価上昇は生産活動には利用されず、値上がり・転売というキャピタルゲイン獲得という形で富の生産ではなく、富の移転という結果を生んだのです。

 資産増殖も土地転がしのキャピタルゲイン目的でした。果てはジャパン・マネーがNYのロックフェラーセンターやティファニーを買うといった海外の資産ころがしにまで発展し、ジャパンマネーは世界中を闊歩しましたが、生産設備への投資に向かわず、実体経済の拡大を伴わないマネー経済・土地バブルは結局破裂し、特に1991年の地価下落の開始とともに、資産格差の拡大は終わりました。

 こうして日本経済・社会は、オイルショック、円高といった外来の条件変化に振り回され、資産格差の拡大や縮小を経験してきましたが、今、問題になっているのは、資産格差よりも所得格差のように思われます。次回はこの辺りを見たいと思います。

所得格差と資産格差、日本の経験 2

2014年09月15日 22時12分28秒 | お知らせ
所得格差と資産格差、日本の経験 2
 昭和30年代から40年代にかけて、1948年第一次オイルショックが発生するまで、日本経済は高度成長の時代でした。神武景気、岩戸景気、戦後最大の不況といわれた40年不況を挟んで、いざなぎ景気と続きました。

 しかしこの高度成長期、日本は資本蓄積不足でした。当時、大蔵省の法人企業統計によれば、法人企業・全産業の自己資本比率は、昭和30年代から低下の一途をたどり、50―51年度に17パーセント(製造業は51年度に僅か13%)まで下げ続け、その後漸く上昇を始めるという状態でした。

 ここから解ることは、日本企業は金融機関からの借金経営で高成長を続けてはいましたが、財務比率の面から見れば、資本蓄積は全く成長に追いついていないという状況です。

 それではなぜ、日本の銀行は財務比率の年々悪化する企業に融資を続けたのでしょうか。企業が成長さえすれば後から取り戻せると考えたのでしょうか。
 その答えは、前回の最後に提起した「収益率が金利より低い企業がなぜ銀行から金を借りて仕事を続けたかと「表裏」の関係になります。

 前回、昭和30年代の初期から日本の地価上昇は始まっていたことは書きました。そして、当時、日本の銀行が、土地担保がなければカネは貸さないというのはいわば常識でした。 そして地価は経済成長率・企業収益率を大きく超えて上昇していました。

 土地担保で金を借り、土地を取得して工場を建て、ある程度の利益を上げれば、それを上回る大きな利益が地価上昇による含み資産として発生するわけです。
 銀行は、その含み資産を評価して、さらに融資を増やし、企業は新たな投資が可能になるという図式でした。
地価が上昇する限り、企業にとって成長のために資金を得ること十分可能だったのです。

 第一次オイルショック後の深刻な不況は、この構図に冷水をかけ、企業は本来業務で得た付加価値の中から資本蓄積をするという本来の企業経営に戻り、自己資本比率は上昇に転じることになったのでしょう。こうして高度成長期は終わったようです。

 この、地価上昇によって、信用を創出し、それを活用して生産設備を拡大充実、実体経済を拡大(経済成長)するという方式は、高度成長を誇り、世界の工場と言われるまでになった中国でも活用されたように思います。

 資産価値の上昇、資産の増殖が顕著でも、増殖した資産価値、つまり資本蓄積が、産業活動の原資として活用される場合には、必ずしも格差問題には直結しないように思われます。
 社会を豊かにする産業活動(生産活動)は、人間が資本を活用して行うもので、使用できる資本が大きい方が「生産性はより早く上昇する」(生産性の上昇は、労働の資本装備率に比例する)というのは経験的にも、理論的にも正しいのでしょう。

ピケティの言うように、資本の増殖のスピードが経済成長を上回り、富が一部のものに集中するという過程は、増殖した資本を、経済成長のための資本装備率の向上に使うことによって、回避できるようです。

 第二次大戦後、明らかにこうした「例外的な」時期があったということは、敗戦国で版図も資源も限られたドイツや日本が、目を見張る高度成長を実現し、格差社会を生まなかったという実績が、世界に注目され、先進国も途上国も、真面目に経済発展に取り組んだ結果だったと考えるのが事実に近いのではないでしょうか。

所得格差と資産格差、日本の経験 1

2014年09月14日 10時51分49秒 | 経済
所得格差と資産格差、日本の経験 1
 ピケティの「21世紀の資本論」は、最大の格差問題は資産格差の拡大だとし、資産課税による格差の是正を指摘しています。
 ピケティは、資産格差の拡大は資本主義の必然として、1930年から1970にかけて、格差縮小の時期があったが、これは例外的だという見方をしています。

 こうした現象を実証して、経済が健全な活動をしていた時期を「例外」とするのも客観的かもしれませんが、「例外」という時期が数十年も続いたのであれば、そういう経済の状況を作り出せば、格差拡大は進行せず、望ましい経済が実現されるのではないか、という視点を持つことの方が大事のような気がします。

 そんな意味で、かつては世界でも有数な格差の小さな国であった日本が、今「格差拡大」に悩まされているという現実をしっかり見直してみることも大事ではないでしょうか。
 ということで、日本の経験における資本の収益率と経済成長率の経験、此の所顕著な格差拡大問題を少し見て行きたいと思います。

 戦後の日本は、地方都市まですべて灰燼で、生産された軍艦や飛行機はすべて海の藻屑と消え、生産設備や社会資本、住宅資本などはB29の空爆ですべて灰燼、蓄積資本はほとんどゼロという状態でした。

 戦後復興の中で、海外からの援助もあり、日本人の勤勉な働きの結果、資本が徐々に蓄積され、それが付加価値生産(GDP)の拡大を齎し、勤勉な労働、付加価値の生産、資本の蓄積、資本蓄積を活用した労働生産性の向上による付加価値生産の増加(経済成長)という好循環を生むことになりました。ピケティの言う例外的な時代の典型でしょう。

 しかし、その背後では矢張り、「一部に」資産価値の経済成長率を上回る上昇はありました。 私の経験で言えば、昭和32年三鷹駅南口10分の地価は坪1万円。ところが6年後の昭和38年には三鷹駅北口15分の地価は坪7万円でした。駅から徒歩5分の差があって、地価は7倍、年率38パーセントの上昇です。

 もちろん東京の通勤圏という好条件があっての事でしょうが、地価神話は始まっていました。
 しかしこの地価上昇が「日本経済の急速な発展を支えた」という点は絶対に見落としてはいけないでしょう。

 当時の企業経営の実態を思い出してみましょう。当時、企業統計の分析をして気づいたことは、企業の利益率より、金融機関の利子率の方が高いのです。それなのになぜ企業は銀行から金を借りて仕事をするのでしょうか。これはなかなか解けない疑問でした。
 長くなるので以下次回にします。

矢張り出た「新しい資本論」

2014年09月12日 11時13分20秒 | 経済
矢張り出た「新しい資本論」
 フランスの経済学者のトマ・ピケティという人が、「21世紀の資本論」(邦訳はまだない)という本を書いて、世界中で論議を呼んでいるそうです。
 
 新聞紙上で紹介されたこの本に関する評論を見て、直感的に、「やはりこういう本が出る経済環境は世界的なんだな」という認識を持ちました。
 もちろん、フランス語の原著も、英訳本も読んではいませんが、日本の著名な学者の方々がご意見を述べられているのを読めば、著者の気持ちはわかるような気がします。

 資本論はドイツ人が書き、新しい資本論はフランス人が書いていますが、矢張りヨーロッパには、こうした社会正義を掲げる大著が出る素地・伝統があるのでしょうか。
 アメリカ社会からは、こういう本は出て来ないだろうといった感じがします。

 人が本を書く場合、その動機となったもの、本を書いて世に問いたかったことは基本的には「1つ」だと私は考えています。
 この本ではそれは多分、「資本主義の下では結局、富は集中し、貧富の格差は拡大してしまう」ということの実証だったたようです。
 そしてその説明として、格差拡大の原因は所得ではなく、資産の格差の拡大にあることを実証し、対策としての資産への累進課税が提唱されているのでしょう。

 こうした本が書かれることは大変大事です。マルクスの資本論は、社会主義、共産主義を生みましたが、資本主義にも大きな変革をもたらしました。その結果、資本主義(今でもこの名称が適切かどうかは別として)は大変身を遂げ、生き残ったのは資本主義の方だったことは「経営者とは何か」のシリーズで書かせて頂きました。

 資本主義の変身は、「経営者が誕生し、資本家は後退したこと」、「資本主義社会が福祉の概念を取り入れたこと」の2つに要約されるように思います。そしてシリーズでは最後に「新しい資本家の登場」という問題点に触れさせていただきました。

 ピケティの資本論は、資本が付加価値を生むのではなく、資本が資本を生む(カネがカネを生む)という資本原理主義、マネー資本主義、インカムゲインからキャピタルゲインへという動きによりよく当て嵌まるのかもしれません。
 アメリカで読者が多いということも頷けるような気がします。
 
 何時も述べますように、キャピタルゲインは単なる富の移転ですから、ゼロサムの中で一方に資本が集積すれば、格差拡大は当然です。
 
 社会主義、共産主義が敗退し、資本主義一色なりつつある世界で、資本主義の本卦帰り(人間が消えた資本原理主義への逆戻り)に警鐘を鳴らしている本という理解も出来るのではないでしょうか。
 前向きな優れた論争が、世界で広く起こることを期待したいと思います。

進むドル高と日本の対応

2014年09月11日 12時33分42秒 | 経済
進むドル高と日本の対応
 此の所の急速なドル高には驚いておられる方も多いと思います。私もまさにビックリです。それほどまでにアメリカ経済が堅調・順調なのかというと、些か首を傾げたくなりますが、短期的な投機行動からすれば、これでいいのかもしれません。

 かつても「ドル高か、円安か」と言われたり、またその逆の場合もありましたが、今回の状態は、明らかに「ドル高」ということではないでしょうか。
 もちろん、日本の貿易が大幅赤字、経常収支の黒字も急減、時に赤字といった状況もあると思いますが、此の所、経常収支は黒字を回復してきているようです。

 ドル高のお陰様で、いつまでも「出遅れ、出遅れ」と言われていた日本の株価も、上昇基調を取り戻し、上場来高値などと囃される銘柄も見られたりします。
 株が上がることは、たとえ株を持っていなくても、何となく世間の雰囲気が明るく元気になり、そのうち自分の所にも、大入袋やボーナスで均霑して来るかもしれないなどという期待を抱かせたりもします。

 「ドル高」が進行していると理解すれば、此のドル高の今後は、アメリカ経済の様子を見ていれば何となく解るのかもしれません。
 確かにこのところ、アメリカの景気は、種々の報道によれば何となく堅調に見えます。

 だからこそ、FRBも超金融緩和の是正、いわゆるテーパリングは順調に進み、ゼロ金利政策からの脱却も可能になって、金融正常化に進みうると判断しているのでしょう。
 そういう雰囲気が見えてくれば、国際投機資本は「先見性」を発揮して、金利は上昇、結果はドル高というのは必然でしょうか。

 経済というのは、ある程度は「慣性の法則」も働くものですし、「景気は気から」とも言いますが、アメリカ人がその気になって元気であれば、消費も投資も伸び、雇用も伸びて「アメリカ経済活況」ということになるでしょう。

 問題は、これで本当にアメリカ経済が立ち直るかということです。
 世界中に紛争が絶えません。アメリカは、自ら「世界の警察」を任じ、世界各地の紛争の解決の大変な努力をします。

 こうした介入の仕方は、一方にはアメリカへの感謝を生むかもしれませんが、他方ではアメリカに対して被害者意識を醸成し、敵対心を強くします。
 アメリカ国内でも、もう、そうした対外介入はいい加減にしたら、という意見も強くなっているようですが、これにも慣性の法則が働くようで、簡単には止められません。

 内外のテロ対策、諜報活動などなどは、アメリカ経済にとっては大きな負担です。シェールガスというブースターをつけても、アメリカ経済がかつての強さを取り戻すとは容易には考えられません。

 ドル高、そして日本の株価上昇も、すべて今様の短期視点の経済現象かもしれません。先行き何がきっかけでどうなるか、「モウはマダなり、マダはモウなり」ではありませんが、十分な留意・注意が必要なように思われますが・・・・・。

GDP、本年4~6月期の改定は?

2014年09月09日 10時27分30秒 | お知らせ
GDP、本年4~6月期の改定は?
 先月、今年度第1四半期の実質GDPが前期比年率換算で6.8パーセント下がったという報道があり、8月13日、このブログで取り上げさせていただきました。

 結論は、四半期統計の年率換算というのは数字の変動を最も大きく見せるためによく使われるもので、現実の動きを正確に認識するためには「前年同期比」が適切な数字で、それで見ると、消費増税の反動は明らかですが、実体は、「昨年度の第一四半期に比べて0.1パーセントのマイナス」だということでした。

 今回の改定ではマイナス6.8パーセントが更に下がって7.1パーセントになったという報道です。この数字がどの程度のものかGDPの原数字に当たってみてみました。

 改定された今年の4~6月期のGDPは128,162.70十億円、昨年の4~6月が128,341.10十億円ですから、伸び率は0.998609954で、0.139パーセントのマイナスということになります。

 前回の速報値をさらに細かく見ると128,176.10十億円を、前年同期の128,341.10十億円で割るわけですから、0.998714364となり、0.129パーセントのマイナスということになります。差は0.01パーセントです。

 日本の統計はアメリカなどと違って、速報値もかなり正確だということも解りますが、矢張り統計を読むときには、原数字に当たらないと、正確な感覚は掴めないとうことが良く解るような気がします。







 

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の株式運用枠増

2014年09月08日 09時47分41秒 | 経済
GRIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の株式運用枠増
 改造内閣は、GPIFの資金運用を、確定利付きの債券から株式での運用を増やすことに熱心のようです。

 確かにこのところ足掛け2年、株価は上昇基調で、GPIFの現状の運用でも、久方ぶりにプラスになったといった報道があります。
 国債などで運用しても利息はせいぜい1パーセントほどしか付かないのでしょうから、もっと株を買っておけば、もっと儲かったのにと考えるのは、この期間だけ見ればその通りでしょう。

 問題は、今からかって儲かるかどうかです。今から、株運用の枠を増やすことを決め、さて買い増すという時には、その動きの確実性の思惑が市場を支配し、株価や既に上がっているでしょう。

 個人でも、株で儲ける人が少ないということの大きな理由は、証券会社などが株を買いましょうと勧める時は大体「株が高い時」なので、高値掴みになってしまうからというのが最も解り易い説明です。

 株式専門のTVチャンネルなどでも、「株式投資の要諦は安い時に買って、高い時に売ること」などと言っていますが、そういうコマーシャルが流れるのは大体、株が高い時です。

 国際投機資本の動きなどを見れば明らかですが、買うか売るかの決定は、瞬間的な速さでやるのが常識で、株が上がってきたから、株で稼ごうと、時間をかけて決定し、投資顧問などに相談して「さて買いました」というまでには、もうチャンス女神の前髪は疾うに通り過ぎているということになるのが目に見えるようです。政府関係機関には「機動性」などは期待できませんし、専門機関任せでは、それは無責任そのものでしょう。

 何度も書いて来ましたように、株式投資などといった「あぶく銭目当て」で、国民にとって、老後生活の基本を支えるのは、アメリカ流の「なんで儲けても金は金、区別は必要ない」という考え方で、この考え方は矢張り、社会的、経済的に問題が多すぎると思います。
 政府が年金積立金の運用に、そんな考え方を持ったら、日本の経済倫理は地に堕ち、渋沢栄一は草葉の陰で嘆くでしょう。 

 それでも敢て、株式投資で儲けたいというのであれば、昭和40年不況の時の、共同証券や、証券保有組合に倣って、株価がどん底の時に、GPIFが正義の味方として株を買ってみせるという方が、日本経済のためにもなりますし、余程理に叶っていると思います。

 しかし、政府は経済政策をやるところですから、いかにGPIFが独立行政法人だと言っても、「インサイダー」という問題はついてまわりそうな気もします。