麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

松陰

2017年08月12日 | 身辺雑記
8月11日、夏の甲子園
第4試合で惜しくも敗れた
米子松蔭高校(島根代表)。

強豪7校が顔を揃えた、と
つい書いてしまいご免なさい。

今日は、たっぷりと。

「松陰」といえば吉田松陰。
1830年、長州に生まれた思想家。
4歳で叔父の吉田家に養子となり、
山鹿流兵学を修める。翌年から
松下村塾で学び、9歳で明倫館師範。

明倫館とは長州藩の藩校。
その師範にわずか9歳で就任も驚愕!
だが、あれれ松下村塾を開いたのは
松陰先生じゃなかったのか。

50年、江戸に出て佐久間象山に学ぶ。
52年脱藩。翌年、黒船・ペリー来航。
54年、幕府は日米和親条約を締結。
この時松陰、密航を試み失敗し投獄。
死罪の動きもある中、長州幽囚に。

55年出獄を許され、杉家に幽閉。
57年、松下村塾の名を引き継ぎ、
ここについに開塾!!!
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、
山縣有朋、前原一誠らが学ぶ。
引き算すると、松陰27歳。

今更ですが幼名は寅之助。
吉田家に入り、大次郎と改名。
諱は矩方。松陰は号である。

おっと、明治維新の立役者の
半生の紹介が意図ではなかった。


そんな偉人の学舎(まなびや)を
目指す意味だろう「松陰高校」は
全国各地に存在する。

まずは首都東京。松蔭高校。
1941年松蔭女学校として創立。
47年中学、翌年幼稚園も。
2005年からは共学になった私学。
江上由美、藤田幸子、熊前知加子ら
日本代表を輩出したバレーの古豪だ。
女優・太地喜和子も卒業生。

千葉には、八千代松陰高校。
こちらは創立3年でセンバツ出場。
駅伝も強く、格闘家も多数。
ソウルの柔道の銀メダリスト・
江崎史子や、プロレス藤田和之
(のちに総合格闘技)など。
1978年開校。85年から中学併設。
ジャングルポケット斎藤もOB。

対して。
ネゴシックスが卒業した米子松蔭。
米子高等経理学校として開校。
1955年のこと。62年米子商業に。
この校名で三度甲子園に出場。
恐らく一般的には、この名前で
知られているのではないか。
現校名になったのは、2001年。
米子松蔭として今夏初の甲子園。

学校法人永島学園の一校。
同じく簿記経理系から始まった
姉妹校が県内の松江市、出雲市、
益田市にあるが「松蔭」ではない。

順に松江西高校、出雲西高校、
明誠高校・・・統一感なし

あ。「明誠」って高校も全国に
結構あるよねε=ε=┏(・_・)┛
コメント (2)
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