タマルさんはナツメヤシ

タマルは女性の名。ナツメヤシの意味で多産を象徴。聖書には約束の地カナンは、蜜(ナツメヤシ)と乳(ヤギ)の流れる地とある。

年の初めに

2016-01-04 21:30:39 | つれづれ
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

いつもみなさんから頂いた年賀状は、受付に掲示させていただいています。
職員も見るのですが、来院された方も覗いて行かれたりするのですよ。
以前は個別にコメントさせていただいていたのですが、
最近はすっかり世の中が秘密主義になってしまったので、今回もまとめさせていただきました。

とても懐かしく、また微笑ましいのですよ、
子たちが大きくなられるのを見るのは。

産婦さんからではないのですが、
今年は興味深い年賀状が来ていたので、紹介させていただきましょう。

以前、柏原で開業していた時に、近くに寺本耳鼻咽喉科さんが有りました。
学校医なんかもされていて、みなさんの方がよく知っておられるのでしょう?
タマル産の方が遅れて開業しましたので、何かと気にかけていただいていたのです。
タマル産が篠山市に移転となった後に、
寺本典代先生は沖縄の孤島に移転されて、引き続き寺本耳鼻咽喉科を開業されたところまでは知っていました。

今年の年賀状には、
「昨年から東南アジアでボランティア診療を始めました。
ベトナム・ホーチミンで隔月に医療しています。
医師になって35年
ようやくここまで来た・・・やっとここまで来れた・・・という思いと
もっと遠くに行けないものか?・・・という思いが胸のうちにありますが
ことし還暦をむかえ
自分は医師として、確かに、ここに来た。
道程は、わたし以上でも、わたし以下でもない・・・キッパリと、そう思います。
自負を支えるものは、いままでのわたしと関わってきた多くの患者さんです。
この先10年の目標は、アジアでの診療を中東、アフリカへの広げることです。」
と有りました。

以前、「風に立つライオン」という映画を観た話は書いたことが有ります。
アフリカでの医療に人生を捧げ、志半ばで夢を断たれた医師の話でした。
どうか寺本先生には、最後の最後まで夢を追いかけていただきたいものです。

もう1つ、ことしの年賀状から。
小野市に小野レディースクリニックさんが有るのですが、
タマル産が開業する時に、もろもろのことを教えてもらいに通わせていただきました。
当時は小野院長と馬岡先生が居られたのです。
その後、馬岡先生が病気で倒れられ、
江見先生が代わられていたのです。
みなさんわたしの先輩医師で、研修医時代にお世話になった先生方ですからね。

その小野院長が、「お先に引退します」と書かれていましたよ。
タマル産より2年早く開業されただけなのに。
最近の産婦人科バッシングの時にも、わたしのことを気にかけてくださっていました。

ネットには、「最近は産科医療環境の悪さに閉口していますが、
初心の「納得出来る診療」を忘れずに何とかがんばっています。
不妊治療を続けることは、精神的にも経済的にも大変疲れます。」
と書かれています。
長い間、お疲れ様でした。

さて、今年、本日から、タマル産では月曜日の午前診療も再開しましたからね。
まだまだ、これからも頑張っていきますからね。
みなさんの産まれた赤ちゃんが、大きくなられて、孫を産んでくれるくらいまではね。
もちろん、時代が許せば、ですが。