読書日記

いろいろな本のレビュー

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也 新潮社

2012-04-04 09:42:21 | Weblog
 昭和29年(1954)12月22日蔵前国技館でプロレスラーの力道山と柔道家の木村政彦の世紀の一戦が行なわれ、力道山の圧勝に終わった。あらかじめ引き分けに終わるという取り決めを力道山が破り、本気の空手チョップを油断した木村の頸動脈に見舞い、腰から倒れた木村の顔面にキックを何発も蹴り込み、リングは血で染まった。この時のチョップは掌底(掌の付け根で打つ打撃技。もともとは空手の技)で破壊力が強烈という。そのため木村は人事不省に陥り文字通りの完敗を喫した。力道山は当時人気沸騰中で、この一戦でさらに名声が高まった。反面、木村はこの屈辱的な敗戦で評価は地に落ちた。著者は木村の名誉回復を期して、彼の生い立ちから死まで、ゆかりの人物にインタビューを試み、関連資料を渉猟して、ここに大部の著作が完成した。
 この作品は『ゴング格闘技』に2008年1月号から2011年7月号にかけて連載されたものである。力道山に負けた柔道家を柔道経験のある著者が名誉回復するというもので、文章には気合いがこもっており、木村に対する敬意がここかしこににじみ出ている。前半は柔道家木村政彦の誕生をめぐるもので、柔術が講道館柔道に席巻されていく様子をわかりやすく描いている。武術が近代スポーツに変化していく中で、凶暴性が封印される宿命を講道館柔道の発展というかたちで描き出す。柔道家は格闘技では最強という自負が力道山とのビッグフアイトになった。木村が本気でやれば、力道山など敵ではないという自負は柔道界には根強くあった。それが力道山のだまし討ちのような形で木村は敗れた。柔道界にとっても屈辱的なことであった。著者は木村の人格と力道山のそれを二項対立の形で描きだし、木村寄りの筆致で木村のみならず柔道界の名誉回復を図っている。
 この一戦のあと、木村は力道山に仕返しをすべく短刀を持ってつけまわしたというぐらいその恨みは深かった。いつもその死を念じていたらしいが、9年後の昭和38年12月8日の午後11時すぎ、東京都千代田区永田町のナイトクラブ「ニュー・ラテンクオーター」で力道山はやくざの男に下腹部を刺され、その後入院先の病院で39歳の人生を終えた。あまりにもあっけない幕切れであった。木村の念力が通じたといことか。その辺の葛藤も小説仕立てで読ませる。空手の大山倍達はもと木村の弟子で柔道家であったことなど格闘家の話題がてんこ盛りである。
 木村は平成5年(1993)4月18日大腸癌が肝臓に転移し亡くなった。享年75歳。強靭な肉体を誇った柔道家も癌には勝てなかった。合掌。

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