反貧困 湯浅誠 岩波新書
副題は、「すべり台社会からの脱出」。本書は第八回 大仏次郎論壇賞ならびに第十四回 平和・共同基金賞を受賞した。著者は東大大学院法学研究科博士課程中退で、ホームレス支援活動に従事。現在、自立生活センター・もやい事務局長。学会から貧困サポートへの転進のいきさつを知りたい気もするが、ここでは関係ないことなので次に行こう。
生活保護を打ち切られて、「おにぎり食べたい」というメモを残して餓死した人の話題は国民に衝撃を与えた。コンビニの弁当・おにぎりの三割が売れ残って捨てられているこの世の中で、餓死する人がいるとは。これは著者も言うとおり、自己責任云々の話ではない。明らかに行政の怠慢である。この国に格差はあるが貧困はないと前総務大臣の竹中平蔵は言ったが、実情を把握していない能天気な発言と言えよう。著者は貧困の現場に実際身を置いて、セイフティーネットにかからない人々の相談に乗った経験をつぶさに報告してくれている。「反貧困」はお題目ではない。国がやるべき義務である。憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しなければならいのだ。為政者の仕事は一にかかってここに集中すべきである。声高な批判でなく、冷静な論調と的確な問題提起の記述は著者の人柄を感じさせて好感がもてる。
あとがきの次の言葉が胸を打つ「誰かに自己責任を押し付け、それで何かの答えがでたような気分になるのは、もうやめよう。お金がない、財源が無いなどという言い訳を真にうけるのは、もうやめよう。そんなことよりも、人間が人間らしく再生産される社会を目指すほうが、はるかに重要である。社会がそこにきちんとプライオリティー(優先順位)を設定すれば、自己責任だの財源論だのといったことは、すぐに誰も言い出せなくなる。そんな発言は、その人が人間らしい労働と暮らしの実現を軽視している証だということが明らかになるからだ。そんな人間に私達の労働と生活を、賃金と社会保障を任せれられるわけがない。そんな経営者や政治家には、まさにその人たちの自己責任において退場願うべきである。主権は、私たちに在る。」今年、私が一番感動した言葉だ。これを読んだとき、麻生首相、経団連の御手洗会長、橋下大阪府知事の顔が浮かんだ。彼らに熨斗をつけてこの言葉を贈りたい。