tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

リスクの取れる経営

2009年04月28日 20時57分07秒 | 経営
リスクの取れる経営
 資本主義を駆動する中核のシステムは「株式会社」でしょう。人間の知恵の結晶として生まれて来た「株式会社」というシステムは、法人といわれますように、自然人ではない法律制度上の人格ですが、生みの親である人間にだんだん似てきて、立派な行いをしたり、場合によっては破廉恥なことをしてしまったり、ある時は正義の味方になって、人類社会に大きな貢献をしたり、時には強欲な守銭奴になって、世の中に迷惑かけたりします。

 蟹は甲羅に似た穴を掘るといいますが、株式会社も、その企業の経営者に似た振る舞いをするのかもしれません。人類が経済社会の発展を願って考え出した株式会社ですから、矢張り株式会社たるもの、人類の経済社会の発展に役に立つような活動をして欲しいものです。

 ところで、今日、経済社会の発展に役立つ活動とは何でしょうか。
 今、経済社会は「 量から質の時代へ」といわれます。特に、地球環境という問題を考えれば、多量生産・大量消費の時代は終わり、経済社会の質をどう高めるかでしょう。そしてそれが、人類のより高度で快適な暮らしを実現することになるのでしょう。

 その実現のために基本的に必要なものはイノベーション、技術革新といわれます。たとえば、より高度な再生可能エネルギーの生産システムの開発から、エネルギーを最も効率的に利用するシステムの開発まで、といった、ハードウエアからソフトウエアにわたる多様な技術時開発が経済社会発展の原動力になるはずです。

 しかし、技術開発にはリスクがつきものです。ですから、株式会社は、思い切ってリスクを取れるだけの力を持っていなくてはなりません。会社がリスクを取るために最も必要な条件は何でしょうか。それは出来るだけ、自分の資金で技術開発をすることでしょう。不安定な借金で技術開発を試み、失敗したら、会社そのものの生命が絶たれます。

 GMのように、失敗したら、後は国にお願いしますというのなら別ですが、自由主義経済社会を前提とした場合、技術開発のリスクを取れる会社、それは 自己資本比率の高い会社でしょう。伝統的な保守主義の会計学で、自己資本比率を重視したのにはそれなりの理由があったわけです。


余裕のある経済、ない経済

2009年04月26日 10時46分43秒 | 経済
余裕のある経済、ない経済
 国や企業、家計など、それぞれの経済を見ていますと、「余裕のある経済」と、「余裕のない経済」があるような感じを、最近、特に強く受けます。

 家計でいえば、安定した住居に住んで、それなりの貯蓄もあり、多少つましくても、所得の範囲で、家族が協力して暮らしているような家庭です。多少の経済変動があっても、ある程度は耐えて回復を待つとか、新しいチャンスにチャレンジすることが出来るような家計は、余裕のある家計でしょう。

 反対に、英語の諺で「手から口へ」というのがありますが、収入は右から左へ支出に回り、場合によっては、返済計画の立たない借金があったりしますと、収入が減ればとたんに行き詰まるようなことになります。これは余裕のない家計でしょう。
 こうした状況は必ずしも収入の水準とは関係がないこともありえます。

 企業でいえば、 自己資本比率の高い企業は余裕のある企業でしょう。自己資本比率の低い企業は、資金繰りが生命線になり、バランスシートよりキャッシュフロー表が大事になります。経済変動に弱く、場合によっては、倒産して不況の影響を増幅する可能性もありえます。

 国でいえば、現状の日本は余裕のある国であり、アメリカは余裕のない国ということになりましょう。もちろんアメリカは経済のフローだけでない天然資源も含むトータルな力でいえば、大変に余裕のある国なのかもしれませんが、現状の経済では、国も企業も家計も余裕のない国になっていしまっています。

 余裕のない経済では、経済変動はまともに来ますし、場合によっては、それを増幅するようなことにもなります。余裕のある経済は経済変動を吸収して、経済変動の緩衝材になることも可能です。

 資本主義を安定させるには、余裕のある経済を増やすことでしょう。これはその国(国、企業、家計)の所得水準の高さ(一人当たり国民所得)によるのではなく、その国の経済活動の中身(あり方)によるようです。

 IMFはこの辺りの監督をする国際機関のようですが、アメリカのように相手が大きいと出来ないのでしょうか。


資本主義改造の方向

2009年04月23日 12時18分34秒 | 経済
資本主義改造の方向
 資本主義改造計画 (2009.3.30.)以降、いくつかのテーマでブログを書かせていただきましたが、それぞれ、今の資本主義についての是正しなければならない問題点に関連した問題を選んできたつもりです。

 土地や住宅価格のバブルのように一部の資産価格が経済全体の動きに比して突出した上昇を示し、その上昇幅が次第に大きくなっているようなときには、誰かが冷静に「こんな価格上昇はいつまでも続かない。これはバブルだ」警報を鳴らすようなシステムが必要でしょう。

 経済成長を促進したいという願望から、財政や国際収支の赤字に目をつぶって、財政政策や金融緩和を続け、それで長期に好況が継続したとしても、その背後では、そのための資金調達に無理な債券や証券の発行、正常な経済活動とかけ離れた金融テクニークによる資金の確保が必要になります。こんなこともいつまでも続けられるはずはありません。

 破局が来てみれば、誰にでも解ることですが、そうした異常事態が進行している途中では、常に、まだまだこれでいけるはず、といった「 茹で蛙」的な現状楽観主義が主導権を握るのです。

 経験によれば、こうした問題を早期に感知するほど人間は利口でない、ということのようですから、主観的ではない客観的な警報装置を用意して、「まだまだ大丈夫」と思っても、「警報装置が鳴ったから」ということで、政策の方向転換をすることが必要なようです。

 ところで、何を警報装置にすれば良いかですが、これは大変はっきりしているように思います。つまり、実体経済に対して、マネー経済が「ある程度以上」拡大しすぎたとき、と決めれば、今回のような問題は未然に防止可能でしょう。

 この「ある程度以上」というのは、経験を踏まえて、十分論議した上で決めていくべきものでしょうが、一国政府や中央銀行、あるいはIMFなどの国際金融機構がこれを決めることが実は大変なことなのかもしれません。でもやらないとこれまでの繰り返しです。

さらに言わせて頂けば、同時に、資本主義改造には、人間の心の改革も必要のようです。
 たとえば、
「マネーマーケット(金融システム)は、実体経済に役立つために存在する」
「金で金を稼ぐキャピタルゲイン中心の取引は、それ自体、付加価値を生むものではない」
「資本主義経済は常に 道徳的でなくてはならない」
といった、資本主義経済についての本来の哲学や思想を、経済人(ホモ・エコノミックス)が確りと持つことが、より良い資本主義実現のためには必要なのではないでしょうか。


マネー資本主義再論

2009年04月21日 13時44分19秒 | 経済
マネー資本主義再論
 先月、「資本主義改造計画」というタイトルで書かせて頂きました。共産主義国家は崩壊したが、資本主義は生き残った、理由は環境に適応したからで、ひとつは資本家に代わって経営者が登場したこと、もうひとつは社会保障システムを取り入れたこと、と指摘しました。

 しかしこれでも資本主義は、まだ問題点を持っているので、今回のような失態を演じてしまうことになります。
ならば、今の資本主義のどこをどう変えていけば、今回のような金融恐慌が防げるのでしょうか。そのための具体的な良い方法はあるのでしょうか。
 この問題は、このブログを書き始めたきっかけとも絡む、大きな問題だというのが基本的な認識です。

本質的な問題を整理していきますと、
①人間は、資本蓄積と技術革新を活用した人間自身の働きによって、人間生活をより豊かで快適なものにする方法(付加価値生産方法)のシステム化(株式会社に代表される)を考案することで、年々生活レベルの向上(経済成長)が可能なるような社会(資本主義社会)を作り上げた。

 ②この付加価値生産活動のための血流、あるいは潤滑油として必須なのがマネーの適切な流れである。貨幣(マネー)はそのために考案され、金融システムはそのために整備された。

 ③付加価値生産は実体経済でありそれが本来の人間の経済活動の目的である。そして、それをスムーズに実現するための血流あるいは潤滑油がマネー経済である。
 まずは、こういうことでしょうか。

 ところが、マネー(通貨)は、価値尺度、交換手段、価値貯蔵という3つの機能を持つ故に、マネーの移動によって、価値(付加価値)を移転させることが出来ます。ここに目をつけたのがマネー資本主義です。

 自分の手で面倒な付加価値生産をやらなくても、金を巧みに動かすことによって、世の中の富(付加価値)を手に入れることが出来る。つまり「 キャピタルゲインを目指す経済活動」、これがマネー資本主義の方法論です。
 こうして資本主義の一部に、キャピタルゲインが万能(カネがすべて)だと錯覚させるような状況が生まれました。資本主義の中に、本来の脇役(マネー)が主役の躍り出るようなルートを許してしまったことが、今日のような資本主義の失敗を引き起こしたようです。


アメリカとケインズ政策

2009年04月18日 11時00分38秒 | 経済
アメリカとケインズ政策
 アメリカで、F.ルーズベルトがニューディール政策を打ち出したのは1933年で、ケインズが有名な「一般理論」を出したのが1936年ということで、どちらがどちらに影響を与えたのかは論議のあるところのようですが、それはそれとして、有効需要拡大政策(いわゆるケインズ政策)を、世界に先駆けて採ったのはアメリカということでしょう。

 その時のケインズ型の政策は、大恐慌後のアメリカ経済を対象に、その回復のためでした。
 その後アメリカ経済は紆余曲折はありましたが、第二次大戦後には、巨大な生産力を持って、「バターも大砲も」といわれ、世界を援助しながらアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを満喫する経済力を持っていました。
 そのアメリカが、1960年代以降次第にその経済力を弱め、国際収支が赤字続きでニクソンショック(ドルと金の切り離し)となったのが1971年でした。その後もアメリカ経済は、山谷はありましたが、昨年のサブプライムショックまでは、一応、世界経済の繁栄をリードしてきました。

 日本や中国を始め世界各国はアメリカ市場を頼りにして来たのです。ということで、今回の世界金融恐慌までに、アメリカが果たしてきた役割を、ケインズ政策という目で見てみましょう。
 ケインズ政策では、確かにこれを続けているうちは経済は何とかもちます。しかし、経験によれば、赤字財政のための借金に行き詰まれば不況(恐慌)に逆戻りしますし、その回避策が戦争だった、などといわれます。  (戦争が回避策かどうかは経済学的には多分に問題があるように思います)

 ところで、アメリカは、この所ずっと、巨大な赤字を積み上げながら、いわば、世界経済活性化のためのケインズ政策をやってきていたようです。赤字を積み上げながら、政府も国民も分不相応に大きな支出をして(双子の赤字)、世界の需要を増やし、世界経済を元気にする役割を、意図的かどうかは別としてやってきていた、ということでしょう。さすがは世界で初めてケインズ政策を実行した国です。世界経済対象のケインズ政策でも先陣を切りました。

 いわゆる金融工学は、世界経済に対してケインズ政策を実行するための資金調達の方法として、開発せざるを得なかったという面もありそうです。

 さて、アメリカは、懲りずに、まだ、世界経済を対象にケインズ政策をやるのでしょうか。やれば、世界経済の回復は早いでしょう。しかし早晩また行き詰まりは来るはずだというのが理論的な帰結でしょう。アメリカは独りよがりの国なのでしょうか、親切な国なのでしょうか。


頭を使った経済政策

2009年04月15日 11時03分43秒 | 経済
頭を使った経済政策
 大型の財政政策の出動で、赤字国債を沢山出さなければならなくなってしまいました。
 政府の中にも、こんなに赤字国債を出したら、今まで「財政節度」ということで守ろうとしてきた「プライマリーバランス(注)」が守れなくなるから、何か別の基準を考えなければ・・・、といった論議があるようです。
 基準を変えても実態は変わらないわけで、こういうときは基準を変えるのではなくて、緊急経済対策が終わったら、早く基準に戻すような努力をすると決めることが基本でしょう。

 景気対策は相変わらずの財政支出主導 です。財政支出が効果を持つというのは、国民(家庭や企業)がカネを使ってくれないから経済活動が停滞するので、それなら、国民の代わりに政府が金を使って、経済活動を活発にしようということでしょう。

 国民に金がなくて使えなくても、政府なら借金してでも何とでもなる。返済のほうは後から考えれば、というのがケインズ以来の考え方です。プライマリーバランス再検討というのも「返済は後から考えれば」の表れです。

 ところで、海外から借金をしているアメリカと違って、日本政府が金を借りているのは、日本国民です。日本国民は、カネがないから使わないのではなく1500兆円の個人金融資産がありながら、なぜか(将来不安などといわれます)金を使わないのです。

 ということですから、今回の補正予算の国債増発分(10~11兆円)を、政府に貸して使ってもらうのではなく、国民が自分で使えばどうでしょうか。
 国民一人ひとりが自らケインズ政策を実行することになり、政府経由よりもよほど効率的です。国民1人当たり平均にすれば、年間10万円弱です。政府に金を使わせるといろいろと不適切な使い方が多いようですが、国民が自分で遣うのなら、納得した使い方が出来ます。

 国民一人ひとりにケインズ政策を分担してもらう。国民がその気になるよう政策を考える。まさに金を使わず、頭を使った政府の経済政策でしょう。
それとも政府はやっぱり自分で金を使いたいのでしょうか。

(注) プライマリーバランス: 税金などの政府の経常収入で、政府の経常支出をまかなえる財政状態。この場合借金は増えないので、最低限健全といえる。利息が利息を生んで借金は増えるが、サラ金と違って国債利息は経済成長率程度なので、国民経済に対し、政府の借金が雪だるま式に増えることはないという前提。


桜咲く

2009年04月12日 11時17分42秒 | 環境
桜咲く
 何年か前に、庭の隅に桜の木らしき芽が出ているのを発見しました。
 我が家の狭い庭にも、年々いろいろな芽が出てきます。多分鳥が運んできてくれるのでしょう。最も多いのは「まんりょう」で、これは庭のあちこちに生えています。大きいのはもう、何年も前から秋に赤い実をつけるのもあります。

 けやきの木も生えてきました。これは大きめの鉢に移して、自己流に格好良く育てて、高さ約50センチ。今丁度、目を洗うような新緑の葉が、直径1ミリもない細い枝にも美しく開いて自然の営みの素晴らしさを感じさせてくれています。

 ところで冒頭の桜の芽ですが、鉢に移して育ててみました。幹の太さが1センチぐらいになると、桜特有の木肌になって、春には赤い葉、次第にそれが緑になって、秋にはそれなりに紅葉して散っていくという桜の木に成長し、もう2メートル近くまで伸びました。

 ベランダに置いたままで、この冬は寒く、乾燥したので、中々葉が出ず、先の方は枯れてしまったのかななどと思っていましたが、赤い葉が出はじめ安心したところでした。
そんな数日前、朝から天気が良いのでベランダに出てみると、左右に延びた細い枝の先端に、紛れもない桜の花が、3輪、4輪、まさにちらほらと咲いていました。

 突然の驚きと、それが嬉しさのような楽しさのような気持ちに変わって、なんとも気持ちの良い朝になりました。
 鉢植えのベランダの桜に花が咲くとは思いませんでしたが、矢張り自然は正直なものなのでしょうか。早速ベランダに上がってきた妻は 「山桜だったのね、きれいね」 といっていました。
下はその写真です。
  

空売り規制は当然

2009年04月11日 10時19分26秒 | 経済
空売り規制は当然
金融庁が昨年10月に導入した株の空売り規制が、延長されることになったようです。アメリカでもSEC(証券取引委員会)が規制の提案をし、パブリックコメントを求めるようですし、イギリスでも、ロシアでも規制の動きがあるようです。

 ただ、残念なことに、こうした政策の出発点は、おしなべて「株価が下がることを防止する」といいう、対症療法としての域を出るものではなく、今回の世界金融危機の基本問題に迫るような論議があってのことではないようです。

 空売り容認の説明としては「出来高を増やす効果がある」「株式の流動性が増す」「適正な価格形成につながる」などがいわれます。
 しかし、現実に空売りに手を染めている人が狙っているのは、「売りを浴びせて株価を下げ、安いところで買い戻して儲けよう」ということ以外にはないようです。
 空売りというのは、もともとその株を持っていない人がやるのですから、その企業のためにとか、その企業の株価が適正なものになることなどに関心を持つはずがありません。

 まさにマネーゲームであり、ギャンブルです。
 狙った企業の株を持っているわけでもなく、信用取引で、 レバレッジをかけて売りを浴びせて、株価を下げ、下がったところで買い戻して キャピタルゲインを手にすることが目的ということになると、「業績不振だが、倒産はないだろう」というような会社に「弱り目に祟り目」を演出するわけです。

 これが実体の企業経営、実体経済に貢献する金融活動でしょうか。
 今回の世界金融危機では、不適切な金融活動が、実体経済に悪影響を及ぼさないようにということが随分論議されてきました。

 空売り規制の問題は、マネーマーケットの活動は、実体経済の役立って始めて存在意義があるのであって、実体経済の健全な発展に役立たないものは淘汰していくという立場から、より深い論議をしていく問題ではないかと思います。


スマートグリッドに思う

2009年04月07日 11時12分21秒 | 科学技術
スマートグリッドに思う
 電力消費は、まさに景気の一致指標です。
 電力は、産業であれ、家計であれ、その活動の根幹を支えていますから、工場や家庭の活動が活発かどうかは、電力消費の増減を見れば、すぐわかるといいます。
 マネタリーベースで見れば、金融が血流だといわれるように、経済の実態的、物理的活動の血流として電力はまさにその代表格ということでしょう。

 その電力の世界に、いまや革命が起こりつつあります。革命の起こりつつある分野は大きく3つあるように思います。
① 発電の多様化、分散化: 太陽光発電、風力発電、燃料電池など
② 蓄電技術の進歩: リチウムイオン電池をはじめ多様な電池の急速な開発など
③ 省エネ技術の進捗: 省エネ技術、省エネ発光体の急速な進歩など
 これらの技術革新は、現状、実用化は徐々ではありますが少し長い目で見れば、電力の発電、送電、消費まで、そのあり方を抜本的に変えてしまうように思います。

 この変化は多分、従来の原子力、火力、水力利用の巨大な発電所から、電力消費の末端まで確実に電力が届けばいいという従来の送電システムでは、全く対応できない革命でしょう。

 家庭や地域の到る所で、いろいろな規模の発電が行われ、送電の流れは多様になり、状況に応じてかなり自由に蓄電されたり再放電されたりすることになるのでしょうから、これまでの巨大発電所からの一方通行の送電網とは一味違った電力網の整備が必須になるということでしょう。

 すでにそうした「知能を持った送電網」に名前がついていて、スマートグリッド(賢い格子)と呼ばれることになっているようです。

 現状、日本は、このスマートグリッド構想では出遅れているので、世界でもトップクラスの日本の太陽光発電や蓄電の技術は、その製品市場をもっぱら海外に求めているようですが、早くこの面でも日本が世界のトップに立って、電気エネルギー活用のでは、日本列島が世界のショールームになるよう頑張りたいものです。


経済学とEconomics

2009年04月05日 13時51分08秒 | 経済
経済学とEconomics
経済学というのは日本語で、英語のEconomicsを日本語に訳したものだといわれます。訳したというより、Economics を勉強した人が、適当な日本語を当てはめた(慶応年間、蘭学を勉強した神田孝平という人だといわれます)ということでしょう。

 経済という言葉はもともと、中国の古い言葉「経世済民」から来ているということは多くの皆様もご承知のことと思います。意味はといえば、世の中を経営して人々を救うといったことでしょうか。
 中国には、修身、斎家、治国、平天下 などという言葉もありますが、経世済民の場合も、広く世の中全体を考えている言葉のように思います。

 一方、Economicsの語源は、ギリシャ語のoikonomia だということで、oikos というのは家のことで、oikonomia は家政学と言う意味だといわれます。つまり英語のEconomics は広く世の中全体を考えるものではなく、家の中をどうするかというのが基本的な発想のようです。

  ところで、今回の世界金融恐慌の発生の経緯などを考えますと、われわれが考えている経済と、英語でEconomicsといっている人たちの認識には、何か違いがあるような気がしないでもありません。

 われわれは、経済の勉強といえば、モノやサービスを生産して、世の中をより豊かで快適にするプロセス(実体経済)を勉強すること考えるのが普通です。しかしアングロサクソン系の国々や人々は、株式や証券、金融などの手法を駆使して、如何に世の中の富を、自分のグループや国に移転させるか(金融技術)により大きな関心を持っているようです。

 小学生や中学生に経済に関心を持ってもらおうということで、工場や流通など実体経済の現場ではなく、まず証券取引所の見学にいくといった発想は、本来の日本的なものではないような気がするのですが、私の偏見でしょうか。


ロンドンG20、アメリカはどこへいく

2009年04月03日 11時37分28秒 | 経済
ロンドンG20、アメリカはどこへいく
 ロンドンG20が終わって、新興国もふくめた世界経済の成長と雇用維持への協力が宣言されました。

 中身は、G20の国々が協力しての財政金融政策への積極的取り組み、保護主義の排除、国際通貨基金(IMF)の資金増強といった基本的なものに加えて、「金融機関の監督を強化」、「ヘッジファンドや格付け会社の規制・監督強化」、「タックスヘイブンへの監視強化」といった、今回の世界金融危機の原因となった野放図な金融機関の跳梁を何とかしなければという意識が、かなりはっきり出されました。

 G20にあわせて発表されたFSF(金融安定化フォーラム)の報告書では、経営者への報酬の健全化や金融機関の危機管理について述べていますが、最後の「景気循環増幅効果への対応」で『金融取引における過度なレバレッジ の積み上がりの抑制』をいっているのが注目されます。

 折しもアメリカでは株価が大幅上昇し、こちらは、時価会計の適用緩和の見通しの効果も大きいようですが、いずれにしても、昨夏以来、実体経済とはほとんど関係ない金融取引で世界経済が振り回されるような困ったことになってしまっていることだけは明らかでしょう。

 こうした時には、先ず金融の安定が必須というのは致し方ないことで、株価が上がれば、金融機関も一息ついて、経済の回転も良くなるという面は否定できません。ですが、本当の問題はその先にあるわけで、各国の実体経済つまりGDPが成長に向かい、世界経済が成長・拡大することです。

 金融機関の健全性回復は、実体経済の回復のために必要な当面の手段で、その後には、実体経済の着実な成長という課題が本命として控えています。
 たとえていえば、アメリカの自動車会社に金融支援をすることは当面の課題ですが、アメリカの自動車会社が、国際競争力の十分な車を作れるようになることが本当の目的だというのと同じでしょう。

 今回のG20で、アメリカの姿勢が、従来の金融(借金)立国から実体経済重視に変わってくれれば、世界経済にとっても素晴らしいことですが、さてどうなるのでしょうか。


茹で蛙と自動警報装置

2009年04月01日 11時24分52秒 | 経済
茹で蛙と自動警報装置
 たとえ話によく出てくる「茹で蛙」は、
熱い湯に蛙を入れるとビックリして跳びだすが、水の中に蛙を入れて、水をだんだん沸かしていくと、蛙は跳び出す時期がわからずに、結局茹で上がって死んでしまう
と言う大変残酷なものです。

 バブル経済に対する人間の対応はこれによく似ているように思います。
 かつて日本が土地バブルを経験したときもそうでした。1985年までの数年間、6大都市の市街地地価の上昇率は年率6パーセント前後でした。経済成長もしていましたし、インフレもありましたし、賃金も毎年上がっていましたから、この程度の地価上昇は当然と思っていた人が多かったようです。

 86年に地価上昇率が10パーセントを超え、87年から3年は20パーセントを超え、90年には30パーセントに達しました。しかし地価は常に上がり続けるという土地神話を信じていた多くの日本人は、これを好況のしるしと喜び、金融機関、不動産業を始め、多くの企業が地価上昇で儲けることに熱心でした。そして、91年にバブルは崩壊しました。

 アメリカでもグリーンスパン神話が、好況はいつまでも続くという錯覚を多くの国民に与え、住宅の値上がりを担保にし、サブプライムローンなども利用して国民は消費景気を満喫しました。
 アメリカの主要都市の住宅価格上昇率は、1999までは年率5パーセント程度でしたが、2000年以降は10パーセントに達し、2004年以降は15から20パーセントにも達しました。

 いずれも後から見れば、長続きはしないし、ハジケて当然なのですが、残念ながら茹で蛙になるまで気がつかないのが、人間なのでしょうか。

 今の資本主義は、自由経済とかマーケットエコノミーとか言われますが、マーケットも人間がやっていることですから、茹で蛙になる危険は常に存在します。人間の自由にばかり任せず、メタボ検診と同じように、一定のところで自動警報装置が鳴って、茹で蛙を防止する知恵が必要だと、つくづく思うのですが・・・。