読書日記

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潜行三千里(新書版) 辻政信 毎日ワンズ

2017-01-09 09:27:59 | Weblog
 辻は陸軍大学卒業後大本営参謀となり、太平洋戦争時、第25軍主任参謀としてマレー作戦、シンガポール攻略を指導、「作戦の神様」とうたわれた。1943年8月大佐に昇進、南京に赴任し支那派遣軍参謀を務める。1944年7月ビルマ派遣軍33軍参謀としてビルマに赴任するが、1945年5月タイ国駐屯軍参謀となり、1945年バンコクで終戦を迎えた。
 終戦後タイの僧に変装し、バンコクの日本人納骨堂に潜伏。イギリス軍の戦犯追及の手がのびるとバンコクの中国国民党の地下工作部と接触、藍衣社(国民党を支える秘密結社)の載笠に会って日華合作の道を提案して重慶行きを希望して許された。そしてバンコクを脱出、メコン川を渡りラオス、ハノイから昆明を経て重慶に辿りついた。さらに南京に出て国民政府国防省に勤務するが、国民政府の腐敗ぶりに呆れ日本帰国を決意し、昭和23年(1948年)5月、大学教授の肩書きと変名で引き揚げ船に乗り佐世保に帰港した。
 本書はバンコクでの終戦から佐世保に帰国するまでの事跡を書いたもので、昭和25年(1950年)に毎日新聞社から刊行され一躍ベストセラーになった。そして昭和27年(1952年)から連続4回衆議院議員に当選したが、昭和36年(1961年)衆議院議員として再び東南アジアに向かいラオス付近で行方不明になり、その消息は杳として知れぬままだ。
 辻は作戦の神様と言われたが毀誉褒貶の激しい人物で、その個性は強烈だ。彼の上司はさぞかし困ったことだろう。さらに正義感が強く腐敗堕落を許せない性分で周りとトラブルを起こしていた。バンコクを脱出して重慶に辿りつくまで、何度も死の危険にさらされながらも生き延びたという記述が続くが、まるでスパイ小説を読む心持だ。ホンマかいなという感じ。しかし藍衣社の幹部の載笠に談判して、日華合作の道を提案するなど、政治家・策謀家としての資質は十分ありとみた。「作戦の神様」とうたわれたのも伊達ではない。
 重慶に到着して国民党政府に仕えてからも、辻の批判眼は冴えわたる。たとえば南京政府(親日政権・主席は王兆銘)と国民党について次のように言う、「南京政府の功罪は今は述べる時ではないが、蒋介石主席をはじめ国民党首脳部が漢奸を許しえなかった狭量こそ、中共と対立しついに自ら墓穴を掘ったものであろう。南京政府を寛容しえないものが中共を包容し得る道理はない。この予感は不幸にして的中した。血を以て血を洗う内戦が勝利の祝杯のなかにきざしていた。かつて南京政府を裁いた人たちが、今は北京政府から裁かれる位置にある。運命は皮肉なものだ」と。国民党の迷走が結局共産党の勝利を呼び込むわけだが、それは国民党の人材不足が大きいと辻は言う。その象徴的なものが、藍衣社の載笠の死去であった。蒋介石を諌める者がいなくなったのである。さらに辻は提言する、「政治の腐敗を徹底的に粛清すべきである。小悪をやる前に大悪の高級官吏数名を銃殺し人心を一新しなければならぬ。政治の腐敗が経済を混乱し、民心を離反させ軍の戦意を喪失している。土地政策を断行して農民大衆をつかむことが対共政治の根本である。共産党を養うものは国民党内の腐敗分子である」と。非常に明快である。この言葉、腐敗防止に汲々としている習近平政権に謹呈したらどうか。
 この国民党が台湾に逃れ、ここで蒋介石が日本に代わって政権を担当したわけだが、先ほどの腐敗の実態からしてロクなものではなかったことが推測できる。台湾の本省人の苦悩に共感せざるをえない。辻のこの本は国民党の実態を知る重要な資料にもなっている。辻がその後も国会議員を続けていたら、結構大成したかもしれない。どうしてラオスに行ったのだろう。

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