tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

資本主義改造計画

2009年03月30日 16時50分53秒 | 経済
資本主義改造計画
 人間は道徳的な存在として生まれて来たわけではないのでしょう。動物からの進化の結果として生まれた新人(ホモ・サピエンス)は、多分、動物発生以来の本能を海馬の中に蓄積してきているのでしょう。そして、それを取り巻く大脳の著しい発達、とくに前頭葉の発達によって、今の人間としての特徴を持ったということでしょうか。

 発達した大脳を持つ人間が、社会生活の中で、道徳的であったほうが結果的にうまくいく、ことに気付き、道徳が生まれたのでしょう。ということで、まだ本能の中に道徳はビルトインされてはないようですから、道徳は教えないと身につかないようです。

 中国では昔から「識分知足」などと言いますが、本能の中の「欲」は無限のようですから、経済の面で言えば、時に「カネの亡者」になってしまう人間も出ます。

 ところで、資本主義社会というのは、人間の経済的な欲望を巧みに利用して、世の中をより豊かで快適なものにしようというシステムですから、欲望は重要な進歩発展への原動力です。

 しかし、むき出しの欲望が跋扈しては、経済社会の秩序が保てませんから、昔から、資本主義は「競争」を掲げる一方で、道徳の重要性を説きます。たとえば、アダム・スミスは「道徳情操論」を書き、渋沢栄一は「論語と算盤」で道徳経済合一説をいうことになります。

 今の資本主義経済を支えているのは株式会社を中心とした「企業」というシステムですから、企業も道徳的でなくてはなりません。しかし企業というのは法人で、単なるシステムです。それを経営するのは経営者という自然人ですから、矢張り「経営者」が道徳的でないと、企業も金の亡者に成り下がり、健全な経済活動を阻害する可能性が出てきます。

 過去のバブルや恐慌は、すべてこの辺りに原因があるようです。 「カネは魔物」といわれ、「人間は弱い存在」ですから、資本主義を健全に発達させようと思うのなら、この人間の本質の問題にメスを入れなければならないでしょう。

 今回の世界金融恐慌を経験して、改めて、資本主義をバブルや恐慌を繰り返さないものに改造し進化させていく「資本主義改造計画」が、資本主義のサバイバルのために大変大事だと思われる方も多いと(そんなことをされては迷惑という人もいるようですが)思います。
 さて、どんな改造が必要なのでしょうか。


経済は回復基調へ

2009年03月26日 16時23分31秒 | 経済
経済は回復基調へ
 100年に一度といわれた不況も、マスコミの評価とは裏腹に、何となく回復の予感があるのではないでしょうか。そんなことはない、まだ経済世界は真っ暗だろいうご意見もおありでしょうが、しかしよく言われるように「夜明け前の闇が最も暗い」-The darkest hour comes just before the dawn.- ということではないかと感じられます。

 中国の農村家電普及などの積極政策、そのせいか資源価格も一部持ち直しているといいます。アメリカで今次不況のきっかけを作った住宅問題も、どん底からの回復が中古住宅から新築住宅に及び始めたと報道されています。政府の本気の対金融機関の救済手段が、効果を持ってきたということでしょうか。

 こうした海外の動きと共に、国内の減産体制にも、夏までには見直しの機運が出てくるのではないかなどと予想されています。国内消費の落ち込みはGDPレベルでは最大限数パーセントというところでしょうが、メーカの減産は4割とか5割に及んでいます。多分、在庫調整は急速に行われるということでしょう。

 ただ、景気の悪化が何とか一息ついたとしても、それを手放しで喜んでいられない重要な点があるように思われるのです。
 中国の農村家電普及政策は別として、アメリカの住宅の回復は、金融緩和によるところが大きいのではないでしょうか。

 もちろん、経済の血流である金融の正常化は緊急課題です。 しかし、行き過ぎたマネー経済が勝手に飛び跳ねて骨折して動けなくなったのが今回の不況だとすれば、ハイテクのギプスで補強したから、もう飛び跳ねられるというのでは、本質的には不況前と何も変わらないのではないでしょうか。

 すでに日本でも、悪名高い外資系ファンドが、キャピタルゲイン という「あぶくマネー」を狙って動き始めているといいう報道もあります。

 資本主義の「痼疾」とでもいうべき「金融資本主義の跳梁による実体経済の毀損」という問題に対して、今回の失敗がなんらの教訓も与えず、資本主義自体になんらの反省もないとすれば、資本主義は、 経験から何も学び得ない愚かな存在ということになるのではないでしょうか。


日本型ワークシェアリング合意

2009年03月23日 15時59分49秒 | 労働
日本型ワークシェアリング合意
 先週、3月18日、09春闘の集中回答日があり、大方の主要な単組の交渉は、雇用の最重視、ベアは無理、企業によっては定期昇給実施時期の延伸といった厳しいものになりました。
 久方ぶりの連合のベア要求はあったものの、その後の経済情勢の極度の悪化に、労使交渉の現場は、適切に対応したということでしょう。

 矢張り、日本の労使関係の伝統は確りと維持されていたことはご同慶にたえません。
 そして今日、3月23日の、「政労使の日本型ワークシェアリングの合意」です。これは大変タイミングがよかったと思います。

 連合の高木会長も、春闘で振り上げたこぶしをおろして参加し、政労使三者ともこの合意について評価していると報じられていますが、これをきっかけに、今回のような予想もしない経済の変化に対しても、政労使三者が柔軟で粘り強い対応をする日本的労使関係の伝統を、改めて固め直していただきたいと思います。

 日本の労使関係の特徴は、労使が、単に自らの利害に立つのではなく、必要に応じて、自分の立場より、全体の利益、みんなに共通する利益を考えて行動することが出来るということでしょう。これは、欧米主要国をはじめ多くの国の労使関係から見れば、離れ業のように見えたり、自主性のない癒着のようにも見えるようです。

 しかし日本人にとっては、本来これは特殊なものでもなんでもなく、根底にあるのは「和」の思想で、そのよって来る所以は、自分のことと全体のことを「将来という共通の視点」を前提に、合理的に理解、先見、洞察しうるという賢明さによるものでしょう。

 1960年代、ドイツが驚異的復興をした背後には、政労使の「協調行動」の成功があったといわれます。今回の政労使の三者合意は、多分、日本経済が世界に先駆けて元気を取り戻す一助になるだろうと思います。


2つのアメリカ

2009年03月18日 11時18分07秒 | 社会
2つのアメリカ
 巨大な公的資金の援助を受けているアメリカの保険会社のAIGが、幹部社員(数十人、多くは金融部門といわれる)に対して、総額1億6500万ドル(160億円)に及ぶボーナスを支給したことが報道され、大統領、議会も巻き込んだ大変な騒ぎになっているようです。

 1人で数億円を受け取った幹部もおり、すでに十数人は退職したといわれ、ニュースを聞いた人は、アメリカ企業の経営幹部というのは、一体何を考えているんだろうと思ったのではないでしょうか。

 国民の税金を提供していただきながら、それを右から左に幹部のボーナスに支払い、もらった人は、さっさと退社、というわけですから、常識では考えられないというのが正常な感覚でしょう。
 
 アメリカ人でも正常な感覚の持ち主ならば、当然怒り心頭でしょう。オバマ大統領、バーナンキFRB議長、ガイトナー財務長官をはじめ、多くの要人が、強烈な怒りの発言をし、あらゆる手段を講じて取り戻すべきだといっています。

 AIGというのは、かつて、日本で保険の第3分野を開拓し、アメリカが日本に市場開放を求める中で、「保険の第3分野はわれわれが開拓した分野だ、日本の保険会社に簡単に参入は許さない」などと身勝手なことをいっていたように記憶しています。

 最近では、金融部門に注力、CDS(クレジット デフォルト スワップ)などを拡大、急膨張したようですが、それが今回の金融危機で、破綻の原因になったようです。

 今回の事件で見えてくるのは、アメリカには、金に狂ったマネー・マーケットのアメリカ人と、社会常識と社会正義に敏感なアメリカ人(この方が圧倒的に多数でしょう)がいるということで、世界のマネー・マーケットを演出し、踊ったアメリカ人はごく一部だったのではないか、といったことでしょうか。

 2つのアメリカ・・・、マネー崇拝論者は、一部のアメリカ人かもしれませんが、世界中に大きな惨禍を撒き散らしました。しかし反省の声はあまり聞かれません。日本でも、カネでカネを儲けることが経済活動だと思っているような人々が増えてきているだけに、この面での先進国アメリカが、どういう結末になるのか確り見守りたいところです。


G20と政府の経済対策

2009年03月15日 15時44分29秒 | 経済
G20と政府の経済対策
 G20も終わりました。財政出動が必要、財政出動で協力しようといった点では合意が得られたようですが、アメリカが主張したGDPの2パーセントといった数値目標についての合意は得られなかったようです。
 もう、アメリカのいう通りなど、やっていられません、というのが、各国の本音なんでしょうか。

 確かに財政出動をすれば、それが、後からどういう問題を起こすかは別として、その時点では何らかの効果はあるでしょう。しかし、日本を始めどこの国でも、無理をせずに巨額な財政出動が出来るような国はありません。

 無理に無理を重ねれば、後から、それなりの、咎めが来るでしょう。いつかも書かせていただきましたが、いつまでたっても、経済政策は「財政政策」と「金融政策」と言うのでは、 経済政策の貧困ではないでしょうか。経済学者はもう少し何か考えられないのか、と思う人も少なくないでしょう。

 企業では「カネがなければ頭を使え、それがダメなら汗をかけ」などといいますが、国の場合でも「金を使わず(少しは使っていただいてもいいですが)、頭を使った経済政策」というのは考えられないのでしょうか。

 動機づけ理論では、
・ 金は、出しても効果はそのときだけ、削ればマイナス効果は大きい、つまり拙い政策
・ 動機づけ、意欲に最も効果があるのは、仕事に意義を発見して、面白いなと思った時
といいます。

 日本人が、国のため、世界のために「これをやることが大事だ」と前向きにやる気になるような魅力のある目標を国民に示して、ヒト、モノ、カネ、情報といわれる経営資源を徹底してそこにつぎ込める体制を整え、その上で、何が出来るかみんなで考えたらどうでしょうか。


投機マネーの巨大化と時価会計

2009年03月14日 11時59分15秒 | 経営
投機マネーの巨大化と時価会計
 時価会計というのは、市場性のある金融商品(含むデリバティブ)の一部や販売用不動産などの企業の資産を評価する際に、その時点の市場価格で評価するという方式です。
 具体的にいうと、ある銀行の持っているA社の株が、昨年の3月末には1000円だったが、今年の3月末に300円に下がっていたら、その資産の価値を7割切り下げて評価し、評価損を計上しなければならないということです。今日のようにマネーゲームで株価が乱高下する時、時価が本当の評価価値なのでしょうか。

 日本はもともと取得原価で評価する「取得原価法」が中心で、「低価法」(低い時の価格で評価する)も使われていましたが、これらは、良い会社の株を長期に持っていれば、当然次第に値上がりするが、資産内容を過大に評価して人の目を欺くことのないように「会社はつつましく自分を評価せよ」という「保守主義」の原則に立ったものでした。

 それが、アメリカ主導の国際会計基準の中で、含み損益があるようでは企業の本当の内容がわからない。最も透明なのは時価評価であるということになったようです。確かにこれも理屈でしょう。

 「時価」とはなんでしょうか。昔は、すし屋にいくと、すしのタネごとに値段が書いてあって、「うに」と「いくら」のところだけ「時価」と書いてありました。時価は変動します。すし屋さんも一貫いくらで出せるか予想できなかったからでしょう。

 ところで、安定経営が大変大事な企業についても時価会計が導入されています。企業の基本理念であるゴーイングコンサーンの中心概念は安定と長期存続です。その資産評価が「時価」でいいのでしょうか。透明性という点から言えば確かにそれも理屈です。
 
 しかし、今の世の中、実需マネーとは比較にならない巨額な投機マネーが跳梁跋扈しているのはご承知の通りです。原油価格ではありませんが、数ヶ月のうちに倍以上にも半分以下にもなります。株価も似たようなものです。

 特に、金融機関のような、安定が最も大事な企業が、時価会計ですと、投機資金の活動で保有金融資産が乱高下しますから、BIS規制などはほとんど意味を持たないでしょう。

 アメリカでも今回の金融危機で時価会計の停止が一部導入されたようですが、時価会計主義がまずいのか、投機資金の横行がいけないのか、いずれにしても、ますます巨大化する投機マネーと時価会計主義は、今のままでは両立しないように思うのですが、どうでしょうか。


軍隊と警察

2009年03月11日 11時03分37秒 | 国際政治
軍隊と警察
 軍隊と警察はどう違うのでしょうか。
 
 軍隊は国と国との争いに備えるもので、一旦争いになれば出動して国のために戦うというのが昔から多くの人が認識している使命でしょう。
 国と国との争いですから、どちらが正しいとは中々決まりません。たいていは勝ったほうが正しいということになるのでしょうか。
 
 これに対して警察は、国の中で、国の定めるところに反するものがあれば、それは犯罪行為として取り締まるのが役割でしょう。したがって、どちらが正しいかはおのずから決まっていて、国は正しく、犯罪者は悪いのです。

 今回、ソマリア沖の海賊対策に自衛隊が出動することになりました。もうすでに軍隊を派遣している国も多くあります。現状、こうした国別に軍隊を派遣するという応急措置しかないのでしょうが、これがベストの方法とはとても思えません。

海賊問題はどう考えても戦争ではなく警察活動です。警察活動に軍隊が出動するというのは現状ではやむをえない対応策かもしれませんが、「鶏を裂くに牛刀を以てする」様な印象が避けられませんし、国別対応というのも大変残念です。

 これも、国連に警察体制が整備されていないからでしょう。この問題については日本からも積極的な声を上げている方が何人も居られます。

 今後、国と国との紛争は次第に減り(減らさなければなりませんし)、地球上では、戦争よりも警察活動が主役になる(ならなければならない)と考えれば、国連中心主義を標榜する日本は、今後50年100年の地球の将来を考え、国連に対して、地球全体の警察活動の体制整備を積極的に提言し、それに貢献するという態度を明確にしていくべきではないでしょか。


一雨ごとの暖かさ

2009年03月10日 11時51分28秒 | 経済
一雨ごとの暖かさ
 日経平均は「バブル後の最安値」を記録したそうで、世界的に見れば、実体は最も健全なうちにはいる日本経済なのに、なんで株価がアメリカ並みに下げるのかなどと思う方も大勢いらっしゃるでしょう。

 株価は、いわゆる機関投資家の売買で、ほとんど決まるのでしょうし、経済や経営の実態に加えて、いろいろな「思惑」が多様に絡まりあい、しかも東京市場でも、今はメインのプレーヤーは外国資本でしょうから、日本人が思うようには行かないのも当然でしょう。

 ところでもうすぐお彼岸、日も延びましたし、今日あたりは、まさに、「一雨ごとの暖かさ」といった言葉が実感されます。
 ベランダでは昨年採り残した小松菜が伸びて黄色の花を一杯に咲かせていますし、部屋の中では、これも昨年捨てたごみの中から生えてきたマンゴーの木を鉢に移したものが、またそろそろ丈を伸ばそうかと準備をしているようです。

 昨年この時期のブログに書きました「小鳥たち」も、昨年よりも賑やかに来訪します。多少大型のむくどり、ひよどり、やまばとも毎日のように来ますし、めじろやじょうびたきは昨年よりも個体数が増えたようです。

 桜前線の予想も今年は早めのようで、いよいよ春ですが、経済の春はいつになるのでしょうか。ただ待っていても中々来そうもありません(わたしは循環論者ではありませんので)。
 
 中身は確りしている日本経済です。もうひと頑張りして「これからの世界が望んでいることに着実に答えているのが日本だ」ということが解ってくれば、経済は世界に先駆けて回復可能でしょう。
 そして、多分、株価はそれを先読みするのではないでしょうか。


評価すべき電機連合の決断

2009年03月09日 11時54分00秒 | 労働
評価すべき電機連合の決断
 09年の春闘(春季の労使交渉)も、3月18日の、いわゆる集中回答日に向けて、個別企業での交渉もいよいよ重要な時期を迎えているようです。

 今年の労使交渉は、世界不況がこれほど深刻になると予想されない段階で、連合としては、回復してきた日本経済の状況では「久方ぶりに」賃上げ要求も可能ではないかということで、従来の「賃金カーブ維持」に代えて「2パーセント、あるいは4000円程度の賃上げ」賃上げを要求することにしたようでした。

 しかし、残念ながら、この春闘方針は全く裏目に出てしまいました。
 アメリカが、サブプライムローン債権を証券化して売り出したことに端を発する世界的な金融危機は、瞬く間に、日本経済も飲み込んでしまいました。もともと日本経済は比較的に健全でしたが、世界的な金融クランチによる、心理的効果も含む消費の激減には、抗する術もありません。

 経済成長がマイナスに落ち込むことが確実になった時、連合は「誤って、改むるに、憚ることなかれ」と、要求内容を変えるべきだったのでしょう。連合とて、日本経済が健全に発展することを願っているはずですし、そのためにも、企業を過度に危険にさらすべきではないと思っているはずです。

 組織運動の難しさでしょうか、連合は、賃上げ要求はおろさず、合理性のない、「賃上げが景気を良くする」という、かつての論理を持ち出して既定路線を走っています(注)。

 困るのは直接交渉を行う個別企業の労使です。組合も会社の窮状は良くわかっています。要求の無理さの程度も理解しています。しかし連合の方針は変わりません。

 こうした中で、3月2日、電機連合が、今春闘は「雇用中心」を打ち出し、連合路線 と一線を隔しました。電機連合は以前から、独自に、より合理的な労使関係をもとめる路線を打ち出す歴史を持っていますが、今回も、09春闘のあるべき方向を、率先して示したという意味で、その行動は客観的な意味で評価されるべきではないでしょうか。

   
  (注):賃上げで景気がよくなるのであれば、不況のときは賃上げをすれば良いわけで、賃上げさえしていれば、不況はなくなることになります。

進化を試される資本主義

2009年03月06日 11時12分58秒 | 経済
進化を試される資本主義
 共産主義による国づくりは70余年の歴史的実験を経て結局破綻しました。富の平等な配分を目指して出発した、理想に燃えたものだったのでしょうが、現実世界では、結果的に全体主義、独裁体制になってしまうことがわかった結果でしょう。

 中国やベトナムは今でも形は共産党一党支配ですが、中身は、かつての共産主義国家とはまったく違います。改革開放(中国)、ドイモイ(ベトナム)が、国のシステムを作り変えた(進化させた)ために、破綻も崩壊もせずに、元気です。

 ところで、資本主義はどうでしょうか。かつて、資本主義の悪い面、つまり強い資本が弱い労働者を搾取して、不平等社会を作るという点を批判して社会主義、共産主義が生まれたわけですが、資本主義は、経済発展を促進しやすいという得意面を生かしながら、
 ・資本家に代わって 経営者を登場させるとか、
 ・社会主義の良い面である社会保障の充実や福祉国家の理念なども取り入れ、
適切に環境対応しつつ進化して、立派にサバイバルを果たしています。

 しかし、資本主義に、今また、新たな問題点が明らかになってきました。
 それは、広くいえば、オランダのチューリップやかつての南海泡沫会社、近くは日本の土地バブルも含む、いわゆる「バブル」の発生を繰り返す問題、もっと大きなものに限定して言えば、1929年のウォールストリートに発する世界恐慌、今回の2008年、アメリカのサブプライム問題に発する世界金融危機(経済危機も懸念される)といった、資本主義の根幹を揺さぶりかねない、資本主義に内在する問題点です。

 これらに共通している問題は、「実体経済の発展に活用される」のが本来の役割であるべき「資本」が、実体経済から乖離した独自の活動、「 カネでカネを作る活動」に狂奔することによって起こるようです。

 2回目の世界経済危機を経験した資本主義です、日本には先ごろのバブル経済の経験もあります。
ここいらで、資本主義も、また改めて、容易に失敗を繰り返さない資本主義に進化しなければならないのではないでしょうか。 そして、その方向は、今までの経験の中から、すでに見えているように思います。


雇用保険2事業に思う

2009年03月04日 16時55分52秒 | 労働
雇用保険2事業に思う
 経済情勢の悪化と共に、雇用の問題が深刻さを増しています。雇用は、国民所得の合理的な配分のために大変重要なものです。雇用がなくなったところには、何らかの保障制度で国民所得を分配しなければならなくなります。

 当然、失業給付から生活保護まで、セーフティーネットの問題が論じられえることになるわけですが、かつて、エネルギー転換の中で、石炭離職者の問題をきっかけに、雇用の安定、促進を願って、前向きのセーフティーネットとして設立されたのが今の雇用保険2事業の全身、雇用安定資金制度だと記憶しています。

 これは、労使折半で払う雇用保険への料率にプラスして、「使用者側だけ」が、さらに1000分のかつては3.5、今は1000分の3を拠出して基金としているものとネット検索でも出てきます。年間の拠出金額としては5000億円ぐらいになるのでしょうか。

 かつては、平時に積み立てておいて、雇用が悪化しとき、巨額の支出をして雇用の安定を維持するという理念で、雇用の安定、改善、訓練、福祉の4事業で出発したと記憶しますが、お役所にはよくあることで、溜まった金の無駄遣いが頻発、雇用促進住宅は空き部屋だらけ、さらには、赤字を垂れ流す「箱もの」、中野サンプラザなど各都市の福祉施設、その上に、保養施設のスパウザ小田原、京阪奈の私の仕事館などが次々建設され、結果は赤字を止めるための売却が始まり、売却のたびに百億円単位の巨大損失を計上することになったようです。

 あまりのことに、4事業は3事業になり、今は雇用安定と訓練(人材育成)の2事業になって、遂には廃止の論議もされているようですが、本来の目的を考えれば、途中で使い方を間違ったというだけで、廃止するのはあまりに勿体無い気がするのは私だけでしょうか。

 使用者側だけが負担している基金です。財界には、雇用安定のための基金を集めるといった意見があるなどとニュースで流れますが、それよりも、この雇用保険2事業を、財界の手で、民営化するなりし、本当に意義ある使い方をするような基金に再編したらと思うのですが・・。