tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日中関係、日本の立場

2012年09月28日 11時43分44秒 | 国際政治
日中関係、日本の立場
 こうした問題は、なるべく取り上げずに済めばと思って、過日の「トラブルメーカーとトラブルシューター」で、暗に、日本人らしい対応の在り方を述べてみたのですが、ここまで来ると、もう少しはっきり書いた方がいいのかなといった感じになります。

 勿論わたくしがここで書いても、それでどうというようなことはないのですが、多分、書いている本人が、気が済むかどうかといった問題なのでしょう。

 政府やとくに総理をはじめ、直接かかわる日本のリーダーを自認する方々にお願いしたいのは、現実の国民の行動をよく見てほしいという事です。
 中国では一部の国民が大変過激な行動をとっていますが、日本の国民はいたって冷静です。この違いは、リーダーにおいてこそ必要だと思います。

 戦後日本がアジアで果たしてきた役割は、太平洋戦争の贖罪もかねてという事でしょうか、アジア諸国の発展のために役立つための行動ではなかったでしょうか。一足先に先進国の仲間入りをしたという立場をそのために活用し、過去千何百年、外来文化の恩恵を受けて発展してきたことの返礼もし、現実に実績も積み上げてきたと思っています。

 アジア諸国の日本を見る目も、やっと少しずつ変わってきた矢先です。反日感情、反日教育も、次第に形骸化し、「本当の日本は違うのでは」という若い世代が増えてきたように感じていました。

 もう子供の喧嘩のような時代は過ぎ去るのかな、と期待していた人も多かったのではないでしょうか。日本が先んじて大人になり、アジア諸国もどんどん成長していくという時代に入ってきたはずなのに、日本のリーダーを自認する方々が、どういうわけか、子供の喧嘩のレベルにわざわざ降りて行ってしまった、というのが私の感じているところです。

 築くのは大変ですが、壊すのは簡単です。従来の外務省の感覚では「アメリカに頼めばなんとか」という事だったのかもしれませんが、もう誰が見ても、アメリカが一方的に日本に加担してくれるとは考えられない時代に入ってしまっています。

 多少手遅れかも知れませんが100年先の世界を憲法で先取りしている日本、です、子供のレベルに下りず、力ではなく、思慮深さと人徳(国徳)のレベルで、問題が解決できるよう知恵を絞るべきでしょう。
 中国のリーダーの方が思慮深かったなどと後から言われないように、アジアの先進国として、恥ずかしくない行動をとってもらいたいと思います。
 日本の政治家の目標にすべき態度は、まさに多くの日本国民が日々示しているように思っています。


原発冷却と海水温度

2012年09月24日 17時39分20秒 | 環境
原発冷却と海水温度
 ずいぶん前の事ですが、アメリカで書かれた論文で、アメリカのエネルギーを原発で賄おうと思ったら、アメリカ中の川の水が全部干上がるというのを見た記憶があります。
 スリーマイル島の原発ではありませんが、その頃は川の水で冷却するという事を考えていたのでしょうか。

 いまは何処でも、冷却しているのは殆ど海水でしょう。日本などは全部そうだと思います。川の水ではほとんど不足という事でしょか。原子核の崩壊で出す巨大な熱でお湯を沸かして発電するのですが。発電に利用できるのは発生する熱量のほぼ3分の1で、3分の2は、結果的に海水の温暖化になっているというのが現実だと言われています。

 折角得られた熱をもっと利用しなければ勿体ない様な気がしますが、技術的に難しいのでしょう。
 その上、原発は定期点検などで、大まかに言って、半分はいつも停止していたようです。それでも他の発電コストに比べて、格段に安いということで、発電の主力になったのでしょう。

 ところで、地球温暖化が言われて久しいのですが、原発の冷却による海水の温暖化について、それがどのくらいの影響があるのかという研究はあまりないようです。
 最近の異常気象が海水の表面温度の上昇によるらしいとは言われますが、それは主として温室効果ガスの影響という事になって説明されているのが普通です。

 しかし、今日の地球環境の驚くほどの定常状態は基本的には、太陽が無償供与してくれるエネルギーと地球のエネルギー消費がバランスているからという事でしょう。
 化石燃料からのエネルギーと、原発からのエネルギーがプラスされれば、そのバランスは当然崩れるでしょう。その上に温室効果ガスが熱の放散を少なくすれば、地球表面の温暖化は当然進みましょう。

 しかも従来言われていたように太陽光(熱)などをいくら巧く利用しても、せいぜい消費電力の数パーセント(2パーセントと言われていた)にしかならない、という事であれば、原発の発するエネルギーの巨大さは押して知るべしという事になるのではないでしょうか。

 にも拘らず、それが地球表面、特に海水の表面温度の上昇に与える影響について、殆ど関心が持もたれて来なかったのは何故でしょうか。
 原発のごく初期のころの「アメリカ中の川が干上がる」という古い研究が、何となく思い出されたのも、そんなきっかけからです。
 本格的な研究が必要のように思われますが。杞憂であれば有難いと思っています。


外交政策と金融政策

2012年09月19日 12時54分13秒 | 国際政治
外交政策と金融政策
 今、日本にとって困った問題と言えば、多くの方が、「日中関係」と「長期不況」を挙げるのではないでしょうか。特に当面する日中関係がどう収まっていくかが大変気にかかるところです。

 先日「トラブルメーカーとトラブルシューター」を書かせて頂きましたが、昨今の問題の中で、トラブルメーカーの方が如何に多いかという事がわかったような気がします。
 ある意味ではそれは当然で、トラブルメーカーになることは簡単ですが、トラブルシューターになることは、その何倍も難しいことだからです。

 冷静に考えればトラブルシューターであるべきだと思っても、トラブルの中にいると、メーカーの方がシューターより「カッコいい」と感じる人が結構多いので、ポピュリズムの流行る政治やマスコミの世界では、ついついそちらになってしまう人も多いのでしょう。

 強い国力を持ち、世界の覇権を握ろうと考える国には、それなりの理屈があるでしょう。しかし日本の場合は、世界に先駆けて平和憲法を掲げ、力の行使ではなく知性と人徳(国徳)でトラブルに立ち向かわなければならないのです。
 それだけに、他国に比べて、何倍も頭を使わなければならないでしょう。これは簡単なことではありません。

 同じことが国際経済関係についても言えるように思います。マネー経済全盛の中で、技術とものづくりで世界に貢献しようとする日本の姿勢は大変立派で、これこそが今日の世界経済の混乱(トラブル)を救う方法だという事は解って来ています。
  しかしその立場を掲げ、世界経済のトラブルシューターになるためには、徹底的に頭を酷使し、日本独自の行動を展開しないと駄目でしょう。

 政治や金融の中枢で日本の意思決定に参画したわけではないので、本当の事は解りません。しかし得られる情報の限りでは、外交はアメリカに頼ればいい、金融はインフレを起こさなければいい、といった、極めて単純な基本方針を意思決定の拠り所にしているように感じられます。

 世界に稀な先進的な国家理念を掲げる日本として、独自にトラブルシューターとして最適な解を求めて考えをめぐらすという努力がいささか足りな過ぎるように思われて仕方ありません。
 当面の原則を決めてそれに寄り掛かることは簡単です。しかしそれでトラブルシュートが出来るほど、今の状態は単純ではないでしょうし、それでは本当の意味で自立する国家とは言えないのではないでしょうか。

ユーロ問題と国際投機資本

2012年09月16日 14時14分10秒 | 経済
ユーロ問題と国際投機資本
 前回、ECBの、「債務危機国の国債購入無制限」という決定に触れさせていただきました。
ユーロ相場は一応の平静を取り戻したようです。
 もちろん、対策の本番はこれからですが為替が乱高下しなくなったというのは、実体経済にとっては大変結構なことです。

 しかし、国際投機資本にとってはどうなのでしょうか。だいぶ前になりますが、
「株屋殺すにゃ刃物はいらぬ、寄り引け同値でザラバなし
という都々逸を紹介させて頂きました。
 キャピタルゲインの極大化を追求する投機資本にしてみれば、相場に変化がなくなるということは一番困ることなのです。

 当面、ビジネスチャンスを失った国際投機資本はどうするんでしょか。トウモロコシ、大豆でしょうか原油でしょうか。ユーロ以外の通貨に何かしかけるのでしょうか。それともユーロに追い討ち? いずれにしても、何もしないわけにはいきません、ドルはじゃぶじゃぶ、更にまたアメリカの超金融緩和が決まって、株が動いています。株ならまだいい方かもしれません。

 サブプライム・リーマンショックの「宴の後」でも、世界中の金融機関のバランスシートを毀損し、世界経済を混乱させた国際投機資本問題をテーマにした特集(マネー資本主義:NHKなど)がありましたが、その中でも「俺のやってきたことは一体何だったのか」と、その空しさを反省し、こうした投機活動から手を引いて人間らしさを取り戻した人、カネの狂気に取り憑つかれたままに、新たなビジネスチャンスを求めて、相変わらずマネーに引きずり回される人などが登場していました。数からいえば、後者が圧倒的に多いのでしょう。

 石川五右衛門の辞世の三十一文字を引き合いい出したら、怒られることを承知でいえば、「浜の真砂は尽きるとも、世にギャンブラーの種は尽きまじ」という事でしょうか。やはり、一度その世界に手を染めれば、「額に汗するカネ」を地道に稼ぐなどは、バカバカしくて「やってらんないよ」という事になるのでしょう。

更にこうした世界は、有史以来、必ずインチキ、不正が入り込みます。
 最近も、インサイダー情報問題は後を絶たず、はてはLiborまで種々取りざたされるありさまです。
 この世界は、付加価値を作るのではなく、所得の振替(移転)のみの世界ですから、すべてゼロサムである事を考えれば、これはひどい話です。不正で得をする人がいれば、同額分損する人がいるのです。

 IFSを作って、巨大投資銀行をはじめとした世界の金融システム、ヘッジファンド、格付け会社などの行動、野放図なレバレッジやデリバティブを制限しようと言いながら、なかなか実効が上がらないのには「それなりの」理由があるのでしょう。
 実体経済こそが人類社会に役立つ経済という認識への回帰は遠く、まだまだギャンブルの種探しが続くのでしょうか。


「これからが本番」ユーロ圏の今後の対応

2012年09月12日 11時13分21秒 | 経済
懸念の残るユーロ圏の今後の対応
 ECB(欧州中央銀行)が、スペインなど債務危機に陥った国の償還期間3年までの国債を無制限に買い入れるという決定をしたことで、これらの国々の国債の暴落は止まり、利回りは下げ、ユーロ危機は種々の懸念の中で、当面の沈静化を迎えたようです。

 IMF専務理事も全面支援の姿勢を打ち出している様です。緊急避難の場合ですから、まともな経済原則などは無視し、「兵力の一挙大量投入」で、当面の大混乱を回避したという点で、先ずは、今日の金融理論が成功を収めたというところでしょう。
 交通事故を起こしたとき、被害者は「対人賠償額無制限の保険に入っています」と聞いただけで安心するというのと似ています。

 既にスペインの大企業は下がった金利で、起債を急いでいるという報道もありますが、
 下がったといっても日本のようにゼロ金利ではありませんから、これからは、それなりの金利を払い、借り入れの返済計画を立てる必要はあるわけで、次の問題は、それを可能にするだけの企業ならば収益、国ならば経済成長を確保することが必要になります。

 古くは日本のドッジライン、1997年韓国がIMF管理下に置かれた時や、今回のトヨタ、パナソニック、シャープなどの例を見ても(もともと超優良会社ですが、それでも)、そう簡単なことではありません。かなりの緊縮、場合によっては荒療治が必要です。はたして、これらの国の国民、企業の従業員、労働組合が、能くこれに耐え抜くでしょうか。
 矢張り、最終的には問題ここへ来ざるを得ません。「これからが本番」なのです。

 昔、ギリシャ映画で「日曜は駄目よ:Never on Sunday」という喜劇がありました。確かアメリカ人のギリシャ研究の旅行者が、ギリシャの娼婦をまともな生活に導こうとして、かえって巻き込まれていくといった筋立てだったように記憶しますが、 ついつい思い出してしまいました。
 今回は世話を焼くはずのアメリカ自体が赤字国ですから・・・。さてどうなりますか。
 最後に少し不真面目なことを書いてしましました。


為替レートの変更と交易条件

2012年09月10日 17時50分39秒 | 経済
為替レートの変更と交易条件
 円高に苦しむ日本経済の中で、円高(為替レートの変更)と交易条件の関係についての論議が良くされていますが、どうも、誤解や割り切れない話が多いように感じるので、整理してみたいと思っていました。

 ずっと以前ですが、石油ショックの時、石油ショックで交易条件が悪化しその分OPEC諸国に日本のGDPが移転した、これは「アラブの王様に貢物をしたんだ」といったことが論じられたことがありましたが、円高の場合はこれとは違うと言われました。

 交易条件というのは、企業間でいえば取引条件、英語ならterms of tradeでどちらにしても同じです。「安く買って高く売れれば」取引条件は改善、反対なら悪化です。
 式で書けば、「売値/買値」で上がれば改善、下がれば悪化です。

 円高の場合は、例えばプラザ合意前は$1=¥240、プラザ合意で$1=¥120になったとしても、それだけの事なら、1ドルで買って1ドルで売るというのが、240円で買って240円で売るのではなく、120円で買って120円で売るというだけのことで、交易条件は変わりません。売買共にドル建て、売買共に円建てなら、円高の影響はありません。

 では何が変わるのかというと、ドルで買って円で売る、円で買ってドルで売るというとき、買値が半分になったり売値が半分になったりするわけです。単純に言えば、輸入業者は120円で買って240円で売れる、国内で仕入れて海外に売れば、240円で仕入れて、120円で売ることになります。

 輸入業者はもうかり、輸出業者は痛手と言われるゆえんです。
 ところで日本の輸入依存度(輸入/GDP)は10~15パーセントです。あとは国内コストです。国内コストの6~7割は人件費です。これは容易に下がりません。
 そして本当の問題は、国内の車や、家電などの専門店で売っているもの、スーパーやコンビニで売っているものも、国内旅行の代金も、国際比較して高いものは国際競争の浸透で値下がりするのです。デフレ不況の影響は、こうして日本経済のあらゆる部門に交易条件が悪化をもたらします。

 交易条件の悪化のもともとの原因は「円高で高くなった日本の物価が、国際競争で下がるデフレ不況の過程」で起こるのです。ですから、「デフレ不況の原因は円高」とはっきりさせない限り、円高と交易条件の悪化の関係は良く解らないことになります。


TPPとRCEP

2012年09月04日 07時55分02秒 | 経済
TPPとRCEP
 先日、アジアの十数か国の企業の中堅幹部の方々と経済発展の問題を中心に、経済活動における人間と資本の関係、マネー経済と実体経済(労働経済)、賃金決定(労働分配率)と経済成長、経済成長と為替レート、日本経済の成功と失敗などの問題を話す機会がありました。

 私の主張は、基本的はこのブログに書いてきたことがベースですが、その中で、日本経済は度重なる円高で、成長を担うべき企業の力が失われ、失われた20年を経験している。これからの日本は、繁栄するアジア経済が頼りだ、というようなことを言ったところ、
「アジアの繁栄から日本経済はいかにして裨益するのか」
といった質問がありました。

 「日本経済は疲弊しているが、まだまだアジアの皆さんの国々にお役にたてる多くの基礎技術、素材産業に関わる技術やノーハウ、社会的インフラ(含環境)の構築ソフト、労使関係や賃金決定、さらには、自らの失敗の原因を率直に語ることもできる・・・」などという話をし、協力、共益の立場で日本のビジネスチャンスは広がるだろうし、いま日本の企業は、国内でなく、アジアへの直接投資に益々真剣になっている」といった話をしました。

 アジアの方々には、極めて好意的に受け取って頂けたようですが、これも今まで、アジアにおいて日本企業が積み上げてきた実績の結果と心強く思った次第です。

 ところで、最近、TPP(環太平洋経済連携協定)とRCEP(東アジア包括的経済連携協定)が並べて論議され、TPPよりRCEPの方が進展するのではないかといった見方も多いようですが、この2つはどう違うのでしょうか。

 目指すところは基本的には共通部分が多く、最終的には、アジア太平洋地域の国々が、経済的に協力し合って、より繁栄する経済圏を目指そうというのでしょが、それでは何が違うのかというと、決定的に違うのは、RCEPはアジア主導でアメリカは入っていない、という事でしょう。

 アメリカはアジアの国々にとっても巨大市場ではあります。しかし、例えば、日本にとってみれば、アメリカが入っていなくてもRCEP内の貿易量の方が、TPP域内より2倍近く大きく、さらには拡大速度も大きいというのが現実です。

 アジア諸国にしてみても、力は強いが、経済は万年赤字でいつも海外からの金が欲しいアメリカよりも、大幅黒字の中国や、同じく万円黒字で人畜無害の日本と付き会っている方が安心できるというのが本心ではないでしょうか。

 かつて「TPPの胡散臭さ」でも指摘させて頂きましたが、アメリカ経済の本格的な立て直し(万年赤字脱出)が世界経済の安定と発展のためにも(もちろんアメリカ自身のためにも)必須だという事です。


改めて「日本的経営」を問う:長期視点の経営

2012年09月02日 22時57分28秒 | 経営
改めて「日本的経営」を問う:長期視点の経営
 前回、日本的経営の二本柱として「人間中心の経営」と「長期的経営」と書きました。これは、かつて日経連(現日本経団連)が指摘してきたもので、広く受け入れられています。
 そして解説によれば、この2つは、基本的な関係を持っており、企業は人を使い捨てにするのではなく、育てることを期待されており、これには時間がかかる、それを可能にするためには企業は長期に存続発展していかなければならない。したがって当然経営は長期的視点に立たざるを得ないとされています。

 また、顧客や社会全体から見ても、社会に役立つ企業は長期に存続することが期待されており、それに応えるためには短期的な利益の極大化ではなく、長期的な発展を重視する、という事になるようです。英語のGoing Concernも同様な意味でしょう。

 確かに日本の企業の寿命は、世界でも飛びぬけて高い(帝国データバンク)ようで、この面でも日本的経営の特徴は実証されています。

 そうした意味では、「最近の日本的経営に変化が」といった論調は、多分にマスコミが作っている面があるようで、前回引いたシャープの人員削減の記事などにしても、企業自体は、多様な雇用安定策を講じているのが現実で、投機筋とその分野担当のマスコミ人の短絡的な表面上の理解と表現によるところが大きいと言えるのかも知れません。

 問題は、就職氷河期に直面する学生や、その周囲の人々、さらにはマスコミの報道を鵜呑みにする多数の人々を中心に、日本的経営の崩壊、企業不信の増幅といった雰囲気が、知らず知らずに作られて独り歩きを始めるといった現象でしょう。

 確かに、異常な円高に苦しめられる企業が、非正規従業員を増やしたり、教育訓練費を削ったり、雇用削減のケースが増えたり、といったことも、避けられない経済環境です。
 しかし企業は、これはあくまで、異常なデフレ不況への対応策であることを明確にし、労組も企業に最大限の努力を要請し、日本的経営維持の努力を常に明確にすべきでしょう。

 あまり長期に不況が続くために、日本的経営についても「一犬(マスコミ)虚に吠えて、万犬実を伝う」ような事態になることを最も恐れるものです。
 それにつけても、政府日銀が、これ以上、円高という失敗を無思慮のうちに繰り返さないことを願うところです。