tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

高付加価値化の手段: その7、知識の商品化

2009年01月30日 14時18分27秒 | 経営
高付加価値化の手段: その7、知識の商品化
 知識は水と同じで、高いところから低いところに流れるようです。時に「知識と情報は同じだ」などといわれますが、「知識が一定の所にとどまっている時」は「知識」といわれ、知識が流れている状態の時」は「情報」と言われるのではないでしょうか。

 流れる水はそのままでは付加価値になりませんが、それを利用して、水車小屋で粉を挽いたり、水力発電をしたり、魚の養殖や、わさびやコメ、その他の農作物の栽培をすれば付加価値が生まれます。

 知識も同じでしょう。最も伝統的な知識の商品化は書籍かもしれません。パテントを取ればロイヤリティが生まれますし、高度な技術やノーハウを組み込んだ製品は通常高価です。有料の講演会を開いて、講師から聴衆への知識の流れ(情報提供)を付加価値に変えることも出来ます。この種の活動の代表的なのは学校でしょう。

 企業は技術開発で、理論から製造加工などの知識やノーハウを積み上げ、それを製品に組み込んで販売したり、特許権にしてロイヤリティを得たり出来ます。
 物理学や化学、生物学など多様な分野で理論の発展は著しいですし、そうした理論を応用した生産技術の開発、それを現実の製品にする技能の水準の高度化には目を見張るものがあります。他社より優れた製品が出来れば、それは高価格を保証し、高付加価値を生みます。

 知識と言う範疇からははみ出すのかもしれませんが、芸術についても同じでしょう。優れた芸術作品の価値は大変なものになります。
 一般経済活動の中でいえば、これは、芸術性の高い人気のあるデザインとかブランドということになるでしょうか。デザインのよさは差別化にもつながり、高付加価値を生みます。ブランドとして定着すれば、中・長期の安定した高付加価値化にもつながります。

 こうしてみると、高付加価値化の背後には、よそより高い知識(理論から、製造、販売、サービスまで)を顧客に提供するという、高いところから低いところに流れる「知識」の性質をビジネスに活用するという基本概念があるのかもしれません。


アメリカはどこへいく、日本は、アジアは?

2009年01月25日 12時20分49秒 | 経済
アメリカはどこへいく、日本は、アジアは?
 アメリカがいわゆる金融工学の駆使ということで、不良債権入りの証券を世界に売りまくったことで、今回の金融危機が起こったことは世界中に知れてしまいました。そしてそのカネが何に使われたかというと、「消費大国アメリカ」を支え、世界がアメリカへの輸出で成長する源になったということでしょう。それが「経済」というものの循環なのですね。

 しかし、巨大市場を提供する国だから、万年赤字でいいということにはなりません。いつかは限界が来ます。今回こんな形で限界が来てしまったのですから、アメリカ経済は、緊急の建直しをしつつ、中・長期的には赤字からの脱却をしなければなりません。

 ところで今のアメリカの経常赤字はDGPの6パーセントぐらいのようです。それだけ稼ぎより支出が多いわけです。収支のバランス回復のためには、この支出超過をやめなければなりません。外国が金を貸さなければ、アメリカは支出を6パーセントほど落とさざるを得ないことになります。これはアメリカ人にとっても大変なことでしょう。

 戦後日本がアメリカの援助と価格差補給金(財政支出)という竹馬に乗って、実力より高い経済状態でインフレが亢進し不安定だというので、アメリカが派遣したドッジ特使(デトロイト銀行総裁)が来られ、いわゆる「竹馬の足を切る」というドッジラインを敷き、日本経済の安定化を図ったことがありました。目標は、消費の抑制、輸出の振興でした。日本経済はドッジ不況、安定恐慌といわれた状況に陥り、戦後の貧困からまだ抜け切れない日本国民は、改めて耐乏生活を強いられました。
 規模、時代、国際環境は違っても、基本的には同じようなことが、アメリカ経済で起こらなければならなのでしょう。

 アメリカがバランスの回復のために、経常赤字という「竹馬の足」を切れば、アメリカ国民は耐乏生活を余儀なくされ、世界が、過度にアメリカ市場に頼る時代ではなくなるでしょう。
日本も、中国も、その他のアジア諸国も、America Passing といっては言い過ぎかもしれませんが、巨大な人口と多様な可能性を持つアジア自身の発展による繁栄に、もう少し眼を向けることになるのでしょう。
 「21世紀はアジアの世紀」という言葉が、次第に現実味を帯びてくるのかもしれません。


アメリカはどこへいく?

2009年01月22日 13時05分34秒 | 経済
アメリカはどこへいく?
 オバマ大統領が就任しました。就任演説は、大変堅実なものだったようで、「Change!   Yes, we can」の声はなかったようです。共和党から民主党への Change はすでに完了したからというわけではないでしょうが、もともとChange の中身がはっきりしなかっただけに、「オバマのアメリカ」はどこへ行くのか、不安を感じます。

 当面、8000億ドルを出して金融システムを救済するという方針が出されていますが、8000億ドルといえば、丁度アメリカの経常赤字と同程度の規模で、この巨大なお金をどこから捻出するのかも大変心配です。おそらく経常赤字が一層拡大するということになるのではないでしょうか。

 例え、それ巧くいって金融システムが安定したとしても、それは世界の金融システムにとって大変ありがたい事ですが、それで問題が解決したわけではありません。
 AEDで当面心肺停止を低を免れ小康状態になったとしても、もともとが病気でそうなったわけですから、病気を治さなければ、またいつ症状が悪化するかわかりません。

 しかし、今は、何はともあれ、世界中が当面待ち望んでいる、アメリカの金融システム救済、そして国民がまた「住宅を買う気になる」ような状況に、出来るだけ早くしてもらいたいというのは、世界共通の願いでしょう。

 この、いわば、緊急医療でさえ、大変難しいと思います。しかしこれだけ世界に迷惑をかけたアメリカです。当面の緊急安定策を、先ず、成功させる責任はあるでしょう。万難を排してやって欲しいと思います。

 ところで、それが成功しても、この間までの、万年赤字体質のアメリカに戻るだけです。そこでアメリカは何をするか、そして日本は何をすべきか、この大変難しい問題がその後に来ることになるのでしょう。


個人と国家

2009年01月20日 20時45分56秒 | 社会
個人と国家
 英語の作文をする時、もし I and you  と書いたら、必ず それは You and I と書かなければいけないのですよと直されるでしょう。自分を先に書いてはいけません、自分は必ず後から書くのが礼儀です、ということのようです。

 日本語では、場合によっては僕と○○君、わたしと××さんなどというのが許されるかもしれませんが、やはり原則は「自分は後にもってくるのが礼儀です」ということでしょう。

 こうしたことをきちんと教えようとするのは、社会の中では出来るだけ自分以外の人を尊重しましょう、そうしなければ社会生活の基礎である人間関係がうまくいかないでしょう、人間関係がうまくいかないと、みんなが困るだけでなく、結局は、自分も困ることになります、という、人間生活の経験の中から人間が学んだことを、今後失敗が無いように、後世に伝えて行こうという人間の知恵でしょう。

 もともと、人間にとっては自分がすべての中心です。他人とか社会とかいうものがまだ解らない赤ん坊を考えてみればそうですし、いくら歳をとっても、よく考えてみれば自分が一番大切だというのが本能の教えるところでしょう。
 しかし人間が家族を作り、社会を作って生活をする中で、経験的に、「自分を大切にするためには他人を大切にしなければ決してうまくいかない」ということを学ぶことになるのでしょう。

 会社やその他の組織でも、その中の部や課についてもこれは同じでしょう。他社、他組織、相手の部や課から書いて、自分の所は最後です。

 ところが「国」の場合はどうでしょうか。どこの国でも自分の国を先に書きます。日米、日中、日英、日独・・・、相手の国にいくと、これはそのまま逆さまになります。

 国の場合はそれでいいという理屈はどうつけるのでしょうか。逆に、だから国家間の争いが絶えないという理屈のほうがつきやすいように思えます。
 世界中で日本が率先して、相手の国を先に書くようにするのは如何でしょうか。


非正規労働者とエンプロイヤビリティー

2009年01月17日 16時42分08秒 | 労働
非正規労働者とエンプロイヤビリティー
 丁度10年ほど前になりますが、「エンプロイヤビリティー」という言葉が流行りました。「雇用されうる能力」という意味で、「俗な言葉で言えば“つぶしの効く人間”ということだよ」などと解説されました。

 当時言われた「語源」は、GEの会長だったジャック・ウェルチが、人員削減をするときに、「GEでクビを切られても、よそで働けるような能力を身につける教育をGEとしてやるべきだ」といったとかで、日本でもヨーロッパでもこの言葉が流行りました。こういう考え方は日本に似つかわしいというのでしょうか、 1999年には、日経連が「エンプロイヤビリティーの確立を目指して」という報告書を出しています。

 ところで、今回の派遣労働者が職を失う問題の中で、エンプロイヤビリティーについての論議が全く無いのはなぜでしょうか。エンプロイヤビリティーという言葉がすでに日本の企業や労働組合の中で忘れられてしまったのでしょうか。それとも、派遣労働者の場合は、はじめからエンプロイヤビリティーなど関係ないというのでしょうか。

 当時の論議では、アメリカのように企業が雇用維持に責任を持たず、人員削減が比較的自由な国だからこそ、従業員のエンプロイヤビリティーに気を配るべきだとジャック・ウェルチは考えた、などといわれましたが、ならば日本では、派遣労働者についてこそエンプロイヤビリティーが論議されるべきということになりそうです。

 製造業の派遣労働はやめろという指摘があり、労使双方に共に賛否両論があるといった状況のようですが、これでは法律の決め方で、みんなが納得するように解決できる問題ではなさそうです。そういう場合は、その法律が出来るだけスムーズに機能するように、ジャック・ウェルチではありませんが、雇用主も努力し、働く側も応えるといった人間の知恵と努力で解決すべき問題ではないのでしょうか。

 特に日本では労使関係も、雇用関係も、法律よりも、労使の人間としての知恵と努力で巧くやれてきているというのがこれまでの歴史でしょう。折角大事に育て、大切にしてきた人間中心の日本的なソフトウェアを、そう簡単に忘れてしまっては勿体無いような気がするのですが。


高付加価値化の手段: その6、製品・商品戦略

2009年01月14日 16時45分04秒 | 経営
高付加価値化の手段: その6、製品・商品戦略
 同じものやサービスをいつまでも同じように売っていれば、だんだん飽きられて売れなくなってきますし、値段も下がってきます。当然付加価値率は下がります。
 常に革新的な会社は、製品やサービスに、いつも何か新しい要素を加えて魅力を高める努力をしています。
 
 それによって価格の低下を避けることができ、付加価値率を維持したり高めたりすることが可能になります。
 付加価値率が下がらない、あるいは高まっているというのは、「企業のバイタリティーの指標」といわれるのはそのためです。

 いつまでに魅力ある新製品を出せるかが決定的な問題でしょうが、その間、マイナーチェインジや改良製品を出し続けることが大切でしょう。ハイブリッドカーのように、つなぎと思って出した製品が大ヒットすることもあります。

 ところで、今、何種類、何十種類、何百種類かの製品を出しているとします。その中には、付加価値率の高いものも付加価値率の低いものもあります。数多くの製品の中で付加価値率で順番をつけたら、どうなっているかを把握することは大切です。

 現状の製品の品揃えの中でも、付加価値率の高いものを余計に売り、付加価値率の低いものの割合を減らせれば、平均の付加価値率は上がります。
 これは現状の製品そのままでも付加価値率を上げることが出来る方法です。もちろん付加価値率は低いが需要は底堅いといった製品については、値上げで付加価値率を上げることの検討も可能でしょう。

 製品、商品、サービス別の付加価値率を出来るだけ確り把握する努力は結構報われることが多いようです。


ワークシェアリングへの誤解

2009年01月10日 10時55分26秒 | 労働
ワークシェアリングへの誤解
 不況の深刻化が報道される中でまた「ワークシェアリング」論議が始まるようです。ワークシェアリングは、失われた10年のデフレ不況の中でもたびたび論議されましたが、本当の意味がすでに忘れ去られたようで、また一からの論議になりそうで心配です。

 「ワークシェアリング」は「仕事の分かち合い」と訳され、不況で仕事が少なくなったとき、少ない仕事をみんなで分け合って、雇用を確保する (失業者を出さない、失業者に仕事を分け与えて失業者を減らす) ことと理解されていて、その限りにおいては正しい解釈でしょう。

 問題は「仕事」の解釈です。そこで誤解が起きます。
 「仕事を分ける」といっていますが、本当のことを言えば、「不況で減った人件費をみんなで分ける」、つまり、「乏しきを分け合う」ことが真の命題で、賃金は仕事に「くっついて」いますから、便宜的に、あるいは、解りやすく「仕事を分ける」といっているのです。

 この真の命題(本来の目的)がわからないと、
「仕事は分けたが、賃金は分けない、従来どおり貰う」という主張が出てきます。これでは、仕事を分けてもらった人は、
「仕事はもらえたが、賃金は分けてもらえない」ことになり、ただ働きになってしまいます。
 そこで労働組合などは、「その分は会社が出せばいいではないか」と主張したりします。
 これでは、人件費が増えるだけで、本来のワークシェアリングの目的は達成されません。

 そんな理屈は子供でもわかると言われそうですが、そうではありません。1980年代のヨーロッパでは、失業率が10パーセント前後まで高まり、ワークシェアリングが言われ、労働時間短縮をしましたが、賃金は下げなかったので賃金コストアップになり、スタグフレーション になって大変でした。
 ヨーロッパでこの問題を合理的に解決したのは、オランダのポルダーモデル(パート労働を活用した独特な方法、1990年代後半)ぐらいでしょう。本当の誤解か意図的な誤解か知りませんが、ドイツやフランスでも、この問題はまだ尾を引いているところもあるように見えます。


実体経済の力強さ

2009年01月08日 13時41分15秒 | 経済
実体経済の力強さ
  実体経済というのは案外強いものです。マスコミに大不況や恐慌の文字が躍っても、日本の実質GDPの動きはといえば、経済研究機関の2009年度予測を見ても、せいぜいマイナス1パーセントぐらいまでです。1パーセント程度のマイナスという予想は低いほうで、OECDの見通し(暦年)はマイナス0.1パーセント、政府見通しは0.0パーセントです。

 総額約500兆円の日本のGDP、1億2千600万人の日本人はそれで生活しているのですが、その500兆円の実体経済はそれほど大きな影響を受けないのです。それにしては減産や操業停止、企業は大幅減益、そして人員削減といった報道が連日です。

 経済は水の流れのようなもので、全体が、バランスの中で動いていますから、川底の形が変わったり、石の間にゴミが落ちてきたりしますと、全体の流量は変わりませんが、流れのバランスが変わります。

 日本経済で言えば、高級車の需要(輸出含む)や住宅建設や設備投資は減り、経済で言う加速度原理が逆に働いて、建設機械、産業機械などの需要はより大きく減りますが、生活関連のモノやサービスの需要はあまり減らないとか、医療費は相変わらず増えるといった形で、経済活動の部門別に違った影響が出るわけです。

 企業の場合、たとえば売り上げが多少落ちると、コストはすぐには減らなので、利益のほうは半分以下になったり、場合によっては赤字になったりします。これが大企業ですと経済が潰れてしまうような不安感を持つ人もいるかもしれません。

 しかし実体経済は、せいぜいプラス・マイナス1パーセント程度の変動なのですから、国民平均に均せば、そんな大変なことではありません。こうした時ほど、危機感をあおったり、慌てふためいたりするのではなく、みんなが落ち着いて、地道な「変化への対応努力」をしていくことが必要なのではないでしょうか。


容易でないアメリカの回復

2009年01月06日 11時57分04秒 | 経済
容易でないアメリカの回復
 アメリカ経済の回復には2つの段階が必要とお考えの方は多いと思います。

 第一段階は、アメリカの金融機関などのへ信用の回復、第二段階はアメリカ経済そのものの健全化でしょう。そして、今当面の課題として取り組まれているのは、第一段階の信用の回復です。

 金融機関の信用の回復という点では、アメリカ製サブプライムローン組み込みの証券の購入で、大きく傷ついた世界中の金融機関も同じです。今、世界中の政府や中央銀行が、信用機構の「信用」の維持のために巨額の金を出すことをためらわずに進めているようです。

 中でも、最も巨大な金を本気でつぎ込まなければならないのはアメリカ自身でしょう。 オバマ政権がそれをやってくれるだろうというので、世界中が期待しているところです。

 でもこれは、借金で動きが取れなくなった家庭に、緊急融資をして、何とか生活が続けられるようにする段階に過ぎません。
 その次に控えているのは、その家庭が収入を確保し、出来れば借金も返しつつ、健全な家計に回復するという大変な努力のいる段階です。
 当然そのためには、一生懸命働いて収入を増やし、一方では生活費を節約して家計の健全化を図ることが必須です。

 象徴的に言えば、ビッグスリーが、早く世界に売れる車を出して、健全な収益の上がる体質に復活するといった努力でしょうか。かつてトヨタが協力して、GMのフリーモント工場をNUMMIとして復活させたような地道な努力です。 多分容易ではないでしょう。

当面、第一段階を、アメリカの責任として、早急にやってもらわなければならないというのが、現時点での世界の国々からの期待でしょう。
 本当に大事な難しい問題はそのあとから来るような気がしますが、どうなるのでしょうか。


高付加価値化の手段: その5.差別化

2009年01月04日 14時02分59秒 | 経営
高付加価値化の手段: その5、差別化
 あるコーヒーチェーンのお店でコーヒーを飲みました。
 大きめの紙コップに、いい香りのコーヒーが入っているのを手にとって、席について一口飲みました。ふーっと息を吐いて、紙コップをテーブルに置いたときに、印刷してある言葉が目に入りました。
 Taste the difference !

「うちのコーヒーは味が違うんですよ、どうぞ、この良い味を味わってください」という願いが、簡にして要を得た表現で示されていました。
 うちのはよそのと違います、「その違いをわかってください」というのが差別化(differentiation)です。
 
 ビールのコクとキレとか、液晶の色合いの表現の違いとか、濡れても平気、落としても平気の腕時計、肌触りが違うシャツ、暖かさが違う肌着、安心できる引っ越しサービス、とことん面倒を見るシステム設計サービス、・・・・・。

 顧客がこうであって欲しいと考えるポイントを衝いて、わが社はよそとは違います、というメッセージを積極的に顧客に送る。これが差別化です。

 もちろん、差別化をするためには、その製品やサービスが、その説明どおりに優れていなければなりません。そうでなければ、結局は、「なんだ、別に変わらないんじゃないの」で終わってしまいます。

 本当の顧客が「違う」と認識すれば、ビールでもトップシェアに躍り出たり、S社のK工場の液晶といったブランドになったり、寒さの折から販売店で品切れになる肌着が生まれたりします。

 逆に折角「違いのわかる製品」なのに、そのポイントを顧客にわかりやすく説明しないためにわかってもらえない、といったことも中小企業などではあるようです。もったいないことです。

 「中身のある差別化」のためには、モノでもサービスでも、その根底に、何らかの技術革新が必要です。ここでもやはり高付加価値化のベースには技術革新があります。


日本の役割の自覚を始める年に

2009年01月02日 12時52分25秒 | 経済
日本の役割の自覚を始める年に
 麻生総理は、「世界で一番早く今回の不況から抜け出すのは日本だ」といわれました。昨今の状況の中では、残念ながら、この言葉は、あまりアッピール力を持って聞かれませんでした。

 しかしこの言葉を、マスコミが作っている「さまざまな情景」から切り離して、言葉通りに受け取ってみれば、これは、極めて可能性の高い、日本人の気持ちを鼓舞する言葉だと思います。

 日本には、資本蓄積があり、世界の先端を行く高度技術があり、それを具体的なモノづくりに仕上げていく技能の力があります。これだけ経営資源が揃っている国は、世界中に多分無いでしょう。
 ということは、経済理論的には、日本が世界のトップを切って、現在の世界的混乱を克服する可能性は十分ということになります。

 ところで、実際にそれを行うのは「人間」です。人間がどう考え、どう行動するかで、これは出来たり出来なかったりします。そして、日本人には多分それが出来るでしょう。なぜなら日本人は、基本的には真面目にコツコツ努力するからです。真面目な努力に勝るものはありません。

 日本型の真面目や努力は、最近のアメリカ型のスマートなスタンドプレー方式に比べれば、確かに地味で、あまり格好良くないのかもしれません。しかし絶対に堅実です。今、世界の信用機構が崩壊している中で、「堅実」は、信用の復活につながる要素でしょう。

 地味で控えめであっても、他人がそれを見て、「やっぱりあれが本当なのかな」と感じるような行動、というのが、どうも日本人には合っているのかもしれません。

 今年あたりはそうした日本らしさを自覚し、地味に、控えめに世界に発信していくスタートの年になるのではないでしょうか。