今振り返ってみれば、第二次大戦後のアメリカは立派でした。戦禍で破壊されたヨーロッパにはマーシャルプランで援助し、無条件降伏した日本にはガリオア、エロア資金で援助し復興に協力しました。
日本に駐留した駐留軍(占領軍)も、色々問題はあったとしても、日本の自由主義圏の民主主義国として一本立ちできるように、アメリカなりの理想をもって真剣に指導してくれたと思っています。
日本が復興を急ぎ過ぎ、戦後のインフレを起こした時も、銀行家のドッジ氏を派遣、健全経済を取り戻す指導をしています。
その結果、日本ではアメリカを信頼し、アメリカに頼り、アメリカから学ぶ姿勢が一般化しました。
多くの国民は、アメリカの菓子は美味しい、ハリウッドの映画は面白い、アメリカの文化は素晴らしいと感じるようになりました。
戦後の日本のリーダーの多くはフルブライト奨学金でアメリカに留学、アメリカ流の教養とリーダーシップを身に着け、戦後の日本で活躍しました。
もちろん日本だけではありません。世界のほとんどがアメリカには一目置き、国連中心の国際機関でも、国際会議でも、二国間の問題でも、アメリカを頼ることは多かったようです。
しかし、時が過ぎ、アメリカは変わりました。経済発展の結果人口の流入は増え、社会的にはアメリカの中核をなしていたWASP(White,Anglo-Saxon, Protestant)は少数派となりました。
経済的にはアメリカの戦後の豊かさは多くの国際的関与や特にベトナム戦争の結果次第に失われ、1970年代に入っては万年赤字国に転落、基軸通貨ドルはペーパーマネーになり、変動相場制が導入されました。
その後実体経済では、金融経済でドル価値の維持を図った結果産業の競争力は落ち、生産の海外移転が進み、製造業の空洞化、貿易赤字の深刻化が進んだのです。
アメリカ社会自体がかつての整然とした姿ではなく、世界の最先端の文化・科学を擁する豊かな国から、マネー至上主義、途上国的な貧困と混乱の入り混じる、極端に言えばカオス的状態になって来ているように思われます。
この混乱の中で民主主義の弱点である選挙のポピュリズム化が急速に進み、特に大統領選挙は、熱狂的な「人気争い」、中身の保証されない単純で魅力的なスローガンの「争いの場」となったようです。
「国民が国家のために何ができるかが大事」と問いかけたケネディの時代はすでに遠く、多くの国民が人気のある権力者(独裁者)に身を任せる「自由からの逃走」に走ることになったようです。
現状は「覚醒した国民」と「熱狂する国民」に二分され、アメリカ自体が分裂の危機に直面し、その中で「熱狂する国民」がアメリカの行方を決めるような状態になっているのではないでしょうか。
日本としては、かつてお世話になったアメリカですが、現状のアメリカを、客観的、理性的に直視し、評価して、寛容かつ厳格に付き合うことがますます重要になってくるようです。