tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

今やアメリカは独裁国に?

2019年01月31日 22時53分56秒 | 国際関係
今やアメリカは独裁国に?
 戦後の日本は、好戦国という評価を払拭し、戦争をしない、世界平和を希求する国に生まれ変わるために、また、経済的にも豊かな国に脱皮していくために、いろいろな事をアメリカから学んできました。

 国にとっても、企業にとっても、家庭にとっても、アメリカン・ウェイ(オブ・ライフ)は、いわば「坂の上の雲」だったのではないでしょうか。

 今でも安倍政権は、アメリカとの盟友関係を最も大事にしているのではないかと思っています。

 そのアメリカも随分変わりました。統計数字の上では、世界で最も豊な大国のであり、経営においてはGAFAが生まれる国であり、世界最多と言われる先進技術を持ち、金融制度でも世界をリードする存在です。

 政治的にも、日本が目指す保守2大政党が安定した形で存在し、政権交代も時に応じて行われ、しかもアメリカとしての基本線はぶれないと思われて来ました。

 ところがトランプさんが大統領になって、アメリカはすっかり変わってしまったようです。トランプさん1人の力で変わったのか、アメリカの過半数の国民の意識が変わったのか解りませんが、今日のニュースで、みんなびっくりしたのではないでしょうか。

 共和・民主両党の議員(有志?)が、「在韓米軍の撤退を禁じる法案」を議会に提出したという事です。
 狙いは、近く行われると予想される2回目の米朝首脳会談で、トランプ大統領が、突如として在韓米軍の撤退などと言わないように牽制するためという事です。

 途上国などに見られる独裁国では、首脳が自分の思い込みで、勝手な発言をすることはありうるかもしれませんが、与野党が手を携えて、大統領が外国に行って唐突な発言をしないように、急遽議会に法案を提出するという事態が、アメリカで起こったのです。

 そんなことが起きるアメリカは「成熟した民主主義国」なのでしょうか、それとも「大統領独裁の国」なのでしょうか。

 在韓米軍の撤退が、アメリカにとって、また世界にとって、良いのか悪いのかや、また、この問題の今後の展開などについては、私などの判断や予想のずうっと外の問題ですが、今日のニュースには、世界中でも多くの人が、「アメリカは一体どうなっているのかな」と訝るのではないでしょうか。

 同盟国の日本としては、盟友アメリカに対して、いろいろと心配しなければならないことが増えていかなければいいと思うのですが・・・。

統計不祥事の根底にあるもの

2019年01月30日 22時06分49秒 | 政治経済
統計不祥事の根底にあるもの
 国を運営する基本的なデータとなる統計で、統計の生命線である信頼性を揺るがすような問題が発生しています。
 日本の統計の信頼性や使いやすさは世界に冠たるものと思っていた私などには大きなショックです。

 統計の誤りは速く直さないと国政の根幹にさえ関わります。中には結果は正しいので大丈夫という説明のものもありますが、結果オーライではやはり今後が心配です。

 マスコミなども厚労省批判一色ですが(もちろん厚労省が悪くないとはいいませんが)、厚労省だけを責めてみても問題は解決しないでしょう。

 問題の根は大きく3つほどあるように感じています。
① 統計調査に回答する企業サイドの問題
② 統計調査を担当する官庁の現場の問題
③ 統計行政を元締めである総務省の問題
この3つが揃って初めて信頼できる統計の作成が可能になるのでしょう。

 第一の問題は、調査対象企業の問題です。督促しても回答してくれない企業が増える傾向にあるようです。基幹統計は回答しないと罰金が科されますが、回収に苦労していることは関係省庁の資料からもうかがえます(統計調査員に督促の権限を持たせよなど)。
 企業が手早く真面目に回答すれば、統計調査の生産性は大きく上がるでしょう。これは経団連をはじめとした経済団体などによる官庁統計には率先して積極回答すべしといった啓蒙活動も必要かもしれません。

 第二の問題は、統計調査員の専門誌を高めること。正確な統計が国の運営の基本であるという意識を徹底することでしょう。毎勤統計の今回の問題の核心は「サンンプル調査を全数調査として扱って(報告して)しまった」ことでしょう。
 統計についての確りした知識・意識があれば、それがどういうことか解るでしょうし、解っていれば、今回の様な事は起こりえないのではないでしょうか。

 第3の問題は、総理府の管轄と思いますが、デジタル時代の今も、紙と鉛筆、「実地他計」「実地自計」などという形がまかり通っている事のようです。
 オンライン利用による回収の効率化、回収率の向上などの論議はあっても遅々として進まないのは何故でしょうか。
 賃金構造基本統計調査でも、未だ「郵送が問題だ」になっている状態です。

 いちいち人間が行き来するのが最も手間もコストもかかるでしょう。抽出でも適切な結果が得られるのになぜ悉皆にこだわり続けるのか、やり易くしてもらえないのなら勝手に内々でやるか(試行の名目で)といったような、連携の不足による手抜きの誘発、それに統計の知識の不足が絡む、といった感じがどうしても拭えません。

 繰り返しますが、正確な統計は国家存立の基本です。政府も企業も、利用する方だけでなく、調査の段階に携わる方においても、この重要な「統計についての意識」をまず身に着けることが、統計に携わる基本ではないでしょうか。上記の三者の良好なコミュニケーションなくして、正確な統計は作成できないように思っています。

2019年春闘:労使の課題・政府の課題

2019年01月28日 18時23分43秒 | 政治経済
2019年春闘:労使の課題・政府の課題
 今日は経団連主催の2019「労使フォーラム」の第1日、いよいよ2019春闘もキックオフという所でしょうか。国会も始まりましたね。
 1月13日にも触れましたが、労使が本気になって頑張れば、日本の経済・社会はいくらでも良くなると考えています。

 その中心にある基本的課題は「生産性の向上」でしょう。そして、生産性向上は、労使が本気で手を染めなければ決して出来ない問題です。
 政府に出来るのは、そのための環境改善です。2019春闘では、いわゆる「官製春闘」が色あせてきましたが、それだけ労使の自主性、真剣さが見えてきたという事ではないでしょうか。

 経団連は「働き方改革」ではSociety5.0を掲げ、連合は、生産性3原則をモットーに、労使の協力により生産性の向上、そして、サプライチェーン全体への成果の適切な配分を謳っています。

 この所、社会のあらゆる面でAIなどを活用した技術革新の波が押し寄せていますが、これからのプロセスでSciety5.0の中身は次第に具体的に見えてくるでしょうし、産業社会の高度化の成果が、サプライチェーン全体に適切に配分されれば、格差の少ないバイタリティーに溢れたかつての日本型の成長社会の実現も決して不可能ではないでしょう。

 この際、政府に期待したいのは、「少子高齢化社会ペシミズム」を煽ることをやめ、すでに一昨年の春闘以来労使が踏み込んでいる「 少子高齢化をチャンスに変えよう」という姿勢を見習う事ではないでしょうか。

 その為には政府は「自分こそが正しい」と考える困った「思い込み」を卒業し、政府の仕事の顧客である国民、生産面では「産業の労使」、消費面では「生活者・家計」の意見を御用聞きのように良く聞くべきでしょう。そしてそれを最大限忖度して政策を考える、という態度が必要なのではないでしょうか。

 冒頭にも書きましたように通常国会も今日からです。しかし 働き方改革も、 財政再建・プライマリーバランス回復も、今の政府の方針ではとてもうまく行かないようです。
 国会で出てくるのは、総理に関わるモリ・カケの様な無駄な混乱、行政の忖度問題や不正や不注意によって発生する困った問題などなど、通常の神経では、これが国会?と思うような理解不能な問題での応酬など、日本経済・社会の成長発展とはまるで関係ないことだらけです。

 典型的な問題を1つ挙げれば、政府がいかに春闘に介入しても、1800兆円の個人貯蓄を持つ日本の国内需要不足による経済の停滞が一向に改善しないことです。
 なぜ国民が、家計が、消費をためらうのか、アベノミクスでは答が出ていません。
 政府には、賃上げ奨励ではなく、国民の本当の気持ちをよく聞いてほしいと思っています。

人間とAIの関係:AIは脳の外付け記憶装置の進歩

2019年01月26日 11時52分00秒 | 社会
人間とAIの関係:AIは脳の外付け記憶装置の進歩
 AIの進歩で大失業時代が来るなどという意見があったりします。
工場でもオフィスでも、人間がやるよりAIのほうがずっと効率が上がるという事で、人間の仕事がなくなり、大失業時代が来るなどという将来予測です。

 でも、本当にそうなるでしょうか。これまでも科学技術はどんどん進化し、人間がやっていたことが機械に置き換えられてきていますが、人手不足は深刻です。
 いや、今迄のメカトロニクスとAIは違う、AIは人工知能で、本当に人間の代わりが出来るだけではなく、人間以上に役に立つからだ、という事のようです。

 でも本当に人間のやる仕事はなくなるのでしょうか?私はそんなことはないと思っています。
 理由は、人間(あるいは生物すベて)の存在の所以(ゆえん)とAIの存在の意味・意義(あるいは役割)が全く違うからです。

 人間は、脳が他の生物に比べて異常に進化しているために、生物本来の目的である本能の領域を越えて、多様な欲求を持つようになりました。
 人間以外の動物は(植物も)自分自身が確り生きることと子孫を残す事しかしていません。
 
 自分自身が確り生きることも、子孫を残すために必要なことですから、つまるところ生きている目的は「種の保存」に収斂していきます。
 多くの解説では、「子孫を残すためにこうしています」と人の気持ちになぞらえて説明していますが、それは単に結果で、種の保存をしない生物は生き残らないので、結果的にいまある生物だけが存在しているという事でしょう。

 人間もそうして生き残った結果の存在ですから、基本的には同じ事をやって来たのです。
 しかし人間の脳は異常に発達して、知識の蓄積が出来、本能を意思と感じる機能を持っていますから、種の保存のために多様なことをやるようになったのではないでしょうか。

 人間のそうした能力が、本能を意思として、個体自身の確りした生活、種の保存を一層確実なものにすることに、進化した脳を使うことになっているのでしょう。
 脳に知識を蓄積することによって、人間は地上最強の存在になって、「いわゆる」生存競争に勝ち残っています。

 ところでAIです、AIとは何でしょうか。AIは種の保存には直接関係ありません。勿論種の保存の本能はありません。しかし、間接的には大きな役割を果たします。
 もともとは蓄積して知識や技術を使うことで、個体の生存期間も延伸でき(医療など)生殖期間も長期化、個体の競争力を強めるために、経済活動を活発化し、豊かさが個人的にも社会的にも有利な種の保存環境を可能にします。

 電卓も疾うに人間の計算能力を超えました。私も経済成長や金利計算で累乗根を使って計算し説明をしますが、電卓なしには不可能です。
電卓が電子計算機になり、パソコンになり、スマホも出来て、何十人、何百人の顔を一瞬にして指定識別したり、膨大な過去の記録の中から、必要なものを即座に表示したり、マネーゲームを他人より早く確実にやったり、人間の推論より確実な推論をやったり(碁将棋など)人間より頼りになるなどと言われたりします。

 人間は、忘れたり、うっかりしたりしますが、AIは記録したものは忘れません、電子のスピードで確実にすべてを検索します。
 目的を明確に指示すれば、可能な限りその答えを探します。そしてその可能性はAI技術の進歩とともに人間にはとても出来ない所まで行くのでしょう。

 それなら人間のやることがどんどん減るではないかという見方もあるかもしれません。しかし、個体の確実な生存、種の保存の本能(意識)を持っているのは人間で、人間は家族を創り社会を創り、国を作って生存競争をする存在です。

 競争社会では、人間は(競争に勝って)種の保存により良く成功するために常に努力します。単なる種ではなく、それは家族、国にまで拡張されます。
 結果的に、原始の種の保存の本能と言われるものは宇宙空間にまでその競争の範囲を拡大し、食糧生産においても自然の生殖(再生産)能力を知識・技術を活用して拡大し、個体においては、医療、介護、メンタルヘルスの医学的、技術的、進歩を要求し、健康寿命の延伸にAIの活用を目指し、どこまでも限りなく進むのでしょう。

 そのためにやらなければならないことは無限にでてくるのでしょう。人間のやることは増えこそすれ減ることはないのでは、と考えていますがどうなのでしょうか。

日ロ首脳会談の不毛

2019年01月23日 23時57分02秒 | 国際関係
日ロ首脳会談の不毛
 昨1月22日に行われた安倍・プーチン会談は25回目だそうですが、両首脳がにこやかに握手したテレビの画面とはうらはらに、結果は、新しい進展は見られなかったという事のようです。報道も少しですね。
 それだけではなく、北方4島の問題の膠着状態は一層ひどくなりそうな感じです。

 会談終了後の共同記者会見で、安倍首相は「私とプーチン大統領のリーダシップで、相互に受け入れが可能な解決策を力強く進めていく決意を確認した」と言いましたが、プーチン大統領の方は、これから多くの困難な問題があるといったようです。

 前回、プーチン大統領が、「まず平和条約を結ぼう、そうすれば問題解決はスムーズになる」という趣旨の思い付きを言った雰囲気とは全く違って、北方4島についてはほとんど触れられなかったという事のようで、日本にとっては「新規蒔き直し」といった所になってしまったようです。

 すでにこのブログで触れましたように、財政不如意のロシアは国後・択捉などの開発促進の経済的負担はかなりの重荷でしょう。
 なんとか経済協力、共同事業といった形で日本からカネを引き出したいと考えるのは当然です。
 しかし2島でも返還となれば、足元のデモはどうなるじゃわかりませんし、また、当然のこととして、返還すれば、日本としては、アメリカが基地を作るといった時「断れない」という判断をしているでしょう。現実に辺野古問題を目の当たりですから。

 相手は、クリミヤの併合を平気でやってのけるし、政敵は徹底して封じ込める現政権のロシアです。日本の常識や誠実さが通用するかどうかはかなり疑問です。
 経済協力プランや民間の共同プロジェクトはロシア側が喉から手が出るほど欲しいのでしょうから、日本側がOKすれば進むでしょう。

 しかしそれが北方領土問題の解決につながるかどうかは予想の外の問題ではないでしょうか。
 すでに安倍政権は歯舞・色丹の2島返還でという意向を持っていると思えるような様子も見られますが、「二島を追うものは1島も得ず」などと茶化す意見もあるようです。

 最近の状況を見ますと拉致問題にしても進展は見られませんし、中国や韓国との関係も何か以前よりこじれることが多いように感じます。
 経済協力で相手に喜ばれることはあまり難しくはないようですが、相手の行動を正そうといった外交交渉になると、そこまでの外交力、交渉力は、どうも日本は不得手なようです。かといって自衛力を増強すれば、その力が付くという事でもないようです。

 やはり日本は、経済や技術や文化といった自身の得意技に磨きをかけ、世界に貢献することによって、立派な国として認められるといった地味ですが本当は一番大事という行き方が合っているようい感じられますが、それでは損ばかりでしょうか。

さて、次の元号は

2019年01月22日 23時29分03秒 | 社会
さて、次の元号は
 何時からそうなったのか知りませんが、日本の元号は江戸時代からずっと中国の古典、四書五経などから引いてくるというのが慣例になっているようです。
 明治の由来は「易経」
 大正の由来は同じく「易経」
 昭和の由来は「書経」
 平成の由来は「書経」/「史記」
といった具合です。

 もともと漢字は中国から来たものですし、遣唐使の昔から中国は日本の先生でした。
中国の歴史に学び、四書五経を素読し、中国の詩歌を知ることが教養の高さに通じ、更には、世間のあらゆる場面での言葉や行動に中国の諺を生かすことで、世の在り方を判断するというは、日本人の骨の髄までしみ込んだ文化という事のようです。

 このブログでも、安倍総理の出身大学「成蹊大学」の名前の由来が、「桃李言わざれども下自ずから溪を成す」から来ているのだから、安倍さんは多分「李下に冠を正さず」という諺をご存知だろうなどと書きました。

 ところで、平成の次の元号は新天皇即位の1か月前の4月1日に発表されるという事のようですが、今度もまた中国の古典から引いた元号を検討しているのでしょうか。
 最近の世界を眺め、つらつら考えてみれば、これからも元号は中国の古典から引くという事を続けていくというのは、何か大変奇妙な状態というようにも考えられます。

 一方では元号などはなくても、西暦に統一したほうが合理的でいいではないかといった意見も少なくないようですが、今の状況では多くの日本人は、元号があることを当然と思っているようで、急になくすことなどは考えられないという気持ちでしょう。

 「明治は遠くなりにけり」とか「大正デカダンス」とか「昭和もすでにレトロに」など、多様な情緒的表現を好む日本人には、元号は格好のものなのかもしれません。

 いずれにしても、4月1日には「エイプリル・フール」ではなく、本当に次の元号が決まることになるのでしょうが、あえて言えば、もうそろそろ中国の古典にこだわらずに、記紀や、万葉集、17条の憲法などの日本の古典や、そうでなければ、全く新しい発想での元号の制定があっても、それもまたいいのではないかなどと思うところです。

 このブログを読んでくださる皆様は、どんなお考えを持ちなのでしょうか。

本音だけでは世の中は分断、分裂、喧嘩に・・・

2019年01月21日 23時37分49秒 | 社会
本音だけでは世の中は分断、分裂、喧嘩に・・・
 星新一のショートショートの中に、この頃は皆鳥の形をした帽子を被って、知った人に会うと内心「いやな奴に会った」と思っても帽子の鳥が愛想よく挨拶をしてくれるようになっているといったのがありました。
 お蔭で、本音を言わなくてすくむという事で便利だという事を理解しました。

 「嘘は罪」という歌がありますが、嘘には「罪になるような嘘」と同時に「人間関係の潤滑油になるような嘘」もあるのでしょう。
 最近の世界情勢を見ていると、そんなことをつくづく感じることが多くなりました。

 SNSの様なものが世界的に広がり、匿名性も手伝って、人々が軽い気持ちで自分の本音を正直に(些か過激に)言い始めたからでしょうか、聞きたくないような言葉が電子媒体の中にいっぱいです。その時に思っていることを「そのまま」(感情の赴くままに)表現するとこんなことになるのでしょうか。

 そしてだれしも、こんなにはっきりと誹謗や中傷、悪口、憎しみや怒りを表現出来たら気持ちがいいだろうなという思いもどこかに少し持ちながら、こんなことを言い合っていたら、社会は成り立たないなというSocial Animal としての人間のバランス感覚に照らして、恐らく多くの人は、やっぱり「困ったことだ」と判断することになるのでしょう。

 しかし状況は楽観を許さないようです。トランプさんが「民主党は犯罪者の党」(Democrats,Party of Crime)と言ってみたり、セクハラ発言を平気でする人がブラジルで大統領になったり・・、これは社会の上層部の話ですが、巷ではヘイトスピーチがはやったり、ネット上ではむきだしの悪口雑言が氾濫しています。

 紳士の国イギリスでもEU離脱の賛否の論争などや、またフランスのガソリン値上げ反対のデモなどをテレビで見ていますと、その時の感情を自由に表出させて、自分の思う本音だけを主張する姿が、何か知性の低さを連想させるような場面に往々ぶつかり、いわゆる先進国の人間もここまで堕ちるのかと空恐ろしくなったりします。

 翻って、日本人はそこまでやらないのではないかと思いたいところですが、日本人も少しづつ変わってきているのでしょうか。
 和をもって貴しとする日本人が、本音だけを言うようになったら、「和」はどうなるのかななどと心配しながら、ついついこんなことを書いてしまいました。

消費物価指数は安定、中身を見ると結構面白い

2019年01月19日 22時24分49秒 | 経済
消費物価指数は安定、中身を見ると結構面白い
 一昨日、2018年12月の分の消費者物価が発表になりました。家計にとっては有難い事に、あまり上がっていません。前年同月比で0.3%の上昇です。
 総合0.3%、生鮮食品を除く総合0.7%、生鮮食品とエネルギーを除く総合0.3%です。

ここから分かることは、12月は、生鮮食品が上昇率をうんと押し下げたこと(2017年の12月は生鮮食品高騰、2018年12月は安かった)、エネルギー価格は平均並みの動きだったという事でしょう。

 年間平均の動きを見ますと、2016年は-0.1%、2017年0.5%、2018年1.0%とだんだん上がっているように見えます。
 しかし、上がり下がりの大きい生鮮食料品、エネルギーを除くと、この3年間は0.6%、0.1%、0.4%の上昇で、基調的な物価上昇は政府・日銀の2%目標には全然届きません。
 日銀は仕方なく(?)昨日今年以降の物価上昇率の予想を引き下げています。

 そんな状況の内部を、グラフで見ると結構面白いので見てみたいと思います。
消費者物価指数、総合、生鮮食品、エネルギーの動き(2017年~2018年

 まずここ2に年間の総合物価と生鮮食料品、エネルギー価格の動きを月次で見てみます。(基準は2015年平均=100、グラフの数字は指数から100を引いたものですから、2015年平均に比べてその月は何%上がっているかを示しています。)
 青線の総合は微かな上昇傾向、緑線のエネルギーは顕著な上昇傾向、赤線の生鮮食品は乱高下ですが、安い時は総合の所に戻ってきます。

 生鮮食品はご覧の様に天候などで乱高下しますし、エネルギー価格は世界情勢などで動きますので(この2年はほぼ上昇基調)、これらに影響されない物価の基調的な動向ということで、「生鮮食品とエネルギを除いた総合」が、インフレ目標などの政策に使われるわけです。

 ところで、消費者物価指数はウェイト合計が10000で、その内、食品のウェイトが2623で中分類中最大です(家計が月に1万円使うとすれば、そのうち2623円が食費=エンゲル係数に当たる=という意味です)。その中で、生鮮食品のウェイトは414、因みにエネルギーのウェイトは784です。

 そこで、家計にとっては毎日食べる各種食品の価格の動きが一番身近ですが、ついでにその食品の中をちょっと見てみましょう。
消費者物価指数、菓子、調理食品、外食の動き(2017~2018)


 毎日という意味で、お総菜などの調理食品、菓子、外食について同じように指数の動きを見てみますと、菓子類は割合変化が大きく、調理食品は生鮮食品を材料にするものも多いかと思いますが割合安定、最も安定しているのは外食です。

 菓子類と調理食品は、昨年1月前後と夏から秋にかけての生鮮食品の高騰の影響を受けていることが多少とも窺われますが、外食の動きは殆どブレずにゆっくりとした安定上昇です。こうした動きの違いの理由の検討も面白いかもしれません。

 ところでこうした動き、新聞の折り込みチラシに敏感な家計の感覚とうまく合致しているでしょうか。




改めて統計調査の重要性の再認識を

2019年01月17日 20時26分06秒 | 労働
改めて統計調査の重要性の再認識を
 このブログでもよくグラフを出します。数字も並べることが多く、出来るだけご理解いただけるように並べているつもりですが、如何でしょうか。

 その中でも統計数字の「在り方・使い方」について書いたのは、2つで、1つは裁量労働にについて政府の出した数字が出鱈目だった時、「 統計調査の重要性の再認識を」を書きました。その時の趣旨は、ああした「業務統計」の様な不確かな物を法律制定の根拠にするのは止めるべきだという趣旨でした。

 その時は、基幹統計の様な母集団が決まっていて、統計理論によって信頼性が確保されているもの(誤差率の範囲が推定可能)なら間違いないが・・・、と言う趣旨でした。
 2つ目の今回は、その基幹統計、「毎月勤労統計」に 誤りがあったという事態が起きてしまったという事になるようです。

 昔の総理府統計局、今の総務省の担当局は、統計理論の専門家を十分に擁しているはずです。間違いなど起きるはずがないのになぜ起きたかを追ってみましたが、これは、統計理論に関わるような高度なものではなく、実は、ごく単純な関係部署間の連絡ミスか手抜きの結果だったように思われます。

以下は、これまでの報道から得られる情報を使った、多分こういう事だったのではないかというこのブログとしての推論です。(「毎月勤労統計問題は整理できなくなりました」(1/11付参照)
 
 報道によれば、東京都の500人以上に事業所は数が多いから、サンプリング調査で十分正確な数字が出るから、事業所にも手数をかけ、事務処理も大変な全数調査からサンプリングに変えてもいいと総務省は考え、統計理論によって抽出したサンプルを提示したようです。

 しかしそれを正式に認めてもらうのが大変だったからでしょうか、2015年以降「内々でやっていた」ようです。そのリストは厚労省に行き、実際に調査を行う東京都に行き、その通りに調査され、その数字が調査結果として出てきたときに、(全数調査を黙ってサンプル調査にしたものですから)どこかの段階で全数調査として報告していたのでしょう。

 本来なら、1400ある事業所のうちの500事業所だけのサンプル調査ですから、事業所数を1400社に復元して報告すべきだったのです。
 受け取った方の統計処理では、全数調査で500事業所ですから、東京都の従業者500人以上の事業所は500だという統計処理になります。結果として900の事業者が統計から落ちたのです。

 東京都の500人以上の事業所はおおむね賃金水準は高いですから、高い900事業所が抜け落ちた集計結果の平均賃金水準はその分低くなります。
 それを基準にした失業給付や労災給付が低くなるという事になり、差額をこれから支払うことになるわけです。

 官房長官は違法の疑いと言いましたが、法律に違反して、サンプル調査にしたのであれば、サンプル調査にしたのですから1400事業所に復元する手続きも法律違反でやっていれば、「毎月勤労統計」の連続性は担保され、遡って、追加給付といった事は起きなかったことでしょう。

 統計理論的には十分可能なことを、何故、正式な手続きをとらずに内々でやっていたのか。正式な手続きが大変だったからでしょうか。
 その嘘が全数調査という嘘を呼び、嘘の連鎖の結果が大変なことになったという事と思うのです。
 最高の厳密さを必要とする官庁統計に関わる部局で、こうしたことが起きるという現実をどう理解すべきでしょうか。

マスコミはペシミスト? 厚労省の「雇用政策研究会」報告

2019年01月16日 16時08分39秒 | 経済
マスコミはペシミスト? 厚労省の「雇用政策研究会」報告
 昨日、厚生労働省の「雇用政策研究会」が2040年の労働力の状況(就業者推計)の数字を発表したとのことです。

 報告書が手に入らないので、マスコミの報道を見るよりしょうがないのですが、多くの見出しは「就業者2割減」(2017年比)といったものが多く、何か日本経済が2割ほど悪くなるような印象を与えるものでしたので、そんなものに振り回されない方がいいと思い、このブログでは取り上げてもしょうがないと思っていました。

 しかし座長が慶応大学の樋口先生とあったので、それならきちんとした物だろうとマスコミの記事を見てみましたら、悲観的なシナリオから楽観的なシナリオまであることが解りました。

 考えてみれば、マスコミは鬼面人を驚かすことが大事という面もありますので、最も悲観的な面を出してびっくりさせる、警鐘乱打という役割をもって任じているのかと思いました。

 しかしもう少し考えると、今日本人は先行き不安に必要以上に悩まされていて、典型的には消費行動の停滞にそれがてきめんに表れ、日本経済の不信につながっているという面が否めませんので、明るい面を強調してびっくりさせる方がいいようにも思います。

 外人労働力受け入れの拡大は入っていないという事なので、受け入れ拡大の政府の政策でという考え方も有りえますが、就業者2割減というのは、経済不振で仕事がないからという事の様なので、外人労働力受け入れの応援ではないようです。

 というのは楽観的なシナリオでは、高成長で、生産性も順調に上昇するという前提で、就業者の減少は8%ほどで、メノコで計算しても、少し頑張ってもう少し生産性を上げれば、バランスが取れるような感じですので、今回の推計をベースに、「明るい日本経済の将来像」を考えることも可能のように思われます。

 報告書が手に入らないので、確り読み込んでいない段階で勝手なことを言って申し訳ありませんが、こうした報告書の発表についても、取り上げるマスコミにおいても、今の日本社会に必要なことはペシミスティックな側面を強調するより、明るい可能性があることを知らせてほしいなと考えいるものですから・・・。

 現政権そのものが、国民の生命財産を守ると言いながら、国民の将来不安を深刻化させるようなことが多い中ですが、少し明るい面を強調する方が、日本の将来にいいような気がしています。理由は、日本人には問題を乗り切る能力は十分あると思うからです。

平均消費性向下げ続く2018年11月家計調査

2019年01月15日 10時44分10秒 | 経済
平均消費性向下げ続く2018年11月家計調査
 総務省の2018年11月分の家計調査が発表になりました。早速気になっていた勤労者所帯の平均消費性向の数字を見てみましたが、残念ながら前年の同月と比較すると低下でした。家計の節約傾向は基調的には変わっていないようです。

 改めて、平均消費性向の推移を2017年と2018年を並べてグラフにして見ました。
 結果はご覧の通りで、1月に前年同月比上昇で、これは変化の兆しかと思わせましたが、全くの糠喜びで、2月以降、対前年同月比は低下となり、8月、9月微かに前年比上昇の気配が見えまあしたが、先月報告したようにまた1.9ポイントの低下、そして11月も引き続き1.7ポイントの低下です。

 8月9月の微かな上昇はともに0.5ポイントでしたから図でご覧の様に目立つほどではありませんが、安定した景気状況が続けば、消費性向も回復するというようにも読み取れます(些か甘すぎますでしょうか)。
 10月以降は米中関係も怪しくなって、日経平均も下げ、今回の景気もそろそろ頭打ちかといった様相が見えたことも影響しているのでしょうか。

 消費税の増税も、軽減税率ばかりが取り上げられ、消費税増税分は総て社会保障に使うという「税と社会保障の一体改革」の方針はどうなっているのかは解らず、家計の将来不安の改善の様子は見えてきません。

 この歳末、新年にかけての商戦も、あまり景気の良い話は聞かれませんでしたが、来月以降発表になる12月、1月の動きがどう動くでしょうか。
今後の景気動向は「内需拡大」特に「消費支出の動向」にかかっていると言われるだけに、まだまだ消費性向の動きへの注目は必要なようです。

2019春闘:より良き労使関係・労使交渉への進化を

2019年01月13日 16時20分34秒 | 労働
2019春闘:より良き労使関係・労使交渉への進化を
 今年もいよいよ日本的労使関係の中核をなす「春闘」の時期に入ります。
 戦後の労使関係の進化が日本経済の健全性を支えてきたことを、このブログでは 折に触れて述べてきました

 戦後の混乱期から1980年代「ジャパンアズナンバーワン」と言われた45年ほどの間に、日本の労使関係は労使のwin=looseの関係からwin=win の関係に 進化してきたと考えています。

 プラザ合意後のバブルや円高に耐えて、日本経済を破綻させずに此処まで持ってこられたのは安定した労使関係があったからという要素は大きいと思います。

 プラザ合意以降の円高によって強いられた長期不況の中で、労使関係は死んだとか、春闘終焉とか言われましたが、円レートの正常化とともに復活した春闘は、改めてさらなる進化を遂げていくのではないかと期待しています。

 この5年ほどは、こうした日本労使関係の歴史を知らない(?)現政権が「官製春闘」などと揶揄されるような干渉を続けてきましたが、2019春闘は、労使交渉・賃金決定は労使の専権事項という本来の姿に戻そうとする労使の意欲が見られます。

 加えて、今後の春闘の在り方を考える中で、注目すべきはトヨタ労連のベア要求を中心に置かないという考え方です。
 昨年の春闘でのトヨタの会社側からの平均賃上げ額を明示しないという方針との関係は外部からは解りませんが、一律の賃上げ額や賃上げ率を掲げ「みんなで一緒に(おててつないで)」と言われた春闘方式を卒業しようという試みでしょうか。

 トヨタ労連の言によれば、平均何%を獲得したが、その配分は会社任せ、という事では労働組合の責任は果たせない、「格差問題への対応は不可能」という事でしょう。
 連合の主張する「サプライチェーン全体への適切な配分」という視点から言えば、労働国合として、そこまで踏み込むというのは、大変だがやらなければならにという認識でしょうか。

 労働組合の団結と元気を示そうという立場からは、3000円という金額を旗印に「頑張ろう」というアプローチもあっていいと思いますが、より肌理の細かい分配問題にも政策の重点を置くというのは、労使関係の新たな進化とも見られるものでしょう。

  人事・賃金制度を管理し、配分の問題は任せてほしいと考える企業側が、最終的の如何なる反応を示すかはまだわかりませんが、労使関係が、企業経営、それも一企業を越え企業規模も超えてグループの賃金配分にまで及ぶ可能性が出てくるとすれば、さらなる注目が必要の様な気がします。

 今後も日本経済の健全な成長を担う大きな力の1つである労働組合の動き、春闘の在り方には、今春闘の行方も含め、多様な議論が確りとなされることを期待したいと思います。

毎月勤労統計問題は整理できなくなりました

2019年01月11日 17時28分35秒 | 労働
毎月勤労統計問題は整理できなくなりました
 昨年の春に気が付いた 平成30年に入ってからの賃金上昇率の高まりの原因を統計の扱い方の中で説明しようと思って試みましたが、結果は統計理論とは別のものだという事になるようで、「整理」は不可能のようですので、統計的整理は止めます。
 
 未だ厚労省から正式な発表はありませんが、現状、報道されている中から、こんなことが原因で、誤った統計数字(統計誤差ではありません)になっていたらしいという事だけ纏めておきたいと思います。

 推論の根拠となったのは、毎勤統計のデータを使った結果、失業保険や労災保険の給付が過少になっており、厚労省してそれは過去にさかのぼって支払う。過少支給の対象は約2000万人、過少支給分の総額は15年間にわたり総額530億円に及ぶという厚労相の発言です(1人当たり2650円)。

 担当大臣が誤りを認めたのですから、「やっぱり『毎勤統計』に誤りがあったんだ」ということになり、私には大ショックでした。
 こうした基幹統計(かつての指定統計)は、回答義務が法律で定められており、国の動向を国民に知らせるものですから、統計誤差以外、誤りは無いはずのものです。

 求人倍率などの「業務統計」は、それなりの意味しかありませんが、失業率(労働力調査)、消費者物価指数(小売物価統計調査)、平均消費性向(家計調査)、更には最も基本である国勢調査などの統計が信用出来なかったら、国の舵取りは出来ません。

 「それなのに何で」という感じですが、今回の誤りの原因と言われているのは、東京都の従業員500人以上の事業所については、母集団である「事業所・企業統計調査」(基幹統計:全数調査)の事業所(1400ほどだそうです)について全数調査をすべきところ1/3強の500事業所のサンプル調査で済ませていたことによると説明されています。

 東京都は大きな事業所が多く、そこで1/3ほどの事業所しか調査がされていなかったので、大きな事業所(賃金も高い)が抜け落ち、全体平均の賃金水準が低くなったという説明に聞こえます。
 そして、その誤りが解ったので、調査した事業所の数を3倍近くに膨らませて、平均の下がるのを修正(復元と言っています)したのが平成30年1月からで、そのため昨年1月から対前年同月の賃金上昇率が(異常に)高まったという事のようなのです。
 
 統計調査を担当する者の仕事としてはそんな基礎的な誤りは有り得ない筈です。500をサンプルとして調査するとしても、500事業所は統計手法に則って選び、その数値を母集団(1400ほどの)に正確に復元して統計数値とすべきで、そうすれば、全体平均が下がるといった事態は起きず、誤差は統計誤差の範囲に収まり、プラス・マイナスの誤差が出ても、統計的にはプラスの年とマイナスの年が同じぐらい出て、15年間もずっと平均が下がるという事はあり得ません。

 そこから類推されることは、東京都には従業員500人以上の事業所は調査対象になった500事業所しか存在しない事になっていた(他の事業所はなかった事になっていた)のだろうという事です。
 その他の900事業所は存在しないことになっていたので、そしてそれらの事業所は比較的賃金水準が高い所なので、それが抜け落ちたことで、全体平均が下がるという結果になったと考えざるを得ないのです。

 何故そんなことが起きるのでしょうか。基幹統計は答えないと罰則がありますが、回答率は下がる傾向にあるようです、担当者の苦労も多いと思います。しかし全数調査すべき所ををサンプル調査にしたら(これは勿論ルール違反ですが)、母集団に復元するのは常識でしょう。
基幹統計が信用できなくなったら、教育も研究も、国会論議もまともなものにはなりません。外国も日本の言う事を信用しなくなるでしょう。
 
 未だ書くべきことはいろいろありますが、この辺でやめておきます。

毎月勤労統計問題を整理すると

2019年01月10日 17時53分43秒 | 労働
毎月勤労統計問題を整理すると
 先日、毎月勤労統計(毎勤)のサンプリングの問題について取り上げましたが、その後波紋が大きくなって、2つの問題がごっちゃにされて論じられたりしていたりするので、整理しておいた方がいいように思います。

 1つはサンプリングの手抜き(東京都、500人以上規模の事業所の全数調査がサンプリング(抽出)調査でやられていた問題で、平成5年辺りから等と報道されています。
 もう1つは、平成30年からのサンプリング(抽出の仕方)の問題で、これは、一昨年と昨年の賃金額・賃金上昇率にサンプリング誤差が出るという問題です。

 前者は、現実にどのような影響が出るかの検証は、比較するデータがありませんから、多分不可能でしょう。

 後者は、比較データが発表されていますから、検討可能です。安倍総理の希望に沿うように賃金上昇率を高く出そうとしてやったなどとの見方もあるようですが、世界に冠たる正確性を自認する日本政府統計担当者が、そんな忖度はしないと信じています。

 厚労省の発表によれば、第Ⅰ種事業所(30人以上規模)は3年毎の全サンプル入れ替えからローテーション・サンプリング(毎年1/3づつ入れ替える)への移行期にあり、平成30年からサンプルの半分に1年延長が始まった、という事です。

 そこで、統計の連続性を見るために延長した事業所(共通事業所)だけの統計もとっていて、公表された統計と比較ができるようにしているのですが、厚労省の数字によれば、共通事業所あの賃金水準の方が「きまって支給する給与(残業代含む)」で月額2600円ほど高くなっています。

 つまり新サンプルを含む公表の数字がそれだけ低いという事は新サンプルの企業の賃金はもっと低いという事になります。
 ところが、所定内給与、きまって支給する給与の対前年同月上昇率を見ますと、 このブログでも指摘しましたように、平成30年1月以降明らかに共通事業所の上昇率(厚労省の数字あり)より高いという結果になっています。

 つまり、賃金の低い新サンプルを入れた結果、賃金水準の上昇率が高くなったという結果になっていまったわけです。
 厚労省の解説を見れば解るはずと書いてきた結果が、思わしくありません。申し訳ありまあせんが、もう少し考えてみますのでお時間をいただきたいとぞんじます。

企業経営の不祥事と行政との関係

2019年01月08日 12時39分19秒 | 経営
企業経営の不祥事と行政との関係
 近年、特に昨年は企業の不祥事が多くマスコミに取り上げられ、トップの交代にまで至る事態も発生しました。
 マスコミでは、企業のデータ改ざん、無資格者による検査、財務諸表の不正確な記述などなど、企業のコンプライアンス、企業倫理の劣化などとの批判が多くみられました。

 確かに企業現場での、まさにケアレスミスのような事故など、企業内の教育訓練の不足によるような事も多く、平成時代の大部分を占める深刻な不況によるコストダウンの行き過ぎという見方の当たっている部分もあるのでしょう。
 経営全体にそうした劣化が起きているとすれば、日本企業の信頼への大きな警鐘です。

 確かに現場での事故などの場合は、不注意や法令違反など、マスコミを通じて情報を得る庶民にとっても比較的解り易いものもありますが、例えば、耐震装置のデータや金属の強度が改竄されていたといった問題は、大地震でも起きてみないと解りません。

 それを取り仕切るのは行政ですから、行政の、判断、洞察力、権限、責任は極めて大きいと思います。
 
 これに関して、われわれは、2つの大きな具体例を経験しています。1つは原発、もう1つは自動車です。

 原発につては、政府は十分安全を満たすという基準を用意したはずです。私もかつて原発の見学をした際「ここは何処よりも安全です。大地震などの際などはここに逃げ込んでいただくのがベストの選択です」と聞かされ、流石日本の技術は凄いと感心したものです。
(因みに、小泉元総理も「騙されていた」と述懐しておられますね。)

 しかし、東日本大震災の際には「全電源喪失」という事態が起き、「一つの電源だけでも繋がっていたら」という声がありました。

 自動車については、 最終検査が無資格者によって行われていたという問題で、行政の担当責任者が即座に出庫を差し止めたそうですが、前の日までに出庫、販売され、すでに道路を走っている車については、当面そのままでいいから、早く車検を受けるように、という事だったと記憶します。

 担当省庁でも、無資格者の検査ではあるが、製造過程が確りしているので、実害はないと判断しているのでしょう。(因みに、日本車は世界でも最も故障が少ない車と評価されています。)

 原発の場合は基準が不十分だったことが現実に解ってしまった例、自動車の場合は、形骸化した基準がまかり通っている例という事でしょうか。
 
 一概に「企業の不祥事」と言われていることの中にも、多種多様なケースがあるのでしょう。新幹線のギアケースの破損などがあり、他方では金属製品の強度の改竄などは報道されています。

両者に関連があるのかないのか解りませんが、安全・安心の社会を創るためには、基準の中身と、基準順守の在り方が「しっくり」していることが肝心でしょう。
そのためには、基準を作る方と守る方の十分な相互理解、そのための十分な対話、情報の共有が必要なのでしょう。

最近何か、政治、行政、産業界、労働界などの情報共有が不十分で、種々にちぐはぐな所が見られ、そのために時には異常な忖度、時にはデータ改竄などという事が起きるのではないかといった感じがします。

 日本の伝統文化である「和の心」は今様に言えば、「徹底した情報の共有」につながる文化ではないかと思うところですが、逆に社会の分断が進む昨今、何か心配です。