tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

アメリカの今後と日本の対応

2009年02月27日 10時22分21秒 | 経済
アメリカの今後と日本の対応
今回の世界不況の震源地がアメリカであることは明らかです。
 歯に衣着せずに言えば、大幅経常赤字国アメリカが自らのファイナンスを行うために世界で進めてきた金融システム作りと、それに乗せて世界にばら撒いたサブプライムローンの証券化という欠陥商品の事故、この2つが世界同時不況を作り出したのでしょう。

アメリカ自身が、あたかも正義の使者のようにして、世界に広めてきた
「公正競争のためには政府が民間企業に援助してはならない」
「自由経済がすべてで、保護主義はあってはならない」
「国際会計基準は時価会計であるべきである」 などなど・・・・、
といった原則は、今「アメリカ自身の行動」によって、次々に否定されてきています。

 アメリカが今まで世界に広めてきたことは何だったのでしょうか。
 日本は、こうしたアメリカの立てた原則の多くに対して適切でないシステムをもっているということで、随分バッシングの対象になってきました。

 しかし今、アメリカが進めてきたシステムが、世界の協調、共生と共益のために本当にベストのシステムなのかが問われることになってしまいました。
オバマ新政権がいかなる方向転換をするかはまだ不明ですが、アメリカの独善的態度への批判は明らかに強まっています。
 
 戦後日本はアメリカの恩恵を大きく受けて成長してきました。いわば恩義のあるアメリカが、進むべき道を踏み外した時、日本はアメリカに対していかなる態度を取るべきでしょうか。
 麻生総理がオバマ大統領とどんな話しをしたのかはわかりませんが、さいわい日本には、環境考古学やDNAの分布の研究から明らかになっているように、縄文以来の、自然と人間、多様な人間同士の共生と共栄の歴史的な実績があります。

 日本は、自らの伝統と文化の良い面を生かして地球と人類のために役立つ行動を地道に積み重ねつつ、今後の地球環境、経済・社会のあり方について、アメリカに対しも、また世界に対しても、もう少し積極的に、控えめながら一歩踏み出して発言の努力をしてみることも必要なのではないでしょうか。


付加価値と利益

2009年02月26日 12時27分39秒 | 経営
付加価値と利益
 企業にとって付加価値とは何で、利益とは何かといった問題については、折に触れてこのブログでも取り上げてきましたが、矢張り一度、はっきり整理しておこうと取り上げてみました。

 アメリカ流の経営についての考え方が広まったせいか、「企業の目的 は利益である」といった単純素朴な意見が多く聞かれるようになってきていますが、これは素朴と言うよりは、矢張り無知といったほういいのでしょう。

 「儲けて何が悪い」といった官僚出身のファンドの経営者もいましたが、伝統的な日本企業の社是社訓には企業の目的は「社会の役に立つこと」といった姿勢が明確です。松下幸之助は、利益の大切さを説きましたが、その背後には利益は社会の役に立った結果出てくるもので、その利益から税金を払って、また世間の役に立つといった思想がはっきりと出ていました。

 企業が社会の役に立つことの出来るのは何故でしょうか。それは企業が付加価値 を創っているからです。付加価値というのは企業活動によって社会(国民経済)に新たに付け加えられた価値で、その年間の総合計は、GDPとか国民所得とか言われるものです。
 この付加価値は人件費や社会保障費や利益になって、国民全体に均霑し、国民の生活を支え、企業発展の原資になります。日本の国民も企業も、日本の国民所得で生きているのです。

 企業の目的が「付加価値の創造にある」というのは、そのことを指しています。毎年企業の創る付加価値が大きくなれば、それこそが経済成長で、国民の生活レベルは上がります。これは、今日のマイナス成長下の苦労を考えれば明らかです。
 
 では、毎年、より大きい付加価値を創るためにはどうしたいいのでしょうか。そこで利益の役割が登場します。利益は企業の中に蓄積された資本になって、新しい技術開発や生産設備となって、生産性を向上 させ、企業の成長(より大きい付加価値の生産(=経済成長)を可能にします。
 これは、利益が出ない企業は結局倒産して、付加価値生産そのものが出来なくなってしまうという現実からも明らかです。

 こう考えてくれば、結論は自然と出てきます。利益は大切です、大事です、しかしそれは、利益を使って、より大きい付加価値生産(企業の成長)を実現しようと考えるからです。
 利益はあくまでも、企業成長の手段であり、社会や国民全体を豊かにするという究極の目標のための「中間的な目標」なのです。

 利益が企業活動の目標だと考える人は、利益が増えたら、その利益を何に使うか考えてみてください。利益が企業の最終目標でないことがお解りになると思います。


総資本付加価値率

2009年02月25日 12時36分19秒 | 経営
総資本付加価値率
 最近、「総資本付加価値率」という財務比率が一部に注目されているようです。

 総資本営業利益率などの、総資本利益率、つまり、運用している総資本で、どれだけの、何パーセントの利益を上げたかという比率は従来から良く使われてきているものです。
 この「利益」(営業利益、経常利益、課税前利益、当期純利益などのいずれでも)を「総資本」で割った結果の比率は「運用総資本の収益率」、で100円の総資本が何円の利益を生み出しているかを見るものです。

 一方、総資本付加価値率は「付加価値」を「運用総資本」で割って、100円の運用総資本が何パーセントの付加価値を生み出しているか」を見ようということですから、「企業の目的は利益よりも付加価値」という立場からすれば、重要な指標ということになるでしょう。

 ところでこれを別の面から見てみますと、「総資本付加価値率」は「総資本付加価値生産性」と同じものなのです。このブログでも資本生産性 については、「付加価値額/総資本」という形、つまり「100円の投下資本が何円の付加価値を生み出したか」という形で(総資本付加価値率では何パーセントという表示になります)、付加価値分析の手法の中で触れています。、この「総資産」を「有形固定資産」に置き換えたものは設備生産性としてよく使われます。

 総資産付加価値率の場合は、工場・店舗などの有形固定資産も、知的財産などの無形固定資産も、運転資金も、みんな込みこみで、どれだけ効率よく活用されたか、ということです。この比率のパーセントを円に置き換えれば、100円の総資産が、何円の付加価値を生み出したかという総資本生産性そのものになります。

 ハイテクの時代ですから資本生産性を有形固定資産だけでなく無形固定資本も入れて、計算するケースも増えていますが、運転資金も入れれば、トータルの資本効率がわかるということです。

 マクロの経済分析では、総資本付加価値率を逆さにして、総資本/付加価値(=C/Y)として、これを「資本係数」といっています。1円の付加価値(GDP or 国民所得)を生み出すのに、何円の資本を寝かせたかといいう指標です。

 いずれの比率でも、意味するものは共通で、少ない資本でより多くの生産を上げることを目指すものですから、概念としてより頭にピンとくるものを選べばいいということでしょう。
 因みに、 総資本生産性=付加価値率×総資本回転率 ということになります。各比率を分解して確かめてみてください。
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   このブログは2,009年に書いたものですが、この数日、(2017年1月)アクセス数が急に増えています。
  アクセスされておられる方で、何か理由がお分かりの方が居られましたら、コメント欄で、是非お教え下さい。
        tnlabo


スタグフレーションを避けよう

2009年02月18日 17時08分41秒 | 労働
スタグフレーションを避けよう
 春闘真っ只中で、担当する方々は、労働側も経営側も、種々苦労されていらっしゃると思います。賢明な日本の労使のことですから、おそらく誤った判断はされないと思いますが、老婆心か杞憂か、などと思いながら、つい書いてしまいました。

 2009年度の日本経済の実質経済成長率はマイナスが予想されています。予想幅は、政府のゼロが最も楽観的で、日本銀行がマイナス2パーセント、その他多くのシンクタンクなどの予測はマイナス3パーセントまであるようです。

 2008年度の第3、第4四半期の落ち込みがきついので、2009年度のマイナス幅はマイナスの下駄を履くことになり、低いところからさらに落ちるという意味で、下げ幅は小さくても、実態は数字より悪いといったことも起こりえます。

 そうした中での賃金決定です。連合は、「ベア要求」と言う振りかぶった刀が何となく下ろせずにいるようですが、さいわい、日本の労使交渉は企業別です。企業の実態の良くわかった労使の交渉ということで、企業に過重な負担はかけないような結果になることを願いますが、日本経済と整合的な賃金決定ということになると、マイナス成長ですから、総額人件費(国民所得統計でいえば雇用者報酬)はマイナスにならなければなりません。

 そうならないとどうなるかですが、こういう時に発生するのが「スタグフレーション 」です。不況の中(経済が縮小する中)で経済の主要なコストである人件費が上昇しますと。賃金コストプッシュが発生しますから、それはインフレ圧力になります。しかし、不況ですから容易に価格は上げられません。

 結局、賃金コストプッシュの一部は価格上昇(インフレ)で吸収し、一部は利益の圧縮(減益)で吸収する、ということになります。これこそが「スタグフレーション(不況下の物価上昇)」です。
 この物価上昇をまた翌年の賃上げに反映しようということなると、スタグフレーションはますます深化することになります。

 第1次オイルショック後の教訓で、第2次オイルショックは立派に乗り切った日本の労使です。今回も立派に乗り切って欲しいと願うや切です。


量から質の社会へ

2009年02月16日 14時57分27秒 | 経済
量から質の社会へ
 量から質へのというのは、もう10年も、あるいはそれ以前から言われていることです。しかし、そう主張する人がいて、その通りだと賛成する人がいて、みんな解っているようで、それでいて、何かあんまり変わっていないような気がするのは私だけでしょうか。

 今回の不況で、自動車や電機といった日本の伝統的花形産業が大きな痛手を負いました。確かに日本のこうした産業は、省エネ技術の推進、より質の高い製品の開発、商品化を積極的に進めてきました。しかし矢張り量の拡大を追っていた面も否定できないと思います。

 日本の人口は減っています。若者のモノ離れは進んでいます。都会の若者の多くが、クルマを持つことに興味を示さないといわれます。政府の推進する地デジへの移行にしても、TV受信装置の総台数が増えるわけではありません。ビールなどアルコール飲料にしても国内需要は頭打ちでしょう。そのほか、いろいろなものにこうした状況は見られます。

 こうした中で量の拡大を求めれば、当然、海外への進出になります。アジアでは、現在でも量的拡大が進行中の国はあります、しかし、日本がそれらの国で量的拡大の主役を担うべきでしょうか。量的拡大は、基本的にはその国に任せて、日本は質的向上における協力を中心にするというのが、日本らしい行き方ではないでしょうか。

 国内が量的にはすでに飽和した日本だからこそ、質の追求の中に高い付加価値を見出していくという、本当に量から質の社会へのアプローチが可能になるはずです。
 具体的指標で言えば、量から質への転換とは、化石燃料や鉱物資源、森林など、地球上の資源の消費は減少しながら、DGPは着実に増加していくといった、製品やサービスの高付加価値化の実現で、地球環境にとっても最も望ましい形になるのでしょう。


どうなる?アメリカの資金調達

2009年02月12日 11時10分32秒 | 経済
どうなる?アメリカの資金調達
 71兆円に圧縮されたアメリカの景気対策法案が上下両院の合意で来週早々にも成立する見通しが立ったようです。アメリカの金融機関や金融市場の反応は、今までのところ「期待外れ」ということのようですが、早い成立は、今後の手が打ちやすくなることも含めてご同慶の至りです。

 それにしても金額が大きいですから、これからの問題は、そのための財源をどこから調達するかです。発行する国債の大部分は、おそらく、海外に引き受けてもらうことになるのでしょう。アメリカの「証券」は信用を失いましたが、アメリカ国債の信用は、どうなのでしょうか。

 国債ですから、アメリカが破産しない限り、ドル建ての元利は保証されるでしょうが、問題はドルの価値です。常識的に言えば、債務増大でドルの価値は下落するはずです。多くの皆様もご承知のように、もう大分前からドル暴落は予測され続けてきています。そして、もし外国がアメリカ国債を買わなければ、それは現実になるでしょう。

 ところで、別の面から見ますと、中国や日本は膨大な米国債を持っています。ドルが暴落すれば、この債権はそれだけ目減りします。さらに、アメリカに輸出をしている国や企業は、ドル安(日本なら円高)で大きな経済的打撃を受けます。
いずれにしてもドル暴落は大きな痛手ですし、できれば避けたいという気持ちも強いでしょう。

 結局、各国がアメリカの国債を購入してあげて、世界経済の当面の安定を保つということになるのでしょうが、これは、「大きすぎてつぶせないアメリカ」が借金体質の上にさらに借金を重ねて当面を糊塗することでしかありません。問題は先延ばしされるだけで、解決はしないのです。
 
 こうして、「ドル暴落を予想してドル離れを選ぶか」あるいは「ドル暴落を当面避けるためにアメリカに協力するか」の間で日本も、世界の主要国も揺れ動くのでしょうが、いつかは(そう遠くない将来に?)最終選択を迫られることになるのでしょう。世界の政治・経済はどんな道を選ぶことになるのでしょうか。


高付加価値化の手段: その8、技術革新の人間的側面

2009年02月09日 14時29分38秒 | 経営
高付加価値化の手段: その8、技術革新の人間的側面
 とびとびになりましたが、7回にわたって、高付加価値化の手段についてみてきました。その中で常にベースになっていたのは、新しいモノや技術、アイデアを発想する力と、それを製品やサービスに具体化する技術革新力でした。

 こうした力は、人間しか持っていません。企業を発展させるあらゆるイノベーション、創造性や開発力は人間によってしかなされません。だからこそ、企業活動において、「一番大事なのは人間」ということのなるのでしょう。

 マズローの欲求5段階説ではありませんが、人間は常により良い(生き甲斐のある)生活への欲求を持ち、その実現のために何かを考えています。こうした人間の本性を、自ら意識し、活発化させることが人材開発の要諦でしょう。

 問題点を教わり、あるいは自分で発見して、「どのようにすればそれが乗り越えられるか」考えて実行すること(Plan→Do→Check→Action:PDCAを回す)が自分を高めるという楽しさが感じられれば、人間は自主的に動き出します。

 これを可能にするのは、その企業の持つ企業文化、トップの方針の明示、 上司による職場の雰囲気作り、などの企業全体、そして各職場のあり方でしょう。
 この点については、日本企業は伝統的に、企業をまとまった人間集団として捉え、「みんなでやろう」と言う共通の意識で、巧まずしてやってきた実績があります。
 アメリカから教わったQCの技法が、日本ではQCグループ活動として展開され、世界に誇る成果を上げたことはその典型ではないでしょうか。

 企業発展の基盤ある多様な技術革新を実現する「人間の問題」を、日本の文化や伝統も踏まえて、本格的に考える時期に来ているようです。


為替レートとゴルフのハンディ

2009年02月06日 16時12分00秒 | 経済
為替レートとゴルフのハンディ
 最近の株価は全くさえませんが、アナリストとかストラテジストといった方々の解説を聞いていると、「今日の相場には円高が重石になっていますね・・・・」などと言う発言がよく聞かれます。確かに円高が進んだ日は株式市況は重苦しい雰囲気になるようです。

日本は、以前から輸出立国といわれ、人間以外に資源のない日本だから、原材料を輸入して、加工して輸出してその付加価値で飯を食わなければならないんだよと説明されてきましたが、基本はまさにその通りでしょう。

 であって見れば、外貨建てで日本の コストも物価も割高になり、国際競争が不利になる円高は、日本経済にとっては大きな問題です。

 ところが、円高になって大変だというと、たいていこうした反論があります。
「円高は、円の価値が高くなることだから、いわば日本の評価が高くなるわけで、結構なことではないですか。」
 確かに円高になれば、輸入品は安くなり、海外旅行をしても円が高くて幅が利きます。

 しかし本当に日本の経済力が強くなってその分円高になったのならいいのですが、実力は上がらないのに円だけ高くなったらどうでしょうか。丁度実力は上がらないのに、ハンディだけ上げられたゴルファーのようなことになります。

 プラザ合意の時は、$1=¥240が2年間で$1=¥120になったのですから、ハンディ24の人がハンディ12にあげられたようなものです。もともとハンディ20ぐらいの実力でしたからよく優勝していたのかもしれませんが、12になったら、とてもダメです。一生懸命練習して、何とかハンディ12($1=¥120)でやれるようになるまでに十数年、2002年ごろまでかかりました。

 現状の$1=¥90は昨年夏から20円の円高です。円の本当の価値に基づいて、円高、円安 を適切に判断して、多少は政策にも反映できるような理論と能力を、政府も金融当局も、学者も、評論家も、確り持つことが望まれているような気がします。


非正規雇用問題に思う-2

2009年02月03日 10時42分44秒 | 労働
非正規雇用問題に思う-2
 今回の、いわゆる「派遣切り」などの雇用問題の発生の背後には、日本の社会や経営が、この十数年の間にアメリカからの影響を強く受け、「長期的視野に立った人間中心の経営」から「収益重視の短期的視点の経営」に、特に大手企業を中心に傾斜してきたことがあるように思われてなりません。

 アメリカ型の経営では、日本の企業も社会も救われないでしょう。しかし、アメリカで学んだ経営者や学者も多くなり、安易なアメリカ方式が雇用問題でもまかり通ったのでしょうか。やはり日本は、日本の文化と伝統に根ざした日本的経営の良さを、国内でも海外でも地道に実践していくべきではないかと思うのです。

 現在起こっている非正規雇用の問題については、従来の日本的なアプローチを考えれば、いわゆる「3方1両損」でみなが納得し、結果的には最も前向きといった形が選択されてきていたのではないでしょうか。現に中小企業では、そうした企業は少なくないようです。

 先ず経営者は、雇用が最も大事だと社内外に明言することで、企業の基本スタンスを従業員にも社会にも明らかにするべきでしょう。「雇用の安定は企業の社会的責任」と言うのは、従来の日本企業の不変の立場だったはずです。

 正規従業員(の組合)は、業績の低下を認識し、十分経営と話し合った上で、 適切な順序を踏み、時限的な(場合によっては制度改定による)一人当たり人件費の削減( ワークシェアリングなども含む)を受け入れるべきでしょう。 長期不況の中での正規従業員の雇用と賃金の安定は、非正規従業員増加のお蔭だったことも理解すべきでしょう。

 非正規従業員は、常に 職能の向上や生活の安定への努力を怠らず、こうした不況期には、ある程度の労働時間短縮なども受け入れ、企業全体と共に、不況期に耐える努力をするべきでしょう。帰る所があるのであれば、帰る事を考えるのも選択肢かもしれません。

 これは日本的な「人件費の変動費化」です。そして、これらによって総額人件費が、企業の耐え忍べる範囲まで削減できれば、無理な雇用削減は避けられることになります。
 かつて日本企業はこうした努力を積み上げてきました。今、改めて、日本の企業における、労使関係の知恵が試されているのです。


非正規雇用問題に思う-1

2009年02月01日 15時11分06秒 | 労働
非正規雇用問題に思う-1
 今回の不況では、非正規雇用の削減が大変大きく報道され、日本の社会が非常に不安定なものになっているような印象が強くなっています。
 一部には、派遣労働の適用拡大が進められたことが、こうした現象の背後にあるとして、特に製造業における派遣労働を禁止すべきといった意見もあるようです。

 これに対しては、現状でも多くの労働者が製造業で派遣労働者として働いており、一律禁止は、却って製造業への就業と困難にするといった意見もあり、派遣労働についての法律制度の見直しの動きには直接はつながらないようです。

 かつては「雇用を大事にする」のが日本的経営の特徴とされていました。こうした日本的経営の特徴は、基本的には、経済活動と言うのは、もともと人間が豊かになるために人間が行っているものだから、人間を一番大切にするのは当然、という日本の伝統的な考え方があったように思います。

 この日本的な「経済活動における人間への理解」は、正規従業員であっても、非正規従業員であっても同じものであるべきでしょう。
 同時に、価値観が多様化している今日、雇用についても、多様な形が用意され、働く人々にとって、自らの選択に応じた多様な雇用のチャンスがあることも大事なことでしょう。

 そのために制度が柔軟なものに設計されているということであれば、必要になるのは、経営者と労働者が共に、その制度を「賢明に」活用するということではないでしょうか。どんな制度でも悪用することは可能でしょう。それをしないことが、社会正義に適った大切な行動です。

 今回の問題では、経営側も労働側も、もちろん悪用する気はなかったと思います。しかし結果的に、状況変化の中で、多少問題のある結果が出てしまいました。
 労使双方が、もう少し巧く考えれば、この問題は、十分に「ソフトな」対応が可能だと思えます。この点について、次回も含め、もう少し反省して見たいと思います。