tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

田中角栄語録から:戦争体験の無い政治家たちの危うさ

2018年01月31日 12時53分25秒 | 政治
田中角栄語録から:戦争体験の無い政治家たちの危うさ
 最近、田中角栄元総理のこの言葉がマスコミにたくさん登場します。当ブログも驥尾に付して取り上げることにしました。
「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて、日本の中核になったとき、怖いなあ。」
 
 田中角栄は毀誉褒貶の多い人です。列島改造論で公共投資を軸にした日本経済の高成長を実現したり、日中国交正常化を実現したり、多くの実績を残しましたが、カネの大事さを知っていたからこそ、カネへの執着心が強かったのでしょうか、ロッキード事件で失脚しました。

 私も、田中角栄が、そんな言葉を残しているという事は知りませんでした。剛腕で国民のため、県民(新潟)のために大きな仕事をし、その実行のために、独自のカネの作り方を編み出していたといった風評を聞きながら、あれだけ仕事をしながらおカネで躓いたのは自業自得かなどと思っていましたが、戦争に対してこんな考えを持っていたことを知って、何となく「やっぱり」といったといった感じを持ちました。

 田中角栄は、もともと建築が好きで、その業界で仕事を始めていますが、われわれの上の世代ですから、戦争の中でどんどん貧しくなる日本という経験は体に染みついていたのではないでしょうか。この点は、私共に共通する強烈な経験です。

 子供の時は皮靴を履いていた、それが、日中事変から太平洋戦争になり運動靴やゴム靴になり下駄になり、ついには草履や裸足になったいったあの経験、それまで積み上げられて来たものが日常生活から生活の場、社会環境、そして最後には人間まで、どんどん破壊され、残ったのは廃墟と貧困という悲惨な経験です。

 田中角栄の原体験にこうしたものがあるとすれば、それ故に「何よりも建設重視」という本能的な感覚があったのではないかと感じるところです。
 人間の拠るべきことは「建設」であって「破壊は最悪」という信念が貫かれたとしても、けだし当然なのではないでしょうか。

 こうして、総理大臣として日本国土の建設を最重要の目標とした、田中角栄にとって、それを破壊する戦争は最も忌むべきものだったことは当然でしょう。
 「建設」という行動に対して、最大の敵は戦争、戦争は「破壊」そのものです。

 勝手な解釈かもしれませんが、「戦争を知らない世代が日本の中核になったら危険だ」という冒頭の言葉には、多分こうした背景があるのではないでしょうか。
 考えてみれば、金日成は戦争を知っていました、しかし金正恩は知りません。トランプさんも戦争による破壊とは無縁でしょう。
 安倍総理のお爺さん、お父さんは戦争についてどう安倍総理にどう教えたか知りませんが、安倍総理は戦争による破壊は経験していません。

 いま世界、日本はこうしたリーダーたちに振り回されています。田中角栄も草葉の陰で「危険だな」と思っているのではないでしょうか。
 冒頭の言葉に続いて田中角栄は「しかし、勉強して貰えばいいやな」と言っているとのことです。
勉強してもらいたいと思っている人は多でしょうが、さてどのようにして・・・。

年末商戦、消費への影響は?

2018年01月30日 18時16分38秒 | 経済
年末商戦、消費への影響は?
 今年も、もう1月は終わろうとしていますが、今朝ほど昨12月分の「家計調査報告」の速報が総務省統計局から発表になりました。
 マスコミでは、2017年の年末商戦は結構な賑わいだったようでしたが、統計数字が発表になってみると、それほどではなかったようです。

 速報の調査対象は2人以上の所帯ですが、結論から言いますと、未だ消費支出が動意づいたとは言えないという所のようです。
 具体的な数字は、2人以上の所帯の平均で322,157円、前年同月比名目値で1.2%の上昇、実質値では-0.1%という事で僅かですが減少です。

 という事は、消費者物価の上昇が、昨年12月は前年同月に比べて、1.3%だったという事で、政府は物価上昇2%という目標になかなか到達しないと言っていますが、家計から見れば、消費支出は1.2%増やしたが、物価が1.3%上がったので、実際に買えたものは0.1%減ってしまったという事です。

 TV報道などの年末の賑わいは結構盛り上がっていたように感じられましたが、家計の内実は、堅実の状況にあまり変化はないという所でしょうか。
 生鮮食品の値上がりが大きかったからという解説もあり、確かにその通りですが、物価が2%に早く上がればいいという政府の方針にはやはり違和感を感じます。

 2人以上世帯の場合には実収入の統計数字が無いので収入と支出の関係は解りませんが、収入と支出の関係も解る「勤労者所帯(2人以上)」について見ますと、もう少し状況がハッキリするようです。
 勤労者所帯の場合実収入は940,875円で、前年同月比で名目1.7%の増加、消費者物価の上昇が1.3%ですから実質の増加は0.4%です。

 一方、消費支出の方を見ますと、352,076円で、前年同月比0.8%の増、消費者物価上昇率が1.3%ですから実質値は-0.5%という事になっています。
 昨年1~11月の消費者物価の平均上昇率は0.55%ですから、12月の消費者物価の上昇が特に高かったという不運もありますが、この所、消費者物価は何となく上昇気味のような気がするので、心配です。

 その結果という事でしょうか、勤労者所帯の平均消費性向は45.0%で前年12月の45.4%から0.4%低下するという結果になっています。

 2016年の平均消費者物価上昇率は-0.1%、昨2017年は+0.5%ですが、しり上がりに、物価上昇率が高まっています。
 このブログでは、そろそろ家計の消費行動も徐々に積極化するのではと、期待しているところですが、消費者の積極的行動の芽を物価上昇で積んでしまわないように、政府のご都合より、庶民の家計の都合を優先した政策をとって欲しいと思うところです。

不思議な国の同一労働同一賃金

2018年01月29日 13時04分35秒 | 労働
不思議な国の同一労働同一賃金
 外国から見れば、日本は不思議な国のようです。どこの家にも神棚と仏壇があったり、国を挙げて侵略戦争をしたかと思ったら、平和主義になったり、オイルショックで一番困るかと思ったらジャパンアズナンバーワンになったり、ところがその直後から20年以上も不況が続きジャパンシンドロームと言われたり、世界一の個人貯蓄を持ちながら、政府は世界一の借金政府だったり、どの国でも大問題の若年失業率は世界も驚く低さだったり・・・。

 世界では当たり前の同一労働同一賃金が、改めて政策目標になり、今国会で成立させようと安倍政権が頑張るという景色も、欧米から見れば不思議でしょう。
 マーケットが適切に機能するようにすれば自然と同一労働同一賃金になるはずなのに日本ではそうなりません。

 その日本で、法律で同一労働同一賃金をやろうというのですから、これは大変でしょう。もともと出来ないようになっているのです。
 ということで、今回の法律で、先ず諦めたのが、正社員の中では、同一労働同一賃金でなくても構わないという点です。正社員間では触れないことにしたようです。

 結果的に、同一労働同一賃金は、「正社員と非正社員」の間だけの問題になりました。
 同じ職場で正社員と非正社員が同じ仕事をしていたら均等待遇にしましょう。同じような仕事をしていたら均衡待遇にしましょう、という事だそうです。
 同じ職場というのは、事業場ではなく同じ企業という事だそうです。

 現実には、正社員は、新卒一括採用で入るのが一般的で(もちろん中途採用もかなりありますが)、仕事は何をするか決まっていない採用(人材採用)です。入社後、仕事は社内異動で変わりますが、賃金は職能資格制度などで仕事の内容とは別で(属人給)、毎年の定期昇給や考課査定で決まります。

 一方、非正規社員は、「これこれの仕事をする方求めます」という求人広告に応募し採用になります。もともと職務給で、賃金水準は地域のマーケットで決まっています。

 ところが、偶々採用された会社が賃金の高い会社で、同じような仕事の正社員の賃金が高いと、多分その高い賃金に合わせないといけない事になるのでしょう。逆に低い賃金の会社に入ると、同じ仕事をしていても、地域の相場のままという事でしょうか。
 同じ非正社員でも、入った会社の賃金水準によって、賃金は変わってきます。

 正社員の賃金は、マーケットではなく、その企業の賃金制度で決まりますから、企業ごとに格差があります。多分、非正社員の賃金も、企業間の格差に合わせて格差が生まれるのでしょう。これは同一労働同一賃金ではなくて、非正社員にも企業別の賃金格差を認めるという仕組みです。

 これから、国会でもいろいろな議論があって、最後にどう纏まるのか解りませんが、外国から見ると、また不思議な国の要素が一つ増えるのではないでしょうか。
 賃金の決定方法や、その結果生じる格差をより合理的なものにするというのであれば、もっと違った合理的な方法があるように思うのですが。

財政のプライマリーバランス達成と2%インフレ目標

2018年01月28日 11時21分32秒 | 経済
財政のプライマリーバランス達成と2%インフレ目標
 日銀の黒田総裁がスイスのダボス会議で、日本経済は順調で、2%インフレ目標も早晩達成される見通しというような発言をしたことでまた円高になっています。
 国際投機資本は、「それならそろそろ日本も金利の引き上げを考えるのではないかと受け取ったと解説されています。

 黒田総裁の発言のニュアンスまでは解りませんが、その発言で円高になったのでは2%インフレ目標はますます遠退きそうです。
 ダボス会議で発言するなら「日本は財政赤字で国債残高の負担は世界でもトップクラスです。プライマリーバランスの達成も可能性が見えていません。これからが大変です」ぐらい言えば、場合によっては円安になって、インフレ目標により近づいたでしょう。

 ところで、この財政のプライマリーバランス(PB)達成は、すでに皆様ご存知のように2020年達成という政府の公約は反故になり、現実に何時になるかわからない状態のようです。
 安倍さんは「財政再建の旗は下しません」と言い換えました。そんことは当たり前でしょう。

 実際には、政府も新しい目標年次を掲げるべく計算をしているようですが、漏れ聞くところではこんなことのようです。

 結論から言うと、例え2%のインフレ目標が達成されても2020年時点ではPB達成にはまだ6兆円以上税収が足りないという事になるそうで、2023年になっても、まだPB達成には届かないという事のようです。

 前回の消費増税先延ばしのツケも大きいのでしょうが、子育て、介護など歳出増加の圧力も強いのが現状です。
 こうした中での政府への最大の援軍はインフレなのです。インフレになれば、借金は目減りします。

 インフレ率2%というのが上の試算の根拠のようですが、もし現状のような0.5~1%のインフレでは、PBラインとのギャップは大きくなっていくようです。つまり財政再建の旗を降ろしたことになるのです。

 こう見て来ますと、政府の財政再建は、結果的に「インフレ頼み」という事になるようで、政府・日銀が2%インフレの固執するのも「そういう事だったの」といった感じです。
 インフレ目標2%達成にはまだ時間がかかりそうですし、年金や銀行預金の金利が今のままで、インフレだけ2%になったのでは国民はたまりません。

 しかし、政権がポピュリズムに堕して、国民もそれを善しとするのは、近年多くの国に見られるところです。そうして口に苦い良薬の服用を先延ばしにしてくると、結局それは国全体の問題として、きちんとわが身に「襲いかかってくる」のでしょう。
 日本の財政再建問題もその典型の1つと言えそうです。

2018春闘:冷静な労使の対応

2018年01月26日 15時16分21秒 | 労働
2018春闘:冷静な労使の対応
 昨日アメリカの通貨政策について微妙に変化と書きましたが、トランプ大統領は、ムニューシン発言に対し、即座にコメントを入れ、アメリカは「長期的にはドル高」を目指すと念を押してきました。

 それは結構ですが、この発言にしても、年3回の金利引き上げを前提にすれば、ドルの独歩高の可能性は経済原則でしょうから、本音は、なるべくドル高は回避という事なのでしょう。

 日本の政府経済見通しは、2018年度の円レートは、$1=¥112.6と、この3年来僅かな円安傾向を想定していますが、これも、アメリカの金利政策を読んでの事でしょう。
 アメリカは本音は、金利引き上げをしても、ドル高は最低限にとどめたいと考えているでしょうから、予断は許しません。

 アメリカのドル政策は当然当面する日本の2018春闘にも影響していきます。今春闘では政府がインフレ2%、名目成長3%を目指して(インフレで名目成長率が高い方が財政再建がやり易い)賃上げに減税の特典まで付けて介入してきていますが、春闘の当事者である労使の対応は、(双方の解説を聞く機会がありましたが)より冷静のようです。

 経営側・経団連の対応は、国際情勢も含めて見通しには慎重で、昨年より高い総額人件費の上昇を検討するにしても、当該企業の判断を重視し、賞与の増額、非正規従業員の正規化も含め、多様な方法を考慮すべきというのが指向するところのようです。
 一方、いわゆる非正規問題についても今年は特に積極的な改善策が提唱されています。

 労働側の連合の方は、ベア2%定昇2%相当という事で、4%程度を要求として掲げています。しかし同時に特筆すべきは、格差の縮小に例年より重点を置き、例年のサプライチェーン全体に均等な配分という言葉に「バリューチェーン」と書き加え、付加価値の均等は配分、それによる賃金の低い部門の底上げを強調しています。
 非正規問題については春闘の「ど真ん中に置く」と重視の姿勢です。

 こうした問題は本来、政府が政策の中心に置くべき問題で、これこそが日本の労組が労働サイドだけではなく、日本経済社会全体のバランスの良い成長を考えて行動するという外国労組にはない特徴を色濃く打ち出していという特徴点でしょう。

 順調にいけば、今年は、消費需要も少しは動き、安定成長路線に一歩前進することが十分期待できる環境でしょう。企業・消費者の「円高・景気失速」といった不安は、アメリカの不安定もあり、民間の手ではどうにも払拭できないところですが、これに対する政府の対策は、「日銀の異次元緩和の継続」しかありません。結果オーライを祈る所です。

 それでも恐らく今春闘では、昨年以上の賃上げになるのではないでしょうか。安倍総理はアベノミクスの成果と胸を張るでしょう。しかし、安倍総理が何も言わなくても、同様の結果が多分出るのでしょう。
 
 日本の労使ほど、賃金、物価、経済、雇用などに共通の理解をもっている労使関係は他には見られません。
政府は自分の都合で春闘に介入するのではなく、労使を信頼して任せ、安心していてもいいと思うのですが。

微妙に変化する?アメリカのドル政策

2018年01月25日 11時41分05秒 | 国際関係
微妙に変化する?アメリカのドル政策
 アメリカ政府のドル政策はレーガン政権以来「高いドル」を標榜してきたという事になっています。

 アメリカは覇権国、基軸通貨国ですから「強いドルを目指す」という事は、世界各国を安心させ、通貨引き下げ競争などは良くないことという大事な考え方を国際的なベースにするという意味でも望ましいことだったと思います。

 しかし、現実には、プラザ合意で日本に円高を押し付けたり、中国には人民元の切り上げを要請したり、リーマンショックの際には、ゼロ金利政策で、アメリカ発の世界金融恐慌を防止するというウルトラⅭの中で、結果的にはドルの切り下げをして凌ぐといったいろいろな策を講じてきています。

 しかし、表面的にはドル高を掲げ続けてきました。そかしトランプ政権になって、ドル高標榜は変わってきたようです。

 トランプさんは「ドルは強すぎる」といった言い方でドル安を認める発言をしてきていますが、「強すぎる」というのは単なる主観的な言い回しで、客観的に言えば、明らかにアメリカの競争力は落ち出るのでしょうから、頑張って競争力を回復し、ドル高を維持できるようにすることが必要なのです。

確かに、マイクロソフトウやインテル、ボーイングの航空機といった優れたものは沢山ありますが、製品や部品は外国製が多く、アメリカ製のものは昔の様に魅力的ではありません。
  最近では、シェールオイルもガスも出て、世界有数の産油国となっていますが、経常収支赤字垂れ流しは止まりません。

 そうした中で、ムニューシン財務長官は「ドル安はアメリカにとっていいことだ」と世界の政治家、経済人が集まるダボス会議で発言したとのことです。まさに本音でしょうか。

 勿論それだけではなくて、短期的にはドル安は貿易などに関わるからと言いながら、より長期的には、ドルは主要通貨であり、アメリカの強さを示すものだといった趣旨の発言をし、ドル高が基本姿勢という原則を否定しているのではないことを示したようです。

 トランプ大統領も、ダボス会議で演説をすることになっているそうですが、どんな発言をするのでしょうか。

 短期的でもドル安はアメリカにとって有利といった発言をすれば、アメリカの発言ですから、国際投機資本は、忽ちそれを忖度した行動をとり、ドルはすぐに下落します。
 勿論国際投機資本の動きは即時ですが、ごく短期的な動きですが、もしこうした発言が続けば、アメリカには簡単に為替操作をする力は備わっているのです。

 「アメリカ・ファースト」から始まって、次第にアメリカ中心の損得勘定の世界が、いろいろな面で色濃く打ち出されて来そうな景色ですが、アメリカが起こしたリーマンショックから漸く立ち直り、折角安定してきた世界経済に問題を引き起こす様なことが無いよう、アメリカの「健全な努力」を期待したいと思います。

度が過ぎる総理の春闘介入

2018年01月23日 11時47分57秒 | 労働
度が過ぎる総理の春闘介入
 通常国会が開幕し、安倍首相の施政方針演説がありました。
 決める政治を標榜する安倍総理ですが、どうも安倍さんの決めたいことと、日本が今やらなければならない事とは、必ずしも一致しないようで、このまま決める政治に無理をしていくと、昨年と同じように、またいろいろと困った問題が起きる可能性があるような気がして心配です。

 財政問題、防衛問題、憲法問題、いろいろあるようですが、このブログでずっと気にしているのは産業社会における人間に関わるの問題です。
 特にヒトとカネの問題の接点、企業では賃金問題ですが、そうした問題には素人の安倍総理が、ここまで春闘に介入していいものか、その辺りの認識のないままに、突き進んでいるように感じます。

 当面の話題の中心は、春闘賃上げ率ですが、早くから3%賃上げに固執し、経団連も3%という数字を「経労委報告」に書かなければならなくなったようです。

 安倍さんは、賃上げ率を高めれば、消費が増えて日本経済は良くなると信じているようですが、これまで毎年「賃上げ、賃上げ」と言っても効果がなかった理由を考えてみますと、種々の認識不足に原因があるようです。

 第一の認識不足は、賃金決定は労使の専管事項で、政府はあくまでも第三者でしかないことです。決める政治とっても安倍さんには決める権限はないのです。はっきり言えば、労使が迷惑がるだけです。

 第二の認識不足は、今の消費不振の最大の原因は、賃上げが少ないことではなく、消費性向が下がっていることの理解が不足していることです。そして、消費性向の低下の原因は将来不安、国民がこの国の将来、その中での自分の生活がどうなるに不安を持っているからです。
 こちらの改善は政府の責任です。しかし昨年からの国会の論議を見ても、国民が「こんな政府に将来を任せてもいいのかな」「税金は正しく使ってくれるのかな?」と感じることが多すぎます。

 第三の認識不足は、3%賃上げした企業には税金を負けるといった場合、3%の計算はどのようにするのかという点です。税金を使うのですから、不公平は許されないでしょう。何が3%増えたら対象になるのか、専門家でもその点は多分回答不能でしょう。

 さらに言えば、3%出せるのは一部の高収益企業でしょうから(トヨタが3%出してくれればいいそうですが)、賃上げの補助金は高収益企業に行くことになります。高収益企業は補助金が無くても自分で出すでしょう。

(その他、同一労働・同一賃金、成果給指向、賃上げとインフレの関係など、認識不足の問題はいろいろありますがここでは触れません)

 政府の仕事の本質である、国民の将来不安の解消には手つかずだったり、先送りだったり、トランプさんとともに、国民の不安を煽るようなことをやったり、今回の施政方針演説でも、よく考えれば、国民にとって不安なことが沢山あります。

 最後に一言付け加えれば、森友や加計の問題のように、国民の過半に疑惑を持たせるような、忖度行動も含めた政府不信の問題があります。
 3%賃上げ推奨ではなく国民の不安と不信を出来るだけ少なくすることが何よりも優先されなければならないのではないでしょうか。

2018年度政府経済見通し(閣議決定版)を見る

2018年01月22日 15時30分15秒 | 経済
2018年度政府経済見通し(閣議決定版)を見る
 今日、閣議決定版の来年度政府経済見通しが発表になりました。
 昨年に12月22日に、閣議了解版について要点の数字を追ってみました。閣議決定版ではこれに国民所得の内訳などが追加されます。

 今週はいよいよ2018春闘の労使の論戦開始という事ですが、それに先立って、政府経済見通しで、雇用者一人当たりの雇用者報酬、いわば、日本全体の賃上げに相当する数字が発表されるわけです。
 
 そこで全体の数字を瞥見したうえで、賃金決定に関わる数字それに物価上昇率など、政府の考えている日本経済のバランスを見てみたいとおもいます。

 数字は全て、実質値で、各項目の今年度に比べての伸び率(カッコ内は今年度)を見てみます。
GDP(国内総生産)1.8%(1.9%)、民間最終消費支出1.4%(1.2%)、民間住宅0.6%(1.1%)、民間企業設備3.9%(3.4%)、政府支出0.4%(1.3%)、輸出4.0%(4.8%)、輸入3.3%(3.4%)が生産面です。
 
 民間消費も、企業の投資も共に増加ペースが高まり経済成長を支え、住宅投資は伸び率減、政府支出は伸び率大幅減(補正予算でどうなるのか?)という見通しで、「民間の消費と投資が共に引っ張って1.8%成長を達成と見ています。特に消費の伸びに期待でしょう。 

 所得の分配面を見ますと、これは名目値ですが、国民所得2.8%(2.8%)、雇用者報酬2.4%(1.7%)、財産所得(利子・配当・地代・家賃など)5.5%(4.9%)企業所得3.1%(5.5%)となっています。(労働分配率はさらに低下か?)

 雇用者報酬は今年度の1.7%の伸びから来年度は2.4%の伸びになると見ていますが、安倍総理が3%賃上げの旗を振っても、総額で2.4%、一方で雇用者の伸びが0.7%(1.2%)の見通しですから1人当たりでは1.7%(雇用者の平均賃上げに相当)という見通しになっています。政府の現実的想定はこの程度という事でしょうか。

 消費者物価の見通しについては、上昇率は1%を超え、1.1%(0.7%)になると見ていますから賃金上昇のかなりの部分は物価上昇に食われるという見通しです。
 それでも、今年度の実績見込みは雇用者報酬1.7%で雇用者の伸び1.2%で1人当たりでは0.5%で消費者物価上昇0.7%、実質賃金上昇率はマイナス2%ですから、来年度はそれでも大分良くなるという事でしょうか。

 総じて見ますと、今年から来年にかけて景気は順調という状況を受けて、2018年度は消費、投資が共に経済をけん引するという形になっていますが、2%を目指すインフレが、後ろから追いかけてくるといった想定のようです。
 ただ、GDPに入らない対外投資からの所得を中心にした経常黒字は順調に拡大していて、来年度は22.8兆円、GDP比でも4%に拡大していきます。これは日本の資産になっていますが、経常黒字が大幅になることは円高を招く恐れが大きくこの辺りをどう判断しているかは、政府見通しには書いてありません。

人間と資本:資本蓄積の行き先

2018年01月21日 12時47分05秒 | 社会
人間と資本:資本蓄積の行き先
 人間と資本の問題を書き始めますと、書くことはいくらでも出てくるように思います。それだけお金と人間は切っても切れない種々の因縁でつながってしまっているという事なのでしょうが、一応今回でキリにします。

 かつて「 確定利付きへの郷愁」を書きましたが、今は、そうした安定貯蓄の手段はありません。かつて、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」などと言われた時代(岩戸景気1957-1961年の頃)がありました、景気のいい時は株価が上がります。しかし40年不況で家は暴落、山一證券はつぶれそうになりました。

 その後いざなぎ景気(1940年末-1970年)があり、オイルショックの不況の後、ご記憶のバブル経済があり、その都度株価は上げましたが、後には暴落が控えていました。最近また株が上がっていますが、日本人はやはり証券より債権が好きで、国債、銀行預金といった確定利付き方式の貯蓄が好きなようです。

 しかし現実を見れば、確定利付きと言っても利息は殆どゼロ、かつての定期預金年率5.5%などは夢のまた夢、国債と言っても、途中で換金すれば、元本割れもあり得ますし、定期預金と言っても、昔と違ってペイオフの対象ですから、本当に元本保証という貯蓄方法がなくなっています。

 それならとタンス預金がはやるようですが、(冗談で言えば)振り込め詐欺やゴミの中から数千万円の札束などという事にもなりかねません。
 貯蓄が増えるほど、国も金融機関も、元本を保証してくれなくなり、貯蓄の安全な維持が難しくなっています。

 高利回りで確定利付きですと言われてよく聞けば、外貨建てで為替のリスクはついて回ります。しかも国全体として貯蓄過剰の日本ですから為替変動はどうしても円高の方向で、外貨建ては危険です。

 蓄積社会(個人)が、蓄積から安定したリターンを得て楽して暮らすという事は現実にはなかなか難しいことのようです。
 話を矮小化しますと、当面する高齢化による長い老後をどう暮らすかというのが、今の日本社会の大きな問題ですが、貯蓄に関して言えば、過剰なため込みは避けたほうがいいようです。

 そのためには、社会保障制度をより充実したものにすることも必要ですが、元気な高齢者に積極的に働いてもらうという事も大事でしょう。 幸い、日本人は高齢になっても働き好きで、高齢者の就業率は主要国の中でも昔からダントツです。


 要は、長期不況の中で強くなった先行きへの不安・不信から徐々に脱却し、消費と貯蓄のバランス(今日と将来のバランス)を少し変え、今の生活の充実に重点を移すことで、日本経済自体がバランスを回復、安定成長路線を回復、経済成長の中から蓄積を活用したリターンが得られることを実感することが大事でしょう。

 国民の指向、国の雰囲気をこうした方向に変えていくことこそが、今必要な経済政策(社会経済政策)ではないでしょうか。
 残念ながら、今の政権はそれに巧く成功していないようです。

人間と資本:おカネに振り回されない人・社会

2018年01月20日 14時46分32秒 | 経済
人間と資本:おカネに振り回されない人・社会
 芥川賞や直木賞が発表になって、偶々どちらにも宮沢賢治が絡むようです。それで、顰に倣ってここでも宮沢賢治を引用しました。

 「ああせいせいした。どうも体に丁度合う程稼いでいるぐらい、いいことはありませんな。」
 これは『銀河鉄道の夜』で、鳥捕りの男が言うセリフです。ワークライフ・バランスの話が出ると、私はこのセリフを思い出すのですが、おカネと人間の関係でもストンと肚に落ちるような気がします。

 世の中、自分の必要とする程度を超えて「多々益々」式にお金を欲しがる人は多いようです。
 勿論江戸っ子のように「宵越しのカネは持たねえ。カネは腕に仕込んである」と粋がるのもいいですが、「大工殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい」などと言われるので、それなりの貯蓄(資本蓄積)は必要でしょう。

 この貯蓄の必要性は、社会保障政策によって変わります。国が適切に資本を蓄積すれば社会保障は充実し、個人が心配する部分は減るでしょう。 今の日本はどうでしょうか。

 日本は世界でもかなり豊かな国ですが、国民は先行き不安が強く 個人貯蓄大国の典型のように言われます。日本人が心配症のせいなのか、社会保障の整備が不十分なのかですが、もう一つ、重要な問題があります。それは格差社会化という問題です。

 これは、ここ20余年の長期不況の中で進行してきた面が大きいようですが、経済社会が不安定になり、雇用の不安定など生活のリスクが大きくなる中で進行しました。
 加えて、少子高齢化に政府の対応が遅れていることも大きいようです。

 格差社会化というのは、通常、少数の平均以上の人と、多数の平均以下の人がいて、平均近辺の人がいなくなるという形で起きます。中間層の減少です。そして、 ピケティのいうように、資本主義の中では格差は拡大するものなのです。

 その理由は多分、人間の運や能力は多分に不公平ですし、本来の稼得能力の差に加えて、資本が多いほど資本を増やしやすくなるのが資本主義の性格だからでしょう。
 今の資本主義は、この欠点を、累進課税や相続税で是正して、福祉社会という概念を導入し、格差の拡大を防いできたから生き延びているのです。

 しかし一方で、 カネでカネを稼ぐというマネー資本主義が広範に普及するようになり、必要以上にゲームのようにおカネを稼ぐといった活動が、格差の拡大を進めてしまうという現実もあるようです。

 おカネに振り回される人が多くなるという事は、社会を不安定にする大きな要因(例えばリーマンショック)になります。
 個人の考え方はもちろん重要ですが、こうした大きな問題には、政府がどう対処するかが問われているところでしょう。

人間と資本:資本蓄積の光と影

2018年01月19日 15時42分10秒 | 経済
人間と資本:資本蓄積の光と影
 前回は、人間が「より豊かで快適な生活」を目指すのであれば、資本の蓄積が必要だと書きました。「より豊かで快適な生活」のためには「より大きな経済価値の生産」が必要で、そのために人間は、蓄積した資本を活用して生産性を上げ、経済成長を実現してきました。

 資本蓄積はその意味で必要条件です。経済成長のために資本を蓄積することは、特に新興国などでは主要な国家目標です。足りなければ借金して、経済成長の中から返済することもあります(日本の新幹線建設もそうでした)。

 こう見て来ますと資本蓄積は「光」の面ばかりのようですが、現実には「影」もありそうです。日本は今、資本蓄積の影の部分に入っているようです
 考えてみてください。いま日本では、貯金に金利が付きません。市中銀行が日銀に預けるとマイナ金利です。

 噂では、われわれが貯金をしても、マイナス金利ではありませんが、貯金通帳などを有料にして、蓄積したおカネの管理料をとるという考えもあるようです。実質的マイナス金利です。

 「人間と資本」の初回に書きましたように、貨幣が生まれて人間は経済価値を貯蔵できるようになりました。タンス預金でもいいですが、通常は金融機関に預けます。
 金融機関は皆さんからお金(預金)を集めて、おカネを使いたい人に貸すのです。そこで金利が発生します。

 おカネを使うのを我慢して銀行に預けた人は利息を受け取り、銀行から借りた人は金利を払います。貸出金利より預金金利は低いので、その差は銀行の収入になります。
 これが銀行の本来の役割ですが、みんなが資本を蓄積して預ける人ばかりになり、借り手がいなくなると銀行という仕事は成り立ちません。

 今の日本は、この状態になっていて、まさに「 銀行受難の時代 」です。
 何故こんな事なったのでしょうか。理由は2つでしょう、1つは、この間までなが~い不況で、高齢化という心配もあり国民は生活を切り詰めて貯金を増やします。企業も不況が心配でおカネを貯め込みます。

 政府・日銀は、皆におカネを使ってもらおうと、金融政策、財政政策でおカネをジャブジャブにします。しかし、家計も企業も 将来が不安 ですから、やっぱり使いません。経済学も経済政策も役に立たなくなっています。

 どうもこれは「資本蓄積の行き過ぎ」のようです。おカネだけは豊かになったけれども・・・。
 最初に書きました米農家で、収穫したコメを何俵食べて、何俵を種籾に残すかという例えで言えば、種籾は沢山あるが、それを使って収穫を増やそうというより、不作になったら大変だから、将来の食糧確保にとっておこう、という事でしょうか。
 これでは将来は益々不安でしょう。

 資本蓄積は大事ですが、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、消費と貯蓄がバランスよく進んでいくような「 社会全体の雰囲気」を作り出すことが、一番大切なようです。
 今の日本は、どうもそれに失敗してしまっているような感じがしてなりません。その原因の特定や、本格的な対策が必要のようです。

人間と資本の関係:人間と資本蓄積の効用

2018年01月18日 10時36分43秒 | 経済
人間と資本の関係:人間と資本蓄積の効用
 「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りれ栄辱を知る」「恒産無くして恒心なし」もっと砕けて「金持ち喧嘩せず」などと言った諺は多いようですが、矢張り生活が安定するという事は人間を穏やかにすると考えられてきたようです。

 生活が安定するというのは、安定した収入があり十分な財産を持っているという事でしょう。そうすると人間は立派になるようです。
 勿論「俺はカネはないけど心は立派だ」という方も沢山おられます。

 諺はさておき、ホモサピエンスは向上心を持っていて、誰もが「より豊かで快適な生活(社会)」を目指していることは確かでしょう。
 では「より豊かで快適な生活」の実現には何が必要でしょうか?

 答えは「人間の心の中にある」というのが哲学や仏教の答えかもしれませんが、われわれ凡人にはやはり「経済的な収入と資産の蓄積」という事になるのでしょう。
 勿論おカネのあることは十分条件ではありませんが、必要条件の重要な1つではあることは間違いないように思われます。

 これは個人でもそうですし、国でもそうです。1人当たりのGDPが大きく、社会資本が充実している国ほど、国民生活は豊かで快適というのは経済学の一般的な認識です。
 というようなわけで、人々は資本蓄積に熱心です。勿論法人である企業も資本蓄積には大変熱心です。

 資本蓄積には、もう1つ重要な側面があります。企業の場合特にそうですが、 資本を活用すれば生産性が高まり、より速い資本蓄積が可能になるという側面です。
 ですから、企業の場合、資本蓄積は特に大事で、(個人の資本蓄積はこれからの生活をより良いものにすることが目的という場合が多いでしょうが)、蓄積した資本を、生産性向上のための研究開発や設備投資に使い、生産性を高めて競争力を強くし、企業の発展を加速するという目的が主要でしょう。

 確かに労働の資本装備率と生産性は通常明確な順相関(あるいは比例関係)にあります。
 このように見て来ますと、国でも企業でも個人でも、やっぱり資本蓄積は大事で、生産したものを全部消費してしまうのではなく、資本蓄積を確保し、それをより豊かで快適な社会の実現に生かすことが大事です。

 ただお金を貯めるばかりでは、イソップ寓話の「守銭奴」と同じでしょう。それを活用してこそ初めておカネ(資本蓄積)が生きるのです。
 
 矢張り資本蓄積を生かすも殺すも人間の知恵次第で、人間がお金に振り回されてはいけないようです。

人間と資本の関係:人間の分け前、資本の分け前

2018年01月17日 13時08分28秒 | 労働
人間と資本の関係:人間の分け前、資本の分け前
 昨日、日本経団連が2018春闘政策を盛った「経労委報告」を出しました。マスコミによれば、目玉は、安倍総理の意向を忖度した「賃上げ3%の提言」のようです。
私もどこかのセミナーで、説明を聞いてこようと思っていますが、これは賃金という労働者の分け前を3%増やすべきだという事で、労働者の分け前を増やせば、その分資本の分け前(利益)は減りますから、これは労働と資本の分け前に関わる提言です。

 労組の2%ベア要求、経団連の3%賃上げ要請という問題については、過日「 経団連会長3%賃上げを呼びかけ」で触れましたが、また改めて、労使の話を聞いてから取り上げます。

 今回は人間と資本の関係の本質論ですから、本論に帰りますが、「労働と資本の分け前(賃金と利益の分け方)」という場合、基本は「何を分けるのか」です。
 ここを確りしておかないといけません。分ける対象は「付加価値」(このブログの主要テーマ)です。 付加価値は、国で言えば「GDP-減価償却費=国民所得 」です。これは雇用者報酬と営業余剰、つまり賃金と利益に分けられています。

 最近、賃金は上がらなくて、企業の利益への分配が多く、企業の内部留保が増えている、労働分配率が低下しているといわれますが、労働分配率というのは付加価値に占める労働への分配の割合です。

 実は経済問題の大半はこの労働分配率の在り方に関わるものです。資本への分配が多すぎるという事から共産主義思想が生まれました。労働への分配が多すぎると1980年代の欧米の様に、インフレから スタグフレーション になって、経済成長が止まります。

 では誰が配分を決めるのかというと、身近なところで、経営者(と労働組合の交渉)が決めるのです。
 今の日本では決め方が巧くないという理由で、安倍総理が「3%賃上げしなさい」などと分配の是正(イレギュラー発言)を言っています。

 労・使・政府と役割分担で分業しているので、どうしても自分達の都合のいいように決めたがることが多いのですが、全部一人でやる場合は、1人で両方考えなければなりません。
 例えば、米を10俵収穫して、何俵まで食べて(賃金相当)、あと何俵は来年の種籾などにするか(利益相当)、を一人で決めなければなりません。

 食べない分は、種籾、土壌改良、農機具の購入などの資金に充てる分ですから「利益、貯蓄、投資など」つまり来年以降のより良い収穫のための配分、つまり「より良い将来」への配分を全部自分で決めるわけです。
 役割分担が無ければこうして自分で考えて納得がいくように分け前を決めますが、役割分担の世界では、往々「配分闘争、分捕り合戦」という事になってしまいます。

 J.バーナムの「 経営者革命」、P.ドラッカーの経営学の教科書などでは、経営者が「役割分担」を超えて、適正な分け前を合理的に決める機能を果たすべきだという思想に立っていると考えますが、欧米の経営スタイルは「経営者は資本の代弁者だ」という考え方が強いようです。

 翻って、日本の場合を考えますと、経営者も適正な配分を指向し、 労働組合も経済・経営に整合した配分指向を持ち 、世界に稀な労使関係、付加価値配分理論を確立してきています。
 
 近年経営者側には、長年の不況のせいで、過度に防衛的・保守的になっている様子が見られますが、労働側の極めて冷静、合理的な対応が目立っています。
 経済・経営を運営するのは人間です。人間として知恵と力を合わせて、「役割分担を超え」より良い将来のための配分を考えるというのが本来の在り方でしょう。

人間と資本の関係:中心はどちら

2018年01月16日 16時53分47秒 | 社会
人間と資本の関係:中心はどちら 
 太陽が地球の周りをまわっているのか、地球が太陽の周りをまわっているのかは、ガリレオとローマンカトリック教会の対立でしたが、今日の企業社会で、人間が中心か、資本が中心かと言いますと、結構論争のある所ではないでしょうか。

 企業は株主のもので、株主の利益が最も大事というのは、伝統的な欧米流の企業(株式会社)の在り方のようですが、企業が欲しているのは、株主という人間ではなくて、株主の提供してくれる資本でしょうから、株主という個人の顔は消えて、提供された資本に忠実に収益(資本の増殖)を齎すのが企業の果たすべき役割という事になり、矢張りおカネが中心か?という事にもなりそうです。

 しかしもう少し遡って考えると、人間が共同作業で採集や狩猟、さらには農業などで富(資本)を増やし、さらには企業(代表が株式会社)という組織まで作り上げてきたのは、生産活動の技術とシステムの進化でしょう。

生産活動を進化させてきた理由は「豊かで快適な生活をしたい」という人間の願望がすべての源ですから、やっぱり企業活動(生産活動)の中心は人間だという事になります。

 さらに考えてみれば、地球環境というのは「自然が用意してくれた」資本です(神様が与えてくれたと考えても同じですが)、これは無償供与です。仏教流なら「地水火風」でしょうか、これらは万人に共通・共有です。
 つまり、土地と水、それに空気と太陽エネルギーです、この自然からの無償供与を人間が自由に使って生産活動をしてきたのです。

 人間社会はどんどん進化し、共同体生活から国が出来、株式会社という組織まで考案し、それが生産活動の高度化に大変便利な組織になるよう進化させてきました。
 そして国でも株式会社でも、人間は役割分担をすることが生産活動の効率化を進めることを発見しました。(例えば、アダムスミスの分業論『pin factory』など)

 人間は貨幣を考案し、経済価値の尺度、交換の手段、価値の貯蔵といった役割を貨幣に果たさせることが出来るようになりました。
 そして多分、貨幣の役割と、人間に役割分担のシステムが多様に組み合わされて、資本家や労働者も生まれ、その中から「経営者」や「労働組合」といった関係も生まれ、経済学は1人の人間を、生産者と消費者に分けて分析し、経営学や、労働経済学は資本家、経営管理者、労働者(労働組合)に分けて行動科学などを展開することになったのでしょう。

 しかし現実には、1人の人間が生産者であり、消費者であり、資本家(株主)でもあり、経営管理者と同時に労働者であったりするのです(生活者)。
 冒頭にあげた、資本が中心か人間が中心かといった二分論は、本来は人間が主体で、資本は(意思など持たない)客体、人間が資本を使って生産活動をするというべきなのでしょう。

 ただ、人間の役割分担が、カネ(資本)との結びつき具合で、時に軋轢を生じ、役割意識が、資本があたかも独自の意思を持つかのように擬人化されたりするのです。
すべては人間の中の事で、権力(重要な役割)とカネ(資本)に過度に執着する人間がいたりすると資本が主、人間が従といった錯覚が起きたりするのではないでしょうか。

活発化する武器輸出:その背景と帰結?

2018年01月15日 23時08分57秒 | 国際関係
活発化する武器輸出:その背景と帰結?
 前回、トランプ大統領が「日本は沢山武器を買ってくれるだろう」国民に自慢したことは書きました。
 
 武器というのはごく一般的なもの以外はマーケット価格がないのでしょうから、適正な価格についての判断は難しいものでしょう。
 イージス・アショアが一基1000億円と言われても、それで待機児童が何人減らせるという試算は出来ても、それで核弾頭付きのミサイルが飛んできても大丈夫だという事であれば、高いとは言えないという事になるのでしょう。

 中国は潜水艦の輸出に熱心だそうです。限られたマーケットの中ですが、中国製は安いという事で輸出攻勢などと言われています。
 安倍政権によって、条件付きで武器輸出を解禁した日本も、潜水艦を売りたいようですが、日本製は高いのと、戦争をしないと言っている国の武器はあまり魅力的でないのか、容易ではないようです。

 戦争がないことを願いながら、武器を買う理由は「もし戦争が起きたら」という懸念や危険に対する保険のようなものなのでしょうが、核兵器までカバーする保険相当という事になると保険料も高くなるのが当然でしょう。

 兵器にも耐用年数(技術進歩で陳腐化することも含めて)があるのでしょうから、その間戦争が無ければ、最終的には不良資産になって廃棄という事になります。まさに掛け捨て保険です。しかし戦争があってくれればよかったとは絶対言わないはずです。

 考えてみれば、武器ビジネスというのは、大変奇妙な、困ったビジネスですが、今の国際情勢の中では「必要だ」と考える国が矢張り多いのでしょう。
 北朝鮮も核開発はやっても、先制攻撃などはやらないという事のようですが、トランプさんとの「口撃」のやり取りを聞いると、何が起きるか解らないと感じる人も多いでしょう。やはり、危険を感じれば、保険は必要という事になります。

 日本もそうした意味で、アメリカの国際収支改善に協力することになるようですが、その分を少しでも日本からの武器輸出で取り返そうという事になるのでしょうか。
 武器輸出3原則も最近の国際情勢の中で、次第に変質して来るようですが、日本の場合、平和と安全維持のためなどと言った文句が入ります。

 過去の世界の多くの戦争は、平和と安全維持の名のもとに行われている所を見ますと、平和憲法という孤高の理念を掲げて、世界の中で何とか努力しようとしていた日本も、時流の変化には勝てず、戦後70余年、やっぱり泥沼の下界に(豊葦原の瑞穂の国ではなくて)に降りていくのかと、何となく情けなくなってきます。

 余程確りした理念を掲げておかないと、時流に流され、なし崩しにどこまでも堕ちていくことになりかねません。
 日本は 「普通の国」に堕していいのでしょうか。