高尾サポートレンジャー会

このブログでは高尾山で活動するボランティア「高尾サポートレンジャー会」の活動についてご紹介します。

2020年2月5日(水)自主巡回/山内 【クリーン・アクション】

2020-02-09 12:06:28 |  2019年度 巡回報告

2020年2月5日(水)自主巡回/山内 【クリーン・アクション
                 山頂周辺園地の排水溝・水切溝・200段階段清掃】
◆参加者:10名(伊藤L)  ◆天候:晴れ
◆コース:山頂VC前集合(10:00)~山頂周辺清掃~VC裏解散(14:40)
 3日が節分、4日が立春で、冬至と春分のちょうど中間。旧暦では春の始まりです。

高尾山頂から見る富士山は雲ひとつなく晴れわたり、丹沢の山々もくっきりとみえる。

山頂で休憩している女性が、我々のブルーキャップを見て「どこの団体ですか?」
SRのことを紹介・PRし、2020年のSR養成講座募集のニュースに注目されるよう
お願いした。

 今日の活動は、利用者の通行の安全と自然景観の維持を図るこを目的とした

「クリーン・アクション」(環境美化活動)で、昨年の4月以来10か月ぶりです。
最初に全員で場所の確認をしてから、必要な道具類を倉庫から選び出し数を確認しました。

班編成は2班に分け、1班は本日特別にレンジャーさんと一緒に「SR会専用の用具棚」の

組立、設置です。組立に必要と思われる工具を持参したが、今のラックはボルト締めは無く、

全て嵌め込み式で木ハンマーあればOKで上手くできています。

1班の組立が終わったころにはすでに2班の「山頂下1号路下山口排水溝清掃」は終わっており、

見違えるほどきれいになっていました。

園地にはベンチで飲食されている利用者もいるため、清掃に入る旨伝え協力いただいた。

 

展望台下では2班が休みも忘れて清掃中! 階段に堆積した土砂を除去し土嚢袋につめ

7~8袋出来上がっている。この土嚢はレンジャーが稲荷山コースの歩道整備に使用する

とのことですが、運搬が一苦労でしょう! 「きゅう~け~い!」の声で一休み。

 

昼食後は、「山頂~もみじ台下200階段清掃」を100段ずつ2班に分けて行う。
利用者に、注意喚起の声かけをしながら協力いただき、途中、腰伸ばしの小休止を入れながら
1時間半位はかかったでしょうか、何とか無事終わりました。

 もみじ台下で、奥高尾方面からきた男性の利用者に「いろはの森コースは通れますかね?」

と聞かれ、「先日歩きましたので、大丈夫ですが注意して通行お願いします」

 山頂VC裏に戻り振返りを行い解散とした。皆さんお疲れさまでした!
帰り際に「コジュケイ」が見送ってくれました。
                    記録:SI  写真提供:YS、 SI

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2020.1.30(木)自主巡回/北高尾

2020-02-06 21:20:34 |  2019年度 巡回報告

「松姫古道より深澤山」

2020年1月30日(木)晴  SR自主巡回【北高尾】

・参加人数:9名 (田中L)  
・コース:高尾駅北口⇒タウン入口→小田野城跡→信源院→松姫古道→深沢山(昼食)
→城跡ガイダンス施設(解散)
・内容:松姫古道より深沢山(八王子城山)松姫に想いを寄せて歴史の路を探索し、合わせて八王子城の支城たる小田野城跡を訪ねます。

 

明るく開けた小田野城跡
小田野城は八王子城(1587年頃築城)とほぼ同時期に、八王子城主・北条氏照の家臣である小田野源太左衛門が築城したと伝えられる。1590年、八王子城攻撃の直前、小田野城は上杉景勝の軍勢に攻め込まれて、落城した。

スダジイへの道

 

圧倒的存在感のスダジイは山ノ神(すだ椎、ブナ科シイ属)

 

松姫古道はボランティアの人により良く整備されている。向山砦

山頂直下の展望台より

今日の参加者9名

 

下山後城跡ガイダンス施設で松姫の生涯を振り帰り

松姫ものがたり

 武田信玄の娘松姫は、武田信玄と織田信長の同盟の為、松姫(7歳)と織田信忠(11歳)と婚約が成立する。しかし、実際に生涯に渡り松姫と織田信忠が対面することはなかった。1572年に信玄が遠江~三河へ侵攻し、信長が徳川方へ援軍を出したことで織田家との関係は手切れとなる。武田信玄が没すると、織田信長は武田総攻撃の命令を出し、1582年2月武田氏滅亡。1582年4月松姫は武田勝頼に嫁いでいた北条夫人の親元・城主だった北条氏照を頼ろうと八王子へと逃れ上恩方の金照庵に入る。同年暮れごろに下恩方の心源院に入り出家し、信松尼となり8年間過した。
川原宿に今もある心源院は八王子城主・北条氏照の祈願寺であり、八王子城陥落の際にも僧侶が豊臣勢に抵抗しており、八王子城の砦の役目も果たしていたようだ。1590年、豊臣秀吉により小田原北条氏が滅亡した頃、松姫は八王子・御所水のあばら家に移り住んだ。生涯を終えるまで、松姫は生涯、婚約者織田信忠への愛を貫き通し、心優しい松姫は八王子の地元民からも大変慕われた。徳川家康は天下統一を果たした後、武田信玄の娘・松姫が恩方にいることを知り、元武田家臣で当時八王子の代官頭だった大久保長安に支援を指示。大久保長安は自分の家の近くに信松尼のために草庵を作るなどし、旧武田家臣が多かった貧しい八王子千人同心の心の支えにもなったと言う。1616年4月16日、松姫は56年の生涯を閉じた。現在墓所は、八王子市の信松院にあり、今なお参拝する女性も多く見られる。

                             記録、写真:YT

 

 

 

 

 

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