tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

国家の地球的責任 (NGR)を何故言わない

2020年01月31日 20時58分21秒 | 環境
国家の地球的責任 (NGR)を何故言わない
 今は、大寒の真っ最中ですが、大寒に入ってから毎日気を付けて明け方の気温を見ています。
 ここはとか国分寺ですから都区内に比べれば気温は2~3度低いと言われます。それでも最も低かったのが大寒2日目だったでしょうか。二階のベランダが1°C、玄関わきが2°C   
でこれが最低、そのご7°Cという朝もあって、昨日、今日が4~5度です。
 
 昨年までは、小寒、大寒の間は、何日かはマイナスの気温の朝があり、外の流しのバケツの水が凍っていました。
 どう考えても、今冬の暖かさは異常です。チューリップの球根を植えた小花壇には、ハコベが急に広がり始めています。

 温暖化というのは、ある年突然来るのでしょうか。去年までと今年では、冬の様相が全く違います。

 世界を見れば昨年来北米、南米で異常干ばつによる山火事が大発生、続いてオーストラリアでは日本の面積の半分以上が焼け、漸く雨が降って火勢が弱くなったけれども、未だに延焼中という大惨事になっているようです。

 世界中からで集中豪雨、干ばつ、大雪などの情報が入るたびに異常気象の「異常さ」がますます深刻化しているような感じを受けるのですが、この「地球的」な大問題に対して、地球表面に存在する国々の認識はなかなかまとまらないようです。

 その代表的なのは覇権国のアメリのパリ協定離脱で、まさに象徴的ですが、日本も2年連続の「化石賞」受賞などと、国内の努力とは裏腹に、海外では評判がよくないようです。

 問題は「地球的」です。2012年に、このブログでは企業のCSRになぞらえて、「国家の地球的責任」: NGR(Nation’s Global Responsibilityの頭文字) を提唱しましたが、個人の社会的責任から企業の社会的責任までは、社会の通念となってきましたが、これが国レベルにまで進んでくるかというと、そうもどちらかというと逆で、「国家の地球的責任:NGR(言葉はどうでもいいのですが)」という概念についてはこの所、前進ではなく後退が目立つような気がしています。

 これは多分、戦後、戦争の悲惨さを体験した地球上の各国が、国際協調を願って「統合の原理」で動いてきた中で、統合のために必要な「自己抑制」を我慢できない人たちがでてきて、 「分裂の原理」(自己主張優先)が働き始めるという逆方向の動きが出てきたのと軌を一にしているようです。(あたかも今日は英国にとってのEU最後の日です)

 戦後は、国連中心主義をベースに、米州機構、EU、アセアンなどの、共生と協力を願った「統合の動き」が進んだのですが、この所、部分的に綻びが出て来ていることと、気候変動条約がまとまらないという現状は、矢張り関係がないとは言えないでしょう。

 「分裂の原理」の行く先が戦争につながるかどうかは別として、今すでに地球環境が人類社会に対して気候変動という巨大な問題を提起しているという事でしょう。

 多少の軋轢はあってもCSR(企業の社会的責任)は、今では誰もが地球人類共存のための規範として受け入れているところでしょう、ならばもう一歩進めて、「NGR:国家の地球的責任」も人類社会のサステイナビリティーのための規範として、本気で受け入れる必要が焦眉の問題になっているのではないでしょうか。

 終末時計は回っています。もうすでに「明日では遅すぎる」という所まで来ているのかもしれません。

2020春闘:賃上げの「必要性」では一致したが・

2020年01月29日 22時29分21秒 | 労働
2020春闘:賃上げの「必要性」では一致したが・・・
 前回、2020春闘を見る視点として、格差社会化への流れをいかに食い止めるかが最も大事ではないかと書きました。

 そして、このところの格差社会化の進行の中で問題になっている非正規労働の行きすぎた利用は、円レートが正常化したからには経営が反省すべき問題であること、政府が旗振りをしている雇用制度の欧米化は、結果的には格差を促進するものであること、加えて、本来の日本的経営は、雇用制度、賃金制度の中に、格差拡大に歯止めをかけるような意図が込められていることを指摘しました。

 今回は連合と経団連が賃上げの「必要性」では一致しているという「賃上げ」につて見ていきたいと思います。

 経団連の主張は、賃上げの勢いを維持して行くことは重要という点では連合とも一致するところですが、それぞれの中身がどうなのかが春闘の具体的課題でしょう。

 この点について連合は、日本の経済社会全体との関連で問題を提起しており、それは大きく次のようになるのでしょう。
 ・賃上げ幅:一般的には率:定期昇給+ベースアップ2%程度
 ・産業構造(サプライチェーン)の各段階に出来るだけ均等に分配
 ・格差是正のために底上げを重視し要求賃金額を金額で表示する(率では格差は一定)

 ここから見えてくるのは、給与水準全体を引き上げるベアの平均的な数字は2%程度で政府の名目経済成長率の見通し(2.1%)に見合ったもの、公正取引を前提に、中小企業などに皺寄せがいかないことが大事、格差是正を担保するために低賃金部分には金額で歯止めをかける、といった考え方でしょう。

 勿論これが実現するかどうかは、連合傘下の組合の交渉力と経営側の理解の程度によるわけですが、連合の「こころざし」が、日本産業の生産した付加価値の分配を出来るだけ公正に保ち、更に格差拡大を未然に防ごうという、日本社会全体のバランスを意識したものだという事が感じられます。

 これに対して経団連の基本的スタンスは、「収益拡大の従業員への還元」と「職場環境改善などの総合的処遇改善」の2つをを大原則にし、賃金引き上げの勢いは維持、自社の実績に応じた前向きな検討が基本としています。
 そして「総合駅な処遇改善」については「エンゲージメントによる価値創造力の向上が大事」という指摘です。

 ここでいうエンゲージメントというのは、Society 5.0という技術革新の時代に鑑み働き手のエンゲージメント(やる気?)を一層高め生産性と競争力を向上、その成果を賃金引き上げ、職場環境の整備、能力開発で分配、還元するという事で、企業への貢献を一層強めたいという意味のようです。

 この主張の趣旨を整理すれば、表現はすべて定性的なもので、分配の在り方は各企業の判断に任せるという姿勢です。収益はいろいろな形で分配するから、エンゲージメントを強めて大いに成果を上げてほしいと読み取れます。

 定性的であれ、企業の収益(多分付加価値の事でしょう)を従業員に分配すべく「前向きに」検討すると経営者が言うのは日本的経営の特質ですから、大変結構なことだと思います。

 ただ願わくは、賃上げとマクロ経済との関係を、何らかの形で定量的に述べてほしかったと思います。
 そうしないと自社の支払能力といった問題は、個別企業で判断はバラバラでしょうから、格差の拡大を良しとしないならば些か残念で、格差の発生を放置ということになりかねません。

 もう一つ付け加えますと、エンゲージメントという表現が、個人重視に聞こえますが、これは、企業という人間集団でないと成果は上がらないでしょう。この点は日本の企業社会の文化に属する問題です。
 新卒一括採用、年功型賃金、長期・終身雇用といった日本的雇用慣行を、全面的に現政権の方針に従って欧米流に変えていこうという事になると、多分望む結果は出ないでしょう。 
 この問題は改めて論じたいと思います。

2020春闘:労使の一致点と相違点を見る

2020年01月29日 00時06分21秒 | 労働
2020春闘:労使の一致点と相違点を見る
 2020春闘も労使トップ会談でいよいよとキックオフです。
 トップ会談で、まずは、労使の一致点と相違点がはっきり出て来たように思われます。

 まず、賃上げが必要という点では一致したとのことで、少しでも経済成長がある限りこれは当然でしょう。
政策・制度面では、経団連が、政府の方針を基本とするような「日本的雇用制度の見直し」「能力による処遇」「同一労働・同一賃金」などの推進を提起したようです。

 それに対し、連合は、現実はまだまだ「サプライチェーンの均等な配分が実現していない」という視点から、未だに置き去りにされている中小企業や非正規労働者問題を踏まえ、雇用制度の見直しばかり重視すると、「配分の不公正の是正と整合しない恐れ」があるのではないかといった視点を指摘したようです。

 端的に両者の主張を比較すれば、経団連は、政府の主張する「日本の労働市場、労使関係を欧米流に変えていく」という視点で、それに対し、連合は、その動きに対して、労働者全体に対する賃金の公正な配分のためには、欧米型への接近は、必ずしも労働者のためにならないという危惧を持っているように感じられます。

 この視点の相違が、これから年々の春闘の中でどう展開していくか解りませんが、これは大変興味あると言っては「不真面目だ」叱られそうですが、日本経済の将来のために極めて重大な意味を持つものになっていくように思います。

 というのは、伝統的な日本的経営における雇用・賃金制度の特徴は、経営者も含めて雇用者(国民経済計算の定義では、企業で働くものは、パートから社長まで、すべて雇用者)への報酬(賃金、賞与、その他)の格差が広がらないような仕組みになっているのですが、欧米流は常に格差拡大の方向に動くようなシステムになっているからです。

 そういいますと「日本でも、非正規など格差が拡大している」と言われそうですが、客観的に言えば、これは30年にわたる「円高不況」の中で、企業が生き残りのために緊急避難としてとった政策の結果で、残念ながら、円高不況が終わっても、この数年、味を占めた経営者がそれを便利に使っている結果でしょう。(必要なのは経営者の反省です)

 欧米型の雇用・賃金制度の問題点はこのブログでも繰り返し取り上げていますが、大きな問題は「同一労働・同一賃金」では格差問題は解決しないという事です。

 「同一労働・同一賃金」では絶対解決しない問題というのは、「違う仕事の賃金は『どのくらい違う』のが適切か」という視点が欠落しているものですから、一般労働者と専門職、管理職、そして経営者の賃金格差が「どのくらい大きくて適切か」という視点がないことです。

 欧米の格差は巨大で、日本の格差は驚くほど小さいというのは、色々な調査の出ています。
 これは実は制度の問題というよりは社会的、文化的背景によるのですが、日本の文化や意識は本来(特に戦後)、大きな格差を好まない傾向が強く、雇用賃金制度も、それを適切に制度化したものなのです。

 そして、特に大事なことは、「格差化進むと社会は不安定になり、経済成長にはマイナスの影響がある」という経験的事実です。

 今年の春闘も、これからの春闘も、加えて政府の政策も、こうした視点を外さずに見ていかないと、「何時か、あれ、こんな筈ではなかった」という事になるのではないかと心配しています。

上がらない消費者物価:良いのか悪いのか?

2020年01月26日 17時53分16秒 | 経済
上がらない消費者物価:良いのか悪いのか?
 一昨日24日に、2019年12月の消費者物価指数が発表になりました。
 新聞、テレビで報道されましたように、対前年同月比で、総合物価指数の上昇0.8%、生鮮食品を除く総合が0.7%、生鮮食品とエネルギーを除く総合が0.9%の上昇でした。

消費税増税2%があったにも関わらず、どれも1%に届きませんでした。食品は増税の対象外ですが生鮮食品が天候のせいで2.4%上がり、食料全体でも1.9%上がりましたが、10大費目それぞれの上昇率はこんな状況です。
  総合       0.8%
  食料       1.9%
  住居       0.8%
  水道・光熱   -0.1%
  家具・家事用品  3.0%
  被服・履物    1.4%
  保健・医療    0.5%
  交通・通信    0.8%
  教育      -7.8%
  教養娯楽     2.8%
  諸雑費     -3.1% 
 値上げし易い物としにくい物があるということでしょうか。家具、家事用品と教養娯楽は消費税がしっかり転嫁されているようです。教育の大幅マイナスは、幼稚園・保育園等の無償化の影響です。消費不振から、転嫁しにくい物が多いようです。

 以上のような状況ですが、キャッシュレス・ポイント還元を前提に値引きしている場合もあるでしょうし、コンビニなどで自主的値下げで対抗するケースのあるようで、こうした政府の政策が、どの程度影響しているかは推計不能でしょう。

 政府は、消費増税の影響軽減のために、いろいろなことをやりましたが、それは消費者には喜ばれても、政府の財政にはすべてマイナスです。時限的なものですから1年後にはその影響は消えるのですが、その穴は累積赤字増として残ります。

 日銀のマイナス金利の応援も得て、なんとか消費者物価2%上昇を実現したい政府でしょうが、この分ではその日はまだ遠いようです。
 しかし、消費者物価2%上昇がなければ、財政再建は難しいという計算も真実にかなり近いようで、政府は大変です。

 ここまで借金が嵩んでは、物価上昇で借金が目減りしてくれないとどうにもならない政府と、物価はせいぜい1%までぐらいにとどまって欲しと願う家計と、その家計で暮らす人たちの投票で政権が成り立つのが政府という関係の中で、一体、日本の消費者物価はどう動いていくのでしょうか。これからもみんなの心配やイライラが続く消費者物価問題ということになるようです。

日本人のエネルギーレベル:エネルギー問題に思う

2020年01月25日 22時03分52秒 | 政治
日本人のエネルギーレベル:エネルギー問題に思う
 「世の中に 寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く」などという狂歌があります。 
しかし、現実には、日本人は エネルギーレベルが高く生真面目な気質を持っているように思っています。裏返せば、何かしなければといつも思っていて、何もすることがないとどうも不満足、といった傾向があるのではないでしょうか。

 日本の「働くことは良い事」という文化の源が、縄文時代以来の日本列島の風土のせいか、仏教などの宗教のせいか解りませんが、キリスト教の、「労働」と「出産の苦痛」は同じ言葉「labour」で、原罪を償うために与えられた「罰」という考えとは大分違います。

 ですから、日本人は目的が十分納得出来ればそれを目指して生真面目に働き、成果を出します。これは、日本が諸藩に分かれていた時代には、藩侯のリーダーシップ次第で、藩の経済力など格段に変わるといった実績からも知られます。

 また、江戸時代などを見ても、幕府がタガを締めたときは経済再建に協力し、タガが緩んだときは個人ベースの文化や芸能の面で発展があるといった傾向がみられるようです。

 こう言っては差し障りがあるかも知れませんが、平成という時代、日本が、経済外交の失敗で、経済発展がほとんどストップした中で、個人ベース、庶民社会ベースの食文化、ファッション、アニメなどの映像作品や伝統芸能の歌舞伎など各種芸能分野の発展は広く評価され、世界に浸透する発展を見ていることからも理解できそうです。

 いま、世界各国が経済成長に邁進する中で、日本は残念ながら、かつての元気な発展とは裏腹に、為替環境が改善しても成長を取り戻せない雰囲気になってしまっています。
 何でこんな事になってしまっているのかを考えて見ますと、結局は、日本という国として、今、何をすべきか、国民がよく解らないことに主因があるように思われるのです。

 何がそうさせているのか。政権が、「カジノと改憲」にかまけているからとか、政策より政権維持が本音とか、野党がだらしないとか、いろいろ拝見があります。然し敢えて言えば、政治に国民の意識を収攬する能力がないということに尽きるようです。 
 
 考えてみれば、国の将来の命運を決める「エネルギー問題」について、国民の意識のベクトルが合わせられるような政策目標すら出来ていないといった事も大きな要因ではないかと考えてしまうところです。

 原発に恋々とし、後ろ向きのコストは膨大になり、辻褄を石炭火力に頼ろうとして「化石賞」2年連続で受賞し、国際的に揶揄されるようなことでは情けないと思う人は多いでしょう。

 ここは一番、例えば、「日本は再生可能エネルギーへの完全転換の最短距離を走る」ぐらいの基本政策を立て、国民の合意を得て、そこに日本人のエネルギーを集中させ、国民全体が「苦労はしても人類社会のため」とその意義を認めるような魅力的な政策が出てこないものでしょうか。

 国民共通の目標が出来れば、多分、日本人は、世界が驚くような力を発揮するのではないかと考えても、あながち誤りではないと思うところです。

 そのためには再生可能エネルギー分野や、蓄電技術に徹底した人材と資本の投入を図り、 研究開発費は現状の伸び率ゼロではなく、少なくとも早期の倍増を目指し、原発については世界トップの廃炉技術・ノーハウの確立に邁進するなどなど、本気で取り組めば、地球環境改善のための総合政策が出てくるのではないでしょうか。

 そうしたところに、日本人の高いエネルギーㇾベルが発揮されれば、高い経済成長率や、全世代型社会保障、一億総活躍も、結果として「ついてくる」という事になるのではないかと思っています。

カジノ抜きのIRは如何?

2020年01月23日 21時46分25秒 | 政治
カジノ抜きのIRは如何?
 国会が始まってテレビも中継していますが、真面目に見ていても、まともな議論にならないようなことが多く、あまり見る気になりません。

 野党も、本気で核心を突く質問をしているのか、安倍さんが返事をそらし易いように手加減しているのか解らないようなのもあります。

 いずれ、国会の問答は、事前にお互いに解っていて、よく言われるように、頭は大変賢く、忖度などということは言われなくても本能的に解っている官僚たちが書いたものを格好つけて読んでいるのだろうなどと想像したりしています。

 公文書を改竄したり、廃棄したり、出てきても(戦後の教科書のように)黒塗りがいっぱいだったり、我々国民には、どうしてそんなことになるのかさっぱり 解りませんが総理の答弁では、それは適法だということの様なのです。

 たまたまそうでなくても、責任を認めなければならない場合でも、責任者が陳謝すればそれが禊で、あとは何もなかったのと同じことで済むようになっているようです。

 IRの問題などでも、前述のように、 解らないことがいっぱいで、「賭博には犯罪が付き物」などと言われる前の前、準備段階の準備の辺りですでに政治家の絡む贈収賄事件が報道されるような状況です。

 所が、安倍さんの答弁は「IRは家族連れでも楽しめるような立派で健全な(?)娯楽を提供する場所」だというような言い方だったように聞きました。
 そんなことで国会議員に対して贈賄事件が起きるなどということは、どう考えてもよく解りません。

 安倍さんの言うようなものなら、ディズニーランドやユニバーサルスタジオ、ハウステンボスの様なもので、別に、政治家のスキャンダルや犯罪やギャンブル依存症には関係ないので、政府が口を出すのがいいかどうかは別として、大いにやったらいいでしょう。

 それなら、家族で楽しむ場所が増えるのは結構なことですから、誰も反対する人はいないでしょう。
 もちろん親子一緒に楽しむ場所とは程遠いカジノはそこにはありません。安倍さんの答弁に従えば、カジノ抜きのIRが最もふさわしいのではないでしょうか。

 もし、それでは駄目だというのなら、「ああやっぱりIRといっても、実はカジノを日本に作りたいんだな」ということが解ってしまいます。
 それならそれで、正直に「カジノが欲しい」と言えばいいのですが、もしかしたら、カジノはなくもいいと思っているのかも知れませんから、「カジノなしのIRでもいいのですね」と確かめておいた方がいいのではないでしょうか。
 
 何せカジノを作ることには、読売新聞の調査によれば、「評価する」が28%、「評価しない」が67%なのですから。

日銀、経済見通しを上方修正

2020年01月21日 23時17分41秒 | 経済
日銀、経済見通しを上方修正
 今日は、わが国の経済見通しについて2つの機関からの発表が報道されています。
 1つは、IMFが昨日発表したもので、もう1つは日本銀行が今日発表したものです。

 過日、日本政府の発表した経済見通しと日本のシンクタンクや金融機関が発表した 経済見通しを並べましたが、それもご参考にされて、来年度の日本経済の動向を占っていただくのもよいかと思い、概要を見てみました。

 IMFの日本の2020年、2021年の実質経済成長率の見通しは、下のようになっています。
 国際機関ですから暦年ですが、2020年は、昨年10月時点の見通しから0.2ポイント上方修正されて0.5%から0.7%となっています。政府の消費税増税対策を勘案したとのことです。ついでに2021年は、その効果が消えて0.5%に低下です。
 これは全くの第三者機関の見通しですから特にコメントは致しません。

 日銀の見通しは、実質経済成長率と消費者物価上昇率が出されています。これはマクロモデルなどを使って算出するものではなく、日銀政策委員の方々に見通しを出していただき、最高と最低の数字をカットしたうえで、幅で示し、同時に中央値(真ん中の値)も示したものです。こちらも前回の10月の見通しから上方修正されています。

 2020年度についてみますと、
・実質経済成長率:0.8%~1.1%、中央値:0.9%(前回は0.6%=0.9%、0.7%) 
 2021年度も出されていて、更に上昇、強気です
・実質経済成長率:1.0&~1.3%、中央値:1.1%(前回は0.9%~1.2%、1.0%)

となっていて、来年度の実質成長率は、政府見通しの1.4%には及びませんが、民間シンクタンクなどの0.5%水準より大幅に高めです。
 さらに再来年の2021年度になりますと、IMFの見通しとは反対に、さらに高まっていくという見通しです。

 消費者物価についてみますと、これは中央値だけにしますが、2020年度の上昇率は1.0%、2021年度の上昇率は1.4%になっています。

 この見通しを見まして、問題は2つあるように思いました。1つは、実質経済成長の見通しが民間の見通しに比べて大幅に高いこと、もう1つは、消費者物価上昇率が政府見通し(2020年度0.8%)よりも高く、現状の上昇率0.5%程度に比べて異常な高さであることです。

 政府と日銀は、日本経済の財政政策と金融政策の責任を負う立場にあるはずです。政府経済見通しについても指摘しましたが、国民に示す見通しは、単なる願望数字ではないはずです。出したからにはそれなりの責任を持つべき数字でしょう。

この両者の出す見通しが、民間機関の見通しや、現状の数字に比べて共に異常に高いといった事でいいのでしょうか(民間が絶対正しいとは言いませんが)。
 現実の数字を、自分たちの見通しの数字に合わせてみせるという覚悟でしょうか。

 しかし、消費者物価の数字などは、本当にこの数字が実現したら、銀行預金も、年金も、実質的価値は現状より大幅に年々減価することになります。
ゼロ・マイナス金利は当分続けると言いながら、物価上昇率を高めるといった見通しで本当にいいのでしょうか。

 かつては物価の番人と言われ、円高になるほど、物価が上がらなくなるのだから円高は良い事だとしていた日銀から、国民の預貯金がマイナス金利ですべて実質目減りするような政策に変わってくるといった政策の振れの大きさについて、国民に納得がいく説明ができるのでしょうか。

 財政再建を放棄しそうな政府、金利より高い物価上昇率を推進する日銀、そんなことで、これからの日本経済、国民の生活はどうなるのでしょうか。

リビア停戦の今後に期待する

2020年01月20日 23時07分13秒 | 国際関係
リビア停戦の今後に期待する
 嘗てはカダフィ大佐のもと、建国の理想に燃えていたと思われた北アフリカの国、リビアですが、この10年ほどは内戦に明け暮れていたようです。
 そのリビアにようやく平和が訪れようとしているとのことが報道され、こうした動きが、内戦で国民が苦しむ国に伝播してくれればと思いながら、昨日のニュースを聞きました。

 もう2年半前、2017年の6月に「コロンビア発の涼風」と書きました。当時のサントス大統領の呼びかけに応じた反政府ゲリラ組織とのとの間で和平が成立、長く続いた内戦に終止符が打たれたのです。

 それぞれに状況の違いはあるでしょうが、一国の中で武力を使って相争うのは国民にとっては大変な不幸でしょう。
 リビアの場合も、カダフィ大佐が国造りに努力していたころは、「日本を見習え」と言ったことなどもよく知られていましたし、豊富な石油資源による富を活用、国民にとっては良い国だったようです。

 しかし、「権力は腐敗する」の諺通り、その後は独裁政権化し、結果は内戦となり、双方に支援国がついて、泥沼化してしまったようです。
 今回、幸いにして内戦に介入した、トルコ、ロシアの呼びかけで入った停戦状態をより確実なものにするために、停戦推進を望む独仏に関係国、国連機関の代表も含め、ドイツのベルリンで多国間協議が行われました。

 そしてその結果がメルケル首相から発表され、対立してきた内戦の双方から5人ずつで委員会をつくり停戦について話し合うということが決まり、グテーレス国連事務総長からは、双方が委員会の設置を受け入れたことが報告されたとのことです。

 今日の内戦は、必ずしも実質的には内戦ではなく、内戦の国に武器を売る国があり、またそれぞれに大国の支援がついて、紛争が助長されることが多いようです。
 それによって、内戦で使用される兵器は高度化、長期化し、内戦はますます悲惨なものになっているというのが実態でしょう。

 たとえて言えば、日本の天下分け目の関ヶ原の合戦は1日で終わりましたが、もし、東軍と西軍に大国の支援がついて、より高度は鉄砲や大砲を供給したり、軍事的支援をしたりしていたならば、日本はどんなことになっていたでしょうか。

 また、もし、死の商人といわれる武器商人がいなかったら、内戦というものの様相は全く違っているのではないでしょうか。

 その意味でも、今回のリビアの例は、世界の主要国に、地球人類の平和の在り方について、改めて考えるきっかけになるべきものではないかと思うところです。
 
 メルケル首相のリーダーシップ、グテーレス国連事務総長の的確な動きなど、トラブルシューターとしての役割は高く評価されるべきでしょう。

 まだまだ残る内戦問題、シリアやアフガニスタンなどの問題も含め、一部に「代理戦争」などと言われる内戦問題について、国連のリーダーシップを尊重し、特に大国といわれる国々に、内戦の一方を支援することではなく、和平の実現のための仲介をすることこそが、地球社会の望むところであり、長い目で見れば、最も自国の利益にもなるという事を理解して欲しいと思うところです。

一億総活躍社会に思う

2020年01月19日 21時57分59秒 | 政治
一億総活躍社会に思う
 安倍政権が「一億総活躍社会」というスローガンを掲げたのは2016年でした。
 ネットでの解説によれば、「一億総活躍社会」は2016年6月に閣議決定され、第三次安倍内閣での、アベノミクスの第二ステージの目玉という形でのスローガンだったとなっています。

 当時は、このスローガンを聞いて「本当にそんな状況になれば結構だけど」と期待半分、いよいよ国民にハッパを掛ける政策か」と批判半分という気分だったことを覚えています。
 
 アベノミクスは、3本の矢の第一の矢、金融緩和(目標は円安)の成功に乗って順調に進むという予測だったのでしょうが少し違いました。
第二の矢、財政政策は赤字財政が障害となって思うにまかせず、第三の矢の構造改革(特区の活用など)はモリ・カケ問題で混乱ばかりといった状態でした。

 安倍政権としては、何としても、国民が魅力を感じる政策を提示したかったのでしょう。しかし、安倍さんは、「絶対多数=国民の支持」と勘違いして、国民の現実の声を聴かず、「一億総活躍」も、具体策なしの、出生率1.8、介護離職ゼロ、GDP600兆円、働き方改革などと並べたのですが、残念ながた国民はついてこなかったようです。

 野党のまとまりがないお陰で、選挙には勝っても、現実に個々の政策を運営するには「国民の協力する気持ち」と、「財政の裏打ち」が必須です。

 ところが、絶対多数を持っていれば、国民の意向は兎も角、閣議決定をすれば、あるいは、国会でも強行採決すれば何でもできると思ってしまったようで(カジノは好例)、財政については「財政再建は願望だけ」と思われるような状況になってしまっては、国民は政府を信頼しなくなり、将来についいての不安をますます強くすることになってしまったようです。

 結果的に、企業・財界も「自分で自分を守る」ことに専心し、国民は将来不安に駆られて「家計の防衛、消費より貯蓄に専心」といった「守り」の姿勢ばかりが強くなってしまい、経済活動は弱気になって経済成長率は低迷になってしまったのでしょう。

 それでも、年に1回、「一億総活躍プランのフォローアップ会合」をやっているようですが、安倍さんの主要な関心は、もう改憲の方に向いてしまっているようです。

折角掲げた「一応総活躍社会」のスローガンですが、振り返ってみると、安倍政権には荷が重すぎたということだったのでしょうか。残念ながら、結局は画餅に帰していくようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<蛇足>
 これを書いているうちに「一億総・・・」という連想で、小学生(正確には国民学校生)だった頃、似たようなスローガンがあったことを思い出しました。
 「一億総蹶起」という当時の大日本帝国政府の掛け声です。いよいよ不利な戦局を何とか「大和魂で挽回」しようという事だったのでしょう。「一億総蹶起の歌」も作られました。
 リーダーになると、何時の世でも同じような事を考えるものなのかな、などと思いました。

米中競争、第1ラウンド終了?

2020年01月17日 17時50分32秒 | 国際経済
米中競争、第1ラウンド終了?
 形だけになるのか、実態の変化を伴うのか、見方はいろいろあるようですが、米中の覇権争いの第一ラウンドの関税合戦は、何となく着地に至ったように感じられます。

 結果は痛み分けということでしょうか、アメリカも中国もそれぞれの痛みを負ってさし当たっての妥協に到達です。

 背後には、トランプさんの大統領選の票読み(例えばダウ平均上昇させたいという思惑)や、中国の想定外の食糧・飼料不足といった喫緊の事情もあったかもしれませんが、もっと基本的には、米中の実体経済はリーダーたちの思っているよりもずっと相互依存を強めていたという現実があったようです。

 リーマン・ショック以降アメリカの債券・証券の信用が落ちてアメリカへの資金還流が困難になり、ならば貿易不均の是正は関税障壁でというトランプさんの覇権維持戦略(現実的には米中覇権争い)の第1ラウンドだったということでしょうが、この問題は、まだまだ長い年月をかけて、いろいろな形で繰り返されていくのでしょう。

 今回の関税合戦という第1ラウンドは、勿論まだ終わったわけではありません。アメリカの対中関税はまだまだかなりの部分が残っていますし、アメリカの知的所有権窃取の取り締まり強化(中国)なども今後の状況を見なければ解らないといった意見もあるようですから、それなりの時間がかかって漸く結果は出るということなのでしょう。

 しかし、今回の米中交渉での米中の接し方を見ると、いきり立つアメリカよりも中国の方が、大人の態度だったという印象を持った人も多いのではないでしょうか。
領土問題などでは極めて頑なな中国ですが、貿易問題では随分と冷静といった感じをうけます。

 背後には、経済も技術も急速に発展しつつあり、追いつけ追い越せの中国ですから、発展の中で解決するといった、いわば「自身の発展力」への自信もあるのではないでしょうか。

 現代の中国が「愚公山を移す」といったような超長期視点を持っているかどうかはわかりませんが、核の抑止力といった現代地球人類の絶対的な背景条件のもと、中国が、次第にハードパワーからソフトパワー重視へ進化するとすれば、これは素晴らしい事でしょう。

 とはいえ、米中の覇権争いは、今後も長期に亘って続くというのが大方の見方ですし、たとえ国連という組織があっても、覇権争いは、まだまだ地球社会の中で繰り返される問題なのかもしれません。

 であれば、米中の覇権争いにおいても、第1ラウンドの終了は、あらためて、第2ラウンドの出現につながるものなのかもしれません。

 第2ラウンドがどんな問題で、どんな形をとるのかは予測の外ですが、願わくば、双方が、ますます冷静な大人の態度を進化させていくことを願うところです。

eスポーツもスポーツなのでしょうか?

2020年01月15日 15時18分40秒 | 文化社会
eスポーツもスポーツなのでしょうか?
 随分昔の話で、ラジオだったかテレビだったか忘れましたが、スポーツについての解説の番組で、解説の人が「スポーツには『やるスポーツ』と『見るスポーツ』があります」といっているのを聞いて、「見るスポーツ」なんてあるはずないよね。それ「スポーツ観戦」でしょうと思ったことがありました。

 最近それと同じようなことを感じたのが「eスポーツ」という言葉です。
 何か変な気がしていろいろ聞いてみましたら、やっぱりコンピュータ・ゲームのことでした。

 確かに今は、あらゆるスポーツはコンピュータ・ゲームになっていて、かつての双六や野球盤は消えました。
 私も子供たちとPCでボウリング・ゲームなどをやって楽しんでいたこともありましたが、子供たちも、コンピュータ・ゲームでなくて本当のボウリング場に行きたいということになってコスト高になって参った記憶があります。

 そう考えてみると、やっぱりパソコンでボウリングをやるのは「ゲーム」、いわばスポーツのシミュレーション、疑似スポーツで、ボウリング場に行って重いボールを転がして、初めてスポーツということになるのだろうと考えてしまいます。

 しかし一方では、ゲームの世界もどんどん進歩して、あらゆるスポーツのシミュレーションから、現実ではできないような高度な格闘技などまで広範なレパートリーが生まれてきますと、ゲームの世界で競うという楽しみがますます高度化し、本格的に技を磨いてて挑戦することに生き甲斐を感じる様な水準になってきているようです。

 しかも、「e」、つまりデジタルの世界ですから、世界中で共通のゲームの技を競うことも極めて容易に可能になるわけです。
 そんなわけでしょうか、既に、eスポーツの世界大会まで生まれ、地域から国内、国際まで、多くのeスポーツの組織が出来上がっているようです。

 こうして、もう世界的に受け入れられ、プロフェッショナルも生まれ、eスポーツ人口は巨大なものになっているようですから、「あれはスポーツじゃない。ゲームだ!」といってみても始まらないのかと思い、スポーツという言葉を調べてみました。

 もちろんスポーツの発祥は、エジプトの徒競走、古代オリンピックから説き起こしてありますが、本質は「人間の体力の限界に挑む」ということのようです。
 ただ、かつては、チェスなどの盤ゲームやカードゲームを「思考力の限界に挑む」という意味で、「マインド・スポーツ」といったこともあるようです。
 
ということになると、eスポーツは「指を駆使する能力」の限界に挑むスポーツということになりますが、「指」はもともと『デジタル』の語源ですから、これは「デジタル・スポーツ」(指のスポーツ)の名が相応しいなどとも考えました。(これなら実態そのものです)

 これは冗談ですが、やっぱり「eスポーツ」は、なんとなく「スポーツ」の名にふさわしくないような気がしています。
 解説も正直で、競技会は「eスポーツ大会」などと呼びますが、一人でやっても「eスポーツ」とは言わないと書いてありました。

AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:3

2020年01月14日 12時45分41秒 | 労働
AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:3
AIがいくら進化しても雇用問題は起きないだろう。却って世の中は楽しいものになるはずですと考える根拠は、こんなところにあります。

まず第一に、AIの進化で産業のあらゆる分で、生産性向上が可能になり、結果的に経済成長が促進されると考えられること、
 第二に、日本社会は、官の政策、民の努力も含めてその生産性向上の成果を、人々の生活がより豊かで快適なものになるように配分する知恵を持っていると考えられること、
の二つが多分うまく働くだろうと考えるからです。

 第二次産業の製造業は勿論、第一次産業の農業や畜産・酪農・魚の養殖などの分野でも、第三次産業の情報・サービス分野でも、色々な変化が起きるでしょう。
差し当たってマスコミを賑わしている、AI付きのドローンの宅配分野への進出、自動運転車両の発達、自動運転の農機・建設機器などなどいろいろありそうです。

生産性向上というのは、同じ数の人間で、あるいは、もっと少ない人間で、より大きなGDPを稼ぎ出すという事です。日本はこれからはもう労働人口は殆ど増えないようですが、AI活用で、それでもGDPは成長していくことがますます可能になるという事です。

 働く人が増えなくて、GDPは増えるのですから、一人当たりGDPが増える、つまり日本人は、平均的には、より豊かになるという事です。
 これは大変結構なことですが、ここで問題になるのが、増えたGDPをどう分配するかという問題です。(「付加価値の分配」はこのブログの最大のテーマの一つです)

 結局、AI化が心配というのは、それによって 所得構造 (所得の最大の部分は賃金)が歪んで、格差社会化が進み、社会の不安定化が危惧されるという点に収斂するのでしょう。

 この点については、心配するよりも、みんなで相談することでしょう。
 例えば、政労使などみんなの意見を合わせて、あらたな豊かさ(GDP=付加価値)をどう分配するかを、確り考えればいいのです。
 これはエネルギー転換の時も、オイルショックの時も、日本はやってきた伝統を持っています。

 伝統的に格差容認の欧米流(アメリカが代表、北欧は別)の社会より、「和をもって貴し」とするとするコンセンサス型の日本社会、日本的経営の方がよほど優れているように思います。
 おそらく日本社会は、雇用重視と格差の少ない所得構造という伝統的な社会・企業文化で、この変化に柔軟に巧みに対応するだろうと楽観し、それを推進することが最も大事でしょう。

 国民経済生産性は=「GDP/ 労働者数」ですが、もう少し精密にすると=「GDP/延べ総労働時間 」です。そして、延べ総労働時間は=「労働者数×1人当たり労働時間」です。
 失業を心配するのなら、労働者数は減らさずに労働時間短縮が優先です。AI化が早く進めば、近い将来週休3日制が実施可能になるかもしれませんね。

AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:2

2020年01月13日 11時37分06秒 | 文化社会
AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:2
 前回、AIやAI組み込みのロボットの登場で、大量失業時代が来るという心配は、人間がその知恵を巧みに使えば、多分しなくて済むでしょうと考えていますと書きましたが、その基本はこんなことではないでしょうか。

 AI革命ほどではないでしょうが、かつて、石炭から石油へのエネルギー転換という時期がありました。
 炭鉱は次々と閉鎖になり、北海道から九州まで、炭鉱で働いていた人たちは仕事も住居も変えなければならなくなりました。
 電力、ガスなどの基幹産業では、原料転換で、今までの技術や熟練やノーハウが役立たなくなりました。

 日本では、政労使が協力して頭を絞り、企業の拠出金で、雇用促進事業団という政府機関を作り、職業の再訓練や働く人に地域移動などを支援し、企業は従業員の再訓練に注力しました。

勿論、こうした努力は大変重要でしたが、同時に、働く人の意識転換の大事だったようです。
 当時言われたのは、ガソリンスタンドで給油を担当している人と話したら、「ずっと炭鉱にいたけど、これからは石油の時代だね。スタンドの仕事は炭鉱より楽だし、給料も変わらないから、楽しくやってますよ。」と言っていた、などといった話でした。

 「仕事がなくなる」とはどいう事でしょうか。それは「今までやっていた仕事」が「なくなる」という事でしょう。人間社会がある限り、仕事そのものはいくらでもあるはずです。

 絶対的に減らないのは、例えば「対個人サービス」でしょう。今、介護がその典型になっていますが、人間同士の気持ちの交流がなければ成り立たないような仕事は生産性が上がりませんから、増えこそすれ減りません。

 経験的には、社会の在り方が変われば、新しい仕事はいくらでも出てきます。理由は、人間は十分わがままで、こうあってほしいとい欲求が無限だからです。

 多分、本当に心配すべき問題は、「仕事」のもう一つの側面、「所得を得るための手段」という所にあるようです。
 いわゆる高度な仕事をする人の賃金はますます高く、AI進化の結果、残る単純労働は低賃金で、賃金構造は二極分化し、格差社会化がますます進むのではないか・・・。
 実はこれがAI進化との関係で、最も心配されるところなのではないでしょうか。

 この問題さえ解決できれば、AIの進化は我々人類にとって大変望ましい楽しいことにいなるはずです。
 AIの進化と雇用問題を解くカギは、ここにあるのでしょう。そしてそれは決して不可能でも、大変難しいことでもなく、人間が冷静、かつ客観的に、先入観なしで考えていけば、十分対応可能なことのはずなのです。

 私自身は人間の知恵を信じて大変楽観的ですが、少し長くなってしまったので、次回この問題を論じてみたいと思います。

AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:1

2020年01月12日 11時03分12秒 | 科学技術
AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:1
 丁度1年ほど前、AIは人間の 脳の外付けハードディスクのようなものだと書きました。そして、人間はやりたいこと(今は出來ないが出来るようになったらやりたい事も含めて)がいくらでもあるので、人間の仕事はなくなることはないと書いています。 

 勿論、これはAIの進化で仕事を失う人が沢山出て大失業時代が来ると心配する意見が結構あるので、そういった意見に対してのものです。
 現実は、コピー機ができて清書係は要らなくなり、電卓(特に関数電卓)ができて計算係が要らなくなりましたが、失業者は増えません。

 これは、かつて「 ME化と雇用」の問題が論じられたのと基本的には同じだと考えています。
 ただ、ME化は製造現場が主ですが、AIは頭脳労働の分野になりますので、影響はより深刻になると考える方もおられるようです。

たしかに、 韓国のトップ棋士がAIには勝てないと引退したというニュースなどが象徴的に取り上げられ、将来は医者の診断や司法の分野でも人間よりAIの方が正確な判断をするのではないかなどと言われます。
 さらには手術の分野でも「ダヴィンチ」が人間より巧くやる(現状これは操作は人間で、MEの分野)などという事もあるようです。

 確かに、AI、そしてAIを組み込んだロボットの活躍は、今、人間が苦労してやっている分野の仕事をどんどん代替してくことでしょう。
 昔は関係書籍を買い集めたり、資料室や図書館に通ったり、担当官庁に問い合わせをしたりと大変だった資料集めが、AIは、現在ある情報は全部覚えていて(世界中のサーバーにアクセスできる)、その中から検索し、関連する情報を集め整理してしまうことになるでしょう。

 それを使って何をするか(立派な仕事に使うか、犯罪に使うか)は人間のやることでしょうが、資料を集めて整理する仕事はなくなる可能性大です。
 今あなたがやっている仕事は、AIやロボットが秒単位でやってしまうかもしれません。
私の仕事はAIやロボットがいくら進化しても出来ませんと自信を持って言える方は、かなり少なくなってしまう可能性は結構あるのではないでしょうか。

それではやっぱり大失業時代が来るのではないかという事になりそうだ、と言われる方もおられるかもしれません。私もそうなる可能性がないとは言えないと思っています。

 これまでも、こうした事態は避けられるのでしょうかと考えてきたのですが、結論か言えば、「社会が(人間が)、巧みに対応すれば十分避けられる」という事になるのではないでしょうか。

 このブログは、上記してあるサブタイトルのように、「人間が住む地球環境をより豊かでより快適なものにするために付加価値をどう作りどうお使うか」がテーマです。

それに従っていけば、答えに辿り着くのではないかと思っています。次回その辺りを少し具体的に考えてみたいと思っています。

2019年11月、平均消費性向反動減続く

2020年01月10日 15時41分46秒 | 経済
2019年11月、平均消費性向反動減続く
 経済が政治の影響を受けることは当然ですが、トランプさんのような不安定な気質の人が覇権国にリーダになると、その世界経済に与える影響は極端なことになりかねません。

 そんなことで、経済・経営を論じるこのブログでも、政治についての論及が必要になりますが、もともと専門領域ではないので、出来れば早く極端な政治の影響がない状態になればと願っていました。

 やっと何とか小康状態になったかと思いますが、不安は消えません。
 今回はイランの自制(トラブルシューターとしての意識と行動)が大きな効果を持ったように感じていますが、アメリカでは、トランプさんが議会の承認なく対イラク開戦をしないように、その権限を制限する決議案の採択をするようです(アメリカの良識のせめてもの表示でしょうか)。

 話は変わりますが、昨日、総務省から、2019年11月分の家計調査が発表になりました。
10月の調査では、消費税引き上げによる駆け込み需要の反動はあまり大きくないとみられるような数字でしたが、11月になっても平均消費性向への影響は残っているようです。

 例月通り、2人以上勤労者所帯の平均消費性向を見ますと、2019年11月は78.0%で、前年同月が81.7%ですから、前年同月比で3.2ポイントの低下という事になります。
 先月このブログで報告しましたように、10月の平均消費性向は対前年同月比で3.8ポイントの低下でしたから、いくらか回復基調という事かもしれませんが、消費増税の影響は続いています。

 ただし、平均消費性向=消費支出/可処分所得ですから可処分所得の方を見ますと、これは前年同月比で3.3%増えています。そして消費支出の方は(同)マイナス0.8%という事ですから、平均消費性向が下がったのは、可処分所得が増えたせいで、消費の方は前年水準に戻りつつあるという見方も(収入は増えたが消費は特に増やさなかった)可能です。

 来月は、年末商戦と消費の関係が見えてくるでしょうが、皆様のご家庭では消費支出はどうだったでしょうか。
 日本人が、「将来の心配ばかりしてもつまらない、少しは今日の生活をエンジョイすることも考えようという気分になれば、日本経済の様相も多分変わるだろうと思っています。

 来月発表の12月の結果、そして、1月からは、調査票の切り替え(調査用の家計簿の様式変更)の影響もなくなり、集計結果の調整の必要もなくなり、統計も読みやすくなるでしょうから、今後も「平均消費性向」の動きを追い続け、日本経済の先行きを、その面から読んでいきたいと思っています。