tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

為替レートへの誤解

2007年07月31日 22時21分42秒 | 経済
為替レートへの誤解
 為替レートが多少円高に振れたりする中で、専門家の方々が、為替レートについての解説をしたりしています。

 $1=¥122 が $1=¥119 になると、輸出産業では1ドルのものを輸出して122円受け取れたものが、119円しか受け取れなくなり、一方、輸入産業では、1ドルのものを輸入して122円払っていたものが119円で済むようになるわけです。ですから円高は、輸出産業にとってはマイナスの影響があり、輸入産業にとってはプラスの影響があるといった説明が普通です。

 ですから、輸出と輸入が同じぐらいの金額の企業では、為替レートの変動の影響は中立だとか、日本経済としては、輸出のほうが多いから円高はマイナスだといった説明になります。

 それでは、輸出も輸入もしていない産業・企業は、為替レートの影響は受けないのでしょうか。多くの国内サービス産業、たとえば、タクシー業界、ホテル・旅館業界、レストラン業界、さらには電話などの通信業界などなど。実は、こうしたところも為替レートの影響の圏外ではありません。

 円高というのは、日本国内のすべてのコスト(最大のコストは人件費)や価格が、円表示では全く変わらないのに、ドル(海外通貨)で見ると円高の分だけ高くなっているということです。輸出、輸入だけでなく、日本産業全体のコストと価格が国際的に見て上昇することです。
 
 かつて、プラザ合意による円高で、日本はインフレも何もやらないのに、突如として世界一賃金も物価も高い国になってしまい、製造業の海外移転から始まる大変な苦難の時期を経験しました。
 国内旅行より海外旅行のほうが割安で、海外に行くと、ホテルもレストランもタクシーも随分安かったといった経験をお持ちの方は多いでしょう。

 やっとこの1~2年、日本企業の必死のコストダウンと円安のおかげで、日本の物価も国際的にみてそんなに高くなくなりました。グローバリゼーションの中で国内産業であろうと、国際的に見て高い価格や料金は、必ず引き下げ圧力を受けます。そしてその影響は、賃金などのコストに及びます。

 為替レートは決して輸出と輸入関連部門だけの問題ではありません。表面的でない、本質論議が必要のようです。

 

最低賃金への政府の介入

2007年07月25日 16時44分10秒 | 労働
最低賃金への政府の介入
 格差問題が政府の人気の足をひっぱているからでしょうか。今年の最低賃金の決定に当たって、政府は、何とかして最低賃金をいつもより大幅に引き上げたいようです。
 
 企業は最低賃金より低い賃金では人を雇えませんから、最低賃金を引き上げれば賃金格差が縮小すると考えているのでしょうか。だとすればあまりに安易でずさんな考えで政策を打つことになります。

 従業員が最低賃金に近いところの賃金で働いている企業を考えてみてください。賃金が強制的に引き上げられて、従業員は束の間喜ぶかもしれませんが、利益をはたいて賃金を払えるのならいいかもしれませんが、それほどの利益もない、かといって製品の値上げはとても出来ない、といったところは経営の縮小、従業員の削減ということになるのが普通です。最低賃金は全国で一斉に引き上げられますから、不況地域ほどそうした問題がおきやすくなります。

 もともと賃金というのは、経済、経営学の原論が示すように、付加価値生産性の分け前として支払われるものですから、生産性が上がらないのに賃金だけ上げると企業は立ち行かなくなります。歴史的に見ると、1970年から80年代前半にかけての欧米諸国では、労働側寄りの政府が多く、生産性が上がらないのに賃金が上がり、雇用が減り失業が増えました。政府は労働時間を短縮して、多くの人が働けるようにしようと考え、労働時間の短縮政策をとりました。しかし賃金を据え置いて労働時間明け短縮しましたから、一層賃金コストが上がって、当時「イギリス病」「フランス病」「ドイツ病」など言われたスタグフレーションによる長期不況になってしまいました。

 今になって、「労働時間を短縮するなら賃金も減ります」というオランダモデルが成功し、ドイツやフランスも労働時間を短くしすぎたと反省しているようですが、こうした歴史の経験は、「生産性が上がる前にコスト(賃金)を上げてはいけません」という「企業経営の鉄則」を、長い時間と大きな犠牲を払ってわれわれに教えてくれたものといえましょう。

 今、日本政府は、何とか人気を取り戻そうとして、生産性向上はそっちのけで、格差是正を最低賃金の引き上げでやろうとしています。本来なら、中小企業の生産性を引き上げるような政策が先に来るべきなのです。このままでは結果的には、中小企業の労使を困らせることにしかならないでしょう。

 こうした政府の誤った政策には、日本の労使は共にはっきりと、その誤りを指摘して政策を正していくべきではないでしょうか。

正社員不足

2007年07月20日 11時19分42秒 | 労働
正社員不足
 最近企業の人事担当の方のお話を伺っていると、「正社員を切り詰めすぎたので、社内に正社員不足の状態が出てきている、今後は少し正社員を増やしていきたい」といった話を聞きます。

 だからといって、一昔前のように「社内全員正社員で」というのではなく、仕事の内容や、高齢者対応、非正規希望者など非正規雇用も適切に考えながら、それでも正社員を増やしていきたいということのようです。

 この動きには直接的には2つの原因があるようで、ひとつは、長期不況の中で正社員を削りすぎたこと、もひとつは、パートや派遣の賃金水準が上がってきたことがあるようです。

 もともと日本の企業は正社員という雇用形態が好きで、戦後の経済成長の中で、一貫して正社員化を進めてきています。しかし、プラザ合意(1985年)で円レートが2年ほどの間に2倍に切りあがり、日本が世界一人件費水準の高い国(物価も世界一高い国)といわれるようになって、まずは製造業の海外移転、さらにバブルの崩壊以降は、背に腹は替えられず、コストの安い非正規従業員を増やしてきたというのが本当のところでしょう。

 非正規従業員の賃金水準は、企業が決めるのではなく、マーケットが決めます。だから不況がきついほど下がります(企業の労使が決める正社員の賃金は不況でもあまり下がりません)。日本企業は、長期不況の中で世界一といわれるほど高い人件費水準を、非正規従業員の活用で必死に引き下げ、同時に合理化で生産性を上げ、コスト競争力の回復に努力しました。

 その努力がやっと実って、企業が利益を上げられるようになり、景気が徐々に回復してきているということでしょう。やっと企業にも少し余裕が出てきました。削りに削っていた従業員の教育訓練の費用なども少しずつ増えてきているようです。

 こうなると企業は、本来好きだった正社員を増やしたくなります。それに、正社員の賃金は景気が回復してもすぐにはあがりませんが、非正規従業員の賃金水準は労働需給の逼迫で、確実にあがってきます。

 結果は、はじめに述べたような傾向になるのでしょう。最低賃金を政策的に上げるとか、深刻な格差問題に手を打てとか、後追いの議論が盛んですが、日本の経済社会は、健全な復元力を持っているようです。大切なのはこの内蔵された復元力を大事にすることでしょう。

過労死・過労自殺

2007年07月11日 09時27分27秒 | 労働
過労死・過労自殺
 こんなテーマは、取り上げなくて済めばそれが一番いいのでしょうが、現実のほうが進行しているので、あえて取り上げました。

 自分の肉体や精神が壊れるまで働くような事が何故起こるのでしょうか。それほど仕事というのは個人に対して強制力を持つのでしょうか。人間には本来自衛本能があって、自分が意識する安全圏内でとどまることが出来るように作られていたのではなかったのかなどと考えてしまいます。まじめで、責任感の強い人ほど、そういった事態になりやすいなどと聞くとやりきれない気がします。

 確かにスポーツでも、一生懸命やりすぎると、無理が生じて怪我に泣くといったことは起こりがちです。そういえば、柔道をやられた方は先刻ご承知ですが、まず受け身から入ります。スキーをやられた方は経験済みですが、最初にやるのは制動です。柔道もスキーも危険なスポーツですから、まず危険から身を守る術から身に着けるというのが入門の第一歩です。

 以前は「仕事」というのはそんなに危険なものとは思われませんでした。しかし、今は熾烈化する国際競争の中で、また希薄化する人間関係の中で、ときに「仕事とは極めて過酷なもの」になることもあり得るような世の中です。仕事に就く時に、あるいは仕事に就く前に、過労から自らの身を守る心構えや方策を先ず身につける様な教育が必要な時代になったのかも知れません。

 本人の不幸は勿論、多くの人々に不幸をもたらす過労死や過労自殺の問題を、後追いではなく、先回りして解決すような多様な知恵を、みんなで出し合うことが必要なのではないでしょうか。

 

同一労働同一賃金

2007年07月05日 09時53分32秒 | 労働
同一労働同一賃金
 このところ広く関心を集めている格差是正問題との関連で、同一労働同一賃金といった言葉が良く聞かれます。特に、正規雇用者であろうと非正規雇用者であろうと、同じ仕事をしていれば、当然同じ賃金を支払われるべきだという主張は多くの人に共感をもたれているように思います。

 しかし現実の世界ではなかなかそう行きません。
 企業サイドでは「一見同じ仕事をしているように見えても、正規社員は仕事を長期的に考え、周辺の関連する仕事にも配慮したりしているから、その仕事だけやっている非正規社員とは労働の質が違う」というような説明をし、「だから同一労働同一賃金ではなく、同一価値労働同一賃金でなければならない」といった主張をします。

 労働組合側はどうかというと、組合員には圧倒的に正規社員が多いので、スローガンとしては「格差是正、同一労働同一賃金といっても、実際の交渉の場になると、どうしても正規社員中心になるようです。

 お役所のほうはどうかというと、厚労省も、「同一労働同一賃金」に相当する「均等待遇」という言葉を避けて「均衡待遇」といったいい方をしていて、では具体的にどうすればいいのかといっても、もう1つ明確ではありません。

 何故こんなことになってしまうのかという理由ですが、それは、もともと日本には同一労働同一賃金などなかったからです。サラリーマンあるいはサラリーマン経験者の皆様方ならすぐお分かりでしょうが、机を並べて同じ仕事していても、オレ/ワタシのほうが、能率がいいなと思っても、1年先輩の賃金にはなかなか追いつけないのです。そして、労組の代表である連合も「1年たったら、1年先輩に追いつく賃金を」といっているのです。

 正規社員自体が、一時点で横に比べてみると、同一労同一賃金でも、同一価値労働同一賃金でも、均等待遇でもないのです。でも長い目で見ると、結果的には、より仕事の出来た人がより多くの賃金をもらうようになるという仕組みです。
 これは日本の社会文化的背景から来るもののようです。だから、欧米流の「職務給」や「成果主義」を入れてみても、少し立つと反省が出てきて、そうしたものをプラスアルファ部分として残しながらも、基本部分は年功賃金的な色彩を含んだものに回帰してしまうのでしょう。

 こうした問題は法律や制度で決められるものではありません。時間がかかっても、労使がお互いに納得出来るような形で、話し合って決めていくことではないでしょうか。