tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

GPIFの株式運用問題の難しさ

2016年07月30日 11時14分02秒 | 経済
GPIFの株式運用問題の難しさ
  GPIFの株式運用の結果がまた「マイナス5.3兆円」などと発表され、発表が選挙後になったことも含めて批判を呼んでいます。

 保有銘柄も(4か月前のものが)初めて公表され、中身はほとんどが超優良企業の株式のようですから、それなら日経225とほとんど同じ動き方でしょう。このところの動きだと損をして当然です。その程度なら、大金をはたいて、プロ集団に委託した甲斐がないという人もいるようです。
 
 超巨大投資家ですから、自分の都合で売り逃げるといったこともなかなか難しいことでしょう。多様なしがらみの中での株の売買になるのでしょう。

 保有株式の情報開示も、あまりきちんとやれば、何しろ超巨大投資家ですから、一般投資家の大変な参考になるので、「それなり」の情報開示しかできないのも当然です。

 世界中そうですが、国が年金資産を株式市場で運用するというのは、本来おかしなことで、これからの高齢者のために、それ以外の国民、あるいは外国からキャピタルゲインという形で富を収奪することにほかなりません。

 しかもそれが、主要産業企業の 成長発展を応援するような投資型ならまだいいのですが、ギャンブル型のキャピタルゲイン極大化を狙うようでは、実体経済の混乱につながります。しかし機関投資(機)家は、損すると叱られますから、責任感からそうした誘惑にかられることが多いのも事実です。

 保有銘柄の開示方法についての政府のアンケートに対しても、経済団体、労働団体、関連業界、れぞれに、かなりニュアンスの違った答えをしています。関連業界の回答には、運用の自由度の確保、市場の混乱の回避などの視点から、開示には抑制的なトーンも見られます。

 政府や日銀は、経済政策、金融政策の決定・実施機関ですから、インサイダー情報の宝庫ですが、それは利用できないでしょうし、どこまでがインサイダー情報かの判断もむずかしいでしょう。
 
 年金資産運用というのは、本来その国の経済成長の成果の配分という形であるべきでしょう。しかし、人口構成の歪みや、経済成長の不振で、キャピタルゲインで補填せざるを得ないというのが今の状況ということのようです。

 いずれにしても「王道」でないことをやっているわけですから、当然問題は起こります。本当は、年金が負担できる経済成長の実現が望ましいのでしょうから、その点を忘れない議論や政策を期待したいと思います

相次ぐ財政・金融政策、効果のほどは?

2016年07月29日 16時05分53秒 | 経済
相次ぐ財政・金融政策、効果のほどは?
 昨日から今日にかけ、政府と日銀から相次いで財政と金融両面からの経済テコ入れ策が発表になりました。

 政府からは、総額28兆円超の経済政策、そのうち、いわゆる真水(政府が直接出すカネ)が13兆円で、民間金融機関等が関連して出すカネを合わせると28兆円超ということだそうです。
 
 財政政策中心という形がはっきりしてきたわけですが、28兆円と言えばGDPの5.6パーセントですから、何年間で出すのかはっきりしませんが、乗数効果がゼロでもGDPを5.6パーセント押し上げる効果があるという狙いなのでしょう。

 しかし財源はと言えば、当然借金です。国債発行で7兆円、財政投融資で6兆円ということで、財政投融資も財投債という別口の国債です。
 日本国民はもともと貯蓄志向で、さらに「プラス将来不安」ですから、国債発行は国民の貯蓄で賄えるのでしょうが、それはその分の国民の消費抑制の結果です。消費は伸びそうにありません。

 国債発行はすべて建設国債と言っていますが、政策の中の目玉でもある子育て支援や低所得者援助は税収からという形にするのでしょう。いずれにしても財政再建は大幅に遅れそうです。

 日銀の方は、上場投信の買い入れを年3.3兆円から6兆円に増額ということで、マネーマーケット期待のヘリコプター・マネーとはいかず「ドローン・マネー」ぐらいで、このニュースでは円は103円台になり、株価は下がったようです。

 しかしその後の麻生財務相の、日銀に金融緩和策を歓迎し「政府日銀一体となって」などの発言もあってでしょうか、日経平均は前日比1時の300円の下げから終値は90円のプラスでした。

 今日の日経平均の動きを見れば、日銀の金融政策と為替レートとか株価が、いかに不安定な関係にあるかが分かるような気がしますが、来週になって落ち着いてみれば、結局は、財政支出で経済を引っ張ろうとする政府と、消費を控えて国債消化に協力する国民、という構図が一層進んだという見方に落ち着くのではないでしょうか。

 金融緩和が円安をもたらすという効果もだんだん薄れるようです。アメリカは徹底してドル高を嫌うでしょう。
 この分では、「日本は財政再建が困難」というニュースのほうが円安を誘うことになりそうです。
 さて、安倍政権の率いる日本経済はどこへ行くのでしょうか。

「モノ言う株主」何をしようとしているのか?

2016年07月28日 10時58分32秒 | 経営
「モノ言う株主」何をしようとしているのか?
 「モノ言う株主」が、マスコミなどで取り上げられるということは、株主というのは「モノを言わない」のが一般的だからでしょう。
 確かに大衆株主は通常、モノを言いません。その企業が駄目だと思えば、その企業の株を売って、良いと思う企業に乗り換えるが最大の意思表示でしょう。

  モノ言う株主というのは、通常の投資家以上にその企業の株を持ち、その企業の経営方針に対してモノ言うのです。ということは、その企業に特別にコミットしているということで、経営者にとっては場合によっては大変ありがたい株主でもありえる存在です。
 しかし、一般的に「モノ言う株主」は経営者からは嫌われ、株主総会でも、要求は否決されます。何故でしょうか。

 これは、「資本と経営の関係の歴史」からもある程度理解できます。
 資本主義の初期、経営者は資本家でした。資本を持っている人が企業を起こし、自らが経営者になるのが普通でした。

 これが何を生んだかは、皆様とうにご存知です。労働者の搾取を生み、階級対立を生み、社会の混乱と経済恐慌で行き詰まりました。自らの資本蓄積ばかり考えた強欲の結果です。
 これを救ったのが経営者革命と社会保障制度だとこのブログでは書いてきました。ここで問題の「物言う株主」に関して重要なのは「 経営者革命」の方です。

 経営者は、失敗して評判の悪くなってしまった資本家から資本を預かり、自らも進化を重ねて、資本家、従業員、顧客、国や社会、地球環境(多様なステークホルダーズ)などに適切に配慮し、企業の継続的な安定発展を目指す『トータルシステム・マネジャー』としての役割を遂行することのなったのです。これが「経営者革命」です

 資本家は、法律上は企業の所有者ですが、従業員や顧客と並ぶステークホルダーズの一人にすぎません。
顧客は「安くて良い商品を」と言い、「従業員は賃上げ」、株主は「配当増」を言い、「国は税収」を求め、人類は「良い地球環境」を望み、経営者はその全てを調整しつつ企業の永続的発展を担うのです。

 これが現代の企業社会の姿です。株主が企業社会の中で特権的地位にあるというのは、現代ではとても通用しない概念でしょう。
  多くの株主は、国債や定期預金より大幅に良い利回りの株式を喜んで保有しているのです。それが実体経済に即した、マーケットによる投資へのリターンなのです。

 「モノ言う株主」の行動はどちらかというと、マネーゲームを前提にしたものになりがちです。強欲に駆られた資本の増殖至上主義、実体経済の活動を経由しない(GDP創造に貢献しない)マネーゲームによる資本蓄積、これらが人類社会にもたらすものは格差社会化だけでしょう。

 最後に付加えますと、企業価値最大が企業の目的のように言われます。この場合「企業価値」というのは何でしょうか。多くの人は「 時価総額」だと思っているようです。
 時価総額は人気投票の得票のようなもので、現代社会で極めて重要な多目的な役割と機能を持つ現代企業の「価値」を測るにはあまりに皮相的です。
 「企業価値」という言葉は本格的な定義が必要でしょう。

先進国とは何か? 国連・ユネスコの役割は?

2016年07月26日 13時26分02秒 | 国際関係
先進国とは何か? 国連・ユネスコの役割は?
 大分以前、「 個人と国家」という表題で、こんな趣旨のことを書きました。
 個人の場合は「あなたと私」「you and I」が礼儀上の常識で、会社でも「わが社と貴社」などと書いたら「順序が逆だ」と上司にすぐ直される。ところが国になると日本は「日中」と言い、中国は「中日」というのが常識です。
まず日本が、世界に先駆けて「相手国を先に書くようにしたらどうでしょうか。」

 どうも、国と国の間は、礼儀という概念が抜け落ちている世界のように感じられて仕様がありません。
 個人の間では、先ず礼儀が大切で、暴力を使ったり、あからさまに他人の悪口を言うようなことは、はしたないことで、まともな人間にあるまじきことというのが常識で、そうした常識に叶った生き方をする人が、社会の安定をもたらす、良い市民でしょう。

 こうした個人の社会の常識を「国家間の関係」にあてはめてみたらどうなるでしょう。
 今、先進国と言われているのは、一人当たりのGDPが大きい国で、基準はほとんど経済的な物差しでしか見ていないようです。

 昔は Developed countries (先進国)とか Developing countries(途上国) などと言いましたが、これも経済的な物差しのみの問題のようです。今では、Emerging economies などとまさに経済オンリーの用語が一般的です。

 それならば、先進国や途上国にはすべて Economically という形容詞を付けるべきで、「本当の意味で先進国」、世界の国々の規範となるような立派な国については別の言葉を使わないと、意図しない誤解が起きるのではないでしょうか。
 今、そんな国はないから、そんな言葉は不要です、などと言わないでください。

 個人の場合には、争いの絶えない昔から「仁義礼智信」(これは中国ですが)、それぞれの宗教の教えにも、社会の理想とする概念は、それぞれにあるはずです。

 こうした教えは、聖人や宗教指導者によって語られたり掲げられたりしたものと思いますが、今こうした地球社会の国家の在り方を語るとすれば、それは国連とかユネスコの役割でしょう。

 国連憲章の前文は主語の問題があるという人もいますが、内容は素晴らしいですし、ユネスコ検証の前文も、英国の故アトリー首相の言葉を引用した素晴らしいものです。
 しかし、今、国家間のやり取りでも、先進国内の選挙で対立する陣営の間などでも、理性を欠いた誹謗や、悪口雑言に近いようなものが飛び交い、本当の先進国とは考えられないような現実があります。(日本の選挙戦も心すべきでしょう)

 経済だけが進歩して倫理が追い付かなければ、 アダムスミスや渋沢栄一が嘆くでしょう。先進国などという言葉も、もう一度本格的に定義しなおしてみる必要があるように感じますが如何でしょうか。

「家族」と「国家」の共通点と問題点

2016年07月25日 14時51分51秒 | 国際関係
「家族」と「国家」の共通点と問題点
 人間社会の一番大きな単位は国、国家でしょう。それに対して最も小さな単位は家、家族でしょう。
 この2つは極めてよく似ています。その中間の、企業とか学校とか地域社会とか、社会組織はいろいろありますが、これらは便宜的な人間社会の契約によるものです。家族と国家は全く性格が別で、人間の本質(本能)にかかわる問題を持つように思われます。

 それぞれの人にとって、家族と国家は、本来自分で所属を決めることはできません。どの家の子として生まれたい、どこの国民として生まれて来たいといっても、叶わないことです。それは、生まれたときに決まるわけで、黙って受け入れるしかないのです。

 すべての人はそれを受け入れて育ち、大人になっていきます。もっとお金持ちの誰々さんの家に生まれたかったとか、何々国の国民に生まれたかったなどと考える人は通常いません。
 
 しかし人間というものは良くしたもので、どこの家に生まれようと、どこの国民として生まれようと、大抵の場合は、自分の生まれた家、自分の生まれた国に愛着を持ち、家族の絆は生涯続き、生まれた国は、母国、祖国と言って愛国心を持つようになるのです。

 今、問題になっているのは、国の方で、国家間の人の移動の問題です。国際化、グローバル化が進む中で、自分の好きな国に住みたいという人が次第に増え、特に自分の国で紛争があり、難民になるといった問題も急激に増加しています。

 アメリカやヨーロッパは、これまで移民に比較的寛大で、多民族を包摂する方向へ進んでいたように見えていました。
 難民などの認定に厳しい日本は、国内でもその厳格さに批判が出ることも少なくありませんでした。

 ところがここにきて、イギリスの国民投票の結果や、米国のトランプ現象など、国家間の人間の移動を問題視する意見が、移民先進国で、改めて強まっています。
 そして、国家間の人間移動を厳しくしようという意見は、通常、愛国心と一体になって進められることが多いようです。

 これは、ほとんどの人間は生まれた国への愛着を持ち愛国心を持つようになるという本来の人間の想いからすれば当然なのでしょう。

 家族と国は、人間の出入りについて、基本的に家・家族と同じ立場に立つべきなのか、それとも、国については、次第に国家内の社会組織(学校、企業、地方組織)のように、移動の自由を広げていくべきなのでしょうか。

 混乱と紛争多発の今日の地球社会のなかで、何があるべき姿なのか、人類の本来の性質は容易に変わることはないでしょう。
 それもわきまえたうえで、現実の問題への対処のためにいかなる選択があるのか、人類の知恵が問われる深刻な問題のにように思われます。

公共投資志向か? アベノミクスの新たな展開

2016年07月23日 09時56分39秒 | 経済
公共投資志向か? アベノミクスの新たな展開
 参院選の勝利で安倍政権は、自信満々で新たな政策展開を考えるようです。世論調査での国民の認識は「経済成長」と「社会保障」が二大課題のようで、安倍政権も改憲問題には、現状、直接の言及はしていません。
 
 深刻な課題、社会保障、子育て、高齢者介護は公約のような改善は容易でないと思いますが、経済活性化では新しい目玉ということでしょうか、リニア新幹線の大阪延伸前倒しの構想が出され、財政投融資3兆円という方針が出ました。

 世界に誇る日本の技術「リニア新幹線」国民には大人気ですから、一見狙いはいいのですが、東京、大阪間にリニアが走っても、日本全体の経済活性化にどれだけの影響があるのかはかなり疑問でしょう。

 東海道ベルト地帯の活性化のために、国の財政問題にも影響を与えかねないような建設投資をすることで、日本経済の本当の活性化、一億総活躍社会が実現するのでしょうか。東海道ベルト地帯一極集中で地域格差拡大のようなことが起きないでしょうか。

 現在の経済不振の根本的な原因が、格差社会化の進展による社会の劣化、結果としての将来不安がもたらす消費不振にあることが指摘されているのです。改めて借金財政による公共投資で景気浮揚というのは病状と薬が合っていないのではないでしょうか。

 財政投融資と名称は違っても、国債発行、国の借金には変わりありません。安倍さんは2020年のプライマリーバランス回復は「予定通り」と安易に言っていますが、消費増税を延期しても、リニア新幹線に3兆円出しても、財政再建に影響がないとは考えられませんし、その計算根拠の説明は全くありません。

 リニア新幹線は巨大な電力を消費します。以前、山梨の北辺のクリスタルラインという林道を車で走った時、なんでこんな林道を開発したのか調べましたら、リニア実験線のために柏崎刈羽原発から100万ボルトの送電線を引くので、その工事用の林道との解説があったのを記憶しますが、素人目にはエネルギー政策との整合性も懸念されます。 

 安倍政権は、国民の人気取りは上手のように思います。しかしその中で、現実には格差社会化は確実に進展し、貧困家庭の増加、家庭の財力による教育の不平等、高齢者の生活不安、家族内のトラブルの深刻化などは「何故?」と思えるほどに毎日のニュースを賑わせています。
 
 多くの面で、日本社会の現状と政策の視点とが 噛み合っていないように思われ、景気浮揚、社会保障の先行きが危ぶまれます。

為替レートの安定を大事にしよう

2016年07月22日 10時41分32秒 | 経済
為替レートの安定を大事にしよう
 一時$1=¥100に近づいた円レートが大分戻してきました。昨日は107円台もありました。しかし今日はまた105円台です。先行きの分からない乱高下は困ったものです。

 マネーマーケットのプレーや達には、レートの変動はまさに ビジネスチャンスでしょう。しかし、国民にとって本当に重要な実体経済から見れば、日本企業がグローバル市場の中で、健全な国際競争をしていくためには為替レートが適切な範囲で安定していることが必須条件でしょう。

 此の所の日本経済、日本経済を取りまく動きを見ていますと$1=¥120では日本の物価は割安で、国際競争力もだいぶん強いようですが、$1=¥100になると、かなり厳しいことになるようです。

  ゴルフのハンディで言えば、12なら勝てるが10だと勝てない、ハンディ11ぐらいが実力かな、といった感じでしょうか(1ドル10円になぞらえて)。

 円レートの変動は、恐らく多くの国際投機資本の多様な思惑で動くのでしょうから、政府・日銀などは、そうした思惑を巧みに読んで、為替相場が出来るだけ安定するように努力するのが(為替操作国などと言われない様に注意しながら)重要な責務でしょう。

 投機筋には色々な思惑があって、$1=¥120だった時も、もっと円安にすれば景気が良くなる(株価も上がる)などという意見もあったのでしょうか、日銀はマイナス金利を導入して、逆に円高を誘い込んでしまったように思います。

 政府も日銀も、インフレ率2パーセントを目標にしていて、それを達成するまでは金融緩和を続けるということのようですから、ついついもっと円安にという誘惑にかられたのでしょうか。

 もともと2パーセントのインフレというのは今の日本経済にとっては 適切なものではありませんから、実力以上の円安志向になって、結果は「こと志と反した」ようです。

 最近また、今月末の日銀の政策決定会合を控えて、さらなる金融緩和、とかヘリコプターマネーなどの声が聞かれます。
 円安になれば株が上がるという思惑もあるのでしょう。しかし、行き過ぎた円安は、 実体経済にマッチしたものではありませんから、どこかで、またカタキを取られることになるでしょう。

 インフレ目標の当否も含めて、日本経済の実態に適切な為替レート、その近辺でいかに安定させて、日本経済の安定的な活動の条件整備をするか、金融業界中心でない、実体経済に相応しい為替レートの在り方を政策のベースに置いて考えるような為替政策が必要になるように思うところです。

賃金問題への補足:格差の少ない日本の賃金制度

2016年07月21日 11時32分52秒 | 労働
賃金問題への補足:格差の少ない日本の賃金制度
 前回、正規従業員と非正規従業員の賃金格差に触れ、解決策は非正規の賃金を上げるのではなく、非正規をできるだけ正規にしていくことだと書きました。
 
 残念なことですが、今、日本では格差問題の深刻化が言われています。そして、格差発生の原因として、非正規従業員の著増の問題が指摘されています。

 確かに、非正規雇用が雇用者の4割を占めるという事態は異常でしょう。統計上では、非正規のうち、「正規の仕事がないから」は20パーセント弱で年々減少気味です。そして「自由な時間に働きたい」「家計補助のため」が50パーセント弱です。しかし、それ以外の理由も含め、見方にもよりますが、本音は、非正規の半分ぐらいは「できれば正規で働きたい」と考えているのではないでしょうか。

 賃金格差を見ますと、これは毎月勤労統計(本年4月)の一般労働者とパートタイム労働者(現金給与総額)の数字ですが、月額で、それぞれ32万5千円と9万6千円という格差です。格差社会化の阻止に、今、まず必要なのは、非正規労働者の正規転換でしょう。

 前回指摘していますように、正規の賃金は企業内の賃金制度・労使協定で決まります。一方、非正規の賃金は地域のマーケットで決まります。両者の直接の関係はありません。

 欧米流にいえば、マ―ケットの賃金が正しいのでしょう。しかし、日本企業では、正規労働者の賃金は社内の制度で決め、その水準は企業の賃金支払能力で決まります。同じ産業でも業種でも、企業別に賃金水準は違います。

 企業内の賃金制度での日本の特徴は「 格差が少ないこと」です。最近年収1億円超の経営者が400人ほどいるようですが、初任給20万としてボーナス4ヶ月で年収320万円、トップが1億円でも格差は31倍です。一般的な数字ではせいぜい20倍でしょう。
 欧米の正確な統計はないようですが、部分調査などの何百倍という数字と大違いです

 日本では伝統的に、経営トップは社員の中から昇進していくので、役員になっても、企業の昇進のハシゴの延長線上で給与が決まってきていたのです。
 欧米のように、経営陣の給与は別物で、別物のマーケットがあったり、業績連動で巨額の給与が支払われることは通常ありません。

 こうした賃金・給与システムは、伝統的な社会意識、企業文化の中で形成されてきたものです。
 そして、日本の高度成長期から1980年代の前半のジャパンアズナンバーワンの時代まで、日本の企業の成長力を支えてきたのも、この企業文化です。

 円高による長期の経済低迷で自信を無くした日本企業ですが、だからと言って、日本的なものを捨ててしまっていいのではなくて、矢張りより良い経済社会を構築していくうえで、大事なものは良く選別して確り残してく必要があるようです。いつかはそれが国際的な規範になるかもしれません。

最近の賃金問題についての補足など:日本的経営と賃金

2016年07月19日 15時59分15秒 | 労働
最近の賃金問題についての補足など:日本的経営と賃金
 人事制度や賃金制度は、欧米は欧米なりに、日本は日本なりにそれぞれの社会・文化的背景によって決まってきています。
 一部分だけのすり合わせをしたとしても、それが全体のバランスを崩すようなことであれば、結局はうまくいきません。

 戦後日本の経営者の中には、欧米の職務給は大変合理的だと考えた人もいたようです。当時経営者の団体であった日経連(日本経営者団体連盟:2002年経団連と統合して日本経団連、通称経団連に、)は、職務給を導入すれば、日本の賃金制度は合理的なものになると考え、職務給を導入しようと試みていました。

 アメリカから職務給の在り方を学び、職務分析の手法を導入し、日本語に翻訳して職務分析のセミナーを長期に継続して実施し、昭和39年には「職務分析センター」を設立、職務給の導入に尽力していました。

 しかし現実に企業のやっていたことは、賃金の大部分は年功的な「基本給」で、一部に「職務給的な部分」を付け加えるというのが一般的でした。
 日本の企業は、職務があって、その職務に人を採用するのではなく、「いい人」がいれば雇って、会社の中でいろいろな役に立つ仕事をしてもらうという方式です。

 欧米では企業は「職務の集合体」、日本では「人間集団」です。職務に人を当てはめるのではなく、その人に適した職務をやってもらうのです。ですから、日本の企業では、人事異動があって、いろいろな仕事を経験し、優れた「社員」に育てます。

 人事異動で職務が変わるたびに賃金が変わるようでは巧く行きなせん。結局、人事異動で職務が変わっても賃金は同じで、賃金は、仕事ではなく、『人』についていることにらざるを得ません。
 こうして数十年たった今も職務給は流行らず、年功と能力をブレンドした「職能資格給」が一般的です。

 一方、非正規の賃金は、日本でも「職務と地域」によって決まってきます。これは企業が決めるのではなく、地域のマーケットが決めるのです。企業はマーケットの賃金で非正規従業員を雇います。

 簡単に言ってしまえば、この非正規従業員の賃金制度を全従業員に適用すれば、職務給が貫徹することになります。しかしそれでは日本の企業はうまくいかないでしょう。

 日本の企業は、戦後、従業員の身分を廃して全員を社員とし、地域のマーケットではなく、その企業の賃金制度を適用することにしてきました。これは人間を労働力として雇うのではなく、企業という人間集団の仲間に入れるという考え方です。
 そしてこれは日本の社会文化的背景からきているのです。

 失われた20余年の深刻な不況の中で、企業はサバイバルのためにコストの安い非正規従業員を増やしました。そして将来不安からこの癖がなかなか抜けません。
 大事なことは非正規の賃金を上げることではなく、非正規を出来るだけ正規にすることです(時にはそれで手取り賃金が下がることもあるようですが)。それこそが雇用の安定のための本筋です。

 今、企業の中では、こうしたことを労使で十分に話し合って、双方にベストの道を探るような労使の話し合いと協力、そして努力が必要なのでしょう。

経団連、同一労働・同一賃金に異議

2016年07月18日 09時53分09秒 | 労働
経団連、同一労働・同一賃金に異議
 経団連の正式な文書を入手したわけではありませんが、報道によれば、経団連が安倍政権の主張する「同一労働同一賃金」に異議を唱えたということです。
 理由は「日本では勤続年数や将来性などを考慮して賃金を決めている」だから「欧州型の導入は困難」そして「企業ごとの同一労働の基準を作ってきちんと説明できることが必要」ということのようです。

 それぞれに自社の賃金制度を整備している大企業の組織体である経団連が、政府の言う「同一労働・同一賃金」を認めたら、傘下の企業は未曽有の賃金制度の大改革を強いられることになるので、経団連としても、一言いっておかなければならないのは当然でしょう。

 政府の言う「 同一労働・同一賃金」はもともと極めて単純な発想の産物のようで、それは同じ仕事をしている非正規労働者の賃金が、正規労働者の賃金より大幅に低い、これはおかしいということで、増加している低賃金の非正規労働者の支持を得たいというもののようです。

 これは一見妥当で、賃金が違っていいのだという説明は難しいので、多くの人もそうだなと思い、心情的に賛成し、経団連もあえて異論は唱えなかったのでしょう。

 しかし先日困った判決が出ました。60歳で定年再雇用になったトラック・ドライバーが、仕事は変わらないのに賃金が2-3割下げられた、と訴えた件で東京地裁で「定年前に戻すように」との判決が出たのです。
 すでに「 日本型賃金制度をどう裁く」書きましたように、定年再雇用時の賃金引き下げは、年功賃金制の中のもので、賃金制度として労使が合意しているものです。
 これには経団連もびっくりしたでしょう。

 この判決が定着するとは思いませんが、こうした問題が起きる背景には、欧米文化と日本文化の質的な違い、その反映としての企業組織の意味合いの違い、それによる人事・賃金制度の違いといった文化人類学的なものがあり「舶来崇拝思想」では対応も解決もできない部分があるのです。

 例えて言えば、賃金は日本では人間についている「属人給」が基本で、欧米では仕事についている「職務給」が基本です。その背後には、日本の企業と人間の関係は基本的に長期的で、企業が人を雇う「入社」で、欧米では、職務に人を当てはめる「欠員補充」が通常の形になります(新卒定期採用などはありません)。

 日本的経営は欧米の経営とは文化的背景が違うのです。そして、多分これからも、日本的経営と欧米型経営は競い合って、お互いに長所を取り入れながら進化していくでしょう。
 しかし数千年、1万年という長い時間をかけて形成された社会・文化についての基本認識の習合には更に長い時間がかかるでしょう。

 単なる近視眼、鳥の目でない虫の目で、部分だけを見て判断するといったことは決して良い結果を生まないでしょう。
 今回の経団連の意見表明は、こうした基本的な視点を含めて論評されるべきものではないでしょうか。

より高度な産業・地域、国民経済の創造をリードする金融機関、金融システムへ

2016年07月16日 10時13分33秒 | 経済
より高度な産業・地域、国民経済の創造をリードする金融機関、金融システムへ
 為替戦略の典型ともいうべきプラザ合意で極端な円高を強いられ、失われた20余年を経験した日本経済の中で日本企業は、企業防衛の手段であるコストカットと財務体質改善に邁進してサバイバルを果たしました。
 この姿勢は、日銀の政策変更で円安が実現した今もあまり変わっていないようです。新たな円高の波が来ないかと危惧する面も大きいでしょう。

 企業の資金需要はいまだに低調です。加えて、リーマンショック以降は金融は超緩和状態、ついにはマイナス金利という状況です。銀行に頼らない直接金融の手段も多様化しています。
 間接金融の担い手である銀行は、手数料稼ぎに走るというのが、前々回、冒頭に述べましたように、今日の状況です。

 今、銀行に求められるのは、資金需要を待つのではなく、産業や地域経済育成のリーダーとなり、日本経済の活性化をリードして経済成長のエンジンとなり、資金需要を創造することではないでしょうか。

 企業は人を雇い、仕事をして付加価値を創り、その中から賃金を払って残った分、つまり利益を手にします。
 初期の資本主義では、企業は労働を搾取し、使い捨て、利益を蓄積しようとしました。 
 しかし偏った富の蓄積は格差の拡大、需要不足、投機の盛行を生み、 結果は世界恐慌で挫折します。

 企業はそうした中で何を学んで来たでしょうか。経営者は経験から学び、昔、安価な労働力を求めた経営者は、今では『人を育てる企業こそが発展する』と考えるようになっています。

 これを金融機関にあてはめたらどうなるでしょうか。
 金融システムが有効に存在するのは、実体経済が発展し、資金需要が起きることが必須の条件です。
 ならば、金融システムは実体経済の発展を単に資金面で援助するだけでなく、実体経済、産業・企業を積極的に育てる必要があるのではないでしょうか。

 アメリカの地方都市で、金融機関が主導して「廃墟のビルとホームレスの町」を「事業場と住居と喜んで働く労働者の町に作り替えたという現場からの報道がありました。
 このプロジェクトの成功で金融機関は高い収益率を上げたそうです。

 金融機関が持てる人材とノーハウを生かして、地域をリードし「廃墟とホームレス」を「職場と働く人間」に変えたのです。
 こうして経済循環が動き出せば、そこにはさらに産業の発展と資金需要が生まれるでしょう。基本的には、途上国での都市開発と同じなのかもしれません。

 企業と従業員の関係と同じように、『産業・地域を育てる金融機関こそが成功する』のではないででしょうか。

 健全な産業・地域の発展、つまり自らのビジネスの場を金融機関がリードして創り上げるという構想、マネーゲームでない実業の活性化をリードし支援する活動がそれぞれの産業や地域で行われれば、恐らく、それは経済社会を、そして金融の世界をマネーゲームでない健全な世界に変える力になるように思います。

マネーゲーム、金融工学といった迷路から脱出し、金融機関、金融システムが、実体経済に寄り添い、未来創造的な『新たな金融産業』へと脱皮し発展することを期待したいと思うところです。

金融システム劣化の一面:リスクは誰が

2016年07月15日 10時15分07秒 | 国際関係
金融システム劣化の一面:リスクは誰が
 少し前までは年金システムというのは確定給付型が当たり前でした。いくらいくら何年積み立てれば、毎月何円「定額」(何年間、あるいは終身)でもらえる(確定給付)というのが年金だと誰もが思っていました。
 
 ところが「確定拠出型」という言葉が聞かれるようになりました。そして今までのは「確定給付型」です、という説明になりました。
 確定拠出型は、拠出する金額は決まっているというのです。受け取りの方は?と聞けば、「それは運用次第です、給付の額は確定していません」ということで「だから確定拠出です」ということです。何か変ですね。

 それなら、拠出金額など決めないで、自分で出来る金額を適宜貯金すればいいでしょうということで、「じゃ、自分で貯金するのと同じじゃないですか」と言えば、「このシステムに乗せれば、税金の優遇があります」という返事が返ってきます。
 税金は政府が負けてくれるので、金融機関の方は、「運用は専門家がやります、その結果のリスクはお客様に取って頂きます」ということです。

 このところ、貯蓄商品の金融リスクは、だんだんと国や金融機関が取ってくれなくなり「頑張りますが、リスクはあなたが取ってください」ということになってきています( GPIFもそうですね)。
 ペイオフ制度で貯金は1000万円までしか保証しませんという国の方針から始まり年金の確定拠出型導入まで、貯蓄のリスクは国や金融機関から貯蓄する当人の方に移転してきます。「 確定利付きへの郷愁」を感じる方も多いでしょう。

 こうした形で、貯金をしても損するかもしれないということになると、一般家計、消費者はどうしても防衛的になります。利息もつかないのなら使ってしまえという人は少なく、リスクも考慮し、少しでも多く貯蓄を(タンス預金が一番安全?)ということになるのでしょう。結果は、 消費性向の低下、消費不振、経済成長鈍化です。

 こうした傾向はもともと金融システムが マネー資本主義化を進め、ギャンブル性を強め、実体経済を担う産業・企業の活動の支援という本来の役割から離れていったことにその端を発した面が大きいでしょう。

 ならば、金融システムが今一度、実体経済の成長支援にベースを置いた着実、堅実な経営に着目し、そうした産業(実業)の発展とともに、金融機関も発展していくという本来の在り方に回帰するところに、初めて将来展望が開けるということになるのではないでしょうか。

 実体経済の スムーズな活動の潤滑油という本来の役割を忘れ、道に迷った金融システム・金融機関が、実体経済と表裏一体、実体経済の発展に役立つものに回帰していくことから、健全な資本主義経済が取り戻されていく可能性が見えてくるように思うですが如何でしょうか。

 リーマンショック以来、マネー資本主義化への反省は徐々に進みつつあるように思います。産業や地域に密着し、リテール金融に徹することがベストという見方も復活しつつあるようです。
 カネでカネを稼ぐ派手な活動から、産業や地域経済にに密着した金融へ、金融機関、金融システムの見直しが必要でしょう。以下次回

金融システムの劣化ではないのか

2016年07月14日 11時29分22秒 | 経済
金融システムの劣化ではないのか
 三菱UFJ銀行が国債市場特別参加者の資格を返上するというニュースがありました。国債を買うことにメリットがないということでしょう。

 銀行員の方にお聞きしたら、国債利回りはマイナス、日銀はマイナス金利導入、市中の資金需要はない、銀行は他社の保険や年金プランを売って手数料稼ぎですとのこと(多少自嘲的に)。

 この2月に「 マイナス金利の功罪」シリーズを書きましたが、マイナス金利というのは基本的におカネの価値の否定です。「役に立たないものを預かるのだから手数料を戴きます」ということでしょう。

 日本の中央銀行が、「¥は役に立たない」と宣言したようなものです。だからでしょうか、最近の保険や年金プランは外貨建てのものが多く、銀行員がその販売係をやっているのでしょうか(しかし、国際投機資本は、何故か、何かあると必ず¥を買います)。
 

 ところで、こんな現状の原因を手短かに言いますと、マネー資本主義の盛行で集めたお金は付加価値を生まないマネーゲームに集まり、その破綻の救済のため超金融緩和、おカネはじゃぶじゃぶで価値は目減り、実体経済の方は成長ストップこれが現状でしょう。

 マネーゲームはおカネの偏在を作り出しました。それに税制や財政政策も加担しました。格差社会の深刻化です。典型的なアメリカでは1%の人が99%のおカネを持っているとのこと。日本も何となく似てくる気配です。

 経済学者や政府・中央銀行は、ヘリコプターから金をまけば、消費や投資が増えるという「単純な貨幣数量説」を信奉して、さらに金融緩和をすればと考えているようですが、おカネが道端に落ちていても、それを拾って使うのは良くないと皆思います。
 おカネは「所得」(拾得ではありません)として入ってきて初めて健全に使われるのです。

 金融機関は余ったお金を預かり、足りないところに回すのが本来の仕事ですから、その本来の仕事をもう少しうまく回すような仕組みを、金融システム全体を、税制や財政の在り方も併せて、本気になって作り替えることが必要になるように思います。

 これは、道を間違えてしまった「資本主義」を本線に戻す作業です。道を間違えた大本は金融の在り方ですから、その点を「金融」中心に考えてみましょう。以下次回

参院選の結果が今の民意・・・

2016年07月11日 09時18分49秒 | 社会
 参院選の結果が出ました。
  
 与党の大勝という感じでしょうか。参議院では自民党単独過半数に1人足りませんでしたが、与党に改憲政党・議員も加えれば3分の2を超えるというのが解説です。

 与党は 改憲を争点にしませんでした。一方、野党は積極的に争点にしました。そして、結果は与党の勝利でした。野党は争点隠しと主張し、改憲を最大争点の訴えましたが敗れています。

 安倍政権にとっては、野党が改憲を最大の争点に掲げたにもかかわらず敗れたことで、民意は改憲にありとの主張も可能になりそうです。

 一方、経済を争点にし、アベノミクスの成果を主張した与党は、今後の経済運営にかなり苦しむのではないでしょうか。40円幅の円安で不況を脱した日本経済ですが、この手法では格差の拡大は進む一方ですから、豊かになった日本経済の中で、困窮世帯が増加ということになりかねません。
 そのうえ、40円幅の円安のうち、20円は現状ではハゲ落ち、今後、日本の円安政策はかなり難しくなりそうです。

 経済政策が容易でない中で、安倍政権は、改憲問題に軸足を移す可能性もあるでしょう。国民投票までにはそれなりの時間のかかる問題でしょうが、3分の2という数を頼む政権が、これからまた、安保法制の時のような国会運営をするのを見たいとは、誰も思わないでしょう。


 アメリカの大統領選がどうなるかわかりませんが、イギリスの国民投票を見ても、今や、先進国の良識ある落ち着きや長期見通しに立つ安定性が、経済・社会の劣化にの中で、極めて短期的、短絡的な感覚を強め、近視眼的な感情に左右されるポピュリズムに引きずられるような事態が現実に見えています。
 そのような「近頃は、成熟国も未発達国に堕したのか」などと揶揄されるような状態だけは、「日本としては」避けたいと思うところです。

 縄文以来の日本の 「争わない」という伝統文化、物事は出来るだけ 長期的に考え、 人間の融和を最上の価値とする日本人の源流である的な精神構造を「ブレることのない」思考や判断の基盤として、日本人一人一人が熟慮していかなけらばならに時代が来たように思われます。

蓄電技術とスマート送電網

2016年07月10日 14時08分40秒 | 科学技術
蓄電技術とスマート送電網
 4月から電力の小売り自由化になって、我が家にも「いかがですか」といった売込みがあちこちから来ました。

 我が家は3年ほど前に エネファームを入れたので、電力料金はそれまでのほぼ3分の1になり、新制度で節約になっても知れたものだろうと思って生返事をしていましたが、エネファームを入れた東京ガスから「計算してみましょうか」という話があったので、お「願いします」といったところ、すぐに返事が来て、「今の電力使用量では、初期コストもあり、結果的にお得にはなりません」とのことでした。 
 エネファームを入れたとき一緒にソーラーパネルもと考えてのですが、屋根の形がうまく合わず、規定の発電量に達しないようなので、ということでやめていました。

 あの時つけていれば、当然発電量が余ることが多く、電力会社に買取を依頼ということになったのでしょうから、送配電網が対応しきれないなどと言われる現状では、設置しなくてよかったのかななどと思っています。

 再生可能エネルギー普及のネックの1つは送配電網の高度化(スマートグリッド化)、もう1つは蓄電池の高性能化でしょう。蓄電池については高価格というネックもあります。
 しかし、こうしたネックというのは克服するためにあるようなもので、本当に必要であれば、近い将来、順次克服されていくでしょう。

 最近は、蓄電というより、蓄エネルギーでしょう。揚水発電でも位置のエネルギーに変えて貯蔵しているわけですし、多くの電池の原理は化学変化の中に貯蔵することでしょう。最近注目される水素にして貯蔵するというのは、自己放電や劣化のようなロスも小さく、大変有望のようです。

 こうした技術開発の結果、電力でも地産地消型の方式も可能になるのでしょうが、最終的に重要なのは、誰かが、高品質の電力を切れ目なく安定供給するという責任を負わなければならないということです。

 かつて、イザヤベンダさんは「日本人は水と安全はタダと思っていた」と言いました。これからの社会では電力がまさに「湯水のように」使えなければ(タダとは言いませんが)成り立たないでしょう。

 今、電力の世界は大小、新旧の電力会社、配送電網(企業)、さらには益々多様化する蓄エネルギー技術が三つ巴、四つ巴の新たな競争の時代を迎えるようです。
 世界に先駆けて、どんな良いシステムができるか、日本の実力の発揮を楽しみにしていいのではないでしょうか。