tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

金融、財政大盤振舞いでも「インフレにならない」のか?-2

2020年05月31日 20時59分44秒 | 経済
金融、財政大盤振舞いでも「インフレにならない」のか?-2
 前回は、アベノミクス以来の金融緩和、赤字財政政策が、インフレに繋がらないどころか、政府の目指す2%インフレにもいかない平均すれば1%未満ほどの低い消費者物価上昇率で終わっていることについて「お金をばら撒いても物価が上がらない」という現実を招いているのだろうと考えてみました。

 結論は、いくらお金をばら撒いても、家計がお金を使わなければ物価は上がらないという事らしいとなりました。

 確かに一般的には物価は上がらない、消費者物価上昇率は低いのですが、消費者がぜひ欲しいと思うものは価格が上昇しています。端的に言えば、先ごろまでのマスクです。
 安倍さんはそれを見て、マスクを配れば感謝されるだろうと思ったようですが、お役所仕事ですねえ。国民に届いたころはもうマスク不足は解消していました。

 余計なことを書きましたが、物価は供給量と需要量で決まるのが現実です。
 全く違う分野ですが、今、注目される事がもう一つ起きています。それは株式市場です。

 日銀が上場会社全体の筆頭株主になったという事ですが、株やETFを株式市場から膨大な量の株で買い、国債も大量に買って市中にカネをジャブジャブに出しています。
 その種類のカネは、肉や魚や野菜を買いに行くのではありません。

 大方、株を買いに行くのでしょう。そういえば、昨年から景気が下向きの所にコロナショックが来ても、どういうわけか日経平均は連騰の様相です。
 大手企業も軒並み減益で、人や物の国際移動も困難、この不況は長くなりそうといった見方が多い中で、アメリカも日本の株高です。

 理由は、売りより買いが多いという事でしょう。日銀は昨年末で、538兆円の証券(株式や投信、国債など)を持っていますが、日銀が市場から1兆円の株を買えば、1兆円が株式市場に支払われるわけですから、そのカネでまた株が買えるわけです。

 株式市場で、株を売買する人は「このくらい儲けたからもういいや」といた限度はなく、恐らく、保有する時価総額が数字として増えることが目的でしょうから、先行き上がると思えばいくらでも買うわけで、金融緩和の効果は、物価の上昇ではなく、株価の上昇というインフレを起こし、「カネでカネを増やす世界」で循環しているのでしょう。
 この世界は、近年世界的に急成長して、金融緩和で増加したカネ(マネー)を貪欲に吸収しているようです。

 似たことは、かつてもありました。 土地バブルです、金融緩和で増えたおカネは土地神話に支えられた土地投資に向かい、地価は暴騰しましたが、消費者物価は当時にしては極めて安定でした。

 逆に、 第一次石油危機の時は毎日使うトイレットペーパーや洗剤が無くなったら大変だとパニックになり、消費者はなくなりそうなものを買い増そうとし、消費者物価は1年で22%の暴騰、一方株価は暴落という事もありました。

 つまり、物価は需要と供給で決まるという「ごく当たり前」のことが起きているわけです。

 ところで、財政や金融を緩めておカネをジャブジャブにすれば物価が上がるという考え方は、「人はおカネが手元にあれば何か買うだろう」という考え方で、そこには2つ問題があるようです。

 1つは、借金できても、給料が上がっても、カネを使わないという事もありうる。
 もう1つは、カネでカネを稼ぐというマネーゲームの世界だけでカネが回っている。

こう考えてくると、金融、財政でいくらお金を出しても、今の社会情勢の中ではインフレにはならないと判断しても必ずしも間違いではないという事になるのでしょう。
 では、これからはいつもそうなのでしょうか。(以下次回)

金融、財政大盤振舞いでも「インフレにならない」のか?-1

2020年05月30日 21時30分33秒 | 経済
金融、財政大盤振舞いでも「インフレにならない」のか?-1
 新型コロナ問題が起きる前から、安倍政権は、金融・財政共に、ある意味ではタガが外れたような政策をとって来ています。そして今回の、コロナ対策、金融・財政「何でもあり」の大盤振舞いです。日本経済は安全なのでしょうか。

 金融政策でいえば、日銀は黒田総裁になってから、ゼロ金利・異次元金融緩和で、市中からの国債買い上げ、更にはETFもいくらでも買いますといった具合で、ほぼ歯止め無しの金融緩和をやって来ています。

 財政の方は、麻生財務大臣は時々、財政の健全化は大事ですといった趣旨の発言もしたりしますが、安倍さんの方は財政健全化が大事という考えは殆どないようで、 MMT(現代財政理論)などという経済理論も折よく出てきたので、それを信じているように見えます。

 日銀が「無制限に金融緩和をしますよ」とメッセージを出し続けるのは、黙っていれば円の独歩高になりかねないという危惧からという点で致し方ない面もありますが、財政の方は国民の貯蓄を政府が借りて使ってしまうという点で、何時かは返せなくなってしまう(利払い負担もあり)ので、やっぱりプライマリー・バランス回復の計画も必要という意見は強いでしょう。

 ところで、従来の経済学の常識からすれば、金融も財政も「必要ならいくらでも緩めますよ」などといったら、結果はインフレになって大変という事なのですが、必ずしもそうではないという理論が出てくるのは、それなりの理由があるとも考えられます。 

 「ヘリコプター・マネー」という表現があります。ヘリコプターからジャンジャンお金をまけば、みんながそれを拾って買い物に行くので、すぐにインフレになるという事で、インフレの原因を端的に説明する言葉です。

 基本的には貨幣数量説(物より金が多ければモノの値段が上がるという理論)ですが、アベノミクスの真只中でも、日本の場合は、いくら日銀が金融緩和をしても、政府が赤字財政を繰り返しても、政府・日銀が目標にした 2%インフレ 
にならなかったという日本の経験も重要な参考にして、カネを増やしても、必ずしもインフレにならないというMMTが出来上がったようです。

 このブログでは、今の経済学は、もう貨幣数量説は卒業して、インフレの基本的原因は賃金コストプッシュインフレが主流という見方をしてきましたが、今の日本の経済状態を見ますと、更にいろいろな要因が複雑に絡んでいるように思われます。

 アベノミクスの中では、いくら金融を緩めても、政府が賃上げを奨励しても、なかなか賃金は上がりませんでした。
 更に困ったことに、賃金が多少上がっても、家計は節約志向で、なるべくお金を使わないという現象、このブログで定点観測している、家計の「平均消費性向」が長期的に下がっていくという状況が出てきました。

 つまり、日銀がお金の量を増やしても、政府が賃上げを奨励しても、それば消費需要につながらないという経済現象が、もうかなりの長期にわたって続いているという事です。

 物価の在り方の原点は需要と供給の関係です。金融緩和や賃上げは、需要を増やすために考えられて手段ですが、その機能が果たされない世の中になっているようなのです。

 問題を解くカギの一つはその辺りにあるように思えるというのがここでの問題提起です。

 更にもう1つの問題があるように思いますので、それについては次回取り上げてみたいと思います。

補正予算合計事業規模230兆円でGDPは?

2020年05月28日 22時05分00秒 | 経済
補正予算合計事業規模230兆円でGDPは?
 安倍政権の日本経済への関心は異常に強いようですね、新型コロナがいかに猛威を振るおうと、何が何でも成長路線を維持しよう、という事のようです。

 ケインズ政策を画に描いたような政府支出の大盤振る舞いで、安倍さんは「世界最大の補正の規模と言っています。(内、政府支出=真水は60兆円ほど)
 尤もこれは勘違いで、アメリカは2兆ドル(200兆円)近い真水(国家予算)の補正のようで、FRBの融資枠を含めると600兆円以上という事です。

 それはそれとして、政府の言う、事業規模230兆円というのはどういう事でしょうか、平たく言えば、政府が60兆円使えば、それに刺激されて(それに加えて)、民間が170兆円「消費や投資」に金を使うだろう、だから合計で230兆円という事でしょう。

 もし政府の言う数字が当たっているとすれば、それでは日本経済はどうなるのでしょうか。
 いま日本経済の規模は570兆円です。正確に言いますと、政府経済見通しによれば、2019年度が558.3兆円、2020年度が570.2兆円です。名目成長率は2.1%、実質成長率は1.4%です。物価上昇率(GDPデフレータ0.8%)という事です。

 しかし、民間のシンクタンクは、実質0.5%成長と見ていて、 政府の見通しは希望的観測と見られていました。
 このブログでは、成長率とインフレ率を高くしないと、財政再建目標に達しないからという理解でしたが、結果的に、新型コロナ問題が発生、成長率は10%~20%落ちる可能性も出て来てしまいました。

 お陰で、1年後に、「政府経済見通しは高すぎて、当たらなかった」という汚名を着せられる可能性は消え、政府はホッとしたはずです。

 その上に、新型コロナ禍を防ぐためには、財政再建などには構っていられない、国民の生活を救うためには、赤字国債でもいいからどんどん出すべきだ、という事になって、政府経済見通しは消し飛び、財政再建も消し飛び、プライマリー・バランス達成には歳入が2兆円か3兆円か足りないなどという議論も消し飛び、今度の第2次補正予算では32兆円の国債発行(うち23兆円は赤字国債)を、国民も容認することになるのでしょう。

 コロナ克服という大義名分で、大甘の経済見通しや財政についての不業績は不問になるのでしょう。安倍政権にはまさに「救い」のコロナ禍という事でしょうか。

 ところで、230兆円の規模の補正予算の合計は2019年度のGDPの何%でしょうか? 計算すればすぐ出ますが、230兆円/558.3兆円は41%です。

 これはどういう事かと言いますと、事業規模230兆円の2次にわたる補正予算が、すべてGDPの縮小を埋める「最終需要」として有効に働いた場合、2020年度のGDPが41%マイナス(GDPが前年比51%まで縮小する)としても、GDPは前年度の水準をキープできるという事です。

 コロナ禍で、放っておけば、GDが1割も2割も落ちる(縮小する)という見方はないではないですし、このブログでも3割減という事も考えないではないですし、産業・企業によってはもっとひどいケースも出ないとは言えないでしょう。
 しかし、全産業を総合してみれば、また、1年12か月を通してみれば、縮小幅には限度があります。

 冷静に見れば、GDPの41%という事業規模の補正予算は、異常に大規模という事でしょう。そこまでやって、1年たって、2020年度のGDPがいくらになるのでしょうか。
 
勿論、コロナ禍でGDPがいくら縮小したかは推計するしかないのですが、41%も落ちることはないでしょうから、かなり余りそうです。(余った分はどうなる・・?)

安倍政権の杜撰な経済見通しや財政再建についての不業績は、膨大な財政赤字を残しつつ、「コロナの惨禍がこの程度でよかった」などという中で、忘れられる事になっていくような気がするのですが、こんなことを考えるのはまだ早いのでしょうか。

抗体検査遅々、民間では驚くニュースが・・・!?

2020年05月26日 21時10分15秒 | 政治
抗体検査遅々、民間では驚くニュースが・・・!?
 新型コロナウィルスについては、様々な情報が入ってきます。

 今日は医師会の横倉会長が、加藤厚労相に抗体検査促進についての要望書を手渡したそうです。
 医療現場から担当大臣に抗体検査促進の要望書というのは、なんだか逆のような気がするのは私だけでしょうか。
 厚生労働省が重要政策として抗体検査の実施を決めて、医療の現場に「お忙しいでしょうが、宜しくお願いします」というのであれば、私達も「政府は良くやっている」という事のなるのですが、政府はなにをしているのでしょうか。

 ネットではもっと進んだ情報がみられます。
 民間のクリニックで、「1万円ほどで抗体検査をします」という東京のクリニックの女性週刊誌の記事をコロナ関連ニュースがネットに出ています。
 申し込み殺到という事ですが、このニュースには解説があって、「当クリニックの抗体検査では抗体が IgM か IgG かが解りますというのです。

 IgMというのは、感染した初期の抗体で、IgGというのは、感染した後期に出来る抗体だそうです。それで、未感染の人は抗体がないので陰性、陽性のうち、抗体がIgMの人は他人に感染させる人、抗体がIgGの人(おそらく)もう感染させない人だという事のようです。

 これが「その通り」であれば、抗体検査の重要性は一気に高まるのではないでしょうか。
 例えば、国民1人10万円の給付の内1万円はこの検査の医療券にして、現金は9万円とし、検査体制確立に政府は全力を尽くし、全国民に早期に検査を受けさせることにすれば、輸入技術でも、国産技術以しても、事業規模、100兆円とか200兆円とかいう出費は大幅に縮小可能でしょう。

 政府の財政問題もそうでしょうが、抗体がIgMの人は、入院治療が義務とすれば、その時点で、街を歩いている人はすべて、新型コロナに関する限り安全な人という事になり、社会活動は、コロナ以前と同じことが可能になります。段階的解除も、新しい生活様式のガイドラインも不要です。

 一体何が本当なのか、政府は、常に広範に情報をキャッチし、国民に「正確なことを伝達」する事こそが、最も重要な仕事なのではないかと思うのですが、どうでしょうか。 是非、よろしくお願いしたいと思います。

 また、もしこうした研究が海外や日本で進みつつあるのであれば、日本政府として、こうした研究に対して、どんな政策や見解を持っているか、国民はぜひ知りたいと思っているのではないでしょうか。  

 

新形コロナウィルスに勝つのは革新と創造

2020年05月25日 21時38分51秒 | 経営
新形コロナウィルスに勝つのは革新と創造
 新型コロナウィルスが社会に与える影響については、故なき楽観的な見方がある一方、大変悲観的な見方もあるようです。
 
 楽観的な見方の代表的なのは、安倍総理なのかもしれません。膨大なカネをかけて国民に配りつつあるマスクが、あまり役に立たないのはご承知なのでしょうが、非常事態宣言を全国的に解除して、日本方式は大成功と自画自賛しています。

 一方、悲観論の方では、経済予測のケースが多く、今後数年にわたって経済は異常な停滞をし、失業率は、リーマンショックの時の最高5.5%を超えて、其の2倍にも達するうる可能性があるといったもの、また、新型コロナウィルスは、人間の本性である、人と人の接触、大勢で集まるという行動様式(例えばお祭り)を否定するので、人間らしさを否定して、社会を崩壊させる可能性があるといった評論です。

 政治家が楽観的なことを言うのは、ポピュリズム化した最近の政治行動の中では、当面の国民からの評価を得るために取る当然の行動という可能性もあるでしょうから、実態を注意深く見ておく必要がありそうです。

 新型コロナウィルスが人間社会を崩壊させるという見方については、治療薬やワクチンが開発されて、新型コロナがインフルエンザ並みになれば解決してしまう問題なので、そちらに注力すればいいでしょう。今までも人間は、パンデミックを経験し、解決して来た道です。

 難しいのは経済問題でしょう。経済問題というのは、人間がより効率的に付加価値(GDP)を作って(生産性を上げて)より豊かで快適な生活をするという活動ですから、経済成長がマイナスになったりすると、生活が立ち行かなくなる人が出てきます。

 理由は、GDPの国民への分配は「雇用」され[賃金」を得ることによって行われるのですから、新型コロナで売り上げがなくなって、付加価値生産が不可能になった産業や企業では、雇用が維持できなくなり、当然賃金も払われないことになります。

 そして、最近の世界各国の経済成長は、国際間の連携によって可能になったのですから、国際間の人間の往来が不可能になると、いわゆるサプライチェーンが分断されて、生産が止まったり、国際的な観光客はストップして、関連業界は収入の道がなくなります。

 日本が経済成長しようと思っても、原材料や部品の輸入、部品や製品の輸出が思うようにいかなくなれば製造業も商社も仕事が減りますし、インバウンドで持っていた観光産業は売り上げゼロになりかねません。

 ですから、雇用も賃金もなくなり、生活できない人が増えることになるという訳です。しかも日本だけで新型コロナの制圧が出来ても、海外で出来なければ、回復は、長期に亘り、遅々としたもののならざるを得ないという事になるという訳です。

 これに対して、今政府は、雇用・賃金への補助金を出して、当面を凌いでいますが、政府のカネは無尽蔵ではありません。さて、そうなったらどうしますかという事です。

 いずれにしても大変なことですが、坐して困っているわけにはいきません。これまでも不況の時、日本企業がやって来た事を見れば、何かヒントがあるようです。

 日本企業の強みは、従来、労使が一緒になって取り組める柔軟な労使関係があることと言われてきました。
 「雇用は確保するから、何かみんなで飯のタネを探そう」という姿勢です。戦後の不況期には、鉄鋼産業が鍋釜まで作って売りに歩いたなどという逸話もあります。

 プラザ合意で円高になった時には、鉄鋼会社や電力会社が、温排水を利用してウナギやアワビの養殖をして凌いだこともあります。技術革新が盛んな時期には、繊維産業が化繊、合繊に、更には化学分野に、その他多様な製品転換をしています。
 こうしたことが可能なのは、日本の雇用システムが、職務中心ではなく、「人間」を雇用するという人間中心のシステムだからです。

 今でも、シャープ、アイリスオーヤマといった企業はマスクの生産をしていますし、地場の繊維産業も、高級マスクの生産をしているところが多いようです。
 機械産業では、新型コロナ治療用の医療機器の部品製造に注力してがんばっている中小企業の話も聞きます。
 
 海外進出していた部門を、改めて国内に持ち帰り、国内生産によるサプライチェーンの安定を確保しようという、リスク対応、長期的視点に立った経営を重視するところも出ています。
 
 新しい環境変化は、必ず新しい何かを必要とします。そうした新規需要に向かって革新と創造で何らかの道を切り開いていくことが、サバイバルに必要というのが、こうして変革時の現実なのではないでしょうか。

 日本的経営の根幹である「人間中心の経営」が、こうした企業の創造と革新を可能にするというのは、このブログでも、富士フイルムとコダックとの比較でみてきたとおりです。

 企業の大小はあっても、革新と創造が企業生命の基本であることは同じでしょう。悲観論を述べる評論家は、恐らく、こうした企業の新たな取り組みを促すために発言しているのではないでしょうか。

 日本企業のバイタリティーが、新型コロナ問題の企業、経済面においても、改めて、その力を発揮するであろうと確信しながら、あえて、こんなことを書いてみた次第です。 
 

 


「全面解除」でコロナ問題解決に近づくのか?

2020年05月23日 15時27分05秒 | 政治
「全面解除」でコロナ問題解決に近づくのか?
 政府は今週から「緊急事態宣言」の全面解除に踏み切るようです。
 東京、神奈川、北海道の「数字」がなかなか下がらず、解除が持越しになっていましたが、もういいだろうという事でしょうか。

 「数字」というのは人口10万人当たりの新規感染者数で、0.5人を以下が主要なメルクマールという事ですが、今日になって東京や神奈川は新規感染者が2ケタになり、明日、月曜の数字を見なければ、不安といった声もあります。

  政府としては早く全面解除で、成果を誇りたいところでしょうが、現実は思惑通りにいくとは限りません。
 もともと感染していても、検査を受けていない人や、検査を 受けられない人がどのくらいいるかは解っていないという状態の中での数字ですから、統計的に言えば、意味のない数字ですが「多分実態に近いだろう」という事で使っているのでしょう。

 その証拠には、「解除」になっても、3密はダメ、ソシアル・ディスタンスは守れ、もし、リバウンドしたら、元に戻すといった警告がついています。
 つまり、統計には乗らないけれど、感染して、他人にうつす危険性のある人があちこちにいますよ、という前提での「解除」なのです。

 それも、感染経路の解らない感染もまだまだあるのですから、「解除」で、外出OKだからと出て行って、たまたま感染したら、すべて自己責任です。私のような高齢者は、感染したら多分アウトですから、そんな感染の確率があるのに「解除」という言葉に浮かれて、不要不急の外出など、とてもできません。人出が多くなれば、恐怖心が先に立ちます。、

 考えてみれば、結局は、感染をして「他人にうつす可能性のある人」がいなければ、何人何処に集まっても構わないわけですから、そうならなければ究極の安心はないわけで、必要なことは誰もが、「感染の確率が限りなくゼロに近い」と認識出来るような状態を政府が作れないことが問題なのでしょう。

 人間は、確率100万分の1になればゼロと認識するのだそうで、平気で飛行機に乗ったり、車を運転したりするのは、そうした認識の結果でしょう。

 新型コロナの場合でも、みんなが抗体検査をして、抗体があれば、すぐにPCR検査が出来て、感染初期か、治ってしまっているのか解るぐらいの対新型コロナ対策のレベルに早く持っていくことが、問題解決の基本でしょう。もう出来ている国もあるようですから。
 その前に「解除」だとか言ってみても、TVの街頭インタビューでも「やっぱり怖いからなるべく出ません」などという答が多いのでしょう。

 科学技術立国などと言っていた日本ですが、こうした面では、ドイツ、中国、韓国、アメリカなどよりも、大幅に遅れているようです。
 
 国民が真面目で慎重で、行動が賢明であるがゆえに、感染者、死亡者の発生率が低いのをいいことに、根本解決への努力をなおざりにするような政府でないことを、心から願うところです。

我が家の庭はホタルのシーズンです

2020年05月23日 15時27分05秒 | 環境
我が家の庭はホタルのシーズンです
 この所、世の中は新型コロナばかりで、このブログでも、我が家のホタルのことは取り上げて来ませんでしたが、もうそろそろホタルのシーズンです。


 写真は、幼虫を放流し、自力で上陸して繭を作り、羽化するようにと、狭い庭に一部を藪にして、ホタル用に環境を整えた「つもり」のU字溝と藪です。
 幼虫が上陸し易いように、芹などを水中から伸ばし、上がってくれば藪に入れるようにしています。並行している金属の枠は、もともとU字溝の蓋ですが、整備用の足場にし、その下を幼虫が自由に通って藪に入れるようにしているものです。正面に黒く映っているのは「雨水タンク」で、カーポートの屋根から雨水を取り、下の蛇口を調節しながらU字溝に水を落とします。
 
 おそらく来週にはゲンジボタルの羽化が始まるでしょう。羽化から始まり、出来るだけ集めて籠に入れ、産卵をさせて1か月ほどで孵化、夏の暑い盛りからは、生まれた2㎜程の幼虫を、発泡スチロールの箱に東京水道水の水槽で、カワニナ(野川から採集)を餌にしてで育て、5回の脱皮を屁て翌年4-5月に庭のU字溝に放流、5-6月に羽化、そして採集、産卵というのサイクルの始まりです。

 昨年は、ゲンジの幼虫はカワニナをうまく食べられなかったせいか、小さいうちに全滅、ヘイケは数百匹の孵化幼虫から、最終的に85匹が終齢を迎え、5月の9日にU字溝に放流しています。

 失敗したゲンジの方は、養殖業者から種ボタルとして幼虫を仕入れ、4月の17日に発泡スチロールの箱から直接上陸させています。現状はゲンジ、ヘイケとも写真のU字溝の周りの藪の中で地に潜って繭を作り、その中で変態して羽化の準備をしているところでしょう。

 5月下旬にはゲンジが羽化し、大体1月遅れでヘイケが羽化します。毎晩、今夜は何匹羽化したと集めるのが大変になります。
 羽化したホタルの写真が、なかなかうまく撮れないのですが、巧く取れましたら、ブログでご紹介したいと思っています。
 ホタルの飼育は、もう何年も成功したり失敗したりで続けていますが、狭い場所でも雨水利用で蛍の飼育が出来れば、面白いのではないかと、ノーハウを積み重ねています。

対新型コロナ:日本経済急落と再生:2

2020年05月21日 18時09分53秒 | 文化社会
対新型コロナ:日本経済急落と再生:2
 政府が今までやったことは、マスクの配布(まだ来ていない所が多い)、1人10万円補助、企業への補助金、その増額、企業の資金繰り援助、雇用調整助成金の増額、などいろいろありますが、残念ながらすべて「後追い」の感を否めません

 こうした政策はもちろん必要ですが、そのプロセスから感じられるのは、国民への安易な迎合、いわゆるポピュリズム(人気取り)的な意識です(野党も同様)。
 本当に新型コロナ禍の起こす問題に、適切に合理的にその終息を目指す戦略といった面では認識が大幅に遅れていたように思われてなりません。

 例えば、コロナ禍の影響は極めて不均等に企業や個人を襲います。この「豊かな日本」の中で異常な所得格差が発生して、貧困に苦しむ人々が増え、社会を不安定にしていくのが新型コロナウィルスです。
 この是正は基本的に政府の役割でしょう。政府の対応は迅速で的確でなければならないのですが、現実は後追いとバラマキが目立つものでした。 

 さらに言えば、新型コロナ問題の本当の解決は、新型コロナウィルスの制圧、別の言葉で言えば、新型コロナがインフルエンザと同様なものになり、通常の生活でそれと共存できるといった状態を実現することでしょう。この視点は未だに大幅に欠落しているのではないでしょうか。

 治療設備の充実、治療方法の改善、治療薬やワクチンの開発といったものが決定的に重要な、まさに問題解決のカギですが、そちらの方への強力な関心はなかなか見えません。
 
 これは現政権だけではありません。我が国では、医療を含め研究開発関連の予算は長期にわたり、 削りに削られています
 コロナ問題に関して言えば、典型的には国立感染症研究所の予算も人員も削減され続けている現実があります。研究開発軽視はこれは与野党共通のようで、民主党政権の時には「スーパーコンピュータは世界1位でなくては駄目ですか。2位では・・・」という言葉が有名でしたが、スパコンの速さは創薬の加速化にも欠かせないようです。

 コロナで問題になった医療設備の不足については、ドイツが、ロベルト・コッホ研究所の予測と提言を容れて感染症の病棟、人工心肺などの医療設備を、先見性を発揮して充実させていたのとは雲泥の差です。

 PCR検査の制限、抗体検査の遅れに対しては、民間企業の垣根を越えての協力や地方自治体のホテルの病室転換などの機転もあり、国民の自制もあって、初めて医療崩壊を免れた(院内感染の多発などは崩壊と言えるのかも)というのが実態でしょう。

 因みに、適切な比較かどうかは別として、国立感染症研究所の年間予算40億円、アベノマスク配布費用690億円という数字を掲げておきましょう。

 コロナで急激に落ち込むことになる日本経済ですが、恐らくそう遠くない将来(医療、医薬の進歩を考えて2年程度という意見を聞きますが)、コロナの制圧とともに、日本経済は急回復期に入るでしょう。

 その時を早く迎えるために何をすべきか、その時の回復をより順調なものにするために何が必要かを準備する先見性、洞察力が政府の政策には必須です。

 国民は政府よりよほど賢明で、個人も企業も、そうして視点で、政府の顔も立てながら、懸命に頑張っているのではないでしょうか。
 たとえ政府のバラマキ政策であっても、国民はそれを出来るだけ無駄の無いように賢く使うでしょう。
 
 現状では可能なことは感染防止のため人の接触を最小限にすること、これは経済活動を大きく落ち込ませます。しかし、それを凌ぐことしか手段はありません。大事なことは真剣に徹底して凌ぐことでしょう。ただし更に大事なことはその中でも、経済回復の時期への準備だけには、最大限の努力をすることでしょう。

 そして同時に、新型コロナウィルス制圧のための研究開発に徹底してヒトとカネをつぎ込む事です.開発期間は注ぎ込むヒトとカネの量に反比例して短くなるはずです。

 経済回復期に向かっての準備には政府のバラマキも役に立って民間は適切な準備をするでしょう。
 あと、真に望まれるのは、新薬やワクチンの開発のために政府がどこまでやるかです。 第1次補正予算では情けない状態なのではないでしょうか。第2次補正でどこまでやるか政府の真剣さが問われるところでしょう。

対新型コロナ:日本経済急落と再生:1

2020年05月20日 17時49分22秒 | 文化社会
対新型コロナ:日本経済急落と再生:1
 先日、今年1-3月のGDPが発表になり、前期比マイナス0.9%、年率換算マイナス3.4%の落ち込みと発表されました(実質値)。これからの大きな落ち込みを示唆する、いわば微かな兆しの様なものでしょう。

 4月、緊急事態宣言、5月一部解除、ですが、まだ安心は禁物とのことです。
 マスコミも、これからGDPのマイナス20%ぐらいを覚悟する必要があると警鐘を鳴らしています。恐らくその通りでしょうし、一時的にはもっと大きい落ち込みの可能性もあるように思います。

 経済活動(GDP)は、生産、分配、支出の3面等価で計算されますが、いまの経済は支出主導、つまり消費主導が大きいようですから、消費が減れば生産も分配も(現実にはかなり不均等な形で)減ることになります。

 前期1-3月の統計では家計の消費はマイナス0.8%で年率換算マイナス2.8でしたが、4月からは大幅減でしょう。
 家庭生活が「stay home」という事になると、新幹線も国内航空も9割減といったことになっています。
 食料品消費は大きくは落ちないでしょうが、観光地のホテル、旅館や街のレストランやカフェ、スナック、バーなどは来客ゼロで、出来るところは出前やテイクアウトに切り替えて少しでも凌ぐ努力中ですが、容易な事ではありません。

 旅行関係の企業やお店の売り上げが減ればそれは従業員を減らしたりボーナスや給与を一時的に下げたりでさらに業務上の支出を減らします。企業も当面設備の新設や更新はしないでしょうから設備投資も落ち、経済は加速度的に縮小するのです。
 この影響は4-6月の統計からはっきり出て来るでしょう。GDPの減少幅は桁違いに大きくなると思います。

消費者物価統計によれば、消費支出100のうち、食料の比率は26%、住居21%、水道光熱7%、家具家事用品3%、衣料4%、保健医療4%、交通通信15%、教育3%、教養娯楽10%、諸雑費6%です。
食料のうちの外食、衣料、交通、教養娯楽、諸雑費(合計40%)などは多分大幅減になるのではないでしょうか。関係業界は塗炭の苦しみでしょう。

 消費面だけから見ても事態は深刻です。これに輸出入の停滞、訪日観光客急減、国際的なサプライチェーンの分断などなどが加わります。海外からの原料や部品が入らない。製造現場も深刻です。

 こうしたGDPの縮小(経済のマイナス成長)は、世界中どこの国も避けられないのです。アメリカを始め、多くの国が、新型コロナ感染の危険を冒してまで、経済活動の維持に躍起になっているのは、「新型コロナウィルスのもたらす経済縮小を国民が我慢できない」、「この侭では政権担当能力を問われる」という危機意識でしょう。

 つまり、政権担当者は、コロナ感染を防ぐか、経済縮小を防ぐかの二者択一を迫られているという強迫観念の中にあるのでしょう。
 ここで、政権担当者に誤った選択をしてもらわないために、国民は何ができるのでしょうか。
 
 最も重要なことは、国民が「(一時的だが)今は非常時、」という意識を共有し、GDPが縮小するのであれば、自分の生活水準が同程度の縮小になることも許容する心構えを持つ事が必要でしょう。
 しかし、コロナ禍の経済的影響は、業種や職種によって極端な格差を生じます。そしてこの格差発生への対応は多分、中央、地方の政府の仕事になるのでしょう。

 もちろん、コロナ禍の期間は永遠ではありません。例えば2年程度で克服可能という見方は、専門分野の方々にも多いようです。そしてその期間は政策宜しきを得れば、平常時に戻るための苦しくても前進の期間です。

 そして、新しい平常時への到達の時を出来るだけ早くするためにも、感染の防止、社会の安定への国民全体(企業・個人)の協力、相互扶助体制が大事でしょう。これまでの日本社会は、かなり上手に、このプロセスを辿って来ているように感じられます。

 では、政府は何をすべきでしょうか、この問題も確り考えておかなければならないと思います。(長くなりますので以下次回)

「新しい生活様式」は国民が創るもの

2020年05月18日 16時17分55秒 | 文化社会
「新しい生活様式」は国民が創るもの
 この所、政府の言葉の使い方に違和感を感じることが多くなりました。
 格好良い言葉を使っていますが、実体とはかけ離れた言葉を、なぜか無理して使い、それで何とか国民に立派な政策をやっているように見せようというのでしょうか。

 過日も、緊急事態宣言について、「「解除」ではなく「一部緩和」が国民の理解のようです」と書きましたが、実態はどう考えても「解除」ではなさそうです。

 解除というのは「解く」と「除く」ですから「もう緊急事態は終わりました」、普通の生活に戻って結構です」でないと「解除」ではないでしょう。
 「解除」の実態は、3密ダメ、クラスターは作らない、なるべくstay home、・・・などの条件を満たして、一部のお店の開業も可・・・、これで「解除」でしょうか?

 そして今度は「新しい生活様式」です。
 中國が、少し前に「 新常態」という言葉で国民を指導しました。巧い言葉を考えるものだと感心しましたが、一党独裁の中央集権国家だからそれでいいのでしょうが、日本は、自由主義、民主主義の国です。国民生活の在り方を政府に指導してもらう国ではありません。

 それでも、国民が何とか納得して政府の作る事細かな実践例などを素直に受け止めて、努力しようというのは、新型コロナウィルスの猛威が収まるまでは、出来るだけ皆さんにご迷惑をおかけしないように心がけようという気持ちが強いからでしょう。

 という事は、政府の「新しい生活様式」の実態は、対新型コロナの規制をある程度緩めますが、油断はしないでください、という事です。
 それで「再発があったらすぐ引き締めます」、「巧く行ったら、もう少し緩めます」という事ですから、特に成算や自信があるわけではなく、感染も減って来たし、外国もやっているから日本もという事でしょう。

 「新生活様式」というのは、「当面少し緩めてみます」というだけ事で、この生活様式が、今後の日本社会のスタンダードということではないのです。
 それなら「第1段階の緩和」とでもいった方がずっと正直で解り易いでしょう。

 本気で政府が国民のために「新しい生活様式」を示すなどという事は、日本の社会では無用なことで、コロナ後の新しい社会構造、国民生活の姿は、国民全体、企業や種々の組織などなどが、新型コロナの経験にも学び、おのがじし多様な工夫をし、5Gや新しい自然や社会環境によりよく適合するように時間をかけて創り上げていくものでしょう。

 最近の政府は「真摯に丁寧に」というように、言葉で格好をつけ、現実にやっていることは、マスク2枚が忘れたころに届くとか、1人10万円も、折角のマイナンバーを使ったら、却って手間がかかるとか、どさくさに紛れてまた国会で強行採決をしようとか「国民のため」などは置き忘れ、政権の維持に汲々とするポピュリストの様相が見え見えという感じが強くなってしまっています。(太平洋の向こうでもそんな具合ですが)

 にも拘らず、国としてのパフォーマンスが、それなりの水準を維持しているとすれば、それは、国民が己を律し、立派な行動をしているからという事に尽きるでしょう。
 政府には、真面目に努力する国民の態度を見習ってほしいと思うばかりです。

新型コロナウィルス対策に一条の光

2020年05月16日 14時05分30秒 | 科学技術
新型コロナウィルス対策に一条の光
 既にご承知の方もいらっしゃると思いますが、今日、奈良県立医科大学の矢野教授のグループが、オゾンによる新型コロナウィルスの不活性化の成果を確認したという新たな研究の結果が発表されました。

 オゾン発生器でオゾンを発生させ、ノロウィルスやインフルエンザウィルスを無害化することは知られていましたが、昨日までは新型コロナウィルスについてはオゾンの効果が確認されていないというネットの記事しかあっりませんでした。

 最近,オゾン発生器メーカーが超繁忙というニュースは見ていましたが、早速に成果が出てきたという事でしょうか。世界初という事ですが、まさに画期的、新型コロナウィルスに対する対抗手段を人類が持つことになったことを、こうした成果が日本発で出されたことを、心から歓迎したいと思います。 
 

「解除」ではなく「一部緩和」が国民の理解のようです

2020年05月15日 16時09分55秒 | 文化社会
「解除」ではなく「一部緩和」が国民の理解のようです
 新型コロナかに対する「緊急事態宣言」は、14日、39県で「解除」という事になっています。何か「ホッ」とする感じです。
 国としては「もう緊急事態ではない」と宣言し、後は当該県や業界の方針でという事のようです。

 テレビのインタビューで、街の方がたの声を聞いていましたが、ほとんどの方は大変慎重で、「解除になっても十分気を付けて生活します」という感じのご発言でした。
 お店などをやっておられる方々も「店を開けられるのは有難いが、感染防止は気を使いますね」と店の殺菌、清拭などに励む姿が映っていました。
 政府は「解除」という言葉を使い、マスコミもその通りの言葉づかいですが、街の方々の受け取り方は、「解除」とは程遠く、未だまだ、緊急事態の範囲内とお考えのように感じたところです。

 政府は、出来れば月内にも東京なども含め、「解除」宣言をしたいといった様子ですが、私自身、政府が解除宣言をしても、東京都の意向の尊重は勿論、例えば、中央線の電車に乗って、都心まで出て行くような場合には、先ずは出来るだけ避ける、行くとすれば、細心の注意をしなければと考えるでしょう。

 政府の持っているデータは、基本的には、感染者の数がどの水準まで減ったかという数字ですが、これは検査を行ったケースの中からの結果ですから、検査をしていない人がどうなっているのかは全く解りません。

 仮定としては、検査をしていない人は多分全員感染していないのだろうという事で出されている数字です。この仮定による誤差がどのくらいあるかは全く解っていないのです。

 こうした統計的な危機管理の杜撰さもありますし、さらに問題なのは、今、感染者が減ってきているのは、明らかに「緊急事態宣言」のお蔭です。
 ですから、緊急事態宣言が解かれ、部分的のも、規制が緩和されれば、その分だけ感染者が増える、リバウンドはあって当然、というのが常識的な結論でしょう。

 にも拘らず感染者がそれほど増えなかったとすれば、その理由は多分、
① 規制がきつすぎて、そこまで強くしなくてもよかった
② 希薄感染による無発病の抗体保持者が増えた(所謂社会的免疫状態の発生)
③ 宣言を解除しても、国民(県民)が、確り感染防止の努力をした
のどれかになるのではないでしょうか。

 これらのうち、①は、新型コロナウィルスという未知の相手ですから仕方なかった、②は、いまだ学術的にも説明できていない、そしておそらく真実に最も近いのは③ではないのかと考えるのが適切なのでしょう。

 マスク2枚から始まって、PCR検査、医療体制の整備、抗体検査まで、後追いあとおいの政府の政策にもかかわらず、現状、世界でも有数の、対策成功の国の仲間入りをしている現実は、ひとえに、真面目で賢明な国民の行動の在り方によるという事を政府は十分認識してほしいものです。

何とか感染のリバウンドがあまり深刻にならなかったとしても、いやしくも、政府は、国民の手柄を自分の手柄と読み違えるようなことはしないでほしいと思っているのですが、如何でしょうか。

対コロナBCPの主要視点は「雇用」の継続で

2020年05月13日 20時37分54秒 | 経営
対コロナBCPの主要視点は「雇用」の継続で
 新型コロナ対策も、それぞれの国で、少しずつ変化を見せているようです。
 感染防止一辺倒だった頃から、経済活動の極端な抑制、失業多発による社会不安対策を危惧し、ある程度の無理は承知で、所謂「出口戦略」へ、具体的には経済活動の漸進的再開への動きが取られ始めています。

 これに合わせるようにBCP(事業継続計画)も急速に注目されているようです。
 BCPとは天災や事故、騒乱、疫病などで、事業の安定継続が不可能になった場合、その再開を見通して「いかに合理的、効率的に早期の順調な事業再開につなげる態勢を準備していくか」という手法です。

 当然、災害の種類によって計画の内容は違います。例えば、東日本大震災のように、工場や店舗、記録やデータが失われるような災害もありますし、その中でも原発に関わる場合はまた特別の問題が発生します。

 然し今回の新型コロナ問題でいえば、工場や店舗、記録やデータはそのままですが、人間の接触や移動が制限されたことで、生産面でも消費面でも、人間の経済活動が規制され、多くの産業で生産活動と消費活動がともに急減し、企業は売上減、収益減など経営内容の悪化といった危機に陥るという事になります。

 売上減の中でコスト、人件費や賃借料の支払いは継続して発生です。工場や店舗はあっても仕事が出来ないのですから、資金繰り、賃金・雇用問題が中心になります。

 そこで問題をどう考えるかですが、先ず考えなければならないのはこの状態がいつまで続くのかです。
 現実問題として、治療薬、ワクチンの開発を考えれば、恐らく2年程度ではないでしょうか。新型コロナがインフルエンザ並みのものになる時が終点でしょう。
 そこまではGDPが1割、2割下がるような経済状態が続くでしょうが、その時点が近づけば、回復は早いでしょう。

 戦後日本の経営者は、高度成長期の中で、不況は政策や努力で克服できるものと考え、エネルギー転換も、戦後最大と言われた昭和40年不況も、更には二度のオイルショックによる不況も乗り越ええ、日本経済を世界屈指の規模に育てました。
(異常な長期に亘った平成不況については「 「平成という時代シリーズ」などをご参照ください)
 
 その経験から言えば、不況抵抗力、立ち上がりの時の素早さは、労使が雇用維持を第一義として、経済が悪ければ賃金を下げても雇用を継続し、一旦環境が好転すれば、勝手知ったる従業員が直ちに活動を開始するといいうBCPの最も基本的な要素を外さなかった所にあると言えるようです。

 こうした経験を顧みながら、現状のコロナ不況を考えれば、政府が種々の支援策を打ち出していることも踏まえ、その中でも特に「 雇用調整助成金」の活用を重点に、雇用維持に注力することが、出口戦略の着実な成功の要になるように思うのですがどうでしょうか。

2020年、今年もカルミヤは満開です

2020年05月12日 19時50分13秒 | 環境
2020年、今年もカルミヤは満開です





 一昨年5月、「カルミヤの花は小さな1輪もいいですね」を2枚の写真を添えて載せました。

 その後、昨年も今年も5月になると、そのページへのアクセスが多くなって、カルミヤの花はやっぱり人気があるのかなと思っています。
 一昨年も書きましたように、我が家のカルミヤは、手入れが行き届かないせいで、綺麗に花をつけるのは1年おきという事になってしまっています。

 今年は早く暖かくなりましたが、カルミヤの満開は一昨年より遅いようですが、写真のようにようやく満開です。
 2年前のページに、連日多くの方からアクセスいただく御礼も兼ねて、今年のカルミヤの写真を載せた次第です。

 今年は、出来れば、花のあと、花柄を確り取って、1年おきでなく、来年も綺麗に咲いてくれるようにしたいと思っています。
 



出口戦略への条件はそろっているのか?

2020年05月10日 20時28分30秒 | 政治
出口戦略への条件はそろっているのか?
 コロナ対策先進国がそろそろ所謂出口戦略に進む動きを見せる中で日本政府も日本なりの出口戦略を言い始めています。

 出口戦略にも大きく2種類があるようで、一つは感染者が減り、医療体制に余裕が出てきて来たので、徐々に規制を緩めるという考え方、この場合は、もし感染増が起きればすぐに引き締めに転じるという条件付きです。
 もう一つは、感染に関わる全体的な医科学的なデータを得て、そこから今後の感染対策の可能性を推定し、それを根拠に段階的に規制を緩めるという考え方のようです。

 日本の場合は前者に似ていますが、PCR検査体制も、ICUや高度の医療機器もそれほど余裕が出来たとは思われませんが「よそがやるからウチでも」という事でしょうか。
政府説明は、外出禁止などの徹底で、感染者数も、調査した中での感染率も減って来たからという事のようですから、外せば元に戻ると考えるのが普通でしょう。当然出口への確信はなく、国会でも筋違い答弁が目立ちます。

 中国は観光地などの立て看板のQRコードをマホで読み取ると自分の感染状況が解るようになっていて、それで対応が決まるという現地の状況がTVで放映されていましたが、さすが一党独裁の国です。個人情報は確り管理されているようです。

 アメリカは州や市にもよるのでしょうが、ロスでは全員にPDR検査、ニューヨークでは抗体検査キットを各戸に配り、抗体があれば多分感染しないだろうという前提で、制限の緩和、経済活動の再開を急いでいるようです。

 日本の場合、PCR検査体制も全く不十分で、検査を受けていない人が国民の大部分でしょうし、その人たちは(私もそうですが)感染していないのか、感染したが、無症状で済んでいるのか(抗体が出来ているのか)、も解らず、つまり、新型コロナ感染の調査からは除外されているのです。

 現状は、外出禁止令で感染が小康状態という事ですから、どう考えても、規制が緩められたら心配というのは当然でしょう。出口戦略は、あくまで手さぐり、腰だめで、「緩和してみよう、ダメだったらすぐ元に戻す、上手くいったらラッキー」という感じです。

こうなると、私のような年金生活者はまだいいのですが、規制緩和で出勤指示が出た企業の従業員などは大変です。マスクと手洗いだけで、新型コロナウィルスに立ち向かうわけで、ラッシュアワーなど避けられないケースも多いでしょう。

 現実に、国民の大部分は、心して規制を守り、運も良く新型コロナウィルスとは無縁で済んでいた、という事でしょうから、規制が緩められれば、抗体も持たず、新型コロナ流行初期の社会にマスクと手洗いだけの防備で改めて出ていくことになるわけです。

 もう少し科学的、病理学的な正式な統計的なデータを把握して、コロナ先進国のように、かかりつけ医や家庭でキットを活用、PCRや抗体の有無も容易に判定でき、客観的な根拠があって、初めて腰だめでない「出口戦略」の策定もが可能になるのでしょう。

 第2次補正予算の検討が始まっているようですが、第2次補正予算では、遅れに遅れている科学的データを把握出来る体制を早急に >国家的事業として構築するための、人材と研究開発設備への徹底した「予算投入」を行うことが、遅蒔きながら最大のコロナ対策だと、政治家各位に気付いてほしいものです。