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三億円事件の40年後~その2:第1、2、4現場

2009-09-22 | 三億円
(09年1月11日の記事に補足します)

現金輸送車は学園通りを西(写真奥)に向かって走ります。
ニセ白バイがショートカットした道(写真右の建物の手前)との再合流地点
です。



西に向かった先は府中刑務所の北側で、よく知られている事件現場(第1
現場)です。



当時の写真を見ると、壁がへの字に曲がっている辺りの上部に看守塔が
あったようですが、現在は見当たりません。壁そのものも当時とは異なる
ようで、より低くなったのか威圧感が薄れています。

犯人に奪われた現金輸送車は、そのまま先の府中街道(案内板の水平
方向の道)に向かって猛スピードで走り去って行きました。



ちなみに現金輸送車の目的地は、事件現場からちょうどすぐ先にある
東芝府中工場で、冬のボーナスだったために多額でした。



ちなみにこの塔、エレベータの試験用の設備らしいのですが、事件当時
には既に存在していたようです。

奪われた現金輸送車は、府中街道をそのまま北上せず、裏道に入って
いきます。('09-09-22: 写真追加)



写真手前から奥に向かっているのが府中街道で、信号のところで右折
しています。(もちろん当時デニーズはありません(笑))

当時はこれほど開けてはなく未舗装の道で、しかも当日は雨だったため、
猛スピードで走った現金輸送車はここで盛大に泥はねをしてしまい、通報
されています。('09-09-22: 補足・写真追加)



結局、奪われた現金輸送車は、現場からわずか数百mほど北の、史跡
国分寺・七重塔跡付近で発見され、第2現場と呼ばれます。
犯人はここで青色のカローラに乗換え、現金の入ったジュラルミンケース
3個も乗せ替えて逃走しました。



ちなみに現金輸送車は「H家代々之墓」のすぐ脇に置かれていましたが、
このお墓は現存しています。(写真左側の茂みの辺り)
当時この辺りは竹藪・栗林であまり知られていない場所のため、発見が
遅れたようですが、第1現場からは徒歩で行けるほど近く、犯人の大胆さ
には驚かされます。

逃走する犯人が最後に目撃されたのは、上記の史跡・国分寺から少し
東に行ったこの地点です。('09-09-22: 補足・写真追加)



写真の手前から奥に向かっていた逃走車が、T字路で左から来た別の
車とあわや衝突しそうになります。
逃走車はあわててバックした後、何度も切り返しをして右折(東方向)し、
その後の行方が途絶えました。

結局、逃走に用いられた濃紺のカローラ「多摩五郎」(ナンバーの「多摩
5ろ3519」をもじった呼び名)が見つかったのは、国分寺から東に駅一つ
向こうの小金井の「本町住宅」の駐車場で、第4現場と呼ばれます。



車の中にジュラルミンケースが残っていましたが、もちろん中身はカラで
した。

なお、多摩五郎が見つかったのは、カバーがかぶせられていたとはいえ、
事件発生から4ヶ月も後、その上のちに航空写真によって事件翌日には
ここに置かれていたことが判明したという、警視庁の大失態でした。
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