tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

今年も1年間有難うございました

2016年12月31日 10時18分26秒 | ご挨拶
今年も1年間有難うございました
 今年も、多くの皆様にアクセスいただき、誠にありがとうございました。
 plalaのbroachから出発したtnlabo’s blogですが、broachが閉鎖になり、gooにお引越しをしたのが2014年の3月でしたので、そろそろ3年になります。

 おかげさまで当初2ケタになってしまった1日のアクセス数も、皆様のお陰で3ケタに乗り、来春には100,000に達しそうな状況です。

 アクセスをいただいた皆様に、少しでもお役に立ちそうな情報を、データをもとに、ご提供できれば、と思っておりますが、時に筆が走り、私的な見解に至ってしまい恐縮です。

 残念ながら、今年の日本経済はあまりぱっとしませんでした。政権支持率の調査にも表れていますように、国民は、その時々の場面で一喜一憂しているようで、情緒的に安定していません。
 
 真面目なだけに心配性の日本人かもしれませんが、もう少し自信をもって、楽観的になってもいいのではないかと思ったりします。客観的に見れば、日本人は立派で、日本は素晴らしい国です。

 アベノミクスが行き詰まっても、日本経済は、世界最低水準の失業率に見ますように、積極的な前向きな要素を内包して進んでいます。かつての様に、もっと「労使の頻繁な対話」を深め、それぞれの企業の中が風通しの良いものになれば、多少の政府の政策の拙さはあっても、企業活動の活力がそれを補うような展開ができるというのが日本的経営の特徴です。

 新年はアメリカのトランプ政権が、現実に動き出した時、どんな事をするのかが注目でしょう。対ロ、対中、対中南米、さらには対アラブ世界、そして対欧、勿論対日もですが、かなり変化の多い世界情勢になることも予想されます。

 変化の方向が良いものである事を望むところですが、世界情勢の変化は日本にとっては好機かもしれません。なぜなら、石油危機や、円高対応に見ますように、日本は変化に対応することでは、どこにも引けを取らない対応力を持っているからです。

 来年が、日本にとって、結局は良い年だった、と言えるように、日本人、日本の労使、日本の政権が、このブログの基調でもある「和の思想」に立つ日本人の本来の知恵を生かした積極的な行動をとることに注力する年にしたいものです。

今年と来年: 混迷の安倍経済政策

2016年12月30日 10時34分41秒 | 経済
今年と来年: 混迷の安倍経済政策
 4年前、安倍政権の登場は、日銀の異次元金融緩和による円安実現とともに華々しいものでした。
 円レートは1ドル80円から100円になり、さらにその1年半後には120円になり、日本経済は円安転換と共に、急速な競争力強化、大幅な為替差益で、企業は短期間に高収益に転換、安くなった日本旅行に中国はじめ外国人も殺到、訪日観光客は2倍に増え、爆買い現象なども起こって、「為替レートの変化(円安)とはこんな以大きな影響を持つものか」と実感させてくれました。

 考えてみれば、その逆だった「プラザ合意による円高」がどれだけ日本経済のマイナ明日になったかに思いを致した人も多かったのではないかと思います。

 良い製品やサービスを確り作っている日本でも、あるいは良い製品やサービスを確り作っている日本だからこそ、こうした為替レートの変動に敏感に反応するのでしょう。
 という事で安倍政権の経済政策は、スタートにおいては素晴らしかったのです。しかし、その後の第2、第3の矢は期待に反しました。

 財政出動は、累積する国債残高が足かせになりますし、構造改悪は必ず光と影の両面を持ちます。
 この辺から安倍経済政策はパッチワーク、小手先のつぎはぎ政策に変化し、消費増税の引き延ばしや、賃上げの奨励、法人減税によるその補填、同時に2020年プライマリーバランスの回復の公言(不可能明白)など、迷走状態になり、さらには、さらなる円安を狙った(?)日銀のマイナス金利政策も裏目に出て、円高を呼び込んだりとなりました。

  振り返ってみれば、安倍政権の経済政策の失敗は、第1の矢の大成功による、日本経済の改善を、国民に広く均霑することを忘れ、日本人の最も嫌う「 格差社会の深刻化」に繋げてしまったことでしょう。

 大きな背景には日本社会の高齢化による、年金、医療、介護といった社会保障費の否応なしの拡大があります。高齢化で国民は一様に将来不安を感じています。1ドル120円になって、80円時代とは様変わりになった日本経済の改善を、まずこの不安感の緩和に使うといった、経済戦略が政権には必要だったのでしょう。

 残念ながら、格差社会化は深刻の度を加え、その経済的帰結は「 消費性向の低下」消費不振が日本経済の成長に深刻なブレーキという今日の状態です。

 安倍政権は、外交の得点でこれを緩和しようとしているように見えますが、国民の多くは外交より、我が家計の将来不安でしょう。

 偶々、この所、トランプ効果で円安が進みました。日本経済も一息、安倍経済政策も一息かもしれませんが、新年になってどうなるか、安倍さんにも、麻生さんにも、黒田さんにも解らないでしょう。

 こうして今年は終わり、コスト高の東京五輪も1年近づき、先延ばしした消費増税の期限も1年近づいて、国民の将来不安は深刻化でしょうか。
 それでも、国民は頑張り、日本経済は外から見れば、世界で最も健全な国です。
 今、喫緊に必要なのは何か。それを考えて、来年こそは、日本の格差社会化に急ブレーキを掛ける年になって欲しいと思うところです。

広島、そして真珠湾、寛容、和解、友情、信頼、不戦

2016年12月28日 14時06分28秒 | 国際政治
広島、そして真珠湾、寛容、和解、友情、信頼、不戦
 オバマ大統領と安倍首相が、広島に引続き、今回も揃って訪れた太平洋戦争の発端の地、真珠湾、そこで発した安倍総理の演説は素晴らしい文章だと思います。
 そこにちりばめられたいくつかの言葉は、地球上、人類のこれからの在り方を深く考えさせるものでしょう。

 文章ひとつで世界は簡単に変わるものではありません。しかし、日米関係が、種々の困難を含みながらも、日本として、こうした発言を、はっきりと世界に示したことは、大変有意義な事だと思います。

 戦後のアメリカの寛容、そして仇敵として戦った相手との和解、さらに期間をかけて育てた友情と信頼、そしてそれに基づく「今の世界に最も必要な」不戦の宣言、こうしたプロセスを、まさに必要としているのが今の世界でしょう。

 太平洋の両岸に位置するアメリカと日本が今後戦うことがあるとはだれも思わないでしょう。
 同じことはヨーロッパでも言えます。第一次世界大戦、第二次世界大戦と二度にわたって相戦ったドイツとフランスが、今後戦うことがあるとは誰も思わないでしょう。

 国と国との関係は、変わるものであり、また変えられるものなのでしょう。リーダーが、またフォロワーとしての国民がいかに考えるかが未来を決めるのでしょう。

 今の世界でも紛争は絶えません。それだけではありません。大国同士の緊張関係はこのところさらにエスカレートする様相さえ感じられます。
 最近にニュースから見ても、日ロの北方領土問題に絡めて、国後、択捉へのロシアの対艦ミサイルの配置の報道がありました。

 中国が海洋進出を進め、埋め立てた南沙諸島などの環礁の軍事基地化を進めるといった報道、南太平洋への空母遼寧の航行のニュースもあります。
 核軍縮を進めてきた米ロ両国の、核装備拡充の主張も聞こえてきたりします。

 それぞれの国が、こうした行動をとる理由は何でしょうか。本当に第三次世界大戦をやるつもりなのでしょうか。誰もが「まさか」というでしょう。

 本当に戦争をやるつもりはない、やったら世界の破滅である事は良く解っている。しかし、軍備を拡充して見せないと、国としての威信にかかわる。想定上の被害者と加害者の関係作り。架空と意識しながらの仮想敵国認識。敵がいないと自国がまとまらない・・・。理由はいろいろなのでしょう。

 冒頭に掲げた、寛容、和解、友情、信頼、不戦の素晴らしさは解っている、「しかし・・・・」。
この「しかし」がすべての問題の源なのでしょう。

 「いろいろ無理をして軍備の拡張などしてみたが、使う機会もなかったし、結局は全部無駄でした」「馬鹿なことをしていました」という世界がいつ来るのでしょうか。 
 少なくとも、世界の主要国が、大手を振って「不戦」を掲げ、それが心から尊敬される「友情と信頼」、「争いより共栄」の世の中に、早くなってほしいものです。

変わらぬ節約志向、消費者物価と消費支出(2016/11)

2016年12月27日 14時41分05秒 | 経済
変わらぬ節約志向、消費者物価と消費支出(2016/11)
 クリスマスも静かに過ぎて、せわしない年末、そして希望に満ちた年明けといいたいところですが、いろいろな意味で先行きの見えない中での年末年始の様相です。

 勤勉に働き、真面目に行動する日本人ですが、このところ、経済も社会も何か沈滞気味です。
 企業業績はそれなりに良好な状態を続けていますし、経常収支は大幅黒字を続ける日本、求人倍率は空前の高さで、失業率の3%程度で世界最低レベル、外国から見れば、日本ほど健全な経済の国はないと言われそうですが、この沈滞はどこから来るのでしょう。

 11月の消費者物価指数が発表されました。マスコミは生鮮食品を除く指数は前年同月比で、-0.4%の下落で下落は9か月連続などと書いて、物価は下がり続けのように言いますが、実体はどうなのでしょうか。

 総合指数は前年同月比0.5%の上昇で、引き上げたのは生鮮食品です。秋の長雨で前年同月比21.6%も上がっています。しかしこれは一時的なものですからこれを除けば、マスコミ報道のようにマイナス0.4%です。

 消費者物価を引き下げている要因は電力・ガス料金、交通通信(特に携帯電話)、住居、家具家事用品(家電)で、保健医療、教育、教養娯楽、雑費などは上昇、といった状況です。

 これを総じてみれば、生鮮食品は上がったが、海外資源価格(原油など)の値下がりでエネルギー関連は下がり、家電(特にテレビ)も下がり、上がっているのは、人件費が主要コストであるサービス関係、特に教育関連が上昇、といったところでしょう。

 総務省の総括表では、「総合物価」は0.5%の上昇、「生鮮食品を除く総合」は0.4%の下落、更に低下気味の「海外エネルギー価格」も除いた「食料(除酒類)・エネルギーを除く総合」は0.1%の上昇となっています。

 生鮮食料はお天気次第、エネルギーは海外次第で、これから上がりそうす。では、日本経済自体の生み出すインフレ率はどうなのかといいますと、「食料(除酒類)・エネルギーを除くと0.1%の上昇」というのがそれに当たります。

 デフレではなく、ホームメイド・インフレは極小で、生活者には有難い状態という事ではないでしょうか。
 それなのに、「日本経済で最も不振なのが消費支出」という現状が、同じく総務省の家計調査(11月分速報)で27日発表されました。

 それによりますと、勤労者世帯の実収入は名目で。1.6%の上昇、実質で1.0%の上昇になりましたが、消費支出は名目で‐0.3%、実質で‐0.9%とマイナスで、その結果、平均消費性向は、83.6%と前年同月の85.5%から1.9ポイントの下落(7か月連続の下落)になっています。

 繰り返し触れているところですが、国民が「収入が増えても消費しない」という節約志向になってしまう原因を、政府が本気で、国民と共に考えるようにならないと、今日の日本経済沈滞の問題は解決しないのでしょう。

道遠い財政再建、国債金利は上がらない?

2016年12月26日 12時39分16秒 | 経済
道遠い財政再建、国債金利は上がらない?
 安倍政権は2020年に プライマリーバランスの達成を目指すと言ってきていますが、どうもその可能性は全くないようです。

 消費税増税を延期した際も、「 その影響は全くない」と強弁していましたし、GPIFが株で大きな損失を出した時も、 年金財政への影響はないと明言していたと記憶します。

 このブログでも、そうした問題は単純な計算の問題ですから、影響がないなどという事はあり得ないと指摘しましたが、2020年は毎年1年づつ近づくのですから、そろそろ、そんな強弁は通らないことがはっきりして来るようです。
 
安倍政権のモットーは「経済成長なくし財政再建なし」だった思いますが、経済成長が思うに任せないから財政再建はダメでした」で済むのでしょうか。

 今年も、国際投資資本の思惑でしょうか、前半は円高に振れて、株価も低迷、日本経済はごく僅かな成長にとどまり、法人税中心に税収が不足し、第三次補正で、2兆円ほどの赤字国債を追加発行しなくてはならないようです。

 日銀が、年間80兆円の国債を長期国債中心にゼロ・マイナス金利で買い入れて低金利を維持していますから金利が低いお蔭で国債費はそう増えませんが、金利正常化に踏み出したら、財政再建はまた、さらに先に延びるでしょう。これでは金利正常化には踏み切れません。

 偶々秋になってアメリカの次期大統領がトランプ氏に決まって、市場の思惑相場で円安になり、株も多少持ち直し、企業収益も回復の様相ですが、実際にトランプ政権が走り出して、何が起きるかはまだ誰にも見当がつかない様です。

 これでは財政再建はおぼつきません。安倍政権も、出来ないことをできると言い張るのはやめて、本当のことを語り、国民とともに、本気で日本経済と財政の先行きを論じたらいかがでしょうか。

 そうしないと、ゼロ・マイナス金利はいつまでも続けなければならなくなり、経済の正常化は遅れに遅れて、国民はますます将来不安に駆られるようになりかねません。消費はいつまでたっても伸びないでしょう。

 日本人ほどの資質と実力を持ちながら、為替レートが正常になっても、まともな経済に戻らないようなことで、これからもアベノミクスでいいのでしょうか。
 国民には本当のことを語ってもらいたいものです。

支払能力シリーズ14: 中間まとめ

2016年12月25日 09時28分43秒 | 労働
支払能力シリーズ14: 中間まとめ
 年が明ければ2017年春闘の時期に入ります。
 この支払能力シリーズは、1つ大きな目的をもって書いていきました。

 最初に「真理は中間にあり」と書きましたが、労働分配率、正式に言えば、付加価値の労働と資本への分配(労働分配率+資本分配率=100%)は、どちらが多すぎても、少なすぎても企業経営や、経済運営はうまく行かない、真理、つまり適正労働分配率、裏を返せば適正資本分配率は労使の主張の中間にあるという事です。

 この考え方は、今なお、あまり一般的ではありません。欧米でも途上国でも、企業は少しでも多くの利益を確保しようとし、労働組合はより高い労働分配率を目指します。理論的な整合性、合理性の検討は、ごく単純なラッカ-プランやスキャンロンプラン以外は、殆どなされていません。

 しかし、もし労使が「いかなる労使の分配が一国経済あるいは企業の成長を最も高めるか」という視点に立てば、一国の経済計画でも、企業の経営計画でも、与えられた内外の経済・経営環境の中で、目指すべき成長率、国なら経済成長率、企業なら売上高(正式には付加価値額の成長率あるいは、労働生産性の伸び率)は計画可能で、その中で最も適切な労働分配率(労働と資本への分配)は具体的な数字として算出可能です。

 その根底にある考え方が、このシリーズの最も重要な概念として提起してきた「今日の分配が将来の成長を規定する」という経済・経営(経済活動一般)に共通するメカニズムです。

 計画の展開の順序で言えば、成長目標を立てれば、その成長目標を実現するための必要な資本分配、それと整合的な労働分配が計画可能です。
 そして、それが実現すれば、目指す「成長に支えられた」年々の賃金上昇(人件費の増加)の計測が可能になり、長期的な積算で見た「総受取賃金の極大化」を可能にする人件費計画が可能になるのです。

 これこそが、まさに労使双方のwin=winの関係という事でしょう。
 日本的経営の発展プロセス中では、高度成長期以来、「従業員の経営参加」、「全員経営の理念」が熱心に語られてきました。 

 現場のQC、5S、カイゼンから、工場、店舗、企業全体の公式・非公式の労使協議制といった場で、企業のベストのパフォーマンスが、従業員待遇のベストパフォーマンスを生むという考え方、企業経営は労使の信頼関係が基盤という認識が基本になっています。

 かつて、日本の労使協議制は世界に有名でした。それを真似ようと法律で労使協議制を定めた国すらありました。
 残念ながら、この伝統は「失われた20年」の中で、些か影が薄くなったようです。

 今日のブラック企業問題などという現実は、こうした日常の労使の話し合いの欠如の結果であることは明らかです。
 円高不況があまりに長すぎ、深刻過ぎて、コストカット、企業のサバイバルだけが企業経営者の至上命題になったからでしょうか、経営者は、労使関係の大切さを忘れ、当面の利益の極大化に目を奪われるようになったのでしょうか。

 アメリカ流の利益至上主義の経営思想の影響もあったかもしれません。しかし伝統的な日本企業の社是・社訓、経営理念は違っていたはずです。

 経営者が、本来の日本企業の経営の在り方に改めて思いを致し、従業員(労働組合)が、強く責任ある企業経営のパートナーとしての意識をもって従業員の総意を担って活動を始めれば、「企業の成長と分配」の問題は、最重要の課題として、春闘の中で労使で話し合われることになるでしょう。

 そしてそれが、改めて、新たな日本企業、日本経済の再生、発展の大きな力になるはずです。
 「企業の人件費支払能力」というごく身近な問題は、実は、日本企業、日本経済の将来に大きな、しかも主要な関係を持つ重要課題だと考えています。
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 具体的な、企業レベルの「経営計画と人件費支払能力」の問題(経営計画と人件費支払能力測定)については、また、機会を改めて検討していきたいと思っています。

官製春闘の中身と同一労働・同一賃金

2016年12月24日 09時42分30秒 | 労働
官製春闘の中身と同一労働・同一賃金
 過去3回同一労働・同一賃金について書いてきたので、これ以上書かなくてもいいのかも知れませんが、やっぱり追加することにしました。

 非正規労働者が、自ら望んで非正規で働いている人たちばかりになった時、政府が同一労働・同一賃金を政策課題にするような事態は自然消滅するだろうと書いてきました。
 
 非正規雇用が異常に増えた主因は、円高に対応するために企業が、已むにやまれず正規を減らし非正規を増やして平均賃金を下げようとしたことにあると書きました。
 今、異常な円高は解消し、企業経営も正常に戻りました。企業は円高の際の逆のプロセスを進める、つまり正常な雇用状態に復元しなければなりません。

 それをしないと、格差社会化、社会の不安定化、従業員の教育訓練不足、現場力の低下、企業自身の質の低下などが起こり、政府も困って同一労働・同一賃金政策などを考えなければならなくなります。
 企業は先手を打って、雇用の正常化に取り組み、政府が余計な世話を焼かないで済むように早急に行動する必要があります。(労使が協力でやれればベストです)

 非正規を増やして人件費コストを切り下げてきたのですから、復元するには人件費コストの増加が必要になります。これは為替レートが復元したのですから、それによって増加した付加価値の中から捻出するのが当然です。

 官製春闘の中では、政府は、賃上げを奨励し、財界も、上げられるところは上げるべきとか、ボーナスや手当の形でもよいといった言い方をしています。
 こうした発言の目的は、賃金を上げて消費を増やそうというところにあるようです。

 しかし、それでは問題の解決にはなりません。今必要なことは、不本意な非正規雇用を正規に転換し、正規の賃金に復元することで、円安による付加価値増(「 円安と労使の果たすべき役割」2013/2/1付け)をその原資に充てることです。
 それでまだ余裕があれば、「賃上げでもボーナス増でもどうぞ」でしょう。

 政府が個人消費支出の増加を狙うならば、賃上げより、雇用の安定の方が消費性向上昇の効果が大きいことを過去の経験から学ぶべきでしょう。

 付け加えれば、春闘における賃金の改善は雇用構造の復元が完了してからにすべきなのです。これは労使も、伝統の「賃金より雇用が大切」という伝統の中で最優先課題とすべきです。
 順番が逆転するので、同一労働・同一賃金などといった問題が起きるのです。

 残る問題が1つあります。理想とされるオランダのように、正規・非正規といった区別の無いのが一番いい。同じ仕事なら賃金も同じ、最も公正は制度といった考え方です。
 この問題の解決法は実は極めて明白で、日本流の「企業への専属」を要請する「正社員」制度をやめることです。日本流なら全員非正規、それが欧米流の正規労働者です。

 採用は欠員補充のみ、賃金は職務給+成果給(job and performance)、年功はナシ、定期昇給も定期異動もなし、ブルーとホワイトは別枠、昇進昇給は転職で、給与・報酬はトップマネジメントまでマーケット価格、定期一括採用もありませんから、就職協定の必要もない、ただし若年層の失業率は平均の2倍というのが一般的でしょう。

 これは、すでに述べましたように、企業と人間の結びつきの在り方、考え方が、社会・文化の伝統の中で、欧米と日本では基本的に違っているからです。今の日本社会ではとても受け入れられないと思います。

同一労働・同一賃金: 賃金より「雇用」に視点を

2016年12月23日 11時42分25秒 | 経営
同一労働・同一賃金: 賃金より「雇用」に視点を
 日本経済がプラザ合意による大幅円高以降の長期不況で20年余の長期低迷を続ける中で、それまでは雇用労働力の20%に満たなかった非正規従業員が40%という異常な高さに達したことはご承知の通りです。

 「 プラザ合意なかりせばの日本経済」で指摘しましたように、日本経済が正常な為替レートの動きの中で安定的な経済成長を続けていれば、恐らく非正規雇用は今日でも25%程度か多くても30%以下のものではないでしょうか。

 残念ながら、いわゆる「失われた20年」を通じて非正規雇用は急速に増えました。企業は円高で国際的には2倍になったコスト引き下げのために正規従業員を減らし、非正規を増やし、平均人件費の水準を下げて、円高によるコストアップに対抗したのです(日本経済の総コストの7割は人件費)。

 日銀の政策変更で、2014年以降、行き過ぎた円高は解消し、企業経営はまともな状態に戻ってきています。企業の収益性も高まりました。
 しかし一旦安価な非正規労働力に頼った企業が、本来の日本企業の在り方である「正規重視」に戻るのに、時間が「かかり過ぎて」いるように思われます。

 今、本当に問題になっているのは、正規社員としての雇用を望みながら、非正規雇用に甘んじている人たちでしょう。多くは家計に責任を持つ人たちです。地域のマーケットで決まる非正規雇用の賃金では、家計を支えるのは至難でしょう。

 しかし、それ以外に自ら非正規を望んでいる人たち、働きたい時に働いてプラス・アルファの収入を得ることを目指す人たちも大勢いるわけですです。
 一家の稼ぎ手は別にいる方、学生アルバイト、年金も受給する退職高齢者、新型の在宅就業者、多様な地域や職場を楽しむ人、などなど、労働の性格も多様化しています。

 こういう人たちには、その要望に応える雇用形態、職場、仕事を提供することが必要です。賃金は職種や地域のマーケットで決まる賃金が納得性を持ちます。当然正社員としての雇用や賃金体系は適用すべきではありません。
 
 今、同一労働・同一賃金問題に背景になっている問題は、非正規労働の増え過ぎによる格差社会化でしょう。非正規の時給は正規より大幅に低い、それが世代を通じて拡大再生産されると大変だといった意見まで出てきています。

 そうみてくれば、本当に必要なことは、家計を担い、家族に責任をもって働こうという人たちに、確り稼げる場、正規雇用の場を提供することが最も重要です。
 これは賃金問題ではなく、雇用問題なのです。そうした基本的視点を見過ごし、同一労働・同一賃金を政策の柱に据えるというのは、些か見当違いと言わざるを得ません。

 雇用とか賃金とか家計といった問題は、職場の問題より、「社会」の問題です。日本の労使は常に、「雇用が最重要」といってきました。勿論これは雇用の数だけではなく、適切な雇用の質を重視するものでなくてはなりません。
 なぜなら、人は多く仕事によって育つからです。そして、子は親の背を見て育ちます。

 今重要なことは、労使が協力して(政府も後押しして)正規従業員をできるだけ増やすことです。戦後、 日本の経営者はそれをやってきました。そして、「正規にはなりたくないから非正規」という人たちだけが非正規になれば、この問題は自然に解決していくことになるでしょう。

非正規雇用増加と同一労働・同一賃金

2016年12月22日 12時58分45秒 | 経営
非正規雇用増加と同一労働・同一賃金
 前回、日本の企業における賃金制度は、欧米で一般的な企業の在り方と異なる「日本的経営」、日本的企業観の中から生まれてきたことを見て来ました。人間中心の日本的経営と職務をベースにした欧米の 企業観の違いについては繰り返し述べてきています。

 ところが日本でも、一企業に専属せずに、企業は収入を得るための手段として利用し、自分の生き方の方を大事にする人たちも増えてきました。
 豊かな社会の実現をベースに、生き甲斐、価値観の多様化、都市化による現金収入の必要性、電化による家事労働負担の軽減など様々な要因があるのでしょう。

 一時は縁辺労働力などと呼ばれた、パート、アルバイト、季節労働者、高齢労働者が増加すると同時に、いわゆる「ハイタレントマンパワー」と呼ばれる人びとの中には、自分の能力をより高く売るという視点から(プロ野球のFAのように)一企業専属を選ばない人たちも出てきました。

 こういう人たちは、一企業に縛られる「新卒採用から定年まで」といった勤務を好みませんから、日本的経営を前提とする(いわゆる終身雇用の)賃金体系にはうまく適合しません。
 その結果、こうした「一企業専属」を望まない人たちの賃金は「マーケット決まる」ことになります。

 もう皆様ご承知のように、パート、アルバイトといった非正社員の賃金は(新聞折込みの求人広告に見られますように)、職種と地域などで区分されるマーケットで決まります。
 最近の報道では「求人難で平均時給が1000円を超える」などという形です。

 ハイタレントマンパワーの方は、マーケットがまだ小さいので、個々の「交渉と契約」で決まっている(これにもマ―ケット相場はあるようです)という事でしょう。

 こうした「大きく3種類」に分かれてきた労働力の構成についって、1995年に、当時の日経連(現経団連)は「 雇用ポートフォリオ」という概念を提起しています。
 正社員は「長期蓄積能力活用型」、パート・アルバイトは「雇用柔軟型」、ハイタレントマンパワーは「高度専門能力活用型」としています。(これが非正規増加の元凶という意見もあります)

 ところで、「同一労働・同一賃金」で問題になっているのは正社員とパート・アルバイトの賃金格差でしょう。「並んで同じ仕事をしていて賃金が違うのはおかしい」というのです。

 実はこれは難題です。基本的な理由は「企業がそれぞれに定めている労働協約や就業規則の中で決まっている賃金(年功色があり、企業別に大きな差もあります)と、その地域のマーケットで決まる賃金を、仕事が同じなら「合わせる」といったことは、(決定基準の違うものを合わせるのですから)どう考えても不可能でしょう。

 政府が20日発表した指針案でも、例えば、基本給について、正社員とパートで「同一の能力を蓄積」していれば、「その能力に応じた部分について」同一の支給をしなければならないなどとしていますが、同時に、「業績成果などに応じて」という言葉も使われていて、能力があれば払うのか、業績成果によるのか企業も判断に困りそうです。

 今、政府がやろうとしていることは、結局形だけの辻褄合わせに終わるのでしょうが、それでは全く問題の解決にはなりません。
 次回は、なぜこんなことになったのか、本当の解決策は何なのか、を考えてみましょう。

同一労働・同一賃金と日本的経営

2016年12月21日 13時37分18秒 | 経営
同一労働・同一賃金と日本的経営
 今、政府部内で行われている同一労働・同一賃金の議論を見ていると、日本における経営と労働の在り方がほとんど解っていない人たちが、勝手な議論をして大変奇妙な結論を出しそうで、心配しています。

 大体、賃金制度というものは、企業で働く人たちが、労使双方が納得して気持ちよく働けるように作られてきているものでしょう。
 今の政府の議論に、労使双方が納得しているとはどう考えても思われません。現実にはそんなことを言われても困ると双方がそれぞれに考えているのではないでしょうか。

 日本の賃金制度は、日本的経営の中で形作られたものです。そして、日本的経営の理念は、欧米で一般的なものとは大きく違います。当然賃金制度も違ってきます。

 日本的経営の特徴は、企業と人間の結びつきが長期的なものあるという前提に立っています。これはかつてアベグレンが注目し、また、ドラッカーが、日本には長寿命の企業が欧米に比して圧倒的多いと驚嘆したことにもつながります。

 企業は人間が付加価値を創るためのシステムとして考案し、それが安定して進化し、成長発展することが社会に貢献するという視点から、欧米でも「ゴーイング・コンサーン」という概念が生まれています。日本流に言えば「企業は老舗を目指せ」でしょうか。

 パフォーマンスの良い企業は、社会が必要とし(提供する商品・サービス面でも、雇用の面でも、きちんと毎年税金を払う事からも・・・・・)潰れては困ると思われています。

 日本の社会文化的伝統の中では、そして当然、日本的経営の中でもそのためには「企業と人間の安定した長期的な結びつきが大事」といいう了解が成立して来ていたのです。
 
 企業と人間の関係がこうしたものであれば、その中での賃金制度もそれと整合するようなものとして考えられます。
 こうして出来上がってきたのが正社員に対する日本の賃金制度で、一口で言えば、入社から定年退職までのトータルな仕事(会社への貢献)と生涯賃金が見合っているという事なのです。生涯賃金で同一労働・同一賃金ですから「年功的な色彩」の賃金制度もこうした中では合理的で納得性もあります。

 勿論、こうした体系は企業内の制度として決まりますから、賃金制度体系はそれぞれの企業で差異もあります。その違いは、企業の行っている仕事(業種、業態)や、企業文化、企業の財務体質、企業全体のパフォーマンスなどによって生じます。

 正社員の賃金制度は基本的にこうした背景の中で作られ、今でも、日本人のメンタリティの中では納得、肯定されています。
 しかし現実には、企業は正社員でない労働力も必要としてきました。その人達は従来それほど数が多くなく、異なった賃金制度が適用されていました。

 次回、そうした人たちへの賃金制度の仕組み、そして、そうした非正規雇用が異常に増えた結果どうなったかを見てみましょう。

バブルは起きている? バブルの見分け方

2016年12月20日 14時40分37秒 | 経済
バブルは起きている? バブルの見分け方
 1991年のバブル崩壊から傾向的に続いていた地価の下落、マンション価格の下落などが、この所、一部に多少変わってきたような様相が見られます。

 一般的には不動産価格は低迷状態の継続かもしれませんが、一部の中心市街地、立地の良い高層マンションなどは結構値上がりしているところもあるようです。
 不動産を証券化するREITなども注目される気配もあります。

 つい20余年前、バブル崩壊で大混乱をした日本の経済社会ですが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」でしょうか。

 背景にあるのは、勿論時間がたったということはありますが、そのほかにも、日本が土地・不動産バブルをやったころ、過密都市でも不動産価格が安定していると評判だったシンガポールやロンドンなどでもその後軒並み不動産価格が上昇、隣の中国でも不動産ブームで国づくりをしたようで、日本の不動産だけが異常に高いという状況が薄れてきたこともあるようです。

 そんなこともあってでしょうか、最近バブルかどうかを「どう見分けるか」といった議論があります。
 経験者の「バブルの最中は誰もバブルとは思わない」、「破裂して初めてバブルだったと解るのがバブル」などという解説もあったりしますが、では客観的に見て何か判断基準はないのでしょうか。

 極めて厳密に、かつ理論的に言えば、「使用価値より高い部分はバブル」というのが基本でしょう。使用価値とは、例えばそのマンションを貸せばいくら家賃が入るかという事ですから、家賃を払うより買った方がいいと判断されれば、バブルではないでしょう。

 勿論「使用価値」は個人々々によって違います。勤務先に至近だったら、その人にとっての使用価値は高くなります。
 リゾートマンションを買って、家族で四季折々にに利用して満足できれば、使用価値相当でしょう。

 問題は、リゾートマンションを買って、あるいは郊外に住みながら都心のマンションを買って、値上がりしたら売ろうという場合です。
 使用しないのですから使用価値はゼロで、値上がりしなければ損になります。
 しかし1年たったら値上がりして売ったら儲かったという場合、それが偶々良い買い手がいてというなら別ですが、それが一般的な状況になったら、バブルでしょう。

 つまり、使用価値は上がらないが、価格は確実に上がっていくといった状況がバブルそのものです。マンションや不動産の価値は、本来、長期的には、その使用価値に落ち着くものですからそれを超えて上昇するのが「一般的」になる状況が「バブル」なのです。

 もう一つ言い方を変えれば、不動産が、 キャピタルゲインの対象になってきたら不動産バブルの始まりという事も出来るでしょう。

支払能力シリーズ13: 教育訓練費をどう考えるか

2016年12月19日 13時46分37秒 | 経営
支払能力シリーズ13: 教育訓練費をどう考えるか
 ここまで考えてきた適正労働分配率の考え方を整理してみますと、労使の配分というのは名目的な表現で、「使用者」は「資本家」ではありませんから、現実には使用者は、付加価値(人件費+資本費)のうち、資本費を資本家の取り分として考えるのではなく、企業の安定した発展のための資金と考えていることが解ります。
  
 株主配当は資本家へのリターンですが、現実には、株主の提供した資金に対する金利程度が一般的です。今はゼロ金利という異常な状態ですが、アメリカに見るように、銀行の預金金利にも、いつか正常化の動きが出るでしょう。

 という事になりますと、資本分配率の分は何を基準に分配するかという事になりますが、「人間が資本を使って付加価値を生産する」という立場から考えますと、「人間が使う資本」をより大きくするという事で、その中心は今後の企業活動の高度化、今後の企業成長のための資金ということになります。

 このシリーズの9で書きましたように、労働の生産性は「資本装備率」の向上で高まるのです。
 利益(正確には内部留保)は「企業成長のための肥料」といういい方もありますが、こうした視点からは、労働分配は「今日への分配」、資本分配は「将来への分配」という言い方も可能です。

 James Burnhamの「経営者革命」で書き、P.ドラッカーも指摘していますように、今日の経営者は企業というシステムの「システム・マネジャー」として、企業の永続的成長を実現するために、創出した付加価値を「現在のコストと将来コスト」に如何に分配するかを考えるべき存在で、労使交渉は、労組(従業員)と「現在と将来の配分比率」の在り方を共に考える場なのかもしれません。

 そこで問題になるのは従業員の教育訓練費です。教育訓練費は、会計上は現在のコストですが、その実は人間に関わる将来への投資です。最近よく使われる言葉で言えば「人的資本への投資」でしょう。

 会計基準は多分に形式的なもの、税金の計算用のものといった色彩があります。
 「人間が資本を使った付加価値を創る」ことが企業の役割という基本的な立場に立てば、教育訓練費は人件費ではなく資本費に入れて付加価値分析をすべきでしょう。

 付加価値分析というのは本来、企業の動態的な成長を分析するためのものです。
 ですから分析の目的は、付加価値の分配と、企業の成長が如何なる関係にあるかを明らかにすることです。
低めの労働分配率が成長率を高めると書いてきましたが、教育訓練費については資本分配に入れて計算することがより実態に近いと考えられます。おそらく、教育訓練費の増加は、その後の生産性の向上に有意な相関を持つはずです。

ロシアの思惑、日本の対応

2016年12月17日 11時54分19秒 | 国際関係
ロシアの思惑、日本の対応
 今回の、安倍首相のプーチン大統領招聘は、客観的に見ても、それだけの成果はあったと思います。
 やはり人間同士、必ずしも「腹を割って」ではない所もあろうかと思いますが、長時間直接話し合うことはそれだけの効果を相互理解という面で促進するはずです。

 しかも、安倍総理のお膳立ては、最近世界でも認められてきた日本流「おもてなし」の精神をしっかりと体現させていたように思われます。直接プーチン大統領を接遇する人々も、その点は徹底していたのではないでしょうか。

 些か違和感を感じたのは、総理官邸に銃剣の捧げ筒をする儀仗兵(?)が並んだことです。外国では当たり前で、安倍総理も多くの国で経験しておられるのでしょうが、儀式とはいえ、今の日本人には(プーチン大統領にも?)あの光景は異常に映ったのではないでしょうか。

 ロシアは経済交流(支援?)日本は北方領土返還という食い違った願いの中での会談ですが、平和条約締結というのは共通目標ですし、その入り口を通過したことは事実でしょう。

 他方、アメリカではトランプ次期大統領が、親ロ政策を打ち出すかもしれません。世界の警察はをやめるというアメリカと、未だ拡張主義から抜けられないロシアの関係がどう変化するか未知数ですが、国後、択捉にロシアが配備した地対艦ミサイルが実際に使われることがないように願いますし、恐らく発射される機会は未来永劫ないでしょう。

 一般的に拡張主義というのは被害者意識の結果であることが多く、拡張主義の2大大国、中国とロシアは、強い被害者意識で国論を纏めようとしているようにも見えます。
 そうした体制に対して、対立や脅しではなく、友好とおもてなしで接することはある意味では非常に効果的なのかもしれません。

 しかも日本の場合、それは権謀術策や戦略ではなく、希望で包んだ本心だという事が相手に解れば、国際関係は変わる可能性もありましょう。

 ロシアの対欧米への累積した被害者意識が、新しく始まった動きの中で次第に溶融していくようなことになれば、北方四島の国防上の有用性はそれとともに低下し、逆にそれにかけてきたコストの大きさが、全くペイしないことが見えてくるでしょう。

 国と国とが、存在するだけでお互いに加害者と被害者(時には双方が自分が被害者と思っている)であるような関係がなくなることが平和の前提でしょうし、その時国境問題なども、合理的な解決が可能になるのではないでしょうか。

支払能力シリーズ12: 生きてくる日本の労使関係

2016年12月16日 11時05分37秒 | 経営
支払能力シリーズ12: 生きてくる日本の労使関係
 前回、企業の成長と労働分配率は逆相関の関係にあることを指摘しました。これは基本的には、労働の資本装備率が高いほど生産性は上がるという理論と経験則からくるものです。

 企業の成長を望むのは経営者だけでしょうか。日本企業の場合、従業員も同じ立場だと私は考えています。主要国の中でもこうした傾向が強いのは日本とドイツで、ドイツでは伝統的に従業員が企業の株を持つ「パートナーシャフト経営」がありますし、法律としては「労使共同決定法」などで、労使の共同経営参画の意識があります。

 日本では法律はありませんが、従業員も労働組合も、伝統的に自分の給与や賞与企業の業績の関係は基本的に理解しています(これに関しては金属労協(?)の国際比較調査があったと記憶します)。これは長年培ってきた日本的労使関係の結果でしょう。

 この立場から出発すれば、「成長と分配の関係」という命題は、経営者だけのものではなく、従業員も巻き込んだ、労使双方の共通の課題という事になります。
 労働組合でも、従業員の社員会であっても、労働分配率は高いほどいいのではなく、企業成長との関わりで、わが社にとっての適正値があるはずだ、という事になるはずです。

 その意味では、経営計画の策定は、経営者と経営企画室で行うだけではなく、労働組合や従業員代表の参画も得て行うのが適切という事になります。
 計画の段階で労使双方の意見がまとまっていれば、成果(付加価値)の分配の話し合い(春闘の労使交渉)で議論が無用に混乱することはないでしょう。

 例えば、中期5年の経営計画を立てる場合、合理的な計算を積み上げれば、労働分配率は低めの方が成長率は高くなり、結果的に賃金上昇率も高くなるのが普通です。
 これは低めの労働分配率が高めの資本分配つまり利益の増加につながり、その有効な活用、企業のシステムや設備の高度化により、生産性や品質の向上、競争力の強化で成長が高まることによるものです。

 従業員にとっては、労働分配率を多少抑えても、「今後5年間に受け取る給与総額」が、企業成長の加速の結果、より多くなる方が望ましいことは明らかでしょう。

 勿論このプロセスはそう簡単なものではありません。技術開発や機械設備の選択、出店計画や店舗の設計まで多様な要素が絡んできます。

 従業員や労働組合は、そうした勉強もしなければなりません。もちろんそうした部門で働く従業員は、経営者より詳しいかもしれませんが、それが従業員全体に組織的に伝達されることが大きな効果を持つのです。

 近年も、大企業で経営上の不祥事が起きた時、労働組合のチェック機能はどうなっているのかといった意見がありました。
 最近の利益偏重のアメリカ型経営が強い影響力を持つ中で、労働組合のチェック機能は、場合によっては社外重役制度などに増して重要になるのかもそれません。

 1980年代まで、日本的経営が世界から注目された中で、こうした「日本的労使関係」はその核心でしたが、「失われた20年」の中で、こうした意識が、多くの個別企業段階で希薄化してしまっているのは大変残念です。

FRB:12月の利上げは決まったが・・・

2016年12月15日 14時15分28秒 | 経済
FRB:12月の利上げは決まったが・・・
 アメリカのFRBで、フェデラルファンドレートの誘導目標の0.25%の引上げが決まりました。0.5~0.75%という事ですが、まだまだまともな経済状態からは程遠い低さです。

 ゼロ金利脱出から、1年かかって、やっと0.25%の引き上げですから引き上げのペースは当初の予想(年4回?)より大幅に遅いものですが、それだけアメリカ経済の回復が遅々という事なのでしょう。

 今回のイエレン議長の発言でも、 金融規制改革法(ドッド・フランク法)の重視を強調、暴走した金融経済への反省が色濃く出されていますが、それだけサブプライムローン→リーマンショックが世界の金融を危うくし、アメリカの信用を大きく毀損したという認識でしょう。

 さらにFRBは来年の金利引き上げを年2回から年3回にするという意向を発表しています。金融正常化を急ぐ気持ちはわかりますが、実体経済の方がどうなるかは、トランプ次期大統領の政策が動き出してみないと解らないところでしょう。

 勿論イエレン議長は、中央銀行の独立性の堅持は持論ですが、今回の利上げが全会一致で決まったのも、来年の利上げのペースを速めるという意見が多かったのも、現実を見れば、かなりはトランプ現象の中でのことのように感じられます。

 確かにアメリカ経済はゆっくりながら堅調な動きを見せてきてはいました。しかしそのペースは、0.25%の金利引き上げに1年を要するといった程度だったという事でしょう。
 矢張り大きな変化はトランプ現象に引っ張られていることは否定できないように思われます。

 しかし、トランプ現象というのは、あくまでも当面の現象であって、実際に政策の場面に入った時、一体アメリカ経済はどうなるのか、まだ誰にも皆目解らないのではないでしょうか。イエレン議長も、そのあたりの不明確さは、FOMCの全員が理解していると述べています。

 金利差拡大で「円安傾向」だけははっきりしていますが、日米ともに株価は気迷い症状でしょうか。マーケット自体も先行きは全く読み切れていないのでしょう。

 ただはっきりしているのはFRBの目指すところとして今回の会合では、長期的な政策金利中心を3.0%に想定しているという事でしょう。
 インフレ率は2%より高いのは良くないと言っていますから、実質金利はプラス1.0%という事になり、低成長の中ではそれなりに整合的でしょう。

 今回のFFレートの引き上げで、FRBの目指す所はかなり明確に理解されたと思います。
 問題は、トランプ現象が、トランプ政策になった時、経済政策、財政と金融の関係がどうなるかはまだ未知数という事でしょう。

 リーマンショックのように、金融が世界経済を震撼させることもありますが、今回は、金融政策の安定性は見えていて、トランプ次期大統領の外交、政治、経済政策の方が、より大きな、文字通り「政策変数」です。
 さて、新年1月20日以降に注目しましょう。
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 余計な冗談を付け加えますが、日銀はまた、金融緩和を続けるようです。コアコア物価がプラスの中で、ゼロ・マイナス金利という状況が続き、政府は、利息が付かない積立金で年金財政をやろうという状況(当然年金法改正が必要)がいつまで続くのか分かりません。利息が付かないから株式市場で稼ごうとしても(GPIF)、それでも損が多いので、今度はカジノの胴元をやろうというのでしょうか?