tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

国家間経済格差問題 1960年代と現状の違い

2017年06月30日 09時55分35秒 | 国際経済
国家間経済格差問題 1960年代と現状の違い
 経済格差の問題は国家間でも当然存在し、時にいろいろな問題を引き起こします。
 あまり古い時代の問題は別として、戦後について見ていきますと、戦後巨大な経済力を持っていたのはアメリカです。 

  幸いなことに、当時のアメリカはほとんど無傷の経済大国として、寛容、寛大な国でした。戦争で荒廃したヨーロッパにはマーシャルプランでその復興を助けました。OECDの前身OEEC(欧州経済協力機構)はそれを契機に作られた組織です。
 アジアの占領地に対しては、ガリオア・エロア資金を供給、経済的復興と人材交流に多大な力を発揮しました。

 1960年代に入りますとこうした復興開発援助の動きは、復興した先進諸国が、解放された植民地を含む後進国・低開発国(当時の用語)を援助する形で進められることになります。
 OECDの下部機構として置かれたDAC(開発援助委員会)加盟の先進国、米・加・西ヨーロッパン諸国・日本などは、国連の低開発国援助計画に則り、政府ベース、民間ベースで多様な援助を行っています。

 急速な復興を成し遂げた日本も急速に援助額を増やし、1971年には60年に比べ8.7倍に援助額が増えています(欧米主要国は2~3倍)。
 国連は1960年代を「開発の10年」として、国連貿易開発会議(UNCTAD)を設立、成長の遅れる途上国援助を打ち出しています。

 UNCTADはGDPの1%を途上国援助にというスローガンを掲げたと記憶しますが。1970年代になると、アメリカのニクソンショック(ドルと金の兌換停止)を筆頭に、先進国経済が次第に健全性を失い、「先進国が後進国を援助する」といった構図は次第に影が薄くなったようです。

 しかしこうした取り組みの結果、後進国は経済成長の重要性に目覚め、後進国から発展途上国へ進化( 経済成長の原動力)していったのではないでしょうか。
 21世紀はアジアの世紀などと言われるのも、早期に経済発展の重要性に目覚めた国がアジアに多かったことの結果ではないかと思っています。

 顧みると、1960年代は、国連やOECDが国家間の経済格差に関心を持ち、ともに経済発展をすることが世界の平和・安定をもたらすと考えて一生懸命活動した時期だったのではないでしょうか。

 残念ながら、1970年代以降は、先進国も、自分自身の頭のハエを追うことにかまけて、他をおもんぱかる余裕がなくなったのでしょうか。
 この面から見ても、1960年代は、人類社会が、先進国中心に、格差縮小に一生懸命になった大変良い時代だったということが出来るのではないでしょうか。

<追記>
 現状では、新興国への援助は、先進国からの直接投資といった民間ベースが主流でしょう。勿論これも途上国の経済発展に貢献して来ました。政府にカネがなくても、先進国企業には資金がります。これは5S、カイゼンなど多くの産業人材育成のノーハウを持つ日本の得意技かもしれません。
 しかし直接投資は、時に途上国の低賃金を利用した先進国企業の収奪手段とみられる側面も持ちます。国連が児童労働の禁止、Dcent Workの順守などを強く言うのはその故です。格差縮小には、アダムスミス(道徳情操論)が言うように、倫理観が重要です。

 今、強力に援助活動をしているのは中国です、一帯一路構想、それを支えるAIIBなどはその象徴です。これが、資源獲得競争などを含め、中国を豊かにするためか、そうではなく、世界の国々の経済格差を縮小する共存共栄のためなのか、これは、これからの中国の行動が明らかにするでしょう。













コロンビア発の涼風

2017年06月29日 10時06分19秒 | 国際政治
コロンビア発の涼風
 3日前、6月26日に、FARC(コロンビア革命軍)の武装解除が完了したというニュースが昨日入ってきました。
 紛争の絶えない今日の世界情勢の中で、政府と反政府勢力とが、話し合いで合意し、闘争を終結させたというのは、現実には両者にとって容易でない事だったのでしょう。
 それを乗り越え手の和平実現は、まさに一陣の涼風がコロンビアから世界に吹いたと言えるのではないでしょうか。

 FARCは1964年キューバ革命などの影響もうけて結成と言われていますが、かつては中南米最大の反政府武装組織と言われていました。
 この所、このブログで書いている格差問題に関連させて言えば、この結成も国内の大きな所得格差が背景になっていたことは明らかです。しかし、ここでも、旧来の一部権力者による政権の打倒を目指した革命運動は、麻薬や要人誘拐といった非合法活動で資金を得て活動を支えるといった反人間的なものに堕していかざるを得なかったようです。

 気持ちの上ではより良い社会を目指す革命と思いながら、反社会、非人道的な活動をすることは、やはりその運動の指導者達にとっても、時には内心の苦しさを感じさせるものでは無かったでしょうか。
 半世紀を経て、サントス大統領とロンドニョFARC司令官の間で話し合いが始まり、1915~16年、国連の仲介もあり、紆余曲折を経ながらも進展を続け6月26日に武装解除が完了というニュースになったのでしょう。
 
 この交渉の中では、政府、反政府双方の指導者の深い知恵が大きな役割を果たしているように感じるところです。互いに殺戮を繰り返していた相手ですが、政府も認めて、FARCはこれから政治勢力としての存在になるとのことです。元大統領の中にはFARC殲滅の主張もあったようですが、それを乗り越えての和平合意です。サントス大統領は昨年ノーベル平和賞を受けました。

 このニュースで何よりも「人間の本当の気持の表出」を感じたのは、武装解除された若い男女の兵士たちが、戦闘服からいろとりどりのTシャツになり、安心できる生活を心から歓迎しているような表情が見える写真でした。

共産主義国家の誕生と「幻滅の進行過程」

2017年06月27日 18時10分29秒 | 社会
共産主義国家の誕生と「幻滅の進行過程」
 前回、共産主義国家(ソビエトなど)の成立は「幻滅の進行過程」だったと研究の中で言われていると書きました。

 資本家による労働者の搾取を許せないことと思い、搾取、被搾取の関係のない、平等な世の中の実現を望んだであろうマルクスの共産主義思想が、どうして一握りの富と権力を恣にする特権階級と、貧しい国民大衆を生む格差の国という現実に帰趨していしまったのでしょうか。

 これは多くの研究者が、歴史の中で研究を重ねてきたことでしょうが、こうした、「こと志と違う」結果を生んだ背景には「社会の中の人間の行動原理」みたいなものがあるように思います。

 例えば、マルクスからレーニン、スターリンと現実の国家の形成が進む中で、空想的社会主義ではないにしても、多分に理想を掲げるマルクス主義を現実に移さなければならないわけで、そのプロセスでは、多様な人間の考え方を1つの方向に向けていかなければなりません。

 革命というような被害者意識一色に塗られた行動の中では、一斉に同じ方向を向いていた大衆も、そのあと、破壊から建設へというプロセスでは、多様に分裂するのでしょう。
 多様な人間を、平和な中でみんな同じ方向を向かせるのは至難です。そして結局選択された方法はリーダーの理想を強制することです。

 こうして、レーニンまではまだ理想への思い入れがあったようですが、スターリンになると、形だけ模倣する「理想より手段が優先される」段階になり、権力者は事実上、立法・司法・行政の三権を握り、政治は勿論、経済活動も、更に宗教まで、国家運営のすべてが、が権力の支配下に置かれっることになったのでしょう。

 これはある意味で「理想を権力で実現しようとすることの必然的な結果だったのかもしれません。
 しかも、困ったことに、いつの世でも権力は往々にして腐敗するのです。

 こうして70年を経て共産主義国家は崩壊し、社会主義市場経済に変化(進化)した中国、ベトナムなどが、サバイバルを果たしているのではないでしょうか。
 中国もベトナムも、格差問題には、極めて注意深く配慮しているように思います。

資本主義が生き延び、共産主義が破綻した理由も「格差問題」

2017年06月26日 16時51分55秒 | 社会
資本主義が生き延び、共産主義が破綻した理由も「格差問題」
 こんな大きな問題を単純に「格差問題」で説明するなどトンデモナイと言われそうですが、あながちそうでもないように思っています。

 ピケティ―が指摘するように、資本主義社会では通常、格差は拡大するようです。しかし時に縮小することもあるとも言っています。

 一方、共産主義(社会主義)はどうでしょうか。資本が労働を搾取するという形で極端な格差拡大が起きる資本主義のまさに「アンチテーゼ」として生まれたのが、社会主義・共産主義でしょう。

 しかし現実の共産主義国家で起きたことは、貧しい一般大衆と、富と特権を一身に集める支配階級という現実でした。社会全体の幸せを願って登場したはずの社会主義・共産主義が、どこでどう間違えて異常な格差社会になってしまったのでしょうか、研究者はこのプロセスを「幻滅の進行過程」と言うようです。 そして、最終的には1991年のソ連崩壊です。

 一方、資本主義の方はどうでしょうか。このブログではこれまでも、経営者革命と社会保障・福祉国家の概念が資本主義を生き延びさせたと指摘してきました。

 経営者革命は、資本の強欲を体現した資本家を後退させ、「組織の最高のパフォーマンス実現を仕事とする」経営者を出現させ、人間と資本がうまく協力しあえれば、生産性向上のベストパフォーマンスが生まれることを実証しました。
 労使関係論や、人間関係論、行動科学の研究がバックアップしました。

 一方政治面では、自由主義、民主主義と結んで、社会保障制度、さらには福祉国家の概念の取入れと実行に進みました。

 ダーウィンの言葉を借りれば、環境に最も適した生物が生き残るという事で資本主義はその点の進化をしてきたのでしょう。その結果のサバイバルの成功でしょう。

 この動きを格差問題から見れば、その差は一目瞭然です。ソ連は一般大衆と支配階級の所得格差の拡大だけでなく、ロシアと連邦諸国の経済格差も拡大させたようです。
 これは資本主義では植民地時代に当たるのかもしれません。

 資本主義社会では、資本家にとって代わった経営者は、労使関係の種々動きに苦労しながらも、産業民主主義の思想を打ち出したり、日本のように、労使の信頼関係こそが経済発展をもたらすといった産業社会を作り上げたり、また、政治面では所得税の累進化を進め、相続税を強化し、社会保障の充実、福祉国家建設といったスローガンを掲げるに至りました。

 この時代は、ピケティーの言う「格差が拡大せずに縮小した第二次大戦後の一時期」に当たることは容易に読み取れます。

 こうして、この所の世界の大変動も、格差問題という側面からら見ると、何となく解り易いような気がするのですがどうでしょうか。

格差問題は社会不安定の元凶らしい

2017年06月25日 11時36分34秒 | 社会
格差問題は社会不安定の元凶らしい
 前回の最後に書きましたように、トマ・ピケティは「21世紀の資本」―現代の資本論などといわれる―の中で、「放っておけば格差は拡大するもの」との考えを示していますが、戦後の世界経済の勃興期(1960年代中心)はその例外と述べています。

 この「例外」の分析は極めて重要と私は感じますが、それについてはまた、おいおい述べるとして、本題の、人類社会の経験として、格差が拡大すると社会が不安定になるという関係については、納得される方が多いと思います。

 戦争や革命の原因は、多くの場合国家間あるいは地域間の格差の拡大や国内の格差の拡大にあるようです。

 格差には色々ありますが、ここで問題にするのは基本的に経済的な格差という事になります。
 経済的な格差でも、大は国家間(以前は宗主国と植民地などもありました)の格差、国内の貧富の格差、それも、所得の格差、資産の格差、場合によっては身分の格差(正規社員、に正規社員などの格差はこれでしょうか)、従業員間の賃金の格差(年功賃金による格差、職務間の賃金格差、能力主義や成果主義による格差、経営トップと一般社員の給与の格差などなど・・・、といった個人レベルのものまで多種多様です。

 前回、自由と平等は対立概念と書きましたが、自由を徹底すれば格差は拡大するでしょう。ではと言って平等を徹底したら、何も面白くないでしょう。「真理は中間にある」ので、さてどの辺りが「認められる格差・納得できる格差か」を探すことになるのでしょう。

 アメリカのトップと平社員の給与格差は、日本のそれに比べてずっと大きいのは多くの方はご存知ですが、いま日本では、アメリカの方向に引っ張られているのでしょうか。年間報酬1億円以上のトップ層が傾向的に増えているようです。

 この問題はマスコミが「何百人を超えた」などと良く取り上げますが、やはり格差拡大には人の目が集まりやすいからでしょう。
 アメリカのような格差社会は日本には似合わないと考えている人は多いと思いますが、許容される「程度」は、社会の文化的背景によって違うようです。

 そして、その限度を超えて格差が拡大すると、社会が不安定になるようです。意識としての不安定だけでなく、それは、経済的な現実の格差、生活の格差を反映して、社会の融和や結束を蝕み、さらに進めば、反社会的な行為、犯罪の増加、総じて社会の劣化を引き起こすようです。

 今、世界で起きている多くの問題の、1つの大きな原因に「格差の拡大」という切り口があるとすれば、格差問題を、もう少し掘り下げてみる必要があるようです。

格差問題への回答

2017年06月24日 15時18分26秒 | 社会
格差問題への回答
 世の中で発生するいろいろな問題を考えるとき、解り易くて便利な方法として、こんなものがあります。
 私は「スペクトラム法」とか「真理は中間にあり」方式とか勝手に名付けていますが、それはこんな方法です。

・先ず、相対立する議論のそれぞれを徹底した極端までもっていってみます。
・そうすると通常、そこでの議論は、その右から左までの広がり(スペクトラム)の中のどこかに「解」があるはずという事になります。
・その点で一致すれば、「それなら『解』がその中間の何処にあるか、<真理は中間にあり>ということで探しましょう」という事になって、議論に無駄がなくなるという事になるはずです。

 例えば、「自由」と「平等」は対立概念です。自由がいいという人は規制などは皆外して自由にやらせろと主張し平等は消えます・平等がいいという人は「何事もみんなに平等に」と主張し、自由はなくなります。

 労使交渉でも、利益は要らない全部賃金に、という主張も、賃金は最低賃金で、後は利益に、はどちらの現実には成り立ちません。

 理想を掲げた原理主義どうしの対立は解決のしようがありませんが、現実の人間社会では双方が折り合って(妥協して)社会が安定して成り立つ点を探し、そこで話をまとめる事が大事でしょう。
 
 概念的に言えば、自由と平等の中間の妥協点として「正義」が定義され、労使の分配では適正労働分配率探しが始まることになります。

 このプロセスを辿ることで、「← →」という逆方向のベクトルが「→ ←」に代わるはずです。ただしこのプロセスも順調ではなく、時に元に戻ろうとする議論になったりします。その時はまた「それだと結論は出ませんよ」と議論を引き戻すことが必要です。

 最近格差問題が議論の的になっています。トマ・ピケティは、放っておけば「格差は広がり続けるもの」と指摘しました。
 以前は世界でも格差が少ない国だった日本でも、最近は格差の拡大が言われ、さらに格差の固定化も言われたりします。

 格差問題に、この方式を活用したらどうなるでしょうか。

ホタルの寿命

2017年06月23日 11時31分20秒 | 環境
ホタルの寿命
 我が家のゲンジボタル飼育は、昨年採卵に成功、720匹の幼虫の孵化に成功しながら、水中ポンプの囲いに日本薬局方のガーゼ(消毒済み)を不用意に使ったせいで、誠に残念な結果(一晩で全滅)という大失敗に終わったことはすでに書きました。

 そんなわけで今年は改めて種ボタルを購入、♀2匹、雄3匹の羽化に成功、採卵用のかごの中で、順調に光っていることも報告しました。

 ところで今回は、我が家のゲンジボタルの寿命の事です。
 羽化したのは5月29日に2匹、6月1日と3日に1匹ずつ、そして8日に1匹でした。

 ホタルの寿命は、羽化してからほぼ1週間か10日と言われていて、ネットで調べてみても、ほとんど同じような記述です。

 ところが我が家のホタルは、この20日までは4匹元気に光っていて、1昨晩それが3匹に減り、昨晩は、些かさみしい2匹に減ってしまいました。
 しかし、指折り数えてみれば、5月29日から22日生きていたホタルがいるという事です。

 昨年も20日近く生きていたホタル(ゲンジ)がいたように記憶していますが、結構長生きだなとびっくりしているところです。
 残る2匹も、もう少し光っていてくれるのではないかと思っています。

 いずれにしても、一般の常識よりかなり長生きだという感じですが、これが リンゴのスライスのせいかどうかは不明です。

 ところで、ヘイケの方は終齢近い幼虫270匹を庭のU事項の池に放流してありますが、未だ羽化の様子がありません。
 未だ上陸しない幼虫も水の中で光っています。

 今年は一時、低温が続いたせいか、どこも羽化が遅れているようなので、我が家もこの分では7月に入ってからかと思っています。
 ヘイケについてはまた報告します。

米抜きTPPのすすめ

2017年06月21日 11時34分34秒 | 国際経済
米抜きTPPのすすめ
 「米抜き」と書きましたが「米」は「コメ」ではなく「アメリカ」です。

 TPPについては、動きがあるごとに取り上げてきました。最初の視点は、経済的に力が落ちてきたアメリカが、経済力をつけてきている環太平洋諸国を巻き込んで、何とかアメリカの役に立つようなシステムを作り上げたい、と考えてやっていることだから、何となく胡散臭いと見ていました。

 しかし、現実に交渉が進展し、大筋合意が見えてくるころになって、見方が変わりました。
 これは環太平洋諸国にとって、経済発展を刺激する、経済発展への努力の道筋をつける前向きなものになるのではないか、という様相が見えてきたからです。

 アメリカを代表して交渉に当たったフロマン代表の理念や人柄もあったのかもしれません。日本の甘利代表も、フロマン代表とは肝胆相照らす仲となったようでした。

 という事になりますと、これは必ずしも アメリカの利害を優先するものにはなりません。アメリカも立派になったなと思っていましたら、トランプ政権は「TPPなどクソくらえ」という事なのでしょう。公約第1条で離脱です。

 アメリカ・ファーストを掲げるトランプ政権が離脱を表明したという事は、つまりは「TPPはアメリカのためでなく環太平洋諸国のためのものになった」という事の間接的な証明でしょう。

 今、アメリカ抜きの11カ国でTPPを生かして使おうという構想が出てきています。いまのTPPならば、環太平洋諸国のために生かして使うことは十分可能なのではないでしょうか。自国の利害より、参加国すべてにプラスというシステム作りが可能と考えるからです。

 勿論、本来の精神として、共存共栄、参加国の「共生」を考える日本の役割は重要でしょう。
 覇権国からずり落ちようとしているアメリカが、また世界と共にと考えたとき、そのレールを示す事にもなるでしょう。

 世界が統合から分断に動くのかとも見える今日、国際相互理解、国際協力はますます大事になっています。日本は一貫して、地球市民の相互理解、協力・交流、共生と発展への強い志向を世界に発信し続けるべきでしょう。
 (ところでISDS条項は、11カ国でよく話し合うことが必要なように思われます。)

政治の混乱の責任は誰に

2017年06月20日 15時17分15秒 | 政治
政治の混乱の責任は誰に
 国会は閉幕しましたが、国会審議を混乱に陥れた問題は継続しています。
 安倍総理は、反省という言葉も入れながら記者会見をしましたが、残念ながら、何をどう反省しているのか、具体的なことは解りませんでした。

 書きたくないと思いながら、書かなければならないとの思いもあって、ツイ書くことになってしまいますが、こんな問題でもう書かなくていいようになってほしいと切に願いつつです。

 思い返せば、安倍政権は、アベノミクスを掲げて華やかにスタートしました。金融政策は大当たりで「$1=¥120」を実現し、日本経済は長期不況を脱出しました。
 しかし経済政策もそこまでで、アベノミクスの第2の矢「財政政策」はプライマリーバランス達成の先送りに終わり、第3の矢「構造改革」は、「岩盤規制に風穴」の「開け方」で、国会に未曽有かつ低次元の混乱を引き起こしてしまいました。
 
 こんなことになったのも、3分の2の議席を与党に与えた国民の責任というのかもしれませんが、国民の多くは、もっともっとまともな事を期待して選挙に臨んだのではなかったでしょうか。
 国民が見誤ったのか、権力が腐敗したのか、いずれにしても、こんな政治が続いていくならば、戦後日本が築いてきた世界への信用は早晩失墜することになるでしょう。

 現状の混乱を引きずったままで、まともな政治運営をしようとしても、何か、関係者の発する言葉が異常に軽くなり、とても、まともな成果は望みえないような気がしてきているの現状です。

 国会は閉じましたが、早期に真実を明らかにし、国民に「1件落着」と納得してい貰い、その上で、すべてを新規蒔き直し、ニュー・ディールでやり直さなければ、国民の望むような前進はないのではないでしょうか。

人口光合成で世界をリード:日本らしさの新展開

2017年06月19日 15時43分06秒 | 科学技術
人口光合成で世界をリード:日本らしさの新展開
 アメリカのパリ協定離脱で地球環境問題は大荒れですが、考えてみれば、世界で最もCO2を出しているのは、中国、次いでアメリカです。

 その中国は、国内大都市のひどい状況もあり、国際的に歩調を合わせていますが、一方ではCO2排出の元になる化石燃料資源の獲得には異常な執念を持っているようです。
 アメリカは、今や世界トップクラスの石油・天然ガス資源国で、化石燃料利用が最も合理的という立場にあるのでしょうか。

 こうした事情を考えても、CO2問題の解決は容易ではありませんが、矢張り長い目で見れば、何としてでもやらなければならない問題でしょう。

 環境改善の代名詞はGREENですが、緑は草木の色で、その色の元は葉緑素、地球上に葉緑素を持つ植物が生まれ、お蔭で酸素のなかった地球の大気に酸素が増えて動物が発生することになったのでしょう。だから動物は緑を見ると安心するのでしょう。

 そして、世界の中でも、日本人は、縄文時代から森を大切にし、森が深ければ海も豊かになることを知っていて、今でも国土の70%が森林という世界な稀な国づくりをしてきました。
  こんなことをこのブログでは 繰り返し書いてきていますが、もう一つ、今の日本が力を入れているのは、CO2を原材料にしてプラスチックを作ろうとか、葉緑素が担う「光合成」(炭酸ガスと水から有機物を合成して、そこでいらなくなった酸素を大気中に排出する)を人間の手でもやろうという取り組みです。

 化石燃料は炭素と水素でできています。それを燃やしてエネルギーを取り出すという事は、炭素が酸素と化合してCO2になり、水素が酸素と化合して水(H₂O)になる時に出すエネルギーを使っているという事です。

 一方、植物は根から水を吸い上げ、葉で太陽エネルギーを吸収して化石燃料の元になる有機物(澱粉など)を作り、 酸素を排出しているのですから、人間もCO2排出するだけの片道切符ではなく、酸素を出す方もやって往復切符を持つのが「人口光合成」です。

 すでに、 旭化成や東芝が、CO2からプラスチックをつくる技術を開発したり実証プラントを作ったりしているのですが、最近では植物と同じように、CO2と水から、ソーラーパネルで太陽エネルギーを取り込み、多様な触媒を使って、メタンやエチレン、従来はナフサから作っていたオレフィンを作ってしまうという技術です。

 昭和シェル石油、豊田中央研究所、東芝などが、多様な有機物質を合成し、その変換効率を競っているという報告もあります。
 またNEDOが中心になった多くの大学・化学会社が参加するプロジェクトでは水を水素と酸素に分解して水素はエネルギー源や有機物の合成に使い、酸素を輩出する効率の向上を進めているという事です。
 
 日本人は、縄文以来、森(緑・葉緑素)を大事にし、自然との共生を実現して来ました。この伝統が、いま植物の働きを人工で補完しようという、根源的な地球環境問題の解決に向けて進められているとすれば、これこそ日本人に似合う技術開発でしょう。

 そしてそれが。地球環境改善と同時に、資源獲得競争やそれに絡んだ領土問題などの意味を失わせることになれば、これも平和憲法を持つ日本に最もふさわしい取り組みではないでしょうか。
 日本がこの分野で世界をリードすることを願うや切です。

2017通常国会閉幕:劣化する日本の政治

2017年06月18日 15時04分02秒 | 政治
2017通常国会閉幕:劣化する日本の政治
 通常国会は今日閉幕です。私も国民の一人として、このところの国会審議の状況をマスコミを通じてそれなりに見聞きしていますが、総じて感じられることは、何か「むなしさ」です。

 国際情勢も多分に不安定で、北朝鮮の動向はもとより、難航するIS・テロとの戦い、イギリスのEU離脱、アメリカの変質と世界への影響、中国の一体一路構想の行方、不可解な米ロ関係、などなど懸念材料は山積で、一体日本はどう考え、何をすればいいのか、ますます難しくなって来ています。

 国内問題も、国民の頑張りで、経済は小康と言えるのかもしれませんが、将来不安、それによる消費不振の改善は容易でなく、経済政策の遅れは、財政再建問題をはじめ、遅れが目立ち、金融でも、FRBと日銀の動きのギャップも気になります。政治の対応は益々重要です。

 ところが、経済社会の活性化を目指すという大目標で、岩盤規制にドリルで穴をあけるという理想を掲げた作業は、結局、「加計問題」というスキャンダルまがいの論議に国会審議の多くを費やすという無残な結果になってしまいました。

 また、テロ対策を主眼に、国際条約批准を目指したというテロ等準備罪を定めた改正組織犯罪処罰法の強硬採決の過程では、国連サイドとの意見の食い違いに対して強硬な反論を展開、日本の本来の姿勢である「国連中心主義」に疑念を感じさせるような結果になってしまっています。

 最近の我が国の政治は、何か、掲げている理想と、現実にやっていることに食い違いがひどいようで、国会で飛び交う言葉も、国会外での関連発言も、何か、軽くなり、汚くなり、聞く人に不快感を与えることが多くなっています。

 国会論議というのは、宮沢賢治の「ポラーノの広場の歌」ではありませんが、
  まさしきねがいに いさかうとも
  銀河のかなたにともにわらい
という人間社会の本来の在り方、よりよい社会の実現、日本国民のため、ひいては地球市民の平和と発展のため、という高邁な理想の追求を、現実の人間の行動として示すことでなくてはならないでしょう。

 見る人、聞く人に、違和感や不快感を持たせるような言葉や論議が横行するような国会の状況を見せつけられては、多くの人達が政治(家)の劣化を感じてしまうのではないでしょうか。

金利水準と家計消費、我が家の実感

2017年06月16日 22時15分29秒 | 経済
金利水準と家計消費、我が家の実感
 我が家の虎の子の貯蓄の中に300万円の国債があります。
 先日証券会社から利息が入ったとハガキの通知があり、接着している面を開けてみましたら、国債の金額は300万円で、利息が750円と書いてありました。

 家内に聞いたところ、「以前あなたが、外貨建ての投信などは元本のタコ足配当で損ばかりだから、目減りしない国債の方がまだいいとか言っていたので、国債にしました」との事でした。そういえばそんなことを言った気もします。

私「確かに目減りはしていないね。利息が750円ついてる。タクシーに1回乗れるかな」
妻「利息は年2回来ますよ」
私「じゃあ年2回タクシーで帰宅するか」

 計算すれば、利率は0.05%。これが日本の国債かとハガキは破って捨てました。そしてついでに考えました。
 昔のように5%あるいは5.5%の利息が付いたらどうだろう。300万で年15万か16.5万円、源泉徴収しても年金が月1万円以上増えたのと同じ効果があるわけです。 

 我が家と同様、長年貯めた貯蓄を生かそうと考え、結局、投信などで損をして「国債の方がまだいい」と思い・・・、というお宅もあるのではないでしょうか。

 もし1000万円を国債に投資出来れば、3%の利息で年間30万円、5%なら50万円の利息が付きます。源泉徴収しても年金が月2~3.3万円増えたのと同じです。元本は減りませんから、毎年同じ金額が入ってきます。高齢者マル優などがあると更にいいですね。

 金利というのは、本来こういう功徳があったものなのです。だから日本人は先憂後楽で貯蓄に励んだのです。

 今、年金の手取りは毎年じりじり減っていきます。貯蓄には利息がまともに付きませんから、結局「元本食いつぶし」になります。一方平均余命は伸びています。当然医療費はかさみます。

 これが当面する高齢者の家計でしょう。「将来不安で消費を抑える」のは、こうした中では当然の行動でしょう。
 そして、こうした親たちの生計を見ている子供たち(子供と言っても、もう50歳前後)も、当然先行き不安を感じます。年金の積立金にも、まともな利息は付かないのです。

 こんな身近な状況を考えても、なぜ消費が伸びないかが実感できるでしょう。
 もし国債1000円万で、年30万円、50万円の利息が付けば、高齢者の貴方はどうされますか、恐らく安心して消費をその分増やすのではないでしょうか。

米FRB、金融正常化に軸足(2017/6 FOMC)

2017年06月15日 12時05分03秒 | 教育
米FRB、金融正常化に軸足(2017/6 FOMC)
 6月13、14両日のFOMCで、アメリカ連邦準備銀行は、日銀の公定歩合に当たるフェデラルファンドレートの誘導目標を0.25%引き上げ、1~1.25%のレンジに引き上げることを決定ました。

 トランプ新政権の支持率も急落、経済回復基調もはかばかしくない中で、FRB、イエレン議長としては思い切った決断なのでしょう。

 経済指標としては雇用の堅調と株高はありますが、2%を目指す物価の上昇は足踏み、実体経済面では問題も多い中で、金利引き上げ、さらに年内にバランスシートの圧縮(FRBの持っている債券などを減額し、市中からカネを吸い上げることで、異次元金融緩和を収束させる政策)を開始するという発表は、「何が何でも金融の正常化を」という気持ちの表れとも感じられます。

 もともと、アメリカ主導のマネー資本主義がリーマンショックを引き起こし、世界の金融システムを壊し、アメリカ自身の経済も行き詰まった状態を、前議長バーナンキさんの「金融さえ緩めれば、恐慌は回避できる」という信念からの異次元金融緩和政策の導入だったわけです。

 労働経済が専門で、実体経済を重視するイエレン議長としては、金融の正常化で正常な経済の回転を回復させるのは最大の課題との考えではないでしょうか。

 従来、アメリカが金利を引き上げればドル高・円安になり、日本も株高にというマネー評論家の解説が一般的でしたが、今回は、アメリカが金利を引き上げても、経済情勢からその浸透は不明で、円レートへの影響はあまりなさそうという意見が多いようで、やはり日本は真面目に自力で経済再建の努力を必要とするようです。

 FRBが、政治情勢の不安定の中でも、何とか金融の正常化、それによって、実体経済の健全化を目指しているのであれば、日本も、さらなる円安に乗った経済回復でなく、技術革新や生産性の向上による実体経済の前進による、「額に汗した」経済成長を目指すべきでしょう。

 そのためには、もう、賞味期限の切れた異次元金融緩和を放置するのではなく、金融正常を進めることで、経済活動の健全化を促進するといった、方向を真剣に模索すべきでしょう。

 実質経済成長率がありながら、金利がゼロだったりマイナスだったりというのは、一時的、人為的な政策としてはあり得ても、正常な経済システムではありません。
 経済成長率がプラスであれば、金利はいくらかでもプラスであるべきでしょう。異次元金融緩和という「緊急避難措置」を当たり前だと勘違いするようにならないうちに、金融正常化への方針が日本でも示される時期でしょう。

法人企業景気予測調査(2017年4~6月)

2017年06月14日 11時36分13秒 | 経済
法人企業景気予測調査(2017年4~6月)
 昨日、内閣府・財務省から標記調査が発表されました。 
 このブログでは、海外などからの特別の事情などがない限り、日本経済は当面徐々ながら安定成長への道を進むだろうと見てきていますが、この調査でも、同様な企業の意識が見て取れるようです。

 この調査は、日銀の「短期経済観測」と同種の調査で、経済状況等について、企業から「改善」「不変」「悪化」「解らない」の回答を得て、全体を100%とし、その中の「改善%」から「悪化%」を差し引いた数字を BSI (business survey index) として表示するものです。

 マスコミでも、足元の4~6月は前期比マイナスだが、7-9月、10~12月は上昇見通しと説明していましたが、ここでは具体的な数字を見ておきたいと思います。

<貴社の景況判断>
大企業  4~6月期:-2.0  7~9月期:7.1  10~12月期:6.7
中堅企業 4~6月期:-3.1  7~9月期:7.5  10~12月期:7.3
中小企業 4~6月期:-9.9  7~9月期:-3.2  10~12月期:0.9

<国内の景況判断>
大企業  4~6月期:4.8  7~9月期:5.8  10~12月期:5.2
中堅企業 4~6月期:2.7  7~9月期:5.1  10~12月期:5.4
中小企業 4~6月期:-11.5  7~9月期:-4.5  10~12月期:-0.5

上は「わが社の場合」で下は「日本全体」という事ですが、大企業、中堅企業は、今期は小幅な後退だが、来期以降は国内景気も自社の業績も、かなりの回復を示すという形になっています。

 一般的に悲観的な見通しの強い中小企業も、10~12月期には、ほぼ回復態勢に入りわが社は多少のプラスといった感じです。
 
 気になるのは、大企業、中堅企業で、国内景況は4~6月期もプラスなのに、「わが社」はマイナスという事ですが、これは輸入原材料高や自動車・鉄鋼・建設などの一部大産業の事情もあるようで、一時的なものとみられています。

 この調査は、売上高や雇用・設備投資、利益などについても調査していて、雇用や設備投資は堅調、しかし利益は減益傾向などの結果が出ていますが、海外環境の難しさ、政治の混乱など、いろいろと先行き不安もある中で、企業の安定成長への「努力と期待」は読み取れるようです。

労働時間問題を少し深掘りすれば-4

2017年06月13日 10時20分31秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば-4
 このシリーズの最後に、少し、労働時間問題に関する、いわゆる日本的な側面の問題点を考えておきたいと思います。

 長時間労働→過労死の問題は、労災保険などでは特に脳・心臓疾患として捉えられていましたが、これは本人と企業の健康管理が中心で、適切な健康診断によってかなり防げるのではないでしょうか。

 より深刻な問題として最近注目されるのが「過労自殺」です。仕事や人生に行き詰まりを感じ、自死するといったケースは、古くは、アメリカアの作家、アーサー・ミラーの「セールスマンの死」でも取り上げられ大きな幅広い反響を呼びましたが、今の日本の過労自殺は、これとは少しく違うように思われます。

 通常では、元気で仕事をこなしているだろうと思われるような人が、仕事の悩みからうつ病などの精神疾患に苦しみ、果てに自死、という結果になるのです。
 メンタルヘルス問題が言われるようになり、企業でうつ病が目立つようになって、言われたのが、「うつ病の前兆は『朝起きて会社に行きたくない』と考えるようになった時」といった経験や解説です。

 過労自殺は、体の不調、うつ病と進み、人間として行き詰まるところまでいった挙句に起きるのでしょう。そして、そのはじまりは「会社に行きたくない」・・・・・。
 これは学校で見られる「いじめ」の「学校に行きたくない」と酷似しています。これを労働時間だけの問題として取り扱うのは、どうも不適切のようです。
 「残業月100時間で過労死なんてありえない」と言って非難された評論家もいましたが、楽しい仕事で残業100時間なら私も自殺はしないでしょう。

 社会人の場合の「いじめ」は、最近の言葉でいえば「ハラスメント」でしょう。セクハラの場合は「受けたものがセクハラと感じたら、即犯罪」という意識が徹底していますが、パワーハラスメントの方は、「厳しく育てようとしただけなのに」などの言い訳も成り立ちます。

 この辺りで、日本的なものが出て来ます。日本では「就職」でなく「就社」だと言われますように、企業に正規採用されることは、「人間として」その企業のメンバーとして認められることです。そこで、上司に「お前はダメだ」と否定されることは、日本人にとっては、時に人格否定、人間否定のように受け取られます。特に仕事熱心で真面目な若い社員にそういう場合が多いようです。

 かつて日本の管理職は、部下の面倒を見る教育を受け、あるいは企業文化、会社の雰囲気の中で、そういう感覚を身に着けていたのではないでしょうか。企業で一番大事なのは「人」は日本企業の常識でした。

 人間性豊かな日本的人事管理が、長期不況の中で失われ、人員削減の一般化、非正規社員の著増、仕事・利益優先といった企業風土を生み、一方、真面目な社員ほど、日本的な企業観を持っているのが現状です。このギャップが問題の根源にあるようです。

 日本の経営管理者が、もう一度、日本の企業と社員の人間中心で濃密な関係に思いを致し、法律だけでは実現出来ない大切な「人間を生かす経営管理」という重要な役割を改めて確りと果たしていただきたいと思う所です。
 それが 企業の長期安定成長のベースでしょう。