読書日記

いろいろな本のレビュー

評伝 小室直樹上下 村上篤道 ミネルヴァ書店 ・ 高坂正堯 服部龍二 中公新書

2019-03-05 14:46:53 | Weblog
 今回は高名な学者の伝記二編を取り上げる。伝記はその人の生きた時代の雰囲気がよく表れるので読んでいて面白い。小室直樹(1932~2010)は貧困生活の中、福島県の会津高校を卒業し京大理学部に入学、数学を専攻し卒業後は阪大の大学院で経済学を学び、1959年フルブライト留学生として経済学で有名なミシガン大学へ、1960年マサチューセッツ工科大へ、その後ハーバード大学大学院で学ぶ。経済学の泰斗サミュエルソン(『経済学』岩波書店は1970年代のベストセラー)の指導を受けた。これだけの経歴を誇っていればエリートとして、帰国後はそれなりの地位について安定した学者生活を送れるはずだが、小室の破天荒な性格ゆえ、そうはならなかった。彼の評伝が上下二部の大部なものになったのは、彼の人間関係の複雑さによるのだろうと推察する。彼にとっては学問そのものが生きがいで、ポスト獲得のために政治力を使うという発想がなかった。天才と言われながら、一生不遇だった。であればこそ、この人物の人となりを記録して後世に残そうということになったのだ。
 小室は1963年に帰国して、東大大学院法学研究科に入学し、丸山真男の指導を受ける。その後は、東大の寮に住み着いて、学問研究に励むが天才がゆえの奇行から、大学教員の口が得られずくすぶっていたが、彼を慕う学生の要望で、自主講座を開いて蘊蓄を傾けることになる。経済学、社会学、数学など彼が勉強して身につけた知識を自主ゼミで受講者に教えた。その一番弟子が社会学者の橋爪大三郎だ。その他、中澤新一や大澤真幸など、現在活躍している人々は小室ゼミナールから巣立って行った。小室はその後、光文社のカッパブックスから何冊もの本を出して、ベストセラーになったが、学界からは無視された。しかし彼にとっては、どの出版社から本を出そうと真実は一つという信念があったのだろう。そもそも学問研究と実生活のバランスをどうとるかは学者に取って悩ましい問題だが、小室は前者に比重を置いた。家庭的幸福(後年結婚して家庭を持った)に無頓着だったが、この評伝で、後世に名を残すことになりそうだ。著者の村上氏はゼミゆかりの人物だが、小室の肉声を再現することに成功している。労作と言える。
 対して、高坂正尭(1934~1996)は京都の洛北高校から京大法学部に入学、卒業後はすぐ助手に採用され、若くして京大助教授から教授になった。父正顕は哲学者で師は西田幾多郎で、後に京大の教授になった。母子家庭の小室とはかけ離れた恵まれた家庭に育っている。高坂は小室とほぼ同世代人だが、持ち前の才能を発揮して順調に学者生活を送った。彼の師は猪木正道(後の防衛大学校校長、『共産主義の系譜』の著書がある)で、スタンスはやや右寄りだが現実主義と言われるように、何が何でも憲法九条を守れということではなかった。吉田茂を評価して、歴代の首相のブレーンとして活躍した。62歳で他界したのは惜しかったが、晩年はテレビのコメンテーターとして、独特の京都弁を駆使して人気があった。高坂の場合、学問研究と実生活のバランスはうまく取れていたといえる。しかし、離婚問題で本人は相当消耗したとの記述があった。学者には良くある話である。こういう点では高坂もヒトの子という感じで、なんとなく共感してしまう。どこまでもとがっていた小室とは趣を異にしている。著者の服部氏は高坂の教え子に当たる人で、恩師に対する思いは強いと感じた。高坂が生きていれば、現政権の憲法九条をめぐる動きをどう評価したか聞きたいものだ。その流れで言えば、ここに高坂の伝記が刊行された意味は小室同様大きいと言わねばならない。

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