竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 三三四 今週のみそひと歌を振り返る その一五四

2019年08月31日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三三四 今週のみそひと歌を振り返る その一五四

 巻十八を、鑑賞しています。今週は非常にとぼけた歌の鑑賞をしています。標準的解釈では集歌4059の歌の末句「於保伎美」は「おほきみ=大君」として太上皇である元正太上天皇を指すとします。ところが、弊ブログのとぼけたところで、「於保伎美」は「王=おほきみ」として、葛城王であった左大臣橘諸兄と考えます。

河内女王謌一首
標訓 河内(かふちの)女王(おほきみ)の謌一首
集歌4059 多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母
訓読 橘の下(した)照(て)る庭に殿(との)建てて酒みづきいます我が王(おほきみ)かも
私訳 橘の根元も輝くように美しい庭に御殿を建てて、酒を杯に盛っていらっしゃる吾等の王よ。

 このような解釈のため、集歌4059の歌は元正太上天皇をお迎えした御殿の持ち主である左大臣橘諸兄に対して、御殿が立派であることとその主である左大臣も立派であると誉めた歌と考えています。その時、歌の解釈において、前半の御殿の様子と後半の様子とがスムースです。末句「於保伎美」を元正太上天皇を指すとしますと、『万葉集釋注』の解説ように、「御殿の持ち主ではないが持ち主のように」とする解釈が必要になり、窮屈です。
 当然、日本書紀、古事記、万葉集では、大王や王は「おほきみ」と訓じることは標準ですが、鎌倉時代以降の標準解釈では、天皇、皇や大王は「大君」の解釈に統一しますから、ある時代のどこかで「大君」と「王(おほきみ)」がぐちゃぐちゃな区分になったようです。歌を丁寧に鑑賞しますと、天皇や皇は「すめらぎ」、大王や王は「おほきみ」と違うことは明白ですが、和歌道ではそれが難しいのかもしれません。
 当然、鎌倉時代以降の和歌道からの「大君」解釈では、歌の人物解釈が違う可能性がありますから、本来の歌意とは相違するでしょう。

 今回は鑑賞したものを再掲します。敬称に注目して鑑賞をしてみて下さい。標準解釈との相違が判ると思います。その時、河内女王の集歌4059の歌と大伴家持が後から詠った「後追和橘謌二首」の集歌4064の歌が呼応します。

太上皇御在於難波宮之時謌七首 清足姫天皇也
標 太上皇(おほきすめらみこと)の難波の宮に御在(いま)しし時の謌七首 清足姫の天皇なり
左大臣橘宿祢謌一首
標訓 左大臣橘宿祢の謌一首
集歌4056 保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆
訓読 堀江には玉敷かましを大皇(すめらぎ)を御船(みふね)榜(こ)がむとかねて知りせば
私訳 堀江には美しい玉を敷いたのですが、大皇よ。御船を操り遡ると、前々から知っていましたら。

御製謌一首 和
標訓 御(かた)りて製(つく)らしし謌一首 和(こた)へたまへり
集歌4057 多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖々 都藝弖可欲波牟
訓読 玉敷かず君が悔(く)いて云ふ堀江には玉敷き満(み)てて継ぎて通(かよ)はむ
私訳 美しい玉を敷かなかったと貴方が後悔して云う、その堀江には美しい玉を敷き満たして、何度も通って来ましょう。
左注 或云 多麻古伎之伎弖
注訓 或(ある)は云はく、玉(たま)扱(こ)き敷(し)きて
私訳 或いは云うには「美しい玉をしごきちりばめて」

御製謌一首
標訓 御(かた)りて製(つく)らしし謌一首
集歌4058 多知婆奈能 登乎能多知波奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎
訓読 橘のとをの橘八つ代にも吾(あ)れは忘れじこの橘を
私訳 橘の、枝もたわわな橘よ、幾代にも私は忘れない。この橘を。

河内女王謌一首
標訓 河内(かふちの)女王(おほきみ)の謌一首
集歌4059 多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母
訓読 橘の下(した)照(て)る庭に殿(との)建てて酒みづきいます我が王(おほきみ)かも
私訳 橘の根元も輝くように美しい庭に御殿を建てて、酒を杯に盛っていらっしゃる吾等の王よ。

粟田女王謌一首
標訓 粟田(あはたの)女王(おほきみ)の謌一首
集歌4060 都奇麻知弖 伊敝尓波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣尓見要都追
訓読 月待ちて宅(いへ)には行かむ我が插(さ)せる明(あか)ら橘影に見えつつ
私訳 月の出を待って貴方の屋敷に行きましょう。私が髪に挿した清らかな橘、月の光に貴方が見て判るように。

集歌4061 保里江欲里 水乎妣吉之都追 美布祢左須 之津乎能登母波 加波能瀬麻宇勢
訓読 堀江より水脈(みを)引きしつつ御船(みふね)さす賎男(しづを)の伴は川の瀬申(もう)せ
私訳 堀江から水の流れを辿りながら御船を操る作業員の男達は、川の浅瀬を知らせなさい。

集歌4062 奈都乃欲波 美知多豆多都之 布祢尓能里 可波乃瀬其等尓 佐乎左指能保礼
訓読 夏の夜は道たづたづし舟に乗り川の瀬ごとに棹(さを)さし上(のほ)れ
私訳 夏の夜は水路がはっきりしない。小舟に乗って川の浅瀬毎に棹を指して道順を示しなさい。

後追和橘謌二首
標訓 後(のち)に橘の謌に追ひて和(こた)へたる二首
集歌4063 等許余物能 己能多知婆奈能 伊夜弖里尓 和期大皇波 伊麻毛見流其登
訓読 常世(とこよ)物(もの)この橘のいや照りにわご大皇(すべらぎ)は今も見る如(ごと)
私訳 常世の物と云はれるこの橘のように、常に一層光輝き渡る。吾等の大皇は、今、このように見るように。

集歌4064 大皇波 等吉波尓麻佐牟 多知婆奈能 等能乃多知婆奈 比多底里尓之弖
訓読 大皇(すめらぎ)は常磐(ときは)にまさむ橘の殿の橘直(ひた)照(て)りにして
私訳 大皇は常盤にいらっしゃるはずです。橘卿の御殿の橘の樹々が優れて輝くように。

 今回は「大君」と「王(おほきみ)」の呼称問題を紹介しましたが、当然、これは従来の万葉集読解での重大な欠点です。原文から正しく訓じればこのような間違いは生じませんが、「定訓」というものを採用しますと、まず、判らない世界ですし、間違いの世界です。
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