tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

経営道義、企業倫理

2008年06月27日 10時23分44秒 | 経営
経営道義、経営倫理
 かつて、「経営道義の高揚」を、設立当初から「組織の活動目標」として掲げていた団体がありました。日本経営者団体連盟、通称日経連です。今日では、経団連と統合して日本経団連となっていて、経団連自体も1991年以来『企業行動憲章』を制定しています。そして、そうした精神は、年々日本経団連から出される「経営労働政策委員会報告」の最終章の「経営者は高い志を持たなければならない」といった表現に受け継がれているようです。
 
 経営道義とは古い表現で、今なら経営倫理とか企業倫理というのでしょうが、日本の企業文化の中には、本来、職人気質のような「経営者気質」があって、企業は金を儲けなければならないが、本来は社会に役立つものでなくてはならないという意味で「企業は公器」などという言葉が一般的でした。

 経営者の大先達、渋沢栄一も『論語と算盤』という本を書いて、「道徳経済合一論」を展開していますし、多くの企業の社是社訓を見ても、「社会への貢献」が先ず掲げられています。
そうした伝統を持つはずの日本企業における最近の不祥事の発生にはまさに目を覆いたくなります。

 これも「論語」を忘れて「算盤」だけが企業の目的という風潮を欧米から輸入した結果でしょうか。利益ばかりを重視する経営は日本には似合わないように思います。

  ところで、言葉や諺はたいへん大事 で、「医は仁術」が「医は算術」になり、「教師は聖職」が「教師は教育労働者」になって、日本の医療や教育の現場は大きく変わった、などと言われたりもします。

 今こそ日本経団連をはじめ、経済同友会、商工会議所、商工会、経営者協会、法人会などにマスコミを加えて「経営道義」、「経営倫理」、「企業は公器」といった言葉を、企業経営の「日常語」にする運動をしたら如何でしょうか。聖書にも「はじめに言葉ありき。言葉は神なりき。」とあります。言葉は大事です。

 ついでに申し添えますと、倫理を忘れて「利益」に走っても、インタネットと内部告発の時代です、必ず失敗して元も子もなくなりますと警告する人もいます。


コンビニと付加価値

2008年06月21日 10時31分56秒 | 経済
コンビニと付加価値
 モノづくりが付加価値を生み出すことは、誰でも容易にわかります。小麦粉などの原材料を上手に配合し、多少のエネルギーをかけて焼き上げてパンにします。たとえば、原材料やエネルギーの価格が50円で、パンが100円とすれば、「パン焼き」というモノづくりが50円の価値を生み出したことになります。

 5000円の布地や芯地を裁断し、縫製して、10000円のブレザーを作れば、このアパレル製作で5000円の付加価値が生まれることになります。

 コンビニの場合はどうでしょうか。コンビニは、モノを作っているわけではありません。カップラーメンも、ボールペンも、週刊誌も、ハンカチも、ビニール傘も、おにぎりも、ビールも、メーカーが作ったものを置いているだけです。

 それでも消費者は買いに来ます。値段はディスカウントストアーより多少高いかもしれません。それでも消費者は喜んで買っていくのです。

 コンビニは「便利さ」(コンビニエンス=convenience)という価値を商品に「付加」して消費者に提供しているのです。消費者は「便利さ」というサービスに対して金を支払っているのです。

 消費者が金を払ってくれれば、そこに 付加価値が生まれます。クルマを運転したい人は、自動車教習所に行きます。教習料は、運転免許取得までのサービスの対価です。大学も同じです。
 
 モノづくりは、人を満足させるために「モノ」を作って提供します。サービス産業は、人を満足させるためにサービスを提供し、人々がその「満足を得る」というサービスに対価を払うことで成立します。そういう意味では「モノづくり」も、「サービス作り」も、経済・経営的には同じということになります。


世界インフレの構造と対応

2008年06月18日 14時54分20秒 | 経済
世界インフレの構造と対応
 世界インフレの懸念が報道されています。特に新興国で著しいようです。べトナム、中国、フィリピン、・・・補助金で石油の値上がりを押さえてきたインドでも政府が負担に耐え切れず心配になってきているようです。

 このブログで先月 「インフレの原因(その1~3)」 を書きましたが、かつて第1次オイルショックの時日本が経験したことと同じことが、各国で起こり始めているようです。

 きっかけは「原油の高騰」と、それも原因の1つになっている食料の高騰です。これは明らかに「輸入インフレ」です。そしてこれが本格的なインフレになるかどうかは、「物価が上がったから賃金を上げろ」という賃上げ要求が起こり、国内で賃金インフレ(コストプッシュインフレ=自家製インフレ)に、輸入インフレが転嫁されるかどうかで決まります。この現象が新興国ではまさに起こり始めているようです。

 インドのシン首相は、「このインフレは原油や食料の世界的なインフレによるものだからガソリンの値上げを理解してくれ」と国民を説得しているようですが、これは輸入インフレを、輸入インフレだけにとどめようという政策で、これが最も大切です。成功を祈りたいと思います。

 さいわい主要国では、輸入インフレの賃金インフレへの転嫁はまだあまり起こっていないようです。労組が過去の経験に懲りて冷静さを保っているのでしょうか。 中国のように、政府主導で最低賃金を引き上げたところは対応が難しいと思います。

 これに対して、何でも金融でという風潮の中で、金融引き締めで対抗しようという意見が強いようですが、それでは対策が経済全体の活力を損なって、「角を矯めて牛を殺す」になってしまいます。賃上げ抑制こそが正しい処方箋と言うことを理解すべきでしょう。

 ところで、今年も日本の政府は、 最低賃金を大幅に引き上げるべきだなどと行政指導をしているようですが、自分たちの過去の経験から全く学んでいないようで、困ったものです。

何で安い日本の金利

2008年06月16日 22時27分39秒 | 経済
何で安い日本の金利
 だいぶ前に日銀は「ゼロ金利政策は止めた」といっていますが、未だに日本の金利は低いですね。国債でも定期預金でも、年率1パーセントあれば御の字という状態です。私もいろいろな専門家の方々に「何で日本の金利はこんなに安いのですか?」と聞くのですが、「よくわかりませんねー。」という答ばかりです。

 最近、医療保険や介護保険で高齢者の負担が重いという苦情が多いですが、貯金した退職金に3パーセントぐらいの利息がついたら、この不満もかなり解消するのではないでしょうか。

 何故金利が低いのか、いろいろ説がありますが、本当のところがよくわかりません。
・デフレだから金利が低い。
・金利を上げると国の財政が国債利子の負担で破綻するから。
・円のキャリートレードがやりやすいように。
・日本が金利を上げるとアメリカがドル安になるといって怒るから。
・円高になると日本が困るから。
・ ・・・・・・・
  
 その他いろいろいわれますが、何か人為的なものを感じる人も多いようです。
 金利にしても、為替レートにしても、本来マーケットによって決まるものなのでしょうが、今日では、マーケットそのものが実需よりも、巨大な「投機資金」によって占領されていますから、取引主体が、実体経済行為よりも、政府の思惑や声明などに反応することになっているようです。
 いずれにしても、この世界一安い金利について、日本銀行とか、財務省とか、金融庁とか、あるいは政府の関係審議会で重きをなしている学者など誰でもいいですから、国民が「ああそういう訳ですか。それなら致し方ないですね」と納得するような、筋が通った、そして解りやすい説明がほしいものです。


「失われた10年」:ダブルデフレ

2008年06月13日 10時52分42秒 | 経済
「失われた10年」:ダブルデフレ
 プラザ合意による急激な円高で、多くの企業がコストの安いアジア諸国などに出て行き、日本経済の空洞化などといわれる中で、アメリカは日本に、「内需拡大」をしなさいと助言します。これは円高の痛み緩和の麻薬で、後からの結果を一層ひどいものにした追い討ちでした。ことの本質が理解できなかった政府は、真面目に「前川レポート」、新前川レポート」などを出し、「内需拡大、金融緩和、労働時間短縮」などを推奨しました。

 このときの特徴は、極端な金融緩和政策です。銀行は競って金を貸し、その金は土地投機に向かい、バブルになりました。サラリーマンの賃金では一生かかっても、まともな住宅は買えなくなりました。しかし労組は、第2次オイルショックの経験がありますから、余計な賃上げは要求せず、生活物価の面では「自家製インフレ」は起こりませんでした。

 バブルの時は、みんな、資産価値の上昇で、コスト高による不況を忘れていましたが、バブルが1991年に崩壊してからは、①土地やゴルフ場会員権などの「資産デフレ」と、②国際競争力のないものの価格が下がる「物価のデフレ」の2つが明確になり、ダブルデフレの「失われた10年」に入っていきます。
 
 2007年の4月「 2種類の物価」というブログに書いてありますが、値上がり目的でない「実需」だけになれば地価は大幅に下がります(今の原油もそうでしょうか)。まだ都市の一部以外では下がり続けています。各種商品やサービスの国際価格に向けて下がります。今までこれが続いてきました。

 一部の学者・評論家は「デフレがデフレを呼んで、デフレスパイラルになる」などと心配しました。インフレはスパイラルになります。ドイツでは物価が1兆倍になったこともありました。しかし、デフレは限度があります。日本の物価が、外国の物価と同じになれば止まります。そこで賃金の下落も止まります。

 それでも、デフレは、実はインフレより恐ろしいと思います。この10年、15年で、日本社会は随分劣化しました。賃金も下がりました。定職をもてない人も増えました。やり場のない不満でしょうか、異常な犯罪も増えたようです。長すぎたデフレの影も一因のような気がします。その原点に「プラザ合意」があるとしたら、日本は今回の経験で、「大幅な為替レートの変更(切り上げ)」への回避策や、対応の仕方を十分学んでおく必要があるのではないでしょうか。

 蛇足ですが、中国は今、その圧力にどう対抗するか悩んでいるようです。


デフレの原因(その2)

2008年06月12日 10時48分35秒 | 経済
デフレの原因(その2)
 失われた10年といわれる長期デフレは、世界一高いといわれた日本の物価が、グローバリゼーションで激化する国際競争の中で、国際水準に向かって下がっていく過程だということを見てきました。コメやムギのように規制の厳しいものはなかなか下がりませんが、規制をはずせば、航空運賃でも、国際電話の料金でも、国際価格に向けてどんどん下がります。
 現実には、日本の商品やサービスの価格が毎年平均1パーセント程度下がり、外国の物価が年率2~3パーセント上がって、10年かかって、内外価格差は30~40パーセント縮小したという感じでしょう。

 ところで、話を本題に戻して、第2次オイルショックをほぼインフレ無しで乗り切り、世界でもトップクラスの国際競争力を持ち、ジャパンアズナンバーワンといわれた日本が、何故に、世界で最も物価の高い国になってしまったかです。

 とうにご承知の方も多いと思いますが、これは「プラザ合意」のせいです。
 プラザ合意というのは、1985年に、ニューヨークのプラザホテルで行われたG5(主要5カ国蔵相・中央銀行総裁会議:当時は5カ国)のことで、この席で日本は、「競争力が強すぎるから、円高にすべきだ」といわれて「OK」といったのでしょう(詳しいやり取りはわかりませんが)。その後2年で、$1=¥240が、$1=¥120円と 急激な円高になりました。

 円高とはどういうことでしょうか。円の価値が上がることです。したがって、円で取引するものの価格が、国際基軸通貨のドルで計れば、一律2倍になったわけです。日本製品の値段も、人件費をはじめとする日本のコストもすべて2倍になったのです。これで、日本は、2年間に賃金を2倍にし、物価も2倍という「自家製インフレ(ホームメイドインフレーション)」をやったのと同じことになりました。日本は「賃金も物価も世界一高い国」になり、第2次オイルショックをインフレ無しで乗り切った日本人の知恵と努力はすべてパーになったのです。第2の(経済)敗戦という人もいます。

 ここでも、日本は自分で努力はするが、外交交渉は全く下手という特徴を遺憾なく発揮したようです。そして、さらに日本は追い討ちをかけられています。長くなるのでにします。


デフレの原因(その1)

2008年06月11日 14時06分15秒 | 経済
デフレの原因(その1)
 インフレについての日本の経験については割合詳しく触れましたので、今回はデフレの経験についてみて見ましょう。

 デフレは、デフレーション(deflation=収縮)の略で、インフレの反対、物価が全体的、継続的に下がることです。

 失われた10年とか15年とかいわれる1990年代から2000年代の初期にかけて、日本は長期デフレでした。現在でさえ、最新の今年4月の消費者物価指数を見ると、「食料とエネルギーを除く総合」では昨年の4月より0.1パーセント下がっています。上がっているのは輸入インフレ部分で、国内部分はまだデフレ傾向が微かに残っているようです。

 世界の主要国で、この10年20年、デフレだった国はありません。みな多少のインフレです。何故日本だけデフレになったのでしょうか。
 多くの学者はバブルが崩壊して、3つの過剰が生じたからという説明をします。3つの過剰とは、「設備の過剰」、「雇用の過剰」、「債務の過剰」だそうです。債務の過剰はバブルのせいですが、設備や人手の過剰は、設備や人手が増えたからではなく、需要が減った、つまり製品が売れなくなったからです。

 つまり、3つの原因というのは、単なる現象面で、背後にある本当の原因は、国内でも海外でも、日本製品の値段が高くなって競争力を失い、売れなくなったからです。ご記憶の方も多いと思いますが、1990年代、「日本の物価は世界一高い」といわれました。私の持っている当時の日経新聞の切り抜きに「日本、デフレなのに、なお物価高世界一」という見出しがあります。英エコノミスト紙の記事の紹介ですが、これは「デフレなのに世界一」ではなくて、「物価が世界一高いから(グローバリゼーションの国際競争の中で)日本の物価は下がらざるを得ない(デフレにならざるを得ない)」というように読み替えるべきでしょう。

 日本製品は質がいいのですが、あまり高いと売れません。国内でも、衣料品をはじめ、「メードイン・アジア諸国」が普通になって、国産品は苦戦、国内旅行2,3日の代金で、海外旅行なら1週間などというご記憶をお持ちの方も多いと思います。グローバリゼーションの中で、売れるのは輸入品、国内企業は大幅コストトダウン、さもなければ廃業に迫られます。これがデフレ の正体です。

 かつて、「ジャパンアズナンバーワン」といわれたほどパーフォーマンスの良かった日本が、何故、世界一物価高の国になってしまったのでしょうか。もう「理由は先刻承知」という方も居られるでしょう。長くなるので、以下次回にします。


三権分立、残業、居酒屋タクシー

2008年06月10日 11時54分31秒 | 社会
三権分立、残業、居酒屋タクシー
 三題噺みたいですが、本当は大事なことだという気が強くしています。

 近代国家は、「立法、司法、行政」の三権が互いに独立しているのが原則だと思いますが、日本の場合は、本来、行政官である霞ヶ関のエリートのお役人が立法をしているようです。よく「あの法律は私が作った」といった話をお聞きします。国会で審議する法案を作り、与党の議員諸氏に説明・根回しし、時には答弁までして、法案成立に漕ぎ着けたという達成感があるからでしょう。

 法律を作る人がその法律の行政をするのですから、よく解っていて結構かもしれませんが、往々にして、国民には大変わかりにくくて、自分たちには良く解る法律・規則や、行政の裁量の余地を広く取るような巧みな技が駆使されているように感じられます。今回の後期高齢者の医療制度でも、負担軽減措置なども含めて、なんと解りにくく、お役所の説明を鵜呑みにしなければならないようなことが多いことでしょう。

 霞ヶ関の官僚は、立法の仕事もするのですから、当然国会対応があるので、国会がやっていれば、夜中でも何でも、待機していなければなりません。だから、深夜までの残業も、泊まり込みも厭わない、という気概です。しかしこれは本来の行政の仕事とは関係のないことです。もちろんこれは、官僚の方々が悪いのではなく、立法府が行政官僚を使うという今の「システム」がさせることです。だから、国家公務員法改正で、官僚の国会議員との接触を制限しようという案が出たり、あまり制限するなということになったりするのでしょう。

 こうして深夜の帰宅が当たり前になると、タクシーでしか帰れません。タクシー券という制度が出来るのでしょう。東京の通勤距離は長いですし、電車は終電まで混んでいます。それなら、終電が無くなるまで待って、タクシー券という誘惑・・・・・、人間の心の弱さも出るかもしれません。

 不況の中で、タクシーに長距離の客はなかなかつきません。多くの企業は昔と違って厳しく制限しています。タクシーのサイドから見れば、長距離固定客をつかめればこんないいことはありません。多少のサ-ビスは・・・・・、となっても不思議ではありません。

 こうして事態は進展してきたのでしょう。本当に悪いのは何なのでしょうか?

途上国支援のあり方

2008年06月08日 13時50分11秒 | 経済
途上国支援のあり方
 5月末には第4回アフリカ開発会議(横浜市)があり、6月はじめには食料サミット(ローマ)があり、世界的な食料価格の高騰問題もあって、途上国援助の問題が深刻になっています。

 日本は援助大国の1つということになっていますが、援助というのは、実は金額ではなくて、その中身だということを十分に考える必要があるようです。

 モノの例えとして、「魚を食べたい人に魚をあげるのではなく、釣竿をあげなさい。」といったことがいわれますが、本当の援助というのは(緊急援助は例外として)、釣竿をあげ、釣り方を教え、さらには釣り道具の作り方まで教えてあげることでしょう。

 貧しい人たちが自立できるようになるということは、自分たちで「拡大再生産」が出来るようになるとです。もらった物だけしかなければ、結果は分捕り合戦しかありません。これは争いの元です。自分たちで生産を増やせることがわかって、初めて協力して生産を増やす気になります。争いが無くなるのです。

 「そんな単純なことをお節介じみていうな」といわれそうですが、これは、労使の労働分配率の論争でも同じです。労働分配率を高めようという分捕り合戦的発想(労使対立)が良い結果につながらないことは、このブログでも、すでに縷々述べてきました。

 余談ですが、日本には、NICC(日本経団連国際協力センター)という組織があります。この組織は、アジア諸国の経営管理者に「日本企業の経営理念と人材育成、優れた日本企業の経営手法」の研修だけをやっています。経済援助に比べれば、かかるお金はずっと小額です。しかし、QC、5S、 改善、人間中心の経営、労使の信頼関係などの重要性を理解した経営管理者が、アジアでどんどん増えていることは、アジアの経済発展に大きな力になっているようです。


居酒屋タクシー

2008年06月07日 10時22分53秒 | 労働
居酒屋タクシー
 正直言って、こんなテーマではあまり書きたくないのですが、取り上げてしまいました。
 私どもとの付き合いでは、コーヒー1杯も、「遠慮します」と言うのが普通の(エリート)公務員が、相手がタクシー運転手だと気を許すのでしょうか。彼らの心の中に、無意識にダブルスタンダードがあるとすれば、それこそ問題でしょう。

 こうしたあからさまな問題のほかに、このニュースで改めて感じたのは、官僚の残業の多さです。深夜まで仕事をするからタクシー券がもらえる。「国のために仕事をしている」という自負があるから、深夜まで仕事をして、それを誇りにしているのかもしれません。しかし民間企業の従業員だって、結局は国の発展のために仕事をしているのですし、お役所からは、ワークライフバランスを考えろとか長時間残業は怪しからんといわれています。

 さすがにその問題の担当官庁である厚労省は、まだ居酒屋タクシー利用の人数を発表していないようですが、担当行政官本人たちが、深夜残業を「生活習慣(職業習慣?)」にしていたのでは、民間の行政指導はやりにくいという意識が働いているのでしょうか。

 官僚は、国会対応などがあって、夜中まで帰れないから仕方がないなどとよく言います。民間でも夜中まで仕事をしなければならないところはいくらでもあります。しかし、民間企業の場合はそれは残業の言い訳にはなりません。

 おりしも、国家公務員法の見直しが進んでいます。その中で注目すべきは、国会議員との接触の制限です。「行政官」が何故「立法府」の国会議員と密着しなければならないのでしょうか。三権分立の立場からは行政府と立法府は互いに独立でなければならないはずです。本来「国会対応があるから」などというのは、行政官の残業理由にならないはずのことなのです。

 この問題は、たまたまのニュース報道ですが、いみじくも、結果的に公務員制度の問題点をいろいろ垣間見せてくれるようです。

政府系ファンド(SWF)、日本の場合

2008年06月06日 15時23分27秒 | 経済
政府系ファンド(SWF)、日本の場合
 一部の産油国、シンガポール、ロシア、中国などが政府系ファンドを設立して、お金でお金を儲けることを考えているようです。

 日本でも、政府系ファンドを設立して、外貨準備を運用したらといった議論もあるようです。同じようなもので、すでに公的年金資産の一部も、お金でお金を儲ける投資(投機?)に運用され、儲けたり損をしたりしているようです。

 今日では世界中で「お金がすべて」みたいな風潮が蔓延し、お金でお金を儲ける「マネー資本主義」(資本原理主義 )に、世界中の巨大資本が動いていますが、基本的には、お金でお金を儲けてみたところで、「世界総生産」(世界全体の国の国内総生産の合計)が増えるわけではありません。世界の生産量は同じで、儲けた人のところに購買力が移転するだけです。

 政府系ファンドのやることも、結局それで、発展する地域や国があれば、また値上がりする資源があれば、それに投資して、その分け前に与ろう、ということです。それで上手く行けば、金を持っている国だけがますます得をすることになります。

 政府系ファンドの投資が途上国の経済発展を加速して、政府系ファンドがその余滴に与るというのなら、それは社会正義にかないますが、それなら、借款とか直接投資というのが本筋でしょう。

 「ファンドは基本的に豊かさを生み出すものではない」ということを明確にしていかないと「何で儲けてもお金はお金」といった困った考え方が大手を振って歩くことになりそうでう。

 日本人は、昔から「額に汗したカネ」と「あぶく銭」を区別する鋭い識別力があったはずですがどうしてしまったのでしょうか。

QC活動は残業

2008年06月01日 11時54分25秒 | 労働
QC活動は残業
先日トヨタ自動車で、QC活動を残業と認めるという方針が決められたと新聞に出ていました。認めるのが当然という意見が多いようです。

皆様もご承知でしょうが、日本のQC活動には戦後の長い歴史があります。
 QC(quality control)、日本語では品質管理ですが、これが生まれたのはアメリカです。アメリカにはZD(zero defects=無欠点)運動などというのもあり、戦後の日本人が憧れたアメリカの電化製品などの素晴らしさを支えていました。
 QCは統計的に、欠陥品(不良品)の出来る状況を分析し、原因を突き止め、原因を正して不良品を減らしていくという手法で、日本に教えてくれたのは、デミング賞で有名なウィリアム・エドワーズ・デミング博士で1950年のことです。

 QCには、「パレート図」「特性要因図」などの「7つ道具」という統計的手法があり、アメリカではQCオフィサーがそれを勉強して、現場の従業員を監督するというのが普通だったようです。

 日本に持ち込まれたQCは全く変質しました。日本では、現場の従業員全員がQCの「7つ道具」を学び、現場ごとにグループ(QCサークル)を作って、品質管理を現場従業員の全員の協力作業にしてしまったのです。これが日本製品の品質を飛躍的に高めたといわれます。

 こうしてQC活動は、職場の自主活動として始まったのです。自主活動ですから、昼休みや休憩時間、就業の前後など、ちょっとした時間を割いて意見交換や連絡調整が行われるというのが一般的で、正式な業務とはみなされず、企業は相応の手当などを支払って、自主運営に任せる形でした。学者は、「これは職場レベルの経営参加だ」と日本的経営の優れた点と高く評価しました。

 QC活動が残業になるということは、それが自主的な活動ではなく、企業の業務命令によるものだと規定することになります。QCサークル導入の初期の頃とは、世の中がいろいろと変わったからでしょう。しかし何となく心配になるのは、業務命令に変化したQC活動の中で、自主的活動という人間の主体的な意識と行動(これが創意工夫に最も必要)が、受動的な「義務感」に変質してしまわないかということです。何か良い方法はないものでしょうか。