tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

経済成長の現実、対象は実体経済、マネーではない

2020年09月30日 16時32分13秒 | 経済

経済成長を可能にする付加価値の使い方-4
前回、経済成長は、人類社会にとって、いつの世でも必要であることは変わらないだろうという事を見てきました。

 今回からは、経済成長を可能にする条件について、検討していってみたいと思います。

 まず、経済成長の原動力は、人間が「より豊かでより快適な生活を目指す」という意欲や意思を持つ事からです。時として、その時代の雰囲気、国際情勢、為政者の在り方などによって、人々が、我々の時代は成長は期待できないといった悲観主義に陥ることもあります。こうした時期には、国民の意識を変えないと成長は困難でしょう。

 ある意味では、いまの日本にもそういう部分があって、少子高齢化が必至で、政府はすでに膨大な赤字の積み上げで動きが取れない、同盟国アメリカらの種々の要求は苛烈で、我々以降の世代では年金も先細り。我々は親の代より豊かになれないのではないか、といった雰囲気がかなり強いのではないでしょうか。

 肝心の人間が、成長の期待を持てないような状況の中では、やはり経済成長は難しいでしょう。
 これは一国のリーダーが、国民に将来への期待、希望を持たせられるかどうかにかかっている問題でしょう。すこし長い目で見れば、おそらく日本もいつかは、若い世代が将来に希望を持てるような国に復活していくと思いますが、先ず第一は一国の経済社会を構成する人間の意志、意欲が最大の決定要因という事を上げておきまでょう。

 さて、一国のリーダーと国民が、一致して経済成長を希求するという状態の中で、その実現を計画し、実行し、達成するには、何が重要かという事にありますと、経済成長の要素は「人間と資本」ですから、「活用できる資本があること」、そして、「関係する人間が、その資本を賢く使うこと」によるというのは当然でしょう。

 賢く使うという事は経済学の言葉でいえば資本の生産性を上げるとか、資本の収益率を高めるといった努力が必要という事です。言い換えれば資本を無駄にしない、間違っても、兵器を買ったり作ったりして戦争をし、すべてを廃墟や残骸、海の藻屑にしたり、戦争はしなくても、旧型兵器になって最後は廃棄処分などというのは最悪でしょう。

 此処で、技術開発の具体的分野に踏み込むつもりはありませんが、研究開発から生産技術の開発、更にはより効率的な生産の実現といったプロセスは、実体経済の分野にその目標を置くべきだという事が、このところ、特に重要になって来たような気がします。

 理由は、GDPを成長させる「実体経済」の分野でない経済活動、つまり、生産活動を省いて、カネでカネを作るマネー資本主義の分野、典型的には金融工学などの分野の技術開発が盛行するからです。
金融工学は、いくら発達しても、それは 付加価値を生むものではなく、付加価値の配分であるマネーをを他人の財布から自分の財布に「移転させるだけの、「ゼロサム」の中での資本(マネー)の移動が主たる仕事だからです。(これは格差社会への道でもあります)
 
 実体経済の分野での付加価値の創造、経済成長を中心に考えれば、付加価値の分配が、明日の生産を規定するという視点が明確になり。付加価値の分配が付加価値の成長に密接に関係する(国民所得の分配の在り方と経済成長率の間には、経験的にも理論的にも明らかな関係がある)ことが見えてきます。次回その関係を見てみましょう。

「もう経済成長の時代ではない」は正しいか

2020年09月29日 16時39分08秒 | 経済
経済成長を可能にする付加価値の使い方-3
 このブログの立場は、ホモ・サピエンスの社会である限り、経済成長が止まることはないだろうというものです。
 
 進化の頂点にある現代人(ホモ・サピエンス)は、海馬を含めて脳の構造の中に生存欲求・種の保存の欲求を持っています。
自分が生物としての生を全うし、種の保存を行い、結果として生き残ってきた生態系の頂点にある人間も、他の植物、動物とこの点は基本的に同じでしょう。
 
ただ、人間は、進化した脳を持ち、考える能力があるので、突然変異を待たなくても、自分で進化の真似事をすることが出来るようです。
 自動車や飛行機を作って、豹やピューマよりも速く走り、どんな鳥よりも高く速く飛ぶことが出来ました。

 人間同士でも、競争に勝ちたいという欲求は消えることはないでしょう。個人でも、企業でも、国でも競い合ってより豊かで快適な生活・社会を求めていくでしょう。

 確かに「モノからコトへ」といった変化の傾向はあるでしょう。しかし、「コト」が進歩発展するためにも、「モノ」の場合よりも結構大きな資本投下が必要になるようです。

 レジャーの高度化のためには巨大なエンタメ産業(行楽インフラ、○○ランド、スポーツ施設から劇場、美術館など)が必要ですし、「丈夫で長生き」の為には、膨大な医学、薬学、健康科学における研究や技術革新が必要でしょう。
 今、最も望まれる再生可能エネルギーの開発においても、全く同じで、巨大な資本投下が必要と言えるのではないでしょうか。

 増大する資本投下に必要な資本は、付加価値の配分としてしか得られません。より大きい付加価値を生み出して、その中からより大きい資本分配を賄わねばなりません。もちろん同様に、その資本投下の成果を楽しむ人間(消費者)もそうしたサービスを購入する購買力を持たなければなりません。それは、より多くの付加価値の中からより多くの労働分配を得なければ不可能です。

 つまり、より高い欲求を満たすためには、常により大きな付加価値生産、GDPの増加、その適切な配分の繰り返し、つまり経済成長が必要になるという事は人間が人間である限り続くのでしょう。

 人間がどこまで進歩するのか我々の知るところではないのかも知れませんが、この人類社会の進歩発展を往々にして阻止してくれるのが「戦争」です。
 戦争は、付加価値を使って兵器という破壊の道具を作り、それを使って積み上げてきたものを積極的に破壊をする活動です。
 そして、時に人間は思慮深くなく、戦争で生命や財産、せっかく作り上げた社会インフラを破壊することを認める衝動に駆られるのです。

 もう必要ないというのは、生産と破壊を繰り返す人類の愚かな歴史の部分であって、経済成長が必要でないということは、人類の本性から考える限り、多分あり得ないのではないでしょうか。

今日の付加価値分配で明日の経済が変わる

2020年09月28日 14時44分30秒 | 経済
経済成長を可能にする付加価値の使い方-2

 このブログのタイトルで「人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか」と書きました。
実は付加価値を「創る」ことも大事ですが、それをどう「使う」かも同じように、場合によってはより大事な場合もあるのです。

 前の 付加価値シリーズの2でも書きましたように、生産された付加価値は、生産の2要素、人間(経済学では労働)と資本に分配されます。労働への分配と資本への分配の合計は100%ですが、このうち、労働への分配の割合を「労働分配率」といって、これは、労働経済学や労使関係では最も重要な比率になっています。

 理由は、往々にして、資本家は自分への配分を増やしたいので、労働分配率を低く抑えたいと考え、働く人間(労働)の方は経済の成長に見合った賃金の上昇が当然と賃上げ要求をする(時には行き過ぎた要求もありますが)という形で、労使交渉が行われ、「現実には、その結果が、GDPの資本と人間(注)への分配を決定」することになるからです。

 ところで、「人間への分配」は、人間生活をより豊かで快適なものにするために必要な分配であり、資本への分配は、それによって生産設備、生産技術の開発・高度化を行い、明日の付加価値生産をより大きくする(経済成長を促進する)ためのものです。

 勿論これは理想的な状態の表現です。経済の安定的な均衡成長が実現するためには、人間(この場合は消費者)と資本への分配が適切に行われ、その結果消費は着実に増えて生活は改善し、資本への分配は、設備の高度化や、新しい技術開発に有効に使われ、明日の付加価値生産を増加させる(経済成長の実現)という形が最も望ましいという事です。
 
 しかし現実にはこの分配関係は歪みます。マルクスの時代には、資本家は賃金を上げずに労働者を搾取し、農民や労働者の蜂起で革命がおきたり(ロシア革命など)、労働分配率が低く消費が不足して世界恐慌(1929年)が起きたりしました。

 その後労働組合の発展や、経営者革命(資本家から経営者へ)などもあり、戦後の1960年代は人間と資本の分配が適切で、世界中で経済が成長し良かったのですが(ピケティが例外的に良かったという時代)、1970年代になると先進国では労働組合の賃金要求が過大になり企業利益は減り、経済が成長しないのにインフレ高進というスタグフレーションの時代が来たりしました。

 その後、国別にはいろいろな状況がありましたが、21世紀に入ると、所謂「成長の限界」論が、エネルギー問題(地球環境問題)として成長を阻害する状況になってきたようです。
 
 前回の最後に書きましたが、この問題は、人類が、(化石燃料や核分裂によるエネルギーから)再生可能エネルギー中心の経済発展に、まさに巨大な新エネルギー転換事業をやっていかなければならない問題ですので、そのためにどれだけの資本投下が必要かを考え、場合によっては新エネルギー開発のために、資本への分け前を増やさなければならないという問題につながる可能性が高い様に思われます。

 わが国でも、電力料金の値上げの問題が議論になっていますが、これは、インフレという形で労働への分配を電力会社に移転させることで、実質的には労働分配率の低下です。
 ただ、これが新エネルギー開発の原資になるのか、原発の後処理に使われるのかは、これからの問題で、前向きの投資にはまだ時間がかかるのでしょう。
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(注)人間は生産者と消費者の両面を持っています。その人間が、資本を上手に使って生産性を上げ、付加価値を増やし、それを消費してより豊かで快適な生活を実現するという視点からです。


経済成長を可能にする付加価値の使い方-1

2020年09月27日 17時44分41秒 | 経済
再生可能エネルギー体制確立は容易でない
 改めて付加価値の意味を考えるという事で5回書きました。
 一国が1年に生産する「付加価値」がGDPで、国民はそれによって生活しているという付加価値理解の原点から、そのGDPがなかなか順調に増えなくなって、世界中で不満が溜り国際情勢もイライラ・ギスギスが募っているのが今日の状況のようです。

 なぜGDPが増えなくなった(経済成長がしにくくなった)かを考えると、どうも、環境問題などの制約で、エネルギーが増やしにくくなったことが原因のようで、具体的には原子力は廃棄物処理の見通しが立たないので駄目、石炭、石油は地球温暖化で駄目といった障害が顕著になっているという事のようです。

 トランプさんは「そんなことはない」と頑固に頑張っていますが、多くの研究結果も世界の世論もこれには批判的です。

 結局再生可能エネルギーの効率的で安価な利用を可能にする技術開発が決定的に重要になっている今日の地球社会ですが、イライラやギスギスが嵩じて、世界情勢が不安定になり、いわば「貧すれば鈍す」で、国際的な摩擦や争いも増え、エネルギー開発より軍事力増強などという傾向も見えて、ますます良くないといった状況のようです。

 付加価値の意味と重要性については一応ここまでにして、ここからは、それぞれの国の経済社会が、どうすれば付加価値を増産する(経済成長させる)ような体制になるかを考えてみたいと思います。

 端的に言えば、「付加価値を増やせる体制」解り易い言葉にすれば「経済成長を可能にするには」といった事になるのではないでしょうか。

 という事で、何とか現状のエネルギー問題が桎梏になって不安定化している世界情勢から脱出するのに何が必要かといった問題を考えてみましょう。

 はっきり言って今の世界情勢、人類社会の状況は良くありません。偶々新型コロナがそれに追い打ちをかけていますが、新型コロナ問題を別にしても、地球経済は停滞です。

 今までの分析で見れば、従来のエネルギー供給路線が行き詰まりを見せ、望ましい経済成長に必要なエネルギーの確保に問題が出て、世界経済の成長率が低下し、そのせいで、国家リーダー達の意識が変わり、付加価値生産に必要な大切な資源(人間や資本)が、国家間の争い(究極的には戦争)に勝つために使われるようになり、本当に必要な技術開発への配分がおろそかになっているという状況があります。

 その結果、再生可能エネルギー開発への資源配分も削られ、新エネルギー開発の遅れが発生、ますます経済成長が不振となり、それが益々国際間の対立・争いを酷くするという悪循環の様相すら見えています。
 (日本でも、防衛関係の経費が増えれば技術開発への資金投下は遅れるという関係は明らかでしょう)
  
 国家間の争いは、結局は双方の発展を遅らせるだけで、経済成長にはマイナスですから、そうした事に資源を割くのは本来無駄なのです(戦争は無駄の象徴)。 
順調な経済成長のためには、それに必要な技術開発の進展が必須ですから、その中身によっては、大きな資源を 割かねばならないものもあります。再生可能エネルギー開発はまさにそれでしょう。

 そういう困難な技術開発の場合には、その国が生産した付加価値、つまりGDPの配分を、敢えてそのために「変えなければならない」という問題が起こりうることになります。
 次回はこの辺りを考えていきたいと思います。

経済発展の基礎、技術開発の方向

2020年09月26日 17時55分31秒 | 経済
改めて付加価値の意味を考える -5
 前々回、経済社会の発展は技術開発、イノベーションなしには成立しないという歴史の経験を見ていきました。そして、今、人類は、発展のためにますます必要性の高まる「エネルギー」供給についての問題に直面し、技術開発の踊り場に迷いながら立っているらしいということにも気づきました。

 産業革命以来、経済は毎年成長するのが当然と考えてきた人類はが経済成長の停滞に直面して、やはり「イライラ」しているのでしょう。人間はイライラすると往々争いを起こします。

 トランプさんなどはその典型でしょうか、アメリカ経済が成長しなくなったのは、世界の国々がアメリカ経済を食い物に物にしているからだ、といった見当違いの理屈で「アメリカファースト」を唱え、今は、特に中国を目の敵にしています。

 現実には、アメリカはGAFAなどの発展で、世界を顧客にしてビジネスをしているのですが、アメリカの経済は巨大ですからGAFAだけでは力足らずで、弱体化した草の根からの開発力や技術力・生産力の部分、3億数千万の人口の通常の生活を支える地道な生産力で、かつては日本、いま中国に後れを取っているのでしょう。

 こうした動きはアメリカだけではないでしょう。アジアでもヨーロッパでも、米州諸国でもイライラは嵩じているのでではないでしょうか。

 そうした意味で、不安定化する世界を何とか安定に復元させるためには、まずは地球人類が今、そしてこれから必要とするエネルギーをいかにして、SDGs(持続可能な発展目標)に沿った形で獲得できるようにするかという技術開発が、先ず基本でしょう。

 それには、地球に与えられるすべてのエネルギーの源である太陽エネルギーを、如何に巧みに取り込むかがカギになるのでしょう。
 太陽光、太陽熱は勿論、風力、水力、海流なども、直接間接にすべて太陽の働きで生じているものです。
 いつかは、太陽エネルギーの源泉と言われる核融合(核分裂は放射線問題で行き詰まりです)に行き着かなければなら無いのでしょうが、これは容易ではないでしょう。

こコマではエネルギー確保の問題ですが、エネルギーについてはもう2つあります。
 ひとつは省エネルギー技術、もう一つは蓄電を中心にしたエネルギー保存の技術です。

 おそらく経済社会の進歩は、こうしたエネルギーに関わる開発がベースになり、その上に多様なイノベーションが花開くことになるのではないでしょうか。

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 そして、もう一つ大変重要なのは、人類がその多様性を生かしつつ、平和裏に協力し、共存することを可能にする「社会の在り方についての開発」でしょう。

 20世紀の前半までは、戦って征服することで平和を作り出そうと努力した人類ですが、第二次大戦と核兵器の開発という現実の中で、争う事の愚かさに気づき、まずは国連の機能によって人類社会の安定を保とうとしたのでしょう。

 しかし、現実は「仏作って魂入れず」で、国連という組織は出来ても、それをうまく使いこなすことが未だに出来ていないというのが今日の姿です。
社会的なイノベーションは実は個々の人間の(特にリーダーの)心(思考回路)のイノベーションががあって初めて可能になるもののようです。(前回のゴルバチョフ寄稿参照)

ゴルバチョフ氏『朝日新聞』への寄稿の重さ

2020年09月25日 11時49分42秒 | 国際政治
世界史を一度変えた人はこう考える
 「あらためて付加価値の意味を考える」シリーズを書いていますが、今回はゴルバチョフ元ソ連大統領の朝日新聞への寄稿があったので、急遽取り上げることにしました。
 
 ゴルバチョフ氏は、御存じのように「ソビエト連邦」という共産主義独裁国家を、その大統領として解体した人です。
 恐らく、それまでのソ連の体制でこの国が存在しても世界のためにならないと考え、もちろんソ連邦の人々の為にもならないことを的確に理解し、同時に、東西冷戦という構造の中で、核兵器を際限なく積み増していくという事の愚かさを終わらせるべきだと考えた人なのでしょう。

 その人がコロナ禍という人類共通の、国家のレベルを超えた災害への対応という意識とともに、人類は、国家の枠組みを超えて協力しなければならないという、あるべき姿を世界に訴えたいという心を抑えきれずに書いた寄稿と思っています。

 お読みになればすぐにご理解いただけると思いますが、ゴルバチョフ氏が、今89歳にして本当に言いたいことは米ソ対立の経験を踏まえて、今の米中対立についての指摘
 「二極対立のどのようなシナリオも、国際政治の展望に好ましい要素を見せることはあり得ない」という切実な思いでしょう。

現在のコロナ禍に例をとれば
 「WHOの崩壊を認めないことが、人間の安全保障分野における国際的な協力のかけがえのない分野」との指摘のように、世界は分断・対立でなく協力の理念でしょう。

 そして、この人間の安全保障分野の最も重要な問題としての核軍縮の問題について
 「核軍縮のあらゆる枠組みを壊す方向にあるトランプ政権は世界を戦略的なカオスへ導いている」とトランプ政策を批判し、核軍縮の国際的課題を指摘しています。

同時に、「核大国ロシアも、切実に取り組むべき問題」と述べ、これには中国も加わる可能性に言及しながら、核戦争に勝者はないとした1985年のジュネーブにおけるレーガン・ゴルバチョフ声明は役に立つものであったはずだという気持ちも吐露しています。

 「米ソが核軍縮の合意に達した時、人類は平和な未来の可能性を意識して呼吸を楽にした」と書いていますが、我々にとっても、東西対立が消え、核戦争の危機が遠のき、世界が同じ自由圏になるといった安ど感でホッとしたことを思い出します。

 しかし、現実はそう簡単ではなく、その後「 歴史に学ばない人」が主要国を含めてリーダーになり、事の所、世界は、独裁主義の亡霊に悩まされています。

 ゴルバチョフ氏自身も、「せっかく頑張ってやったのに・・・」という気持ちがますます強まり、こうした文章を発表しなければならない心境に至ったのでしょう。
 これを無にしてはならないと、つくづく思う所です。

 最後にゴルバチョフ氏は
 「国家のエゴイズムが生み出す本能に追随するのか、あるいは、国家の相互の結びつきや相互依存が必要な時だと自覚するのか、人類の未来はこの選択にかかっている」
と述べています。

技術開発で経済は成長し世界は進歩する

2020年09月24日 16時54分25秒 | 経済

改めて付加価値の意味を考える -4
 前回は豊かで快適な生活は付加価値から生まれることを見てきました。そして付加価値の増大(GDPの成長)、もっと一般的な言葉でいえば経済の発展の原動力は、それを希望する人間の心(頭脳)だと書きました。

 例えば、1970年代、アメリカでは、若者が「我々は親の代のように豊かにはなれない」と言っていた時期がありました。日本でも今、親の時代は豊かだったが、今はそうはいかない、子供や孫の時代はもっと心配だといった雰囲気がありあります。

 アメリカの場合はインフレと失業が酷かったことが原因のようですが、日本の場合は、 多分、政府の巨大な借金、直接的には公的年金の将来不安などが、こうした将来についての悲観的な見方をもたらしているのでしょう。

 ヨーロッパの歴史を見れば、中世には何百年も経済成長のない時代もありました。経済成長などという概念もなかったのでしょう。豊かになりたいのなら、近隣諸国を征服して勝者 になることが必要だったのでしょう。

 経済成長の概念の一般化、つまり人々が、いまよりも将来の生活は良くなるのが当然と思うようになったのは、産業革命以降ではないでしょうか。人間の使うエネルギーはどんどん増え、付加価値が増え、経済成長が可能になったのです

 産業革命の原点は、ジェームス・ワットの蒸気機関の発明でしょう。エネルギーの供給が「馬から機械」に変わったのです(いまでの単位は馬力㏋ですが)。
性能の良い蒸気機関を開発して石炭を焚けば、動力(エネルギー)はいくらでも作り出せるわけで、蒸気機関車が生まれ、工場は蒸気の力で動くようになり、人々は更に豊かで快適な生活が、望めば実現することを知ったのです。

 その後、エネルギー供給は蒸気機関から電気に変わり、石炭に代わってガソリンエンジンが開発され、更に電化の時代、モータリゼーションの時代、そして今エレクトロニクスの時代、さらにデジタルの時代という技術開発が次々と人間の生活の可能性のフロンティアを広げ、経済成長(GDP=付加価値の増加)を実現してきました。

 しかし今、世界中が何か停滞感を強めています。
こう見てくると、今という時代が経済発展の踊り場にあるという事も何となく実感出来るのではないでしょうか。
 エネルギー供給は原子力まで行きましたが、これが、最終処理問題で行き詰まり状態になっています。モータリゼーションの原動力になったガソリンエンジンは, 石炭とともに、地球温暖化の元凶としてこれも順調には進まないようです。

 もともと地球上に人間が(長い生物進化の末)生活できるようになったのは、地球に水があり、太陽が「適度な」エネルギーを供給してくれたことによります。

今、人間はその太陽エネルギーを中心に、再生可能エネルギーという形で活用することに注力していますが、それが期待するほど順調ではありません。所謂「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成が必ずしも順調でないようです。

 日本では、少子高齢化が低成長の原因のよう言われますが、多分出生率の低下自体が、将来の生活に対する見通しが悲観的であることの結果なのでしょう。

 経済成長は、シュンペータに戻って、イノベーション(技術革新)によって支えられることが必要なようです。
 さて、これから、経済成長のために、どんなイノベーションが必要になるのでしょうか。

改めて付加価値の意味を考える -3

2020年09月23日 15時43分12秒 | 経済
豊かで快適な生活は付加価値から生まれる
 前回は、付加価値とは「人件費+資本費」だという事を書きましたが、「国でも個人でも付加価値が大切なんですね」(katuraさん)というコメントを頂きました。有難うございます。

 今はコロナ下でGDP(国レベルの付加価値)減っています。企業も個人も、もちろん国も困っています。しかしコロナ後は必ず早晩来ます。その時は人々の活動は大幅に活発になり、我慢していた消費は増え店ではお客が増え、売り上げは伸び、結果、生産も増え、GDPは急速に回復するでしょう。

 望ましいのは、回復するだけでなく、その先も順調に経済成長が続くことです。
 たとえは少し大げさですが、第二次大戦で日本は国中焼け野原になりましたが、戦争が終わるとみんなが経済活動を活発化し10年後の昭和30年には「もはや戦後ではない」と言われ(経済白書)、その復興の勢いで1980年代「ジャパンアズナンバーワン」と言われ(エズラ・ボーゲル)、世界第2位の経済大国になりました。
(その後の失敗についてのご参考「 プラザ合意なかりせばの日本経済」)
 
 コロナ禍で落ち込んだ日本経済を、単に回復させるだけではなく、その回復の中で得た知恵を活用してその先も更に成長を続ける日本経済を考えていかなければならないという命題を今から考えておくことが大事でしょう。

 ヒントはいろいろあります。いささか遅れてしまったデジタル化が新政権の目玉になっているようですが、それも大事でしょう。しかし本当に大事なのは、「国民が、日本の現在とこれからについてどんな経済社会を望んでいるか」です。
 これを見誤ると、条件整備は出来たが中身がなかったアベノミクスのようになります。

 ここで大切になってくる言葉があります「豊かさと快適さ」です。かつては「豊かな社会」が人々の目標でした。今はこれに「快適」を付け加えることが多くなりました。
 「KAITEKI」を標語にする会社(三菱化学)もあります。

 そこで「豊かさと快適さ」を支える経済発展の原動力について考えてみましょう。
付加価値を創るのは「人間が資本を使って行う」のですから、経済学で言う「生産要素」は「人間」と「資本」です。(昔は、生産の3要素は「土地、労働、資本」といいましたが、ここでは労働は人間、土地は資本に含まれるとしています)

 人間と資本のうち、経済を発展させたい、豊かで快適な生活をしたいと思うのは人間です。資本は意思を持ちません。ですから、経済発展の原動力は人間の心(頭脳)です。

 ですから、GDPを増やしたい、経済成長したい、豊かで快適な生活をしたいと国民が強く思う事が第一の条件でしょう。
 そして、第二の条件は、資本を増やして、 より優れた設備 (工場、店舗から知的財産まで)を持つことでしょう。
 次回はこの辺りを考えてみたいと思います。

改めて付加価値の意味を考える-2

2020年09月22日 16時34分14秒 | 経済
GDPは国レベルの付加価値、付加価値の定義は?
前回は、新型コロナ禍による経済の不振、具体的にはGDPの減少(マイナス成長)、多くの業界の著しい経営不振は、「国民が経済活動を自主的に抑制」しているからという事と、それならば、コロナ後は、みんな正常な経済活動を望むでしょうから、コロナが制圧されれば、経済は急回復するだろうと書きました。

 そこで、今回は、国民の経済活動意欲と、経済成長の関係を考えてみましょう。
 先ず、以前は連休にはよく旅行に出かけた、月に数回は、いろいろなグループの飲み会があった、などなどといった人々の生活の活発さが経済の活況を支えているのです。

 これは経済が需要に引っ張られて成長する原動力です。顧客が来るから店を開く、顧客が多いから仕入れも沢山する、仕入れ先は増産するという形で経済活動が増えます。人々が需要に応えて生産活動を活発化すればGDP(国内総生産)は増加します。これが経済成長で、それを計測する指標が「付加価値」です。

 お店や工場では売上高や生産額がいくら増えたと勘定するように、国の経済計算ではすべての重複(卸の売り上げ、小売りの売り上げでは重複する部分があります)を相殺してその経済活動で生まれた正味の金額(付加価値)を集計します。それがGDPです。つまり、GDPは日本中の経済活動で生まれた付加価値の総合計です。

 ご存知のようにGDP(国レベルの付加価値)が年に何%増えたかというのが「経済成長率」で、経済成長率が高いという事は、それだけ国民(国や企業)が前年よりも消費支出を活発にし、それだけ生産物やサービスが前年より多く提供だれたという事ですから、国民にとって望ましい状態という事になります。当然、政府も経済成長率は高い方がいいと考えるわけです。

 では、計測されたGDP(国レベルの付加価値)の中身は何かという事になりますが、それはこう考えてください。
付加価値を作ったのは誰でしょうか。付加価値を作ったのは人間です。人間が欲しいと言ってそれにこたえて人間がモノやサービスを作って提供して経済活動が活発になって付加価値(GDP)が増えたのです。

 しかし、今のように進んだ経済では、人間の力だけでは、こんなに大きなGDPは作れません。はっきり言えば、「人間が資本を使って付加価値を生産」しているのです。

 急に資本が出てきましたが、「資本を使って」という「資本」とは「おカネ」です。もちろんおカネそのものは役に立ちません。いくら札束を持っていても、預金通帳に残高があってもそのままでは役に立ちません。そのおカネ(資本)で生産設備を買ったり、店舗を作ったり、お洒落なカフェを準備しなければお客が欲しい物やサービスは提供できません。

 つまり「資本を使って」というのは、「資本(おカネ)で顧客に役だつための設備を整え、それを使って」という事です。良い設備がないと良い製品やサービスも提供できません。

 生産は人間が資本を使って」行うので、その成果である付加価値(GDP)は「人間と資本に分配される」ことになります。その結果、 付加価値の定義は「人件費+資本費」(企業レベルでは賃金+利益などとも言われる)という事になるのです。

 次回は、付加価値が増えるプロセス、国なら経済成長、企業なら業績向上の生まれるプロセスについて考えてみましょう。

GDPは国レベルの付加価値、付加価値の定義は?
前回は、新型コロナ禍による経済の不振、具体的にはGDPの減少(マイナス成長)、多くの業界の著しい経営不振は、「国民が経済活動を自主的に抑制」しているからという事と、それならば、コロナ後は、みんな正常な経済活動を望むでしょうから、コロナが制圧されれば、経済は急回復するだろうと書きました。

 そこで、今回は、国民の経済活動意欲と、経済成長の関係を考えてみましょう。
 先ず、以前は連休にはよく旅行に出かけた、月に数回は、いろいろなグループの飲み会があった、などなどといった人々の生活の活発さが経済の活況を支えているのです。

 これは経済が需要に引っ張られて成長する原動力です。顧客が来るから店を開く、顧客が多いから仕入れも沢山する、仕入れ先は増産するという形で経済活動が増えます。人々が需要に応えて生産活動を活発化すればGDP(国内総生産)は増加します。これが経済成長で、それを計測する指標が「付加価値」です。

 お店や工場では売上高や生産額がいくら増えたと勘定するように、国の経済計算ではすべての重複(卸の売り上げ、小売りの売り上げでは重複する部分があります)を相殺してその経済活動で生まれた正味の金額(付加価値)を集計します。それがGDPです。つまり、GDPは日本中の経済活動で生まれた付加価値の総合計です。

 ご存知のようにGDP(国レベルの付加価値)が年に何%増えたかというのが「経済成長率」で、経済成長率が高いという事は、それだけ国民(国や企業)が前年よりも消費支出を活発にし、それだけ生産物やサービスが前年より多く提供だれたという事ですから、国民にとって望ましい状態という事になります。当然、政府も経済成長率は高い方がいいと考えるわけです。

 では、計測されたGDP(国レベルの付加価値)の中身は何かという事になりますが、それはこう考えてください。
付加価値を作ったのは誰でしょうか。付加価値を作ったのは人間です。人間が欲しいと言ってそれにこたえて人間がモノやサービスを作って提供して経済活動が活発になって付加価値(GDP)が増えたのです。

 しかし、今のように進んだ経済では、人間の力だけでは、こんなに大きなGDPは作れません。はっきり言えば、「人間が資本を使って付加価値を生産」しているのです。

 急に資本が出てきましたが、「資本を使って」という「資本」とは「おカネ」です。もちろんおカネそのものは役に立ちません。いくら札束を持っていても、預金通帳に残高があってもそのままでは役に立ちません。そのおカネ(資本)で生産設備を買ったり、店舗を作ったり、お洒落なカフェを準備しなければお客が欲しい物やサービスは提供できません。

 つまり「資本を使って」というのは、「資本(おカネ)で顧客に役だつための設備を整え、それを使って」という事です。良い設備がないと良い製品やサービスも提供できません。

 生産は人間が資本を使って」行うので、その成果である付加価値(GDP)は「人間と資本に分配される」ことになります。その結果、 付加価値の定義は「人件費+資本費」(企業レベルでは賃金+利益などとも言われる)という事になるのです。

 次回は、付加価値が増えるプロセス、国なら経済成長、企業なら業績向上の生まれるプロセスについて考えてみましょう。

改めて付加価値の意味を考える -1

2020年09月21日 21時38分22秒 | 経済
コロナ後の新時代に向けての準備は
 このブログのメインテーマは付加価値です。人間は付加価値を創って、自分たちの創った付加価値で生活しています。ブログのタイトルの中に「付加価値をどう創り、どう使うか」と書きましたが、人間の経済生活は基本的にはそれがすべてです。もちろん精神生活は別ですが、精神生活も、経済生活に大きく影響されることも多いようです。

 という事で、コロナ禍で日本経済の生産する付加価値(GDP)が大きく落ち込んでいる現在、改めて付加価値の意味を考え、「コロナ後」に向かって、より豊かで快適な生活を取り戻すために、付加価値の生産態勢をいかに再構築し、そこで生産された付加価値をいかに上手く使うことで、現実の生活の豊かさと快適さを実現していくかを構想していくことも大事ではないかと考えています。

 今、世界中で新型コロナ禍によるGDPの減少が起きています。落込みはリーマンショックより大きいと言われています。しかしこの原因は、皆さんが「経済行動を控えている」からです。もっと快適な生活をしたいのに、旅行にも、観劇にも、お祭りにも行きたい、野球やサッカーの応援にも行きたい、学生は学校のキャンパスにも行きたい、集まってパーティーもやりたいのです。東京都も、IOCも東京オリンピックを盛大にやりたいのですが、新型コロナの感染拡大という問題があるので、行動を控えているからです。

 ですからこの不況は、コロナ禍の終息とともに消えるでしょう。人々はより豊かで快適な生活を取り戻したいと思っているのですから、コロナ禍の終息が不況の終了をもたらすことは明らかです。

 その意味では、最も急がれるのはワクチンの開発、更には感染した場合の良い治療薬の開発と、関連する医療体制の整備です。この開発がどこまで進むかが結局はコロナ禍終焉のカギになるのでしょう。

 ならば、対コロナの技術開発と体制整備を最優先し、快適な生活を我慢する期間は徹底して我慢し、対コロナの研究開発、データ収集分析も含めて医療体制の進化を最優先して、新型コロナ征圧の早期化にカネとヒトを徹底して注ぎ込むのが定石なのでしょう。GDPの落ち込みは一時的に大きくなりますが、コロナ終息の早期化を狙うという行き方です。

 一方、GDPの落ち込みを嫌い、具体的には観光関連企業の業績低下、中小店舗の倒産・廃業などを避けようと、経済活動優先という政策をとる国もあります。これは往々第二波、第三波の感染拡大につながり、事態を深刻化させているケースも見られ、やはり最後はワクチン開発待ちという事になります。いま日本も岐路にあります。

 ただ、早晩コロナ後が来ることは明らかで、その時には、人々は一斉に、望ましい快適な経済活動を目指すでしょうから、経済の「急速な回復」が実現するでしょう。
 企業の経営政策も、国の経済政策も、いかなる対策、政策が、コロナ後の経済の早期の回復に役立つか、今から先見性をもって準備することが重要になる様な気がします。

この見事な落差、どちらが本当の菅内閣

2020年09月19日 23時11分45秒 | 政治
この見事な落差、どちらが本当の菅内閣
 菅内閣の最初の本格取り組みは携帯電話料金の引き下げのようです。
規制改革、お役所の縦割り見直しなどに力を入れる姿勢を背景に、強烈にアピールしている様子が見えます。

 こうした問題に一つ一つ取り組んで、国民生活の質を上げ得てくことは大変結構なことだと思います。
 しかも発言がかなり強烈です。
「1割程度の引き下げでは改革にならない」といい、「7割下げたところもある」などと言われると、関係業界は真っ青かもしれません。
 
 更に、携帯電話の業界は3社の寡占状態で、市場の競争原理が働かず、20%もの営業利益を上げている、まだまだ合理化努力が不足である、国際比較でみても、ヨーロッパや韓国に比べても日本はこんなに高いと棒線グラフが出てきます。

 聞いていても、これはかなりの力の入れ方だと感じられますし、何よりも、上のような、詳しくも厳しい説明、解説がつくという丁寧さです。
世の、ガラケー、スマホの利用者にとっては正義の味方が現れたという感じでしょうか。

 話は変わりますが、世の中には悪い人もいるもので、磁気治療器の貸し出し業のオーナーになりませんかという勧誘で、2000億円の出資金を集めた結果が、出資者へのリターンはほとんど望みがなく、当初から詐欺だったのではないかと逮捕された方がいます。

 そんなに簡単に2000億円もの出資金を集められるなんて考えられないと誰でも思いますが、その人は、安倍総理の「桜を見る会」の招待状のコピーを入れた立派なパンフレットを作り、それを見せることで「安心して出資できる会社」という信用を得て2000億円集めていたのだそうです。

 この件について、新官房長官の記者会見で質問があり、本当に招待者なのか、安倍総理の枠でリストアップされたようだが、再調査の必要があるのではないかというのです。
 しかし、これに対する新官房長官の答えは、前官房長官(現菅総理)の発言通り、招待者名簿等はすべて廃棄されて、ありませんので、再調査は致しません、という何とも切り口上でにべもない物でした。

 同じ日の、こうしたニュースを見ていると、菅政権というのは、国民にとって正義の味方になってくれるのか、それとも臭い物には蓋で、国民には何も答えない政権なのか一体どっちが本当の菅政権なのか解らなくなって来ます。
 
 これからもいろいろなことがあって、だんだん本当の姿が解ってくるのかもしれませんが、どちらになるのかは、( ユネスコ憲章の前文 ではありませんが)菅総理の心の中で決まることなのでしょう。
 そして、国民はいつか、その結果で判断を下すことになるのでしょう。

円レート104円台に:黒田マジックは?

2020年09月18日 14時15分42秒 | 経済
円レート104円台に:黒田マジックは?
 一昨日からでしょうか、1ドル=104円台という状況になってきました。

 新型コロナで世界中が大騒ぎですから、為替レートの短期的な動きがまともなものかどうかもわかりませんが、105円を切り上げる円高というのはいささか気になるところです。

 円レートを長期的に見ますと、2013年から2発の黒田バズーカで、120円近傍という円レートの正常化がなされ、2016年揺り戻しはあったもののその後は110円台後半の円安に戻し、その後は小刻みな上下を繰り返しながら2018年までは110円台をキープしてきました。

 しかし長期的なトレンドを見れば、次第に円高になるといった状況は否定できない所で、昨年後半に入ると、円レートは110円を割る円高が常態となり、今年に入っては、じりじりと、何となく円高傾向となり、この所、とうとう105円を割り、104円台という円高です。

 これまでは、何か円高の様相といった状況になりますと、日銀の政策決定会合などの黒田総菜の記者会見や談話で、インフレ目標に程遠いとか、経済下支えが必須の状態にあることを前提に、徹底した金融緩和を継続するという説明があり、その都度円は円安方向に動き、日経平均も上昇するといったことが続いてきたように思われます。

 今回も、円レートが104円台になった時期に丁度日銀の政策決定会合だったわけで、昨日、黒田総裁より金融政策は現状のありかたを「継続」し、政府と緊密に連携して政策を行うという発言がありました。

 ですから、私は、今日の円レート、日経平均にどの程度の影響があるかと注目したわけですが、円レートは104円台で変わらず(いくらか円安)日経平均も+40円という小幅上昇でした。

 国際情勢を見れば、アメリカは大統領選終盤で、トランプさんは徹底した自国優先、少しでも自分に有利な状況をという中でNYダウも思うように上がらないものですから、ドル高には恐らくしたくないでしょう。

 日本は、新政権は出来ましたが、さてどんな政権なのかはまだ見当が付きません。国際投機資本も、様子見しかないという所でしょうか。

 ただ、心配なのは、アメリカ自体が、基本的に円高ドル安を望んでいるという事です。国際投機資本も、「何かあると円高」を演出し、長い目で見れば円はじり高という事なのですが、今の日本は物価も上がりませんが、生産性も殆ど上がっていません、技術開発も、最近のコロナワクチンやスマホ、タブレット、デジタルシステムにみるように、遅れた国になりつつあります。

 そんな状態で円高が進むという事は、経済としては極めて不健全、不安定な状態でしょう。
 嘗て、中国は日本の失敗に学んでアメリカの人民元高の要求を拒否しましたが、日本は今度は中国に学び、円高は徹底忌避の政策をとるべきでしょう。

 その意味では「黒田マジック」が効かなくなるのは深刻な問題です。新政権と日銀が本気で協力して、実力以上の 円高で経済発展の根を枯らすようなことが絶対ないように願いたいと思う所です。








暑かった夏、秋の気配と残暑の花

2020年09月17日 15時43分35秒 | 環境
出穂が例年より遅かったススキ


夏から秋まで100日頑張る矮性の百日紅(さるすべり)


今年は残暑も乗り切って元気なノウゼンカズラ



 今週末からの連休は秋の彼岸、「熱い、寒いも彼岸まで」と言われますが、暑かった夏も過ぎたようで、漸く涼しくなりました。

 今最も暑いのは政治の世界といいたいところですが、何かこちらも、半分とは言いませんが3分の1ぐらいしらけていて、熱気や期待感も、もう一つ足りないようです。やはり「安倍路線の継承」という一言が影響しているのでしょうか。

 涼しくなって、 熱中症の恐れはなくなりましたが、今度は、インフルエンザと新型コロナも競合問題でしょうか、当分安心できない状態が続きます。

 今月19日から、県をまたいでの往来の自由化で、国内ならどこからどこへ行ってもOKという事になり、経済活動は一層活発になるという予想で、期待の声も多く、街も少しづつ活気が出て来るのかもしれません。

 とは言え、新型コロナ対策は、何も変わった事はないので、これで第3波が来るのかどうかも誰にも解りません。

 勝手な予測をすれば、やはり新規感染者は多少は増加するでしょう。しかし、前回のこのブログの「うつのみや観光」の例もありますように、民間では企業も個人も、政府の言葉を借りればまさに「自助努力」でいろいろな対策を講じ、新規感染者が増えないように多様な努力するでしょうから、大きな波にはならないと考える(本当は「願う」)所です。

 それでも、我々のような高齢者は、まず感染したら「アウト」でしょうから。中央線に乗って都心へ行っても、新宿や神田や丸の内のレストランで食事をしても、車で出かけて、サービスエリアや道の駅で食事や買い物をしても、感染の確率が100万分の1以下になるまで(確率が100万分の1以下になると人間は確率ゼロと同じに認識するそうですので)出来るだけそれまで家に謹慎蟄居して安全を守り、家族感染も絶対しないように努力するしかないと思って行動しています。

 お蔭様で、いままで、スーパー、コンビニ、近所のかかりつけ医、車の高齢者講習、免許更新で試験場など行きましたが、運よく無事過ごしていますので、ここにきて、九仞の功を一簣に欠くようなことはしたくないというのが正直な心境です。

 という事で、狭い庭の花などを愛でて、四季のうつろいの中に感受性の涵養や自然への感謝と同化のすすめを実行することにしています。
 以上年寄りのたわごとですが、季節の花なの写真に免じて、御寛恕ください。
  









うつのみや観光、PCR検査付き旅行プラン販売

2020年09月15日 21時21分02秒 | 新型コロナ
うつのみや観光、PCR検査付き旅行プラン販売
 テレビの画面でちらっと見て、オヤ!と思い、ネットで調べてみました。

 宇都宮市の「うつのみや観光」が、市内の医療機関と契約して、GoToトラベルの参加者に出発5日前までに唾液を提供してもらい、検査の結果、「感染の可能性があればご遠慮いただく」というプランを始めたというのです。

 考えてみれば、大変合理的で結構なプランです。旅行には行きたい。しかしコロナには感染したくない。さらに言えば、自分自身がコロナに感染しているのか、無症状の感染者も沢山にるそうで、検査はしてみたいのだが、何か面倒なようで、億劫で、といった方も随分多いと思われます。

 現実もその通りのようで、うつのみや観光の顧客からは「検査を受けたい」という声が多いとのことです。
 同社では、国内のバスなどのいわゆるパック旅行でもPCR検査付きのものを用意して、「どうぞ安心してご参加下さい」という事だそうですが、恐らくこれからこうした方式が一般化するのではないでしょうか。

 同社では、旅行を終えてからの検査の追加も可能という事で、それなら、旅行で感染したかどうかもわかるという事になるのでしょうか。

 いずれにしても、新型コロナ対策には「PCR検査の徹底]が最も重要と言われて久しいののですが、保健所の手が足りないのかどうか知りませんが、政府の取り組みは全く不十分です。

 今日のテレビでも、検査を受ける人の数が一時の3分の2に落ちていると言っていましたが,こんな状態では、新規感染者の減少も、単に検査者数の減少の結果という事になるのかもしれません。

 もちろんGoToトラベルだけでなく、いろいろなイベントで、事前・事後にPCR検査付きというのがあっても決して不思議ではないと思うところです。

 師会からPCR検査の拡充が政府の要望されていたはずです。このブログでも取り上げました。
 検査機器や試薬の業界でも大歓迎という所が多いのではないでしょうか。

 もちろん、検査のがりが大きくなればなるほど、検査に関するデータは大量になり、精度や知見が増し、新技術の開発にもつながるでしょう。

 問題の1つは検査のコストですが、うつのみや観光では1万5千円としているようです。
  一般化すればコストも下がるのかもしれませんが、菅政権は、新型コロナ対策が最大の使命とのご発言も今日承りました。
何としてでも早急に5千円ぐらいに下られるような政府の政策を要望したいところです。

 折しも政府は都道府県をまたぐ移動を19日から解禁するそうですが、単に解禁を決めるだけで、新型コロナ対策の方は民間に任せるでは些か責任への自覚が足りないというが一般的な印象でしょう。
 新政権の手始めのお仕事として、早急に何か良い施策を講じて頂きたい所です。

菅自民党総裁誕生とこれから

2020年09月14日 23時20分19秒 | 文化社会
菅自民党総裁誕生とこれから
 今日、予定通り(?)、菅自民党総裁が誕生しました。明後日には菅総理大臣が誕生し、菅政権が発足するのでしょう。

 安倍政権から菅政権ですが、菅さんは「安倍路線の継承」を謳って圧倒的多数で当選したのです。
自民党の政治戦略の中で最適な人間ということで決まったという見方が多いようで、この「最適」の意味は我々には全く分からないことなのでしょう。

 多分時間がたてば解ってくることも多少はあるでしょうが、自民党中枢の思惑通りにすべてが運ぶかどうかも先のことは解りません。

 当選後の記者会見では、いままでの菅官房長官の切り口上とはだいぶ違ったし質疑応答が見られました。
規制改革、官庁の縦割りの見直し、デジタル庁の新設、不妊治療の健保適用などなど熱心に説明し、国民の意見を聞いて、国民の為になることをやる、国民の納得を得るのは難しいが、「丁寧」に説明して納得してもらう、などと雄弁ではありませんが真面目に答えていました。

 この中の「丁寧」という言葉にカギ括弧を付けましたが、私の耳が悪いのかもしれませんが、菅さんが「丁寧」といいうとき、瞬間何か逡巡するような感じだったことに気づかれた方もおられるのではないでしょうか。
 「今まで官房長官として同じ言葉を使ってきたが、いま言っている「丁寧」は「本当の丁寧」だと解ってほしい」という気持ちがあったのでしょう。

 すらすらと本当でないことを本当のように言うスマートさは感じられなというのが、その時受けた正直な感触でした。
 
 解散・総選挙が何時になるか、その結果がどうなるか、来年の9月まで菅政権が続くのか、その後も菅政権になるのか、まだ何も解りませんが、菅総理が、自分の言葉で話せるようになったら、是非、国民に良く解る、 普通の日本語を使ってほしいと思っています。