tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

企業に求めたい国内労働力の活用

2013年07月31日 12時03分56秒 | 労働
企業に求めたい国内労働力の活用
 昨日総務省から発表された完全失業率は3.9パーセントになり2008年リーマンンショック以前に戻りました。雇用の質の問題は残りますが経済社会は、徐々に正常化に向かって動いているようです。

 アベノミクスに絡んで、政府は企業に賃上げを求めてみたりし、経済評論家などの中にも、円安による日本経済の改善が賃金に反映されていないと指摘する人もいます。
 本来賃金の上昇は、経済成長の成果の配分ですから円レートが正常化し、経済が成長を取り戻し、その成果が賃金決定に反映するのは来年以降というのが正常な姿でしょう。

 賃金の問題はさておき、いま日本経済(労働経済)に課せられている問題は、賃金上昇の前に「雇用の正常化」があるのではないでしょうか。賃金は雇用にくっついたものです。雇用が正常化しなければ、賃金の正常化も、賃上げもちぐはぐなものになるでしょう。

 その意味で、いま日本の企業労使に求めるべきは、まず、雇用の本格的な正常化ではないでしょうか。その中身は、①、非正規雇用の割合の20パーセント程度まで引き下げ、②賃上げより雇用拡大を優先する取り組みの2つで、これが出来て、はじめて長期に亘る円高で歪みに歪んだ日本経済社会の正常化が緒に就くのでしょう。

 おりしもアジア諸国での低賃金若年労働力の枯渇、インフレ高進、賃金上昇、コスト競争力の低下などが言われ始めました。高度成長の真っただ中からその後半期にかけて起こるこうした現象は(わが国でも経験がありますが)、その国の労使関係如何にもよりますが、容易に解決されない問題です。
 すでに書かせて頂きましたように、低賃金を求めての海外進出は、再検討を要する問題になりつつあります。

 それに引き換え、日本の労働力は、その労使関係の歴史から、世界で最も安定した「生産性・賃金コスト」のバランスを維持できるという、世界のどこの国でも真似のできない素晴らしい特徴を持っているのではないでしょうか。

 勤勉で争いを好まず、高い素質と能力を持つ日本の労働力を本格的に活用することが、日本経済社会再建の王道であり、近道でもあるという認識を、日本企業に改めて確認し、確信してほしいと思う所です。

 ところで、その際、最も大事なのが、企業が最も危惧する「再び円高に戻らないか?」という懸念の払拭でしょう。
 この問題は、政府・日銀がコミットしなければどうにもならない問題です。政府・日銀は、この問題で企業や国民に安心を与えることが出来なければ、アベノミクスも画餅に帰すことを肝に銘じ、明確な意思表示をしてほしいものです。


消費者物価の反転上昇は自然

2013年07月29日 10時47分22秒 | 経済
消費者物価の反転上昇は自然
 6月の消費者物価(生鮮商品を除く)が0.4パーセントの反転上昇に転じました。同時に発表された東京都区部の7月分も0.3パーセントの上昇でした。日本経済もいよいよデフレから脱出し始めたようです。

 マスコミの解説でも明らかなように、この上昇を引っ張っているのは輸入物価の上昇です。つまり物価上昇の原因は円安です。円高によるデフレで呻吟していた日本経済が、円安になってデフレから脱出したのですから、これは狙い通りの結果です。

 輸入価格の上昇が国内価格の上昇につながるのは当然で、便乗値上げさえなければ健全です。10パーセントの円安ですから、せいぜい2パーセント程度の上昇が限度で、これは一過性のものです。先ずはデフレ脱出、日本経済の健全化への前進を喜びたいと思います。

 ところで、日銀はインフレターゲットとして2パーセントを掲げていますし、安倍政権の構想では年率1パーセントの持続的なインフレを考えているようです。
 そこで、今回の消費者物価上昇と、これらのインフレターゲットの関係はどうなるのかいうことになるわけですが、正直言って、これは関係ありません。

 かつて、インフレの原因シリーズを書かせて頂きましたが、現状の物価上昇は「輸入インフレ」に当たります。インフレターゲットの数字の方はホームメイドインフレを指していると思われます。

 ホームメイドインフレの主因は「賃金コストプッシュインフレ」ですから、今後の労使交渉により賃上げ如何で決まります。今後の賃金コストの上昇(生産性上昇を超える賃金の上昇)が1パーセントであれば、ほぼ1パーセントのインフレ、2パーセントであれば、同2パーセントとなります。

 もっと円安になれば、それに輸入インフレが加わりますし、消費税が上がれば、その分も加わります。逆に、また円高になれば、それは円高デフレという形で、これまで経験した通り物価を押し下げます。
 
 報道では、家電製品などの耐久消費財の価格に底入れ感という観測もありました。今まではデフレの中で、何でも値下げして競争しようと、かなり無理な価格引き下げをしてきたのが、デフレ脱出とともに是正されるとすれば、それの経済や経営の健全化の動きと言えるでしょう。

 ハイビジョンの32型TVセットが3万円台とか、ズームレンズのデジカメが何千円とか、どう考えても「これで企業に利益が出るとは思われない」ような価格設定も、いわばデフレ経済の犠牲と考えれば、その是正は消費者物価上昇に多少の影響はあるかもしれませんが、経済・経営が正常な姿を取りもどしつつあると考えるべきでしょう。

 再び円高に戻るようなことがないように、政府・日銀が国際投機資本にきちんとした対応をしてくれれば、こうして日本経済は経済成長を取り戻し、正常化の道を辿るでしょう。その過程で、雇用も次第に正常化し、賃金も毎年上昇し、国民生活も着実の改善していくはずです。

 今、日本経済は二十数年ぶりの円高是正という環境変化の中で、その変化に健全に対応していると考えられます。政策当局も企業労使も国民も、今後も誤りない健全な対応を進めていただきたいと思っています。


変動相場制の帰結

2013年07月27日 12時02分26秒 | 経済
変動相場制の帰結
 いつも書いていることですが、家庭でも国でも赤字の場合は借金しなければなりません。アメリカも毎年赤字ですから毎年借金をしなければなりません。
 一番簡単な方法は、アメリカ国債を外国に買ってもらうことで、日本が一番買っていたり、中国が一番買っていたりということでアメリカはやって来ました。

 世界全体の貿易はゼロサムですから当然赤字の国があれば、黒字の国があります。アメリカが考えついたのは、黒字の国は使い道がないわけですからその分はアメリカが借りて使って、アメリカ経済は赤字を気にせず好況を維持していけば、日本や中国はアメリカへの輸出を伸ばして好況になる、みんな喜ぶ、という図柄だったようです。

 そのためにアメリカは、世界中が金融自由化をし、資金状態が一目瞭然になるよう時価会計を国際標準にし、実体経済を長い目で見るのではなく短期のマネーの移動中心に経済が動くように、マネー資本主義を一般化し、金融工学を開発して、マネーゲームを流行させ、アメリカへの資金の還流をしやすくしたようです。

 しかし、そんなことが永久に続くことは矢張り不可能です。最終的には国内でバブルをやり、その中で生じた不良債権を証券化して(サブプライムローンの証券化)世界に売ったりしましたが、結局は破綻し、アメリカの証券は信用を失い、世界はアメリカへの資金供給に二の足を踏むようになりました。

 ドルの切り下げ戦略も、中国が拒否し、ヨーロッパはユーロ圏内の赤字で手いっぱいとなり、とばっちりでフラン高になったスイスも堪らずユーロリンクし、とうとう日本もアメリカ流金融緩和策で円安を実現し、アメリカの戦略も行き詰まることになりました。
 これに代わる戦略として考えたらしいTPPもそう巧くはいかないでしょう。

 本来なら、世界不況をもたらすような状況ですが、バーナンキ流金融緩和というウルトラCで当面を糊塗しましたが、今その出口戦略で行き詰まっています。
 本来アメリカへの資金還流の手段として考えられたマネー資本主義や金融工学も、鬼子となって、世界不況のキッカケになりかねません。

 ここまでこじれてしまった世界経済の歪んだ依存関係をいかにしてまともなものに戻していくかが、アメリカに、そしてG20に課せられた課題というのが本当の所ではないでしょうか。

 問題解決に必要な条件は、沢山あるでしょうが、最も基本的なものを2つ上げれば、
① 基軸通貨国アメリカが、赤字の垂れ流しを止めること
② 経済変動を殊更に大きくするマネーゲームを制限すること
の2つではないかと考えます。
 この2つともアメリカの経済政策が原点ですから、アメリカが事態の本質的解決(経常赤字国からの脱出)に本気にならない限り何をやっても問題の繰り返しか先延ばしでしょう。


世界経済の混乱とアメリカの責任

2013年07月26日 09時54分19秒 | 経済
世界経済の混乱とアメリカの責任
 本心を言えば、こんな問題は書きたくありません。他国の悪口や批判などは言いたくないのです。それぞれの国がきちんと自分の責任を果せば、こんなことを書かなくて済みますし、世界経済の大きな混乱も避けられます。アメリカに考え直してほしいのが本心です。

 アメリカはドルという基軸通貨の国です。基軸通貨の価値が勝手に変動するというのはどういうことでしょうか。基軸通貨は世界の経済価値の基準、例えて言えば、メートル原器ですから、メートル原器が勝手に伸びたり縮んだりするのと同じです。その中でまともな構造物の設計や製造をしようとしても、そんなことは全く不可能です。

 基軸通貨の価値が変動すれば、つまり為替レートが変動すれば、各国の経済計画などは当然ご破算です。せめてある程度の時間は基軸通貨の価値は不変で、変更するときはきちんと国際機関などに諮り、了解を得たうえで、その範囲でやるべきでしょう。

 思い出してみれば、嘗てアメリカが理想として掲げたブレトンウッヅ体制というのは固定相場制でした。世界経済は安定していて、どこの国も、経済運営をしっかりやれば、その分成果が上がるという体制だったわけです。
 もちろん確りやらない国もありました。戦後の日本もその1つで、杜撰な財政・金融政策でインフレを起こし、アメリカの指導で、所謂ドッジラインを敷かれ、緊縮政策による不況を強いられ、それを教訓にその後は健全な経済運営に努力してきました。

 ところが、1970年、アメリカはこの方針を止めてしまいました。理由は、アメリカ自体が、経常赤字国になってしまい、ケネディ大統領などは苦心したようですが、ニクソン大統領に至り、健全経済への努力を断念し、ドルの切り下げで済ます方針に転換しました。

 ドルの価値切り下げの目的は、本来はアメリカの経常赤字を消すためだったはずです。
 しかしアメリカは、ドルを切下げても世界が文句を言わないのをいいことに、国民に苦労を強いる経済健全化よりも安易なドル切り下げの繰り返しを選択して来てしまったのです。

 そして今に至るアメリカ経済は健全化が出来ないのです。稼ぎより使う方が多い赤字国です。その結果、基軸通貨ドルの価値は、下がり続け、円との比較で言えば、$1=¥360→¥80と4分の1以下にまで下がりました。

 問題は、それが世界経済に何をもたらしたかです。(以下次回)


政治家と官僚

2013年07月23日 16時16分00秒 | 社会
政治家と官僚
 まず提起したい問題は「政治家と官僚は対立するものなのか、それとも協力し合うものなのか」という問題です。
 多分、「本来は協力し合う関係であるべきだが、えてして対立する存在になってしまう」などというのが答えとして出て来るでしょう。

 もともとは、政治家も官僚も国のために働くのですから、協力し合って当然でしょう。
 時として、対立することがあっても、宮沢賢治の「ポラーノの広場の歌」のように、
  「まさしき願いにいさかうとも
   銀河のかなたに共に笑い・・・・・・・」
といった関係であれば、恐らく結果は良いのでしょう。

 ところが、現実の世界では「政治主導、官僚主導打破」などと言われたり、種々の解説の中でも「政治主導とは、政治家が官僚に依存せずに・・・・・」などと書かれています。
 そんなことが可能でしょうか。企業で言えば、政治家は経営陣、官僚は従業員でしょう。経営者が従業員を当てにしないで経営をするなどということがありうるでしょうか。

 官僚は国家公務員だけではありません。地方公務員も入れれば、サラリーマンの約1割は官僚です。収入源は税金です。国民がそれだけコストを払っている官僚に依存しないと言われたら、国民は何のために税金を払っているのかと問いたくなります。
 国民としては、政治家に十分に官僚を活用してほしいし、官僚には政治家と対立するのではなく、政治家に良い政治をしてもらうように一生懸命力を尽くしてほしいと思います。

 政治家も、官僚も国民のために働いているはずなのに、なんでこんなことになるのでしょうか。対立するのはどちらかが悪いからだろうという見方もありますが、日本には昔から「喧嘩両成敗」という諺があります。矢張り問題は両方にあるのでしょう。

 アメリカのように政権が変われば、高級官僚は「総取り替え」というのも1つの方法でしょう。しかし日本に官僚は、行政、更には立法業務の専門職として、政権に関係なく身分を保証されています。だからこそ、新人の政治家より「自分の方が専門家」という意識も強いのでしょうし、現にそういう場合も多いでしょう。しかし考えてきれば、だからこそ官僚は政治家の役に立てるのです。

 官僚だけでなく、民間でも、経済団体の事務局が民僚と言われたり、大企業の従業員が官僚的と言われたりすることも良くあります。そういう所をよく見ると、担当者の視野が狭くなって、国や社会全体より所属組織、所属企業・部所・業務に関心や意識が偏っていることが多いようです。現に、官僚出身の評論家で官僚批判をする人は多いですね。

 政治家でも、官僚を目の仇にするような人は、官僚を惹き付ける人間的魅力、リーダシップが不足といった場合が多いようです。有能な官僚トップが心酔する政治家も、現実には数多くいるのです。
 一方、官僚は、自分の役割を良く知るべきです。官僚は政治家を補佐する立場なのです。政治家をないがしろにするなどは官僚のすべきことではありません。政治家の役割をしたければ、政治家になるべきでしょう。

 あらゆるところで「コラボレーション」が言われる時代です。失われた20年からの日本復活のために、政治家と官僚の良き「コラボ」を期待したいところです。


本質論議を避ける?G20

2013年07月21日 22時07分57秒 | 経済
本質論議を避ける?G20
 アメリカの出口戦略に振り回される世界経済を何とかしようというのが今回のG20主要議題ではなかったのでしょうか。しかし、報告されている内容では、出口戦略についてのコミュニケーションを良くして、混乱が起きないようにしようといった程度の、多分ほとんど役に立たない論議で、結局は終わったようです。

 世界主要国の財政・金融のリーダーたちが集まって、こんなことを繰り返しているだけでいいのかと思う人は多いのでないでしょうか。 こんなことをいくら繰り返しても、世界の不安定な金融問題はとても解決には近づかないでしょう。

 例え、コミュニケーションを良くしたところで、アメリカが金融を引き締めれば、世界中に溢れ出しているマネーが引き上げられることに変わりはありません。例えいつ引き締めに転じるか、どんな手順でやるかが解っても、それではと簡単に準備できるような情勢でないことは明らかです。前広に発表すれば、対策の準備が整うよりも、引締めた時の影響がより深刻になるような結果が目に見えるようです。

 各国がアメリカの引締めが延びたと安心するだけでなく、今日、今から、いずれ取られる引き締めに備える行動がとれるかというと、それは大変難しいでしょう。巨大なヘッジファンドをはじめ、世界の国際投機資本は、金融環境の変化をレバレッジによって出来るだけ大きくすることで彼らの活躍の場を作り出すのですから、大規模な資金の移動が、平穏のうちに終わるなどはとても望めないでしょう。

 もともと、金融を緩めればパニックは起きないというFRBの信念で行われたアメリカの超金融緩和です。ドルは基軸通貨ですから、それは当然世界中に影響を与えます。FRBにしたところで、それは解っているはずですから、出口戦略がアメリカの都合だけでは出来ないということも解っていたはずです。

 それを承知でアメリカは、世界中が同じような経済活動をするように世界の経済・金融システムの作り変えを進めて生きているのですから、否応なしに世界経済は同じ動きになり、アメリカの金融引き締めが、世界に影響を与えることは当然で、根本原因はアメリカの世界経済戦略の作り方にあることは誰の目にも明らかです。

 G20は本当に、アメリカが出口戦略を少し延ばしたり、コミュニケーションを良くすれば、問題が解決できると思っているのでしょうか。 
 はっきり言ってしまえば、アメリカの赤字垂れ流しの経済政策に根本原因があることは知りつつも、アメリカにそれが言えないという所に問題の本質があるのでしょう。

 アメリカ経済の健全化が進まない限り、問題の本質的な解決はないのですから、解決にはアメリカが基軸通貨国の義務と責任を果たすように考えを改めるか、G20がそれを指摘してアメリカに襟を正させるかしか解決への道はありません。

 その辺りが解らないというのならこれは最悪で、解っていてやらないのなら、まさに最悪以下でしょう。この問題はまた改めて論じたいと思います。


参議院の存在意義

2013年07月18日 10時35分14秒 | 社会
参議院の存在意義
 かつて第二次臨調で行革が論議されたころにも、衆議院のコピーでしかない参議院などは意味がない、止めたらどうかという意見がありました。
 今回の参議院選挙の中でも、「ねじれ」がなければ参議院は衆議院のコピーになってしまう、という意見が聞かれたりします。

 では、ねじれがあった方がいいのでしょうか、と言えば、誰しも、ねじれがなければならないとは考えていないでしょう。もともと、参議院には衆議院とは違った役割があるからこそ二院制になっているということのはずです。

 議会制民主主義発祥の地と言われるイギリスを始めほとんどの民主主義国家は二院制です。これは、それぞれの国の政治の歴史的経験・教訓から、二院制の方が、チェック・アンド・バランスの効果が発揮され、政治が安定すると考えられてきたからでしょう。

 もともと上院を指す senate と言うのは「元老院」という意味で、下院を指す commons  とか representatives というのは一般庶民あるいはその代表という意味でしょう。もちろん上院には貴族院という言い方もあったわけです。

 いずれにしても、上院と下院とではその役割が違っていて、庶民の意見を代表する下院と、それを一段高い識見・良識で判断し、誤りのない政治をしようというというのが本来の二院制の趣旨だということですし、日本でも参議院が、以前から「良識の府」と言われるのはそういう意味でしょう。
 
 例えて言えば、衆議院で国際関係を「力を誇示して」という論議があったら、参議院では「力では解決しない、知恵で解決を」という識見を示すといった意味でしょう。

 しかし国民を差別することがなくなった今の社会では、当然のことながら、上院と下院を区別するものは、被選挙権と任期制で差をつけるぐらいですが、それも現実にはほとんど意味を持ちません。衆議院と同じ政党の主張ばかりが聞こえてきます。

 参議院にその存在意義を持たせるにはどうすればいいのでしょうか。参議院議員に、あなたは常に「良識を発揮」しなければなりませんと言っても多分詮無いことでしょう。
  この状況の中で、矢張り二院制がいいという本質的な論拠を見つけるのは、残念ながら、かなり大変だと思いませんか。

 せめて国民に出来ることは、何とか本来の参議院の意味を取り戻してもらうために選挙に行くという事でしょうか。


ポピュリズム支配の困った社会

2013年07月14日 10時59分39秒 | 社会
ポピュリズム支配の困った社会
 ポピュラーという言葉はいい言葉だと思います。私もポピュラーという言葉は好きです。しかし「ポピュリズム」(=ポピュラーでありさえすれば)」というとどうでしょうか。

 あの人はポピュラーだと言えば、「あの人は皆んなに知られている」とか「あの人は人気がある」という意味でしょう。
 
 しかし、こうした感覚は、つきあう中身によって違ってくることもあります。「一緒にゴルフをやると楽しくていいんだが、一緒に仕事をやったら、とんだ目に合う」などという場合もあります。確かに人間というのは極めて複雑で、長く付き合っているけど、どうもよく解らないところもあるなどというのは現実によくあることです。

 こういう種類の話は、直接付き合っての話です。しかし、今「ポピュリズム」として問題になっているのは、選挙に関わる話です。市会議員などの場合には直接お付き合いがある場合もあるでしょう。しかし国政レベルになると、通常は新聞やTVといった媒体を通してしか知らない人について、「適切かどうか」を判断しなければなりません。

 現実に私たちがやっていることは「本当は良く知らないのだけれど、知ったつもりで投票する」ということなのでしょう。
 その結果、時を経ずして選択が誤りだった事が解り、政権交代が起こったりします。選挙する我々にも、よく考えれば、大きな反省が必要なのです。

 こうした中で、世界中で見られることなのですが、大変心配なのは「ポピュリズム」蔓延の傾向です。
 マスコミのせいもあるのかもしれませんが、国民がポピュリズムの傾向を強めると、選挙大事の政治家は忽ちそれに反応します。可能性などは解らずに、国民が喜びそうな公約やマニフェストを掲げ、政権を取ってみたら結果は何もできないとった事になります。
 EU加盟の赤字国などは典型ですが、国民の口に苦い良薬(緊縮政策)より甘いお酒(緩和や減税)を掲げた方が国民に人気があったりするのです。アメリカの赤字垂れ流しの儘の出口戦略なども同列です。 

 これは何も政治の世界だけではありません。経済経営の世界でも、長期的にはいざ知らず「今の評価が良ければよい」が流行です。
 時価総額最大が経営の目標になったりします。時価総額などというのはポピュリズムの典型で、タレントの人気投票と一緒で、明日はどうなりかわからない指標です。

 舶来崇拝のまだ残る日本ですが、こうした社会の傾向だけは賢く見分けて、何とか追随しないようにしたいものです。


参院選に向けての経済論争:規制撤廃、規制緩和、規制改革

2013年07月10日 10時56分31秒 | 経済
参院選に向けての経済論争:規制撤廃、規制緩和、規制改革
 今回の選挙でも、規制改革という旗印を掲げている候補者は多いようですが、どうもピンとこないものが多いような気がします。本来、規制改革という言葉自体が、余りにも多様なものを含んでいて、大変解りにくいものなのではないでしょうか。

 かつては、規制撤廃とか、規制緩和といったスローガンもありました。何か「規制」というと悪いイメージに受け取られるようで、それを撤廃したり緩和したりするのだから良いことのように感じる人がいたからかもしれません。

 しかし、小泉政権以来の規制の撤廃・緩和が、格差問題につながったということが指摘されたりして、撤廃や緩和が「改革」と言い換えられたのかもしれません。
 改革というと作り替えるということですから、規制強化から緩和・撤廃まで皆含まれてしまい、ますます解らないことになります。

 道州制にするのが規制改革だみたいな論議もあります。道州制にすれば、地方の自治が促進されるからといった言い方もあるようですが、それが一般市民の生活や生き方の改善にどうつながり、どう良くなるのかは判然とません。

 考えてみれば、規制には都合の良い規制も悪い規制もありますから、悪い規制を正して良い規制にするというのなら、理屈が通らない事もありませんが、良い規制か悪い規制かという論議は、受け取る人の立場によって大きく違います。
 これはTPPによる自由化の推進という理念が、アメリカには正しくても、他の国にも正しいかどうかという例を考えればすぐわかるでしょう。

 もともと規制というのは、放置すれば強い者が益々強く、弱いものが益々弱くなるのを防止するために考えられた場合が多いのでしょう。赤・青・黄の交通信号があるのは、弱い立場の歩行者が安全に交差点を渡れるためにあるのです。

 野球には三振・四球というルールがあります。これも規制です。これが二振・三球だったり、四振・五球だったりすると、多分野球はあまり楽しくないでしょう。サッカーのオフサイドも同じだと思います。スポーツのルールなどは、プレーする人も、観戦する人もより楽しいように考えられているのでしょう。

 同様な意味で言えば、経済的規制も社会的規制も、社会に生きる人間が最も楽しく、自分の能力を発揮して、有意義に生きられるようにするというのがその役割でしょう。
 ということであれば、「規制」という問題は、強化にしても緩和にしても、中身が具体的ではっきりしない限り、言葉だけで議論しても無駄なのではないでしょうか。


参院選に向けての経済論争:消費税増税は是か非か

2013年07月07日 14時00分06秒 | 経済
参院選に向けての経済論争:消費税増税は是か非か
 消費税増税の問題を論じる場合、何のために消費税増税をするかについてのコンセンサスは絶対に必要と思います。
 私の接する多くの人は、「日本政府の借金は大き過ぎる。GDPの2倍を超える政府の借金は、どう考えても不健全だ。このままでいけばいずれ国家財政は破綻するから、今のうちに消費税を引き上げ、財政赤字を減らす努力は必須だ。」という考えの持主です。

 かつて土光さんが、第二次臨時行政調査会を率い、ご自身はメザシを食べながら「子孫に借金を残すな」と言われた思い出は、ある程度以上の年代の方がたの心には強烈なインパクトを持っています。

 私自身もあの時期には「それでなければ日本らしくない」と考えていました。しかし、今の世界経済はあのころと些か様子を変えているように思うのです。
 土光臨調の答申が1883年だったでしょうか。その後日本は「プラザ合意(1985年)」を経験しました。そしてそれは日本経済を「失われた20年」に落とし込んだのです。

 何が違うのでしょか。当時は「為替レートは勝手には変動しない」と考えられていました。ところが今は違います。日本経済が健全になれば、円レートは際限なく上昇するという、国際投機資本跳梁の時代です。経済の環境条件は完全に変わったのです。

 繰り返し述べていますように、アベノミクスは今の所、国際投機資本の動きを封じたように見えます。しかし、前回も触れましたように、アメリカ、EU,中国などで何かが起こった時、また大幅円高の悪夢が来ないかという心配は消えません。
 何かあったら円を買っておけば安心という「「円は安全通貨」」と見られれば見みられるだけ円高の可能性は高まります。
 
 こうした環境条件の中で、消費税増税で、日本政府の財政基盤が安定性を増したということになった場合、国際投機資本はいかなる行動を取るでしょうか。
 他方、国内経済で見れば、消費税増税は消費活動の頭を押さえ、消費不振の不況効果をもたらす可能性は残ります。

 今日必要なのは内需拡大で、黒字をため込み続けるような日本経済からの脱出でしょう。誰がその役割を果すかです。端的に言えば、誰が金を使うかです。政府か消費者か企業か、どう分担するのか?

 消費税増税問題の核心は、「円高を招かない経済運営」という目標との関係を確り考えない限り不完全なものです。与野党の経済論争はその辺りまで届いてほしいものです。


参院選に向けての経済論争:物価だけ上がっていく

2013年07月04日 10時37分19秒 | 経済
参院選に向けての経済論争:物価だけ上がっていく
 参院選に向けて、いろいろな論点が出され論争になっていますが、庶民感覚としても矢張り十分検討していかなければならない1つは、物価問題ではないでしょうか。

 アベノミクスで株は上がり、大企業の業績見通しは改善し、日本経済に対する国民の雰囲気も変わってきたのですが、それが庶民にまで均霑しないではないか、庶民は物価上昇で苦しむばかり、という意見があります。

 円安で輸入する原材料価格などが上がった場合、それを使用するメーカーは、ある程度我慢はしても、これまでのデフレ不況の中でぎりぎりの経営を迫られていたこともあり、値上げの動きが出て来ても当然でしょう。
 便乗値上げは別として、実は、こうした「<spanstyle="text-decoration: underline;">輸入インフレは」それを「ホームメイドインフレに転嫁しない限り、現実の影響は軽微です。これはよく理解しておくべきです。

 単純に計算するとこんなことになります。
 日本の輸入依存度が約10パーセント、円安が約20パーセント($1=¥80→¥100)ですから、円安が完全に価格転嫁された場合のインフレ率は2パーセントほどで、これは一過性です。つまり円安だけならその物価への影響はこれで終わりです。
 
 賃金は上がっていないのに、物価だけ上がっていくので庶民生活は苦しくなるばかり、といった言い方については、タメにする議論なら別として、円安のもたらす日本経済への大きなプラスの影響と秤にかけてみるべきでしょう。

 現実には、中小企業の中にも仕事が増えてきたとか海外からの旅行客が増えたといった形で、次第に円安メリットが現実になってきてもいますし、マクロ指標としては求人倍率、4半期経済成長率などに端的に現れています。
 これらは円安で日本経済が成長経済に転換する兆候で、国内生産の活性化による経済成長の実現が国民全体への均霑の出発点になります。

 経済のグローバル化の中で、円安メリットを生かすため、海外生産と国内生産のバランスを、どう判断しようかと迷いつつ考えているところもまだ多いと思います。
 ここでの判断材料の主要なもの2つあり、1つはまず再び円高に戻らない政策でしょう。そしてもう1つは新興国のインフレの進行状況です。 

 先ず、政府は、アメリカやヨーロッパ、中国などで何かあったら、また突如円高といった不測の事態への対策をどうとるかを明確にすべきでしょう。

 もう一つ、国内で仕事をするか、海外に脱出するかの基本的判断は、それぞれの生産性とコスト(ほとんどは賃金)のバランスです。<spanstyle="text-decoration: underline;">国内の優位性についての論議が必要です。

 日本が本当に重視しなければならないのは実体経済で、実体経済の変化にはある程度時間がかかります。必要なのは、その間、企業の合理的な選択を邪魔しない、出来れば促進する政策です。そうした、具体的で、かつ、よりレベルの高い判断材料を、国民や産業界に提供する論争がなされることを望みたいと思います。


軍隊と戦争

2013年07月01日 10時22分37秒 | 国際政治
軍隊と戦争
 戦後の日本は、平和憲法の下で軍隊を持たないことになりました。これは、人類の長い歴史とその将来を考えてみれば、大変優れた知恵だと思っています。

 戦後、軍隊を持たない日本にも、「2つの軍隊がある。読売巨人軍と救世軍だ。」などというジョークが流行ったことがありましたが、第二次大戦を経験した日本人は、それを良しとし、世界は平和であるべきだと考え、安んじて暮らしてきました。

 軍隊を持つことは戦争に近づくこと、持たないことは戦争から遠ざかること本能的に感じていたからでしょう。

 これはまさにその通りで、例えば、個人的な殺傷事件の場合でも、加害者や被害者が凶器を持っていた場合と全く素手の争いだった場合とでは、ニュースを聞く我々にとっての印象は全く違うでしょう。

 凶器を持っていた場合は、「ああやっぱりそういう事だったのか」と誰しも思います。凶器を持つことは、当事者が予め争いに近づくこと当然に想定していたと受け取られます。

 それを承知でか、知らずにか、「日本も軍隊を持つべきだ」という意見がまたぞろ聞こえるようになったように感じられます。「自衛隊を国防軍に」などという意見も聞かれたりしますが、軍隊を持つことは、やはり日本が戦争に近づくことでしょう。

 ソマリアの海賊問題の折に「軍隊と警察」を書かせて頂きましたが、国連の平和維持活動に貢献するというのであれば、本来国連中心主義を掲げる日本は、国連は世界全体に不正を許さない、まさに超国家的な警察システムを持つべきだと提唱し、その国連警察に日本は協力を惜しまないことを明確にすべきでしょう。

 戦争は基本的に国と国の争いです。そして通常、勝った方が正義ということになるのです。これは同じレベル同士の争いでは、ある意味で致し方のないことで、あるべき解決の方向というのは、それより一段上のレベルから判断し、正、不正を見極め、地球人類として、より多くの人があるべき方向と考えることを人類の正義とすべきでしょう。

 「地球はまだそんな時代にはなっていない」という意見もあるでしょう。しかし100年、200年先の世界を先取りした平和憲法を持っている日本だからこそ、それが言えるのです。
 日本が国連の常任理事国になりたいというのなら、そうした目的を鮮明にして、率先して将来世界の姿を語るべきでしょう。