tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

本当に必要な経済政策

2012年04月28日 22時00分37秒 | 経済
本当に必要な経済政策
 先日のG20 の際に、白川総裁が、改めて、「こうした金融面からの対応は、あくまでも時間稼ぎでしかない」という趣旨のことを発言されたと報道記事に出ていました。
 私などは、こうした発言が一番大事なことだと思うのですが、ほとんどの報道記事は「お金が予想外にたくさん集まってよかったこれで不安も沈静するだろう」とか「金はそれなりに集まったが、多分これで足りることはないだろう。さらに積まなければ不安が残らざるを得ない」なんて言うものばかりでした。

 いわば歯が痛いから「痛み止め」を用意した所、これだけ用意出来れば安心だという意見と、これではまだ足りないかも知れないので心配だ、と言いう意見しかなかったみたいな印象を受けた人が多いのではないでしょうか。

 痛み止めは単なる時間稼ぎですよ、歯痛の原因は何で、どうやって治すのか、いつまでに治すのかが本当の問題なんですよ、という論議はほとんど聞こえてきません。
 こんな事でお茶を濁していていいのでしょか。

 大体、今度はポルトガルが危ない、スペインが、アイルランドが、イタリアがといった憶測や思惑が流されたり、どこどこでデモがあった、投石があった、放火もあった、少したって、暴動が何とか収まったようだ、国債入札が無難に終わった、などなどといったニュースが流れるたびにユーロの価値が大きく上下するようなことで、EUや各国の政府も中央銀行も、さらにはIMFも、安定したまともな経済政策、金融政策がとれると思っているのでしょうか。
 国際投機資本には、大歓迎のこうした為替変動も、実体経済の運営には、百害あって一利なしです。

 そういう不安定を脱却することが、世界経済にとって最も大事なことなのですから、不安定をもたらす国の経済を早期に健全なものにするにはどうしたら良いかを本気で論議するのがG20の最も大きな仕事でしょう。

 幸い、今の経済の病気には、脳腫瘍、心疾患、肺がん、肝硬変などという多様性はありません、ほとんどは同じ病気で、収入と支出のアンバランスです。ですからほとんどは同じ処方箋で治るでしょう。
 早く共通の処方箋を書いて、最も効率的な治療手続きを確立し、患者に治療生活に入ってもらう、それしかありません。「良薬口に苦し」も当然です。本気でやれば、通常な2.3年で治ることです。

 問題は、今の地球社会にそれを徹底できる権威と正当性と力のあるシステムが用意されていないという事でしょう。だからこそ、G20やIMFが早期に客観的な権威を確立し、普遍的な政策展開を行うことが重要なのです。


多様な社会の共存を考えよう

2012年04月23日 21時38分03秒 | 社会
多様な社会の共存を考えよう
 前回は鳥の巣箱についてか書かせていただきました。その中で、鳥の巣箱の専門家の方が、人間は巣箱の方が絶対環境がいいと思って作っても、鳥には鳥の事情があって、すぐに入るとは限らない」言われたとご紹介しましたが、写真の通り、我が家でも巣箱は空き家で、「こんな所に」と思うようなところに、現実に小鳥は巣作りをしていました。
 
 小鳥と人間では、考え方が違うのは当然ですが、人間の間でも、考え方は違います。ブータンの国王ご夫妻が来られて「国民の最大幸福」について語られました。多くの日本人が強い共感を感じました。やはり人間の本質に触れたものだからでしょう。

 共感しつつも、我々の多くは、ブータンの人々のような生活をしようとは思わないでしょう。そして、それはそれでいいのではないでしょうか。我々はブータンの人にない生活を持っています。しかしブータンの人は我々にない生活を持っています。
 お互いにそれを尊重し合い、尊敬しあい、理解しあって共存することこそが、本当に意味のある、最も大事なことでしょう。

 生物多様性については、近年、人間は理解を深めてきたようです。人間社会の多様性については、もともとアジア人はそれなりの理解を持っているように思います。
 ところが残念なことに、世界のリーダーであるアメリカの最近の様子を見ると、どうも世界を皆アメリカのような社会にしないと気が済まないような、異常な執念を持っているように思えてなりません。

 日本は戦後、アメリカに多くを学んで来た国です。そのアメリカが戦後から随分変質しながら、その変化に世界中を従わせることに余りにもこだわっているように見えてなりません。
 
 日本は小泉政権以来の規制緩和で、社会の質がかなり変わり、一部には強い反省の機運があります。しかし今回のTPP問題に見るように、アメリカは日本にさらなる規制改革の徹底を迫りたいようです。
 しかし社会が違えば、人間の意識も違い、生活様式も違う中で、すべてアメリカ流がいいと言い、それを強いるのは、些か異常でしょう。

 アメリカをそうさせるものが、アメリカの行き過ぎた親切心なのか、それとも切羽詰ったアメリカの焦りなのか、十分に読み取る必要はありましょう。
 
 その上で、これは日本の判断として、我々の学んできた本来のアメリカは、も少し違った国ではなかったかと、忠告するぐらいの意識を持ちたいものです。


この巣の主は?

2012年04月19日 15時56分38秒 | 環境
この巣の主は?



 一昨年でしたか、「小鳥の巣箱をかけよう」という運動があって、私も参加し、巣箱を一つ作りました。それからタオルの入っていた木箱を改造してもう1つ巣箱を作り、2つとも庭のに木に架けました。

 巣箱づくりの専門家の方のお話では、
 「わたくしたち人間の感覚では、こんな巣箱は小鳥にとって最高の環境なので、すぐ入ってくれるかと思いますが、小鳥には小鳥の事情があるようで、なかなか入ってくれません。気長に待つことが肝要です」
ということでした。

 そんなもんかなと思って架けておいたのですが、昨年秋になって、庭に来る雀が時に、巣箱に入ることがありました。秋ですから、巣作りの様子はなく、単に遊んでいるようなので、そんな話をしたら、その専門家のお弟子さんが 
 「来年の下見をしているんかもしれませんよ。よくあることです。」と教えてくれました。

 今年の春になって、出入りの回数も増えた様で、そろそろ巣作りを始めるかな、などと思って見ていると、先週の暖かい日、突然、2羽のシジュウカラがやってきて、1羽が巣箱の周りで見張りをし、もう1羽は、下に降りて庭の苔をはがし、一生懸命巣箱に運び始めました。
 我が家の庭には、スズメ、ヒヨドリは毎日のように来ますが、シジュウカラは時折しか来ません。

 確か昨年秋、シジュウカラが一度巣箱に入るのを見ましたが、それでもちゃんと覚えていたのかな、など思って眺めていると、巧み地面からにコケをはがし、巣箱に運びます。スズメやヒジヨドリが来ると飛び去り、いなくなるとまた始めます。  
 翌日は雨が降りました。そして少し寒くなりました。心待ちにしているのでが、雨以来、今週になってもシジュウカラは来ません。家内は「ほかの鳥が脅かすからやめたんじゃないの」などと言っています。私は期待してまだ待っています。

 ところで、話はもう1つあります(スティーブ・ジョブズの口癖ではありませんが)。
 上に掲げた写真です。
 昨年暮れ、なかなか落ちなかった葉がやっときれいに落ちた後ですが、玄関脇のアメリカハナミズキに「何かあるな」と気が付き、2階の窓からよく見ると、明らかに小鳥の巣です。

 地上2メートル半ぐらい、繊維状のものをきれいに巻いて、直径6~7センチ、深さも同じくらいですから、まさに小鳥のものでしょう。せっかく住み心地の良い巣箱を用意してやっているのに、こんな目の下を車も人も通るところに、知らぬ間に巣作りをしていたのです。
 たぶん去年の春か夏には、ここで雛が育って、飛び立っていったのでしょう。
 それにしても、この巣の主はどんな鳥だろう、もしも今年もこの巣を利用するのだったら、是非確かめてみたいと思っているのですが、首尾よく行くでしょうか。

 ということで、この写真をご覧なって、「あ、これは何々の巣!」とご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、教えていただきたいと思います。
 シジュウカラの方は、またの折に、顛末をご報告させていただきます。

舶来崇拝からの早期脱出を

2012年04月12日 22時09分01秒 | 社会
舶来崇拝からの早期脱出を
 「日本人は自信を」と言った方がいいのかもしれませんが、敢て「舶来崇拝脱出」にしました。もう少し嫌な言葉ですと「島国根性からの卒業を」なんて言えるのかもしれません。

 折に触れて書いてきましたが、日本人は、独特の自虐的な側面を持っているようです。一部の知識人に特有なのかもしれませんが、日本は駄目だと「発言する」事に快感を感じているように見えることすらあります。

 最近の研究で、日本が世界でも最も豊富なDNAを持つ国の1つであることが見えてきたようですが、日本が大陸と陸続きだったころから、ユーラシア大陸のいろいろなところやアジア、オセアニアから多様な人々が流入し、住んでいたのでしょう。その後海面上昇で閉じた日本列島の中で、この人たちは争わず奴隷制もなく仲良く暮らしていたようです。
 そして縄文時代約1万年をかけて均質な日本人になったのでしょう。

 その後、進んだ技術や文化や宗教は、すべて海外から入ってくるようになり、稲作や織物、陶磁器、青銅や鉄器、武器(ついでに戦争も)、漢字も仏教も海外から入って来ました。そして日本人に、「優れたものは海外から」という舶来崇拝の意識を植えつけたのでしょうか。

 一方、本来の縄文時代が育てた日本人は、こんな日本人ではなかったかとわたくしは思っています。
 
・「世界で最も多様なDNAが争わずに平和共存し混血し、純血化 (薄衣佐吉「日本学宗」)してきた。
自然と最も巧みに共存 してきた(自然は人間の働き掛けでより豊かになることを実践、山を育てれば海も育つなどなど独特の知恵を持ち、自然を最も多く残してきた)。
・異質を平和裏に同質化し社会を安定させる文化を作ってきた(仏教と神道の習合)。

 こんな素晴らしい実績を上げながら、この千数百年は、舶来崇拝を繰り返し、周回遅れの植民地主義で大失敗。焦土から立ち上がり、国土は狭く資源は無くても生産性さえ上げれば、世界一豊かになれることを実証しながら、まだ自信が持てず、円高も自分の能力不足のせいと諦め、マネーゲームの勉強をしたり・・・、と舶来崇拝が抜けないのです。

 最近では、自分たちで考えてやっていることは立派だが、外国に言われたり真似をしたりすることは殆ど失敗です。
 このIT時代、島国などという条件は雲散霧消です、少し自分の信ずるところに従って、本来の日本人らしい行動をやってみませんか。


為替レートと経済価値基準

2012年04月07日 22時27分02秒 | 経済
為替レートと経済価値基準
 支点があれば地球を動かすといったのはアルキメデスだったでしょうか。幾何学では点の位置を示すのに直交するx軸とy軸の座標を書き、原点からそれぞれの軸にそった距離を測って(x,y)という形で正確な位置を示します。メートル法にはメートル原器があり厳格に保管されています。人に対しても「あの人は軸のぶれない人だから信用できる」などと言います

 すべて物事を計測、評価する場合には、基準を明確にしなければなりません。
 ところで、経済というのは、経済的な価値を計測し評価する活動が基本になります。
 一国経済の規模を表すGDP,国民の生活のレベルを示す消費水準、経済活動の効率を表す生産性、などなど、すべて通貨価値を基準にして計測されて示されます。

 一国内の経済活動についてはこれでいいのでしょう。米ドル、ユーロ、人民元、円、皆それぞれの国ないし通貨圏の中ではそれぞれの中央銀行によって管理され、それぞれの国内の共通の経済価値基準として認識され、それなりの信用を維持しています。

 しかし、今は、経済グローバル化の時代です。グローバル化が本格化すればするほど、国際的な経済価値の基準が安定したものでなければなりません。
 ところが、現実を見てください。グローバル化が進むのと反比例するように、国際価値基準の不安定性、不規則な変動が激化し、しかも、それが殆ど放置されています。アメリカは赤字を垂れ流し続け米ドルは基軸通貨の用をなしません。

 何故なのか? これが、今の国際経済体制について持っている私の第二の疑問 です。
 世界には、ノーベル賞をもらった人々も含め、優れた経済学者は山ほどいます。優れた社会学者も哲学者も思想家もいくらでもいます。大国の政権担当者やリーダーは、そうした頭脳を政策に活用することはいくらでもできるはずです。

 それなのに現実を見れば、第二次大戦の惨禍の反省の上に先人(優れた政治家や思想家)の主導で築かれたブレトンウッズ体制は、とうに打ち捨てられて顧みられることもなく、ヨーロッパ平和の理想の上に築かれたEU、ユーロ体制は加盟国の内紛にまみれ、それらを栄養に増殖する国際投機資本が、国際経済の価値基準である為替レートを勝手に操るような無秩序が蔓延しています。

 国内を見渡せば、リーダーたちは、為替不安の泥沼に沈む日本経済の中で、非現実的な成長数字を前提に、政策論議と政権抗争に明け暮れ、唯一、大震災被災地の普通の日本人がその悲惨な状況にもめげず、整然と生真面目に行う行動だけが、世界に感銘を与えるといった状況です。これでいいのでしょうか。


世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 3

2012年04月06日 12時11分40秒 | 経済
世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 3
 経済的に成熟した国では、多くの家計が蓄積資産を持っています。いろいろな形の年金資産も積み上がっています。問題の根底には、この蓄積資産を安全なものとして蓄積しておけるかという問題があるわけです。

 先に2月から3月にかけてAIJの問題 に絡んで、「蓄積社会に必要な金融の安定」について書かせていただきました。世界最大の個人金融資産を擁する日本、これからの超高齢化社会を乗り切らなければならない日本にとってこの必要性は極めて高いと思われます。

 ところが日本の政府がとってきた政策はどうでしょうか。その必要性が高まるのに反比例するように、金融資産の安定が損なわれてきました。確定利付き預金から投資信託への誘導、元本保証金融商品の減少、ペイオフ制度の導入、厚生年金積立金の海外不安定運用、企業年金の確定拠出制度の導入、などなど。
 結果的に、銀行の従業員が、投資信託を売り歩いて、その手数料で給料を貰うような始末です。

 これらはすべて金融機関も政府も、リスクを背負わず、リスクがあれば、それは顧客の責任だとして、顧客にパスしてしまうという安易な金融システムへの移行に外なりません。

 これを遡れば、日本の金融機関が、ローリスク・ローリターンを良しとする安定の哲学から、ハイリスク・ハイリターンも狙おうというギャンブル体質に変わってきたからで。その背後にあるのは、アメリカをはじめ万年赤字を垂れ流す国々が、赤字をファイナンスするために推し進めた、歪んだ金融自由化に、人の好い日本政府が見事に乗せられた、という事でしょう。

 仕事に就けない若者がFXに溺れ、官僚の出身のファンド経営者が「儲けて何が悪い」と捨て台詞を言ったように、かつては「額に汗した金」と「あぶく銭」を峻別出来た日本人の健全な金銭感覚は、次第に蝕まれています。

 こんな恐ろしいことが20年、30年かけて、進んできているのです。
「日本はだれかについていけばいい」という時代はとっくに終わっているのです。日本が本来の日本の「心」を取り戻し、日本の政権担当者を始め、日本の多くのリーダーたちが、生真面目な「日本の心」によって、世界に貢献出来るようになることが、世界の安定にとって必要という気概を持つべきでしょう。


世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 2

2012年04月05日 11時23分48秒 | 経済
世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 2
 前回書きました最近の風潮、付加価値創造に関係あってもなくても入ったカネは同じカネ、これは一体どういう事でしょうか。
 蓄積資本のある先進国は、通常、成熟経済ですから成長率は高くありません。一方途上国は育ち盛りですが、資本が不足というのはよくあることです。

 こういう場合に、先進国が途上国に投資し、途上国の経済発展を支援しながら、金利や配当の形で適切なリターンを得る、というのは、誠に理に叶ったことで、双方にとってwin=win の良い関係という事になります。

 こうした形で国際金融が活動するのが理に叶っているというのは、所得が全てインカムゲインの範囲にとどまっているからという事でしょう。

 ところでこれを少し発展させてみます。先進国の投資銀行が、途上国の優良企業の株を取得します。経営や技術についての指導も行います。安定した資金と指導者を得た途上国の企業は、技術の高度化を達成し、毎年、着実に安定した配当を支払います。15年後この企業は投資銀行の支援を卒業出来るまでに成長し、その頃には株価も3~5倍になっていました これも投資銀行、途上国企業の双方にとって、美しきサクセスストーリーです。

 さらに発展させてみましょう。投資銀行は途上国の将来性ある企業を見つけ株を取得します。その企業は、世界で有名な投資銀行に選ばれたという事で評判になり、株価が急騰します。投資銀行は、すかさず高値でその企業の株を売り抜け、そのニュースでその企業の株は暴落、その企業は倒産します。

 2番目は、投資銀行にとって、インカムゲインもキャピタルゲインも入るという、win=win の関係です。3番目は、いま流行の、短期金融取引の原型でしょう。これは投資銀行が、「投資銀行の役割は、投資して企業を育てること」という本来の目的を忘れて(社是社訓に書いてなったのかな)、キャピタルゲイン極大化のみを考えるギャンブラーに堕した結果に外なりません。

 今の金融システムでは、3番目の活動を、デリバティブの開発、レバレッジの拡大で、より専門的に、より隠密裏に、より徹底的にやることが、「本来の金融」という座にのし上がろうとしているのではないでしょうか。

 株式の時価発行、時価会計、変動金利、キャッシュフロー重視、時価総額で評価・・・、などなどの会計諸制度はそれに見合った制度面からの支援のように見えます。
 さて、我々は、将来のためにいかなる金融システムを選ぶべきでしょうか。


世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 1

2012年04月04日 12時23分06秒 | 経済
世界経済は将来どちらを選ぶか:金融機能のあり方 1
 今回は今年3月7日の「蓄積社会に必要な金融の安定」の続きです。
 このブログでは、これまで、いろいろな言い方で金融の問題を取り上げてきましたが、基本は次のように考えてのことです。現生人類は発生以来その能力(脳力)を活用し、「働く」ことによって、より豊かで快適な生活を実現してきました。
 具体的に言えば、人間は、地球の自然に働きかけ、自然と共存、共栄の関係の中で、ここまでの実績(生産性向上成果)を上げてきました。

 その成果は、通常、GDP(付加価値)という形で測られます。A.マズローの欲求5段解説になぞらえて言えば、GDPが小さいうちは基礎的な欲求を満たすことが中心ですが、「1人当たりのGDP」(付加価値生産性)が大きくなれば、それはより高次の欲求の満足に使われるようになり、人間生活は、多様な意味でより快適なものになります。

 ここには1つの基準があります。それは、人間生活の豊かさ、快適さの大きさを決めるのは、「生産性」であるという原則です。
 個人でも、社会でも、地球全体でも、より良い生活を実現するためには、「生産性」を上げねばなりませ。

 芸術活動のようなものに、生産性概念を当てはめるのは芸術の冒涜だという考え方もあるでしょう。私も賛成です。
 しかし、孤高の芸術家が、どんな素晴らしい絵をかいても世の中がみんなその日の生活に追われていたら、その絵はいつか朽ち果てるでしょう。

 世の中が豊かであって初めてその絵は発掘され、立派な美術館に飾られ、世界中の人々がその絵を鑑賞し、より快適な「素敵な人生」を実現することが出来ます。芸術作品の価値も、その社会の「生産性」が高まらなければ生きてきません。
 より快適で素晴らしい世の中も、矢張り「生産性の水準」に依存しているのです。

 ところで、金融の所得の中には、付加価値生産に協力して、その中からの分け前に与る所得と、他人の作った付加価値を、自分の所に移転させる所得とがあることはご存知の通りです。大まかに分けて、前者をインカムゲイン、後者をキャピタルゲインと言います。

 今。アメリカの推進する政策は、この両者を同じゲイン(所得)として認めようとしているようにしか見えません。これが良いのでしょうかというのが第一の疑問です。