麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

さようなら西船会

2017年08月19日 | 身辺雑記
初めて京成線のお花茶屋駅に降りた。

川崎北部の小田急沿線生活が長く、
今は池袋在住。つまり都心の西。
となれば、海外に行く際に、
日暮里から成田までの京成。
それが全てなのです……。

※※※

文化座という老舗劇団がある。
その制作部に同時期に所属した
先輩後輩の集まりが「西船会」。

最年長の田中が千葉市に住み、
次の堀江が当時埼玉の三郷。
最年少の塩谷は江東区の在。
三人の中間点の西船橋が
自然とたまり場になった。

僕は文化座に居たことはない。
ただ田中勝には東演で、且つ今尚、
大変お世話になっている。

干支ふたまわり以上うえの
大先輩たけれど、前述の劇団に
入ったのは奇しくも同じ1997年。

制作から劇作家に転じた堀江安夫は
田中の企画を潮に東演に何本も
戯曲を書き下ろすようになり、
打ち合わせの末席に加えて頂き、
そんなこんなの縁でやがて僕も
「西船会」に加わるようになった。

塩谷さんは毎回幹事役だった。
僕か堀江さん絡みの公演や、
誰かの誕生月など理由にして
数ヶ月おきに開かれる会を
仕切ったのは全て彼だった。

そして必ず土産を持参してきた。
お手製のパン、お気に入りの銘菓、
などなどそれは多岐にわたった。

※※※

初めてお花茶屋駅に降りたのは、
その塩谷和男の通夜に会葬する為。

確かに病気がちだったけれど、
田中も随分昔から心臓に管が入り、
そのメンテを終えて退院すれば
祝いだと集まり、今度は塩谷だ、と。
二人とも入る度元気に帰るから
亡くなるなんて思いもしなかった。

何より塩谷さんは若かった。
昨夜初めて六十六歳と知ったが
クリッと少年みたいな眼だったから
余計に若く感じられた。

先月僕より若い演劇制作者が逝き、
今月あたまに仲間内で送ったばかり。

二人ともムードメーカーだったな。

来月「西船会」を必ずやろうと、
約束して葬祭場を出た。

涙雨が落ちてきた。
これで関東は十八日連続の降水。

仕方がないから駅前の居酒屋に。
ご親族や旧友の皆様から離れて
こぢんまりと「雨宿り」をした。

お花茶屋の駅前の居酒屋の
枝豆には、塩じゃなく味塩。
懐かしいような味は同時に
違和感のある味でもあった。

塩谷和男の早い死はしょっぱくて、
また違和感のある味なのです。

コメント
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