tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

里山の知恵

2011年07月30日 10時38分11秒 | 社会
里山の知恵
 里山という言葉は、「村里に近い山」という意味で昔から存在したようです。戦後の武蔵野でも平地の雑木林を「山」と呼んでいました。今のように人里に近い山裾と山裾に近い人里をひっくるめて「里山」と呼ぶようになったのは、京都大学の四手井綱英氏が、質問に答えて咄嗟に山里をひっくり返して「里山」といったのが始まりといわれています。

 語源の探索は別としても、この、いわゆる里山が、豊かな自然を育む場所として広く認識されるようになったことは素晴らしいと思います。
 里山と奥山は違います。奥山は自然そのものですが、里山は人里に近く、人の手が入った、自然と人工が一体になった場所です。 

 この里山が、今注目を集めている理由は何かというと、多くの意味で、自然にも人間にも大変役立っており、大事な意味を持っていることが気付かれ始めたからのようです。
 
 具体的な例を挙げれば、訪れる人に心の安らぎや癒しを感じさせる環境と景観を生み出している、野生動物と人間の棲み分けを巧みに調整する役割をしている、洪水などの自然災害を自然自体の働きを活用して防いでいる、今世界で求められている生物多様性の宝庫としての役割を極めて効果的に果たしている、などなどです。

 北欧や中国南部にも里山に類したところはあるようです。しかし(たぶん起源を共有する)中国大陸南部や日本の里山は、単なる自然ではなく、「人間が手を入れた自然」というところに特徴があるのではないでしょうか。

 そこに里山の本質があるように私は感じています。自然は、自然のままより、それを理解した人間が手を加え、手入れをすることによって、「さらに豊かな自然」になるという事を実証しているのが里山だと考えるからです。

 人間は自然の子として生まれ、自然の中で生かされています。その人間が自然の恩恵に「有難う御座います」とお礼をする、お返しをする事で、自然をより豊かなものにするよう努力するのです。そうすれば、自然は、さらに豊かな稔りを人間にもたらしてくれます。これが里山です

 このブログの本来に照らして、これを企業に当てはめれば、経営者や従業員が協力して、自分たちの企業に、 資本や技術や人間集団としての強さを蓄積すれば、企業は、より大きな成果を生み、ステークホルダー達により大きな恩恵をもたらしてくれるのと同じです。
 経営者や従業員や株主が争って企業を収奪すれば、企業は疲弊し、倒産に至るでしょう。

 人間はこの所、エネルギー問題を典型に、自分たちの生みの親である地球を収奪したり、ゴミ捨て場にしたりして、それによって自分だけ豊かな生活をしようと狂奔して来ています。

 そして、漸くにして今、その誤りに気付き、それへの反省の心が生まれ、地球の自然の復活、生物多様性などの主張が言われ始めました。
 地球の自然を豊かにすることが、本当の意味で人間生活を豊かにする王道であることに人間社会が気付き始めたのです。

 日本人が、自然と共生しようとする長い生活の歴史の中で生み出してきた「里山の知恵」をより広く世界に知ってもらうことが、今こそ必要のようです。
 あえて繰り返しますが、地球の自然は、「人間からのお礼」を受け取れば、必ず、より大きな自然の恵みを人間にもたらして呉れるでしょう。


リサイクルとむすび

2011年07月27日 13時59分53秒 | 社会
リサイクルとむすび
 多少観念的になりますが、再生可能エネルギーの再生可能という言葉は大変大事です。リサイクル可能なエネルギー利用という意味で、人類社会のサステイナビリティーを考えた場合、この概念は、地球環境の本質的な問題につながるものだからです。

 再生、リサイクルという言葉は、物事の連鎖の最初と最後がつながっているということでしょう。古い言葉で言えば、輪廻の思想です。日没と日の出、月の満ち欠け、冬至から夏至へ、人類は発生以来、こうした繰り返しを信じて暮らしてきています。この繰り返しを信じるからこそ、人類は、安心して暮らしてきたのでしょう。

 ところで今のエネルギー問題はどうでしょうか。一方通行、消費のみで再生なしの分野が主力です。 化石燃料も、原子力も、片道切符しか人類は持っていません。「自然」が用意してくれた人類生存の条件であるリサイクル(再生)を全く無視した、いわば大変思い上がった行動で、一時の繁栄を謳歌しているのではないでしょうか。

 宇宙は生成と破壊を繰り返しています。熱力学のエントロピーの法則を単純に適用すれば、宇宙は、いつかは何も起こらない定常状態(死の世界)に落ちていくことになるのでしょう。
 しかし現実に宇宙は自ら生成(多様なリサイクル)を繰り返し、地球も生まれ、人類のような、大変精緻な奇妙なものも生成されているのです。(「自己組織化する宇宙」 E..ヤンツ)

 日本の古い言葉で言えば、これは「むすび」(結び、産霊)でしょう。古事記では、宇宙そのものの象徴と思われるアメノミナカヌシノカミ(天御中主神)が最初に生まれ、続いてタカミムスビノカミ(高御産巣日神)、カミムスビノカミ(神産巣日神)が生まれています。ともに「むすび」の神で、「むすび(産霊)」はすべての創造をつかさどる言葉です。(日本創造経営協会『日本学宗』)

 紐も結ばれ、人間も結ばれ、物質も結ばれ(化合)、知識も結ばれて、そこには新たな展開、新たな生命や新たな発展、つまり創造が生まれます。

 宇宙も、地球も地球上の生態系も、すべて、リサイクル、結びや再生によってサステイナビリティー(安心できる安定した存続)が可能になっているのです。
 今、片道切符を振りかざして、かりそめの宴を謳歌しようとする考えが、特にエネルギー利用の場において顕著です。

 宇宙そのものの活動、地球の自然の存続、それを何が可能にし、そのためにいかなる自然の営みが行われているかを考えた時、今日の驕り高ぶった人間だけが、消費と破壊の一方通行をよしとし、宇宙の基本原理というべき「リサイクル」と「むすび」を無視して、自らの足元すら見ない行動を際限なく続けることが、如何に愚かなことか、改めて、よく考えるべきでしょう。


神話を信じるか見破るか

2011年07月20日 12時54分49秒 | 社会
神話を信じるか見破るか
 昭和一桁生まれのわれわれの世代は3つの大きな神話を経験したように思います。

 その第一は、皇国史観です。日本は神の国で、戦えば必ず勝つ、日本の戦いは聖戦であり国民はそれに命を捧げなければならない・・・・、などなど。
 1945年8月15日、これは作られた虚構であることが明らかになり、物心がついてから正しいと教えられていた価値観の崩壊を経験することになりました。

 第2の神話は土地神話です。地価は何時までも上昇を続けるものだから、土地を買っておけば必ず儲かる。 金を借りてでも土地を買ったほうが得ですよ。
 この神話は、1960年代の高度成長期から1991年まで続きましたが、バブル崩壊で破綻し、多くの悲劇を生みました。

 第3の神話は、原子力発電所の安全神話です。原発がエネルギーの大量安定供給を支える救世主として生まれ、それに付随して語られることになったこの神話は、日本の高い技術力への信頼とともに広く信じられてきましたが、今回、残念ながら崩壊することになりました。

 こうした神話は、すべて作られたものです。神話が虚構であったことがハッキリしてからよく考えてみれば、辻褄の合わないこともたくさんあり、なんで信じてしまったのかなということになるのですが、多くの人にはなかなか見破れないのです。だから神話になりうるのでしょう。

 しかし、こうして何回も騙されてくると、だんだん知恵がついてきて、だまされなくなる人も多くなるのではないでしょうか。
 かつては、戦争に反対した人も、土地バブルの崩壊を見通し、土地政策に反対した人もいました。原発についても同じと思います。
 しかし、世の中の多くの人が神話を信じてしまいますと、神話が真実として機能し、反対意見を制して、世の中を動かしてしまいます。

 では何故神話が生まれるのでしょうか、神話は「こうあってくれればいい」という多くの人の願望に沿ったもだからこそ、信じられるのでしょうが、そこには、そうした社会の願望に便乗したり、最初から意図的に神話を作り上げたりして、その神話を推進していく集団が必ずいるようです。

 誰が、何のために神話を広めるのかがわかれば、神話が真実か虚構か、神話を信じるべきか、その虚構を見破るべきかの判断にも役立つでしょう。

 もちろん神話もすべてが誤りであり、虚構であるわけではありません。
 古事記も神話です。古事記には、おかしなこと、奇妙なこと、真実とは考えられないことがたくさん書いてあります。しかし古事記から読み取り、学ぶべき大事なこともたくさんあります。
 神話のレベルが違うかもしれませんが、神話を如何に理解すべきか、神話に如何に対すべきか、よくよく考えなければならない問題のようです。


緊急課題と長期課題は分けて

2011年07月16日 11時12分17秒 | 社会
緊急課題と長期課題は分けて
 前回、「緊急課題と長期課題をごっちゃにしてはいけません」と書きました。
 緊急課題は、あくまで「被災地、被災者対応」です。その範囲も現実にはどんどん広がっています。

 稲藁飼料と牛肉汚染の問題が新たに発生しました。汚染経路の追及も大事です。汚染拡大による被害の拡大を防ぐためです。汚染によって、経済的損失を蒙った人たちへの経済活動の健全な継続、人心の荒廃阻止のための援助や賠償も喫緊の課題です。
 こうした事で、経済活動が停滞してしまいますと、地域経済のベースがくずれ、災害復旧が更に長期に停滞してしまう怖れがあるからです。

 福島1号機の安定化もなかなか進みません。故障や事故があまりにも多すぎます。外国製品を日本品と同じように使おうとしても、製品のキメの細かさが違うのかもしれません。緊急に国産装置も作られていますが、この動きの一層の促進も必要でしょう。

 これらにはすべてお金がかかります。政府の政策として、経済が停滞せず、復興が加速するような政策を取り続けることが必要です。そのための法律が必要なら、挙国一致でどんどん国会を通すべきでしょう。
 日本には おカネはあるのです。震災直後、いみじくもアメリカの財務長官のガイトナーが上院で発言したように、日本は VERY RICH COUNTRY なのです。

 東電も、国民の共感を得ようと思ったら、徹底して賠償に力を入れるべきです。国民の支持なくしては会社の明日はありえません。この際きめ細かい賠償を迅速にやってこそ、東電の明日につながるのです。

 東電の支払い能力は、すでに見てきましたように、こうした従来の想定の外にある問題に対応するにはあまりにも脆弱 です。しかし電力供給は、必要不可欠なものですから、誰かがやらなければなりません。最終責任は政策担当者としての政府にあるのでしょう。東電はその中で経営理念に掲げる責任 を果たすためにも利用者のためにベストの努力をしなければなりません。

 今後、原発をどうするかは、将来こうした災害とその後始末の苦労をしなくて済むように、しかも現在の経済活動をきちんと続けながら対策を考えるという問題の検討です。それを考えるためにも、起こってしまった災害対応をきちんとすることが対策を考えるベースになるのです。

 先ずは燃え盛っている火を消してください。少なくとも、長期問題の論議における混乱が、喫緊の問題対応の促進の邪魔になることがあってはならないと思います。

喫緊の課題は被災地、被災者対応

2011年07月15日 12時14分44秒 | 社会
喫緊の課題は被災地、被災者対応
 原発を止める、止めないの論議が続いています。確かにこれも大事なことでしょう。しかし喫緊の課題は、原発問題でいえば、原発事故の被災地、被害者対応でしょう。

 特に問題は福島第一原発で、綱渡りのようなつぎはぎ工事で水漏れを防いだりしていますが、汚染水の海への流出、新たな水素爆発、放射能汚染瓦礫や汚染水処理で生じる汚染物質の保管や処理は、ちょっとした自然災害でも、新たな大きな被害をもたらす可能性が高い状態です。

 汚染水除去の配管などの工事は、新たな自然災害などは想定せずに緊急対応として行われているのでしょうが、何もなくても事故が多発しています。何かあれば、危険度は被災していない原発に比べれば、格段に大きいでしょう。

 更に、被災地には、すでに起こってしまった問題があるのです。現実に人々が困っているという問題と、今から困る人が出てくるかもしれないという問題とは、はっきり分けなければいけないと思います。

 被災地には義捐金もなかなか届かないし、賠償金支払いも極めて不徹底な状況のようです。原発対応論議の迷走が、それに拍車をかけているようですが、いま、最大限の努力を傾注しなければならない問題は、地震、津波、原発事故の被災者に対しての救援と被災地の復興です。
 最近、被災者の中からの半ば諦めにも似た不満の声が報道されたりします。大変残念です。

 これに比べれば、エネルギー選択の問題は、喫緊というより、長期の問題です。長期の問題は長期の問題として、緊急課題とは別に論議するのでなくてはなりません。
 ポピュリストという立場であれば、原発被災者の悲劇を掲げて、原発停止を謳いあげることに意味を見出すかもしれません。しかしそれは今の原発被災者に役立つものではありません。
 緊急課題と、長期課題をごっちゃにしてはいけません。

 長期の問題は、結局は確率の問題です。明日巨大地震が送るかもしれないし、100年後かもしれません。この辺りは未だ人知の及ぶところではありません。ここでは、理論性や合理性は、判断材料にはなっても、結局多数者の納得性で決めるよりないのでしょう。例えそれが間違っても、それが人間の限界です。

 緊急課題は違います。やるべきことはハッキリしています。それの手を抜いて、長期の問題で不毛の論議をするのは如何なものでしょうか。緊急課題対応のベストを尽くしながら、長期課題については、多少時間はかかっても、「本音の論議」をしてほしいと思います。


原発か自然エネルギーか: 二元論は不毛

2011年07月13日 11時40分31秒 | 社会
原発か自然エネルギーか: 二元論は不毛
 原発対策は、多くの国民の目から見れば、迷走そのものです。いろいろな要素が重なっているのでしょうが、個人に関するような問題は出来るだけ避けながら、日本人らしい思考方法で、問題の本質と対応を考えてみたいと思います。

 多くの日本人は、原子力は化石燃料エネルギーの代替の旗手と教えられてきました。低コストのエネルギーとして、また、CO2を出さないエネルギーとしてです。
 今回の事件をきっかけに、その神話に明らかにひびが入りました。

 先ず原子力発電が低コストというのは、原子力発電の「安全神話」によって支えられたものでした。今回の災害時の代替電源確保の論議の中で「あらゆるケースを想定して安全を考えていたら、コストが上がってしまって不可能」という意味の発言がありました。

 不十分な安全対応、しかも巨大災害のコストは算入されていないことも明らかになりました。さらに、核廃棄物の最終処理まで見通したコスト計算はできていない(技術開発自体が未開発?)という問題も出てきました。原発は本当に低コストのエネルギーなのかが解らなくなりました。

 地球温暖化問題に関しては、原発はCO2は出しませんが、冷却が最も大事ということも広く知られるようになりました。以前、アメリカで「アメリカのエネルギーを原発で賄おうとしたら、アメリカ中の川(河川水で冷却)が干上がる」という論文が書かれたことがありました。
 日本なら海水の温暖化でしょう。原発50機の沿岸海水の温暖化効果はどのくらいでしょうか。

 こうして、原発はまだ開発途上の技術であり、特段の支障なく平穏無事に運転でき、将来、技術開発が順調に進展すれば、コストの安い、環境にもよい発電技術であろうという「見込み・仮定」を前提に成り立っていた面が明らかになりました。安全神話でそれを支えようとしたのですが、世の中はそう甘くはなかたのです。

 こうして、原発についての真実が解ってくれば、当然、もう原発は要らない。原発は止めて自然エネルギーに帰ろう。そのための不自由は、本来の人間のあり方を取り戻すことなのだ、といった論議が出てきます。

 現実に、私自身を含め多くの人は、「原発の持つ恐ろしさ」と「不自由な生活への不安」の間で戸惑うことになりました。

 この問題も、他の多くの問題と同じように、二元論(マルかバツか、神か悪魔か)では現実には解決が不可能な問題でしょう。日本人にはもう少し知恵があるように思います。


人口減少: 50年先が予測できるか

2011年07月10日 20時53分40秒 | 社会
人口減少: 50年先が予測できるか
 前回は、少子・高齢化、人口減少が続いたら、日本経済・社会は衰亡するしかないのかという問題を取り上げてみました。
  ところで、前回の計算は、合計特殊出生率の中位推計、1.26人を使ったものです。実際の動きは2005年に1.26人を記録した後、2010には1.39人まで上昇していますから、そのあたりは、皆様方の適切なご判断をいただきたいと思います。
  因みに、合計特殊出生率1.22人の韓国経済は、日本よりよほど元気です。

  この、合計特殊出生率の動きをどう見るか、というのが今回の問題です。
 戦後のいわゆるベビーブームの頃4.5人だった合計特殊出生率は、その後急下降、第二次ベビーブームで2.2人に回復しましたが、その後は1980年代の前半に多少の回復を見たものの、一貫して下がり続け、2005年に1.26まで低下、その後多少の反転上昇という経過です。

 戦後、世界の主要国では、合計特殊出生率はいずれも急速に低下し、2人(人口静止には2.08人が必要)を割り込み、その後、1980年代後半ないし、1990年代に反転上昇して2人の近傍に回復しつつあるというのが大きな傾向のように見られます。

 日本で見ますと、低下傾向の中で、多少の回復を見たのは、戦後のベビーブーム世代が親になる第二次ベビーブーム時代、そしてその後は、ジャパンアズナンバーワンといわれた1980年代前半と、最近の日本経済が「いざなぎ越え」に入ってからです。
 もちろん、景気が良くなれば出生率が増えるとは言いませんが、昨今の状況を見ると、それも1つの要因かもしれません。

  こうしたものは、人間社会の大きな営為であり、自然と人間の関わり、その時点の人間社会の姿などが人の心に反映して生じる人間の意識と行動の結果によるものでしょう。
 人間も動物の中の1つの種であれば、人知を越えた、本能に根ざした動きもあるのかもしれません。

 自然が身近なほど出生率は高まるという見方もあります。自然エネルギーへの回帰といった問題も今後は関係してくるかもしれません。
 いずれにしても、出生率低下は不可避であるなどと固定的に考えるのではなく、それは、われわれ日本人の心が決めるものだ、という意識を持つことが大事でしょう。

 そうすれば、そのために何をすべきかという積極的な意識が、また、これからの経済、社会、環境を考える上での日本人の行動指針になるかもしれません。


少子・高齢化、人口減少も対応次第

2011年07月07日 11時42分03秒 | 経済
少子・高齢化、人口減少も対応次第
 1991年以来、2002~2008年の「いざなぎ越え」の時期を除いて日本経済はデフレ不況を続け、失業率は高止まり、若者の就職は「氷河期」などといわれ、安定した仕事に就けない者が増え、無気力や自殺、犯罪の増加など、経済や社会の劣化が見られ、日本人の多くが、真剣に心配しているのは現実です。それが波及したのでしょうか、政治の世界も著しく劣化しました。

 これを、少子高齢化、人口減少のためと見るかが先ず問題でしょう。1990年まで、バブル経済の中でかりそめの豊かさに酔い、強気一方だった日本人が、バブル崩壊と同時に「失われた10年」の悲観論者になり、その理由として、少子・高齢化、人口減少予測が出てきたというのもあまりにも唐突です。人口構造の予測は10年以上も前から言われていたことです。

 現実には、 円高によって強いられたデフレ不況が日本人を悲観論者に変えたことが最大の原因のように思われます。円高がこれほど経済・社会に悪影響を及ぼすことの理解が出来ない学者、評論家、政治家が多い中で、何か長期的な不況の原因はないかとを探して、少子・高齢化に行き当たったのではないでしょうか。

 日本人が元気であれば、例え少子・高齢化、人口減少で年率1パーセント程度のマイナス要因があっても、ますます増える元気な高齢者が働けば十分カバー出来るとか、2パーセント以上の経済成長を目指せば、人口が1パーセント減ってもGDP総額で1パーセント以上のプラス成長維持は十分可能、といった意見が多かったでしょう。

 少子・高齢化、人口減少で、国内消費が減るという意見に対しても、企業からは「われわれは国内市場だけを相手にしているのではない」、日本企業は世界で発展できるという意見が主流だったでしょう。

 すでに指摘しましたように、日本人は人口減少以上に、消費意欲を弱め、毎年GDPの4~5パーセントを使わずにいたのです 。それだけで4パーセント以上の経済成長のマイナス要因です。
 今、新エネルギー指向がこれほど強いのなら、そのお金を国民がこぞって新エネルギー活用に振り向けたら如何でしょうか。日本経済は様変わりになるでしょう。

 残念ながら、今は、そのお金の多くは災害復興に使わなければなりません。それでもまだ、日本人が、新エネルギー開発で世界の先陣を切る意欲があれば、日本には十分なお金があります 。政府には無くても、国民が持っているのです。
 日本経済・社会の元気回復の鍵は、国民が握っているのです。最も必要なのは、国民の意識を変えられるような明日へ向けての正しいリーダーシップの存在のようです。


人口減少と経済成長

2011年07月05日 14時41分22秒 | 経済
人口減少と経済成長
  ジャパンシンドロームではありませんが、少子化、高齢化で日本は人口減少に向かうから、これからの経済成長は難しいという意見はかなり多いように思われます。
 
  私も、そうした主張が必ずしも当たっていないとは思いません。確かに人口が若い方が経済社会も活力に富んでいる可能性が高いといえましょう。人口が増えていたほうが、マーケットが大きくなるから、経済成長しやすいとも言えましょう。

 しかし、この種の「悲観的予言」はかつてもたくさんありました。多くの学者・評論家は、悲観的意見を述べたほうが頭がいいと思われ、自分もカッコいいと思っているように見えます。
 戦後は、領土の狭くなった日本は発展出来ないという意見、資源が何もない日本では経済成長は難しいという意見、日本人は独創性がないから物まねだけでは成長には限度があるという意見、オイルショックの時は、石油資源のない日本はいよいようダメという意見、今でも食糧自給率が低い日本にはいつか限界が来る、少子高齢化で経済成長は先細り、・・・・・・などなど。

 実は、こうした予言をすべてハネ退けて日本の経済社会は、進んできています。
 ただひとつ、「際限のない円高」については、多くの学者・評論家は、どういうわけか、悲観的な意見を述べませんが、これは日本経済、社会に、現状では決定的な退行要因 となっています。

 「ピンチはチャンス」とは良く言われますし、かつて、「ボトルネックは経済成長の原動力である」という意見もありました。経済発展を阻害する要因があれば、それを克服しようとする活動が経済成長を押し上げるという見方です。
 問題がある時、それが経済成長を阻害する要因になるか、促進する要因になるかは、その問題に対して人々がどう取り組むかによって決まるのです。すべては、それに関わる人間自身の 考え方と態度が決めることだといえましょう。

 日本の人口は、2005年~2055の50年の間に、合計特殊出生率1,26のいわゆる中位推計で
総人口       1億2,777万人  →  8,993万人  29.6%減   年率0.7%減
15~64歳人口     8,442万人  →  4,595万人  45.6%減   年率1.2%減
といことになっており、こうした数字が悲観論の根拠になっているのでしょう。

 問題は大きく2つあるでしょうか。1つは、この人口推計が現実になったとして、日本経済は衰亡しなければならないのか。もう1つは、人口減少は、本当に止められないのか、です。
 さて、日本をどうするかという問題です。少し、具体的に考えて見ましょう。


日本的思考の原点への回帰を

2011年07月02日 11時24分34秒 | 環境
日本的思考の原点への回帰を
 大震災以来の日本社会の状況から、いま、多くの日本人が感じていることは何でしょうか。震災直後、外国から、日本人の冷静さ、道徳律の高さ、精神力の強さなどが、まさに驚きの目で見られていることが報道されました。
 そう言われて、日本人は、初めて、「われわれの行動はそんなに立派だったのか 」と思ったのではないでしょうか。実はそんなところが、本当の日本人の素晴らしさなのかもしれません。

 大きな試練の中で、地域も産業も、自然災害と原発災害という2種類の困難に立ち向かい、多くを口にしませんが、真摯且つ積極的な対応を示し、被災地は予想外の速さで復興に向けての動きを見せています。漁港の水揚げの再開を喜ぶ、漁業関係者の姿などはまさに象徴的で、大災害をもたらした自然であっても、矢張り人間は自然の中で、自然の恩恵を受けて生きていくことが「自然」なんだという日本人本来の意識が躍動して、本当に印象的です。

 政治や財界の種々の思惑で、色々と歪められている日本社会ですが、本来の日本社会は、縄文以来、人間は自然の一部であり、自然が豊かになることで人間も豊かになるという地球人類本来のあり方を、確りと実行してきた社会だったのではないでしょうか。

 自然を収奪するのではなく、自然を育てることによって、人間も豊かになる。山を育てれば海も育つ、水は自然に流れれば清められると、今も国土の7割の山林を保ち、自然の水や空気、光のもたらす豊かさを大切にしている日本人の考え方です。

 今、日本はエネルギー問題で大揺れに揺れています。当面の大事は節電ということになっています。確かに非常事態のもとでは節電も大事でしょう。しかし単に短期の対策にかまけるだけではなく、こうした時こそ、エネルギー供給の将来像 を考え、それに整合する第一歩を踏み出す時ではないでしょうか。

 その際必要になるのが、日本人の本来の考え方、自然を育てつつ豊かに共存するという日本人の知恵でしょう。

 地球上のあらゆる生命を育てるのは、太陽から無償で与えられる無限のエネルギーです。このエネルギーをまず地球を豊かにするために活用する。人類の浅知恵で地球の自然を「収奪」することをやめ、地球の自然をより豊かにすることで人類も永続的な豊かさを手に入れることができるでしょう。そのための高度な技術開発の芽は日本には沢山あります。
 
 100億人にもなろうという人類が、こぞって地球を収奪したら、地球自体がもたないことは明らかです。地球を収奪することから、地球の自然をを育てることへ、人類の行動を大転換するきっかけを、日本人は自ら実行しつつ、世界にも提供することが出来るのではないでしょうか。