「戦争は人の心の中で始まるものだから、平和の砦は人の心の中に作らなければならない」とユネスコ憲章の前文の冒頭に書いてあります。
然し、今、改めてイスラエルとイランの戦争が始まったようです。
人類は「国連」という組織を作りながら、その国連組織の中で人類の文化を高めていこうという組織であるユネスコの憲章にはそう書いてありながら、世界では戦争が絶えません。
もうすでに第三次世界大戦は始まっているのだという意見すらあります.そしてそれらはすべて人の心の中で始まっているのです。
このブログではその「人の心」を敢えて「独裁者の心」と言い換えて、独裁者の生まれることへの警戒感を訴えてきていますが、やはり戦争は独裁者の心の中で始まるようです。
そして、戦争の始まる理由は、相手を倒さなければ自分が倒されるかもしれないという危機感にあるようです。
そのために自分の領土を拡大しておこうという意識、資源獲得の必要性、相手を予め封じ込めようという意識、相手に自分以上の兵器(原爆)を持たせない政策、などなど具体問題は色々あります。
そうした予測、警戒感、不信感、が危機感に育ち、具体的行動にまで発展するのでしょうか。
大衆の意識は多様ですが、独裁者は往々にして、自分が、わが身と国を守らなければならないという異常な責任感を過剰に持ち、戦争に走るのでしょうか。おそらくその心奥には孤独感があるのでしょう。そして、孤独感はイエスマンを集めて癒すのです。
世界の人類は、ウクライナ、パレスチナ、そして今始まったイスラエルとイランの戦争を、出来るだけ早く止めなければならないのです。
国家間の争いに対して、今の国連は殆ど無力です。変わることのない常任理事国、拒否権を持つ5か国の意見は、こうした問題については常に一致をみることはありません。(中、ロに加え、米まで独裁色を強めてきました)
独裁者は大衆の意見を受け入れる事はありません。大衆の意見を受け入れることは、自らのリーダーとしての生命の終わりになると知っているからです。
ここまで来て、われわれ大衆の一人に何ができるかという問題に、一般国民、大衆は行き着くのです。
リーダーの意見が大衆の意見と食い違ったとき、民主主義国では、リーダーの交代を国民の声(選挙)で実現することが可能なのです。
残念ながら、独裁国では、それは容易ではありません。かつての日本では、300万人の命と2発の原爆投下を含む、全国の主要都市の廃墟化、敗戦がそれを可能にしたのです。
幸いにして、いま日本は平和憲法を持ち、国民・大衆は不戦の意思を確立しています。
日本の役割は、こうした国の在り方と平和の大切さを、一貫して、世界に訴え続けていく事ではないでしょうか。