tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

金融業と付加価値

2021年02月28日 22時28分33秒 | 経済
金融業と付加価値
 このブログの基本テーマはブログの副題にありますように付加価値です。なぜ付加価値をテーマに選んだのかといいますと、われわれみんな付加価値で生きているからです。
 皆さんが一番よく知っている付加価値はGDPでしょう。これはその年に日本国内で作られた付加価値の総額です。我々は政府も企業も家庭もみんなそれを分け合って活動を続けているのです。
 政府は税金を受け取り、企業は利益を受け取り、家庭は賃金を受け取って、それで活動を続けていくことが出来るのです。

 GDPは民間の中ではマーケット・メカニズムつまり市場の働きによって分配差されるのですが、政府は法律によって分配を確保します。
 そうした中で時には付加価値(GDP)の分捕り合戦が起きます。税金が高すぎるとか、利益が多すぎるとか、賃金が上がりすぎるとかいう形で、増税や減税の議論、企業における春闘の賃上げ議論など、すべて付加価値の分配の問題です。

 ですから、付加価値という視点から見ていくと、経済・社会の中の事が、全体的な立場からよく見えてくることになります。

 という事で、たまには、ブログ本来の付加価値論議に帰って、最近の株高の問題、アメリカのヘッジファンドと庶民投資家の戦いなどもありますので、金融に関わる付加価値の問題を考えてみたいと思います。

金融業といっても、銀行、証券会社、ヘッジファンド、などいろいろありますが、今度1万円札の顔になる渋沢栄一のころ(第一銀行は渋沢の設立)の資本主義と今のマネー資本主義の中での金融業とは大分違ってきているようです。

どう違っているかという事ですが、昔の人達は基本的に「実体経済」に興味を持っていました。実体經濟というのは まずは物の生産です。ものが行き渡ってくるとサービスの世界が魅力気になってきます。例えて言えば、食料不足の時は「腹一杯たべたい」、次は「美味しい物を食べたい」、更に余裕ができると「旅行に行きたい」、「銀座で食事」、「東京ドーム、ディズニーランド」、「海外旅行」その先は宇宙旅行でしょうか。

所で今はどうでしょうか。物は豊かになり、いろいろなサービスが誰にでも利用できるようになってきました。しかし、それを買ったり、利用したりするためにはおカネが必要です。「おカネがあれば何でも買えるし、何でもできる」、「そのためにはお金を稼ぐのが一番いい」、「すべ手はマネーの世の中だ」という事になってきました。

それでどうなったかといいますと、昔の人はカネを稼ぐためには実体経済の世界でモノやサービスの生産(新たな付加価値の増加)をして利益を上げるのが最も良い方法だったのです。自分が豊かなるためには、モノやサービスの生産活動が必要でした。
その結果, 自分も豊かになりますが、モノやサービスの生産が増えるので、社会も豊か(GDPの増加)になったのです。これが、アダム・スミスや渋沢栄一の世界です。

では、今はどうでしょうか。 100万円あるが、もっと金が欲しい。情報はいろいろあります。手っ取り早いのは株投資でしょう。「デイトレードで何千万」などという話はネットでたくさん見られます。
しかし、そんなのは知れていて、世界ではいわゆる国際投機資本が巨大なカネを動かして様々なマネーゲームの対象商品を作り,カネで直接にカネを稼ぐ仕事に精を出しているのです。

そして、その結果は、巨大なカネが一部の人や企業に集まりますが、 そこでは昔の様に実体経済でのモノやサービスの生産はなく、おカネ(購買力)だけがゲームに勝った人のところに移転するわけです。つまり GDPは増えずに、おカネだけが動いて、通常は金持ちの人が一層お金を集めるという格差社会化につながることが多いのです。

さて、表題にわざわざ「金融業と付加価値」としたのは、金融というものの環境が変わり、金融業の中身が変化いてきたこと、それが今後の経済にどんな影響を与えるかを考えてみたかったからです。
次回その辺りを見ていきたいと思います。

緊急事態宣言解除で済むのか

2021年02月27日 20時06分26秒 | 政治
緊急事態宣言解除で済むのか
 日本の新型コロナ対策は、何か堂々巡りをしているようです。今回は、2回目の緊急事態宣言の解除をどうするかという事で、第1回の時と同じ問題が繰り返されているわけです。

 結局、3月7日までと期限を決めたことが原因なわけで、更に、さかのぼれば、何故3月7日にしたかという問題に突き当たるわけです。別にコロナウィルスと相談したわけではなく、いわば相手との相談なしに一方的に決めたわけですから、コロナウィルスの方は3月7日にはお構いなしに、一生懸命増殖しようと努力しているわけです。

 いわば自分で決めて、それに自分が縛られて困っているという、まさに自縄自縛そのものというのが現状の姿です。
 ではなぜ3月7日にしたかというと、それは我々にはわかりませんが、多分、単に2ヶ月ぐらいすれば、その時は何とかなっているだろうという全くの「腰だめ」だったのでしょう。ですから勿論3月7日に決めた理由などは説明も何もありません。

 通常の問題解決プロセスであれば、これこれが達成できて、問題の解決のめどが立った時というのが解除の時期でしょう。

たしかに政府は感染者数、再生産率、病床の逼迫状況などなど基準らしきものは決めているようですが、それが達成されたからと言って、これで安心できる状態になったといったものではなく、結局は、解除しますが、行動制限は続けます、十分気を付けてください、また感染者数がリバウンドするようでしたら、改めて制限をしますという事でしょう。

 つまり、自分で決めた期日が来たから解除しますが、自信があるわけではありません、従来と同様気を付けてください、といいうだけの事です。また同じことの繰り返しになるという恐れや不安を持ちながら、また「腰だめ」でやってみるというだけのことです。

 振り返ってみれば、こうした政府決定の仕方は、最初から全く変わっていません。違っているのは「GoToは当分やりません」という事ぐらいです。これは前回の失敗に懲りたからでしょう。という事は当時繰り返し発言していた「GoToで感染者が増えたのは100人か300人」というのはとんだ間違いだったという事の反省に立っての話でしょう。しかし、そうした発言を何回もしていたこ事については口を拭って素知らぬ顔です。

 こうした政府の態度を見て来ていれば、政府のやって来たことは、適切な根拠や自信があってのことではなく、ほとんどが「当て推量」「腰だめ」の類であることがはっきりしてきます。

 そんな事をやりながら、国民に政府を信用しろとか、政府の指示に従えと言っても無理筋というものではないでしょうか。ついでに憂さ晴らしをすれば、国会議員も官僚も、いろいろと税金の無駄遣いをしながら、国民にはきちんと税金を収めなさいという(真面目な政府なら結構ですが)のも「良く言えたものだ」なんて言いたくなります。

 ところで、世界の情勢を見ていますと、対新型コロナの戦略はすでに「ワクチンの時代」に入って来ているように思います。この点でも日本の政府は、自主開発も当然含むワクチン確保の段階から、全く出遅れてしまっています。
 何万回分とか何十万回分入荷とか接種とかの新聞の見出しですが、差し当たって必要なのは「何千万回分」ではないでしょうか。

 国民が真面目でお人善しなのをいいことに、余りにいい加減なことを続けるのは止めて頂きたいと、最近はつくずく感じるようになりました。以上、残念ながら、率直な感想です。


三寒四温、遅咲きの豊後梅の蕾膨らむ

2021年02月26日 19時54分16秒 | 環境
三寒四温、遅咲きの豊後梅の蕾膨らむ
 日本列島も気候変動で大雪、旱魃などいろいろと大変ですが、有り難い事に今年の都下国分寺は比較的平穏な天候です。

 昔から、この時期には、三寒四温、五風十雨などと言われますが、幸なことに何かそれが当て嵌まるような気もするなどと言いながら、コロナ蟄居で窓から外を眺めています。

 三寒四温の方は、もう少しサイクルが早く日替わりのようで、昨日は風が冷たくても日差しが強く日中は暖かく、今日は風はありませんが曇りで薄ら寒い日です。明日はまた晴天の予報です。そして今年も桜は早いようです。

 五風十雨の方は、関東平野は、必ずしも中国の諺どおりではありませんが、5日に1日風の日、10日に1度雨の日、という所でしょうか、これで今年も豊作なら結構という感じです。

 勿論桜の蕾はまだ膨らんでいないようですが、 我が家の遅咲きの豊後梅はようやく蕾が膨らんできました。
豊後梅は梅の中では遅咲きですが、わが家の遅咲きは日当たりが悪いせいで、近所ではもう咲いています。



ところで話の本題は、我が家の豊後梅は二代目で、先代はずいぶん実がなったのですが、今のは殆ど実がなりません。花は綺麗に咲くのですが、品種の違いか日当たりのせいかなと思っていました。  

ところが先日友人が、「家の梅も実がならないので、去年思いついて花が咲いた時、受粉をしてやったんですよ。そしたら結構実がつきましてね・・」という話をしてくれたのです。

ということで、やっと蕾が膨らんできたところですが、満開になったら、友人の真似をして受粉をしてみようと思っているところです。

これでうまくいったら、また以前のように、わが家の梅で自家製の梅酒が堪能できると、「取らぬ狸の皮算用」です。

結果は、時期が来ましたら、是非、報告させて頂きたいと思います。

世界の有給利用状況とコロナの影響

2021年02月24日 23時01分21秒 | 労働
世界の有給利用状況とコロナの影響
 「日本人は働き者だから有給休暇があるのに、それを使い残している。欧米では有給休暇の日数も多いし、みんな100%消化するのが当たり前」といった話を聞かれたサラリーマンの方は多いと思います。

 「多分そうだろうな」と私も考えていました。そして、これについては大きく2つの見方があって、1つは、日本人らしく、それは日本人の勤勉さによるもので日本文化の反映だからと肯定する意見、もう一つは、呉れたものを使わないのは異常、だから以前から『ウサギ小屋に住む働き中毒』などと批判される、といったものでしょう。

 ところで統計的には日本には「労働条件総合調査」が有給取得率の統計をだしていますが、外国では全部取って当たり前だからそんな統計はないと聞いて、私もそうかなと思っていました。
 恐らくほとんどの専門家の方々もそう思っておられるでしょう。

 ところが、案に相違して、民間の調査ですが、国際比較の調査があることを、日経(産業)新聞で知ることになりました。

 確かに外国の正式な統計では有給取得率はないようですが、アメリカのオンライン旅行会社エクスペディアの日本社「エクスペディア・ジャパン」ではこの所毎年、有給休暇についての調査をしているのです。

 2020年につての16か国・地域の調査が発表されて、日経が紹介したのを拝見し、「え!こんな調査があったの」という感じでした。

 勿論民間企業の調査で、2020年は16か国・地域(2019年は19か国・地域)の9200人の調査ですから国の統計調査のような性格なものではないにしても、有給休暇制度のある企業の従業員についてはほぼこんな所ですという、それなりに納得性のある数字だと思います。

 調査結果を一覧表ににしますと、下のようです。

16国・地域の有給休暇関連指標

     エクスペディア・ジャパンの調査による

 確かにヨーロッパ主要国については、従来の常識とほぼ同じですが、びっくりしたのはアメリカです、有給の付与日数が10日(法律は勤続年数により10~20日、多分新しい会社で勤続が短い)で半分しか消化していないというのは、アメリカを代表する数字とはいえませんが、そういう従業員、一般的に存在することは事実でしょう。

 図では青が付与日数、茶が例年の取得日数、緑が2020年の取得日数で、今回のデータ発表に目玉は、コロナの影響で有給所得率が下がった(台湾を除く全域で所得日数が下がった)という実体と理由の説明でした。

 休暇を取らなかった最大の理由は全体に共通で、「①コロナのせいで旅行に行けなかった」ということ、次が「②緊急時のためにとっておく」、「③はカネがない」、だそうです。

 日本の場合はこれが、①緊急時のためにとっておく、②仕事の都合で取れない、③コロナのせいで旅行に行けなかった、という順番です。

 2番目の「仕事の都合」というのは日本の特徴のようです。

 調査結果で感じられるのは、
   ・有給付与日数は日本は結構多い
   ・100%消化しない国も結構ある
   ・有給は旅行に使うが世界の常識(日本人は家でのんびり?)
といったところでしょうか。

 いずれにしても滅多に見られなかった海外の有給事情を覗く窓があったことが分かったので、早速紹介した次第です

SNS時代の国連の役割を問う

2021年02月23日 20時23分16秒 | 国際政治
SNS時代の国連の役割を問う
 ミャンマーの問題は、誰がどう考えても軍の理不尽だと思われます。
 あれだけの国民が、あれだけ一生懸命に、軍のクーデタ、民主主義を破壊して国民の意思を抑圧しようとする政府に抗議の態度を示している実情が、あらゆるメディアを通じて世界中に報道されている中で、今の人類社会は、何ら効果的な行動をとれないという事で済ませていていいのでしょうか。

 昔は、国内で起きている事が何なのか、外からは解らないことも多かったと思います。しか今は違います。世界の公共放送の電波は勿論、SNSは世界中の出来事を、それが起きている現場から、瞬時に世界中に伝えることが出来ます。人類社会の情報化はここまで進んできました。

 情報は行き渡っています。正確に分析すれば、何が起きているかは明らかになります。当然それについての客観的な判断も可能になります。

 現在のミャンマーの問題も、既に実態は世界に明らかで、軍の理不尽な横暴と独裁は多くの人にとって目に余るものでしょう。多くの国で、その国に住むミャンマーの人たちがそれぞれの国や国連事務所にミャンマーのために世界の世論を作ってくれるようにデモなどをして一生懸命に働きかけています。

 国連事務総長も深い懸念の意を表明し、国連人権理事会も動き始め、それは世界の国々で報道されています。世界の多くの人達は心を痛めています。

 しかし、残念ながら、この現状に対する国連の行動はまだ見えてきません。
 具体的に行動をとっているのはアメリカが、ミャンマーの軍の要人に対してアメリカの銀行口座の封鎖や取引の停止といった経済的制裁措置を取り、イギリス、カナダやEUも同様な経済政策措置を取っているという事までです。
 
 これがどの程度の効果を持つのか知りませんが、一方で、国連の常任理事国である中国やロシアは、ミャンマー軍に対して、同じ独裁政権という事でしょうか、友好を維持しようという事のようです。中国は国連の意見に反対を表明しています。

 これでは子供の喧嘩と一緒で、いじめっ子に対して反対という子もいれば、もっとやれという子もいるようなもので、問題の解決には程遠いという事でしょう。

 こうしたトラブルに関しては、同じ「独立国」という立場で制裁をする側と援助をする側が対立し、双方が本気なえば、トラブルが拡大するだけです。

 本当の解決につながるのは、「国レベル」ではなく、世界の国の組織体である国連がその機能を発揮して、世界民主主義や世界人権宣言の立場で、理非曲直を判断し、世界人類を代表して世界の世論として「どうあるべきか」を確りと示すという役割をしなければならないのでしょう。

 勿論これは理想論で、現実は、米英仏ロ中国という国連常任理事会の5か国がそれぞれに拒否権を持ち、ロシア、中国という独裁国は民主主義的な判断には必ずしも同調せず、ミャンマーの問題でも、国連常任理事会がまともに機能しないとぃうことになるのでしょう。

 さらに言えば、第二次世界大戦の戦勝国の五か国が、その後世界情勢が全く変わったにも関わらずいつまでも常任理事国でいるというアナクロニズムが国連の機能不全を齎しているという事にほかなりません。

 出来れば、今回のような機会を何とか、こうした問題を民主主義に則って解決出来るような国連に造り替えていく契機として、世界世論の集約にSNSなどの最大限の活用も含め、今日のコミュニケーション技術の発展の力を活用し、より良い地球社会にするような運動を起こすべきではないのでしょうか。

国連中心主義を常に標榜してきている日本としては、非力ながら本気でそうした発言、行動の発信地を目指したら如何でしょうか。

スポーツとジェンダーの問題:基本を明確に

2021年02月22日 22時34分20秒 | 文化社会
スポーツとジェンダーの問題:基本を明確に
 日本オリンピック委員会の会長をやっていた森喜朗さんが、女性の多い委員会は時間がかかるとかいう発言で会長職を降りることになりました。

 偉い方はいろいろ大変だなと思いながら、半分同情して、内外の反響を見ていましたが、結局、オリンピック・パラリンピック担当大臣の橋本聖子さんが後任に決まり、後は何事もなかったように静かになりました。

 この騒ぎに関連してスポーツとジェンダーの問題があちこちで議論になったりしているようです。でも今回の問題は、オリンピックの関連で起きたことですが、スポーツとジェンダーの問題とは全く関連ない事で、単に、会議の時に女性メンバーが多いと、競争して発言するから、発言が多くなって、会議が長くなるという趣旨の発言が元のようです。
 ならば最後に「それは良いことだ」と付け加えればよかったのでしょう。 

 国際会議などでは、発言のことを「コントリビューション(貢献)」といって歓迎することがよくありますが、これは、会議で物事を決めるという実質的な会議と、会議の前の根回しで結論は出ていて、会議は形のみという会議の性格の違いによるものでしょう。

 ところでスポーツですが、これはジェンダーの区別が最も徹底しているものの1つではないでしょうか。遊びのスポーツは別として、勝敗、記録を競うスポーツでは、男女が一緒というのは多分皆無でしょう。

 人類のスポーツの頂点のオリンピックでも、女性は女性で競い、男性は男性で競うのです。もちろんこれは差別ではありません、これは区別です。
覇を競うスポーツでは基本的に男女は区別されるのです。そしてこれは世界中で当然のこととして認められ、誰も疑問も文句も言いません。

理由は単純です。女性と男性の体力の分布を正規分布として考え、横軸の右方が高いとすれば、男性の正規分布は女性より右側によるでしょう。もちろん女性の右側の裾と男子の左側の裾は、かなり重なるでしょう。しかし2つの正規分布を並べたグラフの最右端はすべて男性でしょう。

オリンピックで男女を区別しなければ多分メダリストはすべて男性になるでしょう。古代オリンピックでは女性の参加はなかったでしょうが、女性が参加する近代オリンピックでは、男女を区別しなければ、その方が女性差別と言われるでしょう。

 こうして男女の区別は当然のこととなり、体操のように、競技の内容でも男女は違って当たり前という事になっています。

 生物学的なことは専門家に任せるとして、男女を区別した方が、人間社会の在り方としてより楽しいし、ならばその方が合理的と定めたのは、体力において男性と女性に差があって当然と誰もが認めるからでしょう。

 では、委員会に女性の委員が少ない、管理職に女性が少ない、国会議員に女性が少ない・・・といった意見はなぜ出るのでしょうか。

 これは、骨や筋肉、つまり Physical・体力では男女の差は認めるが、脳つまりBrain・ 脳力(能力)では男女の差はないはずだから、すべて平等に扱わなければいけない、(その結果はほぼ同数になるはずだ)という事でしょう。

 こう考えてきますと、いまの人間社会では、男女の体力の差は認める、しかし脳の力(能力)では基本的な差はないはずだから区別は差別になるというのが基本的なスタンダードな考え方、という事になっているということです

 男女平等という問題を考えていきますと、差し当たってこんなところ、骨や筋肉の性能では男性が優れていて当然、然し脳の性能では、男女に差はないはずだという所に、現代人の感覚の基準はあるようです。

 勿論基本的人権は、人間であり限りすべて平等に与えられた権利ですが、男女を区別する場合と区別してはいけない場合の基本的な視点としてはこんなことになるのではないかと思われるのですが・・・。

新型コロナワクチンの確保問題考

2021年02月21日 15時58分47秒 | 政治
新型コロナワクチン政策への疑問
 いよいよ新型コロナ対策も、新しい段階に入ってきました。我々は、ワクチンという新型コロナウィルスを攻撃する手段を持つことになったのです。

 今までは相手の攻撃に対し、マスク、手洗い、うがい、三密回避、ソシアルディスタンスなどの防衛策だけで対抗してきたのですが、ワクチンは、相手の攻撃力を封じ込めるという攻撃の手段です。
 
 攻撃は最大の防御なりで、これが成功すれば、これまでの防御の努力は次第に不要になり、我々の日常生活もコロナ以前に戻り、経済活動も活発化し政府が最も心配している経済の落ち込みも回復し、新しい経済発展の時代に入るという事になるでしょう。

 今の日本にとっては、それよりも何よりも、この夏の東京オリンピックが、世界の人々の期待に応えて、その開催が可能になるかという格別な成果につながる可能性を開くことになるのです。
 その意味でも、いまは、「ワクチン、ワクチン!!」と連呼したいところです。

 ところでそのワクチンですが、日本はスタートがかなり遅れてしまっているようです
かつてこのブログでも「 取らぬ狸」にならないようにと書きましたが、ここにきて、ワクチン確保の遅れが問題になりつつあるようです。2月中旬から始まった医療従事者への接種も、開始してみたら当初の370万人よりも100万人ほど増えるのではないか(河野担当相)という事のようです。

 当然、ワクチンの必要量も増えるわけです。一方、ワクチンの方は世界的に不足の様相ですから、ワクチン確保の方が追い付いてこない可能性も、政府にとって気になって来ているようです。

 4月から開始する高齢者への接種も、(私も高齢者で期待しているのですが)「4月から」というのがこのところ「4月中には」と言い換えられていたりして、何時から接種を始めてもらえるのか不安です。

 もともと外国からの輸入に期待し、自国生産の努力を怠ったことの咎めが出たという事なのかもしれませんが、外国の企業(国?)、との約束が果たされるという確証はあるのでしょうか。
 一方、WHOが言っているのは、世界的に見るとワクチンの配分に大きな偏りがあり、ほとんど全てが先進国に回り、低所得国には殆ど提供されていない、早急に改めるべきだといった発言です。

 菅総理は「接種体制に万全の態勢で」といと言っていますが、「万全」という言葉は立派でも、ワクチンそのものが外国から予定通りに入ってこなければどうにもなりません。

 そんなわけで、やはり気になるのは、日本政府は「なぜ自国開発」を当初から本気になってやらなかったのかという問題です。

 日本の専門研究機関、医薬製造業界は、そんなに頼りないと最初から決めてかかっていたのでしょうか。すでにこのブログでも報告しましたが、アストラゼネカが培養から製品化まで委託したのは 兵庫県の日本の一中小メーカーです。それが解って政府はすぐに補助金を出すといったようです。 

 今の日本政府は、 日本学術会議の人事に介入 して、現政権の意に沿わないメンバーを任命しないような政府ですから、学術が嫌いなのかもしれませんが、経済発展でも、医薬品開発でも、すべての進歩発展の原動力は学術の研究開発であることは明らかです。

 今回も、もし政府が、新型コロナ発生が解ったと同時に、日本の関係分野にワクチン開発についての檄を飛ばし、檄だけではなく、補助金も確り出していれば、今頃コロナワクチン先進国になって、WHOに協力する名誉も、開発の結果の実利も、何よりも日本の感染者の最小限化にも貢献できた可能性もあったのではないかなどと、考えてしまうところです。

 専門家の中でもこうした意見をお持ちの方は多いのではないかと思いますが、これからも予期しないいろいろなことが起きるでしょう、日本政府が「学術」を蔑ろにせず、日本発展の原動力として尊重し、常に政策の土台の中に確りと組み込んでいかれることを願うところです。

上がらない消費者物価、物価にもコロナ禍

2021年02月19日 22時29分46秒 | 経済
上がらない消費者物価、物価にもコロナ禍
 今日、今年1月の消費者物価統計が総務省から発表になりました。

 世界中コロナ禍のさ中ですから、経済の動きも低迷、資源などの国際商品の需要も伸びないという条件ですから、物価も上らなくて当然で、経済活動の活発化は全てコロナ後になるというのが今の世界でしょう。

2020年1月~2021年1月の消費者物価の対前年上昇率(%)


 表示しているのは、青が消費者物価総合、茶色が生鮮食品を除いた場合、薄緑が生鮮食品とエネルギー関連の両方を除いた場合、という事でグラフは3本ですが、世界中同じ動きをするエネルギー関連とお天気次第の生鮮食品の両方を除いた薄緑の線が過去1年の日本経済自体の基本状況を最もよく反映する物価変動でしょう。

 第一次の緊急事態宣言の発せられた4月、みな家に蟄居して消費が低迷したことを受けて消費者物価は下落、その後多少もち直しましたが、秋に入ってまたじりじりと下げています。コロナの第3波が深刻化するとともに、経済の不振は長引きそうだという見方が多くなったのでしょうか、値段を下げても販売量の確保という意識も出てきたのでしょうか、確かに値下げ増量の傾向が身の回りでも見られます。

エネルギー関連の値下がり、秋冬野菜の豊作などで、それらの入った総合はさらにおおきく下がりました。

 1月になって3本のグラフはそろって上昇に転じましたが、1月の10大費目の対前年同月上昇率を見ますと、豪雪など異常気象の影響もありますが、基本的には「巣籠り需要型」が変わっていないようです。 

 昨年1月比で1番上がっているのが「家具・家事用品」の2.6%、2番目が、これは意外で、家計調査で最も需要が減っている被服・履物で1.1%です、諸雑費0.9%、住居0.5%と続きます。

 あとは全て値下がりで、光熱水道-6.3%、教育-2.2%、交通通信-1.8%、などです。
 
 異常状態の中では、あまり意味のある分析はできませんが、これも1つの経験で、その中から何か、コロナ後の正常な経済の安定成長にとって必要なものに気づいていくようなことも大事ではないかと思っています。

 株価などの金融バブルがすでに起きているという見方も多いですが、コロナ後の経済の中で、それがモノの世界、就中、消費物資の世界に及ぶ可能性は? それを避けるための方策とは? これからはそんな問題も出て来ると思います。

 そろそろコロナ後の経済社会の問題を先見しておくことの大事なのかも知れません。

日経平均3万円、総理、素直に喜ぶ

2021年02月18日 23時31分53秒 | 経済
日経平均3万円、総理、素直に喜ぶ
 菅総理は、昨日の予算委員会で、日経平均が3万円を越えたことにつて「株価は低いより高い方が良い」、「3万円台回復は、目標の目標のまた目標だった」述べました。

 日経平均の最高値は1989年、平成元年の12月29日の3万8915円、いわゆるバブル期の絶頂でした。(1990年大発会から大暴落)
 その3年後には1万5千円ですから、バブルの崩壊の恐ろしさはおして知るべしでしょう。(さらにリーマンショックで7000円です)

 その間の、丁度今から30年6か月前に3万円を切っています。その時の下げを切り返したのが今度の3万円です。菅総理が素直に喜んだのも当然でしょう。

 菅さんは、安倍さんと違って自慢にはしませんでした。ただ喜んでいただけです。
 そして付け加えたのは、(年金資金を運用している)GPIFもこれで利益が出るのだからカネ持ちだけが得するのではないという説明をしています。

 株はいつまた下がるか解りませんから、GPIFが儲けたと単純に喜ぶわけにはいきませんが、まあ下がるよりは上がる方が良いと言えばそうでしょうか。

 一国の総理大臣が、自分の国の株価について分析的な発言をしたら、大変なことになるかもしれませんから、単純に喜んでいるのが一番良い答弁かもしれませんが、我々も、単純に喜んでいていいのでしょうか。

 3万円を付けた日経平均はその後も3万円を割らずに頑張っていますが、この水準はおよそ現状の日本経済の実体とはかけ離れたものです。

 すでにバブルだという声は、あちこちで聞かれますが、これ迄の所、あまり下がりそうな気配はないように感じている強気の人が多いようです。

 理由は多分、政府、日銀の態度から来るのでしょう。 政府は、国債残高から見れば、まさに累卵の危うきですが、ここで株価が暴落したら、経済はお先真っ暗、それこそ年金運用に大穴が空きますし、なにより政権がもつかどうかです。

 大幅赤字の政府は、国債市場でも、証券市場でも、日銀に主要な買い手になってもらって、何とか収支のつじつまを合わせるのに懸命です。

 日銀は、以前の通貨の番人から豹変してMMTの信者のようになり、いつまでたっても届かない2%インフレをターゲットにして、景気の下振れを懸命に防ぐといった姿勢ですから、どちらを見てもバブルが破裂する可能性は少ないようです。

 確かに今の相場は「官製相場」の様相ですからその元締めの総理大臣が3万円を大喜び
というのであれば、どう見ても下がらないと思う人は多いでしょう。 

 そのうえ、経常収支は相変わらずの大幅黒字を続けていますから、円の価値が円高に振れやすく、円の暴落といった外国發のバブル破裂の可能性も少ないということになりますと、矢張り強気の人が多くなるのでしょう。

 ちょうど春闘の時期ですが、「官製春闘」は、なかなかうまくいきませんでした。しかし官製株式相場は随分巧くいっているようです。

 さて、このまま巧くいって株価に日本経済の方がサヤ寄せしていくのかどうか、これこそ政府の経済政策の腕の見せ所でしょう。

 コロナのワクチンも始まりましたし、国産ワクチンもその内には出て来るのではないでしょうか。
 ポストコロナに向けて、政府、日銀の経済・金融政策の腕の見せ所になるはずですから、大いに頑張ってほしい所です。

(聞きなれた言葉ですが「国民の生命と財産を守る」ために「万全」を期していただきたいと思います。)

進化か退化か、マネーゲームの世界

2021年02月17日 14時51分55秒 | 経済
進化か退化か、マネーゲームの世界
 アメリカでロビンフッドが活躍しているようです。
 ロビンフッドといえば、イギリスの鼠小僧かと思ったのですが、これはアメリカの現実です。

 彼ら義賊というのは、金持ちから金を奪って、貧しい人に分けようという義侠心でストーリーの主人公になっているわけで、これは昔からの「マネーの世界」のお話です。

 二宮尊徳のように、田畑の開発を指導したり、地域の産業を興したりして貧しい農村を豊かにするために貢献された方は偉人ですが、偉人といわれるのは現実の生産を増やして人々の生活の役に立つことをされたからでしょう。

 お話としては、義賊の方が面白いですが、イギリスでも日本でも、こんなことが本当に行われたのではなくて、庶民の願望をお話に仕立てたのでしょう。

 ところが今回はアメリカで、お話の義賊を地で行くような事が起こりました。
 名前もロビンフッドという名前で、巨大な投機資本(ヘッジファンドなど)がいわゆる「裸空売り」で大儲けするのを大衆の力で阻止しようと、庶民の少額投資を膨大な件数集めて巨大なヘッジファンドが狙った企業の株を一斉に買い、高騰させて、値下がりを狙ったヘッジファンドに大損をさせることに成功したというのです。

 ご存知のように、「裸空売り」というのは、自分は株を持たないのに、勘定の上だけで株を売り叩き、100ドル株が20ドルに値下がりすれば、それを買い戻して80ドルが儲かる( キャピタルゲイン)という理屈で、株を持っていなくても空売りですから、巨大な株数を売買すれば巨大な儲けになるわけです。
 この「裸空売り」はリーマンショックの後禁止されたのですが、未だ新株発行の場合と一部に認められているとのことで、マネーゲームでは結構活用されている様です。

こんな事が出来るのもSNSという「情報」を一瞬にして世界中に伝えられるインフラが出来たからですが、アメリカの巨大な庶民層が、ヘッジファンドに大儲けさせてなるものかと、ロビンフッドの指示に従ってヘッジファンドが値下がりさせようとした会社の株を一斉に買ったわけです。

 アメリカのマスコミも、「1%の大金持ちに99%の庶民がひと泡吹かせた」と喝采を送ったようです。

 ますます進行する格差社会化を、ロビンフッドが新たな知恵で阻止したという事で、「胸がすっとした人」もいるのでしょうが、祭りが終われば、少額とはいえ、高値を演出した庶民は、高値掴みの株を売る時を逸して、多くはその後の値下りの中で損切ということになるのでしょう。

 確かに 今のアメリカでは富の再分配が必要でしょう。いくら格差があっても、一方で「アメリカン・ドリーム」があるからアメリカは常に活力があるのだと言える時代は過ぎたようです。

 考えてみれば、こんなことが現実に起きるという事自体が、資本主義の変化、汗水たらす実物経済より、スマホやモバイルで手っ取り早くカネが稼げるマネー経済、マネー資本主義の流行(行き過ぎ)の結果でしょう。

 アメリカが偉大な国になるのには、やはりアメリカの実物経済の生産力が偉大になることが必須でだと思いますが、バイデンさんのアメリカどうなるでしょうか。

 アメリカのロビンフッドが今後どうなるかのかは解りませんが、この度のこの問題は、
富の再分配は、民間ではなく国が政策としてやるべきものだという事、もう一つは、 マネー経済は実物経済の上に載っているもの(あだ花)という2つの事を教えてくれているような気がします。

2020年10-12月期GDP速報を見る

2021年02月15日 19時59分27秒 | 経済
2020年10-12月期GDP速報を見る
 今日、内閣府から昨年10-12月期のGDP速報が発表になりました。
 マスコミの報道は、「年率換算」12.7%のプラス成長と、些か大げさで、高成長を喜ぶようなトーンが多いようですが、そんな数字を出して喜んでいていいのですかと言いたいような気もします。

 対前期比で3%成長だったのでそれが4期続けば1年で12.7%ですが、これはいわゆる瞬間風速で、平均風速はずっと低いのです。(2020年成長率はマイナス4.8%)
 それも7--9月期、10-12月期と、無理なGoToキャンペーンなど大勢のコロナ感染者・犠牲者を出した上で(第3波)の3%ということですから、問題はあります。

 ということで、いつもの様に「対前年同期比」の上昇率を見ますと(以下、数字は全て実質値です)
一昨年10-12月期 -1.1%
昨年  1-3月期  -2.0%
     4-6月期  -10.3%
     7-9月期  -5.8%
   10-12月期  -1.2%
ということで、4-6月期の最初の緊急事態宣言で大幅な落込みを見てから、何とか持ち直しに向いていますが、未だ昨年の水準を1.2%下回るところで、今年に入って1月からの再度の緊急事態宣言の影響が心配といった所です。

 ところで、上記の対前期上昇率30.%の中身について見てみますと、
  民間消費支出  1.2%ポイント
  民間設備投資  0.7 
  民間在庫変動 -0.4
  政府消費支出  0.4
  政府公共投資  0.1
  純輸出     1.0    
  合計      3.0%ポイント 
という事になっています。

 確かに3%成長の内の1.2%分が民間消費支出でこれが大きく寄与しているのですが、7-9月期にはマイナスだった民間の設備投資がプラスに転じたのが大きいのと、輸出の寄与が3分の1ですからGoToは騒がれた割に、経済効果はGNPレベルでは大きくなかったようです。

 政府は、第二回目の緊急事態宣言を発するまでは、 GoToのコロナ感染拡大は僅少だし、エビデンスもないなどと言っていましたが、その後の推移を見たからでしょうか、菅総理も補正予算に組み込んだGoTo 予算についての話は全く出ず、あんなにGoToに熱心だった西村再生相も、緊急事態宣言の解除には大変慎重で、ワクチンの方を重視しているような発言が多くなっています。

 つまりは現実の動きから、コロナ対策はいかにあるべきか、 はっきり言ってしまえば、コロナ制圧無くして経済の再生はないという事を、今回の失敗の経験から学び、コロナ禍の現実を理解し始めたのではないかと感じられます。

 コロナの第3波という大きな犠牲を払いましたが、我が国のリーダーたちが、疫病対策というものの現実を理解したとすれば、それは今後の日本にとっては「良かった」ということではないでしょうか。

 日本経済の回復の時期は少し遅れるかもしれませんが、ワクチンの確保・国内生産も含め、出来るだけ早期にコロナ制圧を実現することが、日本経済の再生への最も着実な道だという事を先進諸国の経験にも学び、国民の理解を得つつ、具体的な政策に生かしていってほしいと思う所です。

独裁国、独裁政権などについての雑感

2021年02月13日 21時14分20秒 | 文化社会
独裁国、独裁政権などについての雑感
 前回辺りで、これからの地球社会が安定するかどうかは、独裁国、独裁政権がなくなっていくことではないかという当面の結論に達したところですが、さて、独裁政権がどうしたらなくなるかは現状では全く解らないという事のようです。

 平和のために戦争をしようという考え方はまだあるようですし(日本も以前「東洋平和のためならば」と歌って戦争をしました)。本当に戦争をする気はなくても、ゼスチャーで国際関係を混乱させるといった戦略も十分ありうるところでしょう。

 国際関係でトラブルを起こしてみても、地球人類にとっては、何も良いことは無いのですが、近代国家といっても、現実は小さな子供と同じで、何かあると意地の張り合いをして、時には喧嘩(戦争/紛争)になるようです。

 人間は性格がいろいろで、温和しい人、威張る人などがいますが、国も同じようなものです。そうした性格の違いが生まれつきなのか、環境によるものか解りませんが、心理学者が良く言うのは、被害者意識が 嵩じると、極端な行動に走るということです。

 最近の話では、トランプさんは、アメリカは世界中から利用されて損ばかりしているというあまり合理的でない主張で、アメリカ国民の半分ほどの熱狂的な同意を得ています。
 ヒットラーのドイツも、ベルサイユ条約で被害者意識が強かったから、それを纏めて独裁者になれたという見方もあります。日本も、米英中蘭が日本を潰そうとしているという被害者意識の末に太平洋戦争に突入したという解説もあります。

 このブログでも書きましたが、加害者がいて被害者が出るのですから加害の総量と被害の総量は同じはずですが、現実には、被害者意識の方が加害者意識よりずっと大きいのが一般的でしょう。
 しかも、被害者意識というのは、リーダーがそれを悪用して煽れば煽るほど大いくなるもののようです。

 いま人間の社会では、「いじめは止めよう」とか、「〇〇ハラスメントは犯罪です」とか「差別をなくしましょう」など、社会におけるトラブルを出来るだけ少なくして、誰にも優しい、人の心が安定する社会を作ろうと努力しているのですが、国レベルになるとこうした平和の基になるような概念は消し飛んでしまっているように思われます。

 かつて、企業に CSRがあるのなら国にはNGR があってしかるべきと書きましたが。同じ人間が作っているものでも、「国」というレベルになると、エゴ丸出しで、文化のレベルが異常に低いままでとどまっているが不思議でなりません。

自由世界と独裁政権:人類は解決策を見出だせるか? 

2021年02月12日 20時52分47秒 | 国際政治
自由世界と独裁政権:人類は解決策を見出だせるか? 
 米中対立の構図がこれからの世界にどんな影響をもたらすのかという問題を「平和を前提にした安定した経済・社会の発展」という視点から見てみようとしていた結果、政治の問題のまで関係が及んで来てしまいました。

 考えてみれば、政治と経済とは常に関係しあっているもので、だから、大学にも「政経学部」というのがよくあるという事なのでしょう。

 そして、当面到達した結論というのは、世界史で問題を起こしているのは、政治思想や経済思想の違いだというのは、学問という視点からの研究のテーマで、一般人が常識の範囲で判断をすれば、もう少し単純な理由、単に独裁者が率いる、独裁国家、全体主義国家によって引き起こされるのではないかと思われるのです。

 社会主義、共産主義は、もともと、初期の資本主義の強欲な資本(実は資本を持つ人間)に社会正義の立場から反抗し、より平等な社会を目指した思想・運動でした。

 今、資本主義は経営者革命や、労働組合主義、社会保障制度などを取り込んで、社会主義的資本主義や福祉国家の概念も創り上げ、資本主義の中で、格差是正、貧困の撲滅を目指しています。

 ならば今の資本主義と社会主義、共産主義は、十分共存は可能でしょう。なのになぜ、共存せずに対立するのでしょうか。

 かつての米ソ冷戦でもそうでしたし、今の米中対立つでもそうですが、対立の原因は、地政学的な脅威や欲望(地域の分捕り合戦)、それと貿易から私的所有権までの経済的損得の問題です。

 くした対立は子供の喧嘩と同じで思想も理屈もありません。国連では、紛争の解決方法についてはルールを決めています。しかし、それを守らない国があるから、紛争が起きくのです。

 そして、こうした国際的なルールを守らないというのは独裁国の特徴です。それが証拠には、社会主義、共産主義の国でなくても独裁国はルールを守りません。そして、共産主義の国でもルールを守る国はあります。(例:ベトナム)

 卑近な例では、トランプ政権は、時に国連のルールを無視しました。トランプ政権は自由主義、民主主義の国の政権ですが、ルールを守らないとトラブルが起きます。 トランプ政権は部分的に独裁主義だったのです。

 という事で、問題を単純化して考えれば、独裁国がルールを無視することを、何らかの方法で止めてもらうという事で片つく紛争が殆どでしょう。

 多くの人は、それは戦争で解決するしかないと考えるかもしれません。しかし戦争ではあまりに犠牲が大きすぎます。

 現実問題として、今、本気で戦争をしようとすれば、眠っている核戦力が目を覚まし、コロナどころではない世界人類が滅亡に瀕する事態が起きるでしょう。
 だから戦争はないと多寡をくくって、ルールを無視するのかもしれません。

 今はネット上であらゆる情報が一瞬のうちに世界を飛び回る状態です。多くの国民は、おそらく独裁者本人より多くの知識、優れた知恵、そして頭脳を持っているでしょう。
 だからこそ、独裁国では多くの場合反政府デモが一般的です。

 こんな状況にありながら、独裁国は存在し続け、世界は神経戦も含め紛争が絶えないのです。しかも独裁者は大抵1人で、その信者や、恐怖などで忖度する人が周囲を囲んでいるのです。

 この問題を、平和的に解決する方法を人類は考えなければならないのですが、矢張りそれは人類にとって不可能な課題なのでしょうか。

米中対立:イデオロギー、経済競争と現実

2021年02月11日 17時14分11秒 | 国際関係
米中対立:イデオロギー、経済競争と現実
 第二次世界大戦後の世界では、多くの国が戦後の経済復興に努力する中で、自由主義経済がその長所を生かして世界中が、毎年経済が成長することが当たり前になるような時代を作り出す一方、政治的イデオロギーの分野では鉄のカーテンと呼ばれたアメリカとソ連の対立が地球人類の大きな問題になりました。

 この対立は、自由世界と共産圏の地球上での陣どり合戦のような状況を呈しましたが、1991年に至り、ソヴィエト連邦の崩壊という形で、終わりを告げました。
 原因はいろいろ考えらますが、決定的に重要なのは、共産主義の経済政策では、自由経済圏のように経済成長が確保できなかったことでしょう。結果は、国民や衛星国の不満や離反を統御できなくなったという事でしょう

 一方当時から「竹のカーテン」で自由経済圏から隔てられた、共産主義の大国、中国は、国際環境変化の中で、共産主義的経済手法を次第に自由経済的に手直しを始め、1985年には農業を人民公社から農家請負制に、そして最終的には、鄧小平の社会的市場経済に移行、この間、1980年には1人民元=150円から2000年には13円に10分の1以下に切り下げています。(世界の工場への準備完成)

 こうして見ると、経済発展という視点から見た場合、自由主義経済は、共産主義経済に比べて圧倒的に、経済成長に適したシステムだという事が言えるでしょう。

 米中対立というのは、こんな過程を経て今日に至っているのですが、本来、自由主義経済の本家であるアメリカがあまり経済成長をしなくなって、後から自由経済の良さに気づいて追いかけてきた中国が、 アメリカを追い越そうという段階になっているのです。

 追いかけられて焦るアメリカ、まだまだ発展の余地を残す中国、経済面だけを見れば、それも、人口規模の違いによる経済規模だけの競争と見れば、中国が絶対に有利でしょう。

 勿論1人当たりという質的な状態を見れば、中国がアメリカに追いつくのは大分先の話でしょうし、そこまで中国が順調に経済発展していけるかどうかには、種々問題もありうるでしょう。現に中国が、質的な意味も含めてアメリカを追い越すことは不可能という見方も、アメリカの中ではかなり一般的のようですが、もしそれが当たっているとしても、そこまでの、多分かなり長い時間、米中対立に世界中が振り回されるというのは困ったことというのが現実ではないでしょうか。

 そういう意味で本当に問題の原因になるのは、経済だけでなく、政治体制という事なのではないでしょうか。
 中国は、自ら称するように、社会主義市場経済で、政治的には共産党一党独裁です。そして、困ったことに、独裁政権というのはほとんど間違いなく腐敗していくのです。

 習近平は、終身、中国のリーダーとして君臨する立場を確保しました。共産主義の政治体制は、ほとんど必然的に、 独裁主義に陥ることは既にこのブログでも述べていますが、米中対立の本質は、経済力という事よりも、独裁国家という地球人類社会に往々にして大きな問題を起こす国に対して、自由世界、民主主義社会が、いかに対応するかという問題に他ならないのではないでしょうか。
 
 もっとはっきり言ってしまえば、今、地球人類社会にとって、最も大きな問題は、独裁主義、独裁者に対して、いかなる対応策をとっていくかという問題なのではないでしょうか。

国連と人類社会のガバナンス

2021年02月09日 22時54分05秒 | 文化社会
国連と人類社会のガバナンス
 今、地球のあちこちで、人類社会が、残念ながら荒れています。

 第二次大戦後、1970年代辺りまで、地球人類にとって、良い時期がありました。
 東西対立はありましたが、先進諸国が協力して途上国援助をし、世界人類全体の生活レベル、文化レベルを向上させようといった動きがみられた時期、トマ・ピケティに言わせれば、人類社会の格差化にブレーキガかかった時代です

 しかしその後は、人類が戦争の惨禍と不条理を次第に忘れていったのでしょうか。
 日本では田中角栄が、「戦争を知らない世代がリーダーになると危うい」といっていますが、これは世界共通の現実のように思われます。

 戦争の記憶が薄れると、リーダーたちは往々にして自己中心主義に逆もどり、経済的あるいは地政学的な問題で、自国の有利を求めて争う事がリーダーの使命と勘違いするようです。 

 民主主義の最先進国を自認したアメリカでも、戦後の強大な経済力が衰退するとともに自国中心に傾斜し、ついにはトランプのようなリーダーが出現するのです。

 民主主義国でない独裁的な国では、その傾向は一層強まるようです。
 ソ連崩壊で、世界は変わるかと思われましたが、ロシアは独裁国になり、経済発展の著しい中国も、習近平がリーダーになってから独裁化を強めています。 

 そして今、コロナ禍で世界が混乱する中で、いくつかの国で、一般庶民の真剣なデモが起きています。

 中國の強権に反発する香港、プーチンの独裁に耐えられないロシア、軍部によるクーデタで、民主主義が危うくなると恐れるミャンマーなどなどです。
 一般庶民にはデモ以外に方法はありませんし、こうしたデモに対しては権力は圧倒的な強さを持っています。

 覇権国アメリカは基軸通貨国という立場から、時に経済制裁を口にしたりしますが、相手国は国内問題への介入は許されなと主張します。
 たしかに、それは、対等な国と国との間の問題で、行き着く先は紛争でしょう。

 この問題を論じるには、その前に、覇権国と国連の関係を見ておく必要があるでしょう。
 第二次大戦後、巨大な経済力を持つアメリカは、国連本部をニューヨークに置き、国連のガバナビリティを支える意欲をもって世界の警察官を試みたのかもしれません。

 しかし、それはせいぜい1960年代までで、アメリカは経済力に翳りが出るのと共に自己中心的になり、ついに国連を無視するトランプ政権に至ったのです。

 結果的に明らかになることは、いかなる国が覇権国になっても、地球社会のガバナンスに責任を持つことは出来ないという事でしょう。

 今は、全く現実的ではありませんが、それを可能にするのは、地球社会が国連という最上位の組織を、地球人類のすべてをカバーするガバナンスを、地球人類のために考える組織として協力して作り上げ、その権威を認めることでしょう。

 そして、それを可能にする道は、現在の国連の常任理事国が、国連総会を、民主主義によるガバナンスを認める組織にするべく協力して努力することが、最も自然な道でしょう。

 今、それが可能だと考える人はほとんどいないでしょうが、現実には、それが出来ない限り、残念ながら、地球上には紛争が絶えないということでしょう。