tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

所得格差と資産格差、日本の経験 1

2014年09月14日 10時51分49秒 | 経済
所得格差と資産格差、日本の経験 1
 ピケティの「21世紀の資本論」は、最大の格差問題は資産格差の拡大だとし、資産課税による格差の是正を指摘しています。
 ピケティは、資産格差の拡大は資本主義の必然として、1930年から1970にかけて、格差縮小の時期があったが、これは例外的だという見方をしています。

 こうした現象を実証して、経済が健全な活動をしていた時期を「例外」とするのも客観的かもしれませんが、「例外」という時期が数十年も続いたのであれば、そういう経済の状況を作り出せば、格差拡大は進行せず、望ましい経済が実現されるのではないか、という視点を持つことの方が大事のような気がします。

 そんな意味で、かつては世界でも有数な格差の小さな国であった日本が、今「格差拡大」に悩まされているという現実をしっかり見直してみることも大事ではないでしょうか。
 ということで、日本の経験における資本の収益率と経済成長率の経験、此の所顕著な格差拡大問題を少し見て行きたいと思います。

 戦後の日本は、地方都市まですべて灰燼で、生産された軍艦や飛行機はすべて海の藻屑と消え、生産設備や社会資本、住宅資本などはB29の空爆ですべて灰燼、蓄積資本はほとんどゼロという状態でした。

 戦後復興の中で、海外からの援助もあり、日本人の勤勉な働きの結果、資本が徐々に蓄積され、それが付加価値生産(GDP)の拡大を齎し、勤勉な労働、付加価値の生産、資本の蓄積、資本蓄積を活用した労働生産性の向上による付加価値生産の増加(経済成長)という好循環を生むことになりました。ピケティの言う例外的な時代の典型でしょう。

 しかし、その背後では矢張り、「一部に」資産価値の経済成長率を上回る上昇はありました。 私の経験で言えば、昭和32年三鷹駅南口10分の地価は坪1万円。ところが6年後の昭和38年には三鷹駅北口15分の地価は坪7万円でした。駅から徒歩5分の差があって、地価は7倍、年率38パーセントの上昇です。

 もちろん東京の通勤圏という好条件があっての事でしょうが、地価神話は始まっていました。
 しかしこの地価上昇が「日本経済の急速な発展を支えた」という点は絶対に見落としてはいけないでしょう。

 当時の企業経営の実態を思い出してみましょう。当時、企業統計の分析をして気づいたことは、企業の利益率より、金融機関の利子率の方が高いのです。それなのになぜ企業は銀行から金を借りて仕事をするのでしょうか。これはなかなか解けない疑問でした。
 長くなるので以下次回にします。