tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

ユーロ問題とは何なのか

2013年02月27日 17時14分31秒 | 経済
ユーロ問題とは何なのか
 アベノミクスによる円安転換も、早速試練に直面したようです。円安転換は、まだ口先かゼスチャーの影響の範囲だったのでしょか。「何かあれば円高」という慣例は、そう簡単には消えないようです。さて、安倍総理、日銀新総裁の打つ手は何でしょうか。

 ところで、今回のイタリアの選挙で、緊縮・耐乏政策への強い反発の実態が見え、厳しい態度を示すドイツのメルケル首相への反感が改めて言われたりしているようです。イタリアらしいと言えばそうかも知れませんが、事は単にイタリアではなくユーロ圏単位の問題になっているので、本来のアプローチとすれば、イタリアに任せるのではなく、ユーロ参加国が責任を持って、問題解決に当たるべきでしょう。

 もちろん通貨は共通でも、政治は国単位ですからという言い訳はあるでしょうが、世界中が大きな影響を受けるのは、事が単にイタリアではなく、ユーロ圏という大きな経済単位の問題にならざるを得ないからですから本来ならそれが当然の姿勢でしょう。

 耐乏生活が嫌だというのは何処にも共通です。しかし、今まで身の丈以上の生活をしていたツケが回って、緊縮生活を強いられているのです。GDPも身の丈まで下がって(マイナス成長)、生活水準も稼ぎに応じたものに緊縮しない限り問題解決の方法はないのですから、イタリア人はその単純な事実を理解し、ユーロ加盟国も、共同体としての責任を持ってイタリアを説得し、世界経済の安定に責任を持つ努力をすべきでしょう。

 それが出来ずに、イタリアの不行跡が黙認されるようなことになれば、スペインも、ポルトガルも、再びギリシャもと問題は次々に繰り返される可能性が否定できなくなります。
 現在は「変動為替相場制」というシステムの下ですから、その度にユーロ安が繰り返され、国際投機資本はビジネスチャンスが多くて大喜びかも知れませんが、世界の実体経済にマイナスの影響をもたらすようなことは、EUとしても不本意なことでしょう。

 放置すれば、それこそ、ユーロ圏は、そうした動きを利用して、いつでも為替操作を自由にできる手段を握ったと批判されそうな気がします。私の僻目でしょうか。


「何かあれば円高」をどう阻止するか

2013年02月26日 14時14分47秒 | 経済
「何かあれば円高」をどう阻止するか
 円安転換で株価は沸きましたが、個別企業の想定する為替レートは当面かなり厳しいように見受けられます。もともとマネーマーケットは、上がるにしても下がるにしても、日々の変動が大きいほどビジネスチャンスは大きいのですが、実物経済は、全く違います。

 経済の本来は実物経済で、マネーマーケットは、いわばあだ花です。いささか脱線すれば、湧いているあだ花を前提にそれを実物経済に不用意に持ち込もうとする安倍政権の「企業への賃上げ要求」などは「やっぱり経済の本質が解っていなかったのか」と落胆を誘う一幕ですが、今日はイタリア選挙で、イタリア国民の経済再建の覚悟のいい加減さが見えただけで3円も円高に振れるということになっています。

 もともと、アベノミクスの金融緩和、インフレ2パーセント目標というのは、マネーマーケットがまた円高に戻ってしまって、経済再生という基本目標が雲散霧消しないように、というマネーマーケット対策であるべきもので、インフレはその結果、実体経済が成長を取り戻し、そこで発生するインフレを企図したもののはずです。
 円安でインフレは発生したが、経済はゼロ・マイナス成長のままでは、目的と手段が「アベコベノミックス」です。

 ということで、今までの「何かあれば円高に」というこれまでの円を囲む国際環境が変えられなくて、何のための金融緩和でしょう。
 プラザ合意以来、日本経済を悩ませてきたのは、正にそれです。かつても触れましたが、「いざなぎ越え」でこれで何とか円高の悪夢が終わったかと思って6年、サブプライム・リーマンショックで30円の円高、ユーロ危機で15円の円高という、「何かあれば円高」にして「始末を付けたつもり」というマネーマーケットの安易な悪癖」を、ショック療法で止めようと試みたのではなかったのでしょうか。

 今回、政府・日銀がいわば『背水の陣』を敷いたのは、日本経済をして「行き過ぎた円高」状態に押し込もうとしても、もう受け入れられない、という強い意志を内外に示し、そのための手段を確保するためのはずです。

 実体経済に生きる企業はその辺りについて未だ疑心暗鬼です、実体経済の中で生きる労働組合もそうなのです。慎重な態度はその結果です。政府ばかりが、自画自賛で酔っ払い、目指した道を踏み外すことのないように願いたいものです。


マーケット、民主主義、人間

2013年02月25日 13時43分37秒 | 経済
マーケット、民主主義、人間
 前回、マーケットが誤り侵さないように人間が努力することが大事、と書きましたが、矢張りそうした努力をするということを皆が確認したうえで、マーケットは正しいというよりほかに方法はないということなのでしょう。

 こうした事はほかにもあります。例えば民主主義です。民主主義もポピュリズムに陥ったりして、往々誤りを犯します。しかし長ーい目で見れば、矢張り正しいのでしょう。「民主主義は決して良い方法ではない、しかし民主主義より良い方法がないからこれ使わざるを得ない」と昔から言います。

 マーケットも民主主義も人間のやることです、もともと人間は誤りを犯すものです。しかし、人間しか頼るものがないから、人間に頼っているのです。
 結局は人間が努力して誤りをなくするもとが、人間社会では常に目指されていることで、マーケットは正しいというのも、そうした意味でとらえる問題なのでしょう。

 こうして結局、問題は自分(人間)に帰って来るようです。ならば、少なくとも日本は、誤った行動をとらないようにして、マーケットが正しく働くように常に努力するしかないのでしょう。今回のアベノミクスにしても、最終的に、それが世界経済全体にプラスになるように、日本自体が努力する事しかないようです。

 同時に、世界市場をゆがめるような行動をとる国があれば、その行動について、受け身ではなく、率直に発言していくことも、大変大事だと思われます。発言しないことは無知、非協力と一般です
 このブログも、市井の片隅で、1人の人間が、そうした視点で、少しでもマーケットが正しいものになるようにささやかな発言を続けるという意味で、存在していると観念しています。

 この辺で湿気の多い話は止めにして、ではこれから日本は如何なる経済行動をとっていくべきかを考えてみましょう。
 話は、世界の経済大国の1つとして、徒にマーケットに振り回されるのではなく、マーケットが正しく役に立つものでいるように行動し、他のプレーヤーにも、そうした努力を促すのが本当という所まで来たように思います。

 アベノミクスが、歪んだマーケットの動きに呻吟しながら何も発言せず、世界経済への貢献もじり貧になっていく日本に、円評価の「是正」(単なる円安ではない)という起死回生のチャンスをもたらしたことは、今回の日米会談で、アメリカも一応の賛意を表すしかなかった、ということで、結果的には、成功だったと評価できるでしょう。
 問題は、では次に、何に留意するかです。


マーケットは正しいか?

2013年02月23日 11時19分50秒 | 経済
マーケットは正しいか?
 若しこの問いが、「マーケットは大切か?」という問いであれば、私はすぐさま「大切です」と答えると思います。我々が現在住んでいる経済社会は市場経済社会です。そこでの経済は市場原理によって成り立っています。
 経済的価値は原則として市場によって決定され、成り立っているのです。

 ただ、ここでの問いは、「市場は正しいか」であり、さらに言えば「市場は常に正しいのか」ということになります。
 私はこれに「YES」と答えることは出来ませんし、恐らく皆様も同じだろうと思います。すでに経済史の長い経験から、市場は往々にして誤りを犯すことは明らかでしょう。遠くはチューリップ球根バブル、南海泡沫会社から、近くは日本の土地バブル、サブプライムローンの証券化がリーマンショック迄つながったことなどなど、その例は枚挙に暇がありません。

 結論から先に言ってしまえば、
「マーケットは大切です。しかしマーケットは往々にして誤りを犯すものです。だから、マーケットが誤りを犯さないように、マーケットを利用する人間が常に努力する必要があるのです。」
というのが正確な表現ではないでしょうしょうか。

 ならば、マーケットが誤りを犯さないようにする人間の努力とは何でしょうか。これが決定的に重要になることは明らかです。
 基本的な条件がいくつかあると思います。
 例えば、
○参加はオープンでなければなりません
○関連する情報が広く開示されていなければなりません
○参加者の数がある程度以上多く、それぞれの影響力が平等でなければなりません
○悪意を持った参加や、虚偽の情報を持っての参加は望ましくありあせん
等でしょうか。今の国際マネーマーケットは、こうした条件を満たしているでしょうか。

 私には、とても満たしているとは思えません。しかしG20では、「マーケットは正しい」としているのです。世界のリーダーや碩学が集まって、なお、そう言うのには、矢張りそれなりの理由があるからという事でしょう。ではその理由とは何でしょうか。


日本経済:これから留意すべきこと

2013年02月22日 12時56分26秒 | 経済
日本経済:これから留意すべきこと
 今日、2月22日はこれから安倍・オバマ会談が行われます。アメリカが何を日本に求めてくるかの判断材料が出て来るでしょう。
 利害一致する問題もあるでしょうし、利害相反し、解決が難しい問題も少なくないと思います。
 それらをどう判断するかですが、事、経済に関して、これから日本は何に留意しながら行動して行かなければならないか、皆さんと共に考えてみたいと思います。

 まず最初は、先日のG20でも、一応の意見の一致をみたように報道されている「マーケットは正しい」という問題です。
 本当にマーケットは正しいのでしょうか。マーケットが正しいのならば、何故、世界中がインフレなのに、日本だけ20年近くもデフレ経済が続くようなことが起きるのでしょうか。

 正しくないとした場合、それでは、いかなる為替の決定システムがいいのでしょうか。その実現の為に何が必要なのでしょうか。日本は、何をしなければならないのでしょか。

 それでも「マーケットが正しい」とした場合、日本は、「日本だけ超長期デフレ」といた問題を抱えたということは、日本の経済運営が基本的に間違っていることになりますから、それでは、誤りない経済運営とはいかなる経済運営なのでしょうか。その為に日本は経済運営をいかに変更すべきなのでしょうか。

 一部に、日本は超インフレになり、金利は高騰、国債は紙屑になり、金融機関は壊滅状態、国民の蓄積は雲散霧消して日本経済は壊滅するという極端な意見もあり、そこまで行かなくても、過度な国債依存が日本経済を行き詰まらせるといった意見も根強いものがあります。デフレよりインフレの心配です。

 そのほか、より基本的な問題として、少子高齢化の進捗が、次第に国力を殺ぎ、日本経済・社会は凋落の一途を辿るという、いわゆる「ジャパンシンドローム」を心配する意見も強いようです。

 こう見て来ますと、少子高齢化問題はいささか視点が違うものですが、それ以外は、「揺れ動く為替マーケット」を真ん中において、片方は、従来の円高デフレからの本格的脱出をどう考えるかという問題で、もう片方は、逆方向に行き過ぎると今度はインフレになり、日本経済は大変なことになる、という問題です。


本質を突けない為替論議;モスクワG20

2013年02月17日 20時13分37秒 | 経済
本質を突けない為替論議;モスクワG20
 アベノミクスへの批判が心配されたモスクワG20は「通貨安競争の回避」を謳って閉幕したようです。先日のG7もそうでしたが、何かもやもやしたものを残したままのような雰囲気を感じる方は多いでしょう。

  日本については、公式にアベノミクスに対する円安誘導という批判はなく、麻生さんも一安心だったようですが、報道では途上国から、「俺たちの競争力低下をどうしてくれる」といった声は大分強かったようです。

 ドイツはユーロ安でドイツの競争力が急速に強まったという現実は忘れたように、日本に対する批判があったようですが、「マーケットは正しい」という見せかけの正論に便乗したという所でしょうか。

 従来の態度と違和感があったのはアメリカです。アベノミクスを容認し、日本を庇ってくれたような形に見えていますが、マーケットの正当性を認めて、当面の相手を為替自由化をしない中国に絞り込んだように見えます。

 日本には多くの問題が残されているように思われます。「アメリカに追随する金融政策を取ったら、マーケットが反応してくれだけ」、「円安誘導ではない」ということで認めてもらったということで済んだわけですが、これとても、見方の問題で、円安誘導と紙一重でしょう。
 更に、これでは、またリーマンショックやギリシャ問題のようなことが起きた場合、20円とか30円幅の大幅円高になる可能性は残ったわけで、懸念は払拭されていません。

 日本としては、矢張り「過度の円高の是正」ということの正当性を発言するべきだったのでしょう。プラザ合意から始まった『2年で2倍の円高』といったことの結末をどうつけるか、というのが、日本経済正常化の課題だったわけです、さらに30円(リーマンショック)、15円(ユーロショック)の幅の円高でも、何も言わずにいたことが、途上国にとってみれば、「重要な技術開発をして後はどうぞと言って任せて儲けさせてくれるのが日本」といった印象に繋がり、今回の円安誘導批判につながっているような気がします。

 やはり日本は、黙しているのではなく、日本が正しいと信じることは、解り易く発信し、普段から日本の考えを、広く伝え、その中で、相互理解を促進していくといった態度を常にきちんと取るべきなのでしょう。我慢していて、急に言い出すというのは、あまり賢い方法ではないようです。

 当面「マーケットは正しい」というのがコンセンサスであるとすれば、今後日本のやるべきことは、三本目の矢を確り射て、年々の経常黒字を削減し、万年黒字国にさよならをして、国際投資資本の反応を確かめることがますます大事になってきたような気がします。


2パーセント目標:試行錯誤の暫定目標

2013年02月15日 11時56分44秒 | 経済
2パーセント目標:試行錯誤の暫定目標
  G8が終わりましたが、大方の意見は、日本に円安誘導と文句を言いたいが、どんないい方で文句を言ったらいいのか良く解らないからでしょうか、あからさまな日本非難はなかったようです。

 麻生さんも、「市場に任せる」という言い方を一応受け入れ、今の市場は健全ではないとまでは踏み込まず、何となくもやもやしたところで終わっています。

 国内では、円レートと株価水準が気迷い症状の中で、円レートの目標値についての意見が幾つか出ていますが、大方の所は$1=¥100~110辺りのようです。
そんなところで、日本の意見がはっきりしてくれば、将来もう少し具体的な展開があるかもしれません。

 今回の経験で、円高→物価下落、円安→物価上昇、という因果関係が、多くの人に理解されてきましたが、では、言われている$1=¥100~110という数字と、2パーセントのインフレ目標を理論的に繋げる計算が出来るのかというと、それは無理でしょう。

 前回も触れましたように、2パーセントというのは、全くの腰だめで、アメリカが2パーセントと言っているから、それより低くてはまずいからという事でしょうから、さて、これからどうやって2パーセントに合わせようかという「微調整への試行錯誤が始まる」と考えるべきでしょう。

 私は、個人的には、目標としては1パーセントの方がいいと思いますが、まあ2パーセントまでなら、いいでしょうか。

 ところで、現実に発生し始めている問題があります。石油値上がりによる、ガソリン、灯油、電力などの上昇です。安倍政権による3本の矢のうち、現実に出ている影響は第1の矢、金融面だけで、それも実際にお金が回り始めたというより、いわば口先介入で、為替が動いただけの段階です。

 今後はっきりさせて行かなければならないのは、これは円高是正分と、国際的な原油価格等(ドル建て)の上昇による分の区別で、後者は、アベノミクスとは無関係ですから、これをごっちゃにしていたのでは、1パーセントではなく2パーセントだといった微調整は無意味になるでしょう。

 さらに今春闘で、労働組合が、「賃金決定は労使の問題」と自重しているのに、安倍政権は、賃上げをしてくれ、と財界に要望しています。賃上げは、実質経済成長によって可能になるもので、ただ賃上げをすればそれはストレートにインフレにつながります。
 安倍政権は、この経済成長と賃上げとインフレの関係を抑えたうえで、どれだけ賃上げをしろというのでしょうか。 (組合も本心「有難迷惑」と感じているようです)

 本来、インフレターゲットというのは、「進行するインフレをいかに抑えるか」を考える所得政策の中で生まれたもので、デフレ脱出とは無縁のものです。
 $1=¥110という時代になれば、いよいよ、本来のインフレターゲットが問題になるでしょう。もちろん3本の矢は大事です。その中でインフレの性質を読み違えないようにすることが、今後の安倍政権には要求される課題になるでしょう。


2パーセントインフレの意味

2013年02月13日 16時31分29秒 | 経済
2パーセントインフレの意味
 安倍内閣の円高是正の行動を語る中で、日本銀行の協力を得て、「2パーセントインフレ目標」を設定したことは大変大きく評価されていますが、そんな物差しで測ったようなインフレ政策は実はとれるものではありません。

 もちろん、経済政策などといったものは、結果よければすべてよしで、今回の政策は大成功だと私も思います。
 何しろ、20年来苦しんできた円高が、突如、10円~15円という大幅な円安に転換したのですから、結果は素晴らしい大成功です。
 
 という所で、今後のインフレ問題を少し考えてみましょう。
 先ず、円高はデフレを連れてきましたが、円安は、その逆の現象ですからインフレを連れてくるはずです。

 考えてみましょう、例えば、10パーセントの円安で、日本は円建てで10パーセントの名目付加価値を受け取るわけです。もし実体経済活動が、何も変わらなければ、日本経済は10パーセントのインフレになって終りです。輸入品は勿論10パーセント高くなり、国内では、利益も10パーセント増え、賃金も10パーセント上がり、物価も10パーセント上がって、それで調整終了です。

 現時点で、円は10パーセント以上の円安になっています。輸入品の値段は上がっています。企業、特に輸出企業は利益が増える予想です。安倍さんは企業に賃金を上げるようにと言っています。放置すれば日本は2パーセントどころではなく、10パーセント以上のインフレでしょう。

 しかし、日本人はそうはならないと思っています。私もそう思います。何故でしょうか。
 日本人が怠け者なら、利益と賃金が増え、結果物価も上がって、インフレ転嫁分が高くなります。しかし、現実には、日本の企業労使が、この円安を「チャンス!」ととらえ、新しい経済活動を始めるからです。
 先日テレビで、ヨーロッパで品質もデザインも素晴らしいと評判の日本のタオルが、値段が高すぎて売れないと嘆いている産地の業者の姿を見ました。15パーセント値下げすれば、飛ぶように売れるかもしれません。生産も利益も増えるでしょう。名目付加価値の増加が実質付加価値の増加に化けるのです。
 
 現実には、あらゆる場面でこうした動きが期待され、物価は上がらず、GDPが増えるのです。日本人、日本企業がどこまでこうした行動をとるか、それは日銀や政府ではなく、それぞれの企業の経営者と生産現場の労使の取り組みが決めるのです。
 政府・日銀がこの辺を読み切って、2パーセントのインフレ目標を決めているは思えません。2パーセントは全くの『腰だめ』でしょう。そこで、2パーセントの意味をもう少し考えてみましょう。


雇用問題の復元にいくら掛かるか

2013年02月11日 12時47分06秒 | 経済
雇用問題の復元にいくら掛かるか
 デフレの中で、マスコミなども殆ど扱うことのなかった「春闘」が、今年は記事になるようです。連合も少し態度を変えてきているようで、1パーセントの賃上げの主張を強くするような気配で、「定昇維持でも仕方ないか」といった雰囲気は後退していくようです。

 10円の円安で、円建て名目付加価値が10パーセント増えた時、単にその分を、国内物価を海外物価に合わせるだけで調整してしまえば、結局は10パーセントのインフレで終わるでしょう。

 しかし日本人は円安によって生じた、国際競争力の回復を、新たな生産活動の活性化に向けて利用する努力を始めるはずです。
 輸出産業では、生産量の回復・増強、製品の高度化。 輸入品と競合部門では、内外価格差逆転を利用して国内製品への切り替え、海外移転の国内回帰、そのほかいろいろな形で、国内生産活動の活性化が始まるでしょう。

 こうした活動によって、円建て名目付加価値の増加は、実質生産の増加につながり、実質GDPの増加、経済成長につながります。経済成長の回復は、当然、今後の賃金上昇を可能にします。

 ところで、失われた10~20年で、最も皺が寄り、日本経済を歪め、社会の劣化につながった、た部分を考えますと、それは、解雇の増加、就職氷河期問題による失業率の増加、そして、非正規従業員の著増による格差社会の深刻化でしょう

 ざっと計算してみますと、例えば、失業率4.5パーセントは、正常な日本経済では3.5パーセント以下と考えれば、その回復に、1パーセントのベア相当の配分が必要です。

 更に関心の深い問題は、非正規雇用の正規化です。現在の非正規雇用はほぼ雇用者の35パーセントです。このブログでも書いて来ましたが、「勤務時間等に縛られず、非正規で自由に働きたい」という人もその中には20パーセントほどいるのです。主体は世帯主でない主婦、学生アルバイト、季節労働者、高齢労働者などです。

 つまり現状では、正規を希望しながら、非正規に甘んじている人が15パーセントいることになります。非正規の賃金水準は正規61パーセントというのが統計(労働力調査)のようですが、パートの場合は3割程度です。非正規のうちの15パーセントの賃金水準を正規と同じにするのに、40パーセント×15パーセント、約6パーセントの賃上げ相当の原資がかかります。非正規の賃金を正規の半分とすれば、7.5パーセントです。

 現在の10パーセントの円安を元に戻してはなりません。この円建の付加価値増はまさに苦難に耐えた日本経済に対する一時金のようなものです。そしてこの一時金の有効活用によって、今後、経済成長が可能になってくるとすれば、日本の企業、雇用者に対する安定した所得増は今後の経済成長の成果にゆだね、円安による一時的な付加価値増は、最終的に、「雇用増」「非正規の正規化」つまり歪んだ雇用の復元に使うという「労使の話し合い」はいかがでしょうか。

 年々の日本経済改善の中で円安分、それによる経済成長分と正確に分けることは困難でしょう。しかし雇用の正常化への復帰は、10円の円安分で十分に賄えると思えば、雇用改善に出来るだけ早く原資を振り向けるといった方針も可能なはずです。
 これには労使双方とも、大きな異存はないと思うのですが。


覇権国、基軸通貨国、アメリカの場合

2013年02月10日 13時46分23秒 | 経済
覇権国、基軸通貨国、アメリカの場合
 第二次大戦後のアメリカは素晴らしい指導力を持った良い国でした。巨大な資源と生産力を持ち、「バターも大砲も」と言われる経済力を持ち、原爆を擁して随一の軍事力を背景に、健全な指導理念と指導力を持っていました。

 経済面では、ブレトンウッズ体制(GATT,IMF体制)を掲げ、金本位、固定相場制で、各国の通貨価値の安定を図り(為替切下げ競争が戦争につながるという経験に立ち)世界経済の繁栄をリードしました。

 しかし「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり(平家物語)」ではありませんが、ベトナム戦争などで、経済力をすり減らし、強力な労働運動もあって、賃金インフレは昂進し、1970年代に入るころには、経常赤字国に転落、金準備は急速に減少、1971年、いわゆるニクソンショックで金兌換をやめたのです。

 何しろ、世界の基軸通貨の価値が漂流を始めたのです。ブレトンウッズ体制は崩壊、世界経済は混乱、そして、急速に変動相場制に移ることになりました。
 アメリカが普通の国であれば、ここでIMFの管理下に入り、黒字国に向けての再建計画をということになるのですが、覇権国、巨大な資源国でもあり、ドルに代わる基軸通貨も出てきません。

 ここからが、アメリカが他の国と違うところです。漂流するドルを基軸通貨とする、変則的な今の世界経済体制が始まることになりました。そこには、世界中から物を買ってくれるアメリカが不況になると、困るという世界の事情もありまあした。

 結局、アメリカは経常赤字を世界中からのファイナンス(借金)で埋め(経常収支の赤字を資本収支で埋め)られれば、経済的成り立つ、更には、アメリカが赤字なら、その分黒字の国もある(世界の収支尻を総括すればゼロサム)、その黒字をアメリカに還流させればいい、ということになり、黒字国の輸出に自粛を求めたり(日米貿易摩擦)、黒字国に米国債を売ったり、日本や中国に通貨価値の切上げを求めたり(プラザ合意)、サブプライムローンを組み込んだ証券を外国に売ったり、多様な手段をとることになりました。

 こうした、経常収支の赤字を資本収支の黒字で穴埋めするために発明された経済学が、マネー経済学、金融工学、国際会計基準の時価会計化などです。
 アメリカのこうした態度のせいで、経常赤字垂れ流しは良くないという健全な規範が緩んだかもしれません。しかしリーマンショックなどで結局は馬脚が表れ、アメリカの証券の信用は失墜し、今日に至っています。アメリカの資金調達は容易でなくなりました。

 重要な資金供給元であった日本も、大震災、原発問題と燃料転換、高齢化などで経常黒字は著しく減少、アメリカは自力再建を強いられることにありつつあります。
しかしアメリカは矢張り巨大な資源国です。膨大なシェールガス・オイルが発見されました。これがどう発展するのでしょうか。
 これらはすべて日本の円高、デフレとその逆転(円安)の可能性の将来と直接関係する現下の問題です。


国民(労使)がどこまで理解しているか

2013年02月08日 11時41分44秒 | 経済
国民(労使)がどこまで理解しているか
 我々の家計も国民経済も、基本は同じです。稼ぎの中でやりくりしなければいけません。稼ぎ以上の暮らしをしていれば、足りない分は借金しなければなりません。それが続けば、誰も金を貸してくれなくなり生活が行き詰まって、犯罪か夜逃げしかなくなります。

 何故そんなことになるのでしょか、多分心が弱くて、自分で自分を規制できず、ついつい借金して贅沢に走るのでしょう。イソップ童話でいえば「キリギリス型」です。
 反対は「アリ型」で、自制心を持ち、自分の稼ぎの中で堅実に暮らし、貯蓄もします。

 ところで、国の場合、「稼ぎ以上の暮らし」とはどういう事でしょうか。国の1年間の稼ぎはGDPです。GDPは大まかに言えば、雇用者報酬(総賃金)と法人・個人企業の所得(利益)と財産所得(利息や配当など)と減価償却費(建物や機械の年々の減価)になります。
 国や地方自治体は、賃金と利益から税金を取り、それでいろいろな政策をやります。

 家計や企業は、税引き後の所得で生活や業務をやります。政府は歳入と歳出のバランスを取ります。しかし、中には、赤字の家計や、赤字の企業も出てきます。赤字の家計や企業が増えると、政府への生活補助や減税要求が強くなります。政府がそれにこたえると、得票数は上がるかもしれませんが、政府の歳出が増え、税収は増えません。しかし、増税は難しいので、国債発行(国民からの借金)をします。国民の貯蓄があれば国民が国債を買ってくれますが、なければ外国や国際機関から借金したり、国債を外国に買ってもらったりすることになります。

 そうなるということは、国全体として赤字だということです。国全体が赤字かどうかは「経常国際収支で見れば一目瞭然です。日本やドイツは黒字、アメリカ、ギリシャ、スペイン、イタリア、などは赤字です。
 あまり赤字が嵩んでくると、外国も金を貸さなくなります。そこで高い利息をつけて借りようとします。支払金利が増えて、ますます赤字になります。個人なら最後はサラ金に駆け込むことになるというところでしょうか。

 最近問題になった、ギリシャやスペインの問題は、まさにこれです。国は夜逃げをするわけにはいきませんからIMF(国際通貨基金)やヨーロッパ中央銀行がカネを貸すことになって、周りの国も一応安心して落ち着いていますが、ギリシャやスペインには、国民は生活を切り詰めて、早く赤字をなくすようにという注文が付けられています。
 国民の多くは「努力します」と言いますが、中には「そんなうるさいことを言う政権は変えてしまえばいい」と、デモや投石をやって政権を変えればいいと思っている人たちもいて、困ったものです。

 政権を変えても借金はチャラにはなりません。結局は、収入の中で生活をしなければならないのですし、最初からそうしていれば、ユーロ問題など起こらなかったわけで、すべての根源は、生産性基準で賃金決定が出来るかどうかという、国民の理解のレベル、もっと具体的には労使関係の問題なのです。
 アメリカの場合はまだその先があります。


円安誘導論との対決を考える

2013年02月06日 22時08分28秒 | 経済
円安誘導論との対決を考える
 プラザ合意以降、$1=¥240から$1=¥80を切るところまで、世界一の自国通貨の切り上げを強いられ、沢山の犠牲を払って、それを耐え忍んできた日本が、安倍政権に至り漸く「一寸の虫にも5分の魂」ということで、「日本は経済体制の在り方を変える」と表明したところ、それに驚いた国際投機資本が円を売り、$1=¥90がらみ迄円高を戻したところで、「日本の円安誘導は怪しからん」という声が聞こえて来ています。

 テレビで麻生さんが、少し口を曲げて、「リーマンショックで30円円高になっても、一言も文句を言わなかった日本の円が10円戻したからと言って、文句を言われる筋合いはない」と言っていましたが、日本人は皆「そうだ、そうだ」と賛成でしょう。

 ただ、ああした発言だけでは、3発殴られたから1発殴り返した。文句あるか。という「やり返し論」になって終りです。
 もちろん、戦後360円から80円までという世界一の切り上げをさせられた日本ですから、主張に遠慮することはありませんが、出来れば、日本は、一段上のレベルから、日本の望んでいるのは「正しい世界経済の在り方」で、文句をつける方は、それをしたくない、つまり、何か「邪心を持っているから」ではないか、ぐらいの1ランク高い立場での理論が必要だと思います。 それには、例えば、以下のような主張が必要になるのではないでしょうか。

  『為替の切り下げ競争は、過去に、「近隣窮乏化政策」が世界大戦につながった経験にてらしても、世界経済にとって害悪を及ぼすものである。日本は全面的のその考え方に賛成する。
 日本は率先して円安政策(近隣窮乏化政策)を取るつもりは全くない。各国が近隣窮乏化政策を取るべきでないと考えるのなら、日本はいつでも固定相場制ないしそれに近いシステムに賛成する。本来、固定相場制に反対ということは、自ら近隣窮乏化政策をとる可能性を留保しようという「邪心」持っているからと断ぜざるをえない。』
如何でしょうか。

 その意味では今回、10円を越える幅の円安が、すんなり実現してしまったのは、私には驚きでしたし、日本と同じ立場で、ギリシャやスペインの赤字を背負わなければならない立場のドイツのメルケル首相から、「円安誘導」の発言が出たのも意外でした。

 メルケル首相の真意はわかりませんが、日本の大災害の直後、日本は大金持ちだからこの災害でもアメリカ国債を売らないと発言し、その後も日本の単独為替介入に不快感をあらわにしていたアメリカが、何も言わないのは奇妙ですが、これが、シェールオイルでアメリカが気が大きくなった結果とすれば、日本としてはラッキーの一語に尽きます。
 結果は、安倍首相の訪米の際、読み取れるでしょう。

 嘗て書かせていただいたように、この問題の本質は、その国の労使関係如何にあります。国際金融問題、為替問題の混乱も、元を糺せば、労使の配分の誤りから来ているのです。
 この問題を次回もう一度整理してみましょう。


円安と労使の果たすべき役割

2013年02月01日 10時34分34秒 | 労働
 Tnlaboあたりがこの問題を取り上げてもどうにもならない、こんな大事な問題は、労使の中央組織(連合と経団連)の研究と論争に任せておけばいいのだというのが正論でしょう。
 しかし時には、全く利害関係のない第三者であるtnlaboの発言が意外に正鵠を射ていて、何かの役に立つかもしれないと思って、敢て書いてみる次第です。

 その背後にはこんな思いがあります。前回、失礼ながらちょっと触れましたが、数多の経済学者、経営学者がいながら、プラザ合意以降の円高の中で、円高の本当の恐ろしさを理解した人が皆無に近く、政府も日銀も、円高を「市場のなせる業」と放置し、結局、失われた20年に繋がってしまったと書かせて頂きました。

 今回安倍さんが、国際投機資本の思惑を手玉に取り、「勝手で我が儘な国際世論」に抗して、力づくの円安転換をしたことはまさに称賛に値すると思います。これがなかったら、日本経済は未だに「いつ円が70円台、60円台、果ては50円台の円高になるかと戦々恐々で、投資や生産活動は海外に移転し、GDPは縮小、雇用は増えず賃金目減りの恐怖にさらされ続けていたでしょう。

 幸いなことに、安倍政権の力ずくで実現した円安が、持続する可能性も出て来ました。1つは日本経済の経常黒字の縮小、もう1つは、アメリカのシェールガス・オイルの産出です。さらに言えば、日本人自体が、円高を安易に認めてきた愚かさを知ったことでしょう。

 これを前提に、円安転換で取り返した、今までの「円高による円ベースの付加価値の損」の分配の当事者である労使が何をすべきか考えてみましょう。10パーセントの円安が生み出す10パーセントの付加価値の使途です。

 例えば、職を失った人、正規で働きたいのに、非正規を余儀なくされている人、就職氷河期に犠牲になった学卒者、などが先ず救われなければならない人達ではないでしょうか。その為に社会人としての適切な導入教育も、職業訓練も受けられず、技能も知識も持てず、一人前の産業人に育っていない人々。

 正社員の賃金引き上げも大事かもしれませんが、失われた20年で最も皺の寄った人たちから順に円安の恩恵を分配するという気持ちで考えるのがいいような気がします。比較的恵まれていた公務員や大企業の正社員よりも優先してあげたい気持ちです。
  円高是正が本物になれば、それをやっても、10パーセントの付加価値増を活用すれば、まだまだ企業の増益や、賃金全体の底上げの余裕がはあるでしょうし、何よりも、これからの経済成長による付加価値の増加が、企業、そこで働く人たちの継続的な所得増が可能になるからです。

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