tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

駄洒落と人間関係

2008年08月29日 15時24分20秒 | 経営
駄洒落と人間関係
 最近テレビでも駄洒落が流行っているようです。駄洒落の「駄」が示すように、あまり高尚だったり上品な笑いではないかもしれませんが、「くだらないけど、単純に笑える」というので受けているのでしょう。日本語の特徴を生かして語呂合わせが多いようです。
 
 昔から落語の落ちでも語呂合わせが、沢山あります。
怪談噺で「あな恐ろしき執念かな・・。」で終わるところを、落ちを知っている客がいて、
噺家「あな恐ろしき・・・・」
客 「執念かな・・。」
噺家(咄嗟に)「妄念かな・・。」
で、その日はすんだのですが、その翌日、
噺家「あな恐ろしき・・・・」
客 「執念かい、妄念かい?」
噺家「残念だ・・・・・」
 などというのもあります。
 「○○山 ××寺」というのを沢山言った方が勝つという賭けをして、途中で勝っている方が、
「一目散 隋徳寺」 といって金を持って逃げ出す、逃げられたほうは「南無さん 仕損じ・・。」

 日本語には同音異義語が多く、折口信夫の言う「類化性能」の高い人には、いくらでも駄洒落が出てくるようです。

 ところで、景色を背景に写真を取ろうとしたら建設現場のクレーンが邪魔。「ちょっとどいてクレーンかな・・・。」などというと典型的な親父ギャグといわれそうな語呂合わせで、周りからは、「座布団1枚」という人と「うわー寒い」という人が出てきそうです。
 
 「うわー寒い」というのもギャグのうちかもしれませんが、人間関係から言うと、「座布団1枚」といったほうが大部いいようです。

 職場で課長が下手な駄洒落を言ったりするのは、課長なりに、職場を和ませようとしているのでしょう。その努力を買って、出来るだけ笑ってあげるようにすると、職場は明るくなるでしょう。

 笑いは人間の健康にも、組織の健康にも、かけがえのない妙薬です。なかなか景気もよくならない難しい世の中ですが、職場の中で笑いを生かすことも、人間関係の改善、そして、生産性向上につながるかもしれません。


経済と景気

2008年08月28日 22時02分23秒 | 経済
経済と景気
 いざなぎ越え、戦後最長などと囃された日本の景気も、アメリカ経済の不振をきっかけに凋んできそうな気配です。日本自体には、自力で経済を回復させるような経済政策も活力もないのでしょうか。そうは思いたくありませんが、現実は、情けないほどアメリカ依存の状態です。

 ところで、景気が悪くなりそうだ、と言ったり経済政策はないのかと言ったり、経済と景気はよく同じように使われますが、どうも、経済と景気は同じではないようです。

 ついこの間まで、戦後最長の経済成長などと言われた時期にも、ほとんどの人は「景気がいい」とは感じていなかったのではないでしょうか。「政府や経済官庁が、勝手に自画自賛しているだけ」などといった冷めた意見も聞かれました。

 景気と経済はどう違うのでしょうか。経済の方は割合単純で、実質経済成長率がプラスであれば「経済成長」といって誤りではないのでしょう。一方、景気の方は「街角景気指数」などといわれるように、感覚的なものがかなり含まれているようです。

 実質生産が増えても、生産したモノの価格が下がって、利益も出なくて賃金も上がらないといったときは、やっぱり景気が悪いということでしょうし、収穫が増えなくても、作物の値段が上がって収入が増えていれば、景気は良いと感じるのが普通でしょう。住んでいる土地の値段が上がったバブルの時はみんな景気が良いと感じていました。

 経済がプラス成長でも、景気が悪ければみんなが金を使いたがりませんから、だんだん経済も悪くなるでしょうし、バブルの時のように、景気が良くてみんなが金を使えば、バブルがはじけるまでは経済もよくなるという面はあるようです。

 経済と景気は別々に考えて、それぞれの原因をよく考えてみると、どんな政策が本当に必要なのかが何となく見えてくるのではないでしょうか。


太陽光発電

2008年08月18日 12時36分32秒 | 環境
太陽光発電
今年の夏は、早くから真夏日・熱帯夜が続き、なるべく使わないようにしている冷房も、ついついスイッチを入れてしまうような状態でした。
 関東地方では一部に連日のように、雷雨や集中豪雨がありましたが、ここ国分寺ではほとんど晴天続きで、
「ゆうだちの ふりのこしてや こくぶんじ」
などと冗談をいっていましたが、昨日は急に雨の日となり、一日雨で、気温も9月下旬並みと報道されていました。
 
 Tシャツでは寒いぐらいで、「そういえば2-3日前から、夜庭で虫が鳴くようになったし、やはり季節は正直で、もう冷房もつけなくてよくなるかな。」などと思っていました。
 ところが今日はまた晴天、日差しは強く、気温も32-33度になるとのこと、さすがに太陽エネルギーは凄いと実感させられます。

 ところでこの強い 太陽エネルギーを、上手に冷房に利用できれば・・・。カンカン照りの暑い日ほど、がんがんエアコンで冷房をすることが出来るということですよね。それで我が家もそろそろソーラーパネルを、などと考えたりしています。

 ソーラーパネルの、太陽光を電気に変化する変換高率は、今15パーセント程度だそうです。20パーセント近いものも開発されつつあるようで、日本は世界をリードしているようです。生産シェアではサンヨー、シャープなどを擁する日本が、今も世界一を確保しているのでしょうか。
 その割に普及率でドイツなどに先を越されているのは、電力会社などとの関連の制度がうまく設計出来ていないからのようです。

 専門家の研究によれば、地球の陸地面積の1.5パーセントにソーラーパネルを貼れば、世界の60億人がアメリカ並みの電力を消費しても、なお余るそうです。

 ソーラー発電は、究極のエネルギー源の1つでしょう。技術的にはもちろん、政策制度においても、生産、利用の両面で、世界の先陣を切ることを期待したいですね。


玉音放送と承詔必謹

2008年08月13日 16時19分53秒 | 教育
玉音放送と承詔必謹
 今年も8月15日、終戦の日が来ます。1945年のあの日は日本中が晴れていたようで、暑い日ざしのもと、天皇陛下のお言葉(玉音放送=終戦の詔勅)の意味を、ラジオの雑音の中から、何とか聞き取ろうと努力した経験をお持ちの方も、丁度今「後期高齢者」といわれる方々の中には多いのではないでしょうか。

 私の住んでいた地方都市は、7月の初めにB29の空襲でほぼ全滅し、国民学校(今の小学校)は先生も生徒も散りじりになり、そのまま夏休みにはいってしまいました。我が家も全焼し、9月になって、私は疎開した親の実家の村の国民学校に編入してもらいました。

 9月、2学期の最初の授業で、小学校の担任の先生は黒板に大きく『承詔必謹』と書かれ、「これはショウショウヒッキンと読みます。天皇陛下のお言葉を承ったら、必ず謹んでお受けしなさい、という意味です、終戦の詔勅が下されました。謹んでそれに従いましょう。」といった意味のことを、丁寧に説明されました。

 この授業が、文部省の指導であったのかどうかはわかりませんが、結果的に、米軍の日本占領は、極めて平穏に進展しました。その経験が、イラク戦争の折にも、アメリカの(誤った)自信につながっていたようです。

 最近、たまたま、ネットで聖徳太子の「17条の憲法」を見ていましたら、その第3条が『承詔必謹』でした。あの授業から数十年たった今、計らずも自分の無学を恥じることになりました。

 『和を以て貴しとなす』(第1条)は有名ですが、1300年余を経た1945年、昭和の時代にも、日本人の心の源流とでも言うべき『17条の憲法』が生きており、終戦後の混乱を避けるために、国民学校の先生が、真っ先に、第3条の『承詔必謹」を引用して、生徒に、日本人としての取るべき態度を教えたということに、「さすが日本の初等教育」と改めて感慨を深くしました。


経営者とは何か(その3:新しい資本家の登場)

2008年08月09日 09時37分32秒 | 経営
経営者とは何か(その3:新しい資本家の登場)
 最近では、企業経営について論じるとき、「ステークホルダーズ」という言葉が流行ります。
通常、第一に「株主」が来て、そのあとに「消費者」「取引先」「金融機関」「従業員」「政府」「社会全体」「地球環境」などが並びます。

 経営者はこれらのすべてに、企業の成長・発展を目指す中で、長期的に見てバランスの取れた配慮をしなければならないのです。ところが、最近、「モノ言う株主」ということで、投資ファンド(private equityなど)が、単なるステークホルダーズの一員ではなく「我こそは企業の所有者」という立場で、その利害を大声で主張するようなケースが目立ちます。
「新しい資本家」の登場です。

 新しい資本家の登場は、今の経営者のやっている「調整型」の経営は、緊張感を生まず、企業の発展に貢献しない、といった主張を伴っていることも多いようですが、本当のところはどうでしょうか。

 今年の3月このブログの「 労資関係の復活?」でも書かせていただきましたように、これは「労使関係」が「労資関係」に逆戻りする要素をはらみます。 かつて、社会対立にまで発展し、経営者革命によって止揚された関係への逆戻りです。

 しかもかつての資本家は、多く経営者でもあり、経営者としての感覚も併せ持っていたケースが多いのですが、今日の投資ファンドの場合は、「短期的な利益極大」に大きく傾斜しています。投資ファンドとは本来、そうでなければ出資者の期待に応えられないものなのです。

 企業防衛という立場から投資ファンドの要求に配慮しなければならなくなり、利益処分の中で、株主配当が急速に増えているという現実を見るとき、これが付加価値分配の中で、労働分配率に影響してくることは当然に予測されます。企業発展のために、必要な内部留保を確保するとすれば、配当の増加分は法人税分も加えて、人件費の抑制に向かわざるを得ません。

 これが「新しい資本家』の登場による「労資関係」の復活です。
 復活した「労資関係」は、かつての労働と資本の対立ではなく、「新しい資本家」対「経営者と労働組合」の連合軍ということになるのでしょうか。「労働と資本の調整者」としての「経営者」の役割は、ますます難しくかつ重要になってきているようです。


経営者とは何か(その2:経済社会の調整役)

2008年08月06日 10時24分01秒 | 経営
経営者とは何か(その2:経済社会の調整役)
 経営者は、英語ではManagement でしょう。経営管理をする人です。経営管理をする目的は、企業、つまり「ゴーイング・コンサーン」、「公器」を、より発展させるためです。

 そのために協力をしてもらうのは「従業員」です。従業員と一緒になって、顧客の満足を実現し、自社の製品、サービスが社会から受け入れられて、初めて企業の永続発展が実現します。
 ですから、経営者にとって、従業員の協力は必須です。従業員の協力を得るための手段として、欧米では基本的に出来高給(金銭的刺激)が考えられ、日本では、家族主義(精神的共感)が一般的でした。この違いは、かつては、ゲゼルシャフト対ゲマインシャフト、今日では、成果主義 対 職能主義(年功色も残る)といった形で、今もかなり鮮明です。

 国民所得統計では、経営者の賃金も「雇用者報酬」の中にはいっていて、従業員の賃金と同じ括りですが、日本のように、従業員が内部昇進で経営者になっていくような組織では、経営者と従業員は同じ仲間で、人事管理と労使関係は不可分になってきます。そうした意味で、かつて云われた「労資関係」は流行らず、「労使関係」が一般的で、企業経営の安定が可能になりました。

 資本家(投下資本への最大のリターンを求める)と従業員(労働者)の関係は本来対立的で、「労資関係」は、歴史的には資本主義 対 社会主義にまで発展しました。
 しかし経営者の場合は、目的は「資本への最大のリターン」ではなく、「企業の永続発展」ですから、考えることもやることも資本家とは違います。

 経営者というのは、本来的に、付加価値(企業活動の成果)の分け前をめぐって対立抗争に発展する可能性を持つ「労資関係」を、長い目で見て、両者の利害のバランスが「企業の発展」を通じて実現するという建設的な関係(win - winの関係)に止揚するような、「調整役」(マネジメント)をやってきているというのが現実でしょう。

 経営者は「資本の代弁者」だ、という言い方は少し違うようです。


経営者とは何か(その1:経営者革命)

2008年08月04日 13時39分31秒 | 経営
経営者とは何か(その1:経営者革命)
 経営者というと、一般的には資本家から委託されて、企業の経営を任されている人たちというように理解されています。

 1941年にアメリカではJames Burnhamが「経営者革命」を出版、会社経営における「所有」と「経営」の分離を予言、戦後日本でもこれが翻訳され(1951年、1965年)て、資本主義が新たな時代、「経営者の時代」に入ったことが広く認識されるようになったのではないでしょうか。

 第2次大戦後の世界経済社会では、黄金の60年代などといわれましたように、企業が経済発展の担い手として大きな役割を果たし、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本でも「フォーチュン500」(フォーチュン誌が毎年世界の500のランキング企業を発表します)に載るような企業が力強く育ち、それが各国の経済発展を担いました。

 そこでは経営者が主役でした。経済雑誌の表紙は経営者の顔で飾られ、経営者が社会のリーダーとしても注目されました。経営者に企業の経営を委任した資本家の影は薄れ、資本は多くの株主に分散保有されることになり、企業は大衆の持ち物になりました。

 こうして、企業は(資本家の意思によってではなく)それ自体が、社会のために「常に継続して発展する存在」として認識されることになり、特に従業員からは、常に発展して、自分たちの明日のために、より良い生活を実現してくれる存在として期待されるようになりました。

 その結果、そうした企業を性格づける表現として「ゴーイング・コンサーン」という言葉が生まれ、日本では「 企業は公器」といわれるようになりました。
経営者は公器を預かり、従業員に生涯の生活の手段(雇用と賃金)を提供し、株主には安定配当をし、社会をより豊かに快適にすることに献身する役割を担ったのです。

 企業は私企業であっても、それが経済発展の主役である中で、「経営者」は、社会全体のため、公的な役割を果たすべき存在として認識され、自らもそう考えるように成長発展してきたというのが現実でしょう。


総資本回転率

2008年08月02日 12時07分39秒 | 経営
総資本回転率
 企業の経営指標の中で、その企業が「調達」し「運用」している総ての資本をどの程度効率的に活用しているかを示す指標です。

 計算式は  総資本回転率=年間売上高/総資本(=総資産)

 たとえば、10億円の資本を調達・運用して、年間10億円の売上高をあげれば、総資本回転率は1.0ということになります。
 もっと具体的にいえば、昨年度の決算書で、 貸借対照表の「資産の部(借方)」あるいは「負債および正味資産の部(貸方)」の合計額が10億円で、消費税などを差し引いた純売上高が10億円であれば、総資本回転率は1.0回ということです。もし純売上高が11兆円であれば、総資本回転率は、1.1回になって、同じ額の総資本で、より多くの売り上げを上げたから資本効率がより高かったということになります。

 これを応用すると
   総資本回転率(=売上高/総資本) × 付加価値率(=付加価値/売上高)
   = 資本生産性(=付加価値/総資本)
ということになりますから、資本生産性を上げるには、総資本回転率をあげるか、付加価値率を上げるかということになります。

 「資本生産性」というものは、そう簡単には上がらないといわれますが、逆に、資本生産性が簡単に下がってしまう、ということはよくあることです。

 ・最新鋭の省力工場を作ったが、初期トラブルなどでで生産がなかなか上がらない。
 ・保有土地が時価表示で簿価は大幅に上がったが、売り上げには関係ない。
 ・本社ビルを建てたが、すぐには売り上げは増えない。
  ・・・・・
といったことで簡単に設備生産性は下がります。上の式のように、付加価値率を改善すれば多少救われますが、それがない場合の悪化の程度は総資本回転率で端的に示されます。

 失われた10年の長期不況の中で、膨らみすぎたバランスシート(総資産)を何とか整理して、負債を減らし、身軽に動ける企業になろうとする努力が、当時流行ったいわゆる「バランスシート調整」で、これは、まさに「総資本回転率」向上への努力でした。
 
 総資本回転率は、製造業の場合1.0ぐらいが標準で、中小企業のほうが高く、大企業のほうが低いというのが一般的です。売掛金のない現金商売の場合は高いですし、設備のあまりいらないサービス業などでは高く、重装備の装置産業とか、不動産に資金が寝る不動産業では低いなど、業態によって大きく異なりますので、統計による同業同規模比較や時系列分析が大切です。

 確かに、企業が順調に活動しているときであっても総資本回転率の向上は、簡単ではありませんが、総資本回転率の推移を時系列で見て、下がっているようであれば、その原因を探り、かつての良かった時の水準に早く回復させるような努力を怠らないことが大事です。