tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

急転する雇用環境:雇用問題も量から質へ

2014年05月31日 11時25分16秒 | 労働

急転する雇用環境:雇用問題も量から質へ

 4月の有効求人倍率が発表され1.08まで上昇、この上昇傾向は昨年来一貫して続いています。日本経済の昨年来の変化を象徴する数字でしょう。

 中身では、有効求人数が増え、有効求職者数が減少ということになっていますが、一部には人手不足の深刻化が報道されています。

 

 何かを配布する際でも、「人数分は確保していますからご安心ください」というのと、「全員の分には少し足りませんが・・・」というのでは人間の心理的反応が全く違うように、有効求人倍率1.0という境目は雇用問題において大きな心理的影響を持ちます。

 

 読者を驚かすことが大きな意味を持つマスコミではすでに、時給1500円でも人が採れない食堂チェーンとか、復興・建設関係では人がいないとか、介護関係は外国人頼み、といった報道も多く、それぞれそれないりに、人手不足が深刻な現場の報道であることも事実でしょう。

 

 つい先ごろまでの就職氷河期、正社員は高嶺の花、といった状態を思い出せば、本当に様変わりというのが実感ですが、そうした現場の現実に振り回せれるだけではなく、特に企業サイドはこの際、我が国における雇用はいかにあるべきかといった国民生活の基盤の問題について改めて真剣に考えつつ、あらたな雇用環境に真摯に対応すべきと思う所です。

 

 具体的な数字を1つ挙げれば、非正規雇用37パーセントといった数字です。これは日本企業が深刻な長期不況の中でな何とかサバイバルを図るための窮余の雇用政策でした。

 一方社会の安定のためには、雇用の安定が不可欠の条件です。

 

 日本的経営はもともと「雇用が安定すれば、従業員は安心して確り働く」という性善説に立っています。そしてこれは日本人の性格に合っていたと思われます。

 

 一方現在の日本社会で、制約の多い正社員より自由な働き方を選ぶという非正規志望の人は、アルバイト、パート、退職高齢者などで20パーセント強と推定されます。

 現状の非正規社員のうち、十数パーセントは不本意に非正規で働いている人たちです。

 

 有効求人倍率は雇用の量的な側面の数字ですが、いわゆる非正規問題への早期な対応といった雇用の質の問題は極めて重要です。

 

 日本的経営の根幹は「人間中心の経営」、「長期的視点に立った経営」といわれてきました。雇用環境の変化の中で、こうした「雇用の質」の問題に企業が取り組み始めたこともこのところ数多く報告されています。

 雇用については、量の変化を追い風に、質の変化に明確な理念を持って取り組む時期が来ているように思われます。


tnlaboからのお知らせ

2014年05月29日 23時15分01秒 | お知らせ

お知らせ

 今年3月、plala  Broach からgooのブログに引越して来ましたが、ブログ内リンクをクリックするとBroachのぺージが表示されていました。

 plala Broachは6月いっぱいで閉鎖、7月以降は消滅しますので、3か月ほどかけ、漸くすべてのブログ内リンクをgooのブログのページが出るように変更が完了しました。

 今後はブログ内リンクはすべてgooのブログのArchivesが出てきますので、Broach閉鎖後も、ご迷惑をおかけすることはなくなりましたので、お知らせ申し上げる次第です。

 ブログ内リンクは、既に当ブログで取り上げた点につき、改めて説明を繰り返すことがないよう、当ブログ内で、関連するページにリンクするものです。便利にご活用いただきますよう宜しくお願い申し上げます。          tnlabo

 

 

 


企業活性化・経済成長への図式

2014年05月27日 12時48分28秒 | 経済

企業活性化・経済成長への図式

 前回「経済回復に自信を」と書かせて頂きました。

 その中で、直前に発表された機械受注の増加を先行指標の表れとして、活発化する採用と人材育成意欲、多様な技術開発の展開、日本の技術、日本の製品に対する世界各国からの信頼、人材開発への投資の再開、そして真面目な日本人の努力と頑張りへの期待を挙げました。

 

 もちろん、経済というのは人間のやる活動です時から、人間の心の持ち方というのは基本でしょう。しかし、国際的に強いられた過度な円高といった逆風の中では、人間の努力もあまり報われないことも確かです。

 幸い、日銀の新政策により、20円幅の円安が実現し、国際社会もそれを認めざるを得なかったというのが現状でしょう。

 

 これから日本経済の活性化が始まるという条件が整備された中で、上記のような日本経済の動きが始まっていることが、明るい将来展望の理由です。

 

 経済発展には各種の景気循環論など多様な説がありますが、やはり基本はイノベーションでしょう。

 

 

 上の図では太い縦の矢印の破線がイノベーション(技術革新)で、例えば、最初が蒸気機関の発明、次が電気モーターの発明、3本目がIT技術といった具合に考えますと、横線がそれによって達成可能な経済レベル、ただしそれにはすぐには達せずに、その技術革新を種々な形で応用発展させる人間の努力があって、結果的には斜線の「実現過程」ということになるのでしょう。

 

 そして、技術革新も、それを生産技術、製品・商品・サービスに仕立てるのも、すべて人間の力です。

 

 大分前の話ですが、ある企業の社長さんと飛行機で隣になり、「社長の会社な何故毎日のように日経産業に記事が出るようないろいろな開発が出来るのですか?」とお伺いしたら。

 「原因はいろいろあるでしょうけれど、かつて私が人事部長だったころ、積極的に人材採用と育成をやったことの結果でもあるような気がします。」という答えが返っていたことがります。

 

 矢張り、これからの日本経済の活性化には期待していいのではないでしょうか。


これからの経済回復に自信を

2014年05月22日 11時45分53秒 | 経済
これからの経済回復に自信を
 求人倍率が1を超えてきました。学卒求人も売り手市場化の気配です。地域や業種などによっては非正規社員の求人が急速に困難になり、非正規社員の正社員化、正規社員の比率の増加などの傾向に急進展も見られるようです。

 機械受注(船舶・電力を除く民需)も好調です。統計を現方式にしてから(2005年以降)最高の伸び率を示したとのことです。
 これは企業が設備の更新、高度化に本格的に動き始めたということですから、これから資本財、生産財、消費財の生産増の原点が動き始めたという事でしょう。

 企業は海外投資を重視し国内需要が心配といった意見もある中で、統計は確実に国内経済の活発化の動きを示しています。
 特に重要なのは、雇用関連の活発な動きです、新卒採用の活発化は企業の社内育成重視につながるものです。非正規の正規化では管理職要員の育成確保の動きが明確です。
 企業が人を育てることは企業の発展、経済の成長、社会の進歩に必ず繋がります。

 もう一つ大きな動きは、技術開発の活発化を示すようなニュースが多くなってきたことです。
 経済活動の基本であるエネルギー分野では再生可能エネルギー関連の技術の高度化、省エネ技術の進展も着々ですが、特に私の興味を持っている蓄電分野では安全性の高い個体蓄電池技術、燃料電池に鉄粉の還元剤を併用して水から水素を取り出し供給するシステムなど画期的なものが見られます。
 降雪地の自治体に見られる下水熱の活用による融雪装置技術では、下水管の補修・強化技術など多様な技術が複合しています。

 最近世界でも真似するところが出てきたヒューマノイド(人間型ロボット)た動物型ロボットなどが介護や癒しの分野で、急速に発達していることも注目すべきでしょう。身障者の運動能力補助装置関連の技術開発も著しいものがあるようです。
 特にこうした分野は人間と機械の間の摺り合わせ技術が極めて大切ですから、日本人の感性やキメの細かさが最も生きる分野のように思われます。

 日本食の世界文化遺産化もありますが、伝統的日本食だけでなく、日本の加工食品の安全性は勿論、品質の安定、格段の味の良さも日進月歩で、まさに世界が認める状態になっています。これも日本人の味覚や食感といった微妙なところが生きる分野でしょう。

 すでに日本の水技術は世界に定評のあるところですが、水道事業の総合システムの海外提供の始まっている様です。私事ですが、この数年飼育しているホタルの幼虫(極めて環境に敏感)も東京の水道水でしっかり育っています。

 こうした状況証拠を積み上げてみますと、昨年来の円安実現による、日本経済の余裕が、人材の育成活用と新規投資意欲、それらを支える技術革新という経済発展のサイクルをはっきりと動かし始めた様相が見られるように思われます。

 国際関係がギクシャクするなどいろいろな問題点もありましょう。しかし日本が地道に世界に役立つ、世界の人々が喜ぶ多様な分野での開発と成長を続けていけば、それは自然に多様な分野で世界の人びとに役立つ日本という認識を定着させることになり、日本経済社会の一層の発展と、国際貢献の充実につながるものでしょう。

 そうした積極的な動きへの胎動が漸く見えてきた日本の現状を、さらなる着実な発展に繋げていかなければなりません。そしてそれはこれからの日本人の頑張り方次第でしょう。前途は見えてきたと思っています。皆様のご意見も是非お伺いしたいところです。

奇妙な自衛権論議

2014年05月18日 14時21分42秒 | 国際政治
奇妙な自衛権論議
 最近の政治家の話を聞いていると、私のような、普通の人間の普通の常識しか持っていないものにはどうにも解らないことが多すぎるような気がします。
 
 積極的平和主義という言葉もよく解りません。単なる平和主義と何かが違うから「積極的」という言葉を付けたのでしょうが、どうすることが「積極的」なのか、我々に解るような説明はありません。

 政権党の発言や、「有識者」の意見、マスコミの解説などを聞いていると、何か集団的自衛権などを強化して有事に備えることが「積極的」の中身のようにも聞こえます。
 憲法9条も、解釈を緩めていくか、見直さないとならないような説明もあります。

 積極的平和主義実現のためには、平和憲法が邪魔になるというのでは、これはますます解らなくなります。
 憲法9条には
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
と書いていあります。

 恐らく平和を希求するためには、いろいろな方法があって、その中の1つと考えられてきた「武力による」平和実現という手段は、平和を希求するという考え方とは基本的に矛盾するものだから、日本はそれを「やめよう」ということなのでしょう。

 こう考えると、今、安倍総理をはじめ、政権党の一部の人が一生懸命説明している「こんなことが起こったら大変だからという説明は何か危機感だけ煽るようで、本当に平和を希求しているものとは違うような気がします。

 本当に平和を希求するのであれば、もっとその前にやるべき手段がいくらでもあるように思えて仕方がありません。
 危機感を感じるような相手国とは、普段からできるだけ仲良くし、いろいろと役に立ってあげて、「日本は我が国にとって大切な国だ」「仲良くしなければいけない国だ」という関係を作ることが大事でしょう。
 それこそが積極的平和主義の本当の在り方ではないでうか。

 これまでの経緯を見ていると、相手の国の気に障るようなことをなるべくやって、関係をわざわざギクシャクさせ、その中で、「こんな危険も起こりうる」と主張しているように思われてなりません。

 私のような「平和のための戦争」だと徹底して教え込まれ、後からそれが実はウソだったということを経験した世代には、行き着く先がよく解るような気がします。

経常黒字急減の読み方

2014年05月16日 11時32分42秒 | 経済

経常黒字急減の読み方
 2013年度の我が国の経常黒字が1兆円を割り込むほどに縮小しました。
さてこれをどう見るか、解説や意見はいろいろあるようです。
・円安に資源価格の高騰が重なって貿易収支が大幅赤字になったから
・原発停止で化石燃料の輸入が増えているから
・円安になっても、企業は海外生産重視で、国内は二の次だから
・災害復興、原発処理などに費用がかかるから
・高齢化、少子化などで、国民の貯蓄が増えなくなったから
・などなど

 確かに過去の日本の実績から見れば、経常黒字はGDPの2~4パーセント、10兆円から20兆円というのが当たり前でしたから、これはまさに急減です。
 円安になれば国際競争力が回復し、輸出が伸びて黒字が増えるだろうという予測も見事に外れて、一部にはスマホや家電で 韓国や中国に押されていることもあり、日本経済の力もいよいよ落ちてきたのかといった見方もあるようです。

 上に挙げた経常収支急減の原因は、それぞれに当たっていると思います。加えて、安倍内閣の内需拡大への大盤振る舞いもあるでしょう。新幹線、高速道路の延伸、国土強靭化政策、拠点空港の拡大・充実などです。オリンピック関連の支出も続くでしょう。消費増税の駆け込み需要も一時的要因としてはあったでしょう。

 では本当に日本の国債競争力は弱くなったのでしょうか。多分そうではないでしょう。燃料輸入もこれ以上どんどん増えるというものではありません。
 $1=¥80から$1=¥100への円安は、輸入物価を2割ほど押し上げたかもしれません。しかし日本の輸入依存度はGDPの2割弱で、一方国民所得の7割を超える人件費は国際的には2割下がったのです。国際競争力は強まります。

 一方国際的に活躍する為替関係の専門家の中では、いよいよ日本の競争力にも翳りが見えて、経常黒字は激減し、円の強さは従来のようではない、もう円高にはなりにくい、といった見方が出て来ているようです。

 このブログでは従来からずっと「 GDPを使い切ろう」と書き続けてきました。それは、経常黒字(GDPの使い残し)を出してアメリカに貸して(米国債購入)損をし、しかも大幅黒字国だということで円高にされ、デフレで苦労するより、経常黒字が出るなら、その分は国内で全部、国民のために使ってしまい、結果、黒字がなくなれば、円高も回避でき、日本経済はうんと良くなるという趣旨でした。

 今、図らずもその状態が実現したのです、慶州のG20でも「経常収支の大幅な不均衡(赤字あるいは黒字)をなくすべき」という提言がされています。
 円安が実現してまだ1年です。これから本当に日本経済の実力が徐々に出て来るでしょう。経常黒字も再拡大の可能性もあります。

 これからの日本は、その余裕(経常黒字)を官需と民需のバランス(国債発行か民間企業の活動か)を考えながら雇用の改善、災害復興、インフラ整備、原発の(後)始末などに使い切っていく経済政策が、本格的に必要になるでしょう。
 経常収支の動向にはこれからも、ますます要注目です。


雇用の危機からの早期脱出を:働く人間の視点から

2014年05月13日 22時32分32秒 | 労働
雇用の危機からの早期脱出を:働く人間の視点から
 20円幅の円安が実現し、企業が何とか一息ついてから1年、企業マインドの改善は求人の増加にも表れ始め、有効求人倍率は、リーマンンショック後の0.4台から漸く1を越えるまでに回復しました。 
 
 幸いなことに、当面また急激に円高が進むといった状況は予想されていません。ということは、日本経済は多分回復基調を維持し、その中で、有効求人倍率も1を超えるような状態が維持される可能性が高いということです。

 そうした意味で、雇用の危機は些か遠ざかったということかもしれませんが、これは平均という数字の中でのことで、よく言われますように、現実の世界は「平均」に当て嵌まる人びとはあまりなくて、大体は偏りが大きいのが普通のようです。

 雇用という問題、人間が仕事に就くということが、単に賃金を貰えるかどうかといった単純なことではなく、仕事の中で自分を磨き、人間の成長、社会の安定などなど、広く社会全体の問題に関わるものであることを考えれば、雇用の中身を確りと見ていくことが大事ではないかと思うわけです。

 そんな意味で、残されているいくつかの問題を挙げるとこんなことがあるのではないでしょうか。これらはすべて雇用についての危機感に関わるものでしょう。

① 正規従業員、非正規従業員の問題をどの様に考えていくか。
② 企業の海外展開と国内の雇用の問題をどうとらえるか。
③ 外国人労働力導入の積極化論議をどう考えるか。
④ 大幅に存在すると見られる求人と求職のミスマッチ(仕事の選好み)をどうするか。
⑤ 働くことによる積極的な社会貢献の意義をどう考えるか。
などなど。
 
 こうした問題は、勿論働く人だけの問題ではなく、最近規制緩和論議の盛んな政府の政策の問題、それも、一般教育、職業教育から、雇用・職業に関わる各種の政策まで幅広い分野に及び、同時に企業の雇用についての理念や方針と密接に関わるものです。

 しかし同時に、日本人一人一人が「働く」ということについて、どれだけ確りした考え方を持つかが、こうした問題の望ましい方向を定めるために、大きな役割を担っていることも否定できなしでしょう。

 日本人は、キリスト教をベースにする西欧の考え方(労働は原罪への償い)とは違って、「働くこと」について肯定的・積極的な意義を認めて来ました。「仕事とは人としての道を究めること」よく言われる「○○道」といった思想です。

 経済が長らく停滞したとはいえ、豊かになった日本、経験した長期不況という悪条件、その中で生まれ、た働くことについての暗いイメージ、さらにマネー万能というアメリカからの洗礼などに囲まれ、日本人の本来の「働くことについての考え方」も一部かもしれませんが、汚染されているように思われます。

 自分たちが働くことによってこそ、明るい社会が開けていくという、前向きなイメージと気概を持って、日本経済社会の新たな発展と、人類社会への貢献を主体的に考えるような仕事観を改めて確立することが、雇用の危機からの脱出の仕上げに必要なのではないでしょうか。

雇用の危機からの早期脱出を:企業の視点

2014年05月12日 10時46分58秒 | 労働

雇用の危機からの早期脱出を:企業の視点
 企業収益の改善に伴って、失業率は下がり有効求人倍率は上昇、新卒者の採用状況も好転しつつあります。
 しかしそうした中で、最近の雇用情勢について、何か本来の日本的でない異質なものが十分に咀嚼されずに入り込み、問題を起こしているように感じられるのです。

 今回は企業の視点から見てみましょう。日本的経営は「人間中心の経営」といわれ、企業が人を育て、人が企業を発展させるという「長期的な関係」が主流でした。アベグレンは、これを象徴的にLifetime Commitmentと表現し、それは「終身雇用」と訳されました。

 何処の国でも国民は自らの生まれ育った国に愛着を持つように、日本の産業人は押しなべて自分の企業に愛着を持ちます。それは強いられたものではなく、「この企業で自分は育ってきた」という気持ちからでしょう。

 戦後日本企業はごく自然に、従業員の身分は「社員」一本、労働組合も労職一緒、経営者は従業員からの内部昇進制といた形で、人間集団としての企業の在り方を重視してきました。

 然し、失われた20年の中で、こうしたウェットなあり方は前近代的で、もっとドライなコストの安い、曖昧でなくクリアカットな制度の方が合理的だ、という見方が次第に強くなったような気がします。

 単純作業は非正規従業員で身分も組合組織も別、正規従業員でも能力主義・成果主義を重視し差を明確にする、即戦力を雇用し教育訓練の手間を削減、長期勤続がいいとは限らない、当面コストの安い途上国に事業所移転、国内雇用重視は合理性がない、などなどといった考え方は、現時点でもかなり強く存在するようです。

 日本経済が立ち直れば、こうした合理主義を標榜する行き方は次第に見直され、日本的に咀嚼されたものになっていくと基本的には私は考えています。
 何故なら、こうした考え方は押しなべて「短期的な利益極大」を狙ったもので、本来の日本的経営、人間中心・だからこそ長期的視点の経営とは相容れないものだからです。

 しかし、私が「危機」と感じるのは、アメリカが世界経済を一律にマネー資本主義で塗りつぶそうとしている中で、「短期的利益極大主義」、その実現のためには手段は択ばない(たとえば、額に汗した金もあぶく銭も懐に入れば「同じカネ」)といった考え方とともに、人間とカネの接点「仕事・雇用」においてもアメリカ流のマネー経営学が入り込んでいないか、という点です。

 アメリカ企業トップの報酬が日本のそれと雲泥の差があることはよく知られています。日本人はそれでいいと思っているのです。日本の職場では、仕事が2倍出来て給料は2割増し、3倍出来て3割増しなどといわれ、それが人間集団の凝集力を支えていたのです。

 「乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」では言い過ぎかもしれませんが、マネー中心主義と人間中心主義では物差しが違います。そして両者が競争すると、結局は人間中心主義が勝つのです。これは、経済・経営の主役は人間ですから当然です。

 そして、今、経営者や従業員の中にも、マネー(利益)中心の合理性思想に汚染された人が増えているのではないでしょうか。その意味では、雇用の危機は日本だけでなく世界に広がっています。
 これを率先して正すことの出来るのは、もしかしたら、日本だけかもしれません。(次回は働く人間に視点から)


雇用の危機

2014年05月10日 13時46分56秒 | 労働
雇用の危機
 失われた20年を通じて「雇用」大きな社会問題でした。国際的に見れば低いと言っても、日本としてみれば危機的と認識される失業率の5パーセントを超える状態、就職氷河期と言われた新規学卒者の就職難、雇用者の35パーセントを超えるまでに至った非正規従業員の著増、安定した働き口が見つからない人々が増加することによる社会の不安定化、そうした状態が生み出していく社会の劣化現象、従来では考えられないような犯罪の増加などなど。雇用の不安定は多様な形で社会の歪みを生んできました。

 かつての日本社会は、企業に安定した就職口を得ることを出発点とした社会人の教育訓練システムを作って来ていましたが、就職難、雇用の不安定化は、この社会人としてのオリエンテーション、社会人として成長する方向づけ、動機づけのシステムを破壊したようです。

 企業が雇用しようという意欲、あるいは能力を失うのは、企業が人件費の支払い能力を失うからです。
雇用には必ず賃金がついていなければなりません。雇用能力の喪失というのは、賃金支払い能力の減少というのが真の姿(原因)なのです。

 解り易く「賃金」と言いましたが、正確には「人件費」で、その中には社会保険料や福利厚生費、さらに前述の社会人、あるいは職業人として従業員を育成する教育訓練費も入っているのです。

 正直に言えば、企業は失われた20年の中で、日本経済最大のコストである人件費をぎりぎりまで削ることを強いられ、企業が破綻して、雇用だけでなく付加価値生産(GDPへの貢献)が根こそぎ失われるという悲劇だけは回避しようと努力してきたのでしょう。

 しかし考えてみれば、1990年代から2010年代までに及ぶ「失われた20年」は長すぎました。
 今企業を支える中堅世代は、この悪夢の時代の中で社会人生活を始め、今に至っているのであって、かつて日本経済が「ジャパンアズナンバーワン」といわれ、人間を大事にする日本的経営が世界から注目された時代を経験していないのです。

 こうした状況の中に、私は、これからの日本経済社会における雇用についての危機感を感じています。

 幸い日銀の政策変更で昨年4月、20円幅の円安が実現し、日本経済はデフレ不況に苦しんだ「失われた20年」からの脱却のきっかけをつかみました。
 最近発表の2014年3月期の主要企業の決算は40パーセント以上の増益を記録したようです。しかしこれは大部分が円安によるウィンドフォールプロフィットです。
 これを、安定した経済成長と企業の収益増につなげていくのには、新たな努力が必要です。残念ながらアベノミクスの第3の矢は、あまり期待できないようです。

 日本企業が新しい健全成長の路線を実現するためには、日本人の新たな努力が必要です。
 この努力を引き出し生かすのがこれからの企業の雇用戦略ではないでしょうか。企業の成長は、トップの誤りない判断と指示、それを実現する従業員の力によるしかないのです。

 劣化した雇用を立て直す、明日を見据えた企業労使の誤りない雇用政策への取り組みが、これから本格的に必要とされるように思われます。(以下次回)

力の解決、知恵の解決

2014年05月07日 10時50分09秒 | 国際政治
力の解決、知恵の解決
 前後に2分されたような今年のゴールデンウィークでしたが、忙しい日常から解放されて、多くの方は、何となくホッとする時間が過ごせたのではないでしょうか。

 しかしその間も、世界の多くの地域では紛争が続いています。シリア、アフガニスタン、ウクライナ、・・・・。
 純粋に客観的な意識でニュースを見ていると「人間というのは、まだまだかくも愚かなものなのか」と悲しくというか情けなくなくなってきます。もう少しましな解決策というのを考える余裕はないのだろうかと思う人は多いのではないでしょうか。

 人間はまだ「力による解決」に頼ろうと考えることが多いようです。力による解決は必ず犠牲を伴います。そしてその犠牲は、力による解決を考えた人びと以外の多くの人に及びます。

 力による解決を考えてしまう最大の理由は「意地を通す」という意識でしょう。「意地を通す」か「妥協を図るか」の選択を迫られた時、リーダーは、妥協を図ると多分「弱腰だ」といった批判を浴びるだろう。ここはなんとしても「リーダーとしての意地を見せなければ」と考えるのかもしれません。

 しかし、漱石も「草枕」の冒頭で「意地を通せば窮屈だ」と言っています。窮屈ぐらいならいいのですが、各地の紛争の場合には死者を含め多くの犠牲者を出すことになるのは、皆様ご承知の通りでしょう。

 犠牲者を出さないために必要なのは矢張り「知恵による解決」でしょう。
 紛争の当事者には、どちらにも自分たちとして「通すべき筋」があったり、自分たちにとっての「合理的な根拠」があったりします。だから意地を通そうとするのでしょう。

 日本人は昔から、こういうことは良く解っていて、意地の張り合いが喧嘩になった時は「喧嘩両成敗」という最も単純で解り易いルールを持っていました。
 これも一つの知恵でしょう。

 もう少し深く考えてみれば、人間は誰しも『安全で、より豊かで、より快適な生活』を望んでいます。ですからどうすれば、そうした人間の基本的な願望に沿うベターあるいはベストの解決が出来るか、を基準に判断をすることでしょう。

 連休中には憲法記念日もありました。いま日本でも憲法論議が盛んです。平和憲法が縄文時代に日本人が培った 「争わない」という考え方にマッチしているのではないかということはすでに書きました。

 安倍政権の願いは「憲法9条の見直し」でしょうか。しかし「意地を通す」ための憲法見直しであれば、それは知恵の後退であり、恐らく人命を含む多様な犠牲を生むことに「近づく可能性」を選択することでしょう。

 ここで日本の世論がいかなる選択をするか、これこそまさに「日本人の知恵」が問われている問題という事ではないしょうか。

国債残高8000兆円の意味

2014年05月01日 09時42分39秒 | 経済
政府債務残高8000兆円の意味
 財政制度等審議会は4月28日の会合で「2060年には日本の国と地方の債務残高が8000兆円と今の6倍になる」という試算を発表したようです。
 
 察するところ、こうした数字を発表したのは、こんなことになったら大変だ、そんなことにならないように国・地方の政府は歳出を切り詰め、社会保障費も出来るだけ膨張を抑え、国民は増税も覚悟しなければならないということを、国民に理解させたかったからでしょう。

 国会議員の定数見直しや歳費のカット、失われた20年で民間よりかなり有利になった公務員の給与水準の見直し、もともと民間より有利な公務員年金の是正(年金一元化はいつまでたっても実現しませんね)、などを考えれば、政府関係の身を切る努力はともかく、結局は一般国民に将来に負担増を覚悟させようというのが主な狙いでしょうか。

 しかしこの試算の内容では、国民への警告になっていないように思えてなりません。
 もし50年後に国と地方の債務残高が8000兆円になっていたとすれば、今日1500兆円を超える民間貯蓄残高が、50年後には8000兆円以上に増えて、国民は政府にそれを貸しているという勘定になります。

 今でも日本の国債の95パーセントほどは日本国民の貯蓄で支えられているのですし、今後日本が財政危機になれば、ますます外国は日本の国債など買わないでしょう。

 国債は政府には借金ですが、国民にとっては 最も安全な財産です。私も復興国債などを持っていますが、これは大事な財産で、私が死ねば、子供の財産になるはずです。子や孫に借金しているとは全く思っていません。

 日本経済が名目3パーセント実質2パーセントの経済成長を達成し、プライマリーバランス(基礎的財政収支)を2020年に黒字化したら、「国民は随分政府にカネを貸せるようになるんだな」というのがこの数字の意味でしょう。

 本当に国民に危機感を持たせようというのならば、そんな巨額な貯蓄を国民が持てるはずがない。8000兆円になる前に、国債が売れなくなり、財政は破綻、政府はデフォルト宣言ということになり、国債は紙屑ですよというのが本来説明すべき姿でしょう。

 国民が8000兆円を国に貸すことが出来るというのがいわばベストの状態、その前に日本がデフォルトになるというのが最悪のケースということになるのですが、さて、今回の財政制度等審議会は、この試算で「本当は何を言いたいのか」本音を聞いてみたいものです。