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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

〇〇ファーストが流行ですが?

2025年07月26日 15時44分15秒 | 文化社会

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○○ファーストという言い方は、英語の世界では多分一般的にあったのでしょが、それが政治、特に一国の政権の公式なスローガンになったのは第一次トランプ政権の「アメリカ・ファースト」の時のようです。

「自分たちがファーストだ」とリーダーが言えば、メンバーは大体賛成するという事は考えられるのですが、なんだか自己中心主義のようで人前で声高に言うのは「えげつない」し「カッコ悪い」といった心情もあるはずです。

トランプさんの場合は、世界中がアメリカと商売して得して、アメリカは損ばかりしているという、世界で最も豊かな大国のアメリカ人が、多分潜在的に持っていた不満や被害者意識を正面から取り上げて成功しました。

日本では小池都知事が最も豊かな都道府県である東京都の知事選で「都民ファースト」と使って成功しました。人間の心理は微妙です。

今の日本では日本人は損ばかりしているという意識は結構強いので今回、参政党が「日本人ファースト」と言って成功しました。

〇〇の例として「アメリカ」「都民」「日本人」と並べましたが、○○というのは「自分たちは損している」という意識を持つ集団の被害者意識を掴み「私が救う」というリーダーの言葉として有効のようです。 

人間はSocial Animal(社会的動物)と言われますように、集団を形成して生活をしています。その最小単位は「家族」で、最大の単位な国家です。

○○ファーストという言葉が、家族と国家の場で、最も人の心に訴えることは、多くの人は一般的心情として容易に理解するでしょう。

理由は、この2つの集団は最も「出入りが制限されている」からです。どの家族に生まれるか、どこの国民として生まれるかは選べません。しかし人間は不思議なもので、殆どの人は生まれた家・国に愛着を持つのです。

それは動物の進化の過程で備わったものかもしれませんが、それならそれは自然なことでしょう。ならば、それを脅かす外界、外来者はセカンド以下です。

しかし、人間、ホモサピエンスの場合、大脳が発達していますから損得の判断から博愛の精神まで、多様な思考能力を持っています。

場合によっては 博愛の精神を優先し、場合によっては損得を優先します。

アメリカが、バターも大砲もと言われた1950年代初頭、ローズマリー・クルーニーの謳う「Come on-a my house(ウチへおいでよ)」の「あなたに上げましょキャンディ」から「何でもかんでも上げましょう(I'm gonna give you everything)」に至る気前のいい時代なら「アメリカ・ファースト」は流行らなかったでしょう。 

博愛の精神から見れば、ヨーロッパがアフリカの移民を受け入れて来たことはヨーロッパ社会の寛容さを示す良さと受け取られていました。

然し物事は程度問題でしょうか、今、ヨーロッパ右翼の台頭が目立ちます。原因は、労働力不足という経済的問題、文化の違いによる摩擦などです。

インクルージョンが大切という中で、差別・選別型の「○○ファースト」を受け入れへの風潮が、高まってきているという混乱が見受けられるのです。

成り行きに任す前に、十分、確りと考える必要がありそうです。


「人間とAIの関係」と「人間の文化」を組み合わせてみると

2025年07月22日 14時38分23秒 | 文化社会

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AIが人間を超えられるかなどと言う議論が真面目に行われる時代になってきました。

万物の霊長である人間は「発達した大脳」を持つことで地球世界に君臨することになりました。その自信が脅かされるという心配でしょうが、その必要はないように思っています。

暇潰しにオセロをやることがあります。オセロが「私は初級です」などと自己紹介をします。やってみると殆ど負けです。たまに勝つと嬉しいです。

関数電卓を使います。この30年間の伸びの年率換算、30乗根です。私には計算不能ですが電卓は即座に計算します。とても敵いません。

でも、便利と思うだけで、電卓にコンプレックスなど感じません。

AIになると更に便利です。今回の選挙ではこんな言葉が多用されたので国民の関心は大きい順にこんな問題ですなどと統計分析の結果を教えてくれます。   

最近便利に使われているのは、多様な言語の翻訳機械です。英語ならとOKと威張ってみても、アジア諸国、アフリカ諸国というわけにはいきません。しかし翻訳機は日に日に進化しているようです。

車にはナビゲーターがついています。最近のナビは、AIも組み込まれていて、色々なことを教えてくれるようです。

こうして、われわれはいろいろなことをAIに頼むようになってきています。そして人間の努力でAIは急速に進化しています。

人間はますますAIに頼るようになって、自分では考えないようになるのでしょうか。「おみくじ」に頼るようにAIに頼ることになるのでしょうか。

多分人間はそうはならないでしょうと多くの人は考えているでしょうし、それが正しい判断だと思われます。

何故かというと、人間には欲があるからです。そのうちに欲を持ったAIが出てくるかどうかは知りませんが、人間は、ある意味では怠惰で、その上に欲望を持っていますから、自分の欲望を満たしてくれるものがあれば、必ずそれを利用して、より多くの、難しい欲望を充足しようとするでしょう。

つまりAIは、人間の要望を満たすために利用されるという役割で存在するという事になるのでしょう。

人間の欲望と人間の文化は基本的に関係があるようですが、このブログでは人間は2種類の文化を持っていると思っています。

それらは「競いの文化」と「争いの文化」です。  

人間の欲望は相手に勝ちたいという意識につながり、それが人類社会の発展の原動力になっているのでしょう。

勝ちたいという欲望の発現の形ですが、優れた相手を超えようと努力するのが競いの文化で、相手を倒して勝とうというのが争いの文化です。これは古代ギリシャの昔からオリンピックと戦争という形で共存しています。

古代ギリシャでは競いの文化をより高い文化とし、オリンピックに期間中は戦争を中止しています。

 

AIは今、兵器に組み込まれています。人間だけが文化を持ち、機械は文化を持ちません。その人間が、AIを争いの文化に組み込み、相手を倒すことに熱心です。AIが文化を持ったら「ヤメトケ」言いそうですね。


トランプさんの考えるアメリカと世界?

2025年07月18日 20時46分57秒 | 文化社会

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トランプさんの第一次政権の構想からすれば、今回の政権の構想は明らかに進化しています。

第一次政権では、「アメリカ・ファースト」というスローガンが示しますように、第二次大戦の前後の時期のような圧倒的な経済力を誇る国にしたいという気持ちが強かったようです。とくに中国や日本がアメリカ市場で大きな利益を上げ。アジア諸国がそれに続き、中南米の国々は、大量の移民をアメリカに送り出し、アメリカの豊かさを当てにした行動で、アメリカの豊かさを侵食してる。アメリカはアメリカ人のためにあるべきであるとなります。

この主張にアメリカの没落した中間層は強く共鳴したのでしょう。

トランプさんの勝利は、世界を驚かせましたが、背後には「アメリカは被害者」という意識の拡大があったのでしょう。

被害者意識を共有させ、人心を収攬するのは、国民が漠然とした不満を感じているときには大きな効果を発揮します。

トランプさんは国境に壁をつくり、中国とは関税戦争をし、日本には対米の支出増大を求めるなどの政策をとりました。

しかし、派手さはあっても成果は上がらず、再選はなりませんでした。

落選時の行動が異常でした。国会の占拠行動はトランプさんの執念の異常さを感じさせ、「選挙が盗まれた」と公言し訴訟を起こし、負けた時は潔くというアメリカのしきたりを無視しました。この辺りにトランプさんの大統領という地位への異常な執念が見られます。

しかし、地道なバイデン政権の政策は人気がなく、アメリカ国民は、再びトランプさんを選んだのです。

今回掲げたのは「アメリカを再び偉大に」のスローガンで、「何かやってくれそうだ」という国民の不満に応えるものだったようです。

グリーンランドはアメリカが面倒を見る、カナダは51番目のアメリカの州にする、ウクライナやパレスチナの戦争は3日で片付ける、国内では、ラストベルトは繁栄を取り戻すと謳い、アメリカはそれだけの事が出来るという破天荒な発言は再びアメリカ人の「何かやってくれる」という意識に火をつけたようです。

こうして第二次トランプ政権は、とランプ大統領の再来となれば、アメリカの世界での地位は暴騰し、世界はアメリカを頼りにするという国民の意識に支えられたようです。

歴史を顧みれば、これは極めて危険な、独裁的な行動と、それを是とする国民の支持という「独裁制・専制主義」への入り口に見えてきます。  

アメリカが独裁国になるなどという事があるはずがない」と誰もが考えるのですが、現実は随所にその方向を示唆する事象が起きています。

前回も触れた大学への干渉です。さらには、ブラジルの政権交代への干渉も正常ではありません。

そうした行動から危惧されるのは、時とともに高まるトランプさんの権力への願望です。アメリカの最高権力を握れば、世界を自分の思う形に作り替えることも可能といった意識の膨張です。

トランプさんにもアメリカにも失礼ですから勝手な妄想はやめましょう。

もし、続きを書くとすれば、それはトランプさんが、さらにアメリカ大統領を続けたいという発想を口に(SNSに)した時でしょうか。


豹変するトランプさん、学習の成果?

2025年07月15日 12時04分18秒 | 文化社会

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世界中が「今年は予定がたちません。トランプさんが何を言い出すかわからないからです」というような状態になっています。

なんだかんだ言っても、世界中が何か、トランプさんがやってくれるのではないかと期待している雰囲気があるのが奇妙です。

最近の大きな変化は、プーチンはダメだ、戦争をやめる気はない。ロシアとロシアからエネルギーを輸入する国も経済制裁を考える、となりました。

プーチンはいい奴だ、俺は好きだ、といっていたのはどうなったのでしょう。

一方ゼレンスキーさんに対しては、アメリカは、ウクライナ援助はしない、もう少し戦争を続けるしかない、といっていましたが、援助を再開することにしたようでパトリオットも供与するとのことです。

関税問題と違って、これはディールではないようです。

もともとトランプさんは、独裁者が好きなようで、第一次政権の時も北朝鮮の金正恩さんとの会見をTVメディアに乗せ、今回の政権では、自由民主社会に侵攻するロシアのプーチンさんへの理解を公言し、ハマス殲滅を図るネタニヤフさんを全面支援し、今回の関税問題でも、ブラジルに50%の高率関税を課して、ブラジルのトランプと言われた前大統領ボルソナロさんを擁護したと言われています。

こんな行動様式を見ますと、トランプさんは、アメリカという世界最強の民主主義の中で育ち、選挙で選ばれて大統領になった人ですが、実は民主主義の非効率性に個人的に不満を強め、物事を思い通りに即断即決して効率的に事を運ぶのがいいという考え方を、腹の底で育ててきたのでしょう。

その効率性追求というのが社会にとって最も危険というのが、広く知られた結論ですが、「急いては事を仕損じる」とか「急がば回れ」といった知恵に到達する前の段階のうちに、世界で最も偉い大統領とみられるような立場に立ってしまったという事のように思われます。

そういう意味では、今回の大統領4年間の在任期間は、トランプさんにとって、世の中というものは、思うようには行かないものだという事を学習する期間になりそうです。

既にウクライナでも、パレスチナでも、思い通りには行かないものだという事をまさに「実学」で学習することになったのでしょう。

上手く行かないと格好が悪いですから、そこは「ディール」だという事にして、次々新しいことを言い出しても、いい加減だとか、朝三暮四だとか言われないように頑張っているのではないでしょうか。

今回の対ロシア・プーチンさんへの態度の変化は、些かディールというには難しいようで、学習の成果と考えたいところですが、もしそうであれば、可能性が出てきます。

それは、トランプさんも本当の事が解かれば、豹変もありうるという事です。

トランプさんにただ「イエス」と言うのではなく、本当の事を上手に腑に落ちるように説明してあげられる人が必要なようですね。


楽しくなければ仕事じゃない:仕事と人間」

2025年06月05日 13時43分13秒 | 文化社会

もう長い間仕事はしていません。でも日曜以外は毎日ブログを書いています。家事は家内と分担して、なるべく負担は平等になるように、楽しくやれるように工夫します。

「Work and Life」という言葉がありますが。年金生活者の毎日は、すべて「Life」で 「Work」は無いということになるのでしょう。

多分、こうした考え方は欧米流の「働く」のは所得を得るためで、人生(生活・Life)の一部を犠牲にしなければならないという二分論から来るのでしょう。

これは旧約聖書の、アダムとイブがリンゴを食べるという原罪を犯し、その罰として永遠の命を失い、男は生活を支えるために働き、女は子孫を得るために分娩をしなければならない、(英語のlabour は労働と分娩の意味を持つ)という記述に由来するのでしょう。

今の欧米人に聞けば、大体、そんなのは昔の話ですよと言いますが、働かなくて暮らせれば結構と考える人は多いようです。

日本人は「勤労」という言葉があるように、働くことは世のため人のためになる貴い事だという認識があります。

欧米もだんだん日本人の考え方のようになってきたようですが、その日本で「過労死」などと言う言葉が生まれ、勤労(過労)の果てに、体を壊したり、自殺といった事も起きるような事が起きています。

働く事は貴いことだ、という素晴らしい認識がある日本人が、そんな行き過ぎを犯してしまうというのは大変残念です。

過労という問題の背後には、それぞれに多様な原因があるのでしょうから、ひとくくりに「誰が悪い」という言うことは不可能でしょう。

ただ、昔から言われますように「働く」は「端を楽にする」のだよと意味付けすれば、多少の苦労はあっても人の役に、社会の役に立っているというやり甲斐や満足感を持つ事が出来るでしょう。 

大事なのは、本気で仕事をしていれば、そうしたやり甲斐を感じられる雰囲気を職場の中に作り出す「職場環境づくり」のように思うのです。

職場に良い雰囲気を作る、ことは、職場の全員の協力が必要ですが、そうしたみんなの協力を得るのに最も必要なものは、リーダーの能力です、理解力、包容力といった人柄をベースに、メンバーを育てる指導力です。

メンバー(部下)を成長させ、成果を出す、これがリ-ダーの役割です。

人間は誰でも、自分が成長出来たと自覚した時、生き甲斐、やり甲斐、充足感をもつのです。

楽しんで仕事ができる雰囲気が最も大事なのです。「楽しくなければ仕事じゃない」というのは些か言い過ぎかもしれませんが、日本の伝統文化の中にはそうした仕事のやり方を可能にする要素があるのです。

その最大の責任者はリーダーです。悲劇は、リーダーが不適切な人間の時に起こることが最も多いようです。

因みに、兵庫県庁の事件などは、こうした視点から見ていく事も大事ではないかと思うところです。


<土曜随想>急速に進化するAIとどう付き合うか

2025年05月31日 14時13分46秒 | 文化社会

AIという領域は、まだ始まったばかりでAI自体が、今後の在り方を模索している状態でしょう。

といってもAIが模索しているのではなく、AIを設定する人たちが模索しているといったほうが正確かもしれません。

あらゆる学問の分野、研究の分野でも問題が複雑であればある程その発展には時間がかかります。これからも、AIの進化は長い間続き、人間の役に立つものに進化していくのでしょう。期待して待ちたいと思います。

例えば自動車というシステムを考えてみれば、はじめは、歩くより、馬に乗るより、具合よく移動するだけだったのでしょう。しかし今は交通インフラ通信インフラの発展もあり、自動車の用途は大変広くなりました

AIは、人間が情報を集めて整理して、それからいろいろなことを読み取って今後の役に立てるというのが基本システムのように思えます。

例えば、裁判官や医者が、いくら勉強しても、六法全書、判例のすべてを読ん忘れずに覚えているというのは無理でしょう。医者が患者のあらゆる病気の症状や訴求をすべて経験して、正確に記憶し続けている事も不可能でしょう。

しかしコンピュータには出来ます。さらにAIにはそれを整理して、問題を与えれば、それに関する適切な回答の形で、器用にまとめて報告するということも出来ます。そんな事の出来る有能な部下がいたら素晴らしいでしょう。

そういう意味では、AIは素晴らしい仕事をしてくれる部下です。裁判官や医者が、過去のあらゆるデータをもとに判断をする事が出来るのです。

では、裁判官や医者は、AIの言うとおりに判断するでしょうか。多分、その上に自分の体験、事件や症状の現実の状態を重ね合わせ、自分の判断をする際の重要な参考資料とするのでしょう。そうしたプロセスを経て、判決や診断がより良いものになるというのがAIの効果、AIの役割でしょう。

AIは過去の記録の集積です。例えば、AIに「今のトランプさんの関税政策の効果は?」と質問してみてください。最近の多くの識者の意見の要約を「うまく纏めたな」といった答えがまことしやかに述べられるでしょう。

こうした我々にも解からない事はAIにも解からないようです。最後に「あなたはどう考えますか」などと言ったりします。AIも新情報を得たいようです。

ただ、人間が絶対適わないのは、覚えたことは忘れない事、計算(思考のスピード)が圧倒的に早い事です。(関数電卓で経験済み)

しかし、AIの活躍の分野はどんどん広がっています。常識(過去の情報の集積)と関係ないところ、例えば、SFや怪奇映画、空想的な小説や漫画、ゲームの世界、更に、新しい絵画や音楽などの創作の世界などでは、斬新な発想(思考の組み合わせ)、乱数表的な無限の組合せから全く斬新な作品が生まれることもあるでしょう。それは、教養とか娯楽とか言われる分野です。

ただ、最終的にそれが受け入れられるかは人間の感性が決めるのでしょう。

AIの役割と人間の役割の分担はAIの進化次第、人間の感性次第で変わるでしょう、でも、最終的には、やはり人間が判断することになるような気がします。その理由については、改めて書いてみたいとも思っています。


米価問題の現実と政府の妄信、国民の従順さ

2025年05月19日 20時14分20秒 | 文化社会

マスコミ報道を集めてきただけですが、1年間で2倍以上の値上がりが実現した米価問題の原因がどのあたりのもので、なぜそれがこんなにすんなり実現したのかの理由、納得しないが、しょうがないといっているような民意といった、ある意味では日本らしい現状が何となく見えてきたような気がしますので、今後のために一応まとめておきたいように思います。

事の起こりは、昨年産米の農協の買取価格が、前年より3割上がって17,000円近くになったので、限界農家お方が、それなら何とかもう少し米作を続けようかと考えているという声でした。

その後農協の買取価格についての報道などでは高値の買取が多くなったのでしょうか、農協は60キロ24,000円ほどで買っているといった記事もあります。備蓄米は60㎏21,000だそうで、値上がり前のコメでしょうから政府は大分儲けたようです。(政府が儲けていいのでしょうか)

スーパーなどのコメは5㎏ですからこれを12分の1にすれば原価が判ります。精米すれば目減りするでしょうから、正確のところ何分の1にすればいいかわかりませんが戦後一升瓶と竹の棒で精米した経験でいえば、そんなに減らないでしょう。

24,000円を12で割れば1,200円です。小売で5㎏4,200として、2,800円がマージンです。一昨年まではこのマージンは1000円足らずでした。

農家の手取りが3割上がって、小売価格な2倍という計算はどう考えても自然現象ではない、何らかの意思が入っているという以外にないでしょう。その状況証拠は、コメ自体が足りないのではなく、昨年も平年作、今年は農家が値上がりを見越して作付面積を増やしていること、当然作付面積も増え収量も増えることはわかっている状況の中で、コメの小売価格は下がらないとみんなが思ってしまっているという現実です。

コメの消費量は年々減っています、その中でコメは収量が増えても価格は下がらないと多くに人が信じるためには、「何が必要」でしょうか。

消費者がそう信じれば、業者は、売り急ぐ必要はないと思うでしょう。もし政府が「米価は上がりすぎで、これからは5㎏2500円程度に下げると言ったら、おそらく売り急ぎになり米価は暴落、収拾がつかなくなるでしょう。

消費者、業者に米価は下がらないと信じさせることのできるのは誰でしょう?

政府は年々消費量の減少するコメ、高齢化し減少する米作農家のバランスを上手にとり、米価を安定させてきました。5㎏2000円米価が10年も続いてきたのは大変な腕前です。(政府は信用されてきていた)

トランプさんが「日本車」に25%関税をかけると言って政府は反発していますが、「米(こめ)」では、日本政府は700%の関税(+ミニマムアクセス)でアメリカを納得させています。

日本国民はやはり従順で、政府はそんなに間違ったことはしないと考えているのでしょう。

しかし、日本のコメも日本酒やワインやウィスキーのように、品質とブランドで、世界に通用しそうになってきています。

何か、間違ったことを一生懸命やっている日本政府なのですが、あまり巧くできているので、国民は、あまり文句も言わず、マスコミも、識者も、恭順ということなのが、やっぱり日本人らしいのかななどと考えるところです。


トランプさんと一緒に、社会・経済の勉強です

2025年05月14日 12時09分45秒 | 文化社会

第二次トランプ政権が「アメリカを再び偉大に(MAGA)」というスローガンを掲げて出発した際に、このブログでは、アメリカの繁栄を支えてきたマネー経済中心の新自由主義経済がうまくいくものかどうか高見の見物をしましょうと書きました。

その後世界中が混乱する中で、日々生起する事象、その顛末を見ていますが今回の中国との関税交渉を見て「やっぱり」という感じが強くなりました。

トランプさんは、「世界の警察」は、間尺に合わないから、やめると言っていましたが、アメリカの威光を着てのスタンドプレーは大好きなようで、とても止めそうにありません。

もともとトランプさんの発想は、不動産業界育ちですから、いい土地を沢山

手に入れて、開発し、事業を拡大するということでしょうか。カナダもグリーンランドもアメリカにしたいとはっきり言っています。

ウクライナについても、その地下資源の獲得に意欲を燃やし、ガザについては地中海の真珠といわれる地域にアメリカ領のリゾートをという願望が絡んでいたのでしょう。

そういう「領土拡張で富を得る」という発想ですから、20世紀以降の日本型の経済発展、つまり領土などは狭くても、国民が創造性を持って真面目に働けば、いくらでも豊かになれる、という方式(これはアセアン諸国から中国南部まで広がりました)とは違った19世紀までの型です。

実はアメリカも効率的に働く発想(日本もそれを学びました)で1960年代までは世界の覇権国、基軸通貨国として君臨できたわけですが、次第にマネー中心の新自由主義になって、マネーという外装は立派ですが、生産を行う、付加価値を作るという中身の空洞化が進んでしまいました。

トランプさんの「MAGA」は、「19世紀型の領土の拡張」と「生産の空洞化は関税で対応できる」の2つの柱で成り立っていたのでしょう。

しかし、領土のほうは「脅し」や「圧力」が反感を買い、生産の空洞化のほうはサプライチェーンが複雑なアジアとの相互依存、アメリカ労働力自体の空洞化(高賃金、低能率)で、競争力を持つのは農産品ぐらいといった状態です。

大変皮肉なことですが、現状では出来ないことを「できる」と豪語して支持を得て出発したトランプ政権が、世界を混乱に陥れ、少しずつ現場を追認して、混乱を収めることで安心を買い、当面の安心を「成果」として喧伝しているというのが実情に近いのでしょうか。

このプロセスはまだまだつづきそうですが、これでは何ら問題の解決でも前進でもないのです。

トランプさんは、4年の任期では済まないので、その後もやるという意思もあるようですが、それは独裁者に共通な心理です。十分注意が必要です。 

アメリカ国民も、我々世界の一市民も、トランプさんと一緒に、今の世界の在り方を体験しながら勉強できるというのも、将来の役に立つかもしれないと思って、毎日のニュースを見ましょう。


連休の終わりに「しゃっくり」を止める方法

2025年05月06日 16時16分56秒 | 文化社会

歳を取ったせいか、最近はあまり「しゃっくり」が出ません。

然し「しゃっくり」というのは困ったもので、出始めると、どうにも止まらないことがあります。

ネットでもいろいろと「しゃっくり」の止め方の解説がありますが、分かりにくかったり、うまく効かない場合もあります。

サラリーマンになったばかりの頃、時々「しゃっくり」で困ったことがあって、その時親切な友人が、「多分これ大丈夫だと思うよ。やってごらん。」と言います。

という事でやってみたのが、この方法です。

 

・コップに半分ほどに水を入れて持ちます。

・ほんのちょっとだけ水を飲んで、ゆっくり「ひとーつ」と数えます。

・またほんのちょっとだけ水を飲んで、ゆっくり「ふたーつ」と数えます。

・あとは繰り返しで「とー」まで行きます。

多分、「とー」まで行かないうちに「しゃっくり」は止まっていると思います。

 

私の経験では失敗したことはありません。

うまくいったら大成功、うまくいかなかったら「大変申し訳ございません」です。


経団連、エンタメ・コンテンツ産業に意欲

2025年04月30日 13時48分09秒 | 文化社会

経団連といえば、春闘の賃上げ問題と政治献金で有名な団体ですが、もともとは、ご存じのように「経済団体連合会」という名前で、日本経済の産業界全体の発展を統括する団体です。

そういう意味では戦後の日本経済の発展をけん引した電力、鉄鋼、そして、電機、自動車などが主力で、近年は化学、生保が会長を出すといった変遷の中にあるようです。

政治献金は政権党と経済界との良好な関係を保ち、日本経済の発展に貢献するという意味でしょうし、近年の賃上げ重視は、嘗て統合した日経連の労使関係問題を継承し、消費不振の日本経済を消費需要の増加で活性化しようといいう目的からの注力でしょう。

ところが今回は一寸変わったニュースが出てきました。

従来の経団連とは些かイメージが違うと感じられる方もあるかと思いますが、日本はこれからエンターテイメントのコンテンツを大きな産業の柱にしていくべきではないかという提言です。

経団連には「クリエイティブ・エコノミー委員会」(委員長:ソニー・ミュージック・エンターテインメント社長の村松峻亮氏)があって、そこで日本のアニメや音楽といった分野の優れたコンテンツを世界に輸出していこうという積極的な方針を打ち出しているのです。

トランプさんは、日本といえば自動車の事ばかりで「日本車はアメリア中で走っているのに、日本ではアメ車は1台も走っていない」などと言って目の敵にしていますが、サービス収支を見れば、アメリカは世界一のサービス収支の黒字国でそれには映画、音楽などのエンタメ・コンテンツも大きな役割を果たしているようです。

モノでもコトでも同じで、売れるか売れないかは、良いか悪いか、魅力がるかないかで決まるのです。

日本の文化は、時代遅れなどと言われていましたが、もともと日本人ほど繊細な感覚を持っている国民の国は、そう多いものではないようです。ゴッホが写楽や北斎に感銘したり、フランスでジャポニズムが流行ったりという事はありますが、大分前からジャパニーズクールなどという感覚が外国人の間で生まれたり、日本のアニメの奥深さが海外でも理解され始めたりで、上記の松村俊亮氏によれば、海外で「日本のイメージは?」と聞けば「ポケモン、鬼滅の刃、ワンピース」と返ってくるそうです。

京アニの惨劇の時、海外からの追悼の反応の大きさに驚いた日本人は多かったのではないでしょうか。

さらに最近は音楽と舞台と映像の組み合わされたエンタメの活動が熱狂的な人気だといったことも聞きます。

幸いなことに、今はいろいろな種類の記録装置が生まれています。こうした分野が、日本文化の世界への発信になると同時に、その素晴らしさへの感銘が媒体(記録装置)によって巨大な輸出産業になることに、経団連が気付いたことは日本経済にとっても大きなことではないかと共感するところです。

経団連は、「この種の産業はまさに無から有を生じるもので、クリエーションそのもの」であって、「そこで最も重要になるのは、そうした人材の育成」で、「日本はそれに力を入れなければならない」と強調しています。

そして多分、その人材育成のベースになるのが、日本列島の自然の中で、1万数千年の時間をかけて培われた日本人の繊細な感覚ではないかと想像するところです。今後の発展に期待します。


昭和100年の「昭和の日」に

2025年04月29日 11時35分56秒 | 文化社会

今日は昭和100年の「昭和の日」です。

昭和8年に生まれた人間として、昭和100年まで生きられたことに感謝したいというのが今朝の率直な気持ちです。

生命を与えてくれた両親をはじめ、世の中のすべてに支えられて、日本のこの時代に生きてきたのです。そのすべてに、恩返しをしなければならないという気持ちをあらためて強くするのが、今日の「昭和の日」です。

ところで、かつての「昭和の日」に「2つの昭和」とこのブログに書きましたが、「昭和」は全く違った2つの時代に分けられます。

分けられた日は昭和20年(1945年)8月15日で、日本が太平洋戦争で敗戦を決めた日です。

この日までの日本は、アジアの盟主となるために、戦争をして相手を倒し、日本の支配下に置こうという軍国主義、拡張主義の国として、先進諸国をはじめ抗う国に立ち向かう国でした。

しかし、この日を境に日本は全く変わりました。国内でもいろいろな議論はあったようですが、結局、日本は戦争をしない平和な国になり、世界の諸国とは友好を保ち、経済、科学、文化の発展をもって国是とし、世界の発展の貢献する国になることを決めたのです。

そして、日本国、日本人はこの大転換を、確実にやり、戦後80年の中で、この日本の選んだ道が、人類社会の進む道として間違っていないことを確認し、確信して生きてきていると、世界からも次第に認められ、信頼される国になってきているのではないでしょうか。

こうして大きく変わった日本ですが、その背後には、昭和20年までの戦争のあらゆる面を経験し尽くしたことがあるようです。

相手を倒しても、それが平和に繋がることはなく、最後には原爆の被爆国になるという戦争の決定的な惨禍を経験するという現実から、戦争の無駄と不条理を、徹底して噛みしめた事があったのではないでしょうか。

加えて言うならば、日本人は、経験から確り学ぶことができる文化を持った国民だったということがあるように思うのです。

日本では、その歴史を画した2つの時期があります。1つは明治です。もう1つは昭和です。明治の時代に、日本は、内戦を卒業しました。そして昭和の時代に日本は外国との戦争を卒業しました。(偶々、明治天皇と昭和天皇の誕生日は国民の祝日になっています。)

日本人は失敗の経験を反面教師として、そこから卒業する文化を持っているのです。

そうした文化を持ちながら、それに気づいていないのも日本人の特徴かもしれません。

日本人は、優れた文化を持ちながら、外国人から指摘されて初めて気づくこともずいぶん多いようです。

今日、昭和100年の「昭和の日」に、そうした日本人の優れた文化に気付いて頂けるといいなと思っています。


人口問題と移民問題:人類の課題

2025年02月25日 12時53分17秒 | 文化社会

アメリカではトランプさんがメキシコとの国境に壁を作っています。

アメリカ・ファーストの一環という事のようですが、アメリカ湾がメキシコ湾になれば、メキシコもアメリカにすればいいのかもしれませんが、そうは言いません。

一方、カナダにはアメリカの51番目の州になれと言ったようですが、メキシコに言わないのは、それなりの理由があるのでしょう。

ドイツでは移民反対を掲げ、極右と言われるAfDが昨日の選挙で第2党になりました。

ドイツだけではなくヨーロッパの多くの国では、嘗ての寛容な移民受け入れから、世論の中には移民反対の意見が多くなっているようです。

ヨーロッパはアラブやアフリカから近いですから、移民・難民を満載した小舟がイタリヤやギリシャの海岸に漂着したり、途中で沈没の悲劇が起きたりして、そのたびに、難民、移民の問題は深刻に論じられます。

嘗ては、白人優位といった人種差別がありましたが、結局は人類はみな平等という理念が定着していますが、人種とは別に、人間が国境を越えて他国に定住する、あるいは国籍を変えるとい問題は、社会的、経済的な問題として、今も、そして今後も残るようです。

社会の単位といえば、最大の単位は国で、最小の単位は家族という事でしょうが、それ以外の単位の間では、人の移動は比較的自由ですが、国と家族の場合だけは簡単ではないという事になっています。

そして、今もそれについては殆んどの人が「それもまあ当然でしょう」と感じているのではないでしょうか。

理由はそれぞれの人が感じる通りのものではないかと思うのですが、つまりは、国と家族は、基本的に強固な共同体で、思想信条、人間関係、経済的共同体制がが確立していますから、抜けるのも、入るのも人間の感覚として、また経済的な関わり合いからして多くの障害があるという事でしょうか。

あの家はお金持ちだからあそこの子供になりたいとか、あの国は社会保障完備だから、そろそろあの国に住みたいと言っても無理でしょう。

ところで、先進国であるG7の国の合計特殊出生率を見ると、高低はありますが皆「2」に達しません。移民がなければ、どの国も人口減少なのです。

人口減少、高齢化、国のバイタリティも弱くなるでしょう。多分その前に労働力不足に直面することになります。 

ということは現実的に豊かな先進国は海外から労働力を入れなければならないという問題に直面しているのです。

移民を入れないと、経済が成り立たないとなりますと移民は必要という事になります。

今アメリカ経済は比較的順調で雇用の伸びが好況の証になっています。そして人口も増えています。そして増加の8割が移民です。

アメリカ・ファーストに移民が役割りを果たしているのでしょう。実は、先進国は、みな同じような状況なのです。

 

これは人類の課題ですから、何か良い人類の知恵が必要なようです。


建国記念の日:思い出すままに

2025年02月11日 15時39分50秒 | 文化社会

今日は「建国記念の日」で、国民の祝日です。

国民の祝日ですから,国民が揃ってお祝いをするべきなのかもしれませんが、主要新聞を探してみても、建国記念の日に関する記事はないようです。

宮中では歴史に則った行事が行われるのでしょうし、総理大臣は「公告」をだし、「建国記念の日」に国民が「我が国の歩みを振り返りつつ、先人の努力に感謝し、更なる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。」と結んでいます。

我が家では家内が「建国記念の日は、国民の祝日の中で一番静かですね」と言っています。

祝日の趣旨からいえば、日本という国が生れた日ですから、もう少し賑やかでもいいかなと思いますが、殆んど誰も関心を持たないというのが日本で、それが日本らしいと言えるのかもしれません。

記憶を辿れば一番賑やかだったのは昭和15年(1940年)の建国記念日、当時は「紀元節」でした。

この時は、日本が歴史的に箔をつけるために作った「皇紀」では2600年という事で日本中がお祝いムードで、「建国団子」という「お団子」が流行り、家族で、デパートに食べに行った記憶があります。「紀元2600年」という歌も出来ました。

そうして国民を徹底鼓舞した政府は、翌昭和16年12月8日に太平洋戦争に突入しました。結果は皆様ご承知の通りです。

話変わって、これは古事記にまつわる戦後の話です。昭和50年代だったと思います。宮崎に出張の折、ホテルを出て海岸沿いの道を散歩していました。

そこに「天皇、皇后両陛下ご用達」と看板を出した小さな菓子屋らしい家がありました。皇室ご用達はいけないはずなのに思いながら、面白いので入ってみました。お年寄りの方が店番で、短冊に切った豆餅が並んでいました。

「両陛下ご用達ですか」と聞きましたら、昔、神武天皇になられた神倭伊波礼毘古命(カンヤマトイワレヒコノミコト)が、この日向の国からご東征にお発ちになるとき、両陛下に献上した御餅だと説明してくれました。

それなら是非頂きたいと買って帰って家内と食べましたが、甘くて柔らかい豆餅でした。その後も宮崎に行きましたが、その店は見つかりませんでした。

今日はその神武天皇が大和の橿原の宮で初代天皇として即位された日という事になっているわけです。

「もしかしたら同じ餅を食べたのかもしれないよ」と家内と笑いました。

古事記の神話と、縄文、弥生の考古学がどうつながるかは別として、日本の伝統文化にはいろいろ面白く、賢く、良い面があるように思います。

嘗て日本の一部の跳ね上がった人たちが、それを使ってとんでもない誤りを犯しました。

これからの日本は、考古学も、神話も含めて、世の中が良くなるように活用する事が大事だとつくづく思うところです。


人工知能と人間の知恵

2025年01月18日 22時23分35秒 | 文化社会

この所のAIの進歩は、ますますそのスピードを上げてきているように思われます。

人間がやるよりAIに任せた方がずっと要領よく仕事をこなしてくれるという

分野がどんどん増えてきているようです。

AIの方が、人間より優れている点は基本的に2つあるように思われます。一つは、人間は忘れるが、AIは一度覚えたことは決して忘れないという点でしょう。もう一つは考える速度、典型的には計算する速度が圧倒的に早いという点です。

この2点は、現状でも人間はAIに全く敵いません。人間は、沢山知識を吸収しても適度に忘れて、本人が重要なものを中心に記憶しながら、重要でないものは整理するようです。しかし時には重要なものも忘れたり、忘れたものが重要になったりします。

例えば、2の10乗根は≒1.072と覚えていても、計算できる人はほとんどいないでしょう。計算方法を覚えていても、大変な時間がかかりそうです。しかし何千円かの関数電卓が1秒もかからず計算してくれます。

でも、それで人間が困ったという事はありません。人間はそれを使って仕事を早くやって助かっているのです。

同じようなことは人間の「体力」については産業革命のころから起きています。蒸気機関は人間より桁違いの力があります。それ以前、人間は自分より力のある「馬」を使っていました。蒸気機関は馬より力があるので馬何匹分の力という意味のHP、馬力を単位にして、馬は競馬と乗馬クラブでしか使わなくなりました。

それからガソリンエンジンが出来、電気モーターが出来て、自動車、飛行機、新幹線、人間の力ではとても出来ない事が出来るようになりした。人間は、力仕事は機械に任せ、自分の力はスポーツを楽しむのに使っています。

勿論、馬が要らなくなったように、人間がいらなくなるという心配もありました。しかし結果は、新しい仕事が沢山出来て、却って人手不足です。

体力が機会に負けても、人間はそれを使って、とてつもない発展をしてきたのです。

体力の次は頭脳です。これはホモ・サピエンスが格段に優れていて、地球の支配者になっています。その頭脳に機械が挑戦を始めたのです。まず計算機からコンピュータに発展してきました。

人間は、「体力」の時と同じように、それを使って自分の頭脳だけでは出来ない計算から多様な文化活動まで頭脳的な活動の領域も、どんどん広げて来ています。

ゲーム、アニメといった分野は日本の得意技になっています。俳句や短歌も作りますし,囲碁も将棋もやります。小説を書いたり、絵も描けます。ただし、上手か下手かは人間が決めるのです。

仕事の分野では、速記録や講演内容の要旨、討論や交渉の記録も人間より早く出来ます。当然事務方の人間は大幅に減るでしょう。しかし結果の適否を判断するは人間で、AIは部下の役割です。

ところで、AIという機械は何処まで進歩するのでしょうか。それは人間が決めることなのです。自分(自分たち)の役に立たない機械は、人間は作らないだろうと思うからです。

お蔭さまで、人間は楽しむ分野が大きく増えて、(戦争などしなければ)もっともっと、いろいろなことに楽しめるようになると思います。


<月曜随想>新聞を読んでいて・・・

2024年12月30日 14時26分11秒 | 文化社会

子供のころ「小学生新聞」というのがあって、親がとってくれて兄弟で読んでいました。太平洋戦争が始まって、小学校が「国民学校」になり、新聞の名も「少国民新聞」になったことを覚えています。

そのころから新聞は身近なもので、毎日読むものだと思っていたからでしょうか、卒寿を過ぎた今でも、毎朝、新聞を読まないと(見ないと)1日が始まらないような癖がついています。

最近新聞を取らない家が多くなったと言いますし、情報はネットでみんな入って来るから必要ないという人も多いようですが、やっぱり新聞はやめられません。

強いて理由を考えれば、新聞というのは、情報の収集、整理、伝達のプロ集団が、プロの誇りをかけて、重要なものだけを凝縮して、一目で見やすくデザインして提供してくれるので、こんな便利なものはないと思っているからでしょうか。

これは、毎日先ず新聞を読まないと落ち着かないのが癖になってしまった人間の言い訳かもしれません。

そんなわけで、現役のころは当然ですが、今でも、新聞は1面から順番に見ていくことになっています

国際、国内の主要な動きトップ記事で見る、政治の動向は知っておかないと困るし、経済は最も関係が深いから確り見ておかなければならないと思いながら、何枚かめくるとスポーツ欄になります。スポーツ欄になると、もう斜め読みでいいという感じで、社会面も、帰りがけに一杯やった時の話の種です。

こんなブログを書いているせいで、今でも、こうした読み方は変わっていませんが、最近特にですが、ページを繰っていって、スポーツ欄になると、何か爽やかな気分になることがあるのです。

確かに、大谷選手や大の里関、女子やり投げの北口選手、パラテニスの小田選手、スケートボードの堀米選手、さらには次々と新星出現のフィギュアスケートのスターなど、日本の選手の世界での活躍はまさに目を見張るものがあります。

しかし、毎日そうした人たちの記事があるわけではなく、サッカーのリーグ、バスケットやバレーのリーグ、その他いろいろなチームの勝敗、個人の記録といった記事ですから興味のあるものもないものもあります。

ページを繰って、この頃スポーツ欄のページ数が多いかな、などというだけのことですが、社会面に行くまでは気分が爽やかです。

さてこれも何故だろうかと考えてみました。気が付いたのは、スポーツは勝った。負けたの世界ですが、負ければ悔しいが、ますます頑張るぞという気が出る爽やかさ、ポイントはこれのようです。「競いの文化」の典型です。

政治も社会もドロドロなものが多い、経済はカネに絡む権謀術策、戦争に至ってはは破壊と殺戮、読みたくなくても読まなければならない記事でしょう。

その中で、やっぱりスポーツは、いつも爽やかなのです。