tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

賃金決定基準と巨額報酬

2009年05月30日 12時07分57秒 | 経営
賃金決定基準と巨額報酬
 マネーゲームで成功した人たちの巨額の報酬 が問題になりましたが、そうした巨額の報酬が本来適切なものなのかどうかという問題に対する本質的な検討はなされていないように思われます。

 一方、勤労者は、働いて賃金を受け取ります。賃金は「労働分配率」で論議されるように、人間が働いて生み出した付加価値の中からの分配です。だから賃金の平均は一人当たりの平均付加価値生産額(付加価値生産性)を超えることは出来ません。

 その付加価値配分の中で、それぞれの賃金制度(年功や経験、貢献度や成果、職務内容や職位、などなど)によって、個人々々の賃金は決まります。

 つまり、賃金には「付加価値生産性」という決定的な決定基準(上限)があります。そして、付加価値生産性は、国全体でいえば、働く人一人当たりのGDP ですから、経済成長しなければその国の国民の賃金水準の天井は上がりません。極めて健全な基準です。

 これに対して、ファンドマネジャーや投資銀行の役員などの報酬は、多くがマネーゲームの結果生じた キャピタルゲインから支払われます。キャピタルゲインというのは、付加価値生産ではなくて、マネーが移転してそこに溜まったものですから、社会の付加価値(GDP)は増えません。しかし困ったことに、ゲームの勝ち負けでマネーが移転すれば、マネーの移転に伴って購買力も移転します(実はそれが目的でゲームをやっているわけです)。
 これは、単純化していえば、働いて得た1両も、ドバで稼いだ1両も、懐に入れば同じ1両、という時代劇の場面と基本的には同じです。

 キャピタルゲインには付加価値生産性のような天井はありません。他人の貯金を借り集めて、多額の資金を作り、それを元手にゲームをやって、そのお金を増やすだけです。お金があまり集まらなくても、 レバレッジを大きくすれば大きなゲームが出来ます。ですから、成功すれば儲けは大きくなり、それにつれて、個人への報酬も巨大なものになり得ます(失敗なら逆)。

 そういう報酬の水準が、本来は実体経済活動の成果である付加価値の枠の中の配分で決まるべき役員報酬に影響しているのでしょうか、アメリカの役員報酬は高いようですね。

 しかも、企業や個人の手に負えないような巨大な損失計上の場合には国が(国民みんなが)面倒見てくれるということになると、自由経済システムが本来考えていることとはだいぶ違うようです。


「確定利付き」への郷愁

2009年05月28日 22時25分00秒 | 経済
「確定利付き」への郷愁
 このところの世の中は経済的な意味で大変不安定になってきたように思われます。そのひとつに 「確定利付き」の貯蓄手段がなくなったということがあるのではないでしょうか。
 
 たとえば、サラリーマンの退職金の運用の問題です。確定給付型は影を潜め、確定拠出中心に変わってきています。30年、40年後、安心して退職金を受け取るためにはどうしたいいのか、若いサラリーマンに、資金運用の術を身につけろといっても、毎日の忙しい仕事の中で不可能でしょう。 プロのトレーダーでも、投資銀行でも倒産する世の中です。

 高齢者は、老後のための蓄えを、どう保全したらいいのでしょうか。投資信託の勧誘は盛んです。しかし元本が減るようなことになったら、一大事です。

 確定利付きの貯蓄は確かにあります。しかし現実に利息は小銭程度。少しでも物価が上がれば目減りです。何故日本の金利は こんなに低いのか、多くの専門家に聞きましたが、納得できる答は聞いたことがありません。何か経済原則だけではない感じがするのは私だけでしょうか。

 以前は、銀行が、自ら融資活動のリスクを背負って、預金者にはまともな確定金利をつけてくれました。なんでも自由化、規制撤廃で金利も自由化、金融機関はリスクを預金者や出資者にパスしてしまうということで本当にいいのでしょうか。

 ほとんどの国民は資金運用のプロではありませんし、なれるものでもありません。矢張り、以前のように銀行が、自らの体力の中でリスクを消化して、預金者には確定利付きの預金を用意する、そして、利率はある程度のものを確保するといった体制が、国民の将来不安を緩和し、まともな消費行動を回復するためには必要なのではないでしょうか。

 因みに、定期預金の利息が年2.5パーセントでも、30年預けておけば、元利合計は2.1倍に増えます。退職積み立ては安定するでしょうし、退職者の預金1,000万円は、年間25万の利息を生みます。
 
 フリーターでもFXで月に何十万の収入などというネットの書き込みのような派手さはありませんが、それはそれとして、政府はどういう社会を目指して金融行政をやっているのでしょうか。


「即戦力」への疑問

2009年05月25日 11時13分47秒 | 労働
「即戦力」への疑問
 世界金融危機による予想外の経済、経営の深刻化で、就職戦線も大変厳しい状況にあるようです。「就活」などという言葉が出来て、昔は卒業が近い学生という限られた人たち中での問題だったものが、社会全体に大きく取り上げられるようになっています。

 それはある意味では大変良いことですが、子供から大人まで、広く伝達される情報は、その中身が知って役に立つ良いものであって欲しいと思うのは私だけでしょうか。就職採用問題について言えば、金を払って勉強する時代から、働いて金を貰う時代への人生の180度の大転換について、より本質的な認識を持たせるような情報が必要のように思います。

 そうした中で気になるのが、「即戦力」という言葉が、採用側からもよく出てくることです。
「即戦力」という言葉が流行り始めた頃採用された人たちが、採用の側に回っているからかもしれませんが、現実には、社会人1年生に、「即戦力」などありえないのではないでしょうか。

 特別の事情があっての中途採用なら「求む、即戦力」という事もありましょう。しかし、企業がみんな即戦力を求めたら、即戦力を持つ人間だけが、より高給のヘッドハントでたらい回しにされて、大多数の人間は取り残されてしまいます。それでは産業社会の人材(即戦力者)の数は増えません。

 かつて日本は全く違った方法で成功してきました。素材採用、企業内訓練です。こうした形で、集団就職した人たちの中からも、多くの現代の名工が生まれました。各企業がそれぞれに人を育てれば、10年もたてば、日本中の「即戦力者」の数は格段に増えます。これこそが日本経済社会発展の原動力です。

 かつて、石川島重工がブラジルにイシブラス作って、現地で大規模な採用と訓練を行った時、訓練が終わると転職してしまう人が多く、「石川島職業訓練所」と綽名されたことがありました。その関係者が、「ブラジルの将来のために技能工を育てているのだと思ってやっています」といわれたことを今でも感銘深く記憶しています。

 即戦力、即戦力といっているうちに、日本の人材の絶対量がどんどん減っていく、そんな近視眼の、お手軽採用で、日本の将来を危うくしないよう、日本企業の人事・採用担当者に採用問題と人材育成の本質を確りと考えて欲しいものだとおもっています。


不況の違い、対策の違い

2009年05月21日 14時17分45秒 | 経済
不況の違い、対策の違い
 失われた10年の長い不況を経て、2002年以降、多少生気を取り戻してきた日本経済でしたが、また改めて、昨年来の深刻な不況になってしましました。

 不況の時は、雇用不安、賃金やボーナスのカット、デフレが心配などなど、われわれ国民の感じることはいつも同じようで、政府も大型補正予算とか対策は多分に画一的ですが、実は、前回の不況と今回の不況とではその原因も、起こり方もぜんぜん違っています。

 見かけは同じでも、中身は違うわけですから、それに対する対応策も、当然違ってこなければならないのでしょう。確かに今回はエコポイントとか、従来と違った景気対策が取られ、多少の手応えはありそうですが、この辺りも、不況の性格を確り認識した上で、よく考えてやることが効果を大きくするのではないでしょうか。

 前回の不況は 「為替レートとゴルフのハンディ 」 でも書かせていただきましたように、基本的には、プラザ合意による円高で、日本が 「世界一コストも物価も高い国」 になり、そのコスト高を克服するためのコストダウンのプロセスでした。
 日本には、遮二無二コストを下げるしか脱出の選択肢はなかったわけです。

 今回の不況は、アジアもヨーロッパも経済の実体はよかったのですが、アメリカ産の腐敗菌入り(サブプライムローン入り)のハンバーガーを食べた結果、世界中の金融機関がひどい下痢を起こし、へなへなになって、金融機関の役を果たせなくなったことが原因です。

 前回の不況は日本だけの問題で、日本が努力すれば済んだのですが、今回は世界中の金融機関の問題で、日本だけではどうにもなりません。
 しかし、日本の金融機関は比較的健全で、しかも世界一の貯蓄を持っている日本ですから、世界中がどうであれ、日本の中で金融を回し、経済を回るようにすれば、蓄積のない国に比べれば回復は早いはずです(「 余裕のある経済・ない経済」参照)。

 中国は政府が金を使って回復を早めていますが、日本は、政府が借金で首が回らない状態ですから、貯蓄を持っている民間に、いかにお金を使ってもらうか( 内需の自主的拡大)が勝負でしょう。

 それが出来ずに、輸出が回復するのを待っていたのでは、蓄積したお金も「宝の持ち腐れ」で、外国が回復するまで日本はダメ、日本経済の回復は一番後、といったことになりかねません。
 経済政策にも進化が必要ですね。


価格引下げ競争の愚

2009年05月19日 16時16分47秒 | 経営
価格引下げ競争の愚
 最近改めて価格を引き下げて企業間競争を勝ち抜こうとするような動きが見られます。
 新型の家電、衣料品、食料品などのモノの値段、また、交通運輸関係の料金、通話料など各種のサービス料金などなどです。

 中には、消費者から見ても「そんなに安くして経営が成り立つの?」と思われるような価格のものさえあります。

 価格を下げても企業がそれで利益を上げているのなら、それはそれでいいのでしょう。しかし、いわゆる過当競争に巻き込まれるような形で、企業存続にも関わるような価格設定をして、今をしのいで勝ち抜けば、後は何とかなる、といった形で無理な価格競争をすることは、企業にとっても、消費者にとっても、実はあまり望ましくないことなのではないでしょうか。

 1985年のプラザ合意による円高で、日本は世界一物価の高い国になり、日本経済が生き残るには物価引下げしかなかった時期、いわゆる「失われた10年」を通じて日本企業は必死の思いでコストを下げ、物価を下げて、国際競争力の回復に努めました。
 しかし、この長期にわたる努力の結果、すでに日本の物価は、平均的な意味では、国際的に見ても高くありません。品質から見れば割安と思われるものも数多くあります。

 にも拘らず、価格引下げの癖がついてしまったのでしょうか、国内競争の中でさらに低価格を目指そうとするのは、少し行き過ぎのような気がします。
 これからはいよいよ「質の時代 」です。価格ではなく、質の競争に競争の概念を転換していく時ではないでしょうか。

 価格引下げは、著しく企業の体力を弱めます。当然それは雇用や賃金水準にも影響を与えます。それが購買力を引き下げ、更なる低価格競争を招くことになったのでは、企業も働く人たち(=消費者)も救われません。

 今の日本人は(平均的には)カネがないわけではありません。環境や安全に見られるように、質への指向も広がりつつあります。もちろん競争をやめてカルテルを結べというのではありません。
 競争の視点を、製品やサービスの「品質の良さ」に移し、価格では競争しないぐらいの気概で、消費者に対応してみたら如何でしょうか。消費者もどちらかと言うと、それを望んでいるように思うのですが。


先物、レバレッジ、デリバティブ

2009年05月18日 11時20分44秒 | 経済
先物、レバレッジ、デリバティブ
 三題噺ではありませんが、マネー資本主義(金融資本主義)の跳梁跋扈の基本条件はこの3つにあるのではないでしょうか。
 この3つのうち最も歴史の古いのは先物でしょうか。日本でも、江戸時代からあったといわれています。

 特に変動為替相場制の中で、国際貿易を活発化しようとすれば、為替差損を先物でヘッジすることは必須でしょう。問題は、先物を現実の取引のヘッジの範囲の防衛的なものと考えるか、一歩踏み出してレバレッジ をかけて、ヘッジ機能をマネーゲームの手段にするかでしょう。
 日本を代表するような企業のトップが、「ウチはリスクヘッジ以上のことはやらない」と言っておられたことが印象に残っています。

 レバレッジはビジネス、財務の基本的概念ですが、少ない自己資本にレバレッジをかけて、大きな取引をするということは私的に勝手に行われる信用創造に道を開くことでもありますし、その結果、企業や経済の変動を「レバレッジの分だけ」大きくする危険性を持っています。
 金融取引の多様化、活発化が、マーケットメカニズムによる価格や金利の安定化をもたらすといった主張は、これまでの経験では全く逆で、いわば群集心理の結果として、変動への加速度効果を持つというのが現実でしょう。

 デリバティブ(金融派生商品)は、あくまで「派生」商品です。ですから本来の根っこ、つまり「由来」があるわけです。
 最近多くの実物商品はその由来(デライベーション)を、原産地表示、添加物表示、加工方表示などで明らかにするようになっています。金融派生商品も、当然その商品のよって来る「由来」を解り易く表示して、買い手が中身を判断できるようにしておくべきです。
  「由来」が解らないようにするのが「金融工学」であるならば、金融工学はもともと偽装の手段とかインチキといわれても仕方ありません。こうした動きを加速したのが投資銀行だといわれますが、投資銀行の本来の役割は何だったのでしょうか。

 最近、レバレッジを規制しようといった動きが、典型的にFXにおいて見られ、業界と論議があるようです。
 アメリカ、中国では、デリバティブ取引を大幅に規制するとか、国の管轄化に置こうという動きもあるようです。おそらくいろいろな論議が起こるでしょう。 これらは新たな資本主義進化 の「芽」でしょう。

 こうした問題のすべての判断は、「人間は実体経済によって生きるものであり、金融は実体経済のより良い発展に役立つように人間が考え出したもの」という視点で判断すべきではないでしょうか。


低失業率維持する日本

2009年05月09日 13時18分25秒 | 労働
低失業率維持する日本
 今回の世界金融恐慌では、これまでの資本主義のあり方のいろいろな問題点が見えてきました。しかし現状は、重要な本質論議としての資本主義の改造、資本主義の新たな進化の方向などについては、論議が余り進まないままに、金融面の手当が各国政府の努力によって、急速に進んできています。

 金融面の手当が出来たところで、本質問題が忘れられるのは困りますが、経済の血流である金融面の手当には、なお万全の努力を続けて欲しいと思います。

 ところで、今回もたらされた不況で、またまた、それぞれの国における雇用面での対応の違いが見えてきたようです。最近時点の失業率の国際比較を見ますと、日本の4パーセント台に対し、アメリカは8パーセントに載せ、ドイツ、フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国も7~8パーセントに近づいています。

 日本の過去の最高は、失われた10年の中での5.4パーセントと記憶しますが、そこまで行かないことを願いつつ、また行かない努力をするといった意味からも、日本企業における雇用のあり方をもう一度よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 かつては、ベテランの人事部長でも、雇用削減を発表するときは足が震えた、などといわれましたし、「首を切る経営者は腹を切れ」などともいわれました。日本の企業人は、雇用の維持が、経済社会の安定の基本的要素として、極めて重要であることを知悉していたのでしょう。

 こうした社会の枠組みのあり方の重要な含意(例えそれが多少不自由であっても)が。「規制緩和、規制撤廃」の大合唱の中で、制度だけでなく、「考え方や、態度、志」まで変化することへの危惧感を持つ人は多いのではないでしょうか。

 さいわい、失業統計の国際比較で見る限り、日本人の雇用に関する良き伝統は、種々の法律・制度の変化にも拘らず、未だ維持されているように思われます。
 労働経済の分野で、雇用についての本格論議が、今日、改めて、必要になっているように思われるところです。


強いドル望むアメリカ?

2009年05月04日 15時09分18秒 | 経済
強いドル望むアメリカ?
 経済実態からいうとかなり厳しいアメリカですが、ドル暴落の可能性を幾度となく言われながら、何とか持ちこたえているのが現在のドルでしょうか。

 アメリカのビッグスリーではありませんが、日本のトップ企業が倒産に瀕するような経済状態になったら、日本円は間違いなく暴落するでしょう。そして、日本にとっては暴落してくれたほうがありがたいという意見は必ず出るでしょう。円の暴落によって、日本企業は競争力を取り戻し、経済回復のきっかけを掴むことが出来ると考えられるからです。

 アメリカの場合も、ドルが下がれば、ビッグスリーの国際競争力はそれだけ改善するわけですが、オバマ大統領を始め、アメリカの指導者には常に「強いドル」への明確な意思があるようです。円高になれば低迷する日本経済とは全く違う考え方が感じられます。

 同じ自由経済の経済原則の中で動いている日米経済ですが、何が違ってそうなるのでしょうか。
 考えてみれば、お金を使うことを中心に考えれば自国通貨は強いほうがいいということになるでしょう。覇権国の役割を果たすにはカネがかかります。ドルが安くなったら大変です。また、そのお金をマネーゲーム、つまり金で金を稼ぐという方法で稼ぐのにも自国通貨は強いほうがいいでしょう。

 逆に、付加価値を生産して、それを輸出しなければ食っていけない日本のような国は、自国通貨が強いと、コスト高で競争力が落ち、立ち行かなくなるということになります。

 アメリカは、日本の円や中国の人民元といった競争力の強い特定の国の通貨は切り上げて欲しいと考え、その一方で、競争力の弱い自国のドルも弱くならないで欲しいと考えているのでしょう。
 長い目で見れば、これはかなり難しい綱渡りのような気もします。


派遣切りと人件費問題

2009年05月01日 09時44分18秒 | 労働
派遣切りと人件費問題
 派遣切りという言葉は、感じのよくない言葉ですが、解りやすいのでここでは使わせていただきます。
 景気は、何とか底入れだけはしたように感じますが、回復への心配は付きまといます。その大きな要因の中に人件費コストの問題があります。

 昨年来の景気の急激な落ち込みの中で、企業は人件費削減のために派遣社員などの非正規雇用をかなり削減してきました。これは、労使関係上の問題や、法律上の問題があるので、そうならざるを得ないのですが、マスコミなどに大きく取り上げられた割に、その効果はどうだったのでしょうか。

 実は長期不況回復の過程で、主要企業を含む多くの日本企業は、コストの低い非正規雇用 を多用することによって、平均賃金水準を下げ、収益確保、景気回復の大きな力にしてきました。
 ところがここに来て、売り上げが落ち込み、非正規雇用削減となったわけです。すでに非正規雇用はほとんどいなくなり、正社員だけといいケースも多いようです。

 一昨年までの景気回復の中でも、 正規雇用だけではコストが高くてやれない、という意見は、主要企業からも聞かれていました。それが今、売り上げ低迷の中で、正規雇用者だけでやるということになりますと、これはコスト高で大変ということになるようです。

 現実に、正規雇用者の賃金や手当(特に管理職手当など)のかなりの見直し削減が行われている様子も見られますが、多くの企業は、改めて人件費コスト問題に直面しているようです。

 賃金や手当の引き下げは、不況ムードに追い討ちをかける望ましくないことですが、企業の収益が回復しないことには景気回復はありません。労使の的確な対応、マスコミの思慮深い報道姿勢が望まれるところです。