tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

大震災復興の資金と組織

2011年09月29日 14時45分02秒 | 経済
 連日ニュースをにぎわしているのは復興予算の財源確保のための増税問題です。
 賛否両論が渦巻いているようですが、戦後の日本経済なども含め、災害復興という問題を考えてみた場合、復興部分の経済成長率は、それ以外の部分に比して大きいはずです。日本経済はほとんどゼロ成長ですが、日本経済の中の復興部分は、当然ある程度のプラス成長を確保するでしょう。

 今、国内投資は円高でペイしにくくなり、海外投資が盛んになる状態ですが、復興部分がプラス成長ということであれば、復興のための投資はペイするということになります。
 では復興部分に投資する資金源はどこにあるかといえば、それは、すでに指摘してきましたように、日本経済の貯蓄超過部分、つまり経常収支の黒字部分という計算が合理的でしょう。

 従来、アメリカ国債などの購入に回っていた年間十数兆円のカネを復興のために、国内に投入することです。今年度の経常黒字は、当初見通し 17兆円、3月の大震災で減りましたが、その後再び増加し今年度第1四半期(4~6月)だけでも1兆数千億円の黒字で、今後3年間なら30兆円を優に超えるのではないでしょうか。

 経済成長があり、投資してペイするならば、増税であれ、投融資であれ、円高で目減りするアメリカ国債を買うより、国内でカネを使ったほうが日本経済にとってプラスであることは明らかです。
 おそらく復興財源確保のための増税も、適切な使途の管理をし、投資収益計算をすれば、確実に黒字になると思われます。

 同様に、金融機関は復興資金への投融資に注力し、国内投資で収益を上げるよう徹底した努力をすべきでしょう。戦後、復興金融公庫が出来ました、活動の仕方如何の問題はありますが、東北復興公庫のようなものに金を集めるのもいいかもしれません。

 理論的には、こうした合理的な対応は十分可能なのですが、問題は、増税をすれば、無駄遣いが増え、公庫を作れば組織維持のコストが嵩むという、旧態依然のビューロクラシーの弊害がついて回ることです。

 今の日本人が、これを避けるだけの品格と知恵と能力をもちうるならば、「がんばろう日本」の標語が、単なる標語ではなく、日に日に成果を出すことは十分可能と思います。
 そのために必要なのは、選良、公僕としての、政治家、官僚の純粋に国民のためを思う心であり、責任を持つ経営者の「公器を預かって社会に役立つ」という強い意志でしょう。

 経常黒字を国外に持ち出すのではなく、国内で活用して、災害復興にも、経済再建にも、そして多分円高の阻止にも活用できるチャンスは、今、眼前に存在しています。
 国会は、揚げ足取りや嫌味のいいあいが多すぎるようです。政権維持も政権奪取も重要でしょう。しかしそれは、こうしたリーダーシップを発揮するところに自然についてくるものなのではないでしょうか。


資本主義の社会主義化?

2011年09月25日 12時59分10秒 | 経済
資本主義の社会主義化?
 今回のG20もあまり具体的成果にはつながらないようで残念です。こんなことを繰り返しながら、世界経済はますますの混乱に向かって進むよりしょうがないのでしょうか。

 最近いろんなところで、最近の状況を、第二次世界戦争前の状況になぞらえている論評が見られます。人類誰もが、そこまで行くことは避けたいと思っているのでしょうが、多くの国で、いろいろな形の国民の不満が高まり、政権担当者があせり、その中で誰かの心のうちに「戦争による解決」という選択肢が生まれるのが、破局の始まりでしょう

 ユネスコ憲章の前文に「戦争は人の心の中で始まるものであるから、平和の砦は人の心の中に築かなければならない」と、故アトリー英首相の言葉がありますが、今はユネスコのマークを見て「これは世界遺産のマークです」とガイドが説明する時代です。第二次世界大戦という人類の大失敗の経験も遠くなってしまったのでしょうか。

 今回のG20でも、オバマ大統領は大変あせっていたようですし、ユーロ圏は、ギリシャのように、耐乏生活に不満の国民、逆にドイツのように、赤字国支援に不満の国民と二様の加盟国を持つ混乱に頭を抱え、また国際金融の混乱に翻弄されるブラジルなど、多様な自国問題を抱えたリーダーの姿が垣間見えます。

 当面の解決策の方向はというと、各国財政の健全化とユーロ危機の沈静化を目指しての安定基金の拡充という事のようですが、「経済政策は財政と金融だけ 」という道具不足の中で、財政政策は行き詰まり、後は金融政策頼みと追い詰められながら、結局それは黒字国が(とめどなく)赤字国を支援するという形になりかねず、そこに、国際投機資本が巨利のチャンスを見出すといった、解けないパズルに引き回されているようです。

 もともと、資本主義、自由主義経済というのは、真面目に働いたものが、より多くの報酬を得る事で人間のやる気を引き出すことに原点があるはずです。
 今、G20がやろうとしていることは、稼ぎより消費の多い国に対し、真面目に働いている国が支援して、当面の混乱を凌ごうという政策でしょう。赤字国が本気に健全化を目指しているのなら、支援のし甲斐もあるというものですが、現実はどうなのでしょうか。

 黒字国が赤字国を支援し続けるということになると、それは資本主義が社会主義の原理に近づいているということでしょう。個人と同じように、国家も基本的には自己責任に立たないと社会は成り立ちません。だから社会主義は崩壊しました。
 こんな形で、資本主義が社会主義化するとは、流石のシュンペーターも予測しなかったでしょう。


円高の恐怖は変わらず

2011年09月22日 14時53分37秒 | 経済
円高の恐怖は変わらず
 新内閣は、円高に対しては「事態は深刻」と強い関心を持っているようですが、この所の円の動きを見ていると、アメリカの量的緩和の話が出たりするたびに、じりじりと円高が進むといった様相で、円高への企業の恐怖感は、これまでと変わらない状況が続いています。

 スイス中央銀行の決断については、このブログでも、3~4回前に触れましたが、その後の動きを見ると、その表現の強烈さに国際投機資本も恐れをなしたのか、宣言の通り、1ユーロ=1.20~1.22スイスフランで安定し、スイス中央銀行は長期的には、合理的な水準を目指してさらなるスイスフラン安を目指すと発言、意志の強さを強調しています。

 わかり易く、円とスイスフランを比較すれば、1スイスフラン95円だったものが、85円に下がってそのまま安定しているのです。国際投機筋も手を出しにくくなっているのでしょうか。

 日本時間では今夜から(9月22日)からワシントンでG20が開催されますが、政府・日銀は、円高阻止のために、どんな説明をするのでしょうか。

 国内では、復興対策や景気対策のための第3次補正など、多くの資金需要があり、増税か国債発行かで揺れることでしょうが、これはあくまでも国内問題で、海外から見れば、日本は、大震災後の第2四半期(4~6月)でも、国際経常収支は、1.5兆円のプラス(黒字)で(昨年同期は3.6兆円)、問題を起こしている赤字国とは状況が違います。

 相変わらず、経常黒字を続ける日本が、赤字国の救済が急務のG20で、円高阻止を訴えても、本気で聞いてもらえない可能性は高いような気がします。
 因みに、スイスはどうかといえば、スイスも経常黒字国です、スイスに出来たことが日本にも出来るのかどうか、日本の力量が問われるところです。

 スイスの取った方法、無制限な為替介入については、問題点も指摘されています。無限にユーロを買い続けるといっても、それは現実には不可能という指摘です。従来の経験でも、せいぜい1年ぐらいなどと言われます。

 スイスのように、豊富な知識、経験、ノーハウの積み上げのない日本としては、先ず、震災復興のために、 経常黒字の分を使いきってしまうというのはどうでしょうか
 目一杯使ってしまって、黒字国でなくなれば、投機筋の日本を見る目も変わるでしょう、詭弁かもしれませんが、日本の黒字がなくなるという事は、その分だけ赤字国の赤字が減ること(世界の経常収支はゼロサム)ですから、これは、赤字国の赤字減らしへの貢献でもあります。


為替政策: 行き過ぎた自由の再考(5)

2011年09月18日 10時38分40秒 | 経済
為替政策: 行き過ぎた自由の再考(5)
 為替レートについての行き過ぎた自由の問題を取り上げてきました。
 人間の社会的行動については「左(右)側通行」や「赤は止まれ」など適切な規制が必要とお考えの方々が多いと思いますが、マネー取引、為替レート問題についても、IMFもアメリカ自身も、そうは考えながら 、なかなか積極的には動けないようです。その理由 も書いてきました。
 
 自由と平等は対立概念です。共産主義は平等を主張して登場しましたが、行き過ぎた平等は、人間の意識や行動には適さなということになり、70年ほどで崩壊しました。

 今、経済社会では、為替レートはマーケットに任せればいいという、行き過ぎた自由放任となっていて、国際投機資本の思惑のままに乱高下し、合理的思考は無視されています。
 行き過ぎた平等が、必然的に、為政者の恣意による社会の硬直性をもたらし、そのために崩壊したように、行き過ぎた自由も、最終的には無秩序と混乱の中で崩壊し、行き着くのは、過去の経験のように、おそらく国家間の争い、戦争という形になるのでしょう。

 平等と自由の適切なバランスをとるのが「正義」(Justice)という概念でしょう。これは、まさに、「人間としての価値観と判断」による、人間でなければ出来ない、人間社会だからこそ可能である、本来の人間のあり方に最も適したものでしょう。
 それを放棄したところに、今の世界経済の混乱があるという世界経済の現状を、人間だからこそ持てる透徹した視点で、見通す政治、経済のリーダーが出てこないところに最大の問題がるようです。

 こうしたリーダーの出現を阻んでいるのは何でしょうか。多分「ポピュリズム」という民主主義が最も陥りやすい陥穽に、理性よりも欲望に汚染された現代社会がすっぽりと落ち込んでしまっているからでしょう。

 国民が、自分達の働きよりも良い生活を望み、それは無理だということになると、政権を変えたり、暴動で政権を揺さぶるといったことを繰り返していくうちに、いつか取り返しのつかない混乱に陥る予感(いつか来た道)を持っている方々も居られると思います。
 今、また、世界は為替切り下げ競争と、資源獲得競争に揺れています。

 第二次大戦から六十余年、その苦い人類の失敗の経験を、ブレトンウッズ体制 を主導したアメリカもIMFも世銀も、苦難を強いられた多くの人々も忘れてしまったのでしょうか。 
 ホモサピエンスの持つ優れた大脳皮質を、もう少し有効に使わないと、本当に勿体ないような気がします。


為替政策: 行き過ぎた自由の再考(4)

2011年09月09日 12時11分20秒 | 経済
為替政策: 行き過ぎた自由 の再考(4)
 安住財務相は、G7で日本の立場をよく説明し、理解を得たいと、熱心に語っておられるようです。まさに初陣です、是非頑張っていただきたいと思います。そのためにも、今までの民主党とは違って、民主党の総意と、国民の賛同の上に立つ発言でなければ、なりません。

 今欧米は経済も経済学も、「マネー資本主義 」、「マネー経済学」に汚染されきっています。バーナンキさんや、欧州中央銀行にしても、世界経済のお荷物になっている経常赤字から脱出できない(するだけの意思の強固さの無い)国の実体経済の救済が、金融政策で可能、と考えているとしか思えません。

 こうした誤った経済政策が、実体経済についての経済学、経済政策をあいまいにし、流行する政治のポピュリズムとともに、安易に堕した人間生活を容認し、努力なしにより良い生活が実現できるような空しい夢を撒き散らしているというのが現実ではないでしょうか。

 「浪費している国を何で勤勉な国が援助しなければならないのか」というドイツ国民の声が、ユーロ圏諸国の中で、どちらかというと人気が無く、「ドイツのケチ」といわれかねないような雰囲気があるのと同じように、日本の貿易黒字のせいで、貿易赤字に悩んでいると思っている国に対し、日本が国際競争力が弱くなると困るから円高を止めてくれ、といっても、「日本はそう言うかもしれないけど、俺たちはもっと困っている」で済まされてしまう可能性は大きいと思われます。

  40年も赤字国のアメリカが、基軸通貨国であり続けるために作られて来た経済学、経済政策は世界をそうした考え方に塗り替えてしまったようです。
 これに対して日本は、いかなる説得と行動を試みようというのでしょうか。それぞれの国の利害を代表する人々の会議で、少数意見が過半数の意見を説得するのは容易ではないでしょう。

 日本の主張は、各国にこのように利益になりますと巧く主張できるでしょうか。それとも、日本は独自にこうした政策を採ります。結果を見て下さいというのでしょうか。
 良薬は口に苦し、です。苦い薬を飲みたくない国々が相手です。よほどの覚悟がないとダメでしょう。与野党と国民の支持を背に、100万人といえども我行かん、の気概が示せるでしょうか。

 一寸気になるのは、「具体的な財政再建策を示し、財政不安の払拭に努める」という日本人の生真面目さを付け加えている点で、その辺りがどういう辻褄になっているかです。
 国際投機資本は「それが出来るなら矢っ張り円は買いだ」と当然考えるだろうと思われるからです。


為替政策: 行き過ぎた自由の再考(3)

2011年09月07日 16時26分19秒 | 経済
為替政策: 行き過ぎた自由の再考(3)
 スイスはいよいよ、「無制限な為替介入」で過度なスイスフラン高を防ぐという姿勢を明確にしました。流石、やるときにはやるな、というのが実感です。よほどの覚悟と思います。
 国際投機資本と真っ向からの対立です。国際投機資本は、一瞬たじろぎ、スイスフランにつれて思惑で、77円台の円安になっています。

 もちろんこのままでは先行きは不透明です。しかしこれは、世界の実体経済を、マネー・キャピタリズムの汚染 から立ち直らせるためのきっかけを作りうるチャンスではないでしょうか。
 もし日本の政権と金融当局が本気で世界経済の先行きの健全化、日本経済のサバイバルを考えていたら、ここで何もしないのは、不作為の罪を犯すものと考えるべきでしょう。

  新たに就任した安住財務相は、報道によれば、「前財務相(現首相)の方針に沿って、G20の場でも、超円高の脱出について、積極的に発言をしていきたい」といっているようです。

 ならば、このチャンスに、スイスに続いて、超円高脱出の強力な意思表示をし、「それが一時の苦しみはあっても、世界経済の流れを実体経済中心に戻し 、少し長期に見れば、世界経済を救うことになる」と、明確に実体経済中心の経済思想を打ち出し、行き詰まりつつあるマネー・キャピタリズムに引導を渡すべく、スイスと共に対決姿勢を明らかにすべきではないでしょうか。

 スイスは金融取引については、世界で最も先進国で、あらゆる経験とノーハウを蓄積している国でしょう。日本は、国際的な金融取引では、公的年金の資金運用にみるように、損ばかりしている国で、得意技は「ものづくり」ですが、スイスは、金融立国の側面も持つ国です。そのスイスにしてからが、というところが、本気で日本が考えなければならないところでしょう。

 では、いかなる手を考え、いかなる作戦で、政策を展開していくべきなのか。政府、日銀にも、アカデミアにも、優れた経済学者はいくらでもいるのでしょうから、tnlaboごときが余計なことをいう必要な無いのかもしれませんが、これも年寄りの老婆心ならぬ老爺心、矢張りヒントぐらいはと考えます。
 
 現に、円高で切羽詰まった日本が、為替介入しても、何処も協調介入などしてくれる様子はみられません。「何だかんだいっても、日本は黒字国で、今回の震災にも耐えて、抜群のパフォーマンスを示しているではないか」 といったところに落ち着いてしまうのが落ちでしょうか。

 そうならないために、どう考え、いかなる政策を採るか、tnlaboも考えたいと思いますが、GDPを増やすことの無いキャピタルゲイン獲得に狂奔することは(日本にもFXにうつつを抜かす若者も多いようです)良くないと思っている政策担当者、金融担当者、経済・金融学者は、この際、脳味噌を搾れるだけ搾るべきではないでしょうか。


為替政策: 行き過ぎた自由の再考(2)

2011年09月05日 12時31分06秒 | 経済
為替政策: 行き過ぎた自由の再考(2)
 8月11日、スイスフランは、対ドル、対ユーロで4~5パーセント下げました。理由は、スイスの中央銀行の副総裁が、スイスフラン高を防止する政策としては為替介入だけではない、と発言したことだと報道されています。マスコミでは、ユーロペッグに言及したのではなく、「それを否定しなかった」いう形の報道でした。

 ご承知のように、スイスフランは、歴史的に見ても円と同じくらい高くなっていて、日本とは経済構造、国際的に置かれた条件が違うとはいえ、矢張りスイスフラン高はこたえるのでしょう。
 ご記憶の方もおありかと思いますが、ニクソンショック以前の固定相場時代、1スイスフランは83円でした。昨日は97円で、変動相場制になってからは、円とは追いつ追われつです。

 英ポンドが固定相場時代の1ポンド1008円、ドルが360円、だったことを思えば、かつての基軸通貨国は如何に自国通貨を安くして、国際競争を凌いで来たかが丸見えです。
 この世界の2つの強い通貨の国の1つ、スイス。 日本と違って、かつて「チューリッヒの小鬼たち」などといわれたように、世界の金融市場の中心でもあった国の中央銀行が、行きすぎたマネーマーケットの現状への拒否を示唆したということになります。

 基軸通貨の座からドルがずり落ちることを、何とかこらえようとするアメリカも、実は、実体経済から乖離したマネーマーケットの動きには困っている面も強いと思われます。ドルは高すぎても困る、しかし安すぎても困る。ドルの動きは天気予報よりも読みにくいでしょう。
 チューリッヒの子鬼ならぬ「マンハッタンの大鬼たち」の行動は、次第に制御不能になってきているようです。

 だからこそ、G20やIMF は、繰り返し金融市場の規制を議論し、アメリカも 金融規制法案を成立させているということでしょう。しかしすでに巨大なエスタブリッシュメントとなったマネー資本主義を規制することは容易ではありません。現にアメリカは、実体経済の衰弱の回復の時間稼ぎに、それに依存しようとする部分も持っているのです。

 しかしマネー資本主義は、決定的な弱みも持っています。
 その1つは、マネー資本主義のキャピタルゲイン極大原理は、実体経済の経済成長原理には、人間の基本的なあり方の面で、 絶対に敵わないことです
 もう1つは、行きすぎた自由という面で、規制には極めて弱いということです。現にスイス中銀の上記の、かなり曖昧な発言で、大きな影響を受けています。

「人間は実体経済で生きている」という現実を基盤にした規制には、実体経済の裏うちの無いマネービジネスは決定的に弱いのです。
 「ものづくり」で世界に貢献する日本の出番はここにあります。


為替政策: 行き過ぎた自由の再考(1)

2011年09月02日 16時59分02秒 | 経済
為替政策: 行き過ぎた自由 の再考(1)
 9月に入りました。季節は秋です。大きな台風、12号も来ていて、あちこちで、集中豪雨、浸水、土砂崩れなどの報道があり、日本列島の自然はなかなか安定してくれません。
 それでも日本人は、根気良く頑張っています。今朝の新聞には、マッカーサーがコーンパイプを咥えてB29から厚木に降り立つ写真が見開きで出ていて、『いい国つくろう、何度でも』と書かれていました。
 われわれ世代には、矢張り訴えるものがありました。

 考えてみれば、戦後からプラザ合意(1985年)まで、日本人が頑張れば、それが目に見える成果となって返ってきました。戦後の廃墟からの立ち直りの中で、ドッジラインもあり、朝鮮動乱後の不況もあり、なべ底不況もあり、戦後最大の不況といわれた昭和40年の不況もあり、第1次オイルショック、第2次オイルショックも、そしてニクソンショックもありました。

 そのたびに、日本人は、根気と勤勉さ、真面目な努力で乗り切ってきました 。しかし、プラザ合意後、特にリーマンショック後は全く違います。日本人が変わってしまったからでしょうか。それは違うようです。大震災後の日本人の頑張りを見れば、日本人は変わっていません。

 先日、アジアの企業の中堅幹部たちと話す機会があり、「皆さんの国は、これからが発展の時代だが、日本は不況の連続だ」と話した所、「それは内的要因か外的要因か?」という質問がありました。

 皆さんだったらどうお答えになるでしょうか。私は、「日本人が頑張れば頑張るほど円高になるという今の国際金融環境のせいだ」と答え、「今後皆さんの国もこういう環境におかれる可能性があります。日本の失敗に十分学んでください」と付け加えました。中国代表は苦笑 していました。

 今の日本は、国際投機資本の勝手な思惑で円高になることに対抗する手段を持ちません。経済政策として「考えうること」については、円高を止める方法」シリーズ 「で書きました。しかし国会論議は相変わらず、消費税問題あたりでごちゃごちゃしていて新しいものは出て来ません。
 日本単独の市場介入などは、前回も指摘しましたが、効果は知れています。

 マスコミはやっと「超円高」という言葉を使って、これ以上円高が進んだら、日本経済はやっていけないという現実に本気で理解を示すようになりました。

 さて、ここまで来てしまって、日本に残された手段は何でしょうか。ヒントは、アジア経済危機の時のマハティールの政策、最近のスイス中央銀行の発言、さらには日本の経験に学んだという中国の政策にあります。
 資本主義の鬼子、マネー資本主義への掣肘です。痩せても枯れても主権国家の日本、一寸の虫にも五分の魂、思い切って為替管理に踏みこむという手段を政策の視野に入れることが必要でしょう。