tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2007年4月~2009年9月までのテーマ

2009年09月30日 14時30分33秒 | インポート
2009年9月 内需拡大と労使の役割   なぜ内需拡大が必要か  雇用問題の改善と労使の役割  規制の役割  Readerでない閣僚に好感  規制とルール  合理的な賃金原資・賃金水準とは:ロンドンG20に思う  ロンドンG20に思う―その2  リーマンショック1年  自民党の惨敗は公務員のあり方否定の意味も

8月 介護充実で雇用増を可能にする条件  生産性、付加価値分配、雇用  失業率5.7パーセントに  企業経営の理解のために  最低賃金引き上げ論議  戦後64年、日本人と平和のルーツ  経済の再活性化:自信を持って自ら行動できる国に  「戦争で景気回復」論議とケインズ政策  日本経済活性化の実現に向けて  日本経済再活性化の可能性を考える その7  

7月 米中会談 大人の関係へ?  日本経済再活性化の可能性を考える その6  日食 都下国分寺でも  金融工学の欺瞞  日本経済再活性化の可能性を考える その5  年金運用損9.7兆円  日本経済再活性化の可能性を考える その4  日本経済再活性化の可能性を考える その3  日本経済再活性化の可能性を考える その2  日本経済再活性化の可能性を考える その1    

6月 経済発展と戦争  経済成長の原動力 その3  経済成長の原動力 その2  経済成長の原動力 その1  キャピタルゲインで年金原資?   日本経済のバランスの悪いところ その3:マネーゲームが不得手であること  使いたくてもカネがないという意見も  頭を使った経済政策の例  日本経済のバランスの悪いところ、その2:輸出依存症  日本経済のバランスの悪いところ、その1:黒字(貯蓄)大国  日本経済再生のための点検 、 GMの再生とアメリカの再生 、 どんな経済社会が望ましいのか
5月 賃金決定基準と巨額報酬  「確定利付き」への郷愁  「即戦力」への疑問  不況の違い、対策の違い  価格引下げ競争の愚  先物、レバレッジ、デリバティブ  低失業率維持する日本   強いドル望むアメリカ?  派遣切りと人件費問題

4月 リスクの取れる経営  余裕のある経済、ない経済  資本主義改造の方向  資本主義改造の方向  アメリカとケインズ政策  頭を使った経済政策  桜咲く  空売り規制は当然  スマートグリッドに思う  経済学とEconomics 、  ロンドンG20、アメリカはどこへいく 、 茹で蛙と自動警報装置
   
3月 資本主義改造計画  経済は回復基調へ  日本型ワークシェアリング合意  2つのアメリカ  G20と政府の経済対策  投機マネーの巨大化と時価会計  軍隊と警察  一雨ごとの暖かさ  評価すべき電機連合の決断  進化を試される資本主義 、 雇用保険2事業に思う
   
2月 アメリカの今後と日本の対応  付加価値と利益  総資本付加価値率  スタグフレーションを避けよう  量から質の社会へ  どうなる?アメリカの資金調達  高付加価値化の手段: その8、技術革新の人間的側面  為替レートとゴルフのハンディ  非正規雇用問題に思う-2  非正規雇用問題に思う-1  

2008年1月 高付加価値化の手段:その7、知識の商品化  アメリカはどこへいく、日本は、アジアは?  アメリカはどこへいく?  個人と国家  非正規労働者とエンプロイヤビリティー  高付加価値化の手段: その6、製品・商品戦略  ワークシェアリングへの誤解  実体経済の力強さ  容易でないアメリカの回復  高付加価値化の手段: その5.差別化 、 日本の役割の自覚を始める年に

12月 資本主義の歴史に残る年(2008)  おかしな英語教育問題  金融資本主義の行方  高付加価値化の手段:その4、コストダウン  100年に一度の不況?  家計分配率  非正規雇用の比率  豊かな社会とセーフティーネット  雇用削減までにやること  改めて、人間中心、長期的視点の経営を、   高付加価値化の手段: その3、高加工度化、 12月8日を過ぎて、 高付加価値化の手段:その2、技術革新、 物価上昇分をベースアップで・・・、  日本経済回復に向けて

11月 メンタルヘルス問題の背景  高付加価値化の手段: その1  中国、最低賃金引き上げ凍結  G20と金融世界  定額給付金トラブルの怪   太陽光発電でドイツ先行  資本生産性  アメリカ大統領選 とChange

10月 GM、GEの自己資本比率  政府の信用  レバレッジとデリバティブ、金融資本主義の行方  デリバティブズとレバレッジ  リスクヘッジとレバレッジ  自己資本比率とレバレッジ  レバレッジ考  日本経済の健全さ  マネーと実体経済  Leader と Reader

9月 バランス経営  季節も景気も秋?  景気回復策あれこれ その5  景気回復策あれこれ その4  景気回復策あれこれ その3  景気回復策あれこれ その2  景気回復策あれこれ  年功賃金考 その2  年功賃金考 その1

8月 駄洒落と人間関係  経済と景気  太陽光発電  玉音放送と承詔必謹  経営者とは何か(その3:新しい資本家の登場)  経営者とは何か(その2:経済社会の調整役)  経営者とは何か(その1:経営者革命)  総資本回転率

7月 名ばかり管理職  生産性向上の手段 その2  原油価格の反落  地球収奪の愚  原油高騰への対処  日雇い派遣問題の本質  サミットの効用  年金運用損5・8兆円  5Sの起源

6月 経営道義、企業倫理  コンビニと付加価値  世界インフレの構造と対応  何で安い日本の金利  「失われた10年」:ダブルデフレ  デフレの原因(その2)  デフレの原因(その1)  三権分立、残業、居酒屋タクシー  途上国支援のあり方  居酒屋タクシー、 政府系ファンド(SWF)、日本の場合、  QC活動は残業
   
5月 スタグフレーションとは  石油危機後日談:ジャパンアズナンバーワン  生産性向上の手段  インフレの原因(その3:自家製インフレ)  インフレの原因(その2:輸入インフレ)  インフレの原因(その1)

4月 付加価値と生産性  「キャピタルゲイン」と「インカムゲイン」  日本人とバランス感覚  間接金融か直接金融か  中国:インフレの進行と人民元上昇  サブプライムローン関連損失97兆円  tnlabo’s blog 2007年度までのテーマ

内需拡大と労使の役割

2009年09月27日 10時56分17秒 | 経済
内需拡大と労使の役割
 ピッツバーグのG20でも、借金をしてまで消費をし続けて来た アメリカの過剰消費には、もう期待できないという雰囲気が明確になったようです。
 アメリカの過剰消費を見込んだ輸出が今後期待できないとすれば、対米輸出で経済を維持して来た国や企業は、当然方向転換の必要に迫られます。こうして内需拡大への要請が強くなります。

 すでに中国は、農村家電の普及などを始め、内需拡大に積極的な施策をとりつつあります。日本はどうでしょうか。「中国が内需拡大を積極化するなら、今度は中国に売ればいいや」では相手国が変わるだけで、日本経済の体質は何も変わらないことになります。

 それでは国際的にも、いまいち評判がよくないでしょから、新政権は内需拡大に熱心です。ところが、マスコミなどはどうかというと、「内需拡大は容易でない」といった評論で済ましているところが多いようです。

 今、本当に大切なことは、「内需拡大のために何をすれば良いか」みんなで協力して知恵を出し合うことでしょう。

 ところで、では何故内需が拡大しないのでしょうか。はっきりいってしまえば、三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が欲しい、新3C(カー、クーラー、カラーTV)が欲しいと生活の向上を必死で追い求めていた日本人はもういない、ということでしょう。このブログでもその辺りを いろいろな面から見てきました。

 そうであってみれば、内需拡大の決め手は、今の日本人が、生活の中身をもう一段レベルアップしたいと本気で思うような「何か」を国民の前に示し、国民がそれに乗って来るということでしょう。

 そのためには、政府が例えば子供手当のような政策を考えることも大事でしょう。しかし、政府にだけ任せておくようでは、国民が本気になっていない証拠かもしれません。

 ここはひとつ経済主体である企業と家計の代表者という意味で、「労使の組織」の出番ではないでしょうか。労使の組織にとって見れば、内需拡大はまさに自分たち自身の問題です。最も身近の所から最も適切な答が出てくるというのはよくあることです。

 政府に任せるだけでなく、労使の組織が本気で一肌も二肌も脱ぐことが今こそ期待されているのではないでしょうか。


なぜ内需拡大が必要か

2009年09月25日 14時32分36秒 | 経済
なぜ内需拡大が必要か
 経済の回復策について、これまでもいろいろと見てきましたが、つまるところ、経済が順調に回っていくということは、 一言でいってしまえば、「経済主体(企業という生産主体、家計という消費主体)が、創出した付加価値を使って、バランスの取れた、『目一杯』の経済活動をすること」に尽きるような気がします。目一杯の経済活動をする元気がなければ、経済は停滞するしかありません。

 政府の経済政策というのは、経済主体にそうした行動をとらせる様なきっかけ作りや環境整備ですから、政府がうまく国民をその気にさせれば経済政策は成功、それが出来なければ経済政策は失敗、ということでしょう。

 マンデヴィル(1670-1733)は、名著『蜂の寓話』で一国の経済活動を蜂の巣に例え、蜂が元気よく飛び回っていれば経済は活性化し、蜂が飛び回る気にならないような政策を採ると、経済は沈滞してしまうと説明をしています。
 今の経済は当時より複雑ですから、悪徳も虚栄心も経済活性化の要因という説明をそのまま鵜呑みには出来ないにしても、経済活動の基本は巧みに言い当てられているといえましょう。

 話を元に戻して、日本経済が若くて国民の成長意欲が高く元気だった頃の不況、昭和40年不況 などは、政府が「国債を発行します」といった途端に回復を始めるといった状態でした。
 食べすぎでお腹が痛くなって食べるのを控えていた育ち盛りの若者が、「いい胃の薬があるよ」と言われた途端に、また食欲が回復するようなものでしょう。

 今の日本経済は、自ら生産した付加価値500兆円(GDP)を使い切れません。その分が対外債権になって積み上がっています。
 今、内需拡大が叫ばれているのは、「稼いだ分は自分たちで確り使おう」ということなのです。貯蓄が美徳というのは、誰かが、そのお金を必要とし、将来の発展のために大事に使ってくれる場合で、誰か(政府その他)の無駄遣いのためや、返してくれそうもない外国に貸すための貯蓄は、とどのつまりは日本経済にマイナスです。
 
 此の所、長期に内需不足の日本は、500兆円のGDPを、国内の消費と投資にバランスよく「目一杯」頑張って使わないと経済は縮小一方になりかねません。

 思い切って、積み上げてきた1500兆円の個人貯蓄も、少しは取り崩して使ってみる(例えば、新エネルギー利用のための家庭の設備などに)ぐらいの「国民のやるケインズ政策 」(経済活性化の呼び水)が望ましいのかもしれませんが、さて、その言いだしっぺには誰がなるでしょうか。


雇用問題の改善と労使の役割

2009年09月21日 16時22分11秒 | 労働
雇用問題改善と労使の役割
 失業率は5.7パーセント、有効求人倍率は0.39倍と過去最悪値をつけながら、さらなる悪化も心配されるといわれるように、雇用情勢はますます深刻の度を深めているようです。

 鳩山新政権は、子育て支援などで家計を豊かにし、それによる経済の回復で、雇用の改善を狙っているようです。
 確かに雇用の改善は国の大きな政策課題です。どこの国でもそうです。だからといって、雇用の改善を国に任せてしまっていいのでしょうか。

 国の雇用政策はどうしてもマクロの経済政策に偏りがちになりそうです。雇用問題を単なる経済政策の問題として「一つの経済変数」として捉えて論じると、「雇用は遅行指標だから、経済が回復した後から徐々によくなる」などという捉え方になってしまうのではないでしょうか。

 労使の対立の激しい欧米の労使関係の中では政府の対策に任せるしかないのかもしれません。 しかし日本の場合は少し違うように思うのです。
 日本の労使は相互に協力して問題解決が出来るという特質を持っています。 第1次オイルショックの後では、年々の話し合いの中で春闘の賃上げ率を引き下げ、経済と雇用の安定を実現しています。

 直接雇用安定に手を染めるという点では、エネルギー転換で大勢の炭鉱労働者が離職を余儀なくされた際、使用者が雇用保険の料率の上に上乗せ拠出をして雇用促進事業を制度化しました。今役に立っている雇用促進住宅、雇用安定・教育訓練の雇用保険2事業 の開始です。

 プラザ合意後の製造業の空洞化による失業問題への対策として「失業なき労働移動」を目指す産業雇用安定センターは、当時の造船重機労連などの提案に主要産業の経営者が応えて生まれたものです。

 政府の政策にばかり依存するのではなく、今こそ日本の労使は、協力して話し合いを進め、雇用問題の改善のために率先して「新しい知恵」を出すときではないでしょうか。


規制とルール

2009年09月19日 09時57分15秒 | 社会
規制とルール
 前々回、規制について書かせていただきました。その中でも、規制は善とか規制は悪とかいった二元論は、人間社会には不適切で、世の中凡て「適切な規制」という バランス感覚が必要という趣旨で書いたつもりです。

 規制といいう言葉はいわば考え方を示すもので、それが具体的に形になったものがルール(規則)ということでしょうから、今回は規制とルールということにしました。

 ところで、規制の効用の具体的かつ典型的な例といえば、交通規制でしょう。スピード制限は守らない人も多くて、この道路は40キロが良いのか50キロがいいのか論議もあるでしょうが、制限速度(規制)が必要なことは誰でも認めるでしょう。

 もっとはっきりしているのは交通信号です。赤、黄、青の信号があるからこそ、交通はスムーズに流れるのです。混雑する交差点で信号がなかったらどうなるかと考えてみれば、規制(信号)があった方がずっと走りやすいことは明らかでしょう。規制が自由を生むともいえましょう

 規制が適切だから世の中うまくいくというのはスポーツにおいて典型的です。
 野球の場合を考えて見ましょう。三振とフォアボールというのは、本当にうまくできていると思います。二振とスリーボールでも、四振とファイブボールでも野球の面白さは半減するでしょう。

 つまりこれは、野球というゲームの焦点にある投手と打者が、それぞれの腕前を最も高度に発揮しようという気になるルール設定になっているということではないでしょうか。
 
  つまり、ルールが良ければ、選手はより努力し観客はより楽しめるスポーツになるということでしょう。規制のあり方について、人間の知恵の出しどころは、どんなルールを作れば、人間が最も(良い社会を目指して)努力するような動機付けになるかという点でしょう。
 
 その意味では、規制(その具体的な形であるルール)は、出来るだけみんなが納得できるようなものを決めて、あまり頻繁に変えないことです。昔から朝令暮改は悪いやり方の例えです。
 
 もっと悪いのは、一部の人に都合の良いようなルールを考えることです。これはそれ以外の人たちのやる気をなくし、社会や人心を分断して、社会を混乱に陥れます。

 もうひとつ。ルールに完璧なものはありません。ルールの中での活動の仕方について、人間が知恵を働かせることが大事です。直進優先の青信号の中でも、状況によっては、ライト点滅で右折しなさいと合図するようなルールと知恵の組み合わせがうまく出来れば、世の中は大変良くなるということではないでしょうか。


Readerでない閣僚に好感

2009年09月17日 10時16分54秒 | 社会
Readerでない閣僚に好感
 昨日、鳩山内閣が発足して、夜遅くから今朝の1時過ぎまで、初閣議後の閣僚の記者会見が行われました。
 前回書きました規制の問題の続きは次にして、今までと大きく変わった記者会見の感想を書かせていただきたいと思います。

 先ず、閣僚の官邸入りの時から、新閣僚に役人トップが寄り添って、閣僚候補にレクチャーしたり、資料やメモを渡したりという事がなかったことは本当にすっきりした感じを与えてくれました。

 当然お役人が言ってほしいことの内容は、閣僚には渡っていない事になり、閣僚の方々は新内閣の閣僚(政治家)としての発言になります。
 閣僚の皆さんは、記者のほうを向いて、自分の言葉でしゃべっておられました。あきらかに官僚からのメモを読むReaderではありませんでした。

 記者のほうが意識が遅れていて、どうかなと思われるような質問があったりして、どこにも慣性の法則はあるんだななどと感じました。

 例えば、閣僚の担当分野に重なるところがあるケースで「線引きはどうなるのですか?」という質問があり、閣僚からは「線引きでなく協力です」との答がありました。「線引き」とはまさに縦割り的発想で、官僚特有のものでしょう。
 次官の記者会見を止めることに対する質問も繰り返されましたが、「 官僚は最高の行政技術者たれ」という回答がケリをつけました。

 新閣僚の皆さんがReaderでないことはかなりはっきりしてきました。これから、Leaderとしてのの手腕を発揮していただけることを期待しています。


規制の役割

2009年09月15日 12時11分46秒 | 社会
規制の役割
 政権交代の中で、規制についての論議が盛んになっています。
かつては「規制撤廃」こそが世の中をよくする政策だといった論議が中央でもまかり通り、「規制撤廃」こそが国民の味方だと首相や閣僚や学者が喧伝し、「規制撤廃」は国民のためになると信じた人も多かったのではないでしょうか。

 しかし今、「骨太の改革」(規制撤廃)は、いろいろな意味で「力の強い人」に有利で、結果的には、格差拡大などの「骨まで達する痛み」をもたらすものだということが次第にはっきりしてきて、振り子の振れ過ぎを止めようとする動きが強まっているように思います。

 前回、「リーマンショック1年」で、世界の金融問題についてのG20のコミュニケを取り上げましたが、その中では regulation and oversight つまり「規制と監視」が強調されています。
 金融業といった分野、特にその中でも、マネーゲームの分野などは、規制がなければまさに弱肉強食の修羅場になることは目に見えています。

 何が規制論議をおかしくしているのかというと、それは多分、もともとの論議の立て方、「規制は善」対「規制は悪」といった議論の立て方をすることが間違っていたのでしょう。

 こうしたDichotomy、二元論、二分論は、キリスト教、イスラム教などの一神教において極めて一般的で、「この世は神と悪魔が征服を争っていて・・・・・」といったストーリーは、皆さんご承知の通りです。

 一方、多神教のほうは、いろいろな神様がいて、神様どうし争ったりしますが(アマテラスオオミカミとスサノオノミコトは兄弟喧嘩をしています)、善と悪に割り切るようなことにはなりません。西洋人から見ると「日本人は曖昧だ」などと映るのもそのせいでしょう。

 二元論はわかりやすいのですが、人間の心の中にも神と悪魔が両方いるのでしょうから、人間社会の問題はそう簡単には割り切れません。結局「世の中の問題」は二元論では解決できず、自由と規制の「 バランス」をどう取るかが「人間の知恵」の発揮のしどころなのでしょう。

 良い知恵は、「中庸」とか「バランス」を生み出しますが、知恵が足りないと、振れすぎによるトラブル、社会の不満や不安を招いてしまいます。
 規制の問題は、まさに「如何に良い知恵を出せるか」の問題です。みんなでよい知恵を出しましょう。
 次回、もう少し具体的な例で、この問題を考えて見ましょう。


リーマンショック1年

2009年09月14日 11時45分50秒 | 経済
リーマンショック1年
 昨年の9月15日、リーマンブラザーズが連邦破産法第11条の適用を申請をしてから明日で丁度1年、このリーマンショック1年でアメリカ経済、そして資本主義の発展の方向についての人々の考え方は変わったのでしょうか。

 たしかに、先日のG20のコミュニケに見るように、過度な投機資金の跳梁跋扈については、その演出家であり主役でもある投資銀行やヘッジファンドのあり方は、その幹部の 巨額報酬問題もふくめて、国際的に批判的な眼差しにさらされていることは事実です。
 しかし、マネー資本主義の本質問題を抉り出して、衆人の面前、白日に曝すような突っ込んだ論議はあまり見られず、何か隔靴掻痒といった感じではないでしょうか。

 アメリカに関するニュースを見ても、地道に預金獲得と貸し出しをしているような中小の金融機関は相変わらずの惨状で、他方、マネーゲームで一敗地にまみれたような人たちが、巻土重来を狙って、新たな金融商品の開発を目論み、年金基金などの巨大マネーを再び集め始めているといった様子が伺われます。

 アメリカでも極端な金利低下で、ケインズの言う「流動性の罠」状況になり、マネーは付加価値創造の分野では行方を失い、残る手段はマネーゲームによるキャピタルゲイン獲得という方向が必然になっているのでしょうか。
 実体経済の疲弊と、資本のマネーゲームへの流れが改めて目立つように思います。

 実体経済の回復には時間がかかります。しかしマネー市場の回復は人間の射幸心次第です。しかも資本は毀損したとはいえ、まだ蓄積は巨大です。そこで、差しあたっては、時間と手間のかかる実体経済の回復で資本を生かす努力より、マネー市場の回復で毀損した資本の回復を図るという方法を、政府の対症療法の効果を視野に、願望する人は多いのでしょう。
 しかし、これでは元の木阿弥です。今度の世界金融恐慌から何も学ばなかったことになります。

 ガイトナーさんのテレビに映る顔色を見ていても、気のせいでしょうか、何となくアメリカはまた同じ失敗の道を歩きそうな印象を受けてしまいます。

 ところで、日本の経営者はもともと実体経済の健全な成長を重視し、「 長期的視点の経営」を旨としてきました。失敗を繰り返しそうなアメリカ金融セクターを、もうあまり当てにせず、実体経済の成長を本気で追求している国ぐにとのお付き合いを中心に経済を考えていく事が大事になるのではないでしょうか。


ロンドンG20に思う―その2

2009年09月07日 11時17分40秒 | 経済
ロンドンG20に思う―その2
 前回は、金融機関の高額報酬問題について取り上げましたが、ロンドンG20のコミュニケには「金融機関への監視、規制の強化」についても、かなり突っ込んだ表現がされているように思われますので、その点について触れて見たいと思います。

 事の起こりは、キャピタルゲインを得ることを主目的にした金融機関が、最新の 金融工学を駆使した心算が、こと志と違って、投機に大失敗し、自らが破綻するだけでなく、世界の実体経済に致命的な悪影響を与えてしまったことでした。
 その影響が、関連する国々の経済、さらには世界経済の安定を極度に脅かすほど大きいものなので、やむを得ず緊急の措置として、国が資金を投入して、「悪行を重ねた金融機関でも」救済せざるを得なかったということです。

 こうして国費を投入してもらった金融機関が、幹部に高額の報酬を支払うというのはまさに「悪行のおまけ」ということでしょう。

 本当の問題は、こうした金融機関が、短期的なキャピタルゲインの極大化を目指して、「過度なリスクテイク」をやってしまうというところにあるわけで、「成功すれば巨額報酬・失敗しても国の援助」ということであれば、まさに「やらなきゃ損」になってしまいます。

 今回のG20のコミュニケでは、金融安定化のためフィナンシャル スタビリティー フォーラム(FSF) をフィナンシャル スタビリティー ボード(FSB)に強化し、IMFと協力、マクロ経済や金融のリスクに対する早期の警告をするといっています。
 そしてその対象の中には主要なヘッジファンドも入れるといっていますし、将来は過度なレバレッジ の規制も、さらには格付け機関の監視にも言及しています。

 経済の本来の営みである地道な インカムゲインには目もくれず、あぶく銭のキャピタルゲインの極大化が先端的な経済活動であるかような錯覚に陥っている一部金融機関の行動を、ロンドンG20の合意の成果で能く規制できるのか大変心配なところですが、主要20カ国の金融リーダーの識見と実行力に期待したいと思います。


合理的な賃金原資・賃金水準とは:ロンドンG20に思う

2009年09月06日 10時18分56秒 | 経済
合理的な賃金原資・賃金水準とは:ロンドンG20に思う
 今回のロンドンG20では、昨年来の金融危機の中で問題になっている銀行の高額報酬 についての議論もされ
「危機の一因と指摘されている銀行の高額報酬に関して、報酬のためにリスクを取る行動を抑制していく新たな国際基準を設けることで合意した。」
と伝えられています。

 次回のピッツバーグ金融サミットでまた話し合われることになったそうですが、これには賃金や報酬というものについての最も基本的な認識についての一致がないと話はまとまらないか、中途半端なものになってしまうでしょう。その点が懸念されるところです

 基本的な問題が2つあります。1つは、賃金や報酬というものの意味です。これは受け取った人の生活をより豊かなものにするためのものでしょう。であって見れば、それは、その人が社会をより豊かにした功績・成果を反映して支払われるべきものだと思われます。

 その国が経済成長したから国民の賃金が上がる。会社が新製品を開発して業績が上がったからボーナスが増える・・・、これは合理的です。
 つまり、賃金や報酬は、生産した付加価値の配分として支払われるというのが基本です。

 もう1つは、「銀行の高額報酬」の意味です。ひと括りに銀行といっても、預金、貸し出し業務をしてインカムゲイン(付加価値)としての収入を得ているところと、投資銀行のように、マネーゲームを業とし、キャピタルゲインで利益を上げるところがあります。前者は健全な銀行業務です。今問題になっているのは後者でしょう。

 このブログでも再三触れてきました様に、キャピタルゲインは付加価値の創造ではありません。他人が生み出した付加価値を自分のところに移転させるだけです。ですから、キャピタルゲインから賃金や報酬を払うというのは、基本的には、ギャンブルで儲けた金を山分けするのと同じです。そこには付加価値生産性のような、報酬についての経済学的に明確な基準になる指標はありません。

 キャピタルゲインの山分けが、報酬(賃金やボーナス)になり、その水準が国民1人当たりの「雇用者報酬」の水準に影響を与えるようなことになったら、実体の国民経済の経済学的あるいは倫理的基準はがたがたになって、経済の正常な運営は困難になるでしょう。


自民党の惨敗は公務員のあり方否定の意味も

2009年09月02日 20時41分54秒 | 社会
自民党の惨敗は公務員のあり方否定の意味も
 この表題のような書き方をすると些か強すぎるような気もしますが、最近の多くの国民の 公務員に対する信頼水準はかなり落ちてきているように感じられます。

 国家公務員の次官級の人々のスキャンダル、しかも金に関わるようなスキャンダルが複数起きるといった状態も異常ですが、年金問題のような、組織全体がどういう仕事の仕方をしていたのだろうと思われるような問題もあります。さらには多省庁にまたがる居酒屋タクシー 、地方公務員にもまたがる闇専従問題などなどということになりますと、「倫理感と正義感を持って国民のために働く公務員」といった感覚とはかけ離れてしまうように思われます。

 こうした問題は単純に「悪いこと」ですが、そうしたことのほかに、公務員とその制度のあり方、政治と公務員の関係(立法と行政の関係)といった点で、社会が進化する中でいろいろな問題が起きてきていたように感じられます。

 基本的な問題として指摘されるのは、自民党政治の中での公務員の役割でしょう。今は民間に居られる元高級官僚の方が、「自民党は、われわれにマル投げですから。わたしは大臣が変わったからといって自分の仕事の仕方を変えたことはありませんでした」という趣旨のことをテレビ番組ではっきりと仰っていました。私の存じ上げる何人もの高級官僚の方も、よく「あの法律はわたしが作った」という意識を強くお持ちのようでした。

 公務員が日本を仕切っているという感じです。近代国家は三権分立のはずですが、実質的にお役人が立法と行政の両方をやっていたということでしょうか。行政をやる人が立法をやれば便利かもしれませんが、それはお役人に便利なのであって、国民に便利かどうかは別問題です。
 法律がわかりにくいというのも、国民にとっては、大変困った問題です。

 民主党は、公務員任せでない政治、天下り廃止などを強く打ち出していますが、今回の自民党の惨敗は、自民党不信と表裏一体で公務員に対する不信という国民の意思表示でもあったように思われます。

 選挙の結果は直ちに自民党には及びますが、公務員には直ちに及ぶものではありません。しかし本当に公務員が真面目に考えるならば、選挙結果を自分たちへの不信の表れでもあると洞察する必要があるのではないでしょうか。

 これからの、民主党と公務員の関係には、まさに注目です。