tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

円高か、円安か? 前回の応用問題

2011年10月31日 11時46分25秒 | 経済
円高か、円安か? 前回の応用問題
 円が$1=¥75を切り上げる気配がみえてきています。安住財務相は、実体経済に沿わない動きがあれば断固とした措置を取るといったことを繰り返していますが、本当は今の動きそのものが、すでに実体経済を反映しない部分のほうが大きいのでしょう。

 ところで、スイスがユーロリンクを言ってから、日本も、為替の投機筋への対応がし易くなったことは確かでしょう。何事も自分では出来ない日本です。「スイスですらやるのなら」です。

 最近世界最強を誇る日本の製造業トップ企業の経営者も「$1=¥75は生命線だ」といった発言をしています。現状で考えれば、まさにこれは限度でしょう。安住財務相も、一歩踏み出して「いざとなれば、実体経済に関係ない為替取引は禁止することも検討する」ぐらい言ったらどうでしょうか。それで国際投機資本の反応を見るぐらいの知恵も必要でしょう。

 前回、「日本は信用基盤が確りで、円安になれば製造業が喜ぶ状態だから、一部の国際投機資本が、円売りを仕掛けても、まだみんなそれには乗らないので、(さし当たって円は安全通貨で)円高が続く」という趣旨のことを書きましたが、世界最大級の財政赤字、地震津波の巨大被害、解決のめどのつかない原発事故などにもかかわらず、何時まで円高が続くのか、という「応用問題」を考えて見ましょう。

 結論から先に言えば、それは、「日本が円安を喜べなくなるまで続く」のではないでしょうか。それは言い換えれば、日本が国内で「ものづくり」が出来なくなったときでしょう。

 今回のタイの洪水でも、海内依存の程度が明らかになりましたが、製造業がほとんど海外に出てしまって、国内に製造業の基盤がなくなった時、円売りを仕掛けられれば、安くなった円で、海外の製造設備を買い戻そうとしても容易ではありません。円安になればなるほど日本は窮地です。
 国債投機資本の目で見れば、いかにそのタイミングを巧く見計らって、円売りを仕掛けるかが、まさに頭の使いどころでしょう。

 製造業の経営者が、$1=¥75は生命線と言っているのも、全面海外移転の危険性を察知しているからでしょうし、円の暴落を予言している人たちはいつかその日がくると予見しているのでしょう。
 
 こうした為替投機筋の行動が、日本経済の命運を決めるようなことにさせないためにも、為替対策を早期にきちんと取っておく必要が、すでに差し迫っているように感じられる最近の円高です。

ps.このブログをエントリーした直後、政府は介入に踏み切り、神経質になっていた為替市場で円は79円台まで円安に動きました。政府は思い切ってやったと思いますし、投機筋もかなり神経質になっているのでしょう。先行きが注目されます。


2種類の「金融」の峻別を  2

2011年10月28日 11時14分51秒 | 経済
2種類の「金融」の峻別を  2
 今回は、今日、「金融」と呼ばれている別の例を多少極端かもしれませんが挙げておきましょう。

 それは、いわゆる「空売り」です。最も極端な例は「ネイキッド ショート セリング」、裸空売りとでもいうべきでしょうか、売るべき何物も持たずに、勘定だけ売るという事のようです。

 アジア経済危機の時、インドネシアルピー、マレーシアリンギッド、タイバーツ、韓国ウォンなどが売りを浴びせられました。借金を抱え、信用基盤は弱いが育ち盛りの経済の元気で保っているような国の通貨を狙い撃ちして売りを浴びせたわけです。

 大手国際投機資本が売れば、矢張り信用基盤の弱さが表面化するのかと危険を感じる人や提灯をつけて一儲けしようという人も当然出ます。
 そうして、これらの通貨は暴落です。 再起不能といえるようになって安値で買い戻せば、投機資本は大もうけ、これらの国の経済は大打撃を受け、経済のみならず、政治的混乱まで誘発して、再起には数年から10年もかかるという悲劇が起こりました。
 マレーシアのマハティール首相が、これに対抗して為替制限をしたのは有名です。

 多分、ギリシャ国債や、ユーロについても同じようなことが起こったのでしょう。円の場合は、日本が万年黒字国で、信用基盤があるし、まだ円安になれば製造業が喜ぶという強さがありますから、時に仕掛ける投機筋もあるようですが、瀬踏み程度で「まだまだ」と考えているほうが主流のようですから、円高が続きます。

 これも「金融」という言葉で括られていますが、同じ金融でも前回の金融とは全く違うものでしょう。

 ヘッジという金融(信用)の機能に、レバレッジをかけて、(実際の取引以上の勘定に膨らませて)、実体経済に関係ない儲けのチャンスを狙うことから始まって異常な発展をしてきたこうしたマネーマーケットの特徴は何でしょうか。

① 金さえ儲かれば、実体経済やGDPがどうなろうと関係ない。
② 相場の変動が大きいほうがビジネスチャンスが大きい。
③  瞬間的な相場の上下に反応し、売買のチャンスを狙うので、常に近視眼的に考える。

  同じ「金融」といっても行動の原理が全く違います。これは金融というよりはっきりいってしまえば、「ギャンブル」そのものでしょう。国際投機資本の人たちが巨額の報酬を得ても、それは経済成長の配分ではなく、損をした人や儲けなかった人の負担(時に納税者の負担)でしかありません。すべてはゼロサムです。

 こうした2種類の「金融」を峻別するか、言葉自体を変えないといけないのではないでしょうか。


2種類の「金融」の峻別を 1

2011年10月26日 13時51分02秒 | 経済
2種類の「金融」の峻別を 1
 このブログでは何回も触れてきた問題ですが、同じ「金融」という言葉でいわれてしまっている全く違った2つの活動について一度整理しておきたいと思います。

 われわれが伝統的に「金融」という言葉で考えるのは、人間が経済活動(生産活動)をする中で、あるところではお金があまり、あるところでは足りなくなるので、その余ったおカネを集めてプールし、お金の足りないところに貸す、という仕事でしょう。

 金融の発達は、金利という制度が一般化することによって、大いに発展しました。「ベニスの商人」のような金利は違法だから代わりに胸の肉1ポンド(肉はいいが血はダメ)などといっていたのでは金融は発達しません。

 預金にも金利がついて、長期なら金利は高く、借入金には預金より高い利息がついて、金融機関はその利鞘で成立するというのが、常識的な金融の世界です。

 この伝統的な金融の意義は何でしょうか。それはお金(資本)という生産要素を「より効率的に活用」して生産を増やし(GDPを増やし)経済の発展に貢献する(社会の豊かさの向上に貢献する)という事です。

 人間〈労働〉という生産要素で言えば、仕事をしたい人と、働き手が欲しい企業の仲介をする職業紹介と同じような機能です。この場合も、失業者を減らして、雇用と賃金所得を増やし、経済の発展に貢献します。

 経済は、人間とお金(労働と資本)で成り立っていますから、社会における豊かさを増やすためには、両方とも大変大事です。

 こうした場合、金利と賃金所得は、何処から来るのかというと、人間やお金を効率的に活用した結果生まれた「付加価値」(GDP)の配分として支払われます。ですから、預金をして利息を貰うのも、カネを貸して利息を貰うのも、働いて賃金を貰うのも、人間やおカネがGDPの増加(経済成長〉に貢献し、その分け前に与るのですから「正当な報酬」ということになります。

 こうした本来の金融は、おカネを貸すのにも、将来の産業・企業の発展性を見極め、産業・企業の発展と同じ長期的視点で融資をして、その産業・企業の発展と共に発展していくことを考えていたので、当然長期的視点で金融という仕事を考えていました。
 これが金融というものが健全だった時代のお話です。


金融危機とPPP(汚染者負担原則)

2011年10月19日 16時51分42秒 | 経済
 ユーロが安定するかどうかは、まだ先が見えないようです。楽観論、悲観論が入り乱れて、当面するギリシャ問題だけでも、EU諸国はもちろん、世界各国の不安は治まらず、実体経済への影響も懸念されています。

 実体経済の効率的な活動を支援するための金融が、実体経済の不安や混乱を助長するというのは、本当に困った問題ですが、IMFや世銀、その運営に大きな力を持つアメリカなど主要国は、片方で今のマネー資本主義を進めながら、その引き起こす問題の解決ルールについてはきちんと考えてこなかったようです。

 ギリシャの国債の発行額は、ギリシャのGDP の100パーセント強で、日本円にすると30兆円弱ぐらいです。BIS(国際決済銀行)は、主要なギリシャ国際の国別の金融機関による保有額を発表しました。総額1500億ドル(12兆円弱)で、フランス、ドイツ、イギリス、ポルトガルがトップ4で、約8割を持っています。

 ところで、総発行額の2割とか5割を、いわゆるヘアカット(支払いカット)しようという話などが聞かれますが、発行額は確定していても、CDFなどをふくめて、ギリシャ国債を利用したデリバティブや、それがどれだけのレバレッジを掛けているかは、ほとんど解らないというのが実態のようです。
 
 これは、かつての公害問題に似ています。撒き散らされた公害物質の総量は把握されても、それが一旦拡散されてしまったとき、その対策のコストが何処まで広がるかわからない(巨大になる)という経験です。(今回の放射能汚染も似ています)

 公害の場合は、OECDなどで論議の結果PPP(polluter pays principle=汚染者負担原則)が言われ、基本的に、汚染者が負担することになりました。これは、汚染はその源で防止するのが最もコストが安いことが明らかだからでしょう。

 こうした経験は、金融危機においても共通です。デフォルトになってしまった場合は、それが何処まで波及するのか、結果的に何倍に膨れ上がるのか誰にも良く解らないのです。そんな金融市場、金融商品、そしてその管理体制のもとでは、世界金融市場汚染にも、PPP:汚染者負担原則を適用するのがもっとも賢明なのではないでしょうか。

 意見はいろいろあるでしょう。しかし、こういう世界金融市場を作って来たのですから、問題の起きた場合の対応の原則もきちんとしておかないと、そのつど混乱するばかりでしょうし、今までの経験で見ると、かなりの不公平がまかり通ってしまったように思えます。


経済・経営近視眼化の理由?

2011年10月17日 13時01分13秒 | 経済
経済・経営近視眼化の理由?
 最近は、長期的視点で経営や経済を考えることが流行らなくなったと書いてきましたが、その理由について些か考えて見たいと思います。

 基本的な原因は矢張り、経済覇権国、基軸通貨国アメリカの行動態様の変化にあるように思われます。
 ブレトンウッズ体制時代 のアメリカは、経済・経営の健全化の重要性を基本的に考え、短期的策を弄して自国の有利を優先するような政策は、結果的に第二次世界大戦のような結果をもたらすと考えていたのでしょう。

 しかし、ニクソンショック以来、その考え方は次第に変化したようです。
 「双子の赤字」という言葉が生まれたように、アメリカは財政赤字と国際収支の赤字に悩むことになりました。稼ぐより余計に使ってしまう「キリギリス体質 」に落ち込んだのです。

 確かにアメリカは、体質改善に努力しました。グラム・ラドマン法など、努力は重ねましたが、国民はだんだん我が侭になり、識分知足の生活より、華美贅沢を好むようになりました。
 民主主義はポピュリズムに陥り易く、歴代大統領は、次第に国民に経済の健全化を要求するよりは、国民の意向に迎合し、覇権国、基軸通貨国の力を活用し、借金で辻褄を合わせるほうを選ぶようになったようです。
 J.F. ケネディーの「国に頼むのではなく、国民が国のために何が出来るかを考えるべき」という就任演説は遠くなったということでしょう。

 こうして、最終的には、「アメリカが赤字国なら、世界に必ず黒字国があるはずだから(世界国際収支はゼロサム)そこからアメリカに黒字分を還流させればいい」という考え方に行き着いたのではないでしょうか。

 こうして、経済の金融化がすすみ、経済学も、会計システムも金融中心、キャッシュフロー中心になって、「経済・経営の実体の健全化」という長期的視点は流行らなくなり、金融操作による短期的辻褄合わせの時代が来たように感じられます。

 アメリカは「デファクト・スタンダード」を作ることに極めて優れています。こうして金融中心の経済学、経営学(金融工学の時代)が主流になると、汗をかいても着実にという長期的視点は嫌われ、金融の中でもリテイルバンキングはダサいものになり、「キャピタルゲイン 」を目指す「ギャンブル金融活動」(キャピタルゲインはGDPを増やしません)が幅を利かせるようになり、レバレッジ、デリバティブ などという言葉が流行り、企業の価値が時価総額で計られたりするようになりました。

 こうした、もっとも基本的なところが治らないと、今の国際経済の病気は、決して快方には向かわないのでしょう。


長期的視点を忘れた世界の論調

2011年10月15日 16時18分43秒 | 経済
長期的視点を忘れた世界の論調
 9月のアメリカの小売の伸びが予想より堅調だったということで、アメリカの株価が上昇しました。この株価の上昇には、ユーロ各国の金融援助のためのファンド(EFSF)の積み増しが、スロバキアの賛成で、最終的に可能になったので、ユーロにおける、いわゆるギリシャ危機がさし当たって遠退いたという思惑もあるとのことです。
 
 マスコミの報道や解説はそこ止まりで、それで本当に、アメリカ経済やユーロ問題が改善になるのかどうといったことには全く触れていません。
 確かに「株価」の問題ならば、今日上がって、明日はまた別の要因で大幅下落しても、それはそれで誰も文句は言わないでしょう。

 しかし今、多くの人が心配しているのは、日々の株価の上下も含めて、アメリカ経済が本当に立ち直るのか、ギリシャ問題は本当に解決できるのか、あちこちで囁かれている「こんなことをしていたら世界経済は大混乱、そして大恐慌に陥るのは必至」といった恐ろしい予想が、本当に現実になるのではないかといったことではないでしょうか。

 実態経済から見れば、アメリカの消費が増えるという事は、アメリカの生産性が上がり、国際競争力が強化され、アメリカの経常収支の赤字も財政赤字も縮小に向かって、アメリカ経済が自信を取り戻した結果でない限り、赤字の拡大から破局への道を急ぐことにしかなりません。

 ユーロ圏で、ギリシャ支援の資金が増えても、PIIGSに問題が飛び火しても、金融援助で破綻回避可能といっても、ソブリンリスクに晒されている国が国民経済そのものを建て直して、経常収支や財政を健全化する方向に進んでいることがハッキリするのでない限り、援助は穴の開いた水瓶に水を入れるようなもので、いくら資金を拠出しても足りないでしょう。

 バーナンキさんは前回の世界恐慌は金融支援をきちんとやれば、あんなことにはならなかったという研究歴の持ち主だそうですが、あくまでそれは、一時的対症療法で、それである程度の時間を稼いでいるうちに、各国経済の健全化を成し遂げなければならないという条件がついていたはずです。

 最近の世界経済の関係者の言動を見ていると、上記の後半部分が忘れられて、金融支援さえすれば、問題は解決されるような印象を受けることが大変多いような気がするのは私だけでしょうか。

 多くの人がそんな印象を受けるとすれば、アメリカを含む問題国が、自分たちの経済運営や、生活態度を見直して、自国経済の本格的建て直しをやらなければならないと自覚せずに、支援が足りないから生活が苦しいとか、もっと借金が出来るようにして欲しい、といったことに目が向き、街頭デモにくり出すといったことになるのではないでしょうか。

 そうした意味で、いわゆる識者の発言も、マスコミの論調も、なんでこんなに近視眼的 なものばかりになってしまったのか、大変恐ろしく感じるこの頃です。



長期的視点の必要性

2011年10月12日 12時07分51秒 | 経済
長期的視点の必要性
 日本的経営の原点は2つあって、
・ひとつは、人間中心の経営
・もう1つは、長期視点に立った経営
といわれています。

 これらはいわば当たり前の事で、企業は「人間と資本」で構成されていますが、もともと人間が人間のために作ったものですから、おカネ中心ではありえないでしょう。
 また、企業は、人間の役に立つためには、ゴーイングコンサーンとして長期に安定して存在しなければなりませんから、長期的視点に立つのは当然でしょう。

 この2つは、経営だけでなく、人間の社会制度のいろいろな面において、大変重要だと思われます。特に最近の世界各国の経済の様相を見ますと、一国経済を見るのにも、もっともっと人間中心で長期的な見方をすれば、今起こっているような混乱を未然に防ぐことが出来たのではないかと思われるようなことが少なくありません。

 ところがこの所の経済は、ますますマネー中心になり、近視眼的になっているようです。格付け会社にしてからが、破綻が確実になってから、格付けを下げたりしていますが、本当に役に立つ仕事をしようと思ったら、例えば、ギリシャがユーロに加盟した当初から、ドラクマとユーロの交換をきちんとやらないと、ギリシャは高物価、高価格の国になって、国際競争力上やれなくなる可能性が出るとか、国際収支や財政が不健全になる恐れが大きいとか、長期的に見て危険をはらむ問題を指摘し、警告の意味も含めた格付けをしてしかるべきではないでしょうか。

 アメリカにしても、ニクソンショック以来の経常赤字の連続の中で、何回もの財政健全化策も成功せず、いつかは「ドル暴落」といわれながら、その「いつか」が来るまでは大丈夫といった、極めて短期的な見方で、彌縫策に専念するといったことが続いてきたわけで、こうした短期的な視点を、トリプルAという格付けが支えてきていたということでしょう。

 今度のG20でも、ユーロ圏の金融支援システムの増強の問題が中心のようですが、これもまた、極めて短期的な視点のもので、本当の解決策は、長期的視点を持って、想定される非支援国がどうすれば支援を受けなくて済むようになれるのか、何年かけてそれを実現するのか、といった問題をきちんとしないと、何時までたっても同じことの繰り返しでしょう。

 人類は未だにそんなに愚かなのでしょうか。今後のG20や首脳会議においても、数々の失敗の経験を糧にした、長期的視点に立つ本質的論議を、短期的彌縫策の一方で、確りと進めて欲しいものです。


混迷の世界経済を読みきれるか

2011年10月06日 11時50分33秒 | 経済
混迷の世界経済を読みきれるか
 世界経済はいよいよ混迷の度を深めているようです。
 アメリカではウォール街に反発するデモが起き、ギリシャでは、相変わらず緊縮財政に不満のデモ、ユーロ不安はイタリアに飛び火、お邪魔虫の格付け会社がイタリア国債の3段階下げ、ユーロは1ユーロ100円へ・・・・・。

 アメリカ社会には基底に保守勢力があり、経済好調ならば何も起こりませんが、今は様相が違ってきました。
 金融操作で世界中から金を集め、分不相応の暮らしをしていたのが剥げ落ち、実力の範囲での生活になるプロセスが、否応なしに始まろうとしているのです。デモでは金融が怪しからんといっていますが、今まで金融で潤っていたことが解っているのでしょうか。
 悪いのは、本来の金融システムではなく、マネー資本主義のギャンブル金融ビジネスだという区別もデモ隊の主張のには見られません。

 ギリシャも、基本的は同じです。多くの国民は、ユーロ加盟国に迷惑をかけないようにすべきで、自分たちは分相応の生活も仕方がないと思っているのかもしれませんが、サイレント・マジョリティーの声は聞こえず、政権は、デモ隊にかまけているように見えます。

 イタリアでは今後、どんな展開になるのでしょうか。いずれにしても、経常赤字の国は、基本的に、他国に支えられた生活をしている、つまり他国に迷惑をかけているのだ、という事を、実体経済の面から、政権が国民に確り説明している例はあまり聞きません。
 ユーロを離脱してドラクマに戻れば、ドラクマの価値は半分ですという説明(もと首相)は、その通りでしょうが、これは、ユーロにとどまる限り、ギリシャの国際競争力回復は無理、という事と裏返しでしょう。

 しかし、一方ではユーロ安で、大いに潤っている国や企業があることも事実で、経常赤字国をユーロから追い出せば、ユーロは大幅高になり、残った国は昔のように高コスト国になって、スタグフレーションで呻吟するのでしょう。このあたりの損益計算の論議もあってしかるべきですが、全く聞かれません。

 国際投機資本は、経済の小さな穴に指を突っ込んで大きくし、政府がそれにつぎを当て、今や、世界経済や一国経済という服はつぎだらけになって、どれが元の生地か解らなくなってしまったようです。

 しかし良く見れば解る筈です、元の生地は「実体経済」です。実体経済を健全化すれば、つぎを当てる必要はなくなります。自由経済には復元力があります。これが、各国政権担当者の責任であり、国際経済社会安定のための最低限のディシプリン(規律)であり、日本的にいえば、「礼儀」でしょう。

 実体経済の綻びを態々大きくしたり、隠したりすることでキャピタルゲインの獲得に狂奔するギャンブラーたちにはご退場願うべきなのでしょう。方法は簡単です。金融取り引きのレバレッジを、さし当たって『1』にすればいいのです。