tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

戦争真っ只中の終戦記念日

2022年08月17日 14時13分27秒 | 国際政治
今年の8月15日は、日本にとっての77回目の終戦記念日でした。

ロシアのウクライナ侵攻という、人類社会としてどう考えても理不尽な、プーチンといいう人間の、多分ほとんど個人的な異常な欲求によって始まった戦争の「真只中」という事になっていまいました。

この戦争は、理不尽さが目立つだけではなく、第二次大戦後のどの戦争よりも世界中が心配する様な要素をはらんでいるように思います。

それは、戦争を仕掛けた国が、国連の「安全保障理事会」の常任理事国であり、恐らく世界最大の核弾頭の保有国であり、しかも、その立場を利用して、核の使用も辞さないような発言で世界を威圧するといった様相すら見せているからです。

既に人類の大部分は、第三次世界大戦が始まれば、それは核戦争になり、人類社会は滅亡の可能性すらあるという事を知悉しているのです。

その中で、世界の安全を保障するための組織である『国連「安全保障理事会」の5か国の常任理事国のうちの一国がこの戦争を仕掛け、核を以て世界を威圧すような発言をし、さらに、もう1つの常任理事国の中国は、その行動に異を唱える事を控えているのが現状です。

結果的に、「核の抑止力」という概念は無意味なものになるのではないかとの危惧が生まれ、世界人類が核の危険を実感するという危機感を持つというのが今日の状態ではないでしょうか。

その中で日本としては、平和憲法を掲げ、世界の平和を希求するという国の在り方を、いかに世界に能く示し得るかが試されているはずです。

今年の終戦記念日のテレビでも、マスコミ等での多くの発言や街頭でのインタビューに対する夫々の個人の切実な思いなどが多くありましたが、世界の現状を背景に、数多くの、様々な日本人の平和への希求の強さが、殊更に感じられたのではなかったでしょうか。

戦争は最も野蛮な行動、戦争ほど馬鹿馬鹿しいものはない、戦争の齎すのは破壊だけ、といった人間としての強い意志表示が多かったように感じています。

こうした個人個人の意思、そして発言がどれだけの力を持つのかは解りません。また日本という極東の小国の発言や行動の影響力が如何ほどのものかも解りません。
しかし、第二次世界停戦で国として大きな誤りを犯し、国土がほとんど灰燼に帰すような悲惨と苦難を経験し、就中、2発の原爆の現実の被爆国として、戦争の惨禍と無意味さを、魂の底から悟り、世界平和の希求を国是として再出発した日本です。

この経験を、もう人類としては終わりにしようという意思は広島の原爆記念公園にも確りと彫り印されています。

日本としては、自分の国の「終戦記念日」を世界史の「終戦記念日」に繋げられる様、二国間関係でも、多国間関係でも、特に国連活動の中でも、あらゆる機会に、あらゆる努力をしていくことがその役割ではないでしょうか。