tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2012年7月から2013年3月までのテーマ

2013年03月30日 12時41分17秒 | インポート

2012年7月から2013年3月までのテーマ
2013年3月30日
ホタルとメダカとボーフラのこと  国際投機筋は様子見か  付加価値で読む経済分析 (7 適正労働分配率再論)  付加価値で読む経済分析 (6 消費の重要性)  付加価値で読む経済分析 (5 生産性の役割)  付加価値で読む経済分析 (4 経済成長と労使関係)  付加価値で読む経済分析 (3 経済成長の原動力)  付加価値で読む経済分析 (2 経済成長とは)   付加価値で読む経済分析   実体経済 vs. 金融経済   アベノミクスの成功見届けとその後の対応   万年黒字脱却の具体策   3本目の矢、狙う相手は誰か   3本目の矢、日本経済のパフォーマンスを変える視点   

2013年2月
ユーロ問題とは何なのか   「何かあれば円高」をどう阻止するか   マーケット、民主主義、人間   マーケットは正しいか?   日本経済:これから留意すべきこと   本質を突けない為替論議;モスクワG20   2パーセント目標:試行錯誤の暫定目標             2パーセントインフレの意味   雇用問題の復元にいくら掛かるか   覇権国、基軸通貨国、アメリカの場合   国民(労使)がどこまで理解しているか   円安誘導論との対決を考える   円安と労使の果たすべき役割   

2013年1月
円安と企業の果たすべき役割(3)   平成25年度の政府経済見通しを見る   円安と企業の果たすべき役割(2)   円安と企業の果たすべき役割   1割の円安で何が出来るか(何に使うか)   円安誘導は怪しからん?   デフレもインフレも心配    安倍政権、滑り出し順調   途上国援助か、先進国援助か   様変わりになるか、日本経済   アメリカは財政の崖を回避できたのか?   インフレの前兆どう見分ける?   明けましておめでとう御座います

2012年12月
次なる手は:実体経済を変えていくために   デフレを脱出しインフレに近づくためには   景気回復を本物にしよう   これでインフレになるのでしょうか?   株が上がった原因は?   世界の見本になるような日韓関係の改善を   政府と日銀でインフレ率が決まるのか   株価上昇をどう感じますか   ますます必要な国民の連帯   暗中模索の選挙戦   社会保障の負担は誰がすべきか

2012年11月
経営の要諦は経営資源を無駄にしない事   円レートの安定で企業は安心して投資   日本の国債残高は多すぎるか?   円暴落、ハイパーインフレ、国債紙屑? 決めるのは「労使の態度」   経済成長の回復と投資分野   為替レートを選挙の争点に   シェールオイルとアメリカそして日本   CSRとNGR   シジュウカラと巣箱、その後   日本にとって円高阻止の方策とは   金融資産保有が安全でなくなった理由   金融資産を残すという失敗   金融政策決定会合、さて次の手は   

2012ねん10月
民主党?共和党?:重病のアメリカ   日本経済、最悪の事態とは   当面の目標、GDPを使い切ること   もう一つの大きな違い:円安大歓迎の日本   カネを増やせばインフレになるか   日本国債が暴落するための条件   日本を知らないIMFの対日報告   デフレ容認の無思慮   1%インフレ目標挫折:日銀

2012年9月
日中関係、日本の立場   原発冷却と海水温度   外交政策と金融政策   ユーロ問題と国際投機資本   「これからが本番」ユーロ圏の今後の対応   為替レートの変更と交易条件   TPPとRCEP   改めて「日本的経営」を問う:長期視点の経営   

2012年8月
改めて「日本的経営」を問う:雇用か賃金か   加害者と被害者   トラブルメーカーとトラブルシューター   8月15日をどう生かすか   消費増税成立、それでどうなる?   金融円滑化法とEU問題   原子力利用についての疑問   

2012年7月
「日本再生戦略」の戦略ポイント   いじめ問題で不思議に思う事   日本は経済対策をやっているのか   蓄電技術で世界制覇を   2012年1月から2012年6月までのテーマ   最低賃金と生活保護   ホタル羽化   マネーから人間への回帰   労使の分配関係から見れば


ホタルとメダカとボーフラのこと

2013年03月29日 18時13分33秒 | 環境
ホタルとメダカとボーフラのこと
 昨年、このブログで、3月に「メダカの春」、7月に「ホタル羽化」を書かせて頂きました。時折、我が家で起きる自然との関わりを書かせて頂きますが、多くの方からアクセスを頂き、何か、ささやかな楽しさを共有できたような気がしていつも喜んでいます。

 今週は、こんなこともありました。庭の隅のU字溝に雨水タンクから雨水を流す我が家の池では、今年も3月初めからメダカが10尾ほどが群れて元気な姿も見せてくれています。気を付けてよく見ると3~4ミリほどの小さなメダカもいることを先日発見しました。越冬した卵から孵ったのでしょうか。
 やっぱり自然繁殖もしているんだと、何となく楽しくなりました。

 ホタル(平家ボタル)の方は、昨年夏に卵を取り、発泡スチロール容器で孵化させ、モノアラガイやサカマキガイを餌にして育てていました。ゴミのような幼虫が、数えきれないほど生まれ、数はだんだん減りましたが、幾らか大きくなったころ、暑い日が続き、ベテランの方が「水温が30度を超えると危ないよ」と言われるので、慌てて、U字溝の池に放流しました。

 池には去年からタニシやモノアラ貝がいますから餌の心配はなく、水温も上がりませんから、これでひと安心、ただし発泡スチロールと違い、もうどこにいるのか育っているのかも見えませんから、「来年羽化するまで待つとするか」と思っていました。

 ところが、ごみのように小さい幼虫のいくつかは、発泡スチロールの壁にくっついていたようで、放流後、念のために水を張っておいた発泡スチロール水槽の中で元気に生きていました。そこでこれは部屋の隅で育てることにし、観察を続けました。

 幼虫は、昼間は赤玉土や小石や貝殻の間に隠れていて、夜になると出てきて、1つのタニシを集中攻撃し、2~3日するとまた別のタニシを集中攻撃するという形で、次第に脱皮を重ね大きくなり年末頃には数ミリから1センチ以上に成長していました。
 夜、出て来ているのを数えると40匹以上いそうです。

 先日、その発泡スチロールの水槽(25×30cmほど)の中に「何かいるわよ」と家内が言うのでよく見るとボーフラです。暖かくなって、越冬卵が孵ったのでしょうか急速に数を増し到る所でくねくねと暴れています。
 これが蚊になったらホタルの幼虫がいるので殺虫剤も撒けないし大変だということで、早速池からメダカを3尾ほど掬ってきて放しました。

 3日もしたら、ボーフラは影も形もなくなり、メダカは少し太ったように見えました。
 2尾は池に帰し、今は1尾だけボーフラの見張りをしています。


国際投機筋は様子見か

2013年03月28日 11時39分57秒 | 経済
国際投機筋は様子見か
 アベノミックスの人気は高まっています。
 考えてみれば、$1当たり10円を超す幅で円安にしたというのはまさに画期的で、こんなことが出来るのなら、もっと早くやっておけば良かったという意見もあるようですが、世の中そう簡単ではないのでしょう。

 アメリカに少し余裕が出来、アジア情勢の緊張感が強まり、ヨーロッパでは、ユーロのどこかで問題が起こるという形で、ユーロ安をいつでも蒸し返すことが出来、ロシアが中国、日本と接近の姿勢を見せるといったいろいろな事情が絡まり合って、それに安倍さんの政権奪還意欲、日本銀行の態度の変化などなど、内外の多くの要因があって、タイミングよく実現できたという所でしょうか。

 アベノミクスというのは安倍さんとエコノミクスを繋げた造語でしょうが、今までの所は、まだ全く経済学とは関係ない面での動きで円をめぐる情勢の変化を国際投機筋の思惑が、それぞれに受け止め、反応しているだけというのが本当の所でしょう。
 対投機資本の心理作戦というのも経済政策の内、と考えれば、経済学だとこじつけは可能かもしれませんが、そういうのはあまり経済学の教科書には出てきません。
 
 例えば、ゼロ金利の下でも、金融緩和は効果があるということになれば、流動性の罠は否定されるわけですが、「無制限の金融緩和をやる」と言って経済不安が収まるのは、これは単に投機筋が、これではカラ売りしても儲けのチャンスがないようだと判断して売るのをやめる、その結果、投機対象と目されたものの下げが止まり、金融環境が一時的に平穏になるというだけの話で、それで経済活動が正常に動き出すとはとても考えられません。

 もともと、マネー資本主義の結果の投機資本主義(ギャンブルマインド)の横行で、あぶく銭の動きが経済そのものだとの勘違いの中で生まれたもので、実体経済中心の本来の経済学から見れば、実体経済には、関係ない輩が実体経済に関連があるように見せかけて、勝手にマネーゲームをやっているだけ、というのが実体ではないでしょうか。

 そういう意味で今の日本経済を見れば、大事なことは、そうした動きの結果、so far 巧くいって株が上がり、企業がwind fall の一時的評価益を得た、というだけですから、これを奇貨として、「出来ればこれを実体経済の改善にうまく繋げられる様工夫、努力しよう」と考えて、日本人の真面目さで頑張ることでしょう。

 幸い、国際投機筋も、今のところ目標が定まらず、気迷い症状のようですが、短期的視点なら、まだまだ円買いが安全と考えているでしょう。円高に戻る恐れは消えません。日本企業にとっては、正にカネと頭の使いどころでしょうか。


付加価値で読む経済分析 (7 適正労働分配率再論)

2013年03月26日 12時21分20秒 | 経済
適正労働分配率再論
 前々回、適正労働分配率について触れました。このシリーズの最後に、適正労働分配率にいて、もう少し詳しく論じてみましょう。

 適正労働分配率という場合、「何から見て適正か」というのが問題の基本でしょう。経営者からみた適正と、労働組合から見た適正は同じではないでしょう。
 では何が同じかというと、それは多分「成長」でしょう。年々どのくらいの企業成長、生活水準(豊かさと快適さから見て)の向上が必要か、これは労使(国民)共通でしょう。

 マクロ経済でいえば、「潜在成長力の完全実現」が国家目標としての「望ましい経済成長率」でしょう。今の日本でいえば、災害復旧、放射能汚染除去の早期実現といった「快適さ」の改善も含めて、失われた20年を取り返すため、当面最低2パーセント程度の実質経済成長は欲しいといったのが実感でしょう。潜在成長力のベース、技術革新のスピードも2パーセントの成長に見合うものでなければなりません。

 ならば、2パーセントの実質成長を実現するために適切な資本蓄積と消費購買力の実現のためにGDPをどう分ければいいかが労働分配率の課題になるわけです。
 もちろんこうした適正な分配の結果が出るのは先行き1~3年の内といったことになるでしょう。そのために国の経済目標でも「中期目標」が必須です (企業の経営計画の場合も、基本は全く同じです)。

 この中期目標は、技術開発、企業の生産設備投資、国内消費の拡大が整合的に計画されなければなりません。そして大事なことは、これらが国民に周知され、成長目標を中心に国民、そして労使の広い同意を得ることです。国民の広い合意がその実現を支えます。

 その理由は、GDPの生産も分配も、現実にそれが行われるのは「企業という場」だからです。企業の作る付加価値の総合計がGDPになるわけで、その付加価値が生産され、分配されるのは「個々の企業の中」だからです。
 というわけで、個々の企業の労使が、この国としての経済目標をよく理解していなければなりません。

 これは、所得政策などで、インフレターゲット(本来はインフレ抑制目標)を実現しようとする際、国民が広くそれに合意しているかどうかが決定的に重要なのと同じです。
   個々の企業の適正労働分配率は、産業企業環境、財務体質などなどにより千差万別です。
しかし、国民が国としての経済計画をよく理解していれば、それぞれの企業の労使は、それを、わが社の状況に照らして、消化、適用し、国全体として、大きな誤りのない決定をすることが可能になるからです。
経験から言えば、日本人なら(日本では)、それが十分可能だと思われます。


付加価値で読む経済分析 (6 消費の重要性)

2013年03月24日 10時47分23秒 | 経済
付加価値で読む経済分析 (6 消費の重要性)
 ここまで経済活動の生産面を中心にして論を進めてきました。もちろん、モノやサービスは提供する人がいなければ消費出来ませんから生産が先ということになるのが普通ですが、本当は生産と並行して消費も増えなくてはなりません。

 消費は大事です。生産者が、自分では素晴らしいと考えて製品を市場に出しても、売れなければ「付加価値」を生みません。
 付加価値は、「売れて初めて実現」するのです。売れなければ、結局は不良在庫になり、いつかは廃棄処分になり、それに費やされた労働も資本も、経済価値として実現されないままに、無駄になるだけです。

 ですから消費については2つの事が重要です、1つは、消費者が欲しいと思うものが提供されること、もう1つは、消費者がそのモノやサービスを買うおカネを持っているかです。
 これを基本的に左右するのは、生産したGDPを資本にどのぐらい、労働にどのぐらいの比率で分配するか、別の言い方をすれば適正な労働分配率(労働分配率+資本分配率=100%)はどのくらいかという問題です。

 低すぎる労働分配率は、消費購買力の増加を抑え、結局は企業の売り上げにマイナスとなり企業成長を阻害して、GDPの増加、つまり経済成長を阻害します。
 企業の場合は、「労働分配率=総額人件費/付加価値×100」
 国の場合は、「労働分配率=雇用者報酬/GDP×100」
ということになりますが、この2つ、労働分配と資本分配は、ともに経済成長(GDPの増加)バランスのとれた形で増えていくのが、いわゆる「均衡成長」(balanced growth)と言われる経済成長の標準的な形となります。
 
 ここで1つの問題は、日本人のように、適切な労働分配をしたつもりでも、貯蓄意欲が強く、おカネが消費に回らないという問題です。1,400兆円と言われる世界一巨額な個人貯蓄を持ちながら円高デフレで賃金が下がるさなか、更に将来不安から貯蓄を積み増すといった行動パターンを国民が持つ場合どうするかという問題です。
 日本は国債発行で政府が使っていますが、これは別途考える必要があるでしょう。

 ギリシャやイタリア、スペイン、キプロス(もちろんアメリカも)といった国では、資本分配が決定的に不足ですから(外国からのカネで投資が出来ている)自分の力で資本蓄積をするよう訴え(生活水準引き下げ、資本分配増)、他方、日本では、国民に「消費も大切なことを教える」といったことも重要なのかも知れません。
 まさに世は様々です。


付加価値で読む経済分析 (5 生産性の役割)

2013年03月22日 11時33分06秒 | 経済
付加価値で読む経済分析 (5 生産性の役割)
 今回のシリーズの最初に、経済活動の目的は、社会をより豊かでより快適にするためと書きました。そしてそのための生産活動は企業が担っており、生産した付加価値の分配も基本的には企業労使が担当していると書きました。
 
 より豊かでより快適な社会を創るにはGDPを増やさなければなりませんがもっと厳密に言えば、GDPが増えても、人口が同じだけ増えれば特に豊かになるわけではないので、1人当たりで見ていかなければなりません。

 そのためには、働く人が「1人当たり」の生産を増やすことが基本になります。これを「労働生産性」と言います。生産するのはGDP(付加価値)ですから、厳密に言えば、付加価値労働生産性です。この付加価値も、インフレで値段が上がって増えたのでは駄目ですからインフレ分を差し引いた「実質付加価値労働生産性」が最も大事な基本的な目標概念になります。

 人口全体の中で働いている人の割合は年々そんなに変わりませんから、実質付加価値労働生産性が上昇すれば、人口1人当たりの豊かさ、快適さの増進が可能になります。
 では「実質付加価値労働生産性」はいかにして上がっていくのでしょうか。

 まず技術革新がベースになります。蓄積した資本で、それを生産設備に取り入れて生産をより高度なものにしていくわけです。
 馬や牛は蒸気機関になり、ガソリンエンジンになり、電気モーターになり電子技術になり、自動化が行われるといったプロセスです。

 同時に、道路、港湾、発電所、送電線、上水道、下水道、鉄道、通信といった社会インフラも整備されなければなりません。生産現場では、QC活動やカイゼンが行われ、物流、ロジスティックス、労働力の効率配置など社会システムそのものの効率も追及されます。
 技術革新、その巧みな活用、大きく社会全体の効率的なあり方の実現などなど、これらはすべて人間の頭の中から生まれるものですから、此の全体を支えるのは「教育訓練」、「人材育成」、「human resource development」ということになります。

  これらの整備には、技術開発投資、生産設備投資、社会資本投資、教育投資などが必要で、そのためには資本蓄積が大事になります。そして、これらが揃えば、経済成長というのは、人間が願望を実現しようとする本能の結果として、必然的に起こって来るものと考えられます。
 これが順調に働かないのは、大抵、資本蓄積の不足、もう1つは、人間が誤った知識(争いを誘発する憎しみや、行き過ぎた享楽優先主義≒怠惰)を教え込まれ、誤った行動を取るからでしょう。


付加価値で読む経済分析 (4 経済成長と労使関係)

2013年03月19日 15時57分03秒 | 経済
付加価値で読む経済分析 (4 経済成長と労使関係)
 企業経営も一国経済も成長を求めて活動していることには変わりありません。この一番大事な「成長」に直接アプローチできるのは付加価値分析です。前回に続きその点をさらに具体的に見てみましょう。
 利益計算のための財務諸表のアプローチ、全体の関係が見えにくい多くの経済理論では、企業や経済の成長の原因が直接把握できませんからビジネスサイクルなどという運命論か迷信のようなものが発生したりするのでしょう。

 付加価値分析をすれば、成長の原因と結果が直接つながって見えますから、好況・不況の原因も良く見え、対策もはっきりして来るように思います。
 結論から先に言うと、経験上も、統計的にも、また理論的にもそうですがある年の分配の在り方は、それ以降の企業業績や経済の成長に直接影響します、。
 成長と分配には明瞭な関係にあって、もっとも単純に基本的な事だけ言えば、
   「高成長 と 低労働分配率」 は互いに因果関係があり
   「低成長 と 高労働分配率」 は互いに因果関係がある、ということです。

 そして、この関係を「労使双方」つまり、国民がよく理解していて、労使の分配を誤らないように配慮できる企業・国のパーフォーマンスは良く(健全で)、労使がより多くの分配を勝ち取りたいと、力ずくで相争う企業・国は、早晩うまくいかなくなるのが普通です。

 具体的な例を見れば、今年の日本の春闘のように、円安で利益が出てもそれは「一時的なものだから、ボーナスで結構です。」賃上げはそれが経済成長に結び付き、成長という成果が出てから労使で考えましょう、すぐに理解して労使の話が付く国と、国も政府も企業も赤字なのに、平気で賃上げを要求し、聞き入れないとデモや暴動、政府を変えろと言って争う国の違いです。

 国が経営者の代わりをやって、労働分配率を低く抑えている国も、逆の意味(国民・従業員の不満)で失敗に向かっている国でしょう。

 適正労働分配率という概念は、通常の経済理論にはありません。労働経済学の専門分野ということになっています。最近は、近代経済学の先生でも、労働経済を取り入れる先生も増えていて、労働分配率や賃金決定論を研究される経済学者も多くなっていますが、大変良いことだと思っています。

 労使の分配と企業経済の成長の関係は、現実にはもう少し複雑で、そこには「労働生産性と賃金決定」という概念が入ってきます。次回は「生産性」を取り上げましょう。


付加価値で読む経済分析 (3 経済成長の原動力)

2013年03月17日 12時04分10秒 | 経済
付加価値で読む経済分析 (3 経済成長の原動力)
 労働経済学の視点から経済成長を見ると、重要な要素は、技術革新です。
中世など技術開発の無い時代には、何百年も、経済成長の無いこともあったようです。
 今の日本が、長い間円高デフレに呻吟しながらも、何とか国力をもたせたのは、多くの技術開発で先行することが出来たからでしょう。

 ただ、技術開発で経済成長の「可能性」は生まれるわけですが、経済成長そのものは実現するわけではありません。それを誰か(企業)が生産技術に使って、生産を行い(企業化を行い)初めて経済成長が実現します。
 技術革新を生産技術に使うには「企業家」精神、あるいは「企業化」精神が大事ですが、その際必要になるのが「資本」、つまりおカネです。

 資本がなければ技術革新が生産設備になりません。そこでそのために資本家がカネを出すので、企業の所有者は資本家となり、資本家が幅を利かせたのが初期の資本主義です。

 バーナムが「経営者革命」で書いたように、また、後からドラッカー色々説明しているように、企業が、自分で資本を蓄積して、生産設備に投資するようになり、資本家は経済の第一線から後退し、文化に貢献する「創業家」になったりしています。

 さて、企業が自分で資本を創る(蓄積する)とはどういう事でしょうか。それが前回の図で示した「GDPをL(労働)とC(資本)に配分する」という仕事で、Cに配分されるのが(厳密にはそれから資本費:[配当、金利、賃借料]、さらに法人税などを差し引いた「内部留保」が)企業が自分で貯めた資本です。
 これがきちんと出来れば、企業は自力で存続発展できる存在、サステイナブルなゴーイング・コンサーンとして、GDP生産、経済成長の立派な担い手になるのです。

 そのために、最も大事なのは、企業レベルの労使の分配が、「成長という目的」に照らして合理的(効率的、効果的)に行われることで、解りやすく言えば、「労働分配率の誤りない決定」です(これは、国レベルでも企業レベルでも全く同じです)。

 ということで、今の時代、企業成長、経済成長の成否を決定づけるのは労使の分配関係で、労使関係が決定的に重要な役割を果たします。

 第二次大戦後、ドイツと日本が著しい経済成長を遂げ、1980年代前半には、日本が「ジャパンアズナンバーワン」とまで言われた「真の要因」はここにあるのです。


付加価値で読む経済分析 (2 経済成長とは) 

2013年03月14日 13時18分07秒 | 経済
付加価値で読む経済分析 (2 経済成長とは) 
 経済成長をもっとも単純な図式で説明しようとすれば、こんなことになるのではないでしょうか。


 
 前回申し上げたように、GDPは人間と資本が協力して創るものです。これは解りやすい言い方で、もっときちんと言えば、「人間が資本を活用して創ります」、でしょう。あくまで人間が主人公です。

 ですから創られたGDPは人間と資本に分配されます。昔は資本家が恣意的に分けたかもしれませんが、今は「経営者」が企業のマネジメントをする立場で資本の代理人も兼ね、従業員あるいはその組織(代表的には労働組合)が労働の代理人として行動することになります。前回、付加価値は企業が創ると書きましたが、企業はその分配もやるのです。

 経営者という立場は微妙で、国民所得統計では、経営者もemployeeです。ただ法律的には資本家の代理人として、資本サイドへの分配に責任を持ちつつ、労使双方への合理的な分配(経営資源の最も効率的な活用)という組織マネジメントの役割を遂行します。
 マスコミは、解りやすいように、経営者は資本サイド、労働組合が労働サイドと単純に二元論で定義し「労使の交渉(闘争)で付加価値の分配を決める」とします。

 なぜ、このプロセスを経るとGDPが大きくなるかと言いますと、ここで最も大事なのは「技術革新」で、労使が協力して技術革新を付加価値の創造過程に導入するから、年々GDPが大きくなること(経済成長)が可能になるわけです。

 この技術革新もくるめて、ここで重要になるのが、労働と資本への分配に在り方、端的に言えば、労使への分配の比率で、この比率を労働の立場から見たのが「労働分配率」です。そして、労働分配率を研究の中心据えるのが労働経済学です。


付加価値で読む経済分析

2013年03月12日 11時15分04秒 | 経済
付加価値で読む経済分析
 tnlabo's blogで最も長期に安定してアクセス数を維持しているものが2つあります。
   「雇用ポートフォリオ」  2007. 9.18
   「付加価値の正確な理解を」 2008. 3. 26   
です。このブログを書き始めたころには、付加価値問題を中心に、労働問題、労使関係などについて書いていこうと思っていて、自分でも確り書いと思います。

 このところ、経済問題が圧倒的に多くなってしまいましたが。これも、今の経済理論(現実の経済政策も)真面目に付加価値の生産(創造)を追わず、安易に付加価値の移転で事を済まそうというものに変質してしまっているのが気になって仕方がないからでした。
 そう申し上げれば、tnlaboの立場はご理解いただけると思います。

 ということで、今回は、アベノミクスも一応のフォローを終えたので、付加価値という視点から見た経済という所に帰ってみました。

 人間は、経済活動ということで一体何をやろうとしているのでしょうか。私は経済活動の目的は、「世界をより豊かで、より快適なものにするため」と考えています。昔は豊かさ中心、今は、豊かさの上に「快適さ」の比重が次第に大きくなっているようです。

 快適という言葉はいい言葉だと思っています。これを「カイゼン」と同じように、「カイテキ」とカタカナで書いて説明しておられる先生に先日出会いました。
 「カイゼン」と同じように世界語にしようと考えていらっしゃるのですか、とお伺いしたら、即座に「そうです」と答えられました。

 豊かさのベースは基本的には量でしょう。快適さは人間の感覚の問題ですからこれは質の問題です。量から質へという事でしょうが、快適さを増すためには、より大きなGDPが必要になります。人間がより快適な社会を求めれば、それにはより大きなGDPが必要になります。つまり経済成長はいつまでも必要なのです。

 生産されたGDPをどう移転させても、GDPは増えません。世界がより快適なものになるには、経済成長が必要です。ですから、いつの世も、人間はその時代が必要とする財やサービスの生産に従事することになります。
 
 ところで、GDPとは「付加価値」の事です。付加価値は企業で作られます。法人企業、個人企業、NPOなどと企業にもいろいろありますが、付加価値を創るのは企業です。
 企業は「人間」と「資本」で成り立っています。「人間が、資本を活用して、付加価値を創る」場所(装置、シシテム)これが企業です。(以下次回)


実体経済 vs. 金融経済

2013年03月10日 10時55分50秒 | 経済
実体経済 vs. 金融経済
 中身自体(結果も)どうなるか未だ解らないアベノミックス、ギリシャ・イタリア問題に対するEUの対応、アメリカの景気が良くなってきたとアメリカの経常赤字の動向に関わらず喜ぶ金融重視派のエコノミストたち、それに対して、金融を緩めて対応するだけでは、問題はいつかは再燃すると警告する実体経済重視論者の声・・・・。

 このブログの基本テーマの1つもそうですが、今の経済学、経済政策は、大きく2つに分けられるようです。「実体経済こそが本当の経済」という考え方と経済問題は「金融で対応できる」とする考え方です。
 そして、今日の経済学、経済政策は、不況はすべて金融政策で解決できる、経済が行き詰まったら金融を緩めればいい、という金融中心論者が圧倒的に多いようです。
 この問題は、最後にアメリカがどこに行き着くかがはっきりするまで続くことでしょう。

 ただ、最近の動きを見ると、アメリカでも、オバマ大統領は、財政赤字の強制削減について、暫定的な先延ばしで何とか対応しようとしています。もともと強制削減は財政健全化(=アメリカ経済健全化)のために決めたものだから、外すより守ることの方が正しい対応という意識も持っているようにも見えます。

 こうした動きが、金融を緩めて辻褄をあわせることから、最終的には実体経済の健全化が必要という認識への回帰という意識の兆しなのかは解りませんが、金融・財政を緩めれば、経済活動か活発になって、成長率が高まり、いつかは赤字も消えていくだろうという根拠の無い楽観主義に、そろそろ反省の機運が訪れてもいいのかなと考えている実体経済論者も多少はいるはずです。

 些か割り切り過ぎの言い方かもしれませんが、解り易いために、はっきり言ってしまえば、日本のように経常黒字で円高に悩まされる経済には金融緩和政策が良く似合い、ギリシャ、イタリア、アメリカのような、経常赤字国には、金融緩和より実体経済重視政策が、本来はより似合うというべきなのではないでしょうか。

 しかし現実には、その反対で、赤字国は金融で対応しようとし、日本は日銀が伝統的な信念「インフレの番人」に忠実であり過ぎたこともあってか実体経済中心で来ていたようです。今回のアベノミクスの成功(当面)で、「やっぱり金融だということで、金融緩和論者が力を得たかもしれませんが、それは日本だからで、「ヨーロッパやアメリカは、本当は違うんだよ」と考えた方がいいと思います。

 いつでも金融政策が良いと考えていると、それは、金融万能という過信を生み、その結果は、マネー資本主義に通じ、ギャンブルとインチキの横行という鬼子を生でしまい、極端な不平等社会の温床にもなって来たという点は、これまでの経験から良く学んで、十分に注意するべきでしょう。


アベノミクスの成功見届けとその後の対応

2013年03月08日 11時40分50秒 | 経済
アベノミクスの成功見届けとその後の対応
 緒戦成功のアベノミクスですが、最終的に成功かどうかを判断するまでには、まだかなりの時間を要するということがお解り頂けたかと思います。
 例えて言えば、「いざなぎ越え」に入った時(2002年)これでやっと日本も失われた10年脱出と思えたのですが、6年後、サブプライム・リーマンショックで、また円高を押し付けられ、日本経済の苦難は続きました。その後ユーロ問題でまた円高・・・・・。

 此の「円高の繰り返し」の心配がなくなった時、初めて、アベノミクスは成功という判断が可能になるという事でしょう。
 tnlabo’s blog では、前回までの数回で、そこへ行きつくまでのシナリオを提示してみたわけです。

 一部に存在する「円暴落、ハイパーインフレ、国債紙屑」という予言はその後の問題でしょう。あるいはその途中から「心配する人も出て来る」という問題でしょうか。
 tnlabo’s blogは日本の場合、そうした可能性はほとんどない、と考えますし、そこまでにはまだ十分の時間があると考えますが、そうならないためには何が必要かといった問題も、最後に取り上げておきましょう。

 そうした事態が起きるためには、先ず、日本のソブリンリスクが問題にならなければなりません。日本経済自体に経常黒字がなくなり国内で国債が引き受けられなくなる、という事態です。円高を避けるためにはそこまで行っても構わない、と述べてきましたがそこまで行ったら、どこで引き締め政策、増税政策をとるかのタイミングは、国際投機資本との腹の探り合いを巧みにやる必要があると思います。

 政府・日銀がタイミングを誤らなければ、日本国民は、もともと反政府のデモや投石、暴動、略奪などはしませんから、国際信用を一挙に失う様なこと起きないでしょう。
 日本国債は95パーセント程は日本人が持っているのですから、政府が「皆さんの財産は心配ない」と保障すれば、大きな問題にはなりません。

 ヘッジファンドが空売りしようとしても、naked short-sellingは国際機関も反対ですし, 規制も可能、日本人が提灯をつけなければ、多分無力でしょう。

 残る問題は、日本経済自体が、インフレスパイラルを起こして、赤字が増大し、財政破綻ソブリンリスク深刻化に至るかという問題です。

 インフレスパイラルは、正確には「インフレと賃上げのスパイラル」です。これは連合に聞いてみないと解りませんが、多分連合は責任を持って、そんなことはしないと答えてくれるでしょう。

 そうなる前に、かなりの円安が進み、日本企業は国際競争力を回復して、春闘も正常化しているでしょうから、日本の経営者がよほど悪い経営者になっていない限り、大丈夫だと思います。

 多分に楽観的ですが、必要な時にはきちんと節度を守る日本人のビヘイビアを前提に考えれば、こうなります。


万年黒字脱却の具体策

2013年03月06日 18時37分39秒 | 経済
万年黒字脱却の具体策
 アメリカを始め、ほとんどの国が、万年赤字で財政緊縮などと言って苦労しているのに、日本だけが、「黒字を出さずに、稼いだGDPは全部使おう」などと言えるのは、どういうことだ、と不思議がるかもしれません。しかしそれが現実なのです。

 家庭でも、そういう家計の家族は、いつも気持ちに余裕を持って、サラ金に追われる心配もなく、ゆったりと暮らせるはずです。それが1985年までの日本の姿でした。世界は称賛し、「ジャパンアズナンバーワン」と羨ましがりました。

 そして、その序でに「少し円を切り上げてくれませんか」と言って来ました。「そうですか、それじゃ些か・・」と言った途端、円は2年間で$1=¥240から$1=¥120になりました。これは「二年間に日本の物価が一律2倍になったということです。

 同時に賃金も2倍になったのだからいいじゃないか」という経済学者もいました。しかしこの物価では日本企業は、外国企業と競争できません。輸出は不振になり、国内は外国製品で占領されることになりました。企業は倒産か海外へ、雇用は減り、賃金は下がりデフレになりました。これがプラザ合意(1985)です。

 しかしそうした中でも、日本経済は経常黒字を維持ました。どうしてそんなことが出来たのでしょうか。答えは簡単です。「日本人一人ひとりが、収入が減り、先行き不安になれば、支出を切り詰めたからです。
家計調査の平均消費性向はプラザ合意直前の78~79パーセントから失われた10年の底の1990年代後半には実に72パーセント台に下がっています。
 「先行き不安」が財布の紐を締めるという日本人の生活様式がはっきり出ています。(このブログの「国際競争力への誤解」2010/6/16参照)

 高齢化社会で、高齢者は貯蓄を取り崩しての生活だから日本の貯蓄率は黙っていても下がるという説もありますが、それを待っている時間はありません。円高に戻さないためには、もう今から、経常収支バランス(±0)の経済にする必要があるのです。

 そのための手段は、国民に「貯蓄をしなように、消費を伸ばしましましょう。」というキャンペーンを張るか、政府が国民の使わないカネを借りて(国債発行して)国民に代わって使うしかありません。

 今の国債発行もこうした目で見る必要があります。もちろん、国債を発行して国にカネを使ってもらうより、国民自身が使った方がいいかもしれません。しかしそのためには(平均消費性向を上げるためには)景気の先行き、雇用の先行きを明るくしなければならず、そのためには、再び円高になる心配の払拭が必要です。まさに「鶏と卵」です。

 マネー資本主義の世の中では、日本人のような健全経済志向は肩身が狭く、借金に頼る赤字国の方がやり易いという面があります。困ったものですが、アメリカが赤字国である限り、マネー資本主義は直らないでしょう。

 ですから、日銀はあくまで金融を緩め、政府は国債発行で国内黒字を全部借り上げ、それを日本再生に使うのです(それでも国債は国内消化です)。それで赤字国ぎりぎりになって、初めて、国際投機資本が、「日本も、高齢化(ジャパンシンドローム)と大震災でいよいよ赤字国転落か!」と思うのです。そこまで行って、初めて円買いは安全でなくなり、日本はやっと円高の恐れから解放されるのではないでしょうか。


3本目の矢、狙う相手は誰か

2013年03月04日 14時18分46秒 | 経済
3本目の矢、狙う相手は誰か
 安倍政権の放つ3本目の矢、日本経済を成長路線に乗せるための施策、その相手は、当然、まず日本国民でしょう。デフレ不況に呻吟してきた日本の企業と労働者が成長経済復帰の手応えを感じてもらう。これが出来れば素晴らしいと思います。
 そして、その成果で、世界中に経済大国日本の存在感をもう一度知らしめる。

 本来なら、それで十分なのでしょう。しかし、私には、もう1人相手がいるような気がするのです。それは国際投機資本です。その実体は良く解りません。名高い巨大投資銀行なのか、ヘッジファンドなのか、もっと陰の存在なのか、それともそれにくっつく無数の投資顧問組織や投資家なのか。さらに格付け会社の役割はなんなのか。などなど。

 それはともかく、その国際投機資本を相手にしなければならないことは明らかです。
 今現在でも、日本を売ろうという国際投機資本と、買おうという国際投機資本がいるようで、後者が強ければ、「何かあれば円高」という事でしょう。

 私自身、「こんなことは経済学でも経済政策でも何でもない」と思っています。口先介入などという「経済政策?」も含めて、投機資本(ギャンブラー)との駆け引きでしかないでしょう。しかし「それに成功しないと、一国経済がまともに動かない」というのが、今の世界経済の現実なのです。まさに「こんな世界経済システムに誰がした。」という所です。
 これが今の世界経済を考える上で一番大事な問題です。(沈思・熟考して下さい)

 ということで、ここからはまともな経済政策の話です。何にしても成長率を高めなければなりません。これには私は割合楽観的です。日本企業は、円安で取り返した名目所得を、この円安は安定的に続くと解れば、「インフレにせず。実質経済成長になるよう」ベストに近い努力をするでしょう。労働組合も「賃上げ→インフレ」は選択しないでしょう。雇用増、雇用の中身の改善、実質経済成長そして、成長(生産性向上)に伴う賃金上昇という賢明な路線を選択するでしょう。

 (たとえば、アメリカは、プラザ合意で、日本からもらった名目付加価値のかなりの部分をインフレにしてしまっている様子が、アメリカの消費者物価の上昇状況に見えているように思います)

 その際、成長率を最大に持って行くために、折角増えたGDPを「使い残さないように」することです。使い残しとは「経常黒字」の事ですが、この分は日本経済の成長に生きてきません。例えば経常黒字5兆円を使い切れば、GDPは5兆円増えます。プラス1パーセントの経済成長を生みます。(来年度の政府経済見通しでは1兆円です。それならまあOK)

 これは、単に経済成長率を高めるだけでなく、国際投機資本に対して、「もう日本は万年経常黒字国ではない」というメッセージを発することになり、「何かあれば円買い」という彼らのビヘイビアを変えさせるのに効果がある「はず」です。

 ではそのために何が必要でしょうか。


3本目の矢、日本経済のパフォーマンスを変える視点

2013年03月01日 16時08分28秒 | 経済
3本目の矢、日本経済のパフォーマンスを変える視点
 安倍政権の3本の矢のうち、1本目は、マネーマーケットの世界にそれなりの波紋を生じたことは事実でしょう。2本目の矢、財政出動は、今後次第に国内経済に効果を持ってくると思います。今回論じるのは、基本的には3本目の矢に関わる問題です。

 実は、このブログの意識では、この3本の矢は、最後まで絡み合っていて、3本目に矢がきちんと効果を持たなければ、1本目の矢の効果も消えるし、また3本目の矢が効果を持つには2本目の矢の助けが必要かもしれないといったものになっています。

 具体的に言えば、3本目の矢が正鵠を射なければ、また何年か後にアメリカかヨーロッパで何か経済問題が起これば、30円、40円幅の円高が起こり、日本経済はまた何年にも亘って、デフレに苦しむことになりかねません。

 また、国際投機資本がその時に今までのように円に逃避 (円買い)をしないためには、日本が万年黒字国で円は安全という一方的な目で見られないようになることが必要で、そのためには、矢張り財政の役割が欠かせないということになるかもしれないからです。

 つまり、現在、世界の主要国の中で万年黒字国は中国とドイツ、日本だけといったところですが、人民元は簡単には買えない、ドイツマルクはユーロになっている、ということで、さっと逃げられるのは円ということでしょう。

 3本目の矢は日本経済を再び成長経済に戻すのが目標ですが、日本自身の経験からも、また中国が頑強に人民元切り上げに抵抗する事からもお解りのように、行き過ぎた自国通貨高は、たちどころに、成長経済をデフレ経済に陥れることが明らかだからです。

 そうであるならば、国際投機資本が跳梁するマネー資本主義の中で、日本経済を安定した成長経済に戻すには、どのような体質改善をしなければならないか、3本目の矢は、そこを明確に目指さなければなりません。

 私自身は、今までの日本人の意識、能力、行動様式から見れば、円の評価が日本経済の実力に相応したものであれば、放っていても日本経済は健全な成長路線を誤りなく進んでいくと信じています。

 だからこそ、不用意に円高の陥穽に陥ちるのを避けることが、安定成長維持のための「必須要件」と考え、3本目の矢は、その視点を確りと織り込んだものでなければならないと考えているわけです。
 次回はその方法について考えてみましょう。