豆の育種のマメな話

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イースター島の旅,モアイは歩いたのか? 悲しみの顔は何を語る

2011-05-22 09:14:45 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

南太平洋のポリネシアトライアングルと呼ばれる島々の東端にイースター島がある。南アメリカ大陸のチリ海岸から3,700km,タヒチ島から4,000km,一番近くの島でも1,900km離れている,絶海の孤島である。海底火山の噴火によってできた周囲60kmの島。幾百年ものあいだ風雨にさらされ,悲しみを感じさせるモアイ像で知られる。

この島にポリネシア人が住み始めたのは45世紀。当時は,亜熱帯雨林の島で巨大椰子が生い茂っていたと推測される。8世紀ころには,島の凝灰岩を利用して石の祭壇やモアイ像が作られ始め,繁栄のうちに島の人口が爆発的に増加。絶海の小島ゆえに人口増加は食糧不足を生み,樹木を伐採しタロイモを植えても飢餓は救えず,部族間の武力闘争が激しくなる。武力闘争では,モアイを倒し,霊力が宿ると信じられた眼を壊した。大方のモアイは今でも倒れたままである。最盛期に12万人とも言われた人口は,奴隷として連れ去られたこともあり,1872年は僅か111人にまで減少したという。閉鎖された空間に存在した文明,無計画な開発と環境破壊を続け,資源を消費し尽し消滅したという歴史は,現代への警鐘かもしれない。

 

1722年の復活祭の日,オランダ海軍の提督ヤコブ・ロッゲフェーンがこの島に上陸したことからイースター島と呼ばれるようになるが,現地語ではラパ・ヌイ。1888年チリ領になってからは,スペイン語でイスラ・デ・パスクアと称される。

 

巨大なモアイ像の切り出し跡が残っているラノ・ラクラの丘から,モアイは海岸まで歩き,海を背にしてアフの上に立っている。巨大なこの像をどのように運んだのか,インカの石組みにも通じるアフ・ビナプの精巧な石組み,ラノ・カウの火口湖に生えるトトラ葦がチチカカ湖のものと同種であることなど,謎に包まれている。いまだ解明が進まぬロンゴロンゴ文字,オロンゴの鳥人儀礼,伝説の数々。

 

この島には,サンチアゴからランチリ航空で訪れた。所要約5時間。タヒチからの便もあるが,サンチアゴからが便利。観光には1日あれば周遊できるが,ハンガロア村に34泊してモアイと共に夕日を眺め,マグロを食べ,歴史の神秘を感じるスローな時を過ごせば,思い出は倍増することだろう。

 

      

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