<賃金、物価、生産性、為替レートの関係の基本から>
前回はマイナカード問題を挟んでしまいました。
河野デジタル相の剛腕に丸投げして無理を通そうという政府のやり方の安易さに愛想が尽きた結果です。
今回は、物価問題に帰って5回目で、今回で纏めにしたいと思います。
4回までに書いて来た事は、すべて国内経済をベースにしたものです。しかし。今のどこの国の経済も国際的な経済変動の影響を受けざるを得ません。特に日本のような無資源国は資源を輸入しそれを加工して輸出するという形で輸出入のバランスをとらねばなりません。
その関係で起きる問題は大きく2つあります。
1つは、海外の資源価格が変動した場合の対応、2つは、為替レートが変動した場合の対応です。
先ず、海外の資源価格が変動した場合です。
下がった場合は、対応は容易ですので、省略します、
主要な問題は資源価格が値上がりの時に起きます。この場合、理論上の正解は、値上がりした分を 正確に価格転嫁していく事です。
資源価格の値上りは、値上りした分だけ日本が損するという事ですから、損した分(実質GDPのマイナス分)を日本国内でその資源の使用分に応じて皆で負担するしかないのです。
この考え方は、日本では第一次石油危機の時の失敗に労使も国民も学び、合理的な対応が出来るようになっています。
今回のエネルギー資源の高騰でも欧米は10%前後のインフレを招き、金融引締めなど苦労していますが、日本ではそうしたことは起きていません。
ネオジムなどの希少鉱物資源の値上がりの場合も、価格転嫁しつつも、日本は省資源の技術開発なども併用し、資源インフレを食い止める努力が確り行われているようです。
この問題についてまとめますと、海外資源の高騰は「世界各国共通」で、日本はその対応には巧みですから、どちらかというと「ピンチはチャンス」の国ではないでしょうか。
次に、為替レートの変動の場合です。
資源価格は世界共通の問題ですが、円レートの変動は日本だけの問題です。円高はプラザ合意(1985)の時、円安は黒田バズーカ2発(2013~14)の時で、どちらも日本は対応に失敗しいています。
ながーい目で見れば、プラザ合意で大幅な円高を強いられた経済外交の大失敗を、30年たって黒田バズーカで取り返したという意味では、黒田バズーカの実行という政策は大成功だったのです。
この30年の間に、諸外国はインフレ、日本はデフレで、プラザ合意当時の$1=240円という為替レートでの国際競争力が2014年には、$1=120円で達成できたのです。
もし、1985年から2014年まで、30年かけて円レートが240円から120円に徐々に円高になったのであれば、失われた30年は無くて、日本はずっと「ジャパンアズナンバーワン」だったという事も十分考えられます。
しかし、現実は僅か2年で円レートが240円から120円になったので、その対応に30年間苦しんで、経済も社会も大きく劣化したのです。
為替レートは1国を狙い撃ちで沈没させることが出来ますから、油断すると大変恐ろしいことになるという教訓を日本は十分学んだわけです。
黒田バズーカ後、10年程をかけましたが、急激な円安への対応に矢張り日本は失敗したようです。
円高、円安に対する賢明な対応策を日本は学んで来ているのでしょうか。
このブログでも、円高、円安になってからの対応策について種々論じてきました。しかし結局は、異常な円高、円安に「しない事」が最大の対応策だという事になるのではないかと思っています。
此の点については、改めて、経済外交の重要性、そして当面する金融政策の面も含め、取り上げる機会を持ちたいと思います。
前回はマイナカード問題を挟んでしまいました。
河野デジタル相の剛腕に丸投げして無理を通そうという政府のやり方の安易さに愛想が尽きた結果です。
今回は、物価問題に帰って5回目で、今回で纏めにしたいと思います。
4回までに書いて来た事は、すべて国内経済をベースにしたものです。しかし。今のどこの国の経済も国際的な経済変動の影響を受けざるを得ません。特に日本のような無資源国は資源を輸入しそれを加工して輸出するという形で輸出入のバランスをとらねばなりません。
その関係で起きる問題は大きく2つあります。
1つは、海外の資源価格が変動した場合の対応、2つは、為替レートが変動した場合の対応です。
先ず、海外の資源価格が変動した場合です。
下がった場合は、対応は容易ですので、省略します、
主要な問題は資源価格が値上がりの時に起きます。この場合、理論上の正解は、値上がりした分を 正確に価格転嫁していく事です。
資源価格の値上りは、値上りした分だけ日本が損するという事ですから、損した分(実質GDPのマイナス分)を日本国内でその資源の使用分に応じて皆で負担するしかないのです。
この考え方は、日本では第一次石油危機の時の失敗に労使も国民も学び、合理的な対応が出来るようになっています。
今回のエネルギー資源の高騰でも欧米は10%前後のインフレを招き、金融引締めなど苦労していますが、日本ではそうしたことは起きていません。
ネオジムなどの希少鉱物資源の値上がりの場合も、価格転嫁しつつも、日本は省資源の技術開発なども併用し、資源インフレを食い止める努力が確り行われているようです。
この問題についてまとめますと、海外資源の高騰は「世界各国共通」で、日本はその対応には巧みですから、どちらかというと「ピンチはチャンス」の国ではないでしょうか。
次に、為替レートの変動の場合です。
資源価格は世界共通の問題ですが、円レートの変動は日本だけの問題です。円高はプラザ合意(1985)の時、円安は黒田バズーカ2発(2013~14)の時で、どちらも日本は対応に失敗しいています。
ながーい目で見れば、プラザ合意で大幅な円高を強いられた経済外交の大失敗を、30年たって黒田バズーカで取り返したという意味では、黒田バズーカの実行という政策は大成功だったのです。
この30年の間に、諸外国はインフレ、日本はデフレで、プラザ合意当時の$1=240円という為替レートでの国際競争力が2014年には、$1=120円で達成できたのです。
もし、1985年から2014年まで、30年かけて円レートが240円から120円に徐々に円高になったのであれば、失われた30年は無くて、日本はずっと「ジャパンアズナンバーワン」だったという事も十分考えられます。
しかし、現実は僅か2年で円レートが240円から120円になったので、その対応に30年間苦しんで、経済も社会も大きく劣化したのです。
為替レートは1国を狙い撃ちで沈没させることが出来ますから、油断すると大変恐ろしいことになるという教訓を日本は十分学んだわけです。
黒田バズーカ後、10年程をかけましたが、急激な円安への対応に矢張り日本は失敗したようです。
円高、円安に対する賢明な対応策を日本は学んで来ているのでしょうか。
このブログでも、円高、円安になってからの対応策について種々論じてきました。しかし結局は、異常な円高、円安に「しない事」が最大の対応策だという事になるのではないかと思っています。
此の点については、改めて、経済外交の重要性、そして当面する金融政策の面も含め、取り上げる機会を持ちたいと思います。