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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

瑠璃二文字「るりふたもじ」咲く

2025年07月10日 15時22分33秒 | 環境

<このブログは tnlaboratory's blog に名称変更し「はてなブログ」で継続しています>

アメリカの選挙戦が、政敵を貶したり、果ては悪口や、全否定のようなことを言ったりする酷い事になっているのが気になっていましたが、最近は日本でも、選挙運動や政見発表の中で、何とも理解できないようなことをいう人がいたりします。

何が起きるかわからない選挙の精神的喧騒の中で、いくらかでも心地よい清涼剤になればと思いながら、今日は、我が家の狭い庭の片隅に楚々と咲いた「るりふたもじ」の写真をお届けします。

小さな可憐な花ですが紫がかったピンクの花冠が、緑の中にくっきりと浮かんで、「あ、今年も咲いてくれたな」と暑さの中でも好ましさと満足感そして清涼感をしばし齎してくれます。

小さな花ですが、先日のも紹介したアガパンサスによく似ています。ネットで見ますと、ヒガンバナ科・アガパンサス亜種などと書いてあって、原産地は南アフリカのジンバブエだという事です。

随分、奥ゆかしい名前がついたものだと思っていましたが、「ふたもじ(二文字)」というのは「にら」のことで、瑠璃色の花なのでこんな名前になったようです。

という事で、話は平安時代に遡りますが、当時は「ねぎ」のことは「き(岐)」といって、ネギに似た食用の「にら」は2字ですから「ふたもじ」といったのですが、花の色が名前に付いて「瑠璃二文字」という、何と優雅なというべき平安時代の女性の間での呼び名なのだというのです。

ジンバブエでも葉は食用で、摘んでみると韮と同じ匂いがします。

考えてみれば、南アフリカから旅をしてアメリカ大陸経由かユーラシア大陸経由か知りませんが、平安時代には、日本に来て、今日まで瑠璃色の可憐な花を咲かせ続けてきたのです。そして我が家の狭い庭にまで。

毎年これからも大事にしようと思いながら、あまり手入れもせず自然に任せていますが、それでも毎年咲いてくれる有難い花です。

 


南天の花が咲きました

2025年06月18日 11時13分49秒 | 環境

頭に血が上っている困ったリーダーたちが国際情勢を混乱させていますが、日本はあくまで平和維持の道を行きたいと思います。

5月の20日に南天の蕾が伸びてきたことを書きましたが今日はその続きです。

先週の雨の中で、南天の蕾が開き始めました。まずは萼の部分でしょうか、茶色の殻が割れて、そのの中から純白の花弁が見えるようになりました。

雨に打たれて、重くなった花房が横向きに傾がっていましたが、今週になって晴天の下、白い花弁が開いて、浅緑・深緑の葉の中に白い花の取り合わせになってきました。

隣家の海棠の緑も背景に、狭い塀際に随分多くの花房が見え隠れです。

この辺りは塀際に南天を植える家は良くありますが、昔、田舎では、トイレは母屋と別棟になっていて、トイレの脇には必ず南天が伸びていたという記憶があります。

南天の木はしなやかですが丈夫で、老人は南天の杖でトイレに行くのがいいという言い伝えもあったようです。

ところで、南天の花をつぶさにご覧になる機会というのはそうないのではないかと思います。やっぱり南天は、秋に真っ赤な実が房になって常緑の緑の葉に映えるところが愛される所以でしょう。

それはその通りですが、南天の花も、よく見ると純白の大変可愛らしい花です。接写してみましたが、こんな様子です。

純白の花弁が周囲に広がり、その中に黄色で数枚立ち上がっているのが雄蕊でしょうか、その真ん中にちょうどボーリングのピンのような形をした雌蕊が鎮座しています。この雌蕊があの南天の真っ赤な実になるのでしょう。

この次にご紹介するのは、多分秋深いころの南天の真っ赤な実で、ヒヨドリが朝夕ついばみに来る時期でしょうか。

写真を撮り終わって足元を見ると、すでに役割を終えた萼や花弁、雄蕊がびっしりです。

もうこんなに散っていたのか、とまだ咲いている花と、凋んだ萼、花弁、それに雄蕊の残骸を見較べながら、なんとなく「これが男というものか~」と「上海ブルース」の一節を思い出していました。


今年も「そらまめ」を収穫しました

2025年05月28日 14時51分03秒 | 環境

何年か前にも「そらまめ」の収穫を書きましたが、あの時はそらまめの苗は3本でした。

苗は長男の家庭菜園のおすそ分けですが、昨年の暮れは我が家でチューリップの球根を植えるのを手伝ってくれる時、7本も持ってきていくれたので、チューリップの花壇の端に7本植え、チューリップの球根何個かと交換でした。

チューリップの花が開き始めるころ、そらまめの花も咲き始めます。

写真は撮っておきましたが、今年は、3月の終わりから4月の始めにかけて、トランプ/タリフマンの関税騒ぎで、関心はそちらの方ばかりでした。

それでも花はしっかり咲いていくれていましたので、今年も5月から6月にかけて新鮮な「そらまめ」が頂けるなと思っていました。

今年は運悪く5月の連休開始とともに咳と痰がひどくなり、さてはコロナの再来か、あるいは高齢者にも感染するという百日咳かと多少は気にしながら、かかりつけのクリニックで5日分の抗生物質と6種類の咳や痰の薬をいただき、きちんと服用しましたが、その後も治りきらず、5日前にまた、強力な抗生物質その他5日分(今日まで)の薬の処方をしてもらい、昨日あたりからやっと狭い庭にも出る気になるような状態になりました。

そんなことで気になっていた「そらまめ」の実の付き具合を見たところ、もう下の方の鞘は丸々と膨らんで、先端は少し黒くなっているのです。慌てて膨らんだ鞘を採ってきました。

台所の洗い桶で洗い、鞘をひねって実を取り出し、皿に並べて、若い薄緑のそらまめの色がうまく出ますようにと撮ったのが下の写真です。

その後はお定まり。1分半ほど「チン」をして、パラパラと食卓塩を少し。家内と「これならまだ皮まで食べられるね」ということになります。

昔は「初物をたべれば、75日生き延びる」などと言ったものですが、75日は2か月半、これで92歳の誕生日はクリアーしたかなとなるので、高齢者には「初物の75日の功徳」も大切です。


「なんてん」の蕾が伸びてきました

2025年05月20日 13時02分21秒 | 環境

今日は東京の都下も30℃になろうかという暑さで、高齢者は戸外に出るのも躊躇するような暑さですが、一昨日あたりから気になっていることが1つありました。

それは玄関わきの「なんてん」の木です。今年は葉が元気に茂って緑のグラデーションが奇麗なので「みどりの日」に緑いっぱいの写真を撮ってご紹介したところです。

その「なんてん」の木に、この所、驚く速さで花房になる芯が何本も伸びてきたのです。思い出せば、昨年も初夏に白い花が咲き、年末には真っ赤ななんてんのみの房が見られたのですが、残念ながら写真を撮りませんでした。

今年は蕾から赤い実まで折々の写真を撮っておきたいと思っていました。

気がついたらもう大きく伸びている、昨年よりだいぶ立派な感じですので、まずは蕾からと炎天の下を帽子をかぶり外に出て、伸びてきたドクダミにに足を取られないように気を付けながら、たちまち湧き出す汗に驚きつつ、何枚か写真を撮りました。

やっぱり写真機でないと、スマホは手ブレが出るのでダメかなどと思いながら、何とか絵になりそうなのをトリミングしてみしたが、この程度です。

この写真は「みどりの日」にとったもので。まだ新芽が伸びたばかりですから穂(花房)はありません。

花房に気が付いたのは一昨日ぐらいですから急速に伸びてきたのだと思います。よく見ますと、上に伸びているのもありますが、まだ上まで伸びていないのも何本もあるようで、今年は南天の実は豊作で寒くなる頃にはヒヨドリが喜びそうです。

これが一番伸びている枝ですが、まだあとから伸びてくるのでしょうか、ずいぶんにぎやかになりそうです。

何日かすると真っ白な小さな花が満開に開くと思います。その時はもう少しうまく撮ってご紹介できればと思っています。


「みどりの日」動物が植物に感謝する日

2025年05月04日 12時25分17秒 | 環境

「みどりの日」をもっと大事にしましょうというのはこのブログの1つの重要なテーマです。

日本人は「鎮守の森」に象徴されるように、昔から緑を大切にしてきました。世界でも国土の70%を森林にしている国は、フィンランドと日本ぐらいではないでしょうか。実語教には「山、高きをもって貴からず。木あるをもって貴しとなす」とあります。 

鬱蒼とした林や森は「青巒を盛る」などと表現されるように、深い緑に覆われた大事な自然環境を作っていますぅ。

人間は緑の中にいると気持ちが休まり、元気が回復するようです。それなのに、地球上では木の伐採が進み、緑が少なくなるので、これを人類の危機として世界中で緑化運動が起き、「グリーン」がいろいろな標語に使われるようになっています。

もう大分前ですが、紅葉狩りで有名な奥只見に、「山笑う」この時期に「みどり狩り」に行ったことがありました。人影はまばらで新緑、深緑を満喫し、心身ともにリフレッシュしたのを覚えています。

緑にもいろいろな緑があります。1本の木でも多様な緑があることに気づくのは今の時期です。

我が家の玄関わきの塀際に南天の木が伸びてきて、濃淡3段ほどの枝が重なって面白いなと思いスマホで写真を取りましたが、あまりうまく撮れませんでした。

それでも折角の「みどりの日」ですから、南天と柘植と、鉢植えの欅の緑を下に載せます。

南天

柘植

ところで、地球では、かつての空気は炭酸ガスばかりで動物は生きられなかったのですが、植物が生まれ進化して緑の葉の葉緑素が炭酸同化作用で酸素を作り出し、酸素を吸って炭酸ガスを出す動物が生まれ進化する事が出来たという歴史があります。

つまり動物が生まれたのは植物のお蔭で、それが進化して人間にまでなったのです。

その意味では、「みどりの日」は、動物が植物に感謝する日という意義づけがあって然るべきで、そのメカニズムを理解しているのは人間だけですから、人間が動物を代表して、植物の緑に(葉緑素に)感謝する日ということにしたらいいのではないかと思うところです。 


今年は寂しい我が家の「つつじ」

2025年05月01日 13時40分11秒 | 環境

今朝の朝日新聞の朝日川柳に「飛び石が敷石となる定年後」というのがあり「選者の一言に「毎日が日曜日?」とありました。

今年のゴールデン・ウィークは、一昨日の「昭和の日」から3日飛んで、5月2日からの4連休という形で、なんとなく使い勝手の悪い飛び石連休ですが、当方はずっと毎日が日曜日で「そうか、飛び石でなく敷石の上を歩いているんだ」と川柳を見て実感した次第です。昨日も今日も明日も敷石ですから、家の窓から真っ青な空を見上げて、混乱した世界の中で、我が家の狭い庭の平穏を有難いと感じるところです。

狭い庭でも見渡せば、東のフェンス際に「おおむらさき」があり、西の塀際に「あけぼの」があって、この時期になると、毎年、このブログで取り上げています。

ともに「つつじ」で、いわば親戚同士という間柄のようですが「あけぼの」が10日ほど早く開いて、もう散り始め「おおむらさき」は今日、明日で満開かという感じです。

両方とも小さな株から芯だけ残して高くなるように育て、今は特に「おおむらさき」のほうは喬木です。

丈が高くなって、剪定しようにも届かなくなってしまったので昨年秋、シルバー人材センターにお願いし、剪定してもらいました。

「伸びすぎだから整枝しましょう」というので「お願いします」で、それから「終わりました」というので見ましたら、びっしりだった枝がスケスケになっていました。

しまったと思いながら「ちょっと寂しいですね」と言ったら「いや、つつじはこれでいいんですよ」というので「有難うございました」となりました。

そんなことで、昨年と今年の写真を比べてみました。

昨年の「あけぼの」

 

確かにきれいに咲いていますが、やっぱり寂しいというのが実感です。

昨年の「おおむらさき

今年の「おおむらさき

一つ一つの花はきれいに咲いていますが、やっぱりこれでは、なんとなく情けないといった感じです。

これからは、当分枝は伸ばし放題にしようと思っています。


世界騒然の中ですが好天花を愛でる

2025年04月14日 16時41分11秒 | 環境

トランプ関税構想は、掛け声だけで、ほぼ実行不能になったようです。トランプさんの「アメリカは被害者だ」という意識から生まれて来た構想ですが、自由世界の世論は容易に納得してくれないでしょう。

という事で、トランプさんのお手並拝見と、座ったままで「高みの見物」を気取っています。

これから90日、何がどうなるか解りませんが、年寄りは、日々花を眺め、5月からはキュウリやトマトを育てながら今後の展開を見ていくつもりです。

ところで今日は思いがけずいいお天気になったので、狭い庭に降りて下手な写真を撮りました。白い花がいろいろ咲いています。

先ずは白雪芥子です、次々と蕾が出て来て緑の中に白い点々。

西の塀際では白山吹が花をつけ始めました。

ハナニラは薄い青色のものもありますが、圧倒的に元気なのは白です。

これも西の塀際の久留米つつじで、枝によって白い花、赤い花、ピンクの花、それらの混ざりなど色々見せてくれます。

チューリップの花壇の隅には、宿根草のツリガネスイセンが今年も並んで咲いています。

今年は思いがけず何本も出て来て驚いているのがマムシグサの一種のウラシマソウです、これから咲くアケボノツツジとオオムラサキの下に何本も出て来て、一寸気味の悪い黒紫色の斑の花を開き長いヒゲを伸ばしています。

最後は、の姫リュウキンカです。花はリュウキンカと同じですが、葉も花もリュウキンカの半分に足りない小柄です。リュウキンカが終わるころ咲き始めて今が盛り、共にキンポウゲ科で、リュウキンカは食用になりますが、こちらは、毒草だそうです。北海道のブロガーDsnchar1さんに教わって、時にリュウキンカはお浸しにして食べますが、間違わないように要注意です。(花の隣は食用の三つ葉)


こんな小さな花にも体内時計が?

2025年03月04日 14時48分34秒 | 環境

トランプさんが掻き回した跡が少し落ち着くまで、まだ時間がかかりそうです。アメリカ国内の意見も割れていますし、アメリカとヨーロッパも関係修復に時間がかかるでしょう。一方、トランプさんの興味は、差し当たって関税に加えて為替レートで、日本にも、直ぐに影響が来そうで準備が必要ですが、この問題はまたにします。

2月に寒い日が多かったので、今年は早いかと思っていたリュウキンカの開花が昨年より遅れたことを書きました。

その後、我が家の狭い庭のリュウキンカは次々に咲き始め、新しい小さな芽や葉もチューリップ花壇を一面に覆い始めています。

南側の山茶花の下の大きな株も花盛りになったので、一昨日の土曜日、咲き始めた花を一本採って来て、一輪挿しに挿し、洗面台の鏡の前の棚に飾りました。

ここは折にふれて庭の花を手折って飾る場所で、後ろが鏡ですから、一輪でも二輪に見えて都合が良い場所です。

 

ただ、この洗面台はトイレと脱衣所、それに居間の出口の戸を閉めてしまうと、薄暗くなってしまう場所で、昔は蛍光灯、今は昼光色のLED電球を365日、24時間付けっ放しにしている所です。

というわけで、明るい場所ですから、良く咲いてくれるだろうと思っていました。

ところが夕方になると、リュウキンカの花が閉じて来てしまったのです。「しまった」水がしっかり遣ってなかったのかと思い水を足そうとしましたが、水は十分です。何だ、リュウキンカは切り花には向かないのかな。と思いました。

考えてみれば、今までリュウキンカを毎年観察しながら、撮って来て挿したことはなったと思い返し「手にとるな 矢張り野に置け すみれ草」などと呟きながら片付けようとしましたが、葉の方はとても元気なのです。

気が付いたのは、リュウキンカは元気なうちは夕方閉じて、朝には開くのです。そうか夕方になったから閉じたのかと考えました。それなら明日の朝まで挿しておこうと思い返したのです。

然し、考えてみれば、それもおかしい。ここは一日中昼光色LED電球で、明るさはほとんど変わらないのに何故・・?

ということで結局の結論は、「リュウキンカは体内時計を持っていて、時間が来れば花が開き、時間が来れば閉じる、それしかないという事です。

本当の所は解りません。どなたか教えて頂ければ有難いと思っています。

それから3日、今日は火曜日です。昨夕、閉じたリュウキンカは今日も朝から奇麗に咲いています。

 

 

 


地球柑(しまだいだい)その後

2025年03月03日 14時31分32秒 | 環境

トランプ大統領とゼレンスキー大統領の首脳会談決裂から1日たちました。このブログでは一昨日「副産物としてアメリカとヨーロッパの意識の分断を生んだところで、今後に多くの懸念を残す踊り場」と書きましたが、自由世界が態勢を立て直すのには少し時間がかかりそうです。

自由世界が協力し合って、平和な世界を作り上げる状態に早期に戻ることを願いつつ今日は身近なテーマです。

我が家の狭い庭に地球柑があることはすでに何度も書きました。柑橘類の剪定は3月、という事なので、上天気の昨日、剪定を試みました。

細かい枝は整理し、伸びすぎた枝は先端を切り、風通しの良いようにと言われても素人には良く解りませんが、何とか少しさっぱりした感じになったので、これで花が沢山咲いて、実も沢山生って下さいと願っているところです。

橙(だいだい)は新しく実が生っても、前年の実も落ちずについているといううーんでご飯を食べるので「代々」という名がついているようなので、我が家では、一昨年の実を2つ残し、昨年の実も1つ残して、どうなるか実験中なのです。

長年鉢植えだったものを、喬木に育ててみようと9年前に地に下ろし、芯一本だけにして背丈を超える程に伸ばしましたが、それまで毎年花が咲いて、柑橘特有の香りを放っていたものが、途端に全く花が咲かなくなっていました。

そして長い6年の月日を待った一昨年、一斉に花が咲き、20個ほどの「地球柑」が鈴生りに生りました。

80代後半まで生き延びて鈴生りの地球柑を見られた幸運に感謝しながら、「代々」と言ってもどのくらい生っているかの実験開始を始めたのです。

昨年、実が育ち始めたとき黄色と緑の組み合わせ、秋には昨年の実も橙色になっています。

問題なかったんでしょう

剪定をしながら気が付いたのは、一昨年の残した2つの内、1つが下に落ちでいることです。

落ちたのは仕方ないと、拾って台所で洗い、後で2つに割ってみようと思い、剪定した枝葉を片付け、一休みしてからナイフで割ってみました。

割る前から皮は確りしていますが、中はスカスカと解っていました。結果はご覧の通しです。もう柑橘の酸っぱい匂いもあまりありません。ただ、何か緑色の線が2本ほど見えます。

虫眼鏡で良く見ると、日の当たることの無い柑橘の皮の中ですが種から芽が伸び始めているのです。緑色なのは、皮を透して太陽光を得て居るのでしょうか

「実の中で、もう種から芽が出てるんだよ」と家内に見せますと,「面白い! ブログに載せたら。」という事になって、このブログになりました。

折角芽を出しているので、出来れば育ててみようと梅ノ木のわきに小さな穴を掘ってそのまま埋めて地上に芽が出て来るか見てみることにしました。(節分に追い払った鬼が、何処かで笑っているようです。)

植物も賢く元気にこうやって生命の連鎖を続けているのです。植物や動物の中で最も立派な頭脳を持っている人間だけが、同じ種の中で戦争をし、殺し合いをしています。日本は、戦争は止めると言いましたが、他の国はまだまだ続ける気なのでしょうか。


リュウキンカ開花、昨年より遅れる

2025年01月29日 20時53分59秒 | 環境

昨日「リュウキンカ」(立金花)の写真が撮れました。

昨年と同じ場所に3輪、一つの株に1輪ずつ花をつけました。

13日に日本水仙を撮った時は、小さな丸い蕾を1つ発見しただけでしたが、昨日は、すでに3輪咲いていました。

25日の土曜日、夕刊を取りに行った際、薄暗い中で1輪咲いたかな、明日確かめようと思っていましたが一昨日27日に見た時は、寒かったせいか、まだ緑色の残った花弁が2,3枚不揃いに出ているだけで「霜にやられたのかな残念!」などと思っていました。

ところが昨日の午後、確かめに行きましたら、3輪揃って元気に咲いているのでびっくりしてさっそく写真を撮りました。

昨日は、大寒なのに春を思わせる暖かさでしたから期待していったのですが、リュウキンカは期待に増して元気に咲いてくれていました。

後から、昨年の写真と比べてみましたら、昨年は4輪で、塀際に1輪でした。塀際の1輪を除くと、あとの3輪は昨年の同じような配置で、撮影の方向が反対という事になっていました。下は昨日の写真です。

ついでに、ブログの日付を見ましたら、昨年は1月30日で、最初の1輪は1月19日開花と書いてありました。

今年は1月13日には、まだかと小さな蕾が1つ発見出来たばかりで、27日にもまだ完全に開いていない状態でしたから、今年の開花は、昨年より数日遅かったようです。

しかし、年々のブログを見ますと、かつてはリュウキンカの開花に気付くのは2月の中旬だったという事が解ります。

矢張り温暖化は、確実に進んでいるようで、気候変動は、日本列島の桜の開花時期のように、我が家の狭い庭の片隅のリュウキンカにも同じ影響を与えて来ていることが解ります。

アメリカではトランプさんが、アメリカが石油やガスを掘りまくれば、アメリカの経済は立ち直り、世界の戦争も終わると言っていますが、片方で、アメリカ湾(メキシコ湾)のハリケーンやカリフォルニアの山火事の被害が巨大化し、アメリカ経済に甚大な被害を齎しているという現実もあります。

気候変動には解らない事もいろいろありますが、敢えて危険を冒さないのも人間の知恵ではないとも思うところです。

しかし、これから4年間、アメリカのやることは、人類社会に無理な実験を強いるようなことも多いようですので、人類は、せめてその実験がどんな結果を生むかを確り見て、将来に役立つ知識や知恵を育てる材料にしましょう。


日本水仙、立金花:狭い庭にも春の気配

2025年01月13日 16時21分09秒 | 環境

都下国分寺でも昨日の朝は氷点下になり庭の土は凍っていました。日が出て凍った土が解けた頃、雀が4羽ほどやって来ました。

以前も書きましたが、我が家では、電気釜や食器を洗った時に残ったご飯粒はその都度庭に撒くことにしています。狭い庭でも雀が来るようにと思ってのことです。時に山鳩も来ます.それぞれに一粒一粒、雀はせわしなく、山鳩はゆっくりとご飯粒を啄んでいるのを見るは、何か自然を感じて、いいものです。

狭い庭の片隅には、気が付くともう花が咲いていました。居間の窓から見える「あけぼの」の下に伸びている日本水仙はまだ蕾だなと思っていましたら、午前中少し日の当たるおおむらさき」下の日本水仙は、気が付いたらもう花が開いています。 

この所、庭のあちこちに生えて来る立金花は、挙って濃緑色の葉を広げてきています。この花も春は早い花ですから、そろそろ蕾が出てもいいのかなと思ってよく見ましたら丸い蕾を1つ見つけました。

正月も、もう雑煮とお屠蘇の3が日、七草粥、鏡開きも過ぎて、小寒に入ったと言っているうちに、来週はもう大寒です。

「小寒の氷、大寒に解ける」と言いますが。大寒の終わりは節分、翌日は立春ですから、やっぱり小寒が一番寒いのかな、などと思っていますが、歳をとって思うのは、月日のたつのが早すぎるという実感です。

1年が「分子」で自分の年齢が「分母」だと考えれば分母が1増えるごとに、分子は相対的に小さくなるという事でしょうか。美味しいものを食べるように、1日、1日を味わって過ごさなければ勿体ないような気もします。


さざんか(山茶花)、今年は元気に咲き始める

2024年11月25日 14時00分54秒 | 環境

素人には、庭木の剪定は難しいものです。狭い庭の南のフェンスの際にさざんかの木を2本植えてあります。

出来るだけ緑が茂るのはいいことだと思って、伸びるに任せて置いたのですが、本当によく伸びて毎年剪定をしないとフェンスの向こうまで伸びていくので、お隣の邪魔にならないように枝を切るのですが、どうにも格好がつかなくなって困っていました。

大きく伸ばしてしまうからいけないという事で、一昨年思い切ってフェンスよりほんの少し高いぐらいのところで、枝をみんな切ってしまい、これで剪定も楽になると思っていました。

所が剪定の仕方が悪かったでしょう、切り込み過ぎだったのでしょうか、昨年は折角の花の時期にほんの2~3輪咲いただけで、寂しい限りでした。

やっぱり、木は、虐めてはいけないのだと反省して、昨年は伸ばし放題にすることにしたのですが、それでは格好がつかない事になるだろうと考えて。右に伸びている枝だけ、見よう見まねで形を整えてみました。

結果はどうなったかと言いますと、上にどんどん伸びていまった枝はげんきがいいのですが、蕾が全然t来ません。

右に伸びた枝は、こじんまりとした形に一応整えたつもりでしたが、有難いことに、この枝には、キレイに花が咲き始め、蕾もたくさんついているのです。

こんなにうまくいくのだったら、ほかの枝もこんな風にすればいいという事なのでしょうが、まっすぐ上に伸びている枝を、どんなふうに整理すればいいか解りません。

それでも今年、一枝だけは、花がたくさん咲いてくれるようですから、今年は、この枝を大事にして、上に伸びている枝も何とか、うまい形になるように考えてみたいと思っています。

もう1本の、小さなピンクの花の山茶花も少し上まで伸び放題ですが枝の下の方には何輪か花が咲いています。

これも何とかしたいと思っているのですがどんなことになるのでしょうか。

家内には、「歳ですから、無理はしないほうがいいですよ」と言われています。


地球は表面に水がある、なぜ?

2024年09月28日 16時04分13秒 | 環境

宇宙に行った人が皆さん一様に「地球は青かった」と言っています。

空が青いのと同じ原理でそう見えるのか、それとも海が青いので青かったのか、そのあたりは、はっきり聞いたことがありません。

地球に似ているので生物がいるかもしれないと思われていた火星は、赤い星です、さそり座のアルファ星のアンタレスは恒星ですが、赤い一等星として有名です。ギリシャの昔からそうだったのでしょう「アンタレス」というのは「火星(アーレス)に対抗する(アンティ)」という意味だと、戦後夜空がキレイだったころ聞きました。昔はよく星も見えたので、子供は星に興味を持っていました。

太陽系では地球と火星は隣同士ですから、火星人の話も想像図もいっぱいあります。しかし今ではいろいろ解って来て、火星には水が無いから生物はいないことや、表面は砂や土や岩石だけだから赤く見えるということだそうです。

それでも、昔は火星の地表に水があったはずだ、水があったという地形が確認されていると言われています。最近、アメリカのカリフォルニア大学のバークレー校の研究で、地下何10キロかの岩石の層に大量の水(氷かな?)、が含まれている事が解ったともいわれます。

そうか、それなら昔は火星も青かったのかもしれないなどと思いましたが、そうだとすれば、地球も将来、赤い星になるのかな、などと想像してみたりします。

そこで湧いてきた疑問は、なぜ地球には地表に水があるのだろうということです。おそらく火星の場合も昔は海や湖や川があったとすれば、そうした水がだんだん地下に浸み込んでしまって、地表から消え、地下の岩石か鉱物の層に氷という形で岩石の仲間になって貯まっているということなのだろうかとこれも想像です。

考えてみれば、水は液体である限り、どんな隙間にも浸み込んでいきますから、地球の表層部の下に一面の防水ゴムでも敷かなければ、時とともに下に浸み込んでいって地表から消えてしまうのではないかと心配されます。

考えますと、広い海に海水が満々とたまっていて、大気圏の中だけで、全体の量はほとんど変わらずに、液体と気体と固体(水。水蒸気、氷)の循環を繰り返して何万年か何十万年か何百万年でしょうか。その中で生物が発生し、現生人類にまでに進化する環境を維持してくれているのです。

なぜ地球の中に水が浸み込んでしまわないのか調べてみましたが、素人向けに、しっくりくる説明がみつかりません。

気がついたのは、海底の熱鉱床や火山活動、温泉などの役割です。地表の下にはマントルがあり高熱のマグマがあります。浸みていった水は熱せられて水蒸気になり地表に追い返され噴出し元の水に戻るという循環が、超長期に亘って繰り返されているので、地表にある水の量は変わらないということになります。

実はこれは私個人の仮説です。信用しないでください。わたくし自身調べてみたいと思っているところです。

そして、この循環が崩れる時、つまり、マントルの温度が下がるとき。地球は火星のようになるのでしょうか。


「秋分の日」と「春分の日」のいろいろ

2024年09月23日 14時43分54秒 | 環境

今日は「秋分の日」です。春には「春分の日」があります。両方とも国民の祝日ということで多くの人は1日のんびり出来ます。

元々は民間では、この両日は「彼岸の中日」で、春と秋の彼岸の中日の前後3日ずつを仏教では、彼岸会と言って先祖の供養をします。その真ん中の日なのです。

皇室では春季皇霊祭、秋季皇霊祭と言って天皇家の先祖を祭る日です。

民間では仏教の行事ですが、天皇家は神道でしょうから宗教は違っても先祖の祀るのは同じです。

神仏習合の結果かどうかは別として、さらにその起こりに遡れば、この日は、春と秋にある「昼と夜の長さが同じ日」ということになるのでしょう。

「暑い、寒いも彼岸まで」と言われますが、春はこの日あたりで平均気温が15度を超えるようになり、秋は25度を下回るようになるというのが昔からの気温の変化なので、そんな言い方も生まれたのでしょう。

このところ、その諺が通用しなくなるというのが地球温暖化の中でいわれ、いよいよ今年あたりから「9月は夏」ということになるのではないかなどといわれていました。

ところが不思議なことに、今朝の東京の気温は(都下国分寺ですが)21℃でした。地球温暖化の勢力も、今日だけは少し気を使って、諺の通りにしてくれたのでしょうか。

これからどうなるかは人間の努力次第ですが、こうして暑い夏と寒い冬が毎年循環するのは(北半球と南半球では反対ですが)、北半球では春分の日から秋分の日まで太陽が当たる時間が長いので、暑さが蓄積されるからです(南半球では反対です)。

ということは、上に述べましたように春と秋に昼と夏の長さが同じになる時があるということです。

その時を天文学では、春分点、秋分点と言いその時刻を含む日が春分の日、秋分の日ということになるのです。

ついでに言えば昼が一番長い日が夏至、短い日が冬至はご承知の通りです。

ではなぜそんなことが起きるのかというと地球が太陽の周りを回っている平面と地球が自転している平面(赤道)とが23.4度傾いているからです。

地球は太陽の惑星で、太陽の子供の様なものかと思っていましたが、どうも太陽の子供ではなくて、独自の回転軸を持ちながら太陽系に編入してきたのでしょうか。それとも、回転していたガスが次第に冷えて液体になり固体になって今の地球になった過程でそうなったのか、その辺は現在研究途上なのでしょう。

最後に一つ、春分の日、秋分の日の昼と夜は本当に同じ長さなのでしょうか。

答えは春分の日も、秋分の日も7分50秒ほど昼間の方が長いのだそうです。

何故かと言いますと、日の出は、太陽の頭が地平線から出た瞬間で、日の入りは太陽の頭が地平線に没した瞬間ということになっているので(太陽の真ん中が地平線に達したときではない)合計太陽の直系の動く分だけ昼間が長くなります。

更に太陽光線が大気の中を通るとき屈折するので、日の出は早く、日の入りは遅く見えるのだそうです。その合計が7分50秒(東京天文台計測)なのだそうです。


今日は秋の気配をお届けします

2024年09月04日 16時19分02秒 | 環境

今年の夏もまた格別に暑かったですね。台風一過なのにまだまだ暑いような予報です。

台風10号は列島各地に大きな爪痕を残しました。下水道などの設計は、降雨量1時間50㎜が基準になっているなどと聞きますが、ニュースを聞いていますと100㎜などというケースがいくらでも出てきているように思われます。

日本列島に住んでいる限り地震と台風とは共存する覚悟で生活することが必須だということは解っていますが、台風と集中豪雨は近年ますます強烈になってきて、巨大地震の懸念もあるというのですから、国土強靭化の方も格段に進めていく必要があるようです。

ところで、今日は朝から快晴で、日差しは強いですが、風は何となく涼しく、やっぱり秋の気配だなと思わせるような朝でした。

我が家の狭い庭でもススキが先日から穂を出し始め、ちょっと強めの風に、数本の穂が揺れる様になりました。

今日は好天ですから、昼近くになりますと、日影になっている隣家のサイディングとフェンスを背景に、真っ青の空からの日光の直射がススキの穂を浮き立たせることになります。

窓ガラスのむこうに、逆光を受けて銀色に輝いて風に揺らぐススキの穂を眺めて、「やっぱりもう秋の気配だな」と感じるところです。

マスコミでは、「今年の秋は10月から」などという見出しがあったりしますが、それでも秋は確り来るでしょう。四季のはっきりしている日本列島は、そこに住む人の心を長い時間をかけて繊細にしてくれたのかななどと考えてみたりします。

こうした自然の変化は大変大事だと思うので、地球温暖化で、日本の四季はいいな、などと言っていられないような事になってしまっては大変ですから、温暖化防止策の一層の徹底と、合わせて国土強靭化には大いに力を入れなければと思うところです。

日本人が自然との心身の交流を安心して楽しめるような環境が、これからもずっと維持されることを願っています。