竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 三三三 今週のみそひと歌を振り返る その一五三

2019年08月24日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三三三 今週のみそひと歌を振り返る その一五三

 巻十七を、鑑賞しています。最後では巻十八に一部、入っています。その巻十七の最後の歌が次の歌です。

造酒謌一首
標訓 酒を造れる謌一首
集歌4031 奈加等美乃 敷刀能里等其等 伊比波良倍 安加布伊能知毛 多我多米尓奈礼
訓読 中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりこと)と云ひ祓(はら)へ贖(あが)ふ命(いのち)も誰がために汝(なれ)
私訳 中臣の太祝詞の言葉を唱えて、お祓いをし、神饌を供え、神に頼るのも、誰のために、それは貴方のために。
注意 原文の「安加布伊能知毛」は「贖う命も」と訓じますが、ここではその「命」は名詞ではなく「頼りにするもの、よりどころ」の意味を尊重して動詞的に鑑賞しています。
左注 右、大伴宿祢家持作之
注訓 右は、大伴宿祢家持の之を作る

 この歌は前後の関係もなく、唐突に置かれた歌で、巻十七の最後の歌とする理由もありません。また、巻十八に接続するために置かれた歌でもありません。

巻十八の最初の歌
天平廿年春三月廾三日、左大臣橘家之使者造酒司令史田邊史福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘。爰作新謌、并便誦古詠、各述心緒
標訓 天平二十年の春三月二十三日に、左大臣橘家の使者造酒司(さけのつかさの)令史(さかん)田邊(たなべの)史(ふひと)福麻呂(さきまろ)を守大伴宿祢家持の舘(やかた)に饗(あへ)す。爰(ここ)に新しき謌を作り、并せて便(すなは)ち古き詠(うた)を誦(よ)みて、各(おのおの)の心緒(おもひ)を述べたり。
集歌4032 奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟
訓読 奈呉(なこ)の海に船しまし貸せ沖に出でて波立ち来(く)やと見て帰り来(こ)む
私訳 奈呉の海に船をしばらく貸してくれ。沖に漕ぎ出て行って波が起こり立って打ち寄せてくるのを眺めて帰って来よう。

 なぜ、この歌が採歌され、ここに唐突に置かれたのか、伊藤博氏の『万葉集釋注』も全く万葉集編纂の意図が判らないとします。中西進氏の『万葉集全訳注原文付』の簡潔な脚注解説でも、歌の意図が不明とします。
 集歌4031の歌は醸造の時に詠われたもので、醸造作業時の労働歌は巻十六の集歌3879の歌にあります。

集歌3879 梯楯 熊来酒屋尓 真奴良留奴 和之 佐須比立 率而来奈麻之乎 真奴良留奴 和之
訓読 はしたての 熊来(くまき)酒屋(さかや)に まぬらる奴(やつこ) わし さすひ立て 率(い)て来なましを まぬらる奴(やつこ) わし
私訳 梯立の熊来の酒を作る屋敷で怒鳴られる奴よ、あんた、誘い立てて連れて来てしまいたいが、怒鳴られている奴よ、あんた。
注意 形式的は旋頭歌に分類されると思いますが、旋頭歌と催馬楽との中間に位置するようなものです。
左注 右一首
注訓 右は一首

 さて、中臣の太祝詞とは、中臣祓の一節「天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ」からの詞と思われます。越中国守大伴家持が詠う歌でのものですし、家持は国守であって神主ではありませんから、ここでの中臣の太祝詞は公式行事でのものでしょう。
 一般に、公式行事で中臣祓を奏上するのは「夏越しの大祓」や「年越しの大祓」での「大祓詞」とされるとします。万葉集でこの歌の前後で日付が判る歌を探しますと、巻十七の集歌4020の歌の「天平廿年春正月廿九日」、巻十八の集歌4032の歌の「天平廿年春三月廾三日」です。もし、歌が巻十七から巻十八と渡る間も順序良く載せられているとしますと、集歌4031の歌は天平20年1月29日から同年3月23日の間の事になります。
 この間での神道での大きな祀りは2月4日に行われる祈年祭です。そして、祈年祭祝詞は「神祗官における祈年祭班幣式に際し、全国から参集した諸社の神主や祝部等を前にして中臣氏が天社・国社の神々の前に奏するもの」と解説されるものです。

 つまり、巻十七を閉める歌は天平20年2月4日に執り行われた祈年祭で詠われた歌となります。非常におめでたい歌で閉められていることになります。
 色々な大学教授などの研究を知らない素人が、原文から歌を鑑賞しますと、このような実に平凡でつまらないトンデモ論の鑑賞になります。弊ブログ一流のこのようなとぼけた解釈もあるとご笑納ください。
コメント
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