tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

梅雨の晴れ間、アガパンサスが元気

2024年06月29日 15時32分07秒 | 環境

遅い梅雨入りでしたが、やっぱり梅雨ですから雨の日が多くなりました。しかし、梅雨の様子も以前とは違うようです。

以前の梅雨は、降る雨はしとしとで、この梅雨が明ければ熱くなって雷雨の季節などと思っていました。

所近年は梅雨と言っても、気象情報では線状降水帯発生の危険性がありますと警報が出て、テレビに映るのは川のようになった道路を車が水しぶきをあげながら走っているといった光景です。

海水の表面温度が高くなったせいかとかで、海水の蒸発が激しくなり、積乱雲が出来やすくなったようで。豪雨が多くなり、突風や以前はあまり聞かなかった竜巻の警報なども出たりします。

線状降水帯という言葉が一般的になったのも、ここ何年かの事かと思いますが、そのうちに「線状」ではなくて「面状降水帯」になるのではないかなどという恐ろしい話もあるようです。

昨日は都下国分寺でも何回か豪雨が来ました。これでは、折角の土曜、日曜なのにどうなるのかななどと思っていました。

ところが、今朝起きましたら、外気は22℃、薄曇りで雨は降っていません。家内は「丁度いい陽気ですね。熱くなし、寒くなし」と言っていました。

昼近くには薄日もさしたりして、昔なら梅雨の晴れ間というところでしょう。

朝、新聞を取りに出て、ミニ菜園のキュウリが大きくなりすぎていないか見に行って、少し曲がって大きくなったのを2本収穫して、改めて今年はよく咲いているアガパンサスを見ますと、繁茂した地球柑の脇で、昨日の雨に洗われ、揃って今を盛りと咲いていました。

アガパンサスはアフリカ原産で、アメリカ大陸を経由して日本に入ってきたと、以前このブログで、書いたことがあったと思います。丈夫な花で、毎年よく咲きますが、今年は特によく咲いているようです。

花が雨に洗われてキレイなうちにと思い、スマホで写真を撮りました。

写真の腕が良いわけではありませんが、花自体がキレイなので、皆様の鑑賞にも耐えると思って、冒頭に載せた次第です。キレイな空色だと思っています。


人・後継者を育てない組織は・・・

2024年06月28日 16時13分38秒 | 政治

アメリカの大統領選挙はこの秋です。日本の総選挙は決まってはいませんが、いずれそう遠くないうちだと言われています。

アメリカの大統領候補はお二人ともご高齢です。お二人には失礼ですが、もっと若くて優秀な人材はいないのかなどと思ってしまいます。アメリカならいくらでもいそうですが。

日本では、長年政権を担ってきた自民党が自分たちの選挙で選んだ岸田総理に不満のようです。元気はいいのですが自民党自体の評判を下げてしまったようで、自民党内で岸田下ろしが始まっているという惨状です。

アメリカも日本も民主主義の国ですから、リーダーを決めるのは選挙によるのですが、その結果がうまくいかないというのは何故でしょうかと考えてしまいます。

なぜか?なぜか?と考えて達した結論は「人が育っていない」というところに行きつくのではないでしょうか。そして、人が育っていないという事の原因は「人を育てなかった」 ということでしょう。

リーダーは組織を統率し、運営し、育てる責任者です。リーダーに宜しきを得れば組織は発展します。しかしリーダーには、さらに、もう一つの責任があります。それは後継者を育てることです。人間には老化も寿命もあります。しかし、組織はいつまでも存続発展しなければならないのです。いかに立派なリーダーでも、いつかは交代しなければなりません。後継者育成は当然必須の仕事なのです。

これはアメリカの話ですが、アンドリュー・カーネギーとデール・カーネギーは日本でも有名です。同じカーネギーですが、親戚筋ではありません。

アンドリュー・カーネギーはアメリカの鉄鋼産業を興し、鉄鋼王と呼ばれた人です。この人の墓には「自分より優れた人々を自分の周りに集め得た人、ここに眠る」と刻まれていることで有名です。

デール・カーネギーは『人を動かす』という著作で有名な人材育成、コミュニケーション、リーダーシップなど人間関係分野の「大御所」です。 

アメリカは短い歴史の中でもこうした世界に名だたる人間関係の実践のプロ、理論のプロが名を残している国ですが、今や、民主党も共和党も、組織・国の成長発展のためには、人を育てることが必須であるという先人の経験や教えを忘れてしまったのではないでしょうか。

日本の自民党もかつては特色のある政治家が、自由民主という新しい時代にふさわしい思想哲学の中で、自説を展開し、それぞれに支持層を得ていたように思います。 そうした雰囲気は二世議員の増加などとともに、地盤・カバン・看板といった政治信条とは無関係な選挙の法則などが言われるのと共に薄められ、本来の政治家の在り方を怠ってしまったのではないでしょうか。

組織は人材に支えられていますが、同時に組織での仕事は人を作るのです。リーダーはそれをわきまえ、後継者の候補者・後継者を着実に育てなければなりません。それはリーダーの義務です。

しかし、多くの人はリーダーになると、自分がリーダーであり続けることが主要な関心事項となるようです。そのためにリーダーは独裁色を強め、その結果組織の運営を誤ります。そしてその時、同時に後継者不在の問題が発生するのです。

自民党もこのところこんな状態が続いているのではないでしょうか。ならば政権交代すればいいというのが民主政治の世界ですが、ならば野党に適切な後継者がいるかという問題は、「自民党もダメだけど、野党も四分五裂で困ったものだ」というよく聞かれる意見が示すところでしょう。 

人の育成、後継者の育成には時間と計画性が必要なのです。本当に必要なのは政治資金ではなく、政治の勉強と政治の現場での仕事と活動の積み上げといった経験と努力なのでしょう。 


だいだい(橙)の語源を実証の写真

2024年06月27日 15時36分29秒 | 環境

我が家の狭い庭には「だいだい」の木があります。昨年からは年間何回も取り上げていますのでご覧になった方もおられるかと思いますが、これが、ただの「だいだい」ではなく「縞だいだい」、別名「地球柑」です。地球儀のように縦じまが入っています。

この木の話はずっとリンクしてあります。もし宜しかったらご覧ください。

ところで今日のテーマは、地球柑の方ではなくて「だいだい」の方です。

だいだいというのは漢字で書けば「橙」ですが、これはもともと「代々」からきている縁起のいい名前という事になっています。正月にお供え餅の上に橙を飾るのも、この家が代々続きますように、栄えますようにとの願いを込めたものだそうです。日本流SDGsの文化ですね。

同じ意味で「こどもの日」、旧端午の節句の柏餅の柏の葉の意味も説明されていますが、新しい葉が出てきても、古い葉がまだ落ちないという「縁起担ぎ」そうです。

昨年、6年のブランクの後やっと実をつけた我が家の地球柑も「だいだい」ですから昔からの説明通りだろうかと20個ほどついた実のうち5個ほどを残しておいたのです。

今年は剪定の仕方も解らないので新芽が一斉に繁茂して中が見えないほどになっていましたが、少し枝を伐ってみましたら「ありました!」

子供の地球柑が昨年の黄色く熟れた地球柑と並んでいます。世の中は変わっても自然は忠実に本来の姿をきちんと残しているのです。

まだ小さいけれども地球儀のような縦縞をつけた若い地球柑を見てやってください。


いろいろと「ハラスメント」が気になる日本ですが

2024年06月26日 21時29分25秒 | 経済

最近いろいろなハラスメントが増えてきて、きちんと説明を受けないと中身がわからなようなこともあります。

記憶を辿れば、大分前の話になってしまっていますが最初にデビューしたのは「セクシャル・ハラスメント」だったでしょうか。

それまではジェンダーに関わることでも気軽に口にしていたり、挨拶代わりにポンと異性の肩を叩いたりでしたが、それが相手に不快感を与えれば、それは「セクシャル・ハラスメント」といってこれからは許されなくなるんだそうだなどといわれて、「こりゃ大変な世の中になったかな」と思うと同時に「まあね、親しき中にも礼儀ありだから、気を付けるべきですね」と思ったりしたものでした。

ハラスメントというのはもともと「相手を困らせる」という意味ですから、人間関係の常識として、相手を困られるようなことはしない方がいいのだと考えれば、それでいいのかもしれません。

しかし、その後もいろいろなハラスメントが生まれました。そしてそれらは、意図的に相手を困らせる言動という意味が強くなっているように思われます。

パワハラ=パワー・ハラスメント(権力で威圧)

モラハラ=モラル・ハラスメント(反道徳的な威圧)

マタハラ=マタニティー・ハラスメント(相手の妊娠に関わる不快な言動)

カスハラ=カスタマー・ハラスメント(顧客が店員などを困らせる言動)

などなどです。

こうしてみますと、急造のせいかあまり確り出来ていないものもありますが、いずれにしても相手を困らせる言動だという事は明らかです。

昔から日本人は、人間関係の機微には敏感で、どちらかというと礼儀正しいと言われていたのですが、改めて、カタカナ語で、いかにも日本人は欧米人に比して、他人に(思わざる)迷惑をかけることが多いから気をつけろといったメッセージが必要になったのかと思っています。

おそらく背景には、この所日本社会では、生活に不満感を持ったり、何かと不愉快だったり、いらいらしている人が増えているという事があるのでしょうか。

確かに格差社会化が進んで貧困家庭が増えたり、企業の現場で働き方に余裕がなくなったり、政府不信で、政権党への支持が戦後最低と言われるほど落ちたりという現実があります。

そして、その背後には、世界でもベストテン常連だった日本の一人当たりGDPが40位近くまで落ちたり、この所は月々の実質賃金が2年以上連続で前年を下回ったりという日本国自体の零落が進んでいるという紛れもない経済不振そして政治不信の現実があるわけです。

それと同時に、人権尊重の時代が進むと共に、人々の権利意識が次第に強くなり、しっかり自己主張をするようになると同時に、一部に行き過ぎた権利意識、自己中心意識が強まり、「女に振られりゃ泣きまする」という歌の文句が常識の中で、「女に振られりゃ殺しに行く」という現実が時に報道される時代になっています。(学校教育のせい、家庭教育のせい、それとも・・・)

いずれにしても日本社会の中に、トラブルメーカーが増えてきたという意識が、多様なハラスメント問題の形をとりつつ、「トラブルメーカーになるのはやめましょう」という社会的なメッセージを広めるための動きを見せているように思われてなりません。

このブログでは「トラブルメーカーとトラブルシューター」「加害者と被害者」といった問題も取り上げてきましたが、人間の住む社会が誰にとっても快適なものでなければならないという事を考えれば、トラブルメーカーを出来るだけなくし、トラブルシューターを育てること、加害者をなくし、その結果として被害者をなくするといった気持ちをみんなで持つことが大事というのが人々の希望でしょう。

残念ながら、最近の日本社会が、かつてに比べて、快適な社会、安定した人間関係の面で劣化していることが、上記のような種々のハラスメントについての適切な留意を普遍化させようという機運を生んでいるとすれば、われわれは反省とともに、より良い社会を作っていくために真面目に取り組まなければならないでしょう。 

もともと礼儀正しいと評価されていた日本人です。カタカナ語がお嫌いならば、伝統的日本語で「他人様にご迷惑になることはやめましょう」で、すべてのハラスメントは解決するはずです。

日本社会をより快適にするために、日本人はもうひと頑張りしてもいいのではないでしょうか。


マネー市場の活動に追いつかない経済政策

2024年06月25日 15時11分04秒 | 経済

このブログではこのところ、アメリカの金利政策のおかげで苦労する日本経済の姿に触れてきています。今回は少しはっきりとさせてみようと思います。

アメリカが賃金インフレを起こし、インフレの進行を懸念したFRBが政策金利の引き上げを行いました。政策金利を引き上げますと、マネーは金利の高い所に動きますからドルが買われ、ゼロ金利の日本ではドル債などの投資が増えて、円は売られ円安になります。

アメリカは、これは金融政策の結果で、「為替介入ではない」という立場で、円安は日本の事情と意に介しません。

日本では、輸出産業は円安差益で利益が増えますからいいですし、今まで海外に売れなかったものも競争力がついて、海外に売れるようになるというメリットもありますが、日本は無資源国ですから海外から買う資源や穀物などの値段が上がって、それが消費者物価指数を押し上げます。  

折しも日本では賃金上昇率が低いので、消費者物価指数が上がると国民生活が苦しくなるという事で、政府も国民も心配します。

政府は、ゼロ金利で国債残高には無神経ですから、国債を原資にして、輸入産業には補助金、国民には生活援助金と相変わらずのバラマキ政策で人気取りに走ります。今の日本はこんな状態で、これではでは将来が案じられるという所でしょう。

ここで問題になることが大きく2つあるように思います。①円高差益と円高差損が同時に起きますが、この問題の合理的解決策がない、②基軸通貨国が政策金利を動かしたとき、それによる為替レートの変動を受けた場合どう対処するか政策がない、の2つです。

  • の円レートが変動した場合に、輸出産業と輸入産業で、逆の立場で差益と差損が出るという問題は、企業努力は全く関係がなく、基軸通貨国の都合で起きるのですが、アメリカに文句を言うことはできないでしょうから、国内で解決しなければなりません。

プラザ合意で円高になったときは、政府はバブルを起こして景気を保とうとし、一時的に成功しましたが、バブル崩壊で馬脚が現れ、利益の出ない輸出産業は海外に移転するなど、その調整に30年かかった(30年不況)のが実態でしょう。

  • の実例はリーマンショックでのアメリカのゼロ金利政策で日本の円高($1=80円)と今回のインフレ対応の金利引き上げによる円安($1=160円)でしょう。

リーマンショックの円高では数年遅れて、日本もゼロ金利政策をとって脱出しました。遅れたっ数年間、日本経済は瀕死の状態でした。

今回のアメリカの政策金利引き上げによる急激な円安に対しては、二回ほど為替介入してイエレン財務長官にやんわりと注意されています。日銀はゼロ金利をやめれば即効性があるという事は解っているのでしょうが、借金まみれの政府は金利引き上げにはマッタでしょう。労使にも動きはありません。

第一次石油危機の時は、政府はさておき、労使が立ち上がってインフレからスタグフレーションへの道を遮断し、欧米主要国に先駆けて安定成長路線を確保し、ジャパンアズナンバーワンの名をほしいままにした実績がありますが、誰かが立ち上がらなければならないのではないでしょうか。

客観的に見れば日銀でしょうか。思い切って金利を引き上げれば、円安は止まり、輸入物価の上昇も止まり、物価は安定し実質賃金は上昇に転じ、国民の貯蓄には金利がつくという効果まで期待できます。

輸出部門の円安差益は消えても、輸出産業は頑張っていくでしょう。借金まみれの政府は困るかもしれませんが、バラマキも必要なくなるでしょう。(影の声:バブル崩壊の後に比べれば何てことないですね)

多分日本の労使は、新しい環境に早期に適応し、家計は環境変化を喜ぶでしょう。

本当の「骨太の政策」が必要な時が来ているような気がするところです。


<月曜随想>オーバーツーリズム考

2024年06月24日 14時04分14秒 | 経済

日本では、近年、インバウンド(外国人観光客)の急激な増加の結果、いろいろな議論が起きています。

もともと日本は外国人観光客の誘致には積極的でした。今はインバウンドという言葉が一般的になったので、このブログでも「インバウンドの盛況」といった言い方をしていますが、観光客も含めて外国人が日本に来ることについては、基本的に賛成です。

日本は極東のさらに最東端にあって、かつては行きにくい国だったかもしれません。しかし、日本の伝統的な文化や社会の在り方を知って「日本というのはいい国だね」 と言ってもらうには、実際に来て日本の人や文化、自然に触れてもらうという草の根の交流が最も大事でしょう。ですから今日のようなインバウンドの大盛況は大いに歓迎すべきだと思っています。

もちろんインバウンドの増加は日本経済にも貢献します。我々自身、海外旅行に行くときはそれなりの資金を用意しますが、今や、日本でもインバウンド消費は巨大な外貨収入になっています(昨年は5兆円超:GDPの1%弱)。

アベノミクスのようにこれにカジノがあればもっと増えるという意見もあるでしょうが、これは日本文化とは関係ない金だけの話です。

ところで、ここまでインバウンドが盛況になりますと、オーバーツーリズムという問題が起きてくるようです。これは、観光客が多すぎて、問題がいろいろ起きるという事でしょう。

もちろん観光地に観光客が来過ぎるという問題であれば、それは外国人か日本人かを問わずありうるわけで、インバウンドだけがオーバーツーリズムの原因ではありません(インバウンドは観光客全体の2割)。

これは世界中で既に起きている問題で日本はやっと今始まったという事でしょう。

例えばミラノでダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を最初に見た頃は、ぶらりと行って「こんな教会に?」と一人でのんびり見ましたが、後年家内とツアーで行ったときは、囲いができて長蛇の行列でした(バチカンも同様)。

オーバーツーリズムは、いわば贅沢な難題という事でしょう。それだけ日本の文化や観光資源に興味を持っている人が世界に多いという事なのですから、単純に「制限をすれば」などという発想ではなく、これには知恵を絞って、出来るだけ観光客の思いに添いながら、解決する方法を、それぞれの置かれた状況に即応しながら対すべき問題でしょう。

この問題に関連してですが、姫路城の外国人向け入場料の高額設定についての議論があるようです。

といっても外国人が来ると余計なコストがかかると決めつけるのは問題があるでしょう。やはり日本人も同じと考えるべきでしょうし、外国人は金持ち、外国の観光施設の入場料は高いというのは理由にはならないでしょう。

かつてのべトナムで日本人町のあったホイアンにベトナム人と一緒に行ったとき「済みません、日本人の入場料は高いです」といわれ、まだバイクも走っていないべトナムでしたから「気にしないでください」 と言いましたが、途上国の外貨事情を考えれば了解というところでした。途上国ではと理解できても、日本では、合理的な説明は難しいでしょう。

日本はラーメンもカレーも寿司も安いですが。日本に来たら、日本人と同じ気持ちで、というのが草の根交流の原点ではないでしょうか。

それにしても日本は安いですねと言われそうですが、それは実はアメリカが利上げし、日銀がいつまでもゼロ金利だからです。日銀が金利を上げれば(上げると言うだけでも)円高は進むでしょう。日銀も、早く金融の正常化を進めなければと考えているはずです。

円高になればインバウンドは多少減るでしょう。オーバーツーリズムに関わる問題も、日米の金利差の影響を受けた、現時点での現場の苦労の一側面と考えておく必要もあるように思います。


消費者物価指数は内外要因逆転

2024年06月22日 15時30分24秒 | 経済

昨日、総務省統計局から2024年5月度の消費者物価指数が発表になりました。

マスコミの見出しは「消費者物価指数上昇5月は2.5%」といったものでしたが。これは「生鮮食品を除く総合」の数字で、消費者物価指数全体を示す「総合」の上昇は2.8%、「生鮮食品とエネルギーを除く総合」の上昇は2.1%です。

ご承知のように、「生鮮食品」は天候による出来不出来などで価格が変動しますし、「エネルギー」は、石油やLNGなどですから海外価格次第という事です。

「総合」はこうしたものをすべて含みますが、干ばつで野菜の価格が上がっても一時的ですし、OPECのせいで原油価格が上がっても、そのうち下がるかもしれないという特定の変動要因を除いて、日本経済自体の状態で動く部分を見ておこうというのが「生鮮食品とエネルギーを除く総合」、いわゆるコアコアです。

ところで、このところ25か月連続で消費者物価指数上昇率が賃金上昇率を上回り、実質賃金が前年より下がるという事態が続いていますが、その主要な原因はこの「生鮮とエネを除く総合」の異常な上昇が続いていたからでした。

今、日銀が、消費者物価指数上昇が2%程度になったら金融政策の正常化を進めるといっているのは、天候や海外価格の影響を除く日本経済自体のインフレを見ていると思われます。

という事で、この消費者物価指数の主要3指数の動きを見てみましょう。

     消費者物価指数主要3指数の動き(総務省統計局)

上の図は指数そのものの動きを見たものです。昨年10月から今年2月ごろまでほぼ横ばいで消費者物価指数は落ち着いてきたと見られましたが、その後上昇基調です。日銀の狙う2%上昇迄落ち着くかは微妙です。

という事で、これを対前年同月の上昇率で見てみますと、下の図です。

         消費者物価指数3指数対前年変化率(%、資料:上と同じ)

 

ご覧いただきますように、「総合」(青)と「生鮮を除く総合」(赤)2月に上がり、3,4月は下がりましたが5月また上がっています。

一方、「生鮮とエネを除く総合」(緑)は、昨秋以来一貫して下がっています。ご覧いただきますように、この緑の線は昨年には、青・赤に比べて上にずれています。それまでは低かったのですが昨年高くなったのはエネルギー料金には政府補助があったのですが、食料品・特に加工食品、調味料、飲料、日用雑貨などは一斉値上げがあって消費者物価指数を押し上げた結果です。

そして今、そうした値上げが一巡し、国内経済要因による消費者物価の上昇が沈静化の時期に来ているようです。

代わって円安の進行による石油関連や穀物など輸入資源の円建ての価格の上昇が消費者物価指数を押し上げる動きが指摘されています。 

マスコミは5月の消費者物価指数の上昇は2.5%といっていますが、多分、日銀の注目は緑の線の2.1%ではないかと思います。

前回も述べましたように、円安による物価上昇を止めるには「政策金利の引き上げ」が最も効果的なのです。

ならば、日銀が金融正常化に一歩を踏み出す時期がいよいよ迫ってきたという事ではないでしょうか。

政府は、またエネルギー関係の補助金延長をなどと選挙目当てのバラマキを言っていますが、日銀とよく相談して「金利引き上げ」という「一石」で、「円安是正」「消費者物価の安定」「金融正常化の一歩」という「三鳥」を狙ったらどうでしょうか。(PCが変わってグラフ一部不鮮明で済みません)


「金利水準と為替レート」が経済政策の手法に?

2024年06月21日 14時22分43秒 | 経済

1929年に始まった世界恐慌の際、イギリスのポンド切り下げから始まった為替切り下げ競争は、為替ダンピングとか近隣窮乏化政策とか言われ、恐慌をひどくしたといわれました。 

今は、為替レートは変動相場制ですから、その国の経済力が弱くなると、マーケットの力でその国の通貨は安くなり自動的に国際競争力を回復します。

固定相場制のとき1008円だった英ポンドは200円前後になり、360円だったドルは100円台になりました。

為替レートはマーケットによって決まるという事で、これが経済合理性だという事になっているようです。もちろん、マーケットが常に正しいとは言えませんから、いろいろ問題もありますが、この所もアメリカの財務長官、前FRB議長のイエレンさんが言っているように、為替介入はあまりやらないようにが原則です

ところでこのところ別の視点から為替レートに影響を与える要因が明らかになってきました。それは政策金利の影響です。

これはリーマンショックの時にFRBのバーナンキさんがとった政策で、世界金融恐慌を避けるためにFRBがゼロ金利政策をとった時からの問題のようです。この政策は成功だったといわれ、世界の大銀行などのB/Sに大穴は空きましたが、何とか収めることができたようです。

この時、金利の付かないドルは大きく売られ、日本円は120円から80円へと大幅な円高になり、日本経済は破綻状態に近づいています。

 この円高を救ったのはアメリカに倣った黒田日銀のゼロ金利を含み異次元金融緩和策でした。金利の付かない円は売られ円安($1=120円)が実現したのです。

その次に問題が起きたのは、2年ほど前の原油価格の高騰などで、アメリカが8%、ヨーロッパが10%といった急激なインフレになり、FRBが政策金利を大幅に引き上げ、ヨーロッパもそれに倣ったドル高円安の問題です。(ここではドル・円の数字だけ述べていますが、多くの国は同様な影響を受けることになります。)

その後、アメリカのインフレは3%台に収まりましたが、FRBのパウエル議長は2%インフレ目標達成までは高金利維持と頑張り、一方日銀は、消費者物価上昇が2%という目標に近づいたら金利引き上げを考えると慎重な姿勢です。

結果は、アメリカの高金利は当分続き、日本の利上げは当分なさそうとの見方のもとに円安はしつこく続き円レートは160円に近づいています。

日本としては、大幅な円安で輸出企業の円高差益は大きく、インバウンドは大盛況ですが、輸入物価の上昇で消費者物価部が上昇という心配が強まり、賃金上昇率の低さから実質賃金の低下傾向が続き、金利引き上げの金融引き締め政策などはとても取れないという状態です。

かつては円高で30年不況を経験した日本ですが、今は円安の進行で金融正常化が遅れるという困った状態にあるのです。

FRBのパウエル議長は、アメリカはインフレ抑制の経済政策をやっているので、ドル高は単にその結果で、為替の意識はないという意見のようですが、それでいいのでしょうか。このブログでのも示唆して来ましたが、今はドル高のほうが都合いいからという見方もあるようです。

基軸通貨国も金融政策をとるのは当然ですが、それが、基軸通貨国以外の国の為替レートに大きな影響を与えるという問題への対応の理論はないようです。

当面日本は、独自の事情から、その対策を、何とか考えて実行しなければならない立場です。しかし日銀は伝統的な金融理論で為替変動に対応しようとしていますが、おそらくアメリカの都合次第で、長い時間がかかるでしょう。

昔なら、日本の経営者、あるいは日本の労使が協力して、その対策に立ち上がったでしょう。今の経団連にも連合にもその気配はありません。

日銀はアメリカの政策変更を待ち、政府は次の選挙の金の工面ばかり。労使は沈黙、これでは、かつてのように,世界経済が荒れる中で「ジャパンアズナンバーワン」にはとてもなれそうにないですね。


「政治には金がかかる」を公認するのか!

2024年06月20日 15時16分53秒 | 政治

先日の党首討論でも岸田総理は「政治には金がかかる」といっていました。マスコミにもネットにも政治資金規正法の議論の中でこの言葉は常につかわれ、それに疑問を差し挟むコメントはありませんでした。 

それでもこのブログでは、その言葉は使い方が間違っているのではないかとしてきしました。

政治というのは、日本という国の安定と発展を目指し国民がより豊かで幸せな国になるように運営していくことですから、それには膨大な金がかかるのは当然です。

くりかえしますが、しかしそのお金は国民が税金や社会保険料として全額負担しているのです。

その上に政府は国民から借金をしてまで政治に使っています。国民はそれも一応認めていますから、赤字財政の問題はここでは置くとして、そのほかに何に金がかかるのですかということです。

政治資金規正法の関係で議論していることは、「いや。まだほかに金がたくさんかかるのだが、その中身はできるだけブラックボックスにして、国民にも解らないようにしたい」という事の賛否なのです。

隠蔽に公然と賛成したのが自民党と公明党で、かつてのっ選挙で絶対多数を擁していますから、強行採決で分からなくてもいいでしょうということが決まったのです。

野党のほうも、ブラックボックスというのは、あまりにも無責任だから、国民に見せても何とか納得くしてもらえるようなものにしようではないかという意見から、そんな闇ガネ、裏ガネは認めるべきではないという意見までいろいろあるようです。

そこで政治資金規正法でいう「国民に隠しておきたい政治の資金とはなにか、という事になるわけですが、それは公式には解らないのです」 それは政治資金規正法で決めてきたように、使途についてきちんと説明しなくてもいい」 という事になっているからです。

しかしそれでも、いろいろな状況証拠は沢山あって、それは、政党が、自分の政党のシンパを多くするため、つまり党勢の拡大強化を図るための金が殆んどだという事だと多くの国民は知ってしまっているのでしょう。

それは政治なのでしょうか。民主主義の政治体制では、より多くの国民(有権者)から信任された者が国民の代表になり、政治を行うというのが本来の趣旨ですから、市町村議会の選挙から国会議員の選挙まで、選挙に立候補する人は有権者に自分の考え方などをよく知ってもらわなければなりません。

もちろんそのために選挙活動の期間があるわけですが、出来れば普段からこの人が政治家になればいい政治をしてくれるだろうと思うような発言や活動をすることが大事でしょう。

そこで分かれるのがそのための方法論でしょう、まともなのは積極的な情報発信で有権者の心を掴むことです。そしてもう一つは、金にものを言わせて支持者や信者を獲得することです。

前者の場合は本人の地道な努力が必要です。後者の場合はカネが必要で、カネは多々ますます弁ずです。

前者の場合は健全な民主主義が発展し、後者の場合は、民主主義の金権政治へ堕落が起きます。

日本の場合には金権政治に情が絡んで、政治が歪められて来るというプロセスの途上というところでしょうか。

そして今、そのプロセスの進行を止めようという反省が起きているのですが、過去の選挙での絶対多数がその反省の動きに全力で阻止しようと抵抗しているというところでしょう。

以上、改めて「政治には金がかかる」という言葉の意味を、市井の一老人の目で論じてみた次第です。 


「人本主義経営」のほうが健全なのでは

2024年06月18日 16時43分14秒 | 経済

このブログでは経済活動の主人公は人間で、人間が資本を使って付加価値を作るのが経済活動だと言ってきています。

人間がいなければ経済もないわけです。人間がもっといい暮らしをしようと考えていろいろと活動するのが経済活動です。

経済活動をしている中で、資本という概念も 生れて来たのです。資本は、昔は自然環境だけだったのでしょう。土地がなければ作物は育ちませんから、最も基本的な資本は土地でしょう。水がなければいけませんということで川のあるところが良いわけで、さらに日の当たるところが作物はよく育つので日照時間の長い所がいいといったことだったのでしょう。そういうところに人は住みついています。

貨幣経済になると、そうした自然資本もすべて金額に換算され、地価などの形で決まってきます。そして資本の概念はどんどん進んで、お金そのものを持っていれば、良い資本が手に入るので、お金は現物資本に代わって、資本といえばお金という事になったのでしょう。

ということでお金さえあればですからお金が大事となり、だんだん人間がお金に振り回されるようになりました。

こういうプロセスの中で資本主義という言葉も生まれてきたのですから、人間にとって資本が大事だからという意味だった資本主義が、何か経済の中心は人間でなくて資本だという具合に認識され、資本主義の主人公であった人間が見えなくなってきているように思われます。

「人本主義」という言葉を作ったのは、日本経済が順調だったころ、一橋大学教授(現名誉教授)だった伊丹敬之氏で、日本ではもともと企業活動で最も大事と考えられていたのは人間なのだから「人本主義」が正しいと指摘したわけです。

その伊丹さんが、最近『漂流する日本企業』という本を書かれ、日本経済が再生するには、人本主義に立ち帰るべきではないかと言っておられます。

論点の中では、付加価値分配の中で資本への分配が急増しているのは問題だとし、さらには将来に向けての投資が少なくなっている、最も大事なのは人間に対する投資と指摘し、かつて日本的経営が成功を収めた時期の経営を本格的に続けている企業として「キーエンス」の例を取り上げています。

経済活動の本来にかえれば、経済は人間社会を豊かにする活動で 、資本はその手段として必要なものという位置づけでしょう。

金そのものは紙であったり通帳の印字であったり、デジタルに記録された数字であったりで、生産に役立つ物江はありません。その数字をいくら増やしてみても生産は増えません。

そうした数字をいくら増やしてみても社会は豊かにはにりません。それが現物の資本、資本財となり、現物の設備投資になって、それを使う人間の頭脳の中の知識、経験、理論によって実体化されて、人間が実際に生産活動を行って初めて社会は豊かになるのです。

それを経験、知識、知恵を使って動かすのはすべて人間です。すべては人間が「あるじ」であっての資本主義、本当は人本主義なのでしょう。

それにたいして、資本の概念が主人公のように思われた時、単なる記号である数字数字が資本の名のもとに華やかな世界を作るマネー資本主義が盛んになったとき、社会は本来位の意味で豊かになることを休止するということになるのでしょう。


<月曜随想>人が人を殺めることは犯罪ですが

2024年06月17日 20時59分58秒 | 随想

地球が誕生して46億年といわれています。その46億年の間に地球は地球なりの自己生成を遂げてきたのでしょう。

やはり特筆すべきは、鉱物ばかりの地球に、どういうわけかバクテリアが生まれ、植物が生まれ、動物まで生まれたのです。

植物や動物は自己再生を繰り返し、生物体は自己保存、繁殖をします。つまり長い長い時間にわたって存在し続けるのです。

さらに生物体は、その長い長い時間の中で突然変異によるのでしょうか進化を遂げてきたのです。そし200万年近く前になって、われわれの先祖である原人が誕生し、数10万年前にはもう我々に近い旧人が生まれています。

旧人としてはネアンデルタール人やデニソワ人が知られていますが、DNA解析では我々のDNAにはネアンデルタアー人やデニソワ人と交雑した形跡が残っているとのことです。

我々新人ホモサピエンスは30万年ほど前にアフリカで誕生し、10万年ほど前にその一部がアフリカを出て世界に広がり、今、80億人が進化の頂点にいるのです。

造化の妙という言葉がありますが、中沢新一氏によれば、新人は流動的思考という特徴を持ち、阪大の北沢茂教授によれば大脳の楔前部の発達により、経験を時系列に整理して記憶し、過去、現在、未来(想像)を常に縦観できる能力を持っているとのことです。

宇宙広しといえども、あまり存在しないこの特殊な進化の成果を大事にしようという本能プラス意識を人間は生まれながらにしてみんな持っているのです。

ところが、その人間(新人・現生人類)が以前から戦争という形で殺し合いをしてしまうのです。

何故そんな事になるのかを考えてみると、自己保存という本能というより、大脳の思考能力から発する欲望の行き過ぎによるような気がするのです。

これが個人間で起きる場合には現在では進歩した裁判制度があり罰則が科せられます。その場合。死刑のある国とない国がありますが。死刑の場合は反社会的ということで社会から(殺人が)認められていつということでしょう。

問題は戦争です。私も国民学校の6年生の夏までは「鬼畜米英、我らの敵」「四海の人を導きて正しき平和打ち立てん」と言って正義と平和のためにと戦争完遂を目指して生きていたのです。

後から解ってみれば、それは軍部の一部の独裁者の無思慮な思い込みに引きずられた恐ろしい経験だったわけで、もう数年早く生まれていれば、戦場で正義の名のもとに見知らぬ人を殺傷していたかもしれません。せっかくの進化した地球の発展の成果の自分を含め損壊して正義と感じる過ちを犯さなかった幸運(生れ年)に感謝しなければなりません。

しかし、今日現在でもロシアやイスラエルでは無思慮なリーダーを信じて良き友人知人であるべき人間を自分を含めて殺傷する戦争の中にいる人が大勢いるのです。

今の国連の枠組みでは国家には主権があり、人類社会全体から見れば明らかに人間を殺傷する犯罪を犯しながら、それを正義と信じ、あるいは自らの人間性を否定して戦場で戦っている人がいます。

この許されない現実を、現生人類は、これ迄の進化発展の成果を以てしても解決できないのです。こうした状態がいつまで続くのでしょうか。嘆くしかないのでしょうか。


日本銀行、慎重に金融正常化に動く

2024年06月15日 15時43分14秒 | 経済

今回の政策決定会合で日銀はいよいよ金融正常化に向けて動くサインを明確に出したという事でしょうか。具体的行動は7月です。

国債買い入れの減額、日銀のB/S圧縮を言いつつも具体的な措置が遅れる様子という事で、国際投機筋は、動き出すまで円安を仕掛けてビジネスチャンスを作るという狙いでしょうか円安は158円まで進んだりしています。

借金まみれの政府が金融正常化の進行を恐れるのは当然でしょう。しかし金融正常化は日本経済にとって必須なのです。

黒田日銀が政府の意向を受けてか一貫して異次元緩和策を取り続けた後を受けて、金融正常化を目指す植田日銀ですが、政府の意向を受けてでしょうか動きは慎重です。

しかし日銀には日銀の役割があります。経済学者の植田総裁は、何とか金融正常化を果さなければならないとの使命を負っていうのでしょう。

今の状態というのは、当面の円安が消費者物価の上昇を齎し、実質賃金の赤字が継続する事を恐れながら、本格的な金融正常化(引締め)で円高になる事の恐ろしさとの間で、日銀に「何とか巧い政策を」と頼むのが政府の立場、何とか応えようと、国債買い入れ減額にも気を使って柔軟性を持たせ、不用意に円高を招かない微妙な政策を強いられる日銀、その間で短期のキャピタルゲインを狙う投機筋、消費者物価の上昇に敏感な消費者などがそれぞれに入り乱れた意識で行動しているという事でしょうか。

そして現実にやっている事は、政府は経済政策についての定見も定かでなく、支持率の低下を心配、更には次の選挙を如何に裏金で戦うかという政治資金(実は選挙資金)問題に躍起、国民は賃上げ促進と消費者物価の安定を望み、国際投機筋は常にキャピタルゲインのチャンスに虎視眈々なのでしょう。

日本経済、国民生活にとって、誤りなく、本気で真面目に取り組んでほしいという国民の願いに取っては、まさに日銀だけが頼りといった事になっているようです。ここは本当に、日銀に頑張ってもらわなければなりません。

林官房長官は、日銀の決定について「決定内容の詳細などについてコメントは控えるが、日銀には、引き続き政府との密接な連携のもと、経済、物価、金融情勢を踏まえつつ、適切に金融政策運営が行われることを期待している。」と言っているそうですが、「適切」とは「政府と密接な連携の下」という事なのでしょうか。

植田日銀の、慎重すぎるほどのきめ細かい、国債買い入れ、長期金利、短期金利の調整、本格的利上げの時期などについての戦略の在り方と。政府が国会でやっている政治資金規制法改正案の中身の粗雑、杜撰さと比べると、政府の政策と、日銀の政策ではこんなに開きがあってもいい物なのだろうかとの念が強まります。

今の政府は、日本経済・社会の問題よりも、何としてでも政権の座にしがみついていたいという自分や自分たちの都合の方が、何よりも優先すべきものという意識がギラギラして見えるというのが、世論調査に見る、内閣支持率の数字なのではないでしょうか。

それだけに、日銀に対して、金融政策の正常な機能を国民経済の正常化・健全化のために着実に活用するという中央銀行の役割を、国民のために思い切って貫いて頂きたいと願うところです。


新鮮なキュウリ、ナスの収穫の季節に

2024年06月14日 14時37分34秒 | 環境

6月も半ばですが、未だ、梅雨の気配はありません。雨はありましたが、夕立型の驟雨か短時間の集中豪雨型で、今日も真っ青な空、強い日差しです。

昨晩は、雲のない空に上弦の月が冴えていました。

幼虫を買って、U字溝の付近に上陸させたゲンジボタルは先週から羽化を始め、毎晩1~2匹が羽化し、夕食後、確認に行くのが楽しみです。一昨晩は2匹、昨晩は1匹でした。

もう1つの楽しみは、いよいよ、ゴールデンウィークに植えたキュウリ、ナス、ミニトマトが育ち、キュウリ、ナスは収穫が始まった事です。今日は1本ずつ。ミニトマトはまだ赤くなりません。

キュウリはピクル酢に漬けたり、スライスにしたりで新鮮な朝採り清浄野菜を「初物を食べると75日生き延びる」などと言いながら、この年になると75日も大事かななどと考えて食べています。

ところで朝採り清浄野菜と書きましたが、先日から不思議に思っていて、早く調べてみなければと思いながら放置している事がありました。

それはこんな事です。我が家では以前は生ごみは狭い庭の隅に直径30cm深さ30cmぐらいの穴を掘って埋めていました。土と混ぜて、一杯になると隣に同じような穴を掘り3か所ほどのローテーションで間に合っていました。今年キュウリを植えたのはその場所です。

もう2年ぐらい前から、深い穴を掘るのが大変なのでコンポストに捨てることにしました。ナスとミニトマトを植えた4月までのチューリップ用花壇には、2条の溝を掘り真っ黒に腐ったコンポストの生ごみを敷き込みました。

そこに生えてきたキュウリ、ナス、トマトを収穫して清浄野菜という事で、サラダや漬物にして、何の心配もなく食べているのです。

考えてみたら、あらゆる果物や野菜、根菜類も、みんな同じで、新鮮で清浄なのです。しかしそれらが実る土壌には、人間が廃棄した、また自然の中で動植物の新陳代謝、発酵や腐敗の作用で、人間が摂り入れたら、たちまち病気になる様なものがいっぱいで、その中から植物が水分と養分を取り入れ、人畜無害の生鮮食品にして提供してくれているのです。何かうまく行き過ぎている様な気がしませんか。

それで今日、植物の根の仕事をネットで調べてみました。この疑問に素人にも解るように答えてくれているのを探すのは大変でした。

学問的には研究し尽くされているのでしょうが、発見できた答えは、「植物の根は、微生物などが分解した結果の水分と養分でけを吸収するように出来ている」というものと、「異物を吸収しても根の内部で有用なものに変換している」という2つでした。

学問的な研究は別として、動物はその発生以来、植物の作る酸素を呼吸し、植物を食べて生き、進化してきたのだから、「結果はそうなっている」という事で納得する事にしました。 

お陰様で私も動植物の進化の結果という恩恵で生きているという思いが強くなりました。


為替の変動は誰のせいですか?

2024年06月13日 11時30分51秒 | 経済

かつて日本は円高で大変苦労しました。プラザ合意で240円の円レートが120円になり、リーマンショックで80円になり、日本経済は潰れそうになりました。

円高の時は、日本経済はずっとデフレでした。デフレの恐ろしさは、日本人は身に染みて知っています。

今、日本は円安で困っています。円安になると輸出が増え、インバウンドも増えて日本経済には良い事が沢山あります。

しかし一方で輸入物価が上がって、日本は資源輸入国ですから輸入物価が上がると食料品や日用品を中心に物価が上がります。インフレです。輸出企業は儲かっても、一般国民は消費者物価が上がると生活が苦しくなります。

下の図は、輸入物価と輸出物価について契約通貨建てと円建ての過去1年間の動きをグラフにしたものです。

      輸入物価指数の推移(2023年4月=1.000)

 輸出物価の推移(2023年4月=1.000)

           (原資料:日本銀行)

契約通貨建て(赤い線)はドルが中心でしょう。物価水準はあまり変わっていません。円建て(青い線)は円建てですから円安で大幅に上がっています。輸出物価の上昇は円高差益を生みますから大歓迎ですが、輸入物価の上昇は少し時間差を置いて消費者物価を押し上げ家計を直撃します。

賃金が多少上がっても、物価が追い越していてきます。政府は、「物価上昇以上の賃上げ」と言っていますから消費者物価が上がると大変です。

その結果、「日銀に円安を止めるような金融政策取るべきだ」と注文し、財務省は円安になるようにドルを売って円を買う為替介入をしました。

アメリカのイエレン財務長官は、「為替介入は余りすべきでない」と言いました。

頼まれた日銀は大変困っているのではないでしょうか。確かに、日銀が政策金利を引き上げれば忽ち円高になるでしょう。

円高になれば、消費者物価は安定するかもしれませんが、輸出部門の円安差益は円高差損になり、インバウンドも減るかもしれません。日本経済には全体としてはマイナスの影響が大きいでしょう。

金利が引き上げられたら、政府は国債にまともな利息を付けなければなりません。本気で利息を付けますか?

ところで、何故、こんなことになるのでしょうか。

理由は殆どがアメリカの経済・金融政策のせいなのです。プラザ合意で円高になったのはアメリカが自国の経済防衛のために日本に円高容認を要請したからです。リーマンショックの円高はアメリカが金融恐慌防止のためにゼロ金利政策を取ったからです。

2013・14年には日本がアメリカを真似てゼロ金利、異次元金融緩和政策を取って円安を実現しました。アメリカは沈黙でした。

今回の円安は、アメリカが自国のインフレを防止するために政策金利を大幅に引き上げ、なかなか下げないからです。

すべてアメリカの都合ですから、日本が巧く対応できないのは当然ですが、日本の経済政策の主体は政府です。日銀はあくまでも金融面で政府の経済政策が円滑にいくように手助けをするのが役割で、もともと金融というのは実体経済の潤滑油なのです。

政府が、プラザ合意以来の経済政策の失敗(第一は巨大な赤字)を繰り返しながら、その尻を日銀に持っていくのは少しみっともないようです。


骨太の方針を支えるのは骨太の人材

2024年06月11日 15時33分51秒 | 政治

今後6年間の「骨太の方針」についての記事が多くなっています。6月中には「骨太の方針」、正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針」を策定する「経済財政諮問会議」を座長である岸田総理が開くのでしょう。

これまでも「その骨子」が報道されていますので、このブログでも取り上げてきました。財政の基本には2025年に「プライマリーバランス回復」が掲げられるようですが、辻褄合わせに終わりそうです。これから国債の金利も高くなるでしょう。ゼロ金利だからと国民から借金して(外国から借りていないからまだいいのですが)来ましたが、まともな金利が付いたらどうするのでしょう。

物価を上回る賃上げ(実質賃金の上昇)も大きな目標のようですが、日本の実質賃金を引き上げるには日本経済の実質成長が必須です

賃上げは企業がするのですから、企業の成長がなければできません。そして企業総体の成長があって、その積み上げが経済成長になるのです。

その経済成長については先日、実質1%以上という方針だと報道されていました。「実質1%以上」では「骨細」ではないかと書きました。

最終案では多分修正されて実質2~3%になるのではないかと思われますが、これだけ真面目に勤勉に働く国民を持っちながら、実質1%以上でいいと言いうのは、如何に一国の経営陣(総理以下大臣たち)の経営手腕が拙いかを政府自らが告白しているようなものではないでしょうか。

もともと、この30年ほどで、国民一人当たりのGDPを国際ランキングを、ベスト5辺りから40位近くまで落として、その反省もなく、なお政権に留まっている政権党ですからそんな発想が出て来るのかもしれませんが「国民が選挙で選んで呉れた結果です」で済むのでしょうか。

今日は「骨太の方針」として労働経済分野の報道が出て来ました。基本は、経済の成長する分野へ労働力を移せば経済成長が高まるという事のようで、そのためには、「リスキリング(学び直し)」が大事という事のようです。ここで何でカタカナが出て来るのが解りませんが「産業訓練の新展開」の方がよほど解り易いでしょう。

先ずは、教育訓練の行き届いていない非正規労働者の徹底再訓練が出て来るのかと思いましたら、不況期の教育訓練欠如の欠如には触れられていないようです。

確かに、新しい産業分野が生まれ、それが伸びる、そこに人材を配置する事は大事でしょう。かつて日本自身がそれを世界が注目する程上手くやって、アメリカの脅威に迄なるといった実績を上げて来ているのです。

その日本がなぜ今、カタカナの「リスキリング」なのでしょうか。「カタカナを使から失敗する」という人もいます。聞いてすぐ中身が解る方が効率がいいのです。

日本の教育訓練は、現場で仕事をし、給料を貰いながら高度技能・技術を身に着けるという方式です。これは人間だけではありません。企業自体も進化、変身するのです。

従業員は基礎技術を現場で身に着け一專多能の多能工になり、企業は意欲的に新産業分野に進出し、育てた従業員を活用して技術を革新し先端企業に脱皮するのです。

政府は職務中心の欧米流人事制度崇拝のようですが、そこでは一専多能な従業員は育ちません。企業の仕事、特に先端分野などでは、人間が協力して新しい仕事を設計するのです。

そこでは個人の能力と、優れた能力の人間の協力があって、はじめて新たな企業、産業活動が成功するのです。そこでは日本流の人間集団の威力が大きい事は産業人なら皆知っています。

もともと日本の企業は人間集団が基本なのです、職務があって、そこに人間を 当てはめるという欧米流の人事システムは、日本産業の衰退を齎すことですから、産業界代表は、政府関係者を徹底説得すべきでしょう。

「骨太」の6か年計画が実のあるものになり、日本経済社会が再生する事を切に願うところです。