2017/ 1/28 自主巡回/奥高尾【歴史チーム特別活動「奥高尾の峠道」】
◆参加者:8名 ◆コース:高尾駅北口~陣馬高原下バス停~陣馬山頂~明王峠(昼食)~底沢峠~景信山~小仏峠~
小仏バス停~高尾駅北口(解散)
比較的暖かな朝でしたが、陣馬高原下バス停の温度計はちょうど零度を示していました。
本日の参加メンバー8名は準備体操を終えて出発、陣馬新道を経由して陣馬山頂へ、神馬山頂は抜けるような青空で、
富士山は勿論、遠く南アルプスの雪山がはっきり見て取れました。
心配していた積雪は所々うっすら積もっている程度で、アイゼンなしで歩くことができました。
指導票の点検と清掃を繰り返しながらの通常巡回に加え、歴史チーム特別活動として奥高尾の峠について解説しました。
皆さんご存知のように、登山用語では峠のことを乗越(のっこし)と言い、山嶺・尾根道に着目した場合は鞍部(あんぶ)、窓、コルとも呼んでいます。
以下は奥高尾の峠の解説です。参考にしてください。
和田峠688m:八王子市恩方の側の人々が相州佐野川へ越える峠を呼んだ名であり、一方和田側の人々は案下峠と呼称しました。
和田峠によって武蔵と相模、さらに甲州を結んだ道は甲州道中裏街道、あるいは佐野川往還と呼ばれ、古くは案下道の名もありました。現在は陣馬街道と呼ばれています。
江戸時代には高留(現在の関場)に口留番所が置かれていました。
奈良子(ならご)峠730m:明治、大正にかけて栃谷の人は馬に木炭を三俵ずつ両背に負わせ、自分も二表背負って北の峠を八王子に行き、米などを買って通っていました。ここまで来ると馬を休ませるため、つないだ木が楢の木で、ナラゴ峠の名がついたと言われています。
明王峠740m:不動明王を刻んだ石碑が建っており、名の由来を示しています。甲州道中与瀬宿の与瀬神社に下る峠道であります。
底沢峠721m:上恩方最奥の集落、陣馬高原下バス停のある上案下から相模湖側の底沢に超える峠道。峠には大正10年(1921)に上恩方青年団が建立した道標が残されています。
白沢峠673m:堂所山と景信山の間にある峠、上恩方町高留(関場)から相模湖町底沢に通う道がかかっていましたが、今は廃道となっています。地図上にはまだこの名前が記載されていましたので、本日の参加者と一緒に場所の特定をしました。
西多摩地方の人々が底沢半僧坊大権現に参詣した道だといわれています。
小仏峠 548m:江戸時代には甲州道中、小仏宿と小原宿の間の峠として、また後北条時代は武相国境の峠として小仏関(富士関)がおかれた。この峠道は勾配が急で車道化が困難であったため、明治21年(1888)に当時の国道16号(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更されました。
凍結と乾燥により登山道のぬかるみがひどくなく、その上まぼろしの白沢峠の位置まで確認でき、快適な巡回となりました。
本日の活動に参加された皆さんお疲れ様でした。(TSR/TF)