tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

最近の国際情勢と折口信夫

2014年09月24日 10時23分01秒 | 社会
最近の国際情勢と折口信夫
 中沢新一氏の著作の中などで「別化性能」と「類化性能」という言葉が出てきます。折口信夫の造語だそうですが、一言で言えば、別化性能とは「違いに着目する思考方法」、類化性能とは共通点に着目する思考方向ということになるのでしょう。

 折口信夫自身は、「自分は類化性能がとても発達している」と言っているそうですが、同時に、類化性能は縄文時代から日本人の特徴的な思考方法ということでもあるようです。

 こんなことを思い出させたには今回のスコットランド独立運動です。
 以前イタリアに行った時ロンバルディアか北部同盟か忘れましたが、共通のシールをつけて、独立運動だと言っていたので、「なんですか」と聞きましたら、「いや、お祭りですよ」という答えが返ってきて、イタリアらしいなと思ったことがありました。

 ところが、今回のスコットランド独立のための住民投票は、お祭りではなく、全く本気だということで、私などは吃驚するより呆れました。
 300年も連れ添った、世界中から連合王国の一部と理解されているスコットランドが連合王国の一部であるという立場を捨てて、(多分に短期的な)北海油田の利権如きに目が眩んで(?)、独立しようという気持ちになるのは何故なのか、見当が付きません。

 しかし、これに刺激されて(という解説もありましたが)スペインではカタルーニャ独立の動きがあるというのでまたビックリ。スペインの債務と国の信用に絡んで、私などには良く解らない主張があるようですが、独立が必要になるような問題なのでしょうか。

 大体こうした問題は、国の中で被害者だという意識によることが多いのですが、スコットランドやカタルーニャが独立したくなるほどの被害者なのか、住んだことがないので解りませんが、不思議、不可解な感じです。

 ということで、ヨーロッパ人は「別化性能」が高く、何かあると違いを強調してしまうのではないかなどと感じた次第です。
 
 そういえば、日本では、神道も仏教も平和に共存し、習合、本地垂迹説なども生まれていますが、キリスト教では旧教と新教はあくまで別で、イスラム教では宗派の対立は日本人には理解できないレベルです。

 もちろんこうした問題は「類化性能」「別化性能」で割り切るといったものではないという意見もありましょう。
 しかし、狭い地球で人類が共存しなければならない今日、世界中に「類化性能」志向を流行らせることが、本気で必要ではないかなどと考えてしまいます。
 「信じる神が違う」と考えるより「同じ人間じゃないか」と考えた方がずっといいような気がするのは日本人だからでしょうか?

 日本人は縄文時代から多様なDNAが共存し、自然と人間も共存、動植物も人間も、自然の一部としてお互いに自然の中で生かされているという共通の感覚を持ってきました。
 今の世の中、何か「類化性能」志向が必要な世の中になって来ているように思うのですが、どうなのでしょうか。