tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

コロナと五輪:最低限とるべき対策

2021年07月31日 14時31分46秒 | 政治
コロナ対策と東京五輪の両立を、ここまで事態が進んでから考えることは至難でしょう。しかし考えなければならない事も、手を打たなければならない事も、まさに避け得ない現実でしょう。
 
五輪については、国際的に日本がコミットしたことです。途中で放り出す責任放棄は、日本としてすべきことではないでしょう。パラリンピックも含めて、日本が、競技そのものについては、五輪環境を『サンクチュアリー化して』遂行すべきでしょう。
 
そのために、正直言って、国内の医療体制などに負担がかかる事もあるでしょう。これは、日本国内のコロナ対策の徹底の中で、日本として解決すべき問題でしょう。
 
矢張り最大の問題は国内のコロナ対策を従来の延長ではなくて、本来の問題解決の王道を確実に実行することによって、解決できるかどうかが問われているのです。
 
ではその『王道』とは何でしょうか。
それは大きく2つでしょう。
一つは根本的解決への道で、ワクチンの接種の早期徹底でしょう。
もう一つは、ワクチンの接種が徹底するまでの間の政策です。これが今まで最もうまくいかなかった4回ないし5回の緊急事態宣言という失態そのものです。
 
現時点では、この二番目の政策を徹底的に見直すことで、コロナ対策を本当の対策にすることを考えるのが最も大事なことではないでしょうか。
 
これは、政府が「人流が増えたのは政府の責任」と責任の所在を明確にし、ワクチン接種が完了するまで、人流をいかにして最小限にとどめるかを実行する事に尽きるのです。
ワクチンの接種が間に合わず、その間に人流が増えてしまうから感染が増えるのです。
 
この当たり前のことを防止するためには、ワクチン接種が行き渡らないうちは、人流を最小限にして感染を防ぐしかないのです。
これは誰が考えても当たり前のことでしょう。ならば人流を減らすしか対策のない事は明らかです。
 
具体的な指摘をすれば、今回の緊急気体宣言も8月31日までと期限が切られています。9月1日からは人流が増えてもいいのでしょうか。
はっきり言って8月31日までという期限には「何の意味もない」のです。そして政府はこれを何回でも繰り返してきているのです。これは政策でも何でもありません。
 
本当に人流を減らしたいのなら、条件はいくつかあります。
まず、緊急事態宣言の期限は「コロナ征圧の目安がつくまで」と決めることです。
緊急事態というのはその原因が消滅するまで続くのが常識なのです。政府にはその常識が理解できず、いつも勝手に適当な期限を決めているのです。(そしてリバウンド)
 
当然、並行してワクチンの確保、国内生産の早期化は絶対必要条件です。今朝の新聞で、政府が国産ワクチン開発、実用化の為の組織の立ち上げを決めたと出ていました。
今迄のコロナ禍の1年半、何をしていたのでしょう。日本の企業に巨大な研究開発費を出し、法的なものも含め環境整備を徹底すべきです。
 
更に、政府の理由のない楽観論を直ちにかなぐり捨て、今までの後追い対策の失敗を国民に詫び、デルタ株の蔓延は国難であること、その感染防止に必要な正確な情報を国民に徹底して国民が感染回避の行動を確りとれるようにすることでしょう。
 
日本人は根が真面目ですから、政府が嘘や誤魔化しをせず、正確な情報と知識を提供し、信頼できる説明をすれば、国民は自主的に適切な行動をとることが十分に期待できると考えて誤りないでしょう。
 
政府にこうした態度が取れれば、即日人流は減り、感染者数は潮が引くように減少するのではないでしょうか。
そして減少しても、緊急時態宣言を解除するのではなく、これからもこの正しい行動を続けることがリバウンドを封じ、それをワクチン接種が完了するまで続けることが、コロナ征圧の最短距離であることを、国民に納得させなければなりません。
 
最後に、政府は、その責任として、最善の手段を尽くし、ワクチンの確保、早期の接種の完了に全力を挙げることが、最後の決め手となるのではないでしょうか。

コロナと五輪:取るべき対策はあるか?

2021年07月30日 22時50分28秒 | 政治
コロナウィルスのデルタ株の感染力は強烈のようです。この所の感染者数の増加率を延長すれば、専門家がテレビで予想グラフを書いて説明している通りでしょう。
人流が増加している現在、人と人との接触の度合いが現状で一定ないし増加傾向であれば感染計数は下がることはありません。感染者数は幾何級数の伸びでしょう。
 
一方オリンピックの方はどうでしょうか、もうすでに無観客かどうかといった事などは関係なく、アスリートはそれぞれの持てる力を出し切ってプレーをし、世界は確りその行方を見ようとテレビはじめ多くのメディアに釘付けになっているのではないでしょうか。
 
この状況の中で、現実に出来ることは何かを、政府は真剣に考えなければなりません。
恐らく、魔法の様なウルトラCは無いのでしょう。日本の国内で見て、また世界の国々から見て、常識で考えて出来ることをきちんとやるしかないというのが現実なのではないでしょうか。
 
そうした意味で考えてみますと、オリンピックの中止というのはどうなのでしょうか。
即刻中止するのが一番いいといった意見もあります。
 
確かに意見としてはカッコイイかもしれませんが、現実に日本として出来るでしょうか。中止なら中止を最初から決めるべきだったのでしょう。パンデミックの中でやるのは犠牲が多すぎるからという理由は成り立ちうると思います。
 
しかし、日本政府が「やる」と言って、参加国は日本が大丈夫というのだから、参加しようと思って参加を決めた国が多いでしょう。
 
その点日本には責任があります。日本の管理体制を信用して参加したというのが現実でしょう。日本も、無観客という苦渋の決断をして、五輪関係は日本の中のサンクチュアリーとして、安全を保障し日本の意思でやると決断したというのが共通の理解でしょう。
 
それを今度は自分の都合で放り出すというのは、日本という国の、国際的な信用に 関わると考えるべきでしょう。
ここは、どんな犠牲を払っても、日本の中に作られた「五輪サンクチュアリー」の中で、確りやり遂げて、日本の国際的信用を維持すべき立場にあると観念すべきでしょう。
 
では、その犠牲とは何か、 日本のコロナ感染者の健康と生命が犠牲になるのかという意見もあるようですが、これはまた筋違いの議論でしょう。
 
今、デルタ株の猛威で 感染者が急増しているのは、オリンピックのせいではありません。日本人自身が、コロナの状況は深刻化しているのに関わらず、この所不要不急の外出は控えてという要請を聞きながら(オリンピック開催なども口実にして)、次第に集団心理でしょうか、安易な気持ちになり人流が増えているせいなのです。
 
何故人流が増えたのかは、この1年半の経緯を振り返れば明らかです、政府が緊急事態宣言を4回も5回も繰り返すことで、国民の警戒心を弱め続けてきたからです。ワクチン1日100万回でコロナ終息も近いといった幻想を持たせたこともあるでしょう。
 
緊急事態宣言も、勝手に腰だめで期限を決めて解除し、「解除だ」と外出すればまた感染増、また緊急事態宣言、何月何日解除、解除だ外出、また緊急事態・・、これを4回もやれば、緊急事態の意味を認めなくなるのは当然でしょう。「仏の顔も三度」です。
 
この所の感染急増は、若年層のせいでも、デルタ株のせいでもなく、政府の対コロナ政策の杜撰さの結果ではないでしょうか。日本国民は、本来真面目なのです。第1回の緊急事態宣言の結果を見てください。
 
今日の菅総理の記者会見を見ても、政府の危機感は伝わってきません。理由のない「大丈夫」発言に終始したように聞こえました。(助っ人の尾身さんは別)
 
今政府は何をすべきか、東京五輪と日本国内のコロナ対策の両立のために必要なことは何か、長くなるので、次回になってしまいました。

ジョブ型、終身雇用型、日本企業の雇用は?

2021年07月29日 21時21分34秒 | 労働
ジョブ型雇用についての議論が活発になると、これから就職しようとする学生、企業で専門領域を担当して活躍する人たちの中で、自分はどういう道を選んだらいいのかと考える人たちも増えてくるのではないでしょうか。
 
まず、ジョブ型雇用という場合には、企業は即戦力を求めているという事がはっきりしているわけですから、今の日本の場合、例え大学卒であろうと、大学院卒であろうと、企業の特定の職場で、すぐに仕事ができるという人材は多分ほとんどいないでしょうから、就職第一歩は、これまでと同様、就活のプロセスを経ての採用になるのでしょう。
 
もちろん、面接などで、何を勉強して来たかなどは聞かれるでしょうが、企業の採用担当者は、どちらかというとそれよりも、わが社に就職して上手く馴染んでくれるかとったところを見るのが一般的です。
 
従って、新入職員研修を終えてどんな部署に配属になるかは、会社の判断によって決められることになるのでしょう。
まだ当分の間、ここまでは多分従来の雇用慣習とあまり変わらないケーが殆どということになるのでしょう。
 
ただ一部には大学の研究室や、大学発ベンチャーなどで経験を積むことで、その仕事の専門家として採用される人もいるかもしれません。ジョブ型雇用に適した採用ということになるのでしょう。
 
従来、企業は将来専門分野につけたい人でもローテーションで種々の仕事を経験させる育成方式を取ってきましたが、今後は、早期に専門分野に配置することも多くなるでしょう。ただし正社員採用で社内昇進してきた人材であれば、ジョブ型雇用にする必要を感じない企業も多いのではないでしょうか。
 
特に、一専多能の従業員として育ってきていれば、管理者教育をしたうえで、専門部門の管理職、更には役員への道が用意されているというのが日本の企業では一般的なキャリヤーコースになっているからです。
 
こうした日本企業の雇用・人事制度を見てきますと、ジョブ型雇用という形の採用は、ごく限られた特殊技能の、しかもスカウト採用の人材に限られてくるような気がします。
従来なら、年俸制の契約社員といった人達でしょうか。
 
定期採用で、社内育成型の人達で、ジョブ型雇用に転換したい、同期生より能力が優れて高いから、より高い給与水準を望むといった人材などの場合、引き抜きを防ぐためにもジョブ型に切り替え、高給を支給という企業側の選択の場合もあると思われますが、処遇の方法はいろいろあるので、本人の希望が最優先でしょう。
 
ジョブ型処遇・雇用を、人件費の節約のために導入というのは、恐らく長期的には上手くいかない人事政策ということになるようです。
ジョブ型にした方が、安定的に企業業績が上がり、従業員も企業も共に生活の安定、企業の成長に貢献するのでなければ導入の意味はありません。
 
日本企業の採用が、新卒一括採用というという方式を残す限り、ジョブ型雇用、処遇は、当面、人事政策上の刺激のための味付けとしての役割ということになるのではないでしょうか。

政府は最悪の事態を考えているのか

2021年07月28日 21時10分23秒 | 政治
オリンピックは、選手や関係者のコロナ感染など多少の問題をはらみつつも、競技の方は、なんとかきちんと進むみつつあるようです。

マスコミも、日本選手の活躍を大きく報じ、無観客等ということはアスリートも思ったほど気にせず、ベストのパフォーマンスをすることに完全に集中し、ネットを通じてみる人もその気迫の映像に100%満足しているのではないでしょうか。

その意味では、オリンピックの方は、このままいけば特殊な状況の中であってもそれなりの成功と評価されそうな気配です。

しかし、一方で毎日午後になって、昨日のコロナ感染者の数字が発表になると、皆一様に顔を曇らせ、これからどうなにのだろうと考え込んでしまいます。

そして今日は、東京の感染者が3000人を超えたと言いう発表があり、全国では9500人余と1万に近づき、県別にも過去最高の件が続出という惨憺たる状況です。

東京隣接3県の知事は共同で、緊急事態宣言発出を政府に要請することで合意、政府も、申請があれば、速やかに対応する旨を発表していますが、既に巷では、「そんなもの何度出しても同じ」などとシラケた声も聞かれます。

勿論緊急事態宣言が出れば、県も動きやすいし、なにがしかの効果はあるかもしれませんが、現に東京が緊急事態宣言下で、昨日は2800人を超え今日は更に急増3177人という状況ですから、巷の声も重く響きます。

菅首相は、「国民は不要不急な外出は控えてほしい、人流は減っている、五輪継続は心配ない」と言っているとのことですが、この時期にそんな考え方でいて、それで国民の健康と生命を守るという発言とどう整合的な説明をするつもりなのでしょうか。

自然との闘いでは、常に最悪の事態を想定せよというのが探検家、冒険家の鉄則だそうですが、コロナウィルスの繁殖という自然現象は容易に人間の予測を裏切ります。

総理は、最大の防衛策であるワクチンについてはこの所全くノーコメント、このままで行けば、東京の感染者数だけでも容易に万単位になる可能性も否定できないでしょう。

コロナでもコロナ以外でも病気になっても病院にも行けない、診察も受けられないような状態も起こりつるでしょう。
その時は不要不急の外出が多いからだと国民のせいにするのでしょうか。

このままでは、五輪は日本の中の特別なサンクチュアリーで、それ以外の日本社会はコロナウィルスの跳梁に任せるのでしょうか。

まだ65歳未満の日本人は殆どワクチンを打っていないのですから、いわゆる「コロナバージン」で、コロナウィルスのいる飛沫やエアロゾルを吸い込めば、容易に感染しますから、コロナに罹りたくない人は、いつも家にいてください ということで、差し当たって済まそうというのでしょうか。

この1年半ほど、政府がやってきた、対策の後追いと同じ失敗の繰り返しをつぶさに顧み、口癖の「万全」は無理でしょうが、もう少し役に立つ「コロナ対策の新機軸」を考える能力は、政府にも、専門家会議にもないのでしょうか。
   

ジョブ型人事と日本的経営

2021年07月27日 22時30分12秒 | 労働問題
ジョブ型人事が言われる中ですが、就活は相変わらず学生にとっても企業にとっても大問題のようです。
このような現状を見ていますと、やっぱり日本の企業では、ジョブ型人事は、騒がれる割には結局一部の人材にとどまるのだろうなといった感じです。

前回、戦後、日本企業でも職務給導入が言われ、先進企業の中には職務給を取り入れたところも沢山(鉄鋼業などは典型)ありました。
しかし、実際には賃金の1項目として部分的に職務給部分が入ったという事でした。

それでも、年功給が太宗の給与の一部に職務評価による部分が入ったということは、従業員の意識を変えることにもなり、合理性の導入として評価されるべきでしょう。

今回のジョブ型人事制度の場合は、「賃金の一部」ではなくて、「従業員の一部」に、欧米流の『職務に必要だから採用』という人達がいるということになるのでしょう。

考えてみれば、そういう人は今までも沢山いたわけで、いわゆる非正規雇用の人達はほとんどがジョブ型人事の対象者です。
非正規の人達は、仕事があるから採用され、決められた業務だけを必要な時間だけ時給をもらってやるので、まさにジョブ型です。

それなら別に「ジョブ型」と大騒ぎすることはないでしょうというかもしれませんが、これから問題になるのは、そうしたジョブ型従業員を従来であれば定期採用の正社員の中にも取り入れていこうという考え方が出て来ているからです。

ジョブ型人事の最も基本的なところは、職務(ジョブ)が決まっていて、それが出来る人が欲しいという事ですから、いわゆる「即戦力」になる人でないと採用されません。
問題は何処でその能力を身に着けたかです。通常の就活で入った新規学卒には多分適任者はいないでしょう。

そうした能力を持つ人材を獲得するためには2つの方法があります。1つは素質のある人を採用して企業内で育てること、もう一つは、どこかの企業・研究所などで育った人をスカウトすることです。

前者は伝統的な日本の方法、後者は欧米流で、日本でもこれから増えるでしょう。
冒頭で書きました就活問題、つまり新卒一括採用方式は、素質のある人を採って、社内で育てる方式が前提です。

上手くいけば、この方式はそれぞれの企業で高い能力を持つ人が増えますから、高能力の人材の総量がが当該産業で増えるというメリットがあります。
一方、高能力の人材をスカウトする方式は、少ない人材の取り合いになり給料は上がりますが、人材の数は増えないという問題があります。
従って、大学の研究所とか研究機関などで即戦力になる人材(たとえばアメリカ流MBA)を育てるシステムがどうしても必要になるのでしょう。

こうした状況を考えてみますと、最新の多様な高度技術の進歩という問題もあり、日本の大学も大学発ベンチャーを育てるなど、日本も欧米も似たような状況になって来ているといえるような気もします。

特にこうした高度人材を引き合いに出しましたのは、こういう分野で、ジョブ型人事制度が必要になる場合が多いと思われるからです。

もう少し一般的に言えば、企業内で育った専門職と、外部からスカウトした専門職をどう分けるか分けないかといった場合もジョブ型雇用(処遇)の使いどころでしょう。

こうした場合、一番大事なことは、本人が、日本的文化圏の属するか、欧米的文化圏に属するかといった問題でしょう。本人の意思は、どちらにしても最も尊重されるべきでしょう。

ジョブ型人事:カタカナに騙されるな

2021年07月26日 15時52分05秒 | 労働
このところ、いろいろなメディアの中で「ジョブ型人事」についての解説などを見ます。
 
中にはジョブ型が本来の人事の在り方で、今後は日本もジョブ型になっていくといったジョブ型一辺倒のものから、どちらかというとより多いのは、「ジョブ型」と「メンバーシップ型」とを対比して、メリット、デメリットを一覧表にしたりしているものです。
 
そして、ジョブ型とメンバーシップ型のハイブリッドがいいという意見も、かなりあるように思われます。
 
ここで、ジョブ型というのは基本的に『まず職務があって、それに合う人間をつける』という考え方、つまり欧米型の人事制度で、メンバーシップ型というのは『いい人を採用していい仕事をしてもらう』つまり従来の日本型の人事制度ということになります。
 
この議論は、戦後も随分やられました。欧米の企業を見てきた経営者の一部が、矢張り職務給方式(ジョブ型)が合理的と考えたからです。
 
そして、数十年たって、結局は今の制度に落ち着いたのですが、今またこの論争が起きているわけです。
 
そこで、今なぜこの論争が起きたかです。
欧米と日本の人事制度の違いは、もともとは、それぞれの社会の在り方の違いによるものですから、その点から考えますと、1つは、日本の社会の在り方が変わってきたということがあるのでしょう。
 
社会が変わってきたというのは、日本人のものの考え方や社会的行動が伝統的な日本的なものから少しづつ変わってきたこと、そしてそれが、技術革新による仕事(ジョブ)の形、やり方の変化と複合して、(それにこの所のコロナの影響もあり)いままでどうりの日本型(メンバーシップ型)の見直しを求める状況が出てきたという事でしょう。
 
カタカナ語を使うと何か新しい事のような感じをうけますが、人間の考えることは2千年、3千年前と大して変わらないので、言葉に騙されずにことの本質を考えてみれば、「いかにすれば、人間はやる気を出して良い仕事をするように努力するか」というのが人事管理の基本命題なのです。
 
このブログでは働き方改革の問題も含めて人事、賃金管理の問題は繰り返し取り上げていますが、アクセスの多いテーマの一つが、≪「一専多能従業員」の育成:日本的経営の得意技≫です。
 
専門分野の仕事(ジョブ)で確りした知識技能を持つことに加えて、関連する種々の分野でも相応の知識技能を持っている従業員という事ですが、海外でそんな話をすると「それなら直ちに雇うよ」といった返事が返ってきます。
 
ジョブ型の従業員は、一人で仕事をする場合には最適でしょう、しかし現場作業でも、前工程、後工程のことがある程度分かっていれば、効率が大分違うでしょう。
事務部門でも、関連部門の仕事と自分の仕事との関係が解っていれば、トラブルはあまり起きないようです。
 
リモートワークでは、仕事を確り限定しないと上手くいきませんから仕事はジョブ型になります。アセンブリーメーカーにあたるのは管理職です。
リモートで出来た仕事(部品)を組み立てて齟齬が無いようにするのは管理職です。管理職の能力が問われるわけです。
 
コロナが終わった時、今のリモートワークがどこまで残るか、これもジョブ型を考える場合の多分参考になるでしょう。
 
ジョブ型の問題については、折に触れてまた論じることが多いかと思いますが、長くなりますので、今回は、ここまでにします。

梅雨明け、猛暑、わが家のミニ菜園の近況

2021年07月25日 22時22分39秒 | 環境
今年のように「梅雨明け宣言」があった途端に毎日猛暑、こんなにくっきり「梅雨と夏空」が交代するのも珍しいような気がします。

お陰でオリンピック出場のアスリートたちは、大変でしょうけれど、流石は鍛えぬいた体の持ち主という事でしょうか皆さん実力を発揮しておられるようです。

この集中豪雨から酷暑への急転換で、熱中症で搬送される方も増えているようですが、わが家の狭い庭のチューリップ花壇から変わったミニ菜園にも被害が出ています。

5月下旬に、花壇から菜園へのご報告は致しましたが、梅雨の雨ならぬ集中豪雨の中でも順調に育っていた4本の胡瓜のうち1本が熱中症で枯れました。

炎天下で胡瓜の葉は昼近くには萎れて来ます、水をやったのですが元気になって呉れません。気が付いたら、苗を植えるときに強いたポリシートがそのまま。
これは熱中症ではなく私の不注意。それまで雨が多かったので済んでいたのでした。

茄子とトマトはお蔭様で元気で、強い太陽の光を浴びて、茄子は実を太らせ、ミニトマトは急に赤みを増し、まさに朝取り野菜で食卓を飾ってくれます。

  
形は悪いが味はいい             

                          
真っ赤なのは食卓に提供済み
 
ミニトマトは2つに割って、削り節をかけ、醤油かドレッシングでサラダ、茄子は縦に平たく切って鉄板で焼いてソースを少量トロッとかけると、私には牛肉よりおいしく感じられます。歳のせいかもしれませんが、焼きナスは美味いよという友人も結構います。

 昔は、「鴫焼きナス」などと言って粗食の代表でしたが、グルメの時代に立派な食材に変身です。

因みに
「菜もなき 膳に哀れは知られけり 鴫焼き茄子の 秋の夕暮れ」
(心無き身にも哀れは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ 西行法師 の替え歌)

二階のベランダのトマトは水遣りを忘れて、葉が枯れかけてしまい、慌てて水遣りをして何とか復活しそうですが、こんなに実をつけていました。植物の真面目さには、とても敵わないなと思いました。
       

菅首相、今度は本気でワクチン確保ですよ

2021年07月24日 14時52分47秒 | 政治
東京五輪が開幕しました。
いろいろ問題が多かった開会式も、なんとか無難に終了、後は世界のアスリートの健闘を祈るばかりです。
 
「恙なく終了」と書きたいところですが、行進曲のない入場行進は何となく迫力のない物で、テレビはその中で個人的なパフォーマンスを拾ってくれました。古関裕而さんではありませんが、こうした大舞台での音楽の重要性を痛感してしまいました。
 
見ていて恥ずかしかったのは、何時かもあったような既視感がありますが、菅総理が天皇陛下のお言葉の途中で立ち上ったシーンでした。映ってしまったから仕方ないですが、こうした不注意は見ている方がひやりとします。
 
その菅総理にこの時点で国民の一人としてお願いしたいのですが、早急に十分なワクチン確保です。
多くの国民は、始まった種々の競技の映像に、熱い視線を向けるでしょう。最高レベルの運動競技、それもオリンピックということになれば、それも当然です。
 
しかし、思い出してください、今回の東京五輪は、コロナ禍の中で、緊急事態宣言と並行して行われているのです。二兎を追っているのですよ。

8月22日までは緊急事態を宣言しているのだから「国民は心して行動せよ」、という事だけでは済まされないでしょう。
 
8月22日を決めた総理としての義務は、8月22日になったら、国民が、これでコロナ問題は終息への見通しがついた、もう緊急事態宣言は必要ないと安堵の胸をなでおろすことが出来ることで、そうでなければ、8月22日を決めた意味はないのです。
 
既に誰もが共通に理解していることでしょうが、コロナ征圧の決め手はワクチン接種です。
ですから当然のことながら、国民の健康と生命のために政府のすべきことは、出来るだけ早期に国民全体に行き渡るだけのワクチンを確保することでしょう。
 
国産ワクチンの開発に全く手を抜いた政府ですから、外国製ワクチンの確保は、全面的に政府の責任でしょう。
 
昨日、総理は河野担当相と、来日中のファイザー社のプーラ社長を迎賓館に招き、丁重に、これまでの謝意と、今後のワクチン供給についての要請をしたとのことです。
訪米時の電話会談に続き2回目の会談ですが、残念ながら、その内容、先方の意向などについては、国民に何も知らせることはないようです。
 
人間は、必要な情報を得られない時、疑心暗鬼を生じて、不信感を募らせるという、ごく自然な心理を持っています。
自分たちが知っていれば、国民には(何れ解る事だから)いちいち知らせる必要はないというのが菅政権の今までの態度のようですが、それでは国民は不信を募らせるだけでしょう。
 
少なくとも、8月22日緊急事態宣言解除ということを前提に、政府の承知していることを、国民に知らせるのでないと、国民はなにも解らずに8月22日を待ち、その後は、改めて第6波の心配をすることになるのです。
 
今、国民はワクチンの早期接種だけを待ち望んでいる状態だということを総理自身が肌で感じ、あらゆる努力を積み重ねて、早期に国民の不安、不信の払拭に「万全」を期す時ではないでしょうか。

コロナの中の東京五輪開会式を前に

2021年07月23日 13時33分10秒 | 文化社会
色々ありましたが、今日は1年遅れの東京五輪開会式です。
日本が国として決行を決めて、IOCはじめ多くの国が賛同し、実行ということになったからには、最後までベストを尽くしてやるしかないでしょう。
 
天皇陛下が開会宣言をされることが決まったことは、大きな意義のあることだと思います。
恐らく、通常の五輪開会宣言とは趣を異にするものになるのでしょうが、世界中がコロナ蔓延という異常事態の中にあって、古代オリンピック、近代オリンピックを貫く「争いを封じて競いに変える」という人類の理想の姿を追求する精神を明示するものになるではないでしょうか。
 
既に国連では、古代オリンピック以来の伝統である「オリンピック休戦」を満場一致で決議していますが、今回の東京五輪は、いかなる困難の中でも、このオリンピック精神は堅持されなければならないという世界人類が求めるところを、このオリンピック実行の中で、世界に明示しなければならない役割を持つと考えています。
 
無観客という選択は、コロナ・パンデミックの中での決行という意味では、コロナに対抗する知恵と行動力を人類は持つという信念を現実に実行の中で示すという大きな役割を持つのではないでしょうか。
これをやりきることが、人類の可能性を示すことでもあるのでしょう。
 
幸い、今日の世界は、多様な音声、映像の組み合わせをどこでも活用できるという人類の知恵の成果を共有しています。
東京でのアスリートの一挙手一投足は、瞬時に世界の至る所で、場合によっては現場よりも詳細に伝わっていくのです。
 
アスリートの感覚としても、例え無観客であろうと、世界の観衆の中で、その応援を得て頑張っているという感覚を、既に自然と身に着けているのではないでしょうか。
 
主催国日本としては、やるからには、この環境の中で出来ることを確りとやることに徹することが最も大事なことだと思います。
多分、日本人の生真面目さが、それを可能にすると信じながら、異形の東京五輪を見守りたいと思っています。

財政再建:また同じことを繰り返すのかな

2021年07月22日 21時56分43秒 | 経済
東京五輪も新型コロナ対策も、先が見えない事ばかりの中で、これも選挙対策でしょうか、財政再建、プライマリーバランス回復への目標期限の提示が出てきました。
 
先ず感じたのは、コロナ対策も財政再建もそうですが、「何時々々まで」と期限を切るのが好きで、必ず期限を決めるのですが、決めた期限で事が収まったことはないという前例です。
 
振り返れば、安倍政権の骨太の財政再建もそうでした。だいたい何が「骨太」なのかサッパリ解りませんが、小泉政権が使った言葉を拝借しているようです。
 
この状態でプライマリーバランスの回復計画などはまさに薄氷を踏むような試算によったもので、今までも、期待したような好況はならずに、目標には達せず、期限が来れば先伸ばしで『骨』ならぬ『ゴム』仕様の様な計画でした。
 
恐らく、今度の計画も同じようなものでしょう、実質経済成長が2%で、その上に2%のインフレが乗っかれば、インフレの効果は大きく、上手くいけば2025年のプライマリーバランス黒字化も可能かもしれません。
 
政府は年率3.5%以上の成長があれば達成可能と見ているようですが、日銀と合作のインフレターゲットの達成が前提になっているようで、(政府の試算は何時もそうですが)いまの日本経済の実態を見れば、例えコロナが片付いたとしても2%達成は容易ではないでしょう。
 
大体インフレガ2%になってゼロ金利では、個人貯蓄1800兆円のかなりの部分が実質目減りになりますから国民は大損をするわけで、その場合は銀行預金は少なくとも定期預金などは2%以上の利息にしなければならないでしょうし、国債の利息も0.0~という訳にはいかないでしょう。
 
そうなれば当然国債費は増えて、財政赤字は大きくなるし、国債金利が上がれば既発債の価格は下がるので、国民としては損して売るか、毎年2%実質価値の下がる国債を満期まで持っているということになるでしょう。
 
既発債の半分以上は日銀が持っているのが現状ですから、日銀も国債価格が目減りして、政府への納付金が減るのではないでしょうか。
 
今までは、国債を増発しても(昨年も随分出しましたね)ゼロ近傍の金利ですから政府の利払いが増えずに済んだのですが、2%インフレが実現した時、政府、日銀そして財政のプライマリーバランスを回復するのには、いろいろと随伴する問題を、国民に迷惑をかけずに処理していかなければなりません。

アメリカの分断を危ぶむ

2021年07月21日 18時07分16秒 | 国際関係
バイデン政権が発足して半年、国内ではアメリカの結束を訴え、海外ではかつての良識あるアメリカが返ってきたという印象を与え始めています。
 
トランプの4年間、アメリカファースト、アメリカの栄光の回復をと言いながら、それならば、何か覇権国に相応しい、世界のためになることをやるのではないかと多少の期待も持たれながら、結局は世界に混乱をもたらすだけで、まともなことは殆ど出来ずに勝手放題の4年間が終わって、世界中の良識がホッとしているところではないでしょうか。
 
ところが、アメリカの中では必ずしもそうではない様です。
最近もテレビの報道で見ますと、トランプさんは、2年後の中間選挙、4年後の大統領選を目指して、本格的な活動を始めたという事のようです。
 
大統領選で僅差で負けたと思い続けていれば、捲土重来を期して、またアメリカ大統領という世界の頂点に復活して、自分の一挙手一投足が世界中で報道されるような心地よい経験の再来という魅力に取りつかれるのも、トランプさんのような性格の人にはありうることなのでしょう。
 
常識的に考えて、トランプさんのような性格の人間がそうした行動に走るということについては有り得ることかなという気もするのですが、ここで解らないのが、推定されている様子ではアメリカの半分近い人達が、それに賛同してそうした活動に参加や支持を示しているようだという事です。
 
恐らく、このブログをお読みいただく多くの方々も、そうだと思いますが、アメリカというのは200余年の短い歴史の国ではありますが、世界最高の頭脳を集め、政治から、国民生活、科学技術、文化芸能などあらゆる面で世界のトップ、あるいはトップクラスの水準を誇る国というイメージを持ってきています。
 
その国が、トランプさんのようなかつての泡沫候補を大統領に選んだことさえ理解に苦しんだのですが、今回の大統領選のトラブルの中では「国会に行こう」というトランプさんの掛け声に従って、大勢の支持者が国会議事堂に押し寄せ窓を割って闖入、国会を占拠しようとするという常識外のことを現実に実行してしまったのです。
 
こうなると、国会議事堂に押しかけて人達は、自分の頭で物を考える人達ではなく、リーダーの指示に盲目的に従う無思考あるいは狂信的なの暴徒のように見えてきます。そんなことがあるのかと驚くばかりです。
 
確かにアメリカは変わったと思います。もともとアメリカの一般の人達は内向きなのですよなどと聞いていましたが、国際的にみても、民主主義を理解した、良識を持った人達だったはずです。
 
ただ統計を見ますと1950年のアメリカの人口は1億5000万人、今は3億2800万人です。
我々の持っていたアメリカ、アメリカ人という意識は過去のものだったのかもしれません。
 
そういう意味では、今、バイデン大統領が言っている「アメリカの分断ではなく結束を目指す」という呼びかけの重要性は痛いほど解りますし、またそれが何か大変なことだということも解るような気がします。
 
バイデン大統領の就任から半年がたちました。これからもアメリカは、世界の良識としてのリーダー役を引き受けてくれるでしょう。
その中で、いわば「トランプ信者」の方々が、本来のアメリカの良心を改めて理解してくれ、アメリカの良識を内外に示してくれることを願うばかりです。

迫る五輪、増える感染、下がる株価・・・

2021年07月20日 16時45分31秒 | 政治

いよいよ五輪まであと3日、始まってしまえば、なんとか余計なトラブルがなくて進行することを願うばかりです。
 
今回の五輪は、メインスタジアムの設計からいろいろとトラブルがあり、ポスターも他人のアイデア拝借の懸念からやり直し、何か今回はという気になることから始まったようで、さていよいよといった頃からコロナの襲来でした。
 
結局1年延ばすことになりましたが、コロナウィルスは人間の都合を考えてくれる訳はありません。新しい変異株を生み出して攻撃してきます。
 
政権は、東京五輪を何としてでもやらないと、そのあと総選挙が控えているという事でしょうか、五輪決行でひた走ったせいでしょか、コロナ対策の方は国民に感染防止の努力を強いるばかりで、決め手のワクチンンは当初は無関心の体。国産ワクチンで対抗しようなどという正攻法は考慮外のまた外のようでした。
 
結局外国の製薬会社頼みになりましたが、日本の会社と違って忖度などはありません。遅れに遅れて結局、東京五輪はコロナ対応の緊急事態宣言の真只中ということになり、「コロナ克服の証として」という意気込みは消滅です。
 
そして今度は、「緊急事態の中でも整然と運営できる」というスローガンに書き換えたようですが、選手や関係者に陽性反応者、濃厚接触者がで、中には失踪する選手も出るなどトラブルは後を絶たずです。
 
その上に今度は、開会式のテーマの作曲者のスキャンダルが発覚、急遽、差し替えということになったようです。テーマ曲は即興曲という事でしょうか。
 
こうして始まる五輪(オリ・パラ)ですが。なんとか、世界のためにも、日本のためにも、アスリートの力の発揮が、思い通りに実現できるという条件だけは崩れないような形で閉幕を迎えられることを願うのみです。
 
ところで、五輪が終わっても、コロナは残るでしょう、高齢者の接種はある程度の進捗を見ましたが、デルタ株は若者を狙って猛威の様相です。
これが片付かない限り、日本国民は、いつまでも中途半端な気分で、落ち着いた生活には行き着けません。
 
そしてその結果は、経済の回復はどんどん遅れていくという事でしょう。この所の株価不信は、今までの予想よりも、景気の回復が後ろにずれ込んで行くのではないかとの懸念からだと解説されています。
 
コロナ対策と五輪強行のために、日本の経済社会にはいろいろと負担がかかり、国の財政も含めて、日本の経済社会が落ちつきを取り戻すにはかなり時間がかかりそうです。その間に総選挙があるわけで、まさに「お取込み中」の総選挙です。
 
この大変な混乱状態から、いかなるプロセスで、落ち着いて健全な日本の経済社会に立て直していかなければならないのですが、些か混乱状態がひどすぎたようで、今年の夏休みはずっと混乱状態でしょうし、そのまま年末まで進んでいきそうな気配です。
 
そんな中でも、日本人は、何とか落ち着いて、出来るだけ整然とした行動を心がけると思いますが、政府も、国民が余計な苦労をしないで済むような政治をお願いしたいと思います。

日本流の「諺」を考える:「水に流す」は日本的?

2021年07月19日 22時12分30秒 | 文化社会
話すとき、モノを書くとき、我々はよくいろいろな諺を使います。

多くの人が良く知っている諺を使うと話が通じ易くなるということはよくあります。
たとえば、「いやぁ。やめておこう、『君子危うきに近寄らず』ですよね」などと言ったり、
「やっぱりやるか『虎穴に入らずんば虎児を得ず』だ」と全く反対の行動にそれぞれ都合のいい諺があります。

こうした日本の諺は、殆ど中国の故事に由来を持つものでしょう。それ程この千数百年の日本文化は、中國の文化を源流にしているということです。

ただ、「諺」というのは、書いたり話したりしても、相手が知っていたり、すぐ理解したりしてくれないと効果がないので、千年とか、何百年の間には、あまり共感を得られずに、自然淘汰のようにして消えてしまったものも沢山なるのでしょう。

ですから、古い故事来歴をもって今も残っている諺は、余程日本人の考え方に叶ったものということが出来るのではないでしょうか。

ところで、そういう意味では、日本流、あるいは日本産の諺にはどんなものがあるのでしょうかと何となく考えてみました。
日本産の諺なら、ますます、日本人にしっくり来る、みんなの共感を得やすいものだろうという気がしたからですし、また日本の長い歴史の中で、淘汰されずに残っているのであれば、まさに日本らしいものということになります。

「和を以て貴しとなす」などは諺というより、聖徳太子の憲法17条の第1条ですから、ちょっと諺としては固すぎますでしょうか。

ネットで調べてみても、日本らしい諺にもいろいろあって、もとは中国だったり、欧米にも同じような諺があったりするものが沢山あります。
「猫に小判」が英語では「豚に真珠」だったり、ネットでは色々な諺を日本、中国だけでなく欧米もネットして教えてくえます。

そんなのを見ていて、何となく気がついたのは「(過ぎたことは)水に流して」という言い方です。
これは「諺」ではないということなのか、諺の辞典でもあまり見かけませんが、何か大変日本的なように感じられるのです。

中国では、あまりぴったりした成語はないようで、その代わりに「臥薪嘗胆」などという「絶対忘れないぞ」という逆の四文字熟語は有名です。

英語では Let bygones be bygones (過ぎたことは過ぎたこと)というのがそれにあたるのではないかという解説もありますが、これもどうもピンときません。

どうも日本文化というのはあまり「しつこく」考えるのが好きではないようで、死ねば誰でも仏様で、憎しみも恨みもそこまででお仕舞い、「死者に鞭打つ」ような気にはあまりならないといった淡泊さが特徴なのかなといった気もしてきます。

日本列島は細長くて、背骨になる山脈があり、分水嶺からどちらに流れてもみな急流です。川に流せば、あれよあれよという間に見えなくなります。取り返しは付きません。

縄文の昔から、台風はあったでしょうから、その度に何もかも流れていって消えてしまうという経験から、人の世のトラブルも、すべて「水に流す」と、後は何かさっぱりしてしまうという考え方が生まれたのかななどという気がします。

何か、これは大変に賢い考え方のような気がしますが、日本以外ではあまり通用しないような考え方なのでしょうか。
だからでしょうか、良くも悪くもこれが日本的なのかなといった感じがします。

アメリカはインフレになるか、日本への影響は

2021年07月18日 16時57分04秒 | 経済
アメリカはインフレになるか、日本への影響は
 最近アメリカの論調で、アメリカ経済はインフレの懸念があるという意見が出、論争があるようです。
 
より多い見方は、この所のアメリカの物価上昇は一時的なもので、アメリカ経済がインフレになることはないだろうという見方の様ですが、それに対して、金利の動きを見れば、長期金利が上昇傾向で、物価連動債の金利を超えてきているので、長期的にはインフレ傾向が出るのではないかという見方があるようです。
 
インフレの懸念を言う意見には、アメリカの賃金が上昇傾向を見せており、賃金と物価が共に上がるのではないかといった指摘もされているようです。
 
もともとアメリカは2%のインフレターゲットを掲げ、日本では安倍政権も日銀もそれに倣ったところですが、それは、2%程度のインフレの経済状態が、元気もあり、好況感のあるいい経済状態だという意識からきているものでしょう。
 
現実のアメリカを見ますと、この数年物価の大勢は2%を超えており昨年はコロナの影響で下がりましたが、今年に入って急激に上昇に転じ、4月には4%を超える上昇になっているようです。
 
 一般的に言えば、ある程度の上昇は当然でしょう。理由は、
・昨年マイナスだった反動
・今年に入ってのコロナ征圧の雰囲気
・世界的な資源価格や半導体価格の上昇
・アメリカの経済回復が特に顕著
・バイデンの経済政策への期待
等アメリカならではの要因も沢山あります。
 
こうしたアメリカの社会・経済の雰囲気の変化はあるにしても、国際的な、エネルギーを含む資源価格の上昇といったものは、通常は一時的なもので、時間がたてば、正常な安定した状態に戻るのが普通でしょう。
 
世界的な景気回復を予想した資源価格や、半導体価格の上昇なども過去の繰り返しに見ますように、多少期間が長くなっても一過性のものです。
 
そういう意味では、経済学的には、アメリカの物価は早晩沈静し、インフレの心配はないという判断になるのですが、一つだけ気なる点があります。
それはこの時期一部の賃金(サービス関連など)一部にかなりの上昇になって来ているという問題です。
 
FRBのパウエル議長も、賃金の動向には注意が必要と言っていますが、昨年は半数の州で最低賃金の大幅上昇がありましたが、昔のように労働組合の力は強くないので、こうした一時的なインフレが、かつてのスタグフレーションのように、賃金インフレとして固定化してくるとを避けようという意識も強いようです。
 
前FRB議長、現財務長官のイエレン女史も、賃金の動向には注目と言っているようで、当面アメリカの舵取りの心配は少ないと言えそうです。
 
日本にとっては、かつての円高で苦しんだ経験を考えれば、アメリカが賃金インフレ状態になれば、当然ドル安を求め、「ドル安になれば円高」ということで、物価の上がらない日本へのマイナスの悪影響が当然考えられますから、日銀も対策怠りないと思いますが、さし当たって、アメリカの賃金動向には要注目という事でしょう。

2021年最低賃金目安28円引き上げの意義

2021年07月16日 21時20分10秒 | 政治
2021年最低賃金目安28円引き上げの意義
2021年の最低賃金引き上げの目安が、28円(3.1%)で14日に決まり、きょう正式な答申になったようです。
 
最低賃金は、円レートが正常化して以来、政府の意向を反映して、年々引き上げ幅が大きくなり(昨年は別として)今年は28円と最高額になりました。
 
昨年はコロナショックで中央最低賃金審議会が例年出している引き上げの目安を発表出来ないという事だったようで、各県の最低賃金審議会は、これをゼロと理解し、がそれぞれに0~3円程度の引き上げで、いわば引上げお休みのような状態になっていたようです。
 
ところが、今年はコロナも気にせず、中央最低賃金審議会は時給ベースで28円(一昨年27円)というこの所最高の目安額を提示しました。今年はこれで全国平均の最低賃金は、1時間当たり930円になるとのことです。
 
最低賃金審議会というのは、中央も地方(県別)も公益、労働、経営から委員を出し、3者の合意で決めるという建前で、中央最低賃金審議会がその年の引き上げの目安を答申し、地方の最低賃金審議会は、それに各県別の事情を勘案して結論を出すというシステムです。
 
しかし、現実は、最低賃金の審議は、企業別の労使交渉とは違って、労使が合意というのは稀で、最終的に公益の意向が決め手になって決まるといった形でまとめているようです。
 
中央最低賃金審議会の目安決定もそのようで、中央の場合には公益の背後には厚労省事務局がいて、最近は政権の意向を重視してリードしているようです。
 
昨年は別としてこの所、政権は最賃の大幅引き上げを善としているようで、目安の金額を毎年数円、少なくても1円は引き上げて(昨年は別)28円まで上がって来たのです。
 
しかし、賃金支払いの現場はそう簡単ではありません。最低賃金を払うのは、コロナの打撃がひどい中小流通サービス業ですから、問題はそうした企業が四苦八苦することになり、場合によっては、パートの雇用削減を考えるといった事になりかねません。雇用と賃金は、いつもトレードオフの関係にあるのです
 
いわば、賃金支払いの責任は中小企業に丸投げで、今年の政府は、中小企業の右の頬は補助金・給付金で撫で、左の頬は最低賃金引き上げで平手打ちといった感じです。
 
最低賃金の担当は厚労省で、経営関係は中小企業庁ですから、政策のすり合わせなどは多分ないのでしょう。
 
ところで、最低賃金引き上げの目的が格差社会化の阻止ということであるならば、税制や社会福祉諸政策などとの総合的なバランスを取る形で、全体構想を構築し、最低賃金もその一環として適切な引き上げ幅も検討しなければならないないでしょう。
 
低成長の中で、官製春闘と言われるほど政府が賃上げに介入しても、労使の判断で決まる賃金は上がらないので、政府の権限がモノを言う最低賃金だけ無闇に引き上げてみても、結果は、中小企業経営や非正規労働者の雇用問題に皺がよるなど、中小企業の雇用や賃金構造に歪みが出るだけになりそうです。
 
自らの政策について、何事も、総合的、俯瞰的と言っていた政府の方針は何処へ行ったのでしょう。